ベル坊の侍女悪魔たるヒルデガルダ──ヒルダとは違い、アランドロンは普通の聖石矢魔の生徒として、通学している。
あまりに無理あるだろーがっ、と古市は叫びながら突っ込んだが、恐ろしいことに古市家の住人ですら、「その年からでも高校に通うなんて、感心」だとか言い出す始末だ。
せめて定時制とかならまだしも──と、常識的なことを突っ込みたかったが、悪魔には言っても無駄だと分かっているので、あえて口を噤んでいる。
それはとにかく、特別に石矢魔クラスに編入してきたヒルダは別として、アランドロンはあくまでも聖石矢魔の生徒である。
なので、聖石矢魔生の「決して特別教室棟(とどのつまり石矢魔生徒のクラス)には近づかないように」という臨時規定が当てはまる。
そのためか、学校内でのヒルダの立ち居地に考慮してか、アランドロンは彼女にも、屋上などの人目がつきにくい場所でしか会わない。
だから、てっきり──そういう「立ち位置」で行くのだとばかり、思っていたのだけれど。
ガラ。
「貴之……、来ちゃった。」
授業というなの無法地帯──こと、ニ限目の授業が終わった後の休み時間。
授業時間の続きで(というか、朝からずっとやっているのだが)ゲームをしていた男鹿の後ろの席で、携帯を弄っていた古市は、突如現れた巨体に、あんぐりと口を大きく開けた。
「……あ、ああああ、アランドロンっ!?」
ガタガタっ、と立ち上がる古市に、モジモジ、と体を揺らしながら、はい、とアランドロンが頷く。
ぽっ、と凶悪に頬を染めた姿で立ち尽くす彼は、ムキムキの体にぴっちぴちのカッターシャツ。聖石矢魔の生徒であることが一目で分かるネクタイとチェックのスラックスを履いている。
その、「聖石矢魔」の生徒の突如の出現に、周りの石矢魔生がジロリと睨みつけてくる。
「古市、知り合いか?」
言いながらも、眼光鋭くアランドロンを──肉体美に関しては、無駄なくらい筋肉にまみれている男を、値踏みする神崎に、古市は曖昧に答える。
「あー、いやぁ、なんていうか……。」
俺の知り合いっていうか、男鹿の知り合いっていうか、むしろヒルダさんの知り合いっていうか?
そんな中途半端な答え方をする古市に、寧々が柳眉を顰める。
聖石矢魔の生徒に「仕組まれて」、自分たちが退学になりかけているのが現状の今。とてもではないが、聖石矢魔生にニコヤカな笑顔なんて向けることは出来ない。
むしろ、聖石矢魔の生徒だと言うだけで、敵視するほどだ。──兄貴、兄貴、と犬のように近づいてきていた山村ですら、彼女たちは遠ざけているくらいなのだから。
教室中の不穏な空気にさらされて、古市は参ったな、と頭を抱えたくなった。
「む、なんだアランドロン。何かあったのか?」
教室中に走る微妙な緊迫感に気付かず──いや、きっと、気付いていながらも、まったく気にしていない様子で、ヒルガが椅子ごしにこちらを振り向く。
ゆったりと足を組み、短めのスカートから覗く太ももがまぶしい。
思わず男鹿の体ごしに見えたソコへ視線を集中させてしまった古市は、だから、次のアランドロンの言葉に動作が遅れてしまった。
「はい。実はわたくし…………、古市様に、愛妻弁当を作ってきたのです。」
ぽぽ、と、更にますます頬を染めて、アランドロンはどこからともなく取り出した弁当箱を──ピンクピンクしたハートが飛び散った布地に包まれた弁当らしき塊を、そ、と古市の机の上に置いた。
「あいさい……べんとう???」
聞こえてきた不穏なセリフに、はぁっ? と神崎達が目を剥く。
何を言ってるんだ、このおっさんは。
そんな怪訝そうな目線を向けた教室内の人間の雰囲気を無視して、ヒルダは右目をスと細める。
「ほぉ。それは朝からご苦労なことだ。」
ふむ、と一つ頷いたヒルダの口元に、美しい──ドSの笑みが浮かび上がる。
古市が今からさらされる事実を、心の奥底から理解し、楽しんでいるようだった。
「って、え、ちょ、古市っ!?」
「えええ? なに、どういうこと?」
寧々と邦枝が、何が起きているのかというように、アランドロンと古市を交互に見やる。
そこまで来て初めて、は、と古市はヒルダの太ももから手元の愛妻弁当に目線を落とした。
す、と、アランドロンは古市の前に弁当を押し出す。
「お義母さまから、貴之が好きなものを聞いて、つめてきたんですよ。喜んでもらえると嬉しいのですが……。」
何、さりげに、お義母さまとか言ってんのっ!?
っていうか、貴之とか、男鹿やヒルダさんでも呼んでないような呼び方で、呼ぶの止めてくれるっ!?
だとか、叫ぶ隙もなかった。
周囲の面々の、壊れ物でも触るかのような、何か未知の物に触れたかのような視線が痛い。
目の前に座っていた男鹿ですら、いたわしい物を見るような目つきで古市を振り返ってくる。
「って、え、いや──おまっ、何やってんのーっ!!!? いらねぇよっ、何コレっ!? 愛妻弁当って、いやいやいやっ! それねぇしっ! ないないっ!!」
「いえいえ、どうぞ遠慮なく。」
「遠慮してねぇってっ! てか、お前が作ったって、キモいってっ!!」
ブンブンと頭を振って、必死に否定しようとする古市に構わず、アランドロンは頼んでもいないのに弁当箱を開封し始める。
包みの中から現れた弁当箱は、ごくごく普通の男性用弁当箱。黒い耐熱ケースに入った、箸箱も一体になっているタイプだ。
中学時代の遠足ではお世話になった古市の定番である。
だがしかし。
アランドロンのぶっとい指でパカリと開けられたソコは──まさに魅惑のパラダイス。
「ちゃんと『新婚夫婦』の定番にのっとって、桜でんぷんでハートも書いたんですよ。」
しかも無駄に、ノリを切り刻んで「貴之vアランドロン」とか書いてある。
LOVEとか書いてあるこれは、ハムか? ハムなのか? っていうか、このハート型の物体は何? うずらのタマゴ? ピンク色に染色したの?
ピンクピンクした弁当の中身は、まさに新婚夫婦の愛妻弁当。
これが可愛い女の子から贈られたものなら、古市は天国に登るほどに嬉しいと思うだろう。
ちょっとやりすぎじゃないかと思うけど、それも自分を思ってのことならと、嬉しく思うに違いない。
が。
これは、アランドロンが作ったものなのである。
「………………っっっっ。」
口から泡が飛び出そうになった。
ぱくぱくと口を開け閉めする古市に、アランドロンは両頬を掌で抑えながら、くねくねと腰をひねる。
その仕草に、ヒルダが冷ややかな目で「キモイ」と呟くが、彼は一向に気にした様子はなかった。
顔を真っ青にしながら、目の前に広げられた恐怖の物体を見下ろしたまま固まる古市に、アランドロンは更に爆弾を投下してくれた。
「本当は、朝、一緒に家を出る時に渡そうと思ってたんですが、貴之ったら、先にでてっちゃうんですもん。」
途端、ざわっ、と教室内からざわめきが生まれ、神崎と寧々、千秋が一斉に机と椅子を古市から遠ざけた。
心だけではすまず、現実ですら距離を置こうとする彼らに、ちょっと待ってーっ、と古市はすがりつきたくなった。
「いやいやいやっ! つぅか、いつも一緒に登校してねぇだろっ!?」
その、いつも一緒に登校してるみたいな言い方、やめてくれるかなっ!?
涙目で抗議する古市に、アランドロンは、きゃ、とかわざとらしい仕草で両手で顔を覆いつくしてくれた。、
「いやですね、貴之ったら。こんなところで、いつも一緒にいたいだなんて……。」
「古市……、おまえ……っ。」
がたがたがたっ、と、神崎達が机ごとますます遠ざかる。
「誰がそんなこと言ったよっ!? 言ってないだろっ!? っていうか、何でお前、さっきから貴之呼びなんだよっ!?」
ばんばんっ、と机を叩いて抗議をアピールする古市に、アランドロンはケロリと素の顔に戻り、いつもような飄々とした表情で指先を立てる。
「いえ、先日のバレーボールのスパイビデオ鑑賞会で、こちらの方々への顔見せも無事に済ませたでしょう?」
こちらの方々、というのが誰のことなのか、考えるまでもない。
っていうか、スパイビデオ鑑賞会じゃなくって、アレは単なる、アテレコビデオじゃなかったかっ!? と思わないでもなかったが、アレのおかげで男連中が奮起してくれることになったので、あえて何も突っ込まない。
「顔見せっていうか……。」
強制拉致っていうか?
と、歪んだ顔になった古市の横手から、神崎が顔を歪めて首をひねる。
「なんか、あのおっさん、見た事があるような……?」
「そうだね、あの髭……。」
どこかで見覚えがあるような? と、夏目もつられるように首を傾げる。
しかし、なぜかそれ以上を考えるのを拒否するかのように、頭が靄がかっていた。
少し考えるように夏目が唇を一文字に結んで、バレーボールのスパイビデオ、と小さく呟いたところで、
「……あ、ミスターバレーボールっ!?」
はっ、と顔をあげてパチンと指を鳴らす。
「マジか?」
ミスターバレーボール、それは、わざわざ説明するほどのことでもないが、あえて簡略的に言うなれば、強制拉致を誰知れず行い、アテレコまでしてやる気のない人をやる気にさせる人物のことである。
ちなみに、バレーボールとバスケットボールの区別がついていないと言う噂もある。
「あぁっ? てめ、あの時のおっさんか、こら?」
途端、くだを巻くような口調で、姫川がグラサンの下からギロリと目つきの悪い眼差しを覗かせる。
あの時はよくも、妙ちきりんな拘束をしやがったな──ということは口にはしなかった。腐っても東邦神姫と言ったところだろう。格下の人間が多くいるこの教室内で、自分の失態とも言うべき「何もできずに(そもそも相手は悪魔なのだから、人間がどうこうできる相手でもないのだが)ラチられた挙句、革ベルトっぽいもので縛られた」なんて出来事を自ら話すはずもない。
「あの借り──そーいや、返してなかったよなぁ?」
神埼も、凶悪な表情を覗かせて、不穏な空気を纏いはじめる。
そんな二人に、邦枝が、ちょっとっ! と声を荒げて諌める。
「そこの人と何があったか知らないけど、今は揉め事なんて起こしてるときじゃ……っ。」
ないのよ、と、彼女が続けるよりも早く、神崎達の動きは凍りついた。
なぜなら──、
「ですから、やはりココは、私と貴之のすてでぃーな関係を、アピールしておくべきかと思いまして。」
照れたように頬を染めながら、アランドロンが教室中が凍結するかと思うような爆弾を落としてくれたからである。
「………………。」
ヒルダの、絶対零度の眼差しが、古市とアランドロンに注がれる。
その痛いまでの軽蔑交じりの視線に、古市の米神から汗が伝う。
絶句した形で目と口をぽかんと開けてこちらを見る邦枝や、寧々、──そして何故か、キラキラと目を耀かせてこちらを見つめる千秋たち女性陣の視線が、ジクジクと古市を刺し続ける。
「……え、って……ええ?」
「古市……あんた……。」
指をさして、パクパクと口を開け閉めする邦枝と寧々に、ハッ、と衝撃から我に返った古市は、慌てて両手を振る。
「ちっ、違いますっ! 違うんです、コレはっ!」
必死で弁明をしようとワタワタと慌てふためく古市が、誰かに助けを求めようと、あたりを見回し──とりあえず、目の前に居た男鹿の髪の毛を引っつかむ。
「いてぇっ!」
「おい、男鹿っ! お前もなんとか言えよっ! このおっさんが言ってるのはウソだとかなんとかっ! ヒルダさんも、お願いしますっ!」
こうなってしまっては、誰かの言質が必要だ。
誰も彼もが、古市の性癖を疑ってしまっている。──ちょっと冷静に考えれば、このおっさんこそが怪しいことこの上ないと言う考えにいたるはずだが、そうなりそうな雰囲気はカケラもない。
ここで古市がアレやコレやと説明しても、邦枝たちは決して納得してはくれないだろう。
きっと何時までも、「やっぱり古市って……」とか言われ続けてしまうのだ。それだけは避けたかった。
──そう、この夏休みの時のような出来事だけは……っ!
古市は、涙目で男鹿の髪の毛を引っ張りながら、ちょっとしたトラウマになった出来事を思い出した。──家族が疑ってくれたアレである。
なんとか、アランドロンがヒルダの知り合いで、ホームステイ先を探している日本語をちょっと間違えて覚えている外国人、という説明で定着させたが。……でも時々、今でも、母や父や妹が、古市とアランドロンの関係を疑っているのも知っている。
だってしょうがない。コイツ、ちょっと油断すると、いつのまにか俺の布団で寝てるんだもんっ! ──あぁ、もちろん、何かあるわけはない。あってたまるものかっ!
単に、ちょっと魔力を回復させるために休む場所を探したら、ちょうどソコに布団が敷いてあったベッドがあったので、休んだ、というだけだというのも知っている。……というか、そう説明された。
ちなみに古市の布団をわざわざ使う理由は、さすがに女性のベッドや、家主のベッドを使うのは申し訳ない、ということらしいのだが、だったら他人の布団を使うのは申し訳なくないのかと小一時間問いただしたい。
「俺とアランドロンが、妙な関係じゃないって、ちゃんと説明してくれっ、頼むっ!」
「いてててっ! わーったっ! わかったから、手ぇ離せっ! 古市バカ!」
グイグイと男鹿の髪の毛を引っ張り続ける古市の手を、男鹿は強引に剥がす。
そして、髪の毛抜けたらどーしてくれんだ、とブツブツ文句を言いながら、ジ、と自分を見上げる古市を見下ろして、
「あー、と。……なんだ? 古市とアランドロンが、すてでぃー?? な関係じゃないって、言やいいんだよな?」
ステディというのはキャンディの仲間か、と聞いてくる男鹿に、違うわ、とすかさず突っ込み返す古市に、意味がわからん、と首を傾げる。
そんな彼らのいつものやり取りに、やれやれ、とヒルダは嘆息を零すと、豊かな胸を押し上げるように両腕を組み、軽く背をそらすようにして一同を見下す。
「ステディーだとか衆道だとか、そんな表現よりも、はっきりといってやれば良いのだろう? 古市。
お前とアランドロンは、一つ屋根の下で一緒に暮らしている関係なのだと。」
どよっ!!!
ヒルダが面白そうに目を細めて告げるのに、教室中に動揺が走る。
一つ屋根の下。
それはもう少し年を重ねたら、普通にスルーできる類の言葉だ。ルームシェア、なんて言葉を耳にする機会が増えるからだ。
しかし、高校生たちにとって、その言葉は、妙に照れくさい雰囲気を纏った魅惑の単語であった。
問答無用で「同棲」という甘酸っぱくありながら、艶をもつ響きが、一同の脳裏を駆け巡る。
「なっ! 何を……っ!」
そのピンク色のオーラを一瞬でかぎわけた古市が、焦りながら男鹿の髪をギュッとつかみ、ヒルダを見れば、
「ああ、そうだ。ちゃんとご両親の許可も貰っている、──と付け加えたほうがよかったか?」
うっすら、と微笑むヒルダは美しかった。
その双眸に喜悦の色を滲ませて、あでやかな唇を笑みの形に染め上げるヒルダは、文句なしに美しかった。
さすが侍女悪魔。──ドSを発揮すればするほどに、美しい。
「ひひひひ、ヒルダさんっ! ちょっと、なんか人聞きの悪い言い方は止めて下さいっ!」
悲鳴に近い声をあげながら、男鹿の頭ごしに彼女に怒鳴りつければ、ヒルダは悪びれる様子もなく、
「本当のことしか言っておらんだろう? アランドロンは実際、お前の家で世話になっておるではないか。
あぁ──そう言えば、時々、布団も同衾しているらしいな?」
しれっとしてそう言い放つ。
同衾っ! ──小難しい単語とは縁遠いはずの石矢魔の面々は、それでもその言葉が持つ淫靡な雰囲気は感じ取ったらしい。
ざわめきがますます大きくなり、教室中に満ちていく。
ヒルダはそれを満足げに見つめてから、男鹿の背中にしがみついたベル坊に視線を移す。
「そうですよね、ぼっちゃま?」
「アダっ!!」
敬愛する主人にまで是を求めてくれる。
もちろんベル坊は、「ヒルダがウソなどついていない」からこそ、大きく頷いてくれる。
小さな魔王さまが、人の言うことを理解できる赤ん坊なのが、憎らしく感じた一瞬であった。
「ほらみろ、ぼっちゃまも二人の仲を認めておられる。」
ふふふ、と楽しそうに──獲物を狙う猛禽類のように目を細めるヒルダの美しすぎる表情に、古市は血の気が引くのを覚えた。
綺麗な女性は好きだ。怖くても綺麗ならイイと思わないでもない。
けど──けどっ、
「ヒルダさんのドS−−−!!!!!!」
普段から心の中で叫んではいたが、決して口にはしてこなかったセリフを叫んで、うわーんっ、と古市は泣き叫ぶ。
そんな彼を見て、男鹿は呆れたように頬杖をつくと、
「何、泣いてんだ、古市? お前とアランドロンのおっさんが一緒に住んでんのは、事実だろーが。」
無自覚なままに、古市にとって悪魔の所業としか思えない肯定を零してくれた。
途端、
「悪魔ーっ! 鬼ーっ! 男鹿のデーモンっ! あほっ、ばかっ! 男鹿バカっ!!」
古市のおかしく思えるくらいの焦りように、邦枝たちはますます疑惑の色を深める。
むしろ、古市とおっさんのガチ疑惑が、ガチ確定かと思うくらいに天秤が傾きまくる。
神埼たちが無言で引きまくる表情を浮かべるのを横目に、邦枝は引きつりながらも、困ったような微笑みを浮かべて、なんとかことの収拾を、と口火を切る。
「え、えっと……その、古市? そんなに隠さなくても──、そ、その……人の趣味は、色々だ、し?」
人の良い彼女は、フォローをしてくれているつもりなのだろう。
しかし、それはもう、ガチ疑惑を後押ししているようにしか聞こえなかった。
女の子大好きな古市にとっては、大打撃である。
ねぇ? と、必死に笑顔を浮かべて邦枝に話を振られた寧々は、姐さんは人がいいから、と小さく溜息を零す。
「ま、まぁ、そうね。葵姐さんの言うとおり、あんたがガチであろうが何であろうが、別にこっちに迷惑さえかからなかったら……。」
「いえっ! あのですねっ、それは事実は事実ですが、あくまでも暮らしてるのは、──そうっ! ホームステイって言うヤツなんですっ! ホームステイ。」
いいだけの話、と、寧々が最後まで言いきる前に、古市はガバッと顔をあげて、自分の斜め後ろの席の彼女に、必死で弁明する。
早口で説明するソレが、妙にうそ臭い、と思ったのは寧々だけではない。
「え、ホームステイなの?」
なのに、邦枝だけはそれに驚いたように反応した。
かすかに頬を赤らめて、自分が早合点していたことを恥じるような表情すら見せる。
さすがはヤマトナデシコ、女王! と、古市は嬉々としてその反応に頷いてみせた。
「はいっ! そうなんですっ! ほら、どっからどう見ても、日本人じゃないじゃないですかっ!」
ばんばんっ、と、突っ立ったままのアランドロンの分厚い太もも辺りを叩いて力説する古市に、そーいえば、と神埼たちの目が濃ゆすぎる顔に集る。
その視線を受けて、アランドロンが彼らの方に向き直る。
先ほどまで染めていた頬とは異なる、濃くて無表情に見えるいかつい顔に、神崎と姫川の二人が、なんだ、やんのか、とガンを飛ばした。
「ですから、日本語が流暢に思えても、実際はちょっと間違えて覚えてることが多くってっ! 変な知識とかをどっかで仕入れてくるらしくって……ははははっ!」
古市はここぞとばかりに回りまくる舌でもって、邦枝を筆頭とする面々を説得にかかる。
そのついでに、チラリと視界に映ったデコ弁当かと思うようなピンク色はなはだしい弁当の蓋を、きっちりと閉めておく。
こんな物を見ていたら、食べてもいないのに胃もたれを起こす。
「そ、そっか。そうよね。──外国の人なら……。」
確かに、納得できるかも、と。
邦枝が納得したらしいのを筆頭に、それならたしかに──と、石矢魔の面々が納得しはじめる。
さすが石ヤバ。偏差値が限りなく低い──低すぎる高校だけある。みんな、あっさりと騙されすぎだ。
しかし、古市にとっては嬉しい事実である。
よっしゃ、と、彼がひそかに握りこぶしを握った時であった。
「ちょっと待て。
聖石矢魔に留学生として入ってるんだろ?
なら、なんで古市の家にホームステイしてるんだよ?」
それなら、聖石矢魔のヤツの所に行くのが普通だろーが。
姫川が、余計なことに気付いてくれた。
さすがにちょっと強引すぎたか、と思わないでもなかった矢先のセリフに、う、と古市が言葉に詰って──そうしながらも、フル回転で言葉をたくみに探し出そうとした。
親戚だから、だとか、ヒルダさんの紹介で、だとか。
色々……そう、本当に色々な理由付けが頭に浮かんだが、コレと言った説得力のあるものがない。
ないが、それでも、ここで説得しなくては、古市の沽券に関わるのだ。
とにかく、出たとこ勝負だっ、と、「それはですねっ」と古市が、ヒルダが余計なことを口にしないうちにと笑顔を貼り付けた──ところで。
「ああ、それはですね。わたくしの中に古市様が入ってきた時に、この身を任せられるのは、この方しか居ないと、そう思ったからなのですよ。」
親切めいた笑顔で、アランドロンが嬉しそうに説明してくれた。
ごくごく、当たり前の口調で。
ついちょっと前に見たばかりのデジャブが、古市を襲う。
「な……な、中?」
かぽん、と口を開いた寧々の言葉に、ええ、と大きくアランドロンは頷くと、その両腕で自分の体を抱きしめ──ぽぽっ、と赤く頬を染め上げると、
「あの時、私の中に入ってきた古市様の──なんと熱くて激しかったことか。」
「熱くて激しいっ!!?」
何がっ!? と、一斉に凍り付くその表情にも、非常に見覚えがあった。
そして、頭真っ白になった古市の目の前で、これから繰り広げられる光景にも、もちろん、見覚えがあった。
「私の全てをお任せし、この身を預けるのにこの方を置いてほかにはないと、そう思わせるほどの気持ちがいいものでした。」
「気持ちいいっ!!??」
ガタガタガタッ、と椅子やら机やらが床に倒れていく。
動揺も露に寧々や邦枝が、顔を真っ赤に染めて床に膝を突く。
姫川と神埼が、顔を青く染めながら、古市、おまえ……と恐ろしいものを見るかのような目で見てくる。
その全てに、誤解ですっ! と古市は叫びたくなった。
が、そう叫ぶ代わりに、アランドロンが続けようとした言葉を必死で止めることにした。
「何言ってんの、おまえーっ!!! 何言ってるの、何言っちゃってるのっ!? 誤解するような表現は使うなって、前にも言っただろーっ!!!?」
もう、涙目どころではすまない。
アランドロンの襟首を引っつかみ、がくがくと揺さぶりながら、頭の中に夏休み中の悪夢が蘇る。
家族中に疑いの眼差しで見られ、生ぬるい目で妹に見つめられ、母と父に泣かれた──あの恐怖の一日。
なんとか説得してみせた後も、時々、母が心配そうにこちらを見ているのも気付いている──なんか途中で吹っ切れたらしく、アランドロンを嫁のように扱っている(涙)ところにも。
「いやですね、古市様。誤解も何も、私は本当のことしか言ってませんよ。」
「その言い方がおかしいって 言ってんだよっ!」
「はて、そうですか? ですが、これ以上はない表現だと思うのですが──。」
はて、どうしたものか?
と、のんびりと顎に手を当てて首を傾げるアランドロンに、ふむ、とヒルダが頷く。
「アランドロン。誤解を招くような言い方がダメだというのならば、正直にその時の状況を説明したらいいのではないか?」
これぞ正解だろう、というように優しく──なのに目だけは愉悦に染め上げて、ヒルダが提案してくれる。
それに、なるほど、と頷くアランドロンに対し、
「いや、ヒルダさん、俺が求めてるのはそういう説明とかじゃなくってですねっ!」
むしろ黙っていてくれたほうが……っ、と、古市が彼女に顔を向けて、声高に言いかける。
男鹿はそんな古市とヒルダを交互に見やって、
「古市、お前、そんなしょっちゅう、おっさんの中に入ってたのか? てっきり、こないだのを入れて、3回くらいだと思ってたぞ。」
何か違うところに着眼してくれていた。
思わず、がくっ、と古市から力が抜けたところで、それを狙っていたかのように悪魔が口火を切った。
「いいえ、男鹿殿。私が古市様を招きいれたのは、先日のを入れて、5回でございます。」
「せ・ん・じ・つ……っ!!!」
何か衝撃を受けたらしい寧々が、畏れおののき、顔を強張らせながらアランドロンと古市を見やる。
その目に含まれた物を確実に嗅ぎ取り、いやいやいやっ、と古市は大きくかぶりを振るが、当然、誰もそれを見てはいなかった。
「まだ古市様も、慣れていらっしゃらないせいか、先日も、私の中にお入りになった時、中で酷く暴れられましたよね。」
「いやいや、ソレ、お前が俺のトイレ中に転送しようとしてくれたからだろーがっ!!!」
古市が裏手で突っ込むが、これもまた誰も聞いてはくれなかった。
「もう、私の中を、右に左に突いて突いて……。」
「……み、右に、左に……。」
ごくん、と、固唾を呑んで千秋が小さく頷く。
「古市、貴様、まだ慣れていないのか。それではアランドロンに負担がかかるだろう。もっとうまくしてやれ。」
まったく、と腕を組みながら告げるヒルダ。──その内容は、間違ってはいないかもしれない。
間違ってはいないかもしれないが──言い方に問題がある。
「だから……っ!」
しかし、いいかけた古市は、そこで口を噤まなくてはいけなかった。
だって、ここは教室だ。
こんな場所で──次元転送悪魔だの、アランドロンに転送してもらうときの話だの、そんなことを言えるわけがない。
「いえいえ、ヒルダ様。わたくしも、夏の頃に比べて随分慣れて参りまして、近頃ではむしろ──その、暴れようが……。」
「暴れようが?」
「心地よく感じることもあるのですよ。」
ぽっ、と、恥じらうように頬を染める。
確かに恥ずかしかろう。
転送の最中に暴れられるのが心地良いとか……聞いてる方は、変態的に思えてしょうがない。
「ほぉ、心地よく? たとえば?」
なのにヒルダは、涼しい顔をして先を促がしてくれる。
なんで聞くんですか、ヒルダさんっ!?
「例えば……先日の夜、貴之が私の中に入ってきた時に……。」
「なんでソコで貴之呼びっ!?」
「久しぶりだったので、貴之が私の中であまりに激しく動くので……、つい、耐え切れず、貴之を出してさしあげた後、……出してしまいまして。」
ぽぽっ、と頬を染めまくり、テレまくるアランドロンに、古市は、は? と眉を寄せる。
聞きようによったら、妙にやらしく聞こえるセリフだが、早い話が、「なんで転送なんかされなくちゃなんねぇんだよっ」と抵抗した古市を、強引に真っ二つに割れて転送したアランドロンが、ペッ、と軟禁室に「出した」、後。
──だしてしまいました?
……何を???
首を傾げ続ける古市に、何が何だか意味がわからず、眉を寄せて凶悪な顔になりベル坊に喜んで頬をつままれている男鹿。
そして同じように、何かの問答かと首を傾げる先輩たち。
そんな中、いち早く「意味」に気付いたヒルダは、フ、と冷ややかな空気をまとうと、一拍おいてから絶対零度の微笑みで、こう告げた。
「気持ち悪いから、もう黙れ。」
自分で促がしておいて、酷い話である。
その彼女に言葉に、気持ち悪い? と首を傾げた古市は、ふらり、と目線を彷徨わせた後。
ザアアアアッ、と、真っ青になった。
まさか、と、恐怖を貼り付けながらアランドロンを見上げれば、彼はその視線を受けて、いやん、と恥ずかしがって体をくねらせる。
その仕草に、古市は確信した。確信したくなくても確信してしまった。
とたん、ぞわっ、と全身に鳥肌が立った。
「い……いにゃぁぁぁぁーっ!!!!!!!」
堪えきれずに涙を滲ませながら、どうせなら一生聞かせてほしくなかった、と、古市は心から思った。
両腕で自分の体をしっかりと抱きしめながら、襲い来る悪寒に身を震わせ続ける。
この間の転送って、アレだよなっ!? バレーボールのときだよなっ!? っていうか、人のトイレ中に転送してきたあげく、ズボンを引き上げるのに必死だった俺を、強引に転送してきた、あの日だよなぁぁっ!!!?
その時のことを思いだし、更にその後に何をしてくれたのかと、古市はそのまま逃げ出したくなった。
ありえなさすぎるっ、と、ブルリと身を震わせて、古市はアランドロンをギッと睨みあげる。
「おまっ、お前っ! 最悪っ!!
もう、俺は二度とお前の中になんか入らねぇからなっ!」
勝手に転送しまくるのは、金輪際止めろっ! ──と。
古市は、そのつもりで叫んだ。……が。
言葉のタイミングと場所が悪かった。
「二度と……って……。」
「ちょ……やっぱり、古市のヤツ、あのおっさんに……。」
「パネェッす。マジっすか。」
「あいつの女好きって、やっぱりただのカモフラだったんじゃねーの?」
「…………トコロテン…………。」
ざわざわざわ……と、ざわめきが教室中に起きる。
一同の怯えたような、感心したような、気持ち悪がってるような、納得したような、そんな空気が蔓延していく。
ひそひそ、と話し合う噂しあう声が飛び交う中、アランドロンは両手をソ、と胸元に当てて、
「なんて、それはさすがに冗談ですが。」
小さくボソリと付け加えてくれた。
目を閉じて髭の中でモゾモゾと呟かれた言葉は、悪魔であるヒルダの耳に届いただけで、ほかの誰かの耳に入ることはない。
なんだかんだ言いながらも、アランドロンも悪魔であり──古市に言わせるところの「S」なのである。
「おい、古市。お前を出したら出るって、何の謎解きだ? トンチか? 一休さん??」
男鹿は意味がわからん、と顔を歪める。
うーん、と腕を組む男鹿の前で、うわーっ、と古市は机に突っ伏して泣いた。
そんな彼に、ヒルダはふと何かを思いついたように片眉をあげると、
「男鹿。貴様も身に覚えがあるではないか。」
「は? 何がだよ?」
意味わからねぇ、と凶悪にキツイ目つきを飛ばしてくる男に、ふふん、とヒルダは鼻で笑うと、そ、と口元に笑みを浮かべて、ひっそりと彼の耳元に囁く。
「古市がそうだろう? ──お前が出したら、あやつも出すだろうに。」
「…………………………。」
は、と無言でヒルダの美貌を見下ろせば、彼女は妖艶に微笑む。
見とれるばかりのその微笑に、けれど男鹿は、ぱくぱくと口を開け閉めすることしか出来なかった。
言葉だけ届けられたのなら、理解は出来ないままだっただろう。
けれど、色事を連想させるほど艶めいた微笑みを見せたヒルダの表情に、ぽん、と答えが思い浮かんだ。
なんで、だとか、どうしてお前が知ってるんだ、だとか。
そんな言葉が出てくるはずだった言葉はけれど、次の瞬間にはグルリと首をめぐらせて机に懐いてるままの古市に向かった。
「おい、こらっ! 古市っ! てめぇ、隙ありすぎだろっ!! アホの古市っ!」
べしっ、と一発頭を叩いて、そう叫べば、古市は机からかすかに顔をあげて、じっとりと男鹿を睨みつける。
「アホじゃねーよ。」
それでもしっかりそう返してくるということは、それなりに復活しているということだ。
なんだかんだで古市は、打たれ強いのである。
「いーや、お前はアホだ。アホアホアーホ。」
「バカに言われたくねーよ。バカオーガ。バーカバーカ。」
「バカって言ったほうがバカなんだぞ。」
「お前以上のバカは世界中探してもいねーよ、バカ。」
いつものように小学生のような悪口の応酬を始める二人に、やれやれ、とヒルダは肩を竦め、アランドロンは微笑ましそうにその光景を見下ろした。
教室中は、アランドロンが投下した爆弾に、右往左往と騒がしいままではあったけれど──石矢魔のことだから、どうせすぐに新しい騒動に巻き込まれて、すぐに75日も経たぬうちに噂も掻き消えてしまうことだろう。
そのことを、ちょっと残念に思いつつ、
「あぁ、そろそろ予鈴が鳴りそうです。
それでは、ぼっちゃま、ヒルダ様、男鹿殿、古市様、また放課後に。」
ペコリ、と頭を下げてドアから去っていくアランドロンに、うむ、とヒルダが頷き、ベル坊がアダッと返事をする。
男鹿と古市は、額を突合せんばかりに、なんだかんだと言い合っていたので、アランドロンに気付くことはないようだが──その光景すら微笑ましいと、彼は穏やかに目元を緩めて見せた。
この一ヵ月後、古市が当たり前のようにアランドロンの次元転送を使っている姿があったが、それはそれで、また別の話である。
ちなみに。
「おい、古市、この弁当どーすんだ?」
昼食の時間になって、机の上に置かれた愛妻弁当とやらを見下ろし、古市は溜息を一つ零す。
男鹿は、ピンク一色にしか見えない弁当が、食えるのかどうかに興味があるようだった。
捨ててしまいたいのは山々だが、弁当箱に罪はない。
「食うよ。一応。もったいないしな。」
「食えんのか?」
というか、アランドロンが作った飯を食うのは、実はコレが初めてではなかったりする。
休みの日に居る時は、居候ですから──とか言いながら、どこからか取り出したフリルのエプロンを身につけ、古市や妹の朝ごはんとかを作ることもあったりするのだ。
当初はその衝撃の姿に(タンクトップにショートパンツにフリルのエプロン)、食欲も消えうせていたが、古市一家は男鹿一家に続いて、物事に柔軟に出来ている。
あっという間にその光景になれて、今では普通に差し出された物を食べるようになっていた。
「……コレ見ると食欲失せるけどな。」
はぁ、と溜息を零して、古市は弁当箱の中味を箸先で示す。
特に食欲がなくなるのが、コレだ。ピンクのハートだ。
弁当箱の中に、これでもかというほど飛んでいる。きっとハートの型を使ってハムをくりぬくのが楽しくてしょうがなかったのだろう。
あの巨体で、チマチマとハムをくりぬいていたかと思うと、薄ら寒くてしょうがない。
古市は無言でハートのハムを取り上げた。
そして、やおらそれを男鹿の口元に持っていくと、
「ほら、男鹿。」
「おう。」
問答無用で彼の口に突っ込む。
もぐもぐもぐ、と素直に男鹿が食べる。
その間に、古市は気持ちが悪くならない場所の弁当を食うことにする。
玉子焼きとか、ミートボールとか、その辺りの攻略だ。
「お、このハム美味いな。」
「そうか、ならほら、あーん。」
満足したように、うむうむ、と頷く男鹿に、ほら、と古市は再びハートのハムを彼に差し出す。
ぱくり、と食いついた男鹿の口から箸を抜いて、そのまま自分用にアスパラベーコンを取り上げて、今度は自分の口へ。
もぐもぐもぐ。
無言で二人は咀嚼しあい、古市はついでに桜でんぷんをぐしゃぐしゃと崩して、ハートの形を無くしてから御飯に取り掛かる。
「古市。」
あーん、と男鹿が口を開けるので、アランドロンの文字が入っている辺りの食欲が失せる御飯のあたりを掴んで、放り込んでやる。
もぐもぐ、と男鹿がそれを飲み下し、
「次は、玉子焼きがいい。」
それ、と古市が残してあった部分を指差す。
──が、それは見ていても食べても気持ち悪くならない部分なので、当然古市はやる気がなかった。
代わりにピンクに色づけされた上に、ハート型に作られたうずらの卵を取り上げると、
「こっちも卵だから、こっちにしとけ。お前の好きなうずらだぞ。」
ほら、と、男鹿の口元に運ぶ。
それに素直に口を開ける彼に、よしよし、と古市は箸で摘めるハートを放り込んでやった。
その二人を、ヒルダはベル坊にミルクをやりながら、生ぬるーい目で見つめていた。
隣の席で昼御飯を囲んでいる邦枝たちが、チラリチラリと二人を見やりながら、
「古市、さっきから男鹿にハートばっかりやってるっすよ。」
「あ、またハート型……今度はアレは、ニンジンっすかね?」
「ニンジンはイヤだって吐き出したわよ。」
こそこそと額を突き合わせながら、なんかピンク色のオーラすら見える気がする男二人に、なんとも歯がゆい気持ちを噛み殺す。
「へ、へー。男鹿ってば、ニンジンがダメなのかしらっ!」
なのに、邦枝は、ハートのやり取りをしているようにしか見えない男鹿たちの行動に、疑問を覚えるどころか、心のメモに「ニンジン注意」と書く始末だ。
恋は盲目というが──、はぁ、と寧々は溜息を零して、頬杖をつく。
「…………ニンジン、食べた……。」
その隣で、ぽつり、と千秋が呟く。
え、と寧々が聞き返せば、
「男鹿っちが吐き出したニンジンを、古市が食べたっす……。」
由加が、ゲンナリした声でそう教えてくれた。
それに、ふ、ふーん、と興味ない素振りをしながら、一同は無言で自分たちの弁当箱を見下ろし──。
なんだか、むしょうにおなか一杯になった気がする、と、そう心の中で呟いた。
「ふん……このバカップルめ……。」
やれやれ、と溜息がてらに目を閉じたヒルダの声は、残念ながら、誰にも聞こえることはなかったという。
「貴之、どうです、一緒にお弁当を作りませんか……。」
「だから貴之って呼ぶな。つーか、なんで弁当?」
「いえ、ほら、一緒にお弁当をつくって、交換こするのもいいかと思いまして……。」
「モジモジすんな、キモイ。
つーか、誰が作るかよ、めんどくさい。」
「ですが、今は男も料理ができて当然だと聞きましたぞ。」
「──別に料理できねぇとか、しないって言ってるわけじゃねーよ……。」
「そういえば、この間ブログで見たのですが。」
「悪魔が何見てんのっ!?」
「男性がすごく手の込んだキャラ弁を作って写真をアップしてたら、いろんな女性から、結婚してー、だとか言うコメントが……。」
「よし、作ろう!」
「ってことで、頑張ってごはん君のキャラ弁作ってみた!」
「おお。」
「アダウィダブダー!!!!!!!!!!!」
「ちょ、おいこら、ベル坊、頭いてぇっ、いてぇっての、ベル坊君っ!?」
「ダブダブ! アイッ! キャーォゥッ!!!」
「うむ、坊ちゃまは大喜びだ。古市、よくやったな。
これから貴様を、坊ちゃまの専属弁当係に任命してやろう。光栄に思え。」
「ヒルダさんが俺を頼りにしてくれた……っ、…………じーん…………って、ん? 弁当係っ??」