英雄はお嬢様

※注 ぼっちゃんが女の子になるお話しです。
こういうのが苦手な人は、バックしてね。




 

 ジョウストン都市同盟の、新同盟軍が、何回目かになるハイランドとの対決を迎えたのが、つい先ほどであった。
 いつものごとく、ティーカム城に遊びに行っていたスイが、リオと一緒にご飯を取ろうとしていたのが、ほんの一時間ほど前のことであった。
 レストランの、いつのまにか指定になった席に二人揃って腰掛け、出されたメニューを、ああでもない、こうでもない――と話していたまさにその時。
「リオ殿。」
 ジョウストンの正規軍師が、怖い顔をしてやってきたのである。
 また何か仕事をサボったのかな、と思ったスイは、リオの顔を見て、自分が今日の所は用なしになったのだと悟った。
 リオは、いつもの無邪気で明るい顔から一転して、厳しい顔つきでシュウを見ていた。
「準備は済んだの?」
 尋ねるリオに、シュウがゆっくりと頷き、そして、無言でスイを見た。
 その視線を受けて、シュウが何を言いたいのか悟ったスイは、彼の口から何か言われるよりも先にと、にっこりと笑って告げた。
「それじゃ、僕はトランに戻るよ、リオ。
 ご飯は、また今度一緒しよう。」
 ――と。
 リオは、申し訳なさそうな顔で、すみません、と謝った。
 どうやら、もうしばらくは時間があると見ていたようであったが、そうはうまく行かなかったようである。
 いや、それとも、シュウの腕前が絶品だったということなのだろうか?
 何にしても、すぐに同盟軍から、軍が出されることは分かっていたから、戦争の慌ただしさに巻き込まれないうちに、スイはさっさとトランに戻ってきたのであった。
 そうして、グレッグミンスターの我が家に、一人で戻ってきて――グレッグミンスターまで、誰かに送らせようかと、リオとシュウの二人が申し出てくれたのだが、トランまでの道のりごときを、誰かに送られるなど、面倒な事は嫌だった。だから、丁重にお断りして、さっさと一人で、卑怯なわざと使って帰ってきたのだが……もっとも、忙しい準備の最中に、「お見送り役」に抜擢されたルックは、不機嫌極まりない顔をしていたが、それもきっと、屋敷にある難しい古書一冊で、機嫌を直してくれる事であろう。
 だから、別に疲れも感じず、自宅の門をくぐった。
 ただ、ちょっとお腹が空いていた。昼食を食いっぱぐれた形になったため、仕方が無かった。
 なので、門をくぐって、まっさきに厨房の裏口に向かったスイを、行儀が悪いだとか、それはちょっと違う気がするだとか、注意する人は、残念ながら居なかった。
 当たり前のように、裏口をノックもせずに開けると。
「香りつけは、どれにしましょうかね?」
 グレミオが、グルグルとお玉を掻き回しながら、難しい顔で独り言を呟いていた。
 スイは思わず目を輝かせて、グレミオを見詰める。
 ――と、グレミオが開いた裏口に気付いて、スイを見やった。
 そして、軽く瞳を開き、すぐに笑顔を浮べた。
 蕩けるような笑顔は、グレミオが他の人に向けているそれよりも、糖度が三十度は違うとは、この屋敷の紅一点の意見である。
「ぼっちゃんっ どうしたんですか、今朝出かけられたばかりじゃないですかっ!!」
 それはそれは嬉しそうに笑うグレミオが、いそいそとスイを出迎える。
「うん。なんか戦に入るみたいで、出てきたんだけど――ねぇ、グレミオ? 何を作ってるの?」
 お腹が空いているため、どうしてもグレミオが掻き回していた鍋が気になるらしいスイに、グレミオは少し首を傾げるようにして答える。
「石鹸ですよ。ちょうど、作りおきしていたのが切れてしまいまして、急いで作っていた所なんです。」
「石鹸……。」
 覗き込むと、なるほど、鍋の中には、薄茶色の色をした半固形状態の物が入っていた。
 どう見ても、食べ物ではない。
「ええ。前回作った物は、使うにはもう少し乾かした方がよさそうですから、それまでの間使える石鹸でもと思いまして。
 あ、ぼっちゃん? 香をつけようと思うんですけど、何がよろしいですか? お鍋を火にかけて作るヤツは、香つけも出来ますからねっ。」
 ウキウキとした顔で笑うグレミオが、ゴム手袋をはめた手で、再びお玉を握った。
 そして、いつもシチューにしているように、丁寧に丁寧にかき混ぜはじめる。
 スイは、後ろ手にドアを占めてから、静かにテーブルについた。
 グレミオの後ろ姿を見ながら、何かないかと聞こうと思ったのだが、すぐにテーブルの上に、見慣れない箱があるのに気付いた。
 表には、見たこともない文字で、走り書きのような物がされていた。
 箱の蓋を持ち上げると、そこにはツヤツヤとして、おまんじゅうがぎっしりと詰まっていた。
「グレミオ。これって、おまんじゅう?」
 お腹が空いていたスイは、きょろりと視線を走らせ、ちょうどいい具合に目の前にあった急須を手にした。
 それから、近くの棚から、お茶の葉と、自分の湯飲みを手にすると、さっさとお茶を作りはじめる。
 グレミオがお茶を飲もうと思っていたらしく、テーブルの上には、ホカホカの湯気を立てたヤカンもあった。
「そうですよ。さきほど、ミルイヒ様が持ってきてくださいまして。」
 言いながら、グレミオは鍋の中を掻き回せ続ける。
 ときどき砂時計を確認して、注意して鍋の中の様子を確認している。
 スイはグレミオの台詞を聞くや否や、さくさくと急須の中にお茶を注ぎ込み、
「このお湯、お茶にしてもいいよね?」
 事後承諾としてグレミオに確認する。
「どうぞ? 湯煎用に準備したんですけど、使わなかったものですから、結構あると思いますけど。」
 グレミオは、砂時計の砂が完全に落ちきるのを確認して、鍋を火から下ろした。
 ドロリとした石鹸生地を、少し冷やすために表面をならしてから、ふきんを引いた台の上に置いて、用意してあった型を隣にお気、新しい砂時計を反転させる。これで軽く覚ましてから、固まりきらないうちに型を決めて、二時間ほどしたら出来上がりである。
 匂い付けは、精油を使うか、食品を使おうかと、隣にある小さな棚を見た。
 と、後ろからスイが声を欠けてくる。
「そーいえばさ、グレミオ? 作りおきしてた石鹸って、いつもの場所にあったヤツだよね? あれ、ナナミが欲しいって言うから、ちょっとだけ持て行ったんだよ、僕。だから足りなくなったんじゃないかなー。なんかね、グレミオが作った石鹸、評判いいみたいだよ。お肌スベスベになるって。」
 湯気のたった湯飲みを片手で持ちながら、パクパクと、まんじゅうを食べながら、グレミオがぼやていた「石鹸が足りない事件」について答えを語る。
 何のことはない、スイが勝手に持ち出していただけである。
 グレミオは、呆れたように精油の瓶を持つ手を止めて、スイを振り返った。
「持ってくなとは言いませんけど、それならそれで、一言おっしゃって下さいよ、ぼっちゃ…………って、ななななな、何食べてらっしゃるんですかっ!!!!」
 完全にスイを視界に移した瞬間、グレミオが叫んだ。
 スイは、キョトンとしてまんじゅうを食べる手を止めた。
 そして、箱と食いかけのまんじゅうを見比べ、
「だってこれ、ミルイヒの土産なんだろ?」
 不思議そうに、首を傾げる。
 それに対し、グレミオは焦ったかのようにテーブルに手を置いて身を乗り出してくる。
「それはそうなんですけど、そうじゃなくってっ!!」
 そして、そのままグルリと回ってスイの元にやってくると、彼が手にしているまんじゅうを奪い取った。
 ほのかに赤いツヤツヤしたまんじゅうは、美味しそうに見えたのだけど。
「なんなんだよ?」
 いぶかしげな態度のスイに、グレミオは箱の中身と、まんじゅうの中を見て、この世の終わりのような表情になった。
 スイは、さすがに何か変だと気付き、自分も視線を箱へと向けた。
 だが、見た限りでは、知らない場所の土産としか思えなかった。
「これ、何なわけ?」
「これは、リュウカン先生が、ミルイヒ様に頼んで取り寄せて貰った物ですよ。」
「……げ。もしかして、食べたらまずかった?」
 半分ほど無くなった箱を見て、グレミオはため息を吐いた。
 深い深いため息の後――彼は、
「まずいというか、めちゃくちゃまずいです。」
 と、答えたのであった。
「………………う………………。」
 箱の中身は、半分しかない。
 選択としては四つある。
 これをこのまま持っていって、リュウカンに素直に謝るということ。
 残り全部を食べて、何も知らなかったと言い張ること。
 グレミオに、良く似た物を作ってもらって、ごまかすこと。
 もう一度走って、買い直すということ。
「うーん……。」
 どれがいいだろう? と、グレミオを見上げたその瞬間である。
 グレミオは、重く、重く――告げた。
「ぼっちゃん。」
「ん?」
「これは――とある国で作られる、禁断の魔法薬なんです。」
 どう見てもまんじゅうにしか思えない代物を指差して、真剣な顔で、グレミオは告げた。
 スイは、無言でまんじゅうを見た。
 ツヤツヤとしていて、薄い皮はほのかに赤く、楕円の形も美しい。
 中に入っていた餡子も甘くて蕩けるようで、最高品だった。取り寄せたと言うのにも頷けるくらいの、美味さだった。
「どこが?」
 まんじゅうを指差し、そう突っ込むスイに、グレミオは至極まじめな顔で、
「冗談ではないのです。」
 そう告げた。
 はっきり言って、グレミオは単純でお人好しな所がある。
 単に、ミルイヒ達から、このおまんじゅうに手をつけないようにとの事で、嘘を付かれたのではないのだろうか?
 だって、このまんじゅう、まんじゅうの味しかしなかったし。
「……一体、何の魔法薬だって?」
「…………それが………………。」
 グレミオは、箱を見た。
 中身はすでに五個くらい無くなっていた。
 つまり、五個くらい、スイが食べたと言う事なのだが。
「一個で、一日か二日ということですから、最高十日……。」
「はぁ?」
「幻の秘薬、性転換まんじゅうなんですって、これ。」
 淡々と、感情を込めずに呟いたグレミオに、へぇ、と聞き流したスイの手が、唐突に動きを止めた。
 ぎぎぎ、と音がするかと思うくらいのぎこちなさで、グレミオを振り返る。
 その先で、グレミオがため息を零していた。
 そして、箱をきっちりと閉じると。
「とりあえず、これをリュウカン先生に持っていって、本当かどうか――確かめましょう、ぼっちゃん。」
 できることなら、真実で無い事を祈りたいのだけど。
 と、吐息ばかりと零すグレミオの台詞に、
「…………………………まさか、本当に、魔法薬だってこと………………。」
 スイが、ぼそりと呟き、まさか、ね、と続けた直後であった。

 どくんっ

「…………………………っっ?」
 不意に、心臓が強く脈打った気がして、胸を押さえる。
 そんな彼に、グレミオが血相を変えて近づいてくる。
「ぼっちゃんっ!!」
「な、に……、胸が…………くるし…………。」
 どくん、どくん、どくん
 心臓の音が大きい。
 ズキズキと、音が鳴っている。
 これは、何?
「あ…………。」
「ぼっちゃんっ! ぼっちゃんっ!
 しっかりしてくださいっ!!」
 叫んで、グレミオがスイの顔を覗き込んだ瞬間。

どくん。

「あ……ああああああああああっっっ!!!!」
 スイが、顎をのけぞらせて叫んだ。
「ぼっちゃんっ!!」

 がしゃん、と、グレミオの手に握られていた精油の入った瓶が、割れた。
 むっ、と、辺りに濃い匂いが漂う。
 その中で、グレミオが呆然と――スイの身体を見下ろした。
 そして、
「お嬢様って、呼ばなきゃ駄目ですか?」
 小さく、掠れた声で、そう尋ねた。
「…………………………だからさ……………………。」
 そういう問題じゃないだろ、と、呟いたスイの声は、いつもよりやや高めで。
 そうして、グレミオを胡乱げに見つめた顔は、いつもよりも、柔らかで、愛らしかった。
 
 
 
 
 
 

「と、言う事で、クレオさん。」
 部屋を尋ねてきた彼は、キリリ、と眉を正してクレオを見た。
「下着を貸してください。」
 ドアから入ってくるなり、床に正座して、何故か見上げる体制でそう告げたグレミオを、クレオは一瞬の沈黙の後、にっこりを笑って見下ろした。
 それにグレミオも答えて、にっこりと笑いかえし――、
「入ってくるなり、何考えてんだいっ! このむっつりスケベーッ!!!」
 握りこぶしで、グレミオの顔を勢い良くぶったたいた。
 その勢いに飛ばされ、グレミオの身体は一メートルくらい飛んだ。
 クレオは大きく肩でため息を零すと、腰に手を当てて、彼を見下ろす。
 全身から上気を沸かせて、据わった瞳でグレミオを見下ろす。
「で、グレミオ? 言い訳は何だい?」
「――――…………えー…………そ、それが………………。」
 このまま痴漢扱いされるのと、事実を話して怒鳴られるのと、一体どちらがマシなのだろうかと、グレミオは一瞬考え込んだ。
 それを見下ろして、クレオは良くない事が起きているのを悟る。
 だてに長年付き合ってはいないのである。
「――――で?」
 冷ややかに、鳥肌立ちそうなくらい冷ややかな声で、クレオは語りかけた。
 グレミオはそれを聞いて、一瞬眉を曇らせる。
 そんな彼に、あでやかに微笑みかけて、グレミオの両頬を手の平で包み込んだ。
「グレミオ?」
 そうして、嫌でも自分を見るように彼の顔を固定させると、今度は凄みの利かせた表情でヒタと彼を睨み付けた。
「で、グレミオ?」
「……………………あ、ああああ……あの………………まずいことになりましたです。」
「…………具体的には?」
「ま、マクドール家に、お嬢様が誕生しちゃいました。」
 両手を組んで、泣きそうに告げたグレミオに、クレオは一瞬固まった。
 それから、少し目を細めて、
「あんた、どこの女をはらませたんだい?」
「………………どうして、クレオさんは、そうも私に対する信頼がないんですか?」
 お互いに、間近で色気もなく見つめあう時間が、少し続いたのであった。
 
 
 

※※
 
 
 

 例のまんじゅうを、よりにもよってスイが食べてしまったのだと言う、世にもまずい内容の手紙がリュウカンに届いたのは、その日の夜であった。
 それを見た瞬間、血の気が一瞬で引いて、寿命が十年は縮んだようだとは、後のリュウカンの台詞である。
 何はともあれ、焦り動揺しているようにしか見えないクレオからの書状を携えて、リュウカンはその足でマクドール邸を訪ねた。
 慌てて開いた門を走り抜け、玄関を開けたリュウカンを出迎えてくれたのは。
「忙しい所、ごめんね。」
 トタトタと、足取りも軽く出てきた美少女であった。
 サラサラの黒髪が、緩やかに白い顔の輪郭を覆い、柔らかな前髪が額に落ちている。
 優しい弧を描く眉は、形良く整い、そこから続く鼻梁もすらりと通っていた。
 いつも強い光を宿す瞳は、今日はキラキラと潤み、穏やかな光を宿していた。
 長く整然と揃った睫が、少しふせられている。
 その睫の影が落ちる頬は、滑らかで木目細かく、思わず触れてしまいたくなる。
 唇は桜色で、今は微笑みが刻まれていた。
 そのバランスの良く配置された容貌も見事なことながら、細い首、全体に丸みを帯びたしなやかな肢体。
 美少女と例えなければ、清廉な乙女と例えるしかない。そういう少女であった。
 彼女は、少し乱暴な手つきで髪を掻き上げると、申し分けなさそうな表情で、
「リュウカンがミルイヒに頼んだ魔法薬だとは思わなくて、五つくらい食べちゃったんだ。
 本当にごめん……。」
 そう告げた。
 そのまろやかな声音も、天上の音色のように美しく、しん、と耳朶を打った。
 あまりにも見事な声音に、うっとりと見蕩れる間もなく、リュウカンは真剣に、これは夢かと疑った。
 思わず頬をつねったリュウカンに、相手の少女は瞳を歪める。
「リュウカン?」
「あ、いえ、屋敷に入った瞬間に、寿命が来て死んでしまって、ここは天国で、天使にでもあったのかと……。」
 いてて、と眉を顰めながら呟くリュウカンに、訳が分からないと言う顔をした少女に、改めてリュウカンは向き合った。
 サラサラの短髪の、ふっくらと盛り上がった胸元の、きゅ、としまった腰の、そうして、丸みを帯びた絶妙なラインを持つ脚を――上から下まで見つめてから、
「…………スイ殿、じゃの?」
 用心深く、尋ねる。
 それには、相手の少女も、ほんのりと、照れたように頬を火照らし――この様がまた、ため息を吐くほど愛らしい――、
「………………ごめんね。
 僕、リュウカンが女性になりたかったって、知らなくて、先に食べちゃってさ……。」
 けれど、出てきた台詞も、穏やかに笑う顔も、やっぱりスイの物であった。
「別に、女性になりたかったわけじゃないですぞ。」
 ぱたぱたと手を振ってから、リュウカンはため息を零した。
 










こうして連載物を増やして行き、私は途方にくれる、と。
でも、次でおしまいv きっと、おしまいvv
←終わらなかったよ(笑)