それは、空を埋め尽くす星の輝きが美しい、静かな──静かな夜のことだった。
「すみません……いま、よろしいでしょうか?」
祭壇の前で、跪き祈っていた青年の背後で、小さな靴音がした。
それと同時にかけられた声は、若い娘のものだ。
こんな夜遅く──辺境の田舎に過ぎないこの村では、日が沈んだ後も起きているということですら珍しい。
このような深夜遅くの来訪者となると、狐かタヌキが化かしにきたのではないかと思うほどだ。
もしそうでないなら、火急の用でやってきた村人──この村には医師も薬剤師も居ないから、怪我をすれば全て教会へやってくるのだ。癒しの呪文を仕える神父を求めて。
先日も、夜中に蛇にかまれたと言って、解毒呪文を求めに来た村人が居た。
もしかして今回もそうなのかもしれない。
彼は組んでいた手を離し、ジン、と冷たくかじかんだ足先で、しっかりと床を踏んだ。
己の胸元で揺れる十字架を片手に握りながら、そ、と背後の人物を振り返る。
暗い礼拝堂の中──祭壇の上でユラユラと揺れる蝋燭だけが光源の、天上の高い教会……寒々とした中は、凍えるように寒いためか、娘は分厚いコートを着ていた。足にはブーツ──このあたりでは見かけないソレは、森の中で住む者が好んで履く分厚い生地で歩きやすさを重視したものだ。
青年の立つ場所から娘まで、ほんの10歩ばかり。
手を伸ばしても触れられない距離ではあるが、姿を確認できない距離ではない。
にも関わらず、青年には彼女の姿をハッキリと確認することは出来なかった。
見えたのは、明るい色合いのコートとブーツ──そしてそこから覗く肌が白いということだけ。頭からベールを被った娘の顔も髪の色も、何も見えなかった。
「どうなされましたか?」
優しく……穏かな微笑を乗せて、なるべく彼女の不安を取り除くように柔らかな声音で話しかける。明るすぎず、暗すぎず、彼女の心にソッと触れるように。
「────…………お話を、聞いて欲しいのです。」
彼女は、体の前で両手を握り締め、ただソレだけを語った。
聞き覚えのない声だと、青年は思った。
この村の人間ではない、それは確かだ。
珍しい──というか、滅多にないことである。
何せ、今、青年がいる村は陸の孤島──周囲を険しい山々に囲まれた、狭い盆地にポツンと存在する、小さな小さな寂れた村なのだ。
迷い込んだ旅人が入り込むことだってありえないような、そんな何のとりえもない、細々と村民が生きているだけの村なのに。
わざわざ他所から来ただろう人が、己の前に懺悔を頼みに来るとは、なんて珍しいことなのだろう。
一瞬目を細めて、相手を見極めるように見定める。
──昔取った杵柄とでも言おうか、少しなら、人をだまそうとする狐狸の類の見分けはつく。
もし、本当に悩み持つ狐狸ならば、話を聞いてやるつもりではあったが、イタズラに遊ぶつもりであったなら──あぁ、でもきっとそうであっても、悪質なソレではない限り、付き合ってしまうのだろう。
「……ここは寒いですから、中へどうぞ。暖かな飲み物もお出ししましょう。」
両手で十字架を握り締めて、己が聖職者であることを示すように、穏かに微笑む。
目の前の女性からは、不思議なオーラが見えた。
懐かしいような、不思議な気持ちになる物だ。
けれど、動物やモンスターが持つような物ではない。
「──……。」
一瞬ためらうようにタタラを踏んだ女性に、青年は先に立って歩き出そうとした体を止めて、フワリ、と柔らかに微笑む。
──慈愛深き微笑を悩める子羊に。
その人のためらいや、心の塊を溶かすような、そんな優しい微笑みを……浮かべられるような神父になりたい。
昔そう思った心は、今も変わりなく──相手を心から案じる微笑だからこそ、青年が浮かべる微笑は、ひどく甘くて、悲しいほど優しかった。
「──────…………ココでは、いけませんか?」
その場にたたずみながら、娘が囁くように呟く。
それが、泣きそうな声だと思ったのは、気のせいではないはずだ。
「夜はとても冷えます──どうぞ、ご遠慮などなさらないでください。
私の住まいは、村の人々も良く憩いの場としてお使いになられています。なにぶん狭いのが難点ですが、その分だけ暖かく過ごせますし……。」
そう語りかけながら、ふと青年は思った。
この教会に住むのは、自分ひとりだ。
小さな村だから、手伝いのシスターも神官や信者も住まってはいない。
本来なら、このような辺境の村に来る神父は、妻帯者であることが課せられる。
けれど、自分はそうではない──そうあることが出来なかった。
つまり、今、この教会には、村の神父にしては年が若すぎる神父である自分と、目の前の若い娘しか居ないということになる。
今までこの村には、年頃の娘と言う存在が居なかったため、ウッカリ忘れていたが、つつましい娘なら、そのことをとても気にしてもおかしくはない。
いくら相手が神に仕える神父とはいえ、若き男である自分と、自宅で二人っきりになるのは好ましくないのだろう。
「──………………。」
黙り、俯く娘に、青年は躊躇を覚える。
自分は神に仕える身だから、何も間違いはないし、醜聞が起きることもないと説明するのはあまりに無遠慮だろう。
かと言って、この冷える礼拝堂に座らせていては、女性にはさぞかし辛かろう。
「──それでは、少しココでお待ち下さいますか? 何か体を温めるものをお持ちいたしますから。」
結果青年は、彼女を温めるための道具を自室から持ってくることに決めた。
村民達の憩いの場になっている部屋には、大きめの火鉢も置いてあるし、寒い夜のための暖かな毛布も置いてある。
足先が冷えないように湯タンポと、体の芯から温まるようなスープを入れてやるといいだろう。
そうすれば、緊張もきっと解れるに違いない。
一礼して、そう笑いかけてくれた青年に、娘は驚いたように肩をこわばらせた。
「あ……。」
何か言いたげに、唇を開きかけるが、それよりも早く青年はその場から去っていってしまっていた。
祭壇の右手にある扉から、向こうへと──闇に包まれた空間へと去っていく青年を見送り、彼女は言いかけた言葉を吐息に変えた。
「………………どうして……………………。」
胸の前で掌を握り締め、彼女は唇をかみ締める。
そうしていないと、目の裏が痛くて、熱くて、仕方がなかった。
「…………あなたは…………痛いくらいに、優しいの………………っ。」
小さく呟いた声は、己の胸を突き刺す言葉に他ならないと──娘は、俯いた。
ぼんやりと闇夜に浮かび上がる靴先は、ピカピカに綺麗に磨かれていて、それがますます己を惨めに見せた。
思わず彼の姿を認めた瞬間、声をかけることをためらった。
丁寧に手入れをされているが、見るからに古びた法衣と、使い込まれた靴。
帽子も被らずに微笑むその顔は、昔と変わらず整っていたし、雰囲気にしても、頑固さが見え隠れしていた当時よりもずっと柔らかになっていた。
なのに、暗い闇のせいか、彼の白い肌にクッキリと落ちる疲労の影が見えた。苦労の影が見えた。
目の下にクッキリと影が見えたのは、闇のせいではないだろう──きっと、疲れているのだ。
こんな小さな村で、ただ一人の神父……陸の孤島の地では、神父は治療者であり、薬剤師でもある。子供達にとって勉学の師であり、相談役でもある。他にもこまごまなことを負い──本来ならば、家族も居ないただ一人で切り盛りすることなど、出来ないはずだし、許されるはずもなかった。
疲れているに違いない。
なのに彼は、生真面目に夜の礼拝も欠かさず、この礼拝堂の掃除も隅から隅までしているのだろう。
娘は、ただジッと自分の靴を見つめた。
森の中を歩くのなら、丈夫な靴がいいと、新しい靴を自分に合わせて作ってくれた男の顔が思い浮かんだ。
自分をこの世で一番大切にしてくれる男だ。
毎日自分の靴を磨くのと一緒に、彼女の靴も磨いてくれる。
だから、彼女の靴はいつもピカピカで、いい靴を履けば、その靴が幸せを運んでくるのだと、そう笑ってくれた男の言葉どおり、彼女は幸せだった。
そう──幸せなのだ。
けれど、心から笑えない、心から幸せを喜べない理由があった。
「すみません、お待たせしてしまいました。」
なのに、右に火鉢を抱えて、左に湯タンポと毛布を抱えてやってきた青年は、柔らかで優しい微笑を浮かべている。
本当なら、そんな幸せそうな暖かな微笑を浮かべているのは自分のはずだったのに。
辛そうに微笑んでいるのは、自分ではなくて彼のはずだったのに。
立ち尽くしたまま、彼を見つめる。
蝋燭の明かりに照らされる青白い肌は、病的のようにも見えたし、ただ昔からそうであったような気がする。
彼の昔を語れるほど、わたしは彼を知らない──そう、知らないのだ、何も。
なのに、わたしは……………………。
「どうぞ、そちらにお掛け下さい。それからこの毛布を。
ああ、足は湯タンポの上に置いてくださいね。」
テキパキと、見知らぬ女に過ぎない自分のために、彼は甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる。
その心遣いが痛くて、彼女は俯いたまま唇をかみ締めた。
手渡された毛布と湯タンポを持ったまま、立ち尽くしている彼女の前で、彼は火鉢に火を灯す。
手馴れたその仕草を見下ろしながら、彼女は辛そうに眉をゆがめる。
「? いかがされました? あっ、クッション! そうですよね、毛布を持ってきても、椅子が冷たくて硬いんですから……ちょっと待っててくださいますか?」
今思い出したと言うように、立ち上がり、自室へと走っていこうとする──優しすぎる男に、
「待って……っ! 待ってください、クリフトさんっ!」
こらえきれず、娘は悲鳴のように叫んだ。
握り締めた毛布と、湯タンポが、酷く腕の中で重く感じた。
眉を寄せ、彼女はベール越しに驚いたように立ち止まる青年を見つめた。
彼は、大きく目を見開き──それから、ゆっくりと体をコチラに向けた。
いぶかしげな表情が、娘の顔を見据えている。
「どうして……わたしの名を……?」
不思議そうに問いかける声には、非難の色も、警戒の色も見えない。ただ、困惑していた。
村の者ですら、「神父さん、神父さん」と呼びすぎていて、本当の名前を忘れているくらいなのに──そうだ、名前なんて、この村に来た3年ほど前に名乗ったっきりだったというのに、どうして。
「────…………お願い…………優しくしないでください…………。」
泣きそうな気持ちで、彼女は毛布と湯タンポを礼拝席に置いた。
そしてそのまま、自分を見つめる青年の目から視線をそらしたい気持ちで──けれど、それを許してしまったら、これからも自分を責め続けなくてはいけないと、分かっていたから、彼女は震える手でベールを取った。
ファサリ、と零れ出る豊かな髪。
蝋燭の明かりに照らし出される、闇に浮き立つ白い肌──整った容貌の中、一際目を引く大きな瞳を、彼女はゆっくりと瞬いた。
その目に宿る、後悔と苦痛の色に、青年神父──クリフトは、見覚えがあった。
否。
目の前の女性を知っている。
最後に見た時よりもずっと大人びてはいるけれど、間違えるはずはなかった。
「…………シンシア…………さん……………………。」
生まれて初めての旅の最中で出会った少年──誰よりも自分達仲間を惹き寄せた彼が、心を寄せていた相手の女性。
少年の身代わりにその命を失い、けれど、竜の神の恩恵で再び彼の前に降り立つことを許された少女──シンシア。
「わたしは──あなたに優しくされることを許されない女です……っ。」
辛そうに目を閉じ、顔をそむける彼女の美貌を、マジマジとクリフトは見つめた。
彼女に初めて出会ったのは、旅を終えた自分達が「勇者」の村へと行ったときのことだった。
自分達を故郷に送ってくれた彼だけど、そんな彼に帰る場所はない。
そう気付いた自分達こそが、彼が戻るであろう場所に向かおうと、そう誰にともなく集まった森の中──当時、悲惨であった光景は、自然の中に溶け込み始め、かつて滅んだ村の様相を静謐なまでに優しく包み込んでいた。
その中央で──花開く場所で、抱き合っていた男女。
それが、目の前のシンシアと……世界を救った勇者ユーリルの姿だった。
あの時、ユーリルから涙顔で紹介されたシンシアは、目の前の彼女よりも幼く見えたが、あれから5年もの月日が流れているのだから当然のことだろう。
それから、何度か仲間が集まる機会の折に、彼女もユーリルと共に姿を見せてくれた。
仲間の女性達と彼女が仲良くなるのも早くて、イツ結婚するのだと、良く突付かれては恥ずかしそうに頬を染めて、ユーリルを見上げていたものだった。
──鮮明に思い出せる記憶の中……チクリ、と痛む棘があるのに、あぁ、とクリフトは少しだけ目を伏せる。
同時にそれを無理やり飲み込み、彼は顔一面に満面の微笑を浮かべて見せた。
心から──彼女の歓迎を。
「お久し振りですね、シンシアさん! 驚きました。こんな辺境の村まで、一体どういうご用件でいらしたのですか? ──あ、もしかして、ユーリルさんがルーラを失敗したとか、そういうオチじゃないですよね?」
だとしたら、すごい偶然だと──クリフトは笑った。
笑いながら、きっと、ユーリルもこの村に来ているのだろうと検討をつける。
それなら、年若い夫婦であろう二人を、野宿にさせるわけにもいかない。
きっと彼女たちは、今夜の宿を求めて教会にやってきたのだろう。
デスピサロを求めて旅をしていた最中に、宿がない時は教会に行けばいいと、ユーリルに教えてやったのは自分だ。
その自分が、宿を求めに来た昔馴染みを断ることはおかしい。
「待っていてください。もしご飯を食べていらっしゃらないんでしたら、粗末なもので申し訳ないのですが、すぐに用意しますから……あぁ、もちろん、宿の心配は要りませんよ。小さい教会ですけど、きちんと客室もありますから。」
──そう言いながら、その客室は、実は本の書庫になりかけていたのだが、まぁ、なんとかなるだろうと笑う。
そして、まだ黙ったままのシンシアに、ニッコリと微笑む。
「ユーリルさんは、どちらにいらっしゃるんですか? こちらに一緒にいらしているんでしょう?」
当たり前のように──そう、聞いた。
だって、そうでもなければ、説明のしようがないのだ。
誰も……昔の知り合いなんて、この場に現れることはありえない。
それこそ、ルーラに失敗しただとか、迷い込んだだとか、辺境の村を巡っているだとか──そんなことでもない限り。
さきほど彼女が何か叫んでいたけれど、それもきっと、こんな見知らぬ辺鄙な村に迷い込んだが故の、戸惑いと錯乱なのだと、解釈できないわけじゃない。
「……ユーリルは……居ないわ。」
ゆるり、と、シンシアがかぶりを振る。
どこか憔悴しきった様子に、もしかして、とクリフトは最悪の予感を覚えて、眉を寄せる。
はやる胸を無理やり押しとどめて、クリフトは心配そうに彼女を覗きこむ。
「それは──はぐれてしまった、と?」
彼の身に何かがあったのでは無いと、言ってほしかった。
もし、この近辺で逸れたのだとすれば、まだ安全だ。
けれど、ルーラの最中に逸れた、なんてことになれば──世界中のどこを探せばいいのか分からなくなる。
もっとも、今回逸れている相手が「ユーリル」だというのなら、彼自身がルーラの使い手なのだから、なんとでもなるだろう。
後は、目の前のシンシアを、クリフトが村の人に頼んで、ここから一番近い大きな町に連れて行ってもらえばいいだけだ。そこではキメラの翼も売っているから、シンシアもトルネコたちがいるだろうエンドールでも、元の村に帰ることもできるはずだ。
そう考えたクリフトの目の前で、シンシアはゆっくりとかぶりを振った。
そして、ひどく億劫そうに瞼を開くと、痛々しいばかりの眼差しで、クリフトの目を見つめ返した。
「違うのです──わたしが、一人で……クリフトさんに会いに来たのです………………。」
「………………え……?」
何を言われたのか分からなくて、ただ小さく問い返すクリフトに、シンシアは泣きそうな顔で続けた。
「あなたに──謝罪をするために。」
長い……長い沈黙が、二人の間に落ちた。
シンシアにぬくもりを与えるために焚いた火鉢は、先ほどからパチパチを何かがはぜるような音を立てている。
暖かい、とは言いがたいが、それなりに温もりはあった。
けれど、足元は凍りついたように冷たい──そう感じるのは、グラグラと頭が揺れるほどの衝撃を貰ったせいなのかもしれない。
「──わたしに会いに来たと……そう言いましたか?」
かすれた声で、クリフトは目の前の女性を見下ろした。
最後に出会ったのがイツだったかのか、クリフトは思い出した。
そうだ──あの、異端審問の日だ。
あの日の朝、自分を問い詰めた仲間達の──今はもう、元、がつくけれど──彼らとともに、彼女は居た。
自分のことのように泣きそうな顔をしていたユーリルの隣で、彼を支えるようにしっかりと、彼の腕を掴んでいた。そんな彼女自身も、今にも泣き崩れてしまいそうな顔をしていたのだ。
──審問の前に会ったのが、最後だった。
そう──それは、シンシアだけではなく、他の誰もに関しても言えることだった。
審問の後は、誰に会うことも許されなかった。
己が異端であることを認めたが故に、ずっと隔離されていたのだ。
その後、誰にも告げることを許されずに巡礼の旅に出ることを強いられ、そのままココに居を構えることを命じられた。
巡礼の旅も終えていない、正しく言えば、「半人前」の神父として、この村に着いて早3年──異端審問の日からは、もう4年もの月日が流れていた。
「えぇ……あなたに会いに。」
コックリと頷くシンシアに、クリフトは軽く眉を寄せた。
「どうして──わたしがここに居ると、知ったのですか?」
誰も……誰も知らないはずだし、知られてはいけないはずだった。
これこそが──8勇士の一人とした名を連ねたクリフトに課せられた罰だった。
異端審問の問いかけを肯定した神官──けれど彼は、8勇士の一人であり、同時に旅に出る前は神学校を首席卒業を果たした将来有望な神官でもあった。
だからこそ、クリフトを目にかけていた司祭のとりなしで、異端審問を肯定しても尚、そのことを悔い改めている、1から出直す覚悟をしている──という「赦し」を与えられた。
けれど、それだけで済むほど、クリフトの「罪」は、小さいものではなかった。
普段の彼の行いが行いであったため、たとえ異端審問にかけられたとしても、クリフトがソレを否定すれば、何事もなく異端審問は否定のまま終えることが出来ただろう。
でも、クリフトはそれを肯定した。
そのことが──教会側が一番問題にしたことだった。
「わたしは誰にも告げず、巡礼の旅に出ました──その最中、この村で神父を務めることを、教会の方から辞令を頂きましたが……わたしが神父の任についたことすら、誰も知らないはずなのですよ?」
4年前──1から出直すための巡礼の旅に出なくてはいけない、という命を下された。
誰にも告げることなく旅出つこと──過去を捨てなくてはならないこと、そのために、誰とも連絡を取ることも赦されず、旅立った。
巡礼の旅を中ほどまで終えた頃、立ち寄った教会で、辞令を受けた。
巡礼を最後まで遣り通すことなく、このひなびた村で一生涯神父を勤め上げろ、と。
それが、教会の慈悲なのか、ただの厄介払いなのか、クリフトには分からなかった。
ただ、渡りに船だと思ったのも、本当で──この穏かな村に来て、過去の一切を忘れて……そう、8勇士であったことすらも忘却のかなたに押しやって、毎日を生きていた。
神に祈りをささげ、人々にこの身をささげて。
「ええ……誰も知りえません。」
シンシアは、コクリと頷き──そしておもむろに呪文の斉唱に入った。
はっ、と目を見開く彼の目の前で、彼女は呪文を最後まで言い終え──不思議な色に輝く目で、こう呟いた。
「モシャス。」
瞬間、シンシアの姿は輪郭から何から、形を変えた。
しなやかな手足は、折れそうな枝のような手足に。
細く柔らかであった体のラインは、細い皺にまみれたものに。
背の高さは変わらず──代わりに豊かであった髪が、頭部は禿げ、白い色に染まっていた。
若さと美しさに満ちていた美貌は、一瞬で皺としみだらけの──けれど、優しそうな老人の顔に変わる。
「──……司祭さま………………。」
思わずクリフトは、目の前で娘が化けた相手の名を呼んだ。
それは、異端審問の日から実に4年ぶりに見る、サントハイム城の司祭の姿だった。
アリーナと共に旅に出る以前──本当に毎日お世話になっていた、クリフトのことを実の子のように気遣ってくれた、優しく尊敬できる男性だ。
けれど、今シンシアが化けた相手は、4年前からは想像もできないほどやせ衰え、老けきっていた。最後に出会ったときも、数日の異端審問のためか、ずいぶん年を取ったように見えたと思ってはいたが、今のありようは何かに化かされているかのように、酷かった。
サントハイムの民が地上から消え、出現したときでも、まるで衰えた様子など見せなかったというのに……。
「わたしはモシャスが使えるわ。だから、こうして教会に忍び込んで、あなたがどこに居るのか調べたの……簡単ではなかったけれど──それでも、やらなくてはいけないと思ったの。」
両手を広げて、シンシアはその姿を消した。
そして、一瞬で元の美しい娘の姿に戻ると、また悲しそうな色を目に湛える。
「どうして──そこまでして、あなたがわたしに何を謝るというのですか、シンシアさん?
……謝るべきなのは、わたしのほうですのに…………。」
呟いた瞬間、チクリ、と再び胸を刺す棘があった。
それを見ないように、触れないように、クリフトは苦い笑みを唇に刻んだ。
──そうだ、謝るべきなのは、自分だ。
けれど、知られないのなら、それでもいいと……思っていた。
いや、知られないのなら、そのほうがいいと思って、黙っていた。
──────あの日、「告発」されるまでは、ずっと、墓に入るまで、隠し持ってい続けるのが正しいと、そう、信じていた。
「どうして……っ! どうしてあなたが、わたしに謝ることがあるというの、クリフトさんっ!? だって、あなたは──あなたは、『告発』のために、全ての地位を奪われたのに……っ!」
クリフトのそんな様子に、耐え切れないようにシンシアが叫ぶ。
握り締めたこぶしに、さらに力を込めて、彼女は悲鳴のようにクリフトに向かって叫んだ。
4年前のあの日……「匿名」の「告発」により、将来有望な神官が、異端審問にかけられた。
彼は、世界を救った8勇士の一人であり、サントハイムの司祭候補の一人として名前を上げられていたほどの人物だった。
誰もが、その神官が異端審問にかけられることを疑っていた。
誰もが、その神官がその告発を否定し、全ては無かったこととして処理されると思っていた。
────そう、告発した張本人ですら、それを、疑うことはなかった。
なのに。
「当たり前のことです──わたしは神を裏切る行為をしたのですから。」
当然のように微笑む、その淡くはかない微笑みに……シンシアは、ギリリ、と掌を握り締めた。
爪が食い込むほど強く握りこんで……彼女は、小さく吐き捨てる。
「あれは──私なの……っ。」
それは、毒を吐く行為に似ていた。
喉がギリリと痛み、心臓がズキンと悲鳴をあげた。
「──シンシアさん……?」
困ったような、当惑したような声を出すクリフトに──彼のまっすぐな眼を見ることが出来ず、シンシアは視線を落として叫んだ。
「あなたを告発したのは、私なの……っ!!」
視界がゆがんだかと思うや否や、彼女の目から、ぽろぽろと涙が零れた。
睨み付けていた床が、闇の色ににじみ、視界に何が映っているのかまったくわからなくなる。
足元がグラグラと揺れて、自分が立っているのかどうかも分からない。
ただ──己の罪を告白した瞬間、関を切ったように、言葉が零れた。
「私……っ、あなたが、ユーリルと何をしているのか、知ってた……っ!」
「…………っ。」
ヒュッ、と、目の前の人が、息を飲んだのが分かった。
こう目の前で叫んでやったら、彼はどんな顔をするのだろうと、苦しい思いの中で思ったことがあった。
でも今は、まるでそんな感情は湧いてこない。
それどころか逆に、見たくなくてしょうがなかった。
己の罪を、知っているからこそ、余計に。
「だから──だから、どうしても、許せなくて……っ。
少しだけ……本当に少しだけ、あなたを驚かせるつもりだっただけなの……っ、あなたの経歴に、少しだけ傷をつけるだけで済むはずだったわ……っ。」
だってアナタは、当時、誰よりも輝いていた将来有望な神官だった。
あなたが一言否定をすれば、誰も知らないことなんて、闇から闇へと葬り去られてしまう。
──告発したことは、本当に、根も葉もない嘘だったのだから。
「なのに、あなたはそれを肯定した………………っ。」
握り締めた手のひらを、こらえきれずじ嗚咽が洩れそうになる唇に当てた。
ドクドクと、流れ出る熱い涙に、ただ、心が痛いと思った。
「……………………告発の全てが、正しいことではありませんでした、確かに。」
静かに──クリフトはシンシアの前にひざまずき、彼女を見上げる。
涙を流し続ける彼女の顔は、苦悶の表情にゆがんでいた。
あぁ……と、いまさらながら気づかされる。
自分があの時、己が正しいと思った道で、傷ついた人がいたということを、考えることなど無かった。
いや、考えはしたのだ。
「お前がそのようなことをする男じゃないのは、私が良く知っている。いいか、否と言うんだ。きちんとはっきりと否定しなさい。そうすれば、こんなくだらん審問はすぐに終わる。」
そう、審問にかけられる直前のクリフトの前にひざまずいて、強く語りかけてくれた司祭様。
「クリフトっ! どうして……っ!!」
涙を眼にいっぱいにためて──それでも泣くまいと、唇を噛み締めながら自分を見つめた幼馴染の姫君。
「クリフト…………っ。」
うわさを聞いて、駆けつけてくれた仲間たちの、苦悶の表情。
誰もが、多分、クリフトのことを気にかけ、心を砕いてくれた。
本当は、彼らのためにも、審問を「否」と否定することが必要だったことは、知っている。
でも、自分の中で、それは正しいことではなかった。
「けれど、私は確かにこの身を、快楽の中に陥れました──それは、確かなことなのです。」
愛しいと、思ったのは、本当だから。
あの思いまでは、否定したくなかった──できなかった。
そして、そのことで罪を問われ、罰せられるのなら──喜んでその罰を受けようと思ったのだ。
…………その罰こそが、自分の中にあった、ゆるぎない彼への思いの形だと、そう思ったから。
「……あなたが、そうして気に病むことなど、何もないのです。
もし、告発されなかったら、私は自分の罪に永遠に気づく事はなかったでしょう。
ですから、告発を恨むことなどとんでもない──感謝しているくらいなのです。」
声を漏らさず、泣き続けるシンシアの手に、己の手を当て、クリフトは小さく回復魔法を唱えた。
小さな淡い聖光が彼の手の中に宿り、シンシアの手を包み込む。
「だから私は、あなたに謝罪と感謝をするべきで、あなたから謝罪を受けることはないんです……本当に。」
優しい手の平の暖かさと、優しい気遣いに、シンシアは目の前が真っ暗になるかと思った。
爪を強く立てて傷ついた手のひらの傷は、跡形もなく消え去り、ただ涙に濡れた目を呆然と見開くしかなかった。
──ただ、痛い。
彼の言葉の優しさが、自分の身に痛くて、しょうがなかった。
だって、私は本当は、分かっていたのだ。
「告発」が、正しくないことだって事くらい。
本当は、ユーリルを問い詰めるのが正しいことなのだと。
「…………やさしく…………しないで………………っ。」
必死で、シンシアはかぶりを振った。
クリフトの優しさに甘えてはいけないと──彼の優しさにうずもれてはいけないと、必死でかぶりを振る。
「お願いだから──責めてください……っ。そうしないと私は、一生……ユーリルに顔が向けられない……っ!」
目覚めて──目の前に立つユーリルを認めた瞬間、シンシアの心に走ったのは、喜びと衝撃だった。
立派に育ったユーリルを見て、嬉しさと同時に戸惑いを覚えたのも確かなのだ。
シンシアが知るユーリルは、少し甘えたがりで、優しく笑う──でも、良く拗ねる子供だった。
なのに、再会して一緒に過ごした彼は、違った。
成長を喜ぶ心が無かったわけじゃない。惚れ直したとそう思ったことがないわけじゃない。
スキだと思う気持ちは一緒なのに、何かが噛みあわないのだと、ずっと不安に思い続けていた。
それは──ユーリルの口から仲間たちのことが洩れるたびに、そして、彼と一緒に仲間たちが集まる場所に行くたびに、強くなっていく思いだった。
多分きっと、昔なら──一緒にずっと村で暮らしていた頃なら、ユーリルに堂々とクリフトのことを問い詰めることが出来ただろう。
出来心だったのだとか、思春期の気の迷いだとか、そうお姉さんぶって説教することすら出来たような気がする。
でも、今はそれが出来なかった。
──怖くて、出来なかった。
自分とユーリルの間には、確かに眼には見えないつながりがあると、シンシアは今でも信じている。
同時に、ユーリルと彼の仲間たちの間にも、その眼には見えないつながりがあるのだ。──シンシアのソレとは、まったく別の形の。
その中に、シンシアが入って行くことはできない。
アリーナやマーニャ、ミネアたちと一緒にいる時間が多ければ多いほど、その疎外感は大きくなっていった。
そんなときだった──ユーリルとクリフトの、情事とも呼べない、どこかつたない口付けを見たのは。
「……あなたが……ユーリルから身を引いてくれればいいと…………本当に、それだけを思っただけなんです……………………本当に……。
でも、それは、間違いだった……っ!」
顔の前で開いた手のひらには、血の跡がうっすらとついていた。
それを見つめて──シンシアは、傷一つなくなった手のひらに、顔を伏せた。
かすかに鼻をつく血の匂いに、このまま何もかも消えてしまえばいいのに、と──心から思う。
心の傷も、こうして、回復魔法で癒すことが出来たら…………私は、この痛みや苦しみから、逃れることが出来るのに、と。
「まず、ユーリルに言わなきゃいけなかったのに……っ! 私は、順番も方法も間違えた──そして…………あなたから、何もかも………………奪ってしまった。」
サントハイムの神官として、エリートコースを進むだろうはずの彼。
なのに、あの告発の後、彼は異端者として幽閉され──そして、その偉業ゆえに解放はされたが、過去を捨てるために誰にも連絡することすら許されず、巡礼の旅に出された。
巡礼の旅を終えたら、再びサントハイムに戻ってくるだろう彼を──そして、そうなれば否応無く上に進むことになるだろう才能をもつ青年の帰還を恐れた上層部の一部の人間たちによって、彼は、巡礼の旅半ばにして、辺境の村の神父の任に着くことが決まってしまった。
彼は、こうして何もかもを失ったのだ。
自分が帰るはずだった場所も、幼い頃からの友人も、想い人も、命の危機を何度も乗り越えてきた仲間も、世話になった恩人たちも、自分を築いてきたその全てを。
たった一度の告発と、それを肯定した言葉によって。
「私は──あなたに罪を悔いることしか出来ない……。」
涙が、手のひらを伝っていった。
そのまま泣き崩れたくなったけれど、それを自分に許すわけには行かない。
だって私は、泣き崩れておしまいになるほど、都合の良い罰を受けているわけではないのだ。
責めて、殴られて、そうしても、まだお釣りが来るほどひどいことを目の前の人にした。
それなのに、彼は、ただ透明な微笑を浮かべて、柔らかにこういうのだ。
懐から出した清潔なハンカチで、シンシアの頬の涙を拭き取りながら、
「何も喪ってなどいませんよ、シンシアさん。」
迷いもない言葉で、そう──シンシアの心に刺を突き刺す。
それが、彼の本心で、彼が本気でそう思っているからこそ余計に、その優しさに──その彼の心に、刺が落ちる。
「この身一つになっても、私は何も喪いません。
神に祈ることは、この身が一つあればいい。
神に祈れば、その声を聞いた竜神が、私の愛しい人たちのもとに声を届けてくださるでしょう──優しく彼らの頬を撫でる風として、彼らの笑顔を呼び起こす奇跡の虹として。
そして、この地は私の新しい故郷となるでしょう。私の生きがいとなるでしょう。
私は、何も喪ってなどいません。
地位や名誉が何になりましょうか。
目の前で苦しんでいる人を救えない地位など、必要ありません。
私は、幼い頃から私が望む通り、神に仕えることを続けていくことが出来ました──これほど幸せであるのに、どうしてこれ以上の幸せを望めましょうか?」
だから、あなたが私のために泣く必要など何も無い。
ただ──己が罪を犯したと思うなら、二度とそのようなことがないように、悔い改めてくれればいいのです。
罪を憎み、人を憎まず──あなたもまた、自分が犯した罪をせめても、もう自分を責めることはやめてください。
「だって私は、あなたに感謝をしたいほど、これでよかったのだと、そう思っているのですから。」
「──……っ! よくないです! だって、あなたは…………あなたは、今、サントハイムで何と呼ばれているのか、知っているのですかっ!?」
サントハイム──故郷の名に、クリフトは一瞬息を呑んだ。
そして、少し寂しげに微笑み、ゆるくかぶりを振った。
「いいえ……けれど、察しはつきます。
私が巡礼の旅に出る前に──耳に挟みましたから。」
だからこそ、サントハイムには戻れない。
真実がそうではないことを知っているのは、「告発者」と、「告発された者」だけ。
人々は、この格好のゴシップネタを当たり前のように噂し──4年たった今、時々人々の口に上るのは、魔王にその身を売った聖職者というあざけりの言葉ばかり。
「嘘だって……どうして弁解しなかったんですか……っ!」
ひざまずき、ただ穏やかに微笑むクリフトに、そう小さく責めた。
責めながら、責めるのは自分の役目じゃないと思う。
だって、これではまるで──自分の責任転嫁じゃないか。
「告発は、私がひそかに魔王と密に連絡を取り、彼が与える快楽にこの身を落としたというものでした──彼との情事にふけるあまり、信仰を疎かにしたと。
神が禁じる同性愛を、その身に受け入れたと。」
「……それだって違う……っ。私が告発したのは、あなたが──男と……魔王である男と寝ていたということだけだったわ……っ。」
告発は、嘘。
けれど、その嘘の中に、少しだけ違えた真実を交えた。
そうすることで、クリフトに、「ユーリル」とのことを危惧させようと、そう思ったのだ。
それは良い思い付きだと、あの時は思っていた。
でも。
「私は確かに魔王であるピサロさんと話もしましたし、一緒の部屋で寝ることだってありました。──だって、最後の戦いの時、彼は私たちの仲間だったんですから。」
それは、知られざる真実。
愛するエルフをよみがえらせ、彼女の言葉により正気を取り戻した魔王──彼と共に、根源たる男を倒すことを選んだ勇者。
そして、共に旅をすることになった魔王と勇者たちのパーティ。
「真実ばかりの告発ではありませんけど──一つだけ、真実があり……私はそれを肯定しました。」
そう──確かにあの時、あの審問の場で、クリフトはただ穏やかに肯定した。
魔王である男と床を共にしたという意味なら、同じ宿の部屋に泊まったという意味に限ってなら、ありえた、と。
そして──魔王に抱かれたことなど、決して無いと言い切れるけれど……男に抱かれたことならある、と。
その快楽に、身を任せたことも。
「──どう、して……っ。そんなことをして、どうなるか……分かっていたはずでしょう……っ!?」
叫びながら──糾弾しながら、違う、とシンシアは心の中で叫ぶ。
彼が悪いのではない。
悪いのは、自分なのだ。
ユーリルが誰を見ているのか知っていたのに、それを否定したくて……行動を起こしてしまった自分なのだ。
「シンシアさん──私は本当は、墓の中まで、何もかもを黙って持っていこうと思っていたんです。」
旅を終えて、何度も──何度も出会うたびに、そう繰り返してきた。
彼の元には愛する娘が帰って来た。
彼の心の空洞を埋めるためだけの行為は、もう意味を成さない。
この思いを形に変えることを恐れてきた。
変えてはいけないと思っていた。
彼にとっても自分にとっても、この思いが形に変ることは、決して正しくないのだから、と。
だから、墓場まで持っていくつもりだった。
出会うたびに、ためらうように口付けた。
出会うたびに、懺悔のように謝った。
無かったことにしようと思うたびに、したくないと思った。
それでも──この思いは、形にしてはいけないのだと、そう、思った。
「『告発』されて、考えたんです。
このまま、何も無かったように否定することが正しいのか、と。
………………ねぇ、シンシアさん──私は、やっぱり、あなたに謝らなくてはいけない。」
「謝るのは…………私のほうです…………っ。」
「いいえ……わたしは…………ユーリルが好きなんです。」
囁くように告げられた言葉は、神聖な祈りのようだった。
思わず言葉を詰まらせたシンシアに、クリフトは淡く、淡く微笑む。
「けど、ユーリルにはあなたが居るから、この思いは決して口にしてはいけないと、そう思っていました。わたしは、あなたが生まれ変わるまでの……あなたの代わりでいいと、そう思ってましたから。
けど、私のこの思いが、あなたを不安にさせてしまったのですね──……すみません、シンシアさん。
私は、あなたと……正面から向き合う勇気がなかった。」
「……………………っっ。」
どうして。
どうしてこの人は、こんなにも優しいのだろう?
溢れる涙を止めることが出来ず、必死にシンシアはかぶりを振った。
そうじゃない。
そうじゃないのだと──あなたが悪いことなんて、一体どこにあると言うのだろうか、と。
「私があなたに感謝しているのは──隠し続けていかなくてはいけないと思ったこの思いを、形に出来たからなんです。」
もう終わりにしようと、なんど口にしただろう?
でも、そのたびにいつも同じことの繰り返しだった。
あなたの隣で微笑む女性に、どれほど刺を突き刺してきたか。
醜い嫉妬だと分かっていたけれど、それでも抑えることが出来ず──すがりついてくるように抱きしめてくる腕を、否定できなかった、拒否できなかった。
好きだと、囁かれるだけで、もう何もかもどうでもよくなった。
それではいけないと、そう思っていたのに。
だから、本当を言うと、告発された時……自分で決断できなかったことが、ようやく訪れたのだと思ったのだ。
終わりにしよう、終わりにさせなくてはいけない。
そう──ココで告発を否定して、何もかもを終わりに。
────────それが、正しいことだと、信じていた。
でも。
「私は、間違っていました──隠しても、隠しとおしても……ユーリルを傷つけるだけになるのだと。」
泣きそうな顔で、ゴメン、と呟いた彼。
僕のせいだ、と、そう低く呟いた彼。
何がユーリルのせいなのか、わからなかったけれど──もしかしたら彼は、シンシアがそう告発したことに気づいていたのかもしれない。
その彼が、クリフトに言ったのだ。
何が何でも隠しとおせ、と。嘘をつきとおしてでも、潔白だと言い切れ、と。
自分が好きなのは、アリーナで──ほかの誰にも何もされてはいないのだと。
そう──傷ついた眼で。
それを見た瞬間、気づいたのだ。
本当に、そのときまで心から信じていた。
隠しとおしていくことが、正しいのだと。
溢れかえるこの想いを隠して、ただ綺麗に微笑んでいれば、何もかも丸く収まるのだと。
彼は、シンシアと夫婦になり、そしてやがて、新しくできた村に新しい息吹を運び込むだろうと。
けれど、それは──そう望むことが、自分の逃げにほかならないのだと気づいた。
「自分とのことが、私にとってマイナスになると、ただそれだけを考えていたユーリルを見た瞬間、思ったんです。
私に、一体何が必要なのだろうか、と。
神に祈ることは、この身が一つあればいい。
帰るところや、落ち着くところなどなくても、なんとかなるものだと、旅の間に知りました。
私が私であるために、何が必要なのだろう、と。」
間違いを犯せば、それはきっと、「私」じゃない。
そして、その間違いは──ユーリルと関係を持ったことでは、決して無いのだ。
もしそれが間違いなら、焦がれるようなこの想いもなにもかもが、嘘になってしまう。
アリーナを思うような、優しい感情ではない、もっと強く、もっと痛い……この感情が。
「シンシアさん──私は本当に、あなたに感謝をしているのです。
私は、何も喪ってはいません。それどころか──この想いを貫き、形にしました。
私は、何も悔いては居ません……悔いることがあるのなら、あなたがそうして傷ついていたことに、気づかなかったことくらいです。」
「……………………あ……あぁ……っ。」
こらえきれず、シンシアは両手で顔を覆って、嗚咽を零した。
喉を駆け上る熱い吐息は、彼女の肩を震わせ、喉を締め付けた。
優しくて──優しすぎるこの人だから、私はきっと、甘えてしまう。
このまま甘えて、この人の許しを受け入れてしまう。
──受け入れられないように、一生、幸せをつむぎながらも、自分が狂わせた人の人生を、刻み付けないといけないと、そう思ってきたのに。
なのに──目の前の人は、いっそ潔いほど優しくて、自己犠牲ばかりがその身を包み込んでいて。
ただ……………………痛くて。
「あぁぁぁぁぁ…………っ!!」
何も──これ以上何も言うことが出来なくて、シンシアはついに立っていられなくなり、その場に泣き伏した。
両足に腕を落として、泣きじゃくる。
クリフトは、そんな彼女に、ただ静かに微笑み──イスの上から、先ほど持ってきた毛布を手にした。
それを、そ、と彼女の負担にならないように肩からかけてやりながら、己の胸元へと、シンシアの頭を引き寄せた。
泣きじゃくる彼女の頭を、昔幼馴染の姫にしたように、ゆっくりと、ゆっくりと撫でてやる。
そうやって──心が落ち着くまで、繰り返し、辛抱強く……静かに。
「神は、あなたを許します。
あなたのその心が、痛みを覚えた分だけ、あなたに幸せが訪れますように…………。」
心に染み入る──────そんな言葉を、囁きながら。
「……………………ごめ……なさい…………ごめんなさい………………っ!!」
クリフトの胸にしがみついて、シンシアは泣いた。
ようやく口にすることを許された謝罪の言葉に、クリフトはただ、静かに頷くだけだった。
その、優しさこそが……シンシアの「罪」を、「罪」と認めてくれない優しさこそが、シンシアにとって、一番痛い、罰だった。
嗚咽に混じって、何度も何度も零す謝罪に、穏やかに微笑むクリフトに、彼女はやりきれない思いで、涙を流し続けた。
────それは、クリフトへの謝罪ではなく、自分自身への許しでしかないことを……シンシアは痛い想いで痛感しながらも、それでも、その言葉以外を口にすることは出来なかった。
謝罪を口にするほどに、罪の十字架が己の身に──良心の呵責という形で刻まれていくのを、感じながら………………。
罪すらも、最初から存在していないのだと──
そう微笑む人に、ただ……自分を許すためだけに謝罪を繰り返す。
彼にとっては、「謝罪」の意味がないのだから……
謝る「罪」そのものが、存在しないのだから。
だから、この「ごめんなさい」は、私に対する許しにしかならない。
私が自己満足するための言葉でしかない。
それがどれほど痛いことなのか、きっと彼は、分かりもしないのだろう。
初のDQ4の BOYS LOVE なのに、登場人物がクリフトとシンシアだけって……どうだろう。
しかもシリアス。
さて、この設定はパラレルだと思ってくださいv
月日は第六章終了後5年後。
クリフトは、「異端審問」にかけられ、陸の孤島に、誰に知られることもなく神父として勤めているという設定。
そこに懺悔に来るシンシア……っていう話が書きたかったんです。
ちなみに話の続き、あるといえばあります(笑)。
でも、ここで区切るのが楽しいかな、とか(笑)、だって、ひっそりと神父しているクリフトがかけたから、もう満足です。
続きは思いっきりハッピーエンドなのです。
なぜなら、(↓以下裏設定)
実はこの時点でシンシアは妊娠しているんですよ。
でもその父親は、ユーリルじゃないんです──結局シンシアは、ユーリルと結婚することが出来ずに、別の男(靴職人っぽいな)と結婚したんです。
ユーリルは同じ村に居るのですが、未だにクリフトを探して、そこら中を旅していて、たまにしか村に帰ってきてません。
で、アリーナはサントハイムの次期女王として、とある国の将軍と婚約したところ。
ユーリルとクリフトは旅の間から、デキテます(笑)。
シンシアが戻ると、ユーリルが、「妊娠しているのに、だんなほっぽって一週間もどこに行ってたんだよ!」と怒ります(笑)。
そしてシンシアは、ユーリルが珍しく村に帰っていることに驚いて、──そしてこういうのです、「久し振りに旅疲れを癒すのに、とっておきの村を教えてあげるわ。行ってきたらどう?」──と。
その癒しの旅に、なぜかマーニャとミネア、アリーナまで便乗してきて………………。
そして一行は、寂れた村に辿り着くのであった──みたいな。
「あーあ、失恋しちゃった。」
そんな不穏な台詞を吐く娘が2人ばかりいる話(笑)。
あ、ちなみにここで自己主張!!
表のうちの2人を見てくれればいいんですが、なんか表はどう見ても、クリ勇ですけど、勇クリです(笑)。
だって甘えたがりの攻っていうのも好きなんだもん。
ということで、勇クリですので、よろしくです〜♪
…………って、書くのかな、ほかの話(笑)。