春の知らせ











 船の甲板の上──凪いだ風とウミネコの声が遠く聞こえる。
 いつもなら船の調子を見るために走り回っているけれど、今日ばかりはちょっと別。
 ほんの少しだけ、食料補給のために、小さな港に立ち寄っただけだ。
 買い物には幼馴染の2人が行ってくれていて、今日ばかりは「お休み」を貰った。
 先日の台風がウソのような上天気の中、あまりの日差しの心地よさに、ゴロリと甲板の上に横になったのが、ちょうど昼食前。
 海から吹き付ける涼しい風が心地よくて、そのままアッサリと夢の世界へ旅立てた。
 けれど、さすがに太陽が南天した後は、照りつける太陽の眼差しが眩しい。
 意識が浮上していくのを感じながら、アルスは顔の前に手をかざした。
 ドッシリと重い気がする腕は、かすかな影を作ってくれて、瞼の向こうから照り付けていた光を遮断してくれた。
 ほんの少しの影だけど、それで充分。
 スヤスヤと──再び寝息を零して、アルスはそのまま眠りの世界へと、落ちていく。
 台風の中、必死で走り回って船を沈めまいと努力していたため、小さな体は戦闘後以上の疲れを訴えていた。
 2人の前で大丈夫だと気丈に言い放ちはしたものの、マリベルもキーファも短い付き合いじゃない分、アルスの体が大分疲れているのを見越していたのだろう。
 アッサリと今日は船のお留守番をお願いされてしまった。
──とは言っても、波も穏かで、静かな小さな港町だから、お留守番と言ってもすることはない。
 だから、甲板に横になって、少し早い昼寝を貪っていた。
 こうして何も考えず昼寝をするのなんて、一体何ヶ月ぶりだろうかと──そう、どこかくすぐったい幸せな気持ちを噛み締めながら。












「アルスーっ! 戻ったぜっ!」
 明るく声を上げながら、キーファは甲板の上に降り立った。
 街中に居るときよりもずっと眩しい気のする甲板の上は、折りたたんだマストの影が薄く伸びているばかりで、太陽の光も──海上の照り返しも防ぐスベは何もない。
 涼しい潮風すらも凪いだ気のする甲板の上は、ムッとするほどの暑さで、思わず彼は眉を顰めて辺りを見回した。
「ちょっと、キーファ! さっさとどきなさいよ!」
 甲板を見回すキーファの背中を、ドンッ、と、乱暴に蹴りつけて、華奢な足が華麗に甲板の上に降り立った。
 かと思うや否や、彼女は手にしていた紙袋を、ドンッ、と乱暴に甲板に置く。
「あーっ、もうっ、重いっ!! あんたがそんなものを貰ってくるから、私がこんな荷物を持つハメになるのよ!」
 可愛らしく唇を尖らせる様は、非常に愛らしかったが、先ほどの彼女の見事な蹴りっぷりを受けた身としては、デレ、と鼻の下を伸ばせるはずもなく。
「綺麗じゃん、せっかくくれるって言うんだから、貰ってきて正解。」
 ヒラリ、と、左手に持った物を揺らして、それに、とキーファは陽炎が立ち上がりそうなほど熱を持った甲板の上を見回す。
「アルスにも見せたかったしさ。」
 続いた台詞は、少し不安そうな色に揺れていた。
 その事実に気付いて、マリベルも顔をあげる。
 そして、大荷物を担いできたときに感じた以上に暑い空気に、あからさまに眉を寄せた。
「あっつぅ……夕方まで町に居ればよかったわ。」
 うんざりした心地で呟くマリベルに、キーファは早速湧き出してきた汗をシャツで拭い取りながら、大きく頷いて同意した。
「せっかくアルスが休めたらって思ったけど──こりゃ、余計にへばってるかもな。」
「体力ないもの、アルスは。」
 ひょい、と肩を竦めてから、マリベルはハイ、とキーファに向かって片手を出した。
 キーファは、軽く目を瞬いて、差し出された華奢な掌を見下ろす。
「──なんだよ?」
「ソレ、私が持って行くから、あんたは荷物。」
 優雅な仕草で、クイ、と顎で、自分の背後にある荷物の束を指し示す。
「はっ!? コレは俺がアルスに見せに行くんだぜっ!?」
「花は男が持っているよりも、私みたいな美少女が持っているほうが似合うじゃない。」
 軽く首を傾げて笑んでくれるマリベルに、キーファは左手の中の花を見つめて──それから、ニッパリとマリベルに向かって笑顔を浮かべて見せた。
 思いも寄らないキーファの笑顔に、マリベルは軽く目を見開いて──何、頭にも花が咲いたの? と、そう軽口を叩こうとした。
 その、一瞬の間に。
「じゃ、後は頼むなっ、マリベルっ!!」
 シュタッ、と、キーファは右手に持っていた荷物を放り出して、甲板の上を向こう側へと走っていった。
「──……って、ちょっと、こらっ、馬鹿王子ーっ!!」
 あっという間に向こう側へと姿を消したキーファに、マリベルは唇を強く噛み締めると、ギッ、と──買って来たばかりの荷物を睨みつけた。
 そして──もちろん、それを素直に保管庫に運ぶようなマリベルじゃない。
「待ちなさいよ、バカキーファっ!!」
────当然、荷物を放り出して逃げた彼を追いかけるのであった。










 太陽が照りつける東側の逆の甲板──船室が濃い影を作り出す場所に、少年は居た。
 太陽の日差しが照りつける場所ほどは暑くはないが、それでも海の水面が眩しいソコで、上半身を壁に預けて、スヤスヤと寝息を立てている。
「中に入ってればいいのに。」
 ったく、と──そう言いながらも、なんだかこの方が彼らしくて、口元が緩んだ。
 ひょい、と身軽に少年の隣にしゃがみこみ、顔を覗き込む。
 気持ちよさそうに寝息を立てる顔は日にコンガリと焼けていて、とても健康そうに見えた。
 けど、そうして間近に見つめると、目の下のクマの跡や、それに重なるような小さな皺が見えて──知らず、指先で彼の目の下を辿った。
 台風の荒波に揉まれた時、必死にマストにしがみついているマリベルや、海に放り出されないように必死になっていたキーファと違って──同じように台風の中、大人も居ない状態で航海するのなんて初めてだろうに、少年はアッチへ走り、コッチへ走りと、忙しく走り回ってくれた。
 怒鳴るなんてこととはまるで縁がない普段とは違って、厳しい顔で叫び、怒鳴り──。
「……冒険は少年を男にする、か。」
 こうしてると、いつものエスタード島の平凡なアルスでしかない。
 きっと、ベテランの漁師達に言わせれば、アルスのあの働きなんて、つたない以外の何物でもなかっただろうし、あの程度の嵐は「嵐」ですらなかったかもしれない──もっとも、キーファたちにとったら大台風くらいの脅威があったが。
 あどけなさが濃く残る少年の寝顔を見つめて、キーファはアルスの輪郭をなぞっていた手で、ツン、と頬をつついた。
 すこし精悍になった気のする頬は、弾力と柔らかさをしっかりとキーファの指に返す。
 昔とはほんのすこし違う感触。
 でも、よく手になじむ感触。
「アルス──。」
 突付きながら名を呼ぶけれど、アルスの目は開く気配を見せなかった。
 ひたすらスヤスヤと眠っているアルスに、キーファは小さく笑って──そして、彼の隣に腰を落とした。
 アルスと同じ方角を向いて、壁に背を預ける。
 まぶしい海の水面が視界を射抜き、軽く目を細めた。
 穏やかな波の音が、船に当たって小さな音を立てている。
 懐かしい音──生まれたときから聞いてきた海の音は、こうして旅の中にあってもいつも身近にある。
 それがなんだか懐かしいようなおかしいような……キーファは見慣れた光景を目にしている気持ちになりながら──実際は旅の空の下で、見たこともない場所だと言うのに──、それらをぼんやりと見つめた。
 片膝を立てて、その上に花を持った腕を乗せる。
 海からの頼りない風に、手にしていた花は、緩やかに花弁を揺らした。
 キーファの中指ほどの太さの細い枝に、手の平でつかめるほどの花の束が三つついているソレ──小さな枝だ。
 そこに咲き誇る白に近い桃色の花びらは、可憐にヒラヒラと揺れていた。
 その花を愛しげに見つめてから、キーファは視線を横に転じた。
 そこでは、可愛い恋人が自分の存在に気づかずにただ寝息を立てている。
「アールス。」
 コトン、と壁に後頭部を凭れかけさせているアルスに再び呼びかける。
 けれど、少年は答えることなく、心地よい寝息を零し続けるばかりだ。
 無防備な寝顔は、あどけなさばかりが表に立ち、年齢よりも幼く見える。
 彼は故郷に居るときから、どこでも構わずんじ眠りこける少年ではあったけれども、こうして熟睡することは滅多にない。
 特に自分たちが旅に出てから、アルスは熟睡するのは自宅でのみとなってしまっていた。
 たとえ宿であっても、グッスリと眠ることはない。
 その彼が珍しく意識が無いほど眠っているというなら──よほど疲れていたのだろうというしかない。
「──いくら平和で安全って言ってもなぁ。」
 こんな船の甲板の上で、グッスリお昼寝って言うのも、どうかと思うぜ?
 ツンツン、と空いた手で何度か頬をつついても、いつものように身じろぎもしないアルスに、ヤレヤレ、とキーファは溜息を零した。
 起こしたいけれど、でも起こすのももったいないような──さて、どうしようかと……いつのまにか口元に広がっていた笑みを深くしながら、キーファは彼の顔を見つめ続ける。
 目には優しい色が宿り、キーファは知らず知らずのうちに手を伸ばし、少年の頭に手を置いた。
 ポンポン、とフードを被ったままの頭を叩きながら、キーファは再び彼の名をつむぐ。
「アルス?」
 甘い色が滲んだ声で、アルスの耳元へ唇を近づけ、ソ、と吐息交じりに囁いた。
 耳のすぐ近くで囁かされた小さな風の動きに、ピクン、とアルスの体が震えた。
 一瞬寝息が途切れ──再び彼の唇から安らかな寝息が零れ始める。
 その瞬間を狙って、キーファは再び彼の耳を甘噛みするようにしながら、アルスの名を再び呼ぼうとした。
 ──が、
「キーファ……っ。」
 うめくような声が、すぐ背後から聞こえた。
 ハッ、と振り返った先──二人が背を預ける壁に、ガシッ指先が差し掛かった。
 艶やかな桃色のマニキュアが塗られた形良い指先に、キーファはイヤになるほど見覚えがあった。
 よくアルスの頬をつねっているキレイな指先だ。
 かと思うや否や、額から汗を滴らせた美少女が、ヌッ、と顔を突き出した。
 形良い眉を思い切りよく顰めた美少女は、そのまま唇を大きくゆがめてキーファをジロリと睨みつける。
「おわっ、マリベル……っ!?」
 大げさに仰け反ってみせたキーファに、マリベルは乱雑な姿で髪の毛を払いのけると、はぁ、と熱い溜息を零した。
「キーファっ!? あんた、か弱い美少女に面倒なこと押し付けるんじゃないわよ!
 しかも何よ、アルスっ!? あんたは人が汗を掻いて働いてるってぇのに、グッスリ昼寝っ!?」
 腰に手を当てて、マリベルはスヤスヤと眠り続けているアルスの顔を覗き込む。
 眉を上げるマリベルの剣幕に、おいおい、とキーファは桃色の花びらを自分の口元に当てて、シィ、と鋭く呟く。
「アルスは疲れてるんだぜ? もう少しだけ休ませてやれよ。」
「疲れてるのは私だって同じよ。まったく、アルスったら体力がないんだから! 頼りないわねっ!」
 胸をふんぞり返らせてそう零して、マリベルはアルスの鼻先に自分の顔を近づけると、形良い指先でグイっ、と彼の鼻を摘んだ。
「ん……っ。」
 詰まったような声で小さくうめいたアルスに、キーファは溜息を零しながらマリベルの細い手首を掴んだ。
「マリベル……だからアルスが起きるだろうが。」
「あんたはアルスに甘すぎよ、まったく。」
 パンッ、と、キーファの手を振り払って、マリベルは体を起こした。
「アルスをこのまま寝かせ続けるんだったら、その分、あんたが働いてよ、キーファ?
 言っておくけど私は、あの荷物を中に運ぶなんて冗談じゃないからjね。」
 つん、と顎を反らせて宣言するマリベルに、キーファは嫌そうな顔を浮かべてみせる。
 チラリ、と隣に視線をやると、心地よい寝息を立てている少年の姿。
 その穏やかな寝顔は、まだまだ目覚める気配を見せない。
「俺はアルスが目を覚ましたら、真っ先にコレを……。」
 どうせ言っても無駄だとわかっていながら、左手に持ったままの小枝を差し出すと、あら、とあでやかに笑ってマリベルはそれを奪い取った。
 そして、五つの花びらが広がる薄桃色の花びらに、そ、と鼻先を近づけて目元を緩ませると──ニッコリ、と愛らしく微笑んだ。
「ありがとう、キーファ。
 これはありがたく、私の船室に飾らせてもらうわね。」
「……って、おいっ、マリベルっ! 誰もお前にやるなんて言ってねぇだろっ!!?」
 慌てて起き上がろうと体を起こしかけたキーファの額に、つん、とマリベルは指先を押し付けた。
 その指先を目を真ん中に寄せて凝視して──キーファは、ゴクリと喉を鳴らした。
 この至近距離でないとは思うが……もし、彼女がメラなどを唱えてくれたら、ハッキリ言ってただの焼けどではすまない。しかも、いつも真っ先にホイミを唱えてくれるアルスは、スヤスヤと眠りの中だ。
「あら? でもこの花は、あの桜の持ち主さんが、『私たちに』ってくれたものでしょ?
 あんたのじゃなくって、私にも貰う権利はあるってワケでしょ?」
 嫣然と微笑み、マリベルは軽く首を傾げた。
 その瞳に宿るのは、勝ち誇った微笑み。
「──で、この船につくまで、ずーっとキーファが持っていたわけだから……今度は私の番だわ♪」
 そうして──ヒラリ、と身を翻して、マリベルはクツクツと楽しげに肩を揺らしながら、桜の花の枝を片手に、トコトコと歩き去っていった。
 残されたキーファは、呆然と目を見開き──彼女の背を見送る。
 その隣で。
「ん……ぅん……。」
 小さく、アルスが身じろぎした。
 一瞬体を固めて、キーファはチラリとアルスを見やる。
 しかし、アルスの体は健やかに眠り続けているばかりで、起きる気配は無かった。
 キーファは、どっぷりと疲れた仕草で壁にズルズルともたれかけ──はぁ、と溜息を零した。
 もう左手にはあの可憐な花はなく、アレを貰ったときに覚えた喜びも、なんだか手の平から零れていくような気がした。
「──────…………あーあ…………せっかくアルスに桜、見せてやろうと思ったのに、さ。」
 結局、マリベルの部屋かよ。
 船の中に用意させられたマリベルの個室の中には、アルスもキーファも入ることを許されていない。
──たまにアルスが、マリベルに強制的に連れ込まれて、部屋の掃除をさせられているようだが。
 だから、マリベルが部屋に持って帰ったということは、あの桜の枝は花が枯れ落ちるまではもうアルスの目にはとまらない可能性が高い、ということなのだ。
 おそらく、次にアルスがマリベルの部屋に入るのは、あの花が枯れるときなのだろうから。
「これじゃ、アルスには花が見せられねぇな……せめて、一枝だけでも、って思ったんだけどな。」
 瞼裏によみがえるのは、降りた港町で見た街頭沿いに建ち並ぶ花の群れ。
 薄桃色の見事な花びらで包まれた木が、緩やかな春の風に花弁を揺らしていた、見事な光景だった。
 それらを一望した瞬間、覚えた感動を、ぜひアルスにも分けてあげたいと思ったのだ。
 疲れているだろうからと、船の上で留守をしてもらったのは、やっぱりもったいなかったと、本当に残念に思うくらい、キレイだったのだ。
 だから、ぜひお持ちくださいと一枝分けてもらったときは、本当に嬉しくて──、
「ったく、マリベルのやろう……っ。」
 小さく吐き捨てるように呟いて、ガシ、と髪を掻き毟ると、キーファはもう一度思い溜息を零した。
 その瞬間、
「──……きぃ……ふぁ?」
 とろん、と眠気を宿した声が、隣から聞こえた。
 ハ、と視線をやると、睫を震わせながらアルスが瞳を開けるところだった。
 その奥から現れる漆黒の瞳に、一瞬目を奪われる。
 寝起きの熱をもった目が、とろりとキーファを見上げていた。
 その瞳に、思わずドキンと胸を高鳴らせて──キーファは、おいおい、と、まだ冷静に自分の心に突っ込むことが出来た。
「んー……おかえり。」
 ふわり、ととろけるように笑って、アルスは眠そうにゆるく頭を振りながら、重そうに腕を持ち上げる。
「ただいま、アルス。」
 目を擦りながら、アルスはキーファの眩い笑顔の声にコックリと頷く。
 その動作すらも鈍くて、なんだか頭から下に落ちてしまいそうな気がして、キーファは苦い笑みを口に刻んだ。
「まだ眠いなら、寝てていいんだぜ?」
「んー……でも、荷物、いっぱい、あるでしょ? 手伝うよ。」
 片手で目を擦るだけでは眠気が覚めないのか、ギュ、と一度強く目を閉じてから、アルスはパチパチと瞬きを繰り返す。
 そうしてから、また再びコシコシと目を擦るアルスに、こーら、と甘く笑いながら、キーファはその細い手首を取った。
 さきほど掴んだマリベルの手首よりも一回りほど太いけれど──それでも自分の手の平にすっぽり納まる小さな手だ。
「目を擦ると、目が傷つくだろ。」
「でも、目が開かない。」
 ほら、と、薄く目を閉じたままそう訴えるアルスが、すこし顎を上げてキーファを見上げるを見た瞬間、衝動的にその拗ねたようにとがらせた唇にキスを落としていた。
「──……っ! キーファっ!?」
 驚いたようにパッチリと目を見開くアルスに、ほら、と悪戯が成功したようにキーファは笑った。
「目、覚めたろ?」
「…………〜〜!」
 パクパクと口を開け閉めするアルスは、コレが始めてのキスというわけではないのに、顔を真っ赤に染めて、寝起きの潤んだ目元を赤く染めながら自分を見上げてくる。
 そんなアルスが可愛くて、もう一度彼の鼻の頭にキスをした。
 ずり、と後じ去ったアルスの後頭部が、ゴン、と壁にぶつかる音がして、おいおい、とキーファは小さく呟く。
 あっけに取られるキーファの前で、アルスは唇を歪ませながら、手を頭の後ろに当てた。
「…………キーファの意地悪。」
「まだ眠いんだったら、寝てていいんだぜ、アルス?
 荷物なら、俺が運ぶからさ。」
 アルスの機嫌を取るように、キーファはそのままかがみこんで彼の頬にチュ、と音を立ててキスをする。
 それを受けながら、アルスは小さく笑った。
「いいの?」
 いいも悪いも何も、もともとアルスを起こすつもりなんて無かったのだから、それでいいに決まってる。
「あぁ。寝てるか?」
 囁きながら、アルスのもう片方の頬と、額と、瞼の上と──次々にキスをしていくキーファに、アルスはそのまま身を預けた。
 心地よいキスの音と柔らかな羽根のような感触に、なんだか遠のいていった眠気が、戻ってくるようだった。
 キスで目が覚めたのに、キスの嵐で眠気が戻ってくるなんて、変なの。
「──うーん……でも、大変じゃない?」
 間近にあるキーファの瞳を覗きながら首を傾げると、そうでもないさ、とキーファは笑った。
 何せ、マリベルが殆どを担いでいて、キーファが右手一本で荷物を持っていたくらいの量しかないのだ。
──そう思い出して、あぁ、そうだ、とキーファは町の中で見た花の話を思い出す。
 さっきまで、手に持っていた可憐な花だ。
「そういやさ、アルス? 町の中できれいな花を見かけたんだ。」
「花?」
 身を起こしていた体をもう一度壁に預けて、アルスの肩を抱き寄せながら、キーファは小さく笑った。
 その、せっかくの花はマリベルに持っていかれて今は見えないけれど──拝み倒せば、チラリとなら見せてくれるかもしれないけど。
 コトン、と肩に預けられるアルスの頭の首筋を──その細い首にかかる後れ毛を手の平でもてあそびながら、あぁ、と頷く。
「街道に沿って立っていた木がさ、全部花で埋め尽くされてて……、すっげぇキレイだった。真ん中を歩いてると、空が薄桃色に染まっててさー。」
「へぇ……見たかったな。」
 キラキラと目を輝かせるアルスに、だろ? とキーファは額を彼に近づけて笑った。
「ココで一泊してくなら、見れるぜ?」
「──うーん、でも、そう長く泊まっておけるほど大きい港じゃないしね。」
 首を軽く傾けてそう残念そうに呟くアルスに、だよなぁ、とキーファはコツンと壁に頭を預けて空を見上げながら呟く。
 一度に二隻くらいしか入れないほど小さな港の沖合いには、まだ数隻ほど、港に留まるために待っている船の影が見えた。
 それを思えば、荷物の積荷を終えた自分たちはさっさと出て行った方がいいだろう。
「──……ま、そーだよなぁ。」
 停泊する時点で、長く留まれても昼過ぎくらいまでだと、最初にアルスに言われていた。
 だから、アルスをココに留守番と残した時点で、彼が町に降りれないのはわかっていたから……だから、わざわざ町の人に頼み込んで、花を一枝貰ってきたというのに。
「いいよ、花はまた、次の機会に見ればいいんだもん。」
 この港に立ち寄るのが、最初で最後になるわけじゃないんだから。
 そう笑ってみせるアルスに、でもなぁ、とキーファは渋った。
「あの花、この時期の1週間くらいしか咲いてないそうなんだぜ? 次って言っても……。」
「なら、来年。来年のこの時期に、また一緒に来ようよ、キーファ。」
 コツン、とキーファの肩を頭で叩いて、アルスは笑った。
 そのアルスの笑顔に、──あぁ、とキーファも破顔して笑って見せた。
「来年な!」
「うん、来年だね。」
 お互いの額をあわせて、うん、と頷いた。
 そして、どちらともなく、そ、と瞼を伏せて──、一度だけ、キス。
 くすくすと、小さく笑いながら、アルスはキーファの肩に頬を摺り寄せる。
「でも──来年の今って……僕たちって何してるのかな?」
「そりゃ決まってる。」
 明るく笑って、キーファはアルスの肩を抱きながら、キッパリと宣言した。
「冒険だろ!!」
 どこまでも続く空と同じ色の瞳をキラキラと輝かせて、太陽のような笑顔を浮かべる。
 その、凛々しいまでの明るい表情に、つられるようにアルスも笑った。
「──うん。」
 浮かぶ微笑は深く──小さな島しかないと思っていた頃に考えていた思いとは、まるで違った。
 あのときは、いつまでも冒険を続けてはいられないと、そう信じていた。
 いつかきっと僕たちは、別の道を歩みはじめるのだと、そう思っていた……心のどこかで。
 でも、今は違う。
 今は、二人で修理したこの船の上──どこまでも冒険を続けていけると、そう思っている。
「──来年まで、花はお預けだね。」
 淡く笑って告げながらも、すこしだけ残念そうに呟くアルスに、キーファはなんとかマリベルに拝み倒してみるかと顎に手を当てて──ふ、と、その視線をアルスの顔に落とした。
「? キーファ?」
 不意ににやりと笑ったキーファの瞳に、アルスは大きな目を瞬かせた。
 かと思うと──ふわり、と頬に柔らかな何かが触れた。
「──……っ!?」
 それが、キーファの髪だと悟った瞬間、チリ、と痛みにも似た衝撃が鎖骨に走る。
 びくりっ、と体を大きく震わせたアルスの体から、そ、とキーファは体を離し──満足げに笑った。
「よしっ。」
「な、ナニがよし、なのっ!?」
 痛みが走った鎖骨を手の平で抑えながら、アルスが困惑も露に尋ねると、キーファは軽く片目を瞑って笑ってくれた。
「桜。」
「──……は?」
 つんつん、と自分の鎖骨の部分を指差して、
「あの花に似てるようにつけられたかと思ったけど……まぁまぁかな?」
「つけられたって……ナニをっ!?」
 手の平で鎖骨を覆いながら、アルスは、まさか、とキーファを睨みつける。
 その目じりが、羞恥に軽い紅色に染まっていた。
 思ったとおりの反応に、キーファは満足げに笑った。
「だから、桜マーク♪」
「…………って、キーファ……っ、コレ、桜って言わない〜っ!!」
 泣きそうに顔をゆがめるアルスに、あははは、と明るく笑って、キーファは立ち上がった。
 さぁって、と大きく伸びをする彼のすぐ隣で、座り込んだまま手の平を首筋に当てて──アルスは唇をわななかせた。
「笑い事じゃないよ!? もし、またマリベルに見つかったらどうするんだよっ! 絶対、怒られるに決まってるんだからっ!」
「いいじゃん、どうせまた、しばらく航海なんだから、俺とマリベル以外、見ないし?」
「見ないけど〜っ!!」
 ますます眉を落とすアルスに、キーファは満面の笑顔を浮かべてみせた。
 それから、困ったような彼の上に、再び身を屈めてキスを落とそうとした矢先……。

「キーファっ! 馬鹿王子っ!! あんた、まだ片付けてないのっ!!!?」

「うげ……マリベル…………。」
 ヒステリーじみた幼馴染の少女の声が聞こえて、キーファは顔を大きく歪めた。
 すっかり、忘れていた。
 いや、一応頭の片隅にはあったのだけど、すっかり忘れていたという表現が、まったく当てはまるほどに、「片付ける」ということが頭から吹き飛んでいた。
「まずいっ。」
 小さく呟いたキーファに、アルスはシャツと上着の襟を引っ張り上げ──それでは隠れないことを承知で、はぁ、と溜息を零すと、ひょいっ、と身軽に起き上がった。
「行こう、キーファ。──マリベルの機嫌を損ねちゃう。」
 そして、トン、と──キーファの背中を叩いた。
 ニッコリと、はにかむように笑って見せると、
「……だな、とっとと片付けるか。」
 キーファも、ニコリと彼に笑い返した。
 そして二人は、そのまま連れ立つように、荷物の前で仁王立ちしたマリベルが待つ元へと、仲良く揃って駆けていった。
 もちろん──その先で、マリベルに怒鳴られるのは、わかりきっていることではあったけれども。


















ということで、お花見話第二弾デス。
久し振りのキーアル〜。なんだかラブ甘。

なんかキーファもアルスも、お互いが居ないときに見つけたものは、何か土産を持って見せてあげたいと思うタイプのような気がします。
特にキーファは(笑)。そしてラブいくせに、ちょっと切ない表現が入るのがキーアル旅立ち前。叶いもしない約束をするなっ、キーファっ! みたいな感じで突っ込んでやってください。アルスが泣きそうになって泣かないのも好きです(←鬼?)








君と約束をした日。



きっと来ると疑わなかった「次の季節」。













僕はいま。




「…………………………さくら…………………………。」





首筋に手を当てながら、見上げるのは、満開の……はかない、花。





隣には
誰もいない