君に、伝えたいことがあるんだ。
欲しい言葉を貰った。
当初の目的は果たした。
迎えはもう目の前にある。
なのに、どうしてだろう? なぜだろう?
胸が痛くて、心が苦しくて……覚悟をしてきたはずなのに、脳裏に浮かぶのは、一緒に居た時間ばかりだった。
いっそ、知らなければ良かったのではないかと、そんな矛盾した考えすら浮かんできた。
──好き、だった。
好きだったのに。
「キーファ…………。」
見上げた先で、キーファが顔をゆがめていた。
泣きそうな──その表情は、この世界では一度も見たことがなかった。
穏やかで、優しくて、敵を見据える姿が凛々しい男の顔……そんな顔しか見てはいなかったことに、今更ながら気付く。
自分が共に育ち、笑い合った「王子」は、もう、目の前の「キーファ」ではないのだ。
「──アルス…………。」
それなのに、彼の声に、彼の目に、彼の仕草に──「キーファ・グラン」を知らず探そうとしている自分に苦笑を覚える。
結局、僕が覚えていたいのは、今のキーファじゃなくて、昔のキーファの影だったというの?
「……あれが、僕の……かえる場所?」
キーファの視線を見るのが耐えられなくて、視線を逸らす。
見やった先に、空気をゆがめるようにおぼろげに浮かぶ青い渦……見慣れたソレが、ぽかんと浮いていた。
──神様の迎えだ。
「──────…………ああ…………お前が…………かえるばしょ。」
ガリ、と、小さな音がした。
見なくてもそれが何の音か分かる。
キーファの腕が緊張している──キーファが、指先で土を掻いたのだ。
アルスはそれに気付かない振りをして、そ、と、自分の手を握り締めた。
先ほど、キーファのことを忘れないようにと握りこんだ手だ。
──ほんのついさっきのことなのに、もうぬくもりは掌から零れ落ちている。感じるのは、自分の鍛えられた手の形だけ。
そこに、キーファのぬくもりはない。
それが、イヤに現実めいて怖くて──ここでどれほど生身のキーファに触れて、生身のキーファの全てを覚えておこうとしても、元の世界に戻ったら、何もかも忘れてしまうような気がして……。
「…………………………。」
このまま彼の腕を引いて、あの渦の中に飛び込んだらどうだろう?
チラリ、と頭の片隅にそんな言葉が浮かんだ。
元々キーファはあちらの世界の住民だ。
あの中に飛び込めないはずはないだろう。
何よりも、今の自分は力のないか弱いアルスだと、そうキーファは信じている。
元々魔法の力には防御性の無かったキーファのことだ。ラリホーマの一つでも唱えれば、あっけなく眠りの中に陥ってくれるだろう。
そうして、キーファを担いで、引きずって、あの渦の中に飛び込んで……。
────なんて、甘美な誘惑なのだろうと、アルスは思い切りよく唇を噛み締めた。
そんなことを考える自分の浅ましさに、そんなことに心揺れる自分の弱さに、悔しさすら覚えた。
そんなことをすれば、きっとキーファは怒るに違いない。
喜ぶ人もいるだろうけど、キーファはその事実に怒り、決して許してはくれないだろう。
許してくれなくてもいい、ただ、キーファが側にいてくれたらいい。
そう思う気持ちがないわけでもない。
でも。
「──────…………。」
震える手を強く握り締めて、その実行を留めるのは、脳裏に浮かんだユバールの民の姿だった。
────そして、そのユバールを出て行った、一人の男の姿だった。
ここでキーファを連れ帰り、ユバールを滅ぼしてしまえば、魔王は復活しない。
けれどその代わり、魔王をアルスたちが倒すこともない。神様がこの世界に下りる力を得ることもないのだ。
魔王が奪った神の力は封印され続け、魔王が倒されない以上、力を奪われた神様は永遠に異次元で過ごすしかなくなってしまう。
そうすれば、世界は元のように戻ったかもしれないが、神様を失い……またいつか、滅びの時を迎えるか分からなくなってしまうのだ。
時が過ぎれば過ぎるほど、精霊の加護を受けるアザの一族の力は薄れていくだろう。
グランエスタードの平和さを知っているアルスには、それが手にとるように分かった。
誰もが平穏になれ、誰もが魔法の技をも忘れていくだろう。
そうして、その末に魔王が復活してしまえば──今度はもう、神様も精霊も、アザの一族も、シャークアイも居ない。
格好の餌食の世界が残るだけ。
世界なんて捨ててしまえばいいと、そう思ってこうして来たというのに、実際にその選択が目の前に迫ってみたら……。
「──────。」
できない、と……そう、思った。
ただの、一介の少年でしかなかったなら、キーファの恨みを買ってでも、彼のそばにいたいと思うことを優先したかもしれない。
でも、アルスは、アルスだった。
シャークアイとアニエスの持つ力を受け継ぎ、ボルカノとマーレの優しさと愛を受け、優しい人たちに愛され──キーファの太陽のような強さを見て育った、「アルス」だった。
そんな選択しか選べない自分が、悔しくて、悲しくて──でも、それでも、ココで無理矢理キーファの腕を引っ張って渦を潜り抜けた方が、どれほど自分にとって辛いことになるのか……気が狂うほどに辛いことになるのか、それを見たマリベルやキーファたちがどう思うのか………………。
そう思ったら、もう、手が動かなかった。
結局、そんな自分を形作ったすべての物が、今の自分を縛っていた。
「……分かっていて…………ココに来たのにね………………。」
自嘲じみた笑みを浮かべて、小さく小さく……口の中で零す。
微かに眼に浮かんだ悔しさ交じりの涙を、二、三度瞬きすることで振り払う。
キーファに答えを貰った。
今度こそ、きちんとお別れが出来る──それは、「アルス」としての別れではないかもしれないけど。
それで、踏ん切りがつけれるなら、いいじゃないか。
──何度出会っても、何度恋をしても、結局、自分が「アルス」である限り……彼が愛した少年である限り、キーファの決意を覆すことなど出来ないということが、分かったのだから。
それを、望めないと──そう、知ったのだから。
「キーファ。」
静かに、彼の名を呼んだ。
もう二度と、この口から呼びかけることはないだろう名前。
たとえ未来、自分に子供が生まれても、仲間たちに子供が生まれても、決してこの名だけはつけさせまい。
唇から零れた今のこの名だけを、生涯で最後の呼びかけにしたい。
それほど──大切な人の名前だ。
「…………アルス………………。」
掠れた声で、キーファがアルスの名を呼ぶ。
その独特の……涙が溢れそうなほど愛しい声に、アルスは小さく笑ってみせる。
「あの中へ入れば……僕は帰れるの?」
首を傾げて、そう尋ねる。
何も知らない少年のフリ。
キーファが知るアルスは、バカ正直だったから出来なかっただろう、「嘘の仮面」。
君が、穏やかに微笑む大人になったように、旅の中で、素知らぬ顔をすることを覚えた。
君が居なくなって、マリベルが居なくなって──僕は、そんな顔をすることを覚えた。
ダーマの神殿で、コスタールで──……シャークアイの目の前で。
「────…………。」
キーファの眼が揺れている。
いつも太陽の眼差しを宿すその眼が、微かな不安を宿していた。
「──そう、だとはおもうが……。」
口もごるその理由を知っていたけど、アルスは何も知らない顔で、そんなキーファを見上げた。
考え込むような青年の面差しを、しっかりと覚えていこうと思った。
シャープになった顎のライン。こけた頬。凛々しく寄せられる眉。昔に比べて色が落ちたような気のする金の髪。
眼の色だけは、昔と同じ。綺麗な憧れる空と海が同化する色。
──────僕がはじめて愛した人。
「………………。」
キーファは、ジッと見つめるアルスに気付かず、唐突に現れた渦を見つめ続けていた。
考え込むように眉を寄せて──別に、旅の扉が突然増えることはおかしいことではないことに気付く。
今までだって、あの王家の墓の中にあった、四つの祠に火が灯って──……それと同時に、各地に新しい旅の扉が出現したことがあったじゃないか。
虹の入り江に一つ。炎の山に一つ。
今回もきっと、それと同じなのだろう。
もしかしたら、マリベルたちがなんらかの手段を用いて、ココに旅の扉を開いたのかもしれない。
いや、そうではない、ただの偶然かもしれない──……今のアルスには記憶がない。戦うすべがない。
あの中へ飛び込んでも、アルスがすべての記憶を取り戻す保証も無いのだ。
この旅の扉が、マリベルたちが出したものなら、安心できるが──、
もし、あの向こうが別の次元に通じていたら、どうなるのだろう?
もし、あの向こうにマリベルたちが居なくて、それどころか窮地に追い込まれていて……記憶のないアルスをそのまま戻したら、どうなるというのだろう?
「──……っ。」
突然、目の前に現実が突きつけられた気がした。
底冷えするような恐怖に、キーファはブルリと身を震わせる。
アルスたちが無事にどこかで生きている。
そう思うからこそ、自分は一人でココに残ることが出来たのだ。
いつかアルスが世の中を平和に導いてくれる。
そう思ったからこそ、アルスに向けて石版も海に流したのだ。
けれど、もしかしたら──……どうなるのか分からない。
今までだって、無謀とも思える冒険にも乗り出してきたのに、どうしてか今、脚が震えるのを止められなかった。
──二人で共に歩いてきたから、先が見えない冒険にも、迷うことなく飛び込んでいけたのだ。
自分が一緒だったから、アルスを連れて行くことにも迷いはなかったのだ。
「──……アルス……しばらく様子を見たほうがいい。もし、マリベルたちが──お前の仲間たちが旅の扉を出現させたのなら、マリベルたちがココに来るはずだ。
そうじゃなかったとしても、向こうに何が待っているか分からないから、しっかりと装備していく必要がある。」
ユバールで、先頭を歩き、先の様子を見てくるときにしたように、そう告げると──アルスは、不思議そうに自分を見上げていた。
その、深い黒の眼に、キーファの顔が映し出されていた。
「ここにテントを張ろう。2、3日様子を見て──それでも変化がないようなら、キメラの翼で近くの町に行って、薬草とかを買いそろえないと……。」
「──その間、この旅の扉が消えないっていう保証はあるの、キーファ?」
「────…………アルス?」
まさか、アルスからそんなことを聞かれてしまうとは思いも寄らなかったキーファが、軽く眼を見張って見返すのを──静かにアルスは見上げた。
泣きそうな顔で、微笑を口元に浮かべているアルスは、何かを決意したような眼をしていた。
それを認めた瞬間、キーファは自分が言っていることの矛盾に気付いて──あぁ……と、顔をクシャリとゆがめて見せた。
今さっき、俺がお前を責任もって帰すとそう宣言したばかりだというのに……俺が口にしているのは「慎重」さではなく──ただの、「引きとめ」にしか過ぎないのだ。
いっそ、アルスが自分の前に現れてすぐに、旅の扉が現れてくれていたら、どれほど助かっただろう
記憶の無いアルスが、自分に「好き」だとそう告げる前に、この扉が現れてくれていたら──俺はこれほど足掻かなかっただろうか?
────他の誰でもない俺が、アルスと共にいけないと、そう決断したというのに。
「………………。」
胸を締める寂寥感と絶望にも似た思いを、キーファはゆっくりと噛み締めた。
あの頃とは違う、切羽詰ったような思いはない。
ないからこそ、今は余計にジンワリと痛むのだ。
──誰よりも大切だと思ってた。
誰よりも身近にある友で、仲間で、恋人だと、思ってた。
「──悪い……アルス────。」
手を伸ばす。
自分を見上げているアルスの頬に、手を当てる。
柔らかな、男の頬。微かに掌に当たるザラリとした感触は、薄い髭の跡だろう──昔から、中々伸びないと、そう愚痴を零していたのを思い出し、唇が自然と綻んだ。
「たとえ離れていても──お前と俺は、友達……だよな?」
その言葉が、自分を好きだと叫んだアルスにとって、どれほど痛い言葉か。
そして、同時にどれほど自分の心を突き刺す言葉か。
分かっていて、声に出した。
微笑み、確認するように問い掛けるキーファに──アルスは、ただ静かに微笑んでみせる。
あなたは道を選んだ。
あなたは夢に生きれる人。
あなたは太陽のように真っ直ぐに生きる人。
「────…………キーファ。」
そんなあなたに恋をした。
それはきっと、後悔することのない……確かな感情。
でも、残酷な問いかけには、答えてあげない。
だって、僕はその石版の文字を見て──耐えられなくて、こうして会いに来たのだから。
「もう二度と会えなくても──それでも僕は、君が好きだよ。
恋か友情かなんて、どうでもいいくらい……好き。
それじゃ……ダメかな?」
友情、なんて言葉で一まとめにしないで欲しい。
今、確かにこういう形を迎えて、僕たちは友達同士に戻るのかもしれない──二度と会えない友達になるのかもしれない。
──だからこそ。
そんな言葉で、まとめないで欲しかった。
時々、君のそんな優しさが──残酷すぎて、泣きそうになる。
「──……。」
答えず、眼を伏せるキーファに、つま先だって口付けようとして……アルスはそれを留める。
「記憶を無くしたアルス」がそれをしても、意味がない行為だと、気付いたから。
そして、記憶を取り戻していることを伝える気はなかった。
「……今までありがとう──行くね。」
とん、と、一歩下がって、キーファを見上げる。
微笑を唇に貼り付けて、微かに首を傾けた。
視界の端に映るたびの扉の存在を痛烈に意識しながら、目を見開いて顔を上げるキーファに、うん、と一つ頷く。
「アルス!」
呼びかける優しい声。
きっと忘れない。
「大切にしてあげて──ライラさんのこと。」
最後まで優しい少年のままで居たいから、心の中に隠した絶望と空虚は出さない。
ただ、──思い描く。
キーファに出会って、「女」として微笑むことが出来た、神の踊り手の姿を。
優しく柔らかに……あのとき以上に生気に満ちた微笑を取り戻すことのできた、女性の姿を。
──幸せになればいいと、そう、願う心を、描く。
そうすれば、自然と微笑みが唇に上った。
「…………あぁ………………幸せにする……お前に誓う。」
つらそうに眼をゆがめるキーファに、どうか笑ってと、心から祈りながら、アルスはまた一歩、キーファから遠ざかる。
「うん──好きな人が幸せになれるのは、たぶんきっと……僕にとっても幸せだと思う。」
その姿を見られないのは、残念だけどね。
「────…………そう、だな…………お前の幸せな姿を……俺も祈ってるよ………………。」
持ち上がりかけた手のひらを握り締めて、キーファが笑う。
まだその微笑は、アルスの好きな笑みじゃない。
太陽のように笑う彼の笑顔を、最後に見たかった。
ユバールの別れの時のような、無理矢理の空元気の微笑みじゃなくって。
──旅に出てから、だんだんと浮かべる回数が減ってきた、魅了されてやまない、太陽の微笑みが。
「────キーファが好きなのは、僕じゃないでしょ?」
彼の満面の微笑みが見たいと思うのは本当なのに、口から零れるのは彼を追い詰める言葉。
「──ちが……っ。」
「だってキーファは、僕を見ながら、別の誰かを見ていた。
────────だから、僕じゃない。キーファが幸せになってほしいと願っているのは、僕じゃない、アルス、でしょう?」
────否。追い詰める言葉じゃない。
結局自分が欲しいのは、「キーファ」が愛した、「アルス」の存在だけなのだ。
だから、記憶喪失のフリを続けながら、「記憶の無くしたアルス」よりも、「幼馴染のアルス」が好きだということを、彼の口から取り出そうとする。
そんな自分に気付いた途端、なんて滑稽なのだと、アルスはキーファに向けて踵を返した。
クルリと背を向けて、旅の扉に近づく。
だから、気付かなかった。
キーファが……傷ついたような表情になったことも、自嘲じみた笑みを浮かべたことも、何も。
ピタリ、と、旅の扉の前で脚を止める。
振り返った時にはもう、キーファは普通の表情を浮かべていた。
「アルス──向こうで何が待っているかわからないから、気をつけろよ。」
ほら、と手渡されるのが、キーファが背負っていた荷物。
手にすると、ズッシリと両手に圧し掛かる感触がした。
テントや食料品、飲料も何もかもが入っているものだ。
アルスは、こんなものいらないのに──と、苦笑を刻みながらも、キーファを見上げて笑って見せた。
「ありがとう。」
お別れをくれて。
「大好き。」
ずっと昔から、今も同じように。
「……っ。」
面食らったかのように眼を瞬くキーファに顔を向けながら、アルスは1歩後退した。
瞬間、グラリと世界が一転するような感覚とともに、グニャリと視界が歪む。
旅の扉が、アルスの肢体を飲み込もうとしているのだ。
「アルス……っ!」
キーファがとっさに伸ばした手の平に──アルスは、思い切り破顔してみせた。
彼の満面の微笑を見ることは出来なかったけど……それもまた、時の流れ。
届かないと知りつつも、だんだんと遠ざかるキーファに向かって、アルスは口を開いた。
「さよなら、キーファ──────いつか未来……僕は君とめぐり合う。」
君の命を受け継ぐ人に。
────────これが、本当の本当に、最後の、別れ……………………。
何気ない顔で、テントをくぐった。
休息地をやっとの思いで見つけ、そこへ脚を踏み込んだ途端、ユバールの民たちが満面の微笑を浮かべて出迎えてくれた。
誰もが苦労をねぎらうのに愛想良く答えたのまでは覚えている。
アルスのことを聞かれたような覚えもあるが、それになんて答えたのかは覚えていない。
──考えたくなかったのかもしれない。
「…………おかえりなさい、キーファ…………。」
微笑を唇に浮かべて出迎えてくれた美しい娘が──瞳を揺らしている。
その美女をテントの中に認めた途端、なぜかギクリと肩が揺れた。
それを一瞬で隠し、キーファは柔らかに微笑む。
「ただいま、ライラ。」
朗らかな声は、長い旅の果て、ようやく帰り着いた妻の顔を見てホッとしているように──思えたはずだ。
なのに、ライラは、そんなキーファの声を聞いた瞬間、キュ、と眉を寄せたかと思うと、唇を震わせる。
彼女が唐突に見せた表情の変化に、キーファは戸惑いを隠せず、そ、と彼女の前に跪く。
「ライラ? どうしたんだ?」
優しく呼びかけると──ライラはついに堪えきれないように、その細い両手でワッ、と顔を覆った。
「ライラ?」
無事に帰ってきた夫を見て、喜びのあまり涙を流したにしては──その雰囲気がそれを裏切っていた。
近づき、顔を覗き込むと、彼女の綺麗な瞳から、ポロポロと涙が流れ出ているのがわかった。
当惑して、キーファはライラの肩を掴む。
優しく、そ、と触れるキーファの手の平の暖かさに、更にライラは喉を震わせて嗚咽を漏らした。
──彼がココに居ることが、嬉しくて、悲しくて……涙が止まらなかった。
「────…………ごめっ…………なさい……。」
掠れた声で、ライラが呟く。
眼が熱く火照り、喉が何度もしゃくりあげる。
「? ライラ? なにを謝るんだ……?」
本気で分からないと、キーファが眉を寄せて、そのままライラの肩を抱こうとするのを──彼女はイヤイヤをするように頭を振り、留めさせる。
そしてそのまま、今にも地面にひれ伏すような勢いで、肩を震わせて泣き続ける。
泣いても泣いても──否、泣けば泣くほど、胸の中に長くとどまり続けた感情が、流れ続けていくようだった。
「ごめん、なさい──……っ。」
知っていた。
本当は、ちゃんと、知っていた。
それでも自分は、彼が居ないと「人」には慣れなかったから。
宿命だとか、運命だとか、そんなものばかりに囚われ続ける「踊り人形」でしかなかったから。
だから、この手を拒むことが出来なかった。
────そして、誰にも渡せないくらい、愛してしまったから。
「ライラ……っ。」
ぽろぽろと零れていく涙が、誰のための涙なのか、もうライラにも理解できなかった。
ただ、ただ──涙がこぼれていくのだ。
彼の顔を見て、彼が微笑むのを見たとたん、どうしようもないやるせなさに、胸が焼き焦がれるかと思ったのだ。
「──ごめ…………なさい…………キーファ…………っ。」
彼の目を見て謝ることも出来ず、ただ彼女はそう繰り返す。
キーファが戻ってくることを祈っていた。
アルスを無事に帰して、笑顔で戻ってくることを望んでいた。
なのに、今こうして彼の姿を見て、目をみた瞬間──ライラは知ってしまった。
キーファが、キーファを形作った物の一つを、おいてきてしまったことに。
「────……………………っっ。」
「ライラ……謝るな……頼むから、謝るな、ライラ!」
堪えきれず、キーファはライラを強引に抱きしめる。
華奢で柔らかな体は、すっぽりとキーファの腕に収まった。
その、小さく震える肩をしっかりと抱きしめ、これが現実なんだと、そう言い聞かす。
豊かに広がる漆黒の髪を撫でながら──キーファは、嗚咽を漏らして泣き続けるライラに、
「これは、俺が望んだこと……俺が、決めたことなんだから……っ! だから…………っ!」
──まるで、泣けない自分に言い聞かせているようだ……。
そんな、苦笑じみたことを抱きながら──ただ、腕に抱き続ける。
自分が腕に抱ける、唯一の人を逃がすまいとするかのように………………。
なんどでも惹かれあう。
なんどでもその手をとりたくなる。
それが、本当の恋じゃないなら、ナニだというの?
「ごめんなさい…………キーファ…………っ!!」
泣き叫ぶ娘の、悲鳴にも近い声を、自らの胸に押し付けて──、
「…………俺が、お前を……お前たちを選んだだけなんだ…………っ!
だから…………泣くな、…………泣くな、ライラ…………っ!!」
泣いている彼女よりもつらそうな顔で、彼はそう叫ぶ。
この腕に抱けるのは、たった一人だけなのだと──……本当は昔から、知っていたはずなのに。
「傷ついた分だけ、幸せになろう?
──たとえ、側に居ることが、叶わなくても。
僕たちの心は、きっと同じ先に向いていると、そう信じているから。
だから、笑ってお別れしよう?
今度こそ。」
BED編終了です。
書いている最中、なんでこういう結末を選ぶかなぁっ、って自分でイライラしてましたが(おい)。
だって、キーファが自分の道を貫き通すっていうのも、好きなんですよ。
だから、エンディングの選択の片方はこちらになりました。
一度エンディングが両方ともできた時点で、全部データが吹っ飛んでしまったんです……パソコンクラッシュで。
それ以降しばらく書く気起きずに呆然していて──だって、もうエンディングだったんですよ、本当にっ!?
そこまでいっていたのに、細かい心情とかもう一度書き直しなんですよ!?
一度書いたもの以上の物ができるかどうか──と考えた末、結局この形に収まりました。
基本的にはデータふっとんだのと同じなんですが、ライラとキーファのシーンが減り(笑)、アルスとマリベルのシーンがなくなりました。
その方が綺麗な終わり方かな、というかなんというか………………。
ちなみにアルスとマリベルのシーンは、下に書いてみました。
多分こんな感じだったかな、と。
ラストは、キーライでアルマリな感じになったわけです。
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マリベル「……おかえり、アルス……。」
アルス「────うん、ただいま、マリベル。」
マリベル「……………………良くやったじゃない、あんたにしては。」
アルス「────……そう、かな?」
マリベル「ええ、あたしが褒めてあげるのなんて、一生に一回あるかないかなんだから、素直に受け取りなさいよ。」
アルス「うん──……。」
マリベル「──どう? 少しは、幸せだった? あのバカの顔見れて?」
アルス「────……本当は…………っ。」
マリベル「……………………(無言で抱き寄せる)。」
アルス「本当はっ、あのまま……残ってたかった……っ。
死んでもいいから……ずっと…………一緒に、いたかったんだ…………っ。」
マリベル「死ぬなんて……いわないでよ……バカアルス……っ。」
アルス「でも、それでも……なんで僕、答え、見つけちゃったのかなぁ?」
マリベル「帰って来いって……言ったでしょう? あたしはっ、あんたに……帰って来いって…………っ。」
アルス「うん、だから、帰ってきたじゃないか────…………。
キーファのこと、好きだから……幸せになってほしいから………………っ。」
マリベル「────…………あたしから…………あんたまで奪うことは、絶対……許さないんだからね…………っ。」
アルス「うん──うん……ごめん……ごめん………………マリベル……………………。」
マリベル「泣きなさいよ……っ。」
アルス「泣いてるの──マリベルじゃないか……。」
マリベル「だから、あんたも、泣きなさいよ……っ。
あんたは、アルスだから……アルスなんだから……泣いていいんだからね……っ。」
アルス「────…………はは……………………。
………………ありがと…………マリベル……………………。」