お好きなカプで10のお題 3 すれ違い

星の降る夜












 ユラユラ揺れる波間に漂う船の上。
 小さな甲板の上に、グルリと円になって寝転ぶ影が6つ。
 それぞれ思い思いに手足を投げ出し、耳を打つ波の音を聞きながら、空を見上げている。
 さえぎる物が何もない晴天の空は、昼間の灼熱の色をすっかり治めて、今はただ、涼やかな紺碧の色に幾億もの星のビーズを縫いとめて、キラキラと輝いていた。
 特に今日は、月の影も見当たらず、小さな星の輝きが、一層際立って見えた。
 まるで降ってきそうだと──そう例えることすら陳腐な表現に感じる星の輝きに、純粋な感嘆ばかりが零れる。
「──すげぇ、なぁ……。」
 ポツリ、と零された言葉に、アルスはチラリと横目で彼の横顔を見やった。
 薄暗闇の中で、こんがりと日に焼けた精悍な横顔は、かすかにボンヤリと浮き立って見えるだけ──彼が今、どんな表情をしているのかは、まるで分からない。
──この世界に、島がたった一つしかなかった時代なら、こんなときの彼の表情は、たとえ回りが真っ暗闇でも、容易く想像することが出来た。
 けど、今は──……ちょっと、分からない。
「まるで、星の海で泳いでるみたいね。」
 答える女のしっとりとした声の主の表情は、逆にすぐに思い浮かぶ。
 サラサラと揺れる漆黒の髪を甲板の上にゆるく広げて、両手を軽く開いて、唇を薄く開きながら、目を細めて頬を軽くあげる。
 緩めた目元は、いつもほんのりと赤く染まっていて、とても嬉しそうに見えるのだ。
「船の揺れのおかげで、その気分は倍増ね。」
 女の声に答える、どこか皮肉気な色を宿したソプラノボイスは、アルスのすぐ右手から聞こえた。
 キーファに向けていた視線をそちらへ向ければ、暗闇の中、浮き立つ白い輪郭が、ハッとするほど目に冴えた。
 かすかに伏せた薄褐色の睫すら見えそうなほど、彼女は回りの暗闇から浮き立って見える。
 ユラユラ揺れる船──空に輝く星。
 視線を天へと戻せば、めまいを覚えるほど無数の光が、全て自分に向けて降り注いでくるように感じた。
 それが、いつだったか見た光景と重なって、なぜかジクリと胸が痛む。
「星が多すぎて、どれが魚星だったか忘れちゃったぞ。」
 マリベルの向こう側から、少し舌たらずな少年の声が聞こえてきた。
 その拗ねた口調に、マリベルが呆れたような顔で身体を動かしたのが分かる。
「あんたはいつも食い気ばっかりね、ガボ。というか、さかなほしって何よ、さかなほしって。うおざ、だって言ってるでしょ。」
 全く、ちっとも覚えやしない。
 マリベルの右手が伸びて、コツン、とガボの頭を叩いたのがわかって、クスクスとアイラの笑う声がアルスの頭の反対方向から聞こえてきた。
「さ……さかなほし……っっ!」
 震える低めのアルトの声音に、どうやらその言葉がツボに入ったらしいと知れた。
 そういえばアイラは、マリベルがガボに星の名前を教えているシーンを見たことがなかったかと、今更ながらにその事実を思い出した。
 アイラと一緒に星を眺めて旅をしていた時は、マリベルはフィッシュベルに居た。
 マリベルと共に旅をするようになってからは、世界は暗雲に閉ざされ、星を見ている余裕なんてなかった。
 アイラは星を眺めることはあっても、星の名前までは詳しくなかったから、マリベルのようにガボに星のことを教えることはなかったし。
「なぁなぁ、マリベル。どれがさかなの星だ?」
「あー、もー、だから、ほら、良く見なさいよ。」
 モゾモゾ、とガボが動く気配がして、マリベルが溜息を一つ零す。
 この光景は、アルスもキーファも──そしてメルビンも良く見知った昔と同じ光景だ。
 新しい島に着くたび、目に見える星の違いにガボが目を輝かせ、マリベルにねだるのだ──この島の空には、魚はいるのか、と。
 そのたびにマリベルは、グルリと空を見回して、少ししてから今のように、白い指先をヒラリと空に向けて伸ばすのだ。
 それに釣られるように、全員が彼女の薄桃色の爪先を追う。
 明かりもついていない甲板の上──夜の明かりは、心もとない星明かりだけ。
 その中、一際際立つ白い肌の彼女の華奢な指先が、つい、と迷うことなく空を指し示す。
「ほら、この先にある大きい星、見えるでしょ? あれが魚の頭。」
 見上げると、頭上よりも少し斜め方向に、チリチリと輝く星の中に、一際明るく輝く星が一つ。
 それを見上げると、すぐにアルスにはマリベルが何を示しているのか理解できた。
 だてに小さい頃から一緒にいるわけではない。
 フィッシュベルの海岸で、同じように彼女の小さな手で指差され、教え込まされた星座の形は、たくさんの小さな家来を伴った星空でも、すぐに見分けがついた。
 あれが魚の目。
 あれが魚のひれ。
 あれが魚の尾っぽ。──ちょっぴりピンと跳ねているのがご愛嬌。
 知らず口元に浮かぶ微笑みを貼り付けて、マリベルの呆れたような声音で続く説明を聞いた。
 ガボがそのたびに、楽しげに笑う声に、つられたようにアイラとメルビンが小さく笑うのが聞こえる。
 穏かな波の音が、どこか遠くに聞こえる──小波のようだと思うと同時、何かが左手首を掠めた。
 どこかくすぐったい感触に、かすかに首をすくめて、腕をかすかに引く。
 けれど、すぐにその動きを追うように、再び柔らかな何かが腕に触れた。
 さらに腕を引いて、身体に引き寄せながら、視線を横にやると──、
「…………。」
 イタズラめいた笑みを浮かべたキーファの顔に、ぶつかった。
 軽く目を見開いて、キーファの青い瞳を見返す。
「……キーファ……?」
 問いかけのイミを込めて、小さく名前を呼べば、彼は破顔して笑った。
 そのまま、先ほど腕に触れたのと同じ感触で、熱いものが腕を掠める。間をおかず、手首に触れたソレが、ツ、と手の甲をなぞった。
「──……っ。」
 くすぐったいような、ムズ痒いような感触に、アルスが思わず手を引き寄せる。
 そのまま、火照ったような気のする掌を、ギュ、と握り締めて、キーファの顔を見やった。
 キーファは、口元をキュ、と歪めたように笑って、視線を空へと飛ばす。
「なんだか小さい星が、うろこみたいに見えるわね。」
 楽しげに喉を鳴らすアイラの声が、不意に耳に飛び込んでくる。
 その声に、アルスも慌てて空へと視線をやるが、先ほどは容易く思い浮かんだ魚の形が、今度はどうしても目に飛び込んでは来なかった。
 マリベルの手の平は、パタン、と甲板の上に落ちていて、代わりにアイラが腕を伸ばして、ほら、あそこ、と笑っていた。
「おいら、魚にうろこはいらないぞ。」
「そうでござるな。うろこがないほうが、食べやすいでござる。」
 目を凝らして、彼らが指差す先にある「さかなのうろこ」を探そうとする矢先から、ふいにキーファが右手を掲げて、
「それならアレは、俺の釣り竿だな!」
 マリベルが「魚の口」と示した星近くで揺れている小さな三つの星を指し示した。
 言われて見れば、カーブを描いているように見える星は、「釣り針」に見えないこともない。
「おおっ! キーファが釣ってくれるのかっ!?」
 思わず声を跳ね上げて、喜ぶガボが、がばりと立ち上がるのに、マリベルは柳眉を顰めて彼の腕を強く引いた。
「キーファごときの腕で、あんな大きな魚がつれるわけないでしょ。
 それに良く見なさい、あの釣り針は、隣の長靴に向かってるじゃないの。」
 立ち上がるな、と注意されて、ストンと素直に床に頭をつけたガボは、呆れた調子で──けれど口調に皮肉の色を込めたマリベルの言葉に、ぐい、と顎を逸らす。
 おおきな魚の形の星の手前に、釣り針。
 けれどその釣り針は、魚の方を向いておらず、そっぽを向いて──遠く長靴を誘ってる。
「きぃふぁ〜、おいら、長靴はさすがに食えねぇぞ……。」
 みるみるうちに情けない顔になって、キーファに向かって抗議をあげるガボの声に、堪えきれないようにアイラがはじけた笑い声を零す。
「──……ぷっ! あはははっ!! やだ、もー、マリベルったら……っ!」
「あら、だってキーファって、実際、長靴名人だったもの。」
 しれっとした顔でマリベルは答える──その顔が、してやったりとばかりに笑っている。
 キーファが苦虫を噛み潰したような顔で、ストンと手を落とし、
「それは、長靴を池に落とすやつが悪いんだよ!」
「ということは、キーファ殿のおかげで、エスタード島の池は、常に綺麗なわけでござるな。」
「……ぅわ……勘弁してくれよ、メルビンさん…………。」
 落とした掌をそのまま顔にバッチンと当てるキーファに、ますます甲板の上に笑い声が広がる。
 突き抜けるような空に、笑い声は心地よく響いていく。
 どこまでも続いていく空の下はもう、どこまでも続いていく海じゃない。
 その海には、迂回しなくてはいけないような浅瀬や、上陸しなくてはいけないような陸地が、たくさんあるのだ。
 顔の上に置いた掌で、顔をゴシリと拭い取るような仕草をした後、キーファはそのまま掌を甲板の上に落とす。
 そのまま、アルスの手があるだろう場所に向けて、手を伸ばす。
 けれど、甲板の上に落ちた指先は、板の感触を感じるばかりで、アルスの指先に触れる気配はない。
「──……。」
 チラリ、と視線を甲板の上に落とすが、星明りだけの暗闇の中で──しかも寝転んだ体勢では、どこにアルスの手の先があるのか分からなかった。
 手探りでやるしかないらしいと、苦い笑みを口元に刻んで、キーファはヒラリと手を揺らし──甲板の上をなぞるように指先を動かせた。
 手を見るのを諦めて、視線を横手に飛ばせば、星を見上げているアルスの横顔が見えた。
 かすかに目を細めて、星を見上げていた彼は、キーファの視線を感じたのか、ふと顔を横に向けてこちらに向けた。
「何、キーファ?」
 囁くように問いかけられて、キーファはニヤリと笑ってみせた。
 そのまま、右肩を軽く竦めるキーファの仕草に、アルスは彼の意図に気付いたのか、軽く目を見張った。
 かすかに目元の辺りが赤く染めて──それからアルスは、小さく笑みを見せて、そろり、と己の左手を動かせる。
 どこに互いの手があるのか分からないまま、手探りで、甲板の上の時化た板を指先でなぞる。
 指先がかすめて、それを求めるように手首を返した先──相手も同じように手を動かしたためか、反対側の指先が掠めた。
 じれったさに腕がピクリと動くのを堪えて、指先を求めて追いあう。
 まるで戯れのように、二度三度と指先がすれ違い──眉を顰めて、隣り合う顔を見やった。
 唇を一文字に結ぶキーファと、眉を寄せるアルスの視線がぶつかり──それから二人揃って、苦い笑みを刻み合った。
 ゆっくりと──あせらないように手を動かせば。
 手の平と手の平は、すぐにお互いの指先をつかみ合った。
 そのまま、しっかりと指を捕まえ、手の平を重ね合わせる。
 ひんやりと冷たい空気の中で、互いの手の平は、痛いくらいに熱かった。
 どちらともなく、ふう、と吐息を零して、絡め合わせた視線を逸らし、空を見上げる。
「あ……──ほら、アレ。」
 すんなりと伸びたマリベルの白い手の平が、北の方角を示す。
 いつも、どこへ行っても、変わらずに輝き続ける星がある。
 彼女の手は間違いなくそれを指し示し、時を経ても変わらない輝きを放つ、一際まばゆい星を示して。

「北極星だわ。」

 ふたたび始まる星の話を聞きながら、握り合った手の平に力を込めた。






────こんな些細なすれ違いは、とても幸せだと、思う。








SSSダイアリーより転載。
すれ違いを題材に、いかに幸せなすれ違いを書くか、を題材にしてみました。

オリ設定のこのシリーズ(笑)の話は、書くととても幸せな気分になります。
たくさん辛いことを経験してきて、傍に居る人の温もりを誰よりも何よりも身近に感じるのって、とてもステキなことですよね。

というわけで、二人は隣にたって肩を並べながら、そ、と指先をつなぎあってくれるといいです。