アレフガルドという世界に来て、気づかなくてもいいことに気づいてしまった。
 そのことに気づいたら、ああ、と納得することばかりだ。


 とどのつまり、アレだ。


 俺が、ずっと心に抱いていたこの感情の名前は──……。







 たった一人の、君を想う心

怪しい 場所  【対】















 ラダトームの東にある港から船を出して、早一週間。
 その間に、共に船に乗る人間同士、いろいろと問題は起きたが、おおむね平穏な日々が続いていた。
 船の上での旅ということもあって、唯一の魔法使いであるレヴァには、苦労をかけることが多いが──どこぞのアホウが地図を間違えて見ていた……なんていうハプニング以外に、特に日誌に記すこともなく、日々は過ぎて言っていた。
 そんなある日の夜のことだった。
 夕飯を食べ終わり、俺たち男三人は、リビング代わりに使っている部屋で、風呂の順番を待っていた。
 カンダタは一人、手酌でガッポガッポとアホみたいに酒を飲み、レヴァは生真面目な顔で地図を覗き込み、次の目的地の確認をしているようだった。
 俺はウィスキーをチビチビと飲みながら、昼間聞いたばかりの「十種の神具」と呼ばれる「女神の残した遺物」のことを考えていた。
 この世界は、俺達が居た世界に比べて、神の力と存在が色濃く残っている。
 ──とは言うものの、この世界を創造した神そのものが、世界を創造途中に、大地のどこかに封印されているのだから、色濃く、と言っていいのかどうか、悩むところなのだが。
 とにかく、上の世界で言うと、「伝承」だの「伝説」だのは、ほとんどが眉唾物なのだが……まぁ、ラーミア伝説だとか、オーブ伝説は、真実だったが。
 この世界では、伝説というのは、すべて真実の上に成り立っているのだという。
 その辺りの見解の違いが、どうにも、なれないのだが。
 それはとにかくとして。
 十種の神具というのは、女神が封印される際に、この世界の人々のために残したものだとされている。
 実際、真実なのだろう。
 その中でも有名なのが、三種の神器と呼ばれる特別な物──雨を呼ぶ杖【雨雲の杖】に、太陽の輝きを宿す宝石【太陽の石】(これは確か、ラダトームで漬物石になっていたのを、リィズが見つけていた)、そして女神が常に身につけていたというアクセサリー【聖なる守り】。
 そのほかの7種類に関しては、名前だけが知れ渡っており、実際に見つけた者は居ないという。
 その中の一つが、銀の竪琴、だ。
 その音色、甘美なる天上の奏上。
 女神がその麗しの指先で奏でれば、風が踊り、海が歌うといわれている代物で──女神はその竪琴を使って世界を創世したのだとかどうとか。
 そんな伝説のものが、本当に地上にあるのかと思うのだが──奏でることが出来なかったら、魔物を呼び込んでしまう能力がある、といわれたら、まぁ、信じる気にもなるというか。
 その銀の竪琴のことについて、もっと詳しく聞きたかったのだが、残念ながら話はあっさりと反らされてしまった。
 この世界で雇った船長達の大好きな「お宝話」に入ってしまったのだ。
 そして、俺はそれに興味がなかった。
 お宝はお宝でも、──荒くれ者どものお宝と言えば、「女」だ。
 まぁ、俺だって男だ。女がキライなわけじゃない。
 けど、俺の興味は、どっちかと言うと、女よりもお宝だ。
 その、女神の残した十の神具というものの方が、物凄く興味があったのだが──誰も彼もが、興奮したように、あっちの美女がどうの、そこのカワイコちゃんの将来が楽しみだの、口々に言い合う様子に、とてもじゃないけれど、口を挟めやしなかった。
 結局、そのまま話はうやむやになってしまい、他の神具の名前すら聞くことはできなかったのだが──。
 明日辺りに、仕切り直しで話を聞き直すことは出来るだろうか。
 そんなことを考えながら、カラン、と、ウィスキーグラスを揺らした瞬間だった。
「おっ、レヴァ、進路の確認か〜?」
 酒で間延びした声と共に、がしぃっ、と、カンダタがレヴァに圧し掛かった。
 チラリを目をあげれば、顔をクシャリとゆがめたレヴァが、カンダタと触れ合うほどに間近く顔を近づけているところだった。
 カンダタの太い腕は、まるでレヴァを抱きこむように彼の肩を覆っている。
 その光景を見た瞬間、ずくり、と胸の奥がうずいた。
 それと同時、脳裏に浮かんできたのは、一つの文章だった。


【そして男は、その太く筋肉質な腕で、大人になる前の華奢な少年の体を抱きしめた。
 少年がいくら足掻こうと、その腕の檻が外れることはなかった。】


──あぁ、俺、やっぱり、ずいぶん毒されてるんじゃないか?
 頭痛めいた物を覚えて、はぁ、とイファンは溜息を零したくなった。
 浮かび上がった文章を頭から追い出すように、フルリと頭を振るうと、テーブルを挟んだ向こう側で、「小説」の中のレヴァとは違い、現実のレヴァが、抱きついてきたカンダタの顎を跳ね除けていた。
 ──そうだ、レヴァは、カザーブに居たころなら別だが、肉弾戦でもカンダタと対等に戦って、勝てる能力を持っている。
 力のみで言えば、レヴァはカンダタには勝てないが、技とスピードで言えばレヴァのほうが幾段も上だ。
 あの小説の中のように、レヴァがカンダタに負けて力ずくで……なんていうことは、絶対にありえない。
 バカなことを考えているな、俺は。
 苦い笑みを口元に登らせて、俺はウィスキーの痺れるような強い味を舌先で舐め取った。
 どうやら、思っている以上に、あの──シェーヌが、カザーブから持ち帰ってきた薄っぺらい本の存在が、脳裏にこびりついているようだ。
 時々、こうして、頭の中に文章めいたものが蘇ってくることが多い。
 それがどうしてなのか──じつを言うと、あの本が衝撃的だった、以外の理由で、俺はすでに気づいている。
 ただ、なんていうか……俺はそれを、自覚したくないんだ。

「そそそ、それだよ、それ! かーっ! いいねぇっ! 銀の竪琴っ! んなでっかい銀の塊なんて──一体、盗み出したらいくらで売れることかっ!」

 カンダタは、そんな俺の葛藤などと無縁の場所で、何か楽しそうに叫んで──レヴァの体に、どっしりと圧し掛かる。
 あぁ、これが机の上じゃなかったら、レヴァはその重みに潰されかかって、押し倒されるんだろうな──と思っていたら、
「何が銀の塊だ。お前は、物理的な値段でしか物が量れないのか?」
 冷ややかな声で……自分が思った以上に挑発めいた言葉と共に、俺はカンダタを睨み挙げていた。
「あぁっ!? んだと、イファンっ!?」
 俺ですら挑発っぽいと思ったんだ。
 酒で頭がにごっているカンダタは、余計にそう感じたのだろう。
 今にも俺に掴みかかりそうな勢いで、カンダタが叫ぶ。
「カンダタ、いい加減レヴァを離してやれ。身動き取れてないだろ?」
「うっせー、可愛い弟分を可愛がってんだよ。」
 べー、と舌を出すカンダタに、俺はチラリと視線をレヴァに向けた。
 レヴァはというと、困ったような顔をしている。
 その表情から察するに、、「まったく、カンダタ兄さんは……」と言ったところか。
 ──そんな風に、レヴァ? お前が甘い顔をするから、カンダタはつけあがるんだ。
 そう思ったら、溜息が一つ、口から零れていた。
「レヴァが潰れるだろ、お前の重みで。」
 とっとと、レヴァの上から退いてやれ。
 そのつもりで、シッシッ、と手の平で払うような仕草をしてやれば──カンダタは、ハッとしたように目を見開いた。
「レヴァーっ! 潰れてねぇかっ!? お前の大切な脳みそが、俺の重みで潰れちまうのかーっ!!!?」
 ……アホだ。こいつ、本当に、心の奥底から、アホだ。
 がっくんがっくんと揺らすカンダタに、レヴァも脱力しているのが分かった。
 ていうか、脳みそが潰れるわけがないだろーが。
 出て行った脳みそを詰め込んで、生き返る人間が居るわけないだろーが。
 もう、どこから突っ込んでいいのかわからないんだが──なぜか、そんな必死なカンダタの声を聞いた瞬間。

……カンダタのヤツ、ほんっとうに、レヴァが好きなんだな

 …………あぁ……物凄く、なんていうか。
 自己嫌悪が、俺の心を覆った。
 刹那、気づいたら、先ほどまで飲んでいたウィスキーグラスを手にして、それを指で弾いていた。

 ヒュンッ──がごっ!

「あだっ!!」
 激しい音がして、カンダタにクリティカルヒット。
 ──あぁ、俺も、大人気ないな。
 カンダタがレヴァのことを、弟分以上に思っていないのは、俺が良く知っている。
 良く知っているのだけれど──それでもやっぱり、慌ててカンダタに駆け寄るレヴァを見るのが、面白くないとも思うっていうか。
 昔は、こんな気持ちを抱いても、自分がそれと気づかないことが多かった。
 気づかないまま、冷たい言葉を吐いたり、突き放したような物言いをしていた。
 けど──このアレフガルドに来てから……カンダタと再会してからは、その事実に気づくことのほうが多くなった。
 そう──俺がこうなる「原因」というヤツに、気づいていながら、気づかぬ振りをし始めてからか。
「放っておけ、レヴァ。頑丈な面の皮してるんだから、それくらいで怪我なんてするわけないだろ?
 そいつには、これくらいしないと、酔いがさめないしな。」
 自分にウンザリしながらも、感情を出さずにそう言えば、カンダタがなにやら不穏な雰囲気を飛ばしてきた。
 それに軽いイラついた気持ちを抱きながら、更に言葉を重ねてやったところで。
 はぁぁぁ、と。
 レヴァが、わざとらしいほどわざとらしい溜息が、耳に飛び込んできた。
 カンダタと二人で、揃って視線を向ければ、レヴァはちょうど、キッ、と顔をあげて、俺達を睨みつけるところだった。

「二人とも! 食器もタダじゃないんだから、乱暴な扱いしないように! ──って前から言ってるだろっ!?」

 あぁ……なんだか、カザーブ時代に戻ったようだ。
 これが、ユラユラとかすかな振動を伝え続けている船のうえでさえなかったら、粗末なテーブルに、程よく狭い室内に、俺達年長者三人──本当にカザーブ時代のようだな。
 まぁ、あの時は、俺もカンダタも冷たく汚れた椅子に直接正座させられていたけどな。
 ──そういや、あの「本」にも、そんなシーンがあったな。
 俺とカンダタが二人で床に正座させられて、レヴァに説教されるんだ。
 ま、その内容は、今のような健全な説教じゃなくって、「所構わず盛るなっ!」って内容だと言うのが──現実と違ったけどな。
 ほんと、あの本……、腐ってるよな……。
「けどよぅ、レヴァ……、俺ら、前にも言ったと思うけどよー?
 盗賊なんだから、勝負すんなら、釣りの獲物とかじゃなくってよー、お宝の獲物とかで勝負してぇんだけどなー?」
 俺がまた、あの本の内容に思いを馳せている間に、カンダタが下手に出ながら、レヴァに向かってそう申し出る。
 けれど、レヴァの返事は沈黙だ。
 途端、カンダタはビクリと肩を震わせ、慌てて両手を振った。
「いっ、いや、あの、できればでいいんだけどなっ!?」
 動揺丸出しの声だ。
 それに、俺は頬杖をつきながら──シミジミと呟いた。
「……お前、ほんと、昔からレヴァには弱いよな。」
「うっせぇっ! お前だって人のこと言えないだろうがよっ!」
 呟いたと同時、カンダタが──言うと同時に俺自身も思ってしまったことを、叫ばれてしまった。
 あぁ、そうだよ。
 どうせ俺も、レヴァには弱いさ。
 軽く肩を竦めて、俺は自嘲めいた気持ちを抱く。
 そうだ──その程度の自覚なら、遠い昔からあったさ。
 そもそも、俺が盗賊になる道を選んだのは──武道家になるのは、性に合わないと思ったことと、僧侶の道なんて冗談じゃないと思ったのもあるけれど。
 どうしても、と思った根本的な理由は──悟りの書を探すこと、だったからな。
 レヴァの将来の夢は、命の恩人のように、僧侶の呪文も魔法使いの呪文もつかえる──スペシャリストのような存在になること、だ。
 後に、アリアハンのリィズの祖父……シャハールの言により、レヴァの命の恩人こそが、シェーヌの父親のオルテガその人で──更に言うと、レヴァが盗賊に襲われたことの後始末に、シャハールたちも関わっていたことが分かったんだが、それはまぁ、さておき。
 レヴァは、元々生まれながらに魔力がない人間だった。
 だから、当然、僧侶になる道も、魔法使いのなる道も閉ざされていた。
 ──俺とカンダタは、そこそこ魔力があったから、育ての親でもある神父さまは、ことあるごとに「貴方達は、性格はとにかく、神の御力を宿しているのですから、回復魔法を覚えて、神の道を進んでみてはいかがでしょう」と薦めてきたが、やっぱり、性格が向いてなかったら、無理だと思う。
 実際、俺もカンダタも、神の道とは程遠い道を選んだしな。
 で、性格的に一番向いているはずのレヴァは、魔力がからっきしだった。
 普通、魔力が宿っている人間のほうが少ないんだから、それが当たり前なんだけどな。
 そんなレヴァが、オルテガさんのような存在になることを夢見るのは、ただの無謀でしかなかった。
 けどさ。
 俺は──どうしても、レヴァの望みをかなえてやりたかったんだ。
 魔力のない人間でも魔法が使えるような術。
 そんな奇跡のようなことは、きっと、古代からの伝説とか、そういう中にあるに違いないと、そう思ったから、俺は──トレジャーハンターになろうと、そう思った。
 そうやって──悟りの書という存在を知って。
 どうしても、それを、手に入れたいと、思った。
 カザーブを抜け出したときに、カンダタと手を組んだのは、アイツがロマリア大陸で一番、そういう裏の道に近い人間だったからだ。
 結局、カンダタはそういう宝探しよりも、強奪のほうが楽しかったらしくって、そればっかりしようとするから……付き合い切れないと、離れたのだが。
 そんなことを、何とはなしに思い出していたら、突然、カンダタがポンと手を叩いた。
 また、何をくだらないことを思いついたのだろうと、チラリと視線をよこせば……、

「今まで会って来た美女の数で勝負だっ!」

 考え付く以上の、バカらしい提案をしてきた。
──ありえない……このバカ。
 思わずポカンと見上げたら、カンダタは自信満々に説明してきやがった。
 アホだ、本気でアホだ。
「有名な美女に、今まで何人会ったことがあるか! その数で勝負しようっつってんだよっ! 三大美女に会ってたら、得点は10倍で行くぜっ! これなら、今すぐに決着がつくし、美女の話も聞けて俺も嬉しいだろーがっ! んっ、いいアイデアだなっ、さすが俺っ!」
 もちろん、呆れたのは俺だけじゃない。
 レヴァも、心底呆れ果てたような顔をしていた。
 ──っていうか、美女で勝負って……本当に意味がわからない。
 どうせカンダタのことだ。
 勝負うんぬんのことはさておき、船長達の美女話に加われなかったことを根に持ってやがるんだ。
 地上の美女のことなら自信があるかもしれないが、アレフガルドの世界の美女のことは、アリシアとラダトームの王女と酒場の娘くらいしか分からなかったのが、相当悔しかったんだろう。
 だから今、俺相手に憂さ晴らししようと思っているに違いない。
 ……バカだ。
 本当に、わかってはいたけど……バカだよな、こいつ。
「なーにを言ってやがるんだ、レヴァもイファンも! てめぇらも、欲望厚い男だろうがよっ! 美女って言ったら、目の色変えやがれっ!」
「……美女、と言われてもな……。」
 はぁ、と溜息すら吐きたい気持ちで、イファンは冷めた気持ちで興奮しているカンダタを見やる。
 思い浮かんだ「美女」は、数多く居る。
 その中でも真っ先に思い浮かんだのが、「美女」とはいえないリィズだった辺りが、どうかと思うんだが。
 シェーヌだって、見た目だけは美女だし。
 ティナだって美少女だ。
 カザーブの孤児院に居た妹分の中にも、美少女と呼べる女の子は3人居た。──まだ10歳だったのに、嫁にほしいという好事家が居て、神父様が困っていたっけな。
 近場で言えば、今は一緒にパーティを組んでいるアリシアも美女だ。
 そんなことを思い出しながら、カンダタのアホなたわごとを適当にあしらいながら、ウィスキーグラスを手元に引き寄せた。
 カンダタのバカな自慢話も、酒の肴くらいにはなる……かもしれないしな。
 そう思っていたら、案の定、ヤツは、指折りする勢いで美少女の名前を挙げだした。
 ほんと、予想に違わないヤツだよな……、このアホ兄貴分。
「例えば、ノアニールのアンって言う美少女だろ〜。」
「……それ……、美少女って言うか……。」
 レヴァが突っ込むのを聞きながら、俺はチラリと彼を見やる。
 呆れたような顔のレヴァは、その言葉の先を口の中に噤んだところだった。
 カンダタはそれに気づいていない様子だ。
 ──ノアニールの、アン。
 聞いた事がない名前だ。
 俺達がカザーブに住んでいた頃、時々、ノアニールまで仕入れに行くことがあったが──教会の用事とか、村の人に頼まれて、とか。
 それでも、アンという名の女には、会った記憶がなかった。
 なのに。

──なんでレヴァが、その名前を知っているんだ?

 今のレヴァの反応は、明らかにノアニールのアンという少女を知っているという口調だった。
 どういうことだ? 俺が知らない女を──いや、そりゃ、旅先で彼が会った人を俺が知っているわけじゃないから、それに関しては仕方がないことなのだが。
 けど、ノアニールだったら……レヴァが知っていて俺が知らないはずはない、と思うんだが。
 カンダタが知っていて、レヴァも知っているのに、俺が知らない。
 それは──ムカつくな。
「んで、ロマリアの第一王女、テセラ姫だろ〜。」
 そんな俺の心情に、全く気づくことなく、カンダタは次の女の名を口にする。
 ああ、この女なら俺は知っている。
 思うと同時、俺は口を出していた。
「あれは微妙だろ……。」
 自然と鼻の頭に皺が寄る。
「アッサラームの踊り子、ビビアンだろっ!」
「あれは、ただ化粧で綺麗に見えてるだけだろーが。」
「あぁ、ぱふぱふ娘も、なかなか美人だったな……ふへへ。」
「あんた、昔から、ああいうのが好きなタイプだよな。」
「ポルトガのサブリナって女も、美人だったなー。
 夜も過激で、別嬪さんでよ!」
「お前、恋人がいようがいまいが、関係なしだな。つぅか、アレは夜は猫だろーが。」
 次々に口に出される女の名前に──そのどれもこれもが知っている名前だったから、考えるよりも先に口に出していた。
 いや、考えるよりも先に、というよりも──アレだな。

 俺は……レヴァの口から、女の感想が出てくるのなんて、聞きたくなかったんだ。

 カンダタが次々に口にしていく名前に、レヴァが口を挟む間も与えず、突っ込んでいく。
 というか、カンダタのヤツ……本当に、どこに立ち寄っても、女のチェックしてるんだな。
 まぁ、それを知ってる俺も俺だとは思うんだけど、な。
 そうこうしている間に、話題はイシスの女王の方へ移った。
 ……イシスの女王。
 名前も聞いた事はあるし、絵画で見たこともあるが、実際に会ったことはない「世紀の美女」として有名な女性だ。
 美人という話題になれば、必ずと言っていいほど名前が挙がる人ではあるが──どうも、カンダタはその女王に会ったことはないらしい。
 かく言う俺も、1度も会ったことはないのだが──、そう言えば、ティナは、会ったと言っていたな。
 それも間近で謁見して、それはそれは見とれるほど美しかったのだと……そんなことを、延々と熱く語ってくれた。
 どうやら、イシスの女王は、ティナをシンパにしたみたいだが──それは、おいておいて。
 ティナが会ったということは……レヴァも、彼女に会っているということだろう。
────…………。
 ふと、気になった。
 絶世の美女と名高いイシスの女王に会って、レヴァは、どんな感想を抱いているのか、とか。
 …………………………。
 葛藤は、あったんだけど、な。
 そんなことを聞いて、どうなるんだとか。
 バカじゃないのか、だとか。
 思ったのは、思ったんだが。
「簡単に会えないわけじゃないだろ? 一介の冒険者が会えるくらいなんだからな。
 ──なぁ、レヴァ?」
 気づいたら……そんなことを口走っていた。
 ……俺は、本当に、アホじゃないのか……。
 突然話を振られた形になったレヴァは、パチパチ、と目を瞬く。
「え? ……あ、あ、うん。会ったというか、謁見の間で遠目に見ただけ、だよ?」
 その後、ニコリ、と笑ってはくれたが──その笑顔は、どこかぎこちない。
 コレは、何か隠してるな。
 イシスの女王に会った以外にも、何かあったことは間違いない。
 おそらく──シェーヌが何かしでかしたんだろう。
 それ以外にありえない。
 そう言えば、ティナがつけている星降る腕輪──アレは、イシスで見つけたとか言っていたのを聞いた覚えがある。
 アレ絡みの可能性があるな。
 あいつら──、本当に、運と勘だけで色々乗り切ってきてる割りに、お宝遭遇率が高いんだよな。
「あーっ、くそっ! 俺も、せめて一目くらいは見たかったよなーっ! んで、一晩、お願いしたかったぜっ!」
「──そういうことを企んでるから、謁見も出来なかったんじゃないのか?」
 悔しがるカンダタに、冷たく言い捨てた。
 何にしろ、レヴァの反応からすると、イシスの女王相手に、ティナみたいにシンパになった、ということはなさそうだった。
「で、レヴァ? どうだったんだっ!?」
 ウキウキした様子で、カンダタは鼻息も荒くレヴァに近づく。
 その距離が、また異様に近い。
──カンダタ、お前、なんだかんだで、レヴァに近づく距離が、短すぎやしないか?
 思わずウィスキーグラスを、再び飛ばしそうになってしまったが、そんなことをしたら、またレヴァに怒られるのは必至。
「だーかーらっ! イシスの女王は、どんだけ美人なのかって聞いてんだよっ! どうだ? リィズちゃんとだったら、どっちのが美人だったっ!!?」
 疲れたような様子を見せるレヴァの肩を掴んで、強引にカンダタから引き剥がしたくなりながら──俺は、自分の手元を見下ろした。
 グ、と拳を握り締めた手首を、もう片方の手で握り締める。
 この程度の接触は、カンダタにとったらなんでもない。
 そう、なんでもないことだし、過去にも何度もあったことだ。
 ──というかそれ以前に、カンダタは、俺にもあの程度の接触はする。
 元々、接触過多の男なんだ。
 だから、昔からのアレの行動に、目くじらを立てる俺が、おかしいわけで。

 なのに。

「兄さん、ツバが跳ぶよ……。」
 鼻が触れそうなほど間近に近づけられた顔に、イヤそうな顔を見せるレヴァの言葉と顔が、……あの呪いの「本」を思い出させるのだ。


『カンダタが、唇が触れ合いそうなほど間近に、顔を寄せる。
 「なぁ、レヴァ。お前……本当はイヤなんかじゃ、ねぇんだろ?」
 ニヤリ、と唇を捲って笑うカンダタに、レヴァは顔を背ける。
 「そんなこと──……。」
 そ、と睫を伏せるその顔は、憂いと──かすかな期待に満ちているように見えた。』


 ……だから、俺。
 あの本の内容を、思い出すのは、辞めろって。
 卑猥な本の内容を思い出させる構図から、無理やり視線を外そうと思い、ひとまず、
「噂ほど綺麗じゃなかったのか?」
 レヴァに向かって、話かけてみた。
 するとレヴァは、カンダタの頬を無理やり押しのけながら、困ったように眉を落とす。
 その目は──俺の方を真っ直ぐに見ている。
「ううん、綺麗は綺麗だったんだけど──リィズと比べて、って云われると、困るな、って思って。」
 比べようがないんだ、というように、へにょりとレヴァは眉を落とす。
 そんなレヴァの言葉に耳を傾けながら──俺がこのとき思っていたことを聞いたら、レヴァはきっと、怒るだろうな。
 というよりも──十中八九、引く、だろうな。
 実際、俺も、考えた瞬間、引いた。
 思いっきり、引いた。
 これは絶対に、口に出してはいけないことだと、心底思った。
 心ひそかに狼狽しながら──けれど綺麗にポーカーフェイスでそれを隠して、何もないかのように話を続けていく。
 けれど、心中は複雑だ。
 うすうす、な。
 感づいては、いたんだ、俺も。
 俺の──レヴァに対する気持ちは、幼い頃から一緒に生まれ育った兄弟へのそれだと言いきるには、少しばかり……重い気がする、と。
 上の世界に居る時は、幼馴染で弟で親友で、将来一緒に夢をかなえることの出来る唯一だから、大切に思うのは当たり前だと、頭から信じていたんだがな。
 レヴァと共にする時間が増えるにしたがって、イライラすることが多くなって。
 ある日、ふと、気づいた。
 俺の──レヴァに対する気持ちは、そう簡単な言葉でくくれる物じゃないってことが。
 ──ま、カンダタ辺りに言わせれば、「その複雑な気持ちこそ、『 』だぜっ!」とか、簡単にくくってくれそうだけどな。
 けど、俺はそう簡単に割り切れないんだよ。
 当たり前だろ?
 だって、レヴァは、幼馴染で、弟で、親友で、相棒になる予定なんだ。
 いくらなんでも──そりゃないだろ。
 そう、だから、それは絶対にない。
 ない、はず──なんだけどな。
 そろそろ、そうやって自分に言い聞かせるのも、限界になってきた。

 いや、いくらなんでも、たかが10日やそこらで、自分の心に蓋をしたり、見て見ぬフリをする限界が来るはずがないんだ。

 問題は、そうするのに無理だと思うような展開が、いくつかあるということで。
 ──ちなみに、その中の一つに、「其れは真空の刃」とか言う本の存在があげられる。
 これは、俺とレヴァのふるさとであるカザーブのおばさん連中が、ありもしない妄想を色々とでっち上げた代物なのだが──これの存在が、そもそも始まりだった。
 最初は、「バカかっ!」だとか、「何だコレは……」だとか、脱力と怒り以外の何物も覚えなかったんだけどな。
 ふとしたときに──さっきみたいに、本の中のワンシーンが浮かんでくることがある。
 ──っていうか、俺達にしてみたら、ああいう普通にしか見えないシーンも、あのおばさん達にかかったら、あんな風に変換されてるって言う事実が、物凄くもの哀しいんだが、それはさておき。
 あの本の存在と──そうして、あの本の中にも「イファンの最大のライバル」として登場してくるカンダタの存在だ。
 あれが悪い。
 あれさえなかったら……俺は、こんな形で自覚することなど、なかったというのに。
 いや、もしかしたら一生、この気持ちがそういう類のものだと、気づくことすらなかっただろうに。
 ほんの少しウンザリしながら──あぁ、本当に、俺はバカだな、と。
 カンダタを軽くあしらいながら、そんなことを考えた──まさにその瞬間だった。

「まーさーか、お前らっ! あの本みたいに、実はデキてるとか、そういうオチじゃねぇだろーなっ!!? あぁんっ!!?」

「ぶっ!!」
 想像もしなかったことを言われて、思いっきり噴出した。
 あの本……って、まさか、あの本のことか……っ!?
 ちょうど今考えていたばかりだったから、そらっとボケることも、何もなかったかのように振舞うことも出来なかった。
 ぐい、と手の甲で吹き飛んだウィスキーを拭き取りながら、俺はジロリとカンダタをにらみつけた。
「……お、おま……っ、あの本って……まさか……っ!?」
「そはしんくうのやいば、だったか? あっはっは、カザーブのおばさんどもも、おっもしれーよなーっ! いい趣味してやがるぜっ!」
 ぶわっはっはっはっ! ──と笑い飛ばして、カンダタはさも面白そうに腹を抱える。
「見たのっ!? カンダタにいさん、アレ、見たのーっ!?」
 レヴァも悲鳴をあげて、その場にガバッとしゃがみこんだ。
 分かる、その気持ちは分かるぞ、レヴァ。
 俺だって、カンダタの前でさえなかったら、この場に膝を突きたいくらい……最悪な気分だ。
「いんや、実物は見てネェけど、ティナから聞いたんだよ。」
「……ティーナー……っ。」
 ありえない……本気でありえない。
 俺は、今すぐにでもティナの頭を叩きたい気分になるのを、必死で堪えた。
 何を考えて、あいつは、よりにもよってカンダタにそんな話をするんだっ!
 そんなことをしたら、こいつは、面白がって延々とこのネタでからかい続けるに違いない!
 いや──それで済むなら、そう問題はない。
 問題は、俺だ。
 今までなら──自覚のない前なら、どれだけカンダタにからかわれ様と、何も問題はなかったんだ。
 気にもしなかっただろうし、バカか、の一言で鼻で笑って終わりだったからだ。
 けど……今の俺は、違う。
「わっはっはっは、お前ら、マジで早く恋人見つけないと、大変だぞーっ。」
 バカ笑いするカンダタを殴り飛ばしたい気持ちになりながら、俺は震える拳を片手で押さえつけた。
「うるさい。」
 あぁ、もう、本当に……腹が立つ。
 カンダタは今、単なる冗談だと思って笑い飛ばしているのだろうが──俺にとったら、そんな状況じゃない。
「つぅても、お前らに出会いなんてものが、そうそうあるわけねぇしなー? 仲間内で見つけたほうがいいだろうよ。」
 さもないと、また、あーんな本が作られるぞ〜、と、他人事のようにカラカラと笑うカンダタに、俺は手の平で顔を覆った。
 そうしないと、俺の微妙な表情を見抜いて──アイツは、気づいてしまうに違いないからだ。
 そういうところは、妙に聡いんだ、こいつは。
 俺が自覚がない時なら、「おまえ、ほんっとブラコンだよなー」と、人のことをいえないくせに、そういって終わらせてくれただろうが──今は、マジで洒落にならないんだ。
「勝手なことを言うな。」
 声も、なるべく不機嫌にして作れば、カンダタは不満げな表情になった。
「なんだよ、心配してやってんだろーが。
 で、イファン? てめぇ、シェーヌとティナとリィズとアリシアちゃんなら、誰が好みだ?」
「……なんでそういう話になるんだ?」
 何が何でも、そっちに話を持っていく気かと、俺はウンザリした気持ちでカンダタをにらみつけた。
 照れるな、照れるな、とカンダタは明るく笑い飛ばしてくれたが──俺は笑える状況じゃなかった。
 こんな話をいつまでも続けていたら、今の俺が──誰を心に住まわせているのか。
 いや、ずっと昔から、気づかなかっただけで、俺がずっと「レヴァ」を心に住まわせていたことが、すぐにバレるじゃないか。
「やっぱ、身近な人間とのほうが、恋に落ちやすいだろ?
 今まではそう思って無くても、これから女と思えばいいんだよ。
 で、どーよ? シェーヌなんか、いい女だろ?」
 ん? と、顎を軽くしゃくるカンダタに、俺は、心の奥底から溜息を零したくなった。
「シェーヌを女と思えるお前がスゴイと思うぞ。」
 そこは感心する。
 ──というよりも俺は、むしろ、どっちかと言うと……アレだ。
 あまり言いたくないが──、シェーヌには、女としてと考えると、むしろ……嫉妬が先に立つ、っていうか。
 ──……あぁっ、くそっ!
 気づかなかったら……気づきさえしなかったら、こんな感情の名前なんて、知らないままだったのに。
 胸の中にわだかまるイライラから、アホなことを言い続けるカンダタをあしらうことで、無理やり目を背け続けることにする。
 こういう時は、こいつのアホさ加減も便利なんだよな。
 とは言うものの、油断をするわけにはいかない。
 コイツ……こうやって興奮して話してるように見せかけて、話してる相手の状況を、よーく観察してるからな。
 少しでも隙を見せたら──俺が抱える鬱屈に気づくに違いない。
 特に! こと、色恋に関しては、呆れるくらいに聡いところがあるからな……コイツ。
 普段は男同士なんて思いもつかないから、考えつきもしないだろうが、今は──「あの本」の存在もある。
 油断は禁物だ。
 こういう察しのよさを、他に持っていけ、って言うんだ。 
「おっ、ってことは何だ? お前、パーティの女の中じゃ、ティナが一番好みってことか!」
 ぽむ、と手を打つカンダタに、俺はますます脱力感を感じた。
 なんで、そうなるんだ……。
「なんだー、お前、ティナみたいな、元気で明るくて可愛いのが好みだったのかっ! それならそうと言えよー? 俺とかぶらなくて安心したぜっ! なんなら俺、協力してやろうか? ん??」
 嬉しそうな──心底嬉しそうな声で、「これで俺も、弟分の面倒を見てやれるなっ!」と続けるカンダタに、俺は何も言う気が起きず、ウィスキーを飲み下す。
「元気で明るくて、可愛い、な。」
 カンダタの言葉を小さく口の中で繰り返して、確かにな、と俺は思う。
 そういうタイプの女の子が好きだというコは、確かに多い。
 俺も昔、情報収集のため、口の堅い男相手に、女を雇ってスパイ活動をさせたことがあるから、分かる。
 特に口を割らすことが上手かったのが、元気で明るくて可愛いタイプだ。
 まさか誰もが、そんな女の子がスパイをしているなんて思わず、ついポロリと口にしてしまうらしかった。
 それを思えば、確かに、
「……まぁ、確かに相棒とするには、ティナみたいなタイプが一番かもな。」
 とは言うものの、ティナに、スパイ活動なんていうチマチマした行動は、全く、似合わないけどな。
 っていうか、できないだろ、アイツには。
 一瞬でそう思った俺に、
「やっぱりお前、ティナが本命かーっ!!!」
 よっしゃーッ! ──と。
 カンダタが拳を突き上げて、大声で宣言した。
「いや、誰もそんなこと言ってない。」
 キーン、と頭に響くかと思うほどの大声に、俺は疲れた気持ちで突っ込んだ。
 しかし、カンダタはそれを聞きもしない。
 ──どころか。
「よし、レヴァ、イファンはティナが本命だぞっ!
 で、お前はどうなんだっ?」
 えっへん、と胸を張って問いかけやがった。
「──……っ。」
 一瞬、俺は息が止まるかと思った。
 こいつ……もしかしなくても、俺がレヴァが好きだってこと……気づいてるんじゃないのかっ!?
 心ひそかに動揺する俺に気づかず、カンダタは期待に満ちた目でレヴァを見つめている。
「──……ぇ?」
 レヴァはというと、何を言われたのか分からない顔で、パチパチ、と目を瞬き、カンダタを見上げていた。
 そんなレヴァに焦れたのか、
「だーかーら、お前だよ、お前っ! お前は、パーティメンバーで誰が一番好みだっ?」
 カンダタは更に言葉を重ねた。
 その言葉に、俺は正直、耳を塞ぎたくなった。
 レヴァの顔すら見れないというのが正直な気持ちだ。
 ──っていうか、見れないだろ、普通。
 ここでレヴァが素直に言っても困るし、言わなくても──微妙な気持ちだ。
 なのにカンダタと来たら、
「さ、お兄ちゃんに、素直に吐いてみなさい。」
 複雑な気持ちになっている俺に、全く気づかぬ様子で、レヴァの肩を叩く。
 ──っていうかお前、素直に吐いてみなさい、って……それ、兄が言うセリフじゃないだろ。
「お前、兄顔するのは、いい加減に止めたほうがいいんじゃないか?」
 本気で迷惑だ。
 そう思いながら、ウンザリ気味にそう告げれば、レヴァは困ったような顔をチラリとこちらに向けてきた。
 その視線の中に、助けを求める色があるのに気づいて、俺は、苦笑めいた色を浮かべる。
 レヴァは小さく笑みを浮かべると、
「……ごめん、カンダタ兄さん、イファン。」
 カンダタの声には何も答えることなく、ゆっくりと椅子から立ち上がった。
 そのついでに、自分の肩に乗ったカンダタの手を軽く払いのけて。
「俺、ちょっと──、これから先の航路のことで、船長に相談しに行きたいから、もう行くね。
 最後まで付き合ってあげられてなくてゴメン。」
 どう考えてもコレは、カンダタの質問から逃げるための口実だ。
 それ以外に何もない。
 それが分かっているからこそ、カンダタはこの機会にと、レヴァから聞き出そうとする。
「なんだー? レヴァ、そんなの、明日にしとけよ。
 今は、お兄ちゃんに恋愛相談のコーナーだぞー。」
 しかし、レヴァは困ったように微笑んで緩くかぶりを振る。
「そうは行かないよ。
 もう時間が遅いし──早く相談に行かないと、船長が寝ちゃうだろ。」
 引き止められる前に、と、慌てて踵を返すようにして扉に向かっていくレヴァに──俺は、なんとも言えない気持ちになりながら、先ほどレヴァが助けを求めるようにコッチを見たのを思い出して、
「そうだな。早く相談しておかないと、この間のように海の果てを見ることになったら、たまらないしな。」
 サラリとイヤミを織り交ぜて、皮肉めいた笑みと共に、チラリ、とカンダタを見やった。
 途端、カンダタは俺の思惑通り、あっさりと誘いに乗ってこっちに向かって叫び出す。
「んっだとーっ!? そりゃ、イヤミかっ! イヤミか、イファンーっ!?」
 酒が入っているせいで、余計にカッカしやすいんだろうな。
 いつもよりも簡単に挑発に乗ってきやがる。
 俺はカンダタの意識がすべてこっちに向くように意識しながら、ふふん、と鼻で笑ってやった。
「さぁ? どうだろうな?」
 それと同時、俺は素早くレヴァに目配せをする。
 行け、と。
 今のうちに──カンダタが引きとめない今のうちに、部屋から出て行け、と。
 レヴァはすぐにその意図に気づいて、俺に小さく笑みを見せた。
「──……ありがと、イファン。」
 唇だけの動きで、そう囁くのに、どういたしまして、と言うようにかすかに目元を緩めれば──、
「ありゃぁな、お前らが海の果てを見たいなんていうから、俺が気を利かせてだなーっ!」
 叫ぶカンダタの目が、俺に問いかけていた。
 それに視線を戻しながら、俺は無言でその「問いかけ」を綺麗に無視する。
「いや、それはありえないだろ。
 っていうか、誰が一体、いつ、そんなこと言ったんだ?」
「言ってなくても、俺は兄分だからなっ! それくらい気づくんだよ!」
「どうせ、本当はお前が見たいと思ってたんだろ。」
 軽い応酬をしながらも、カンダタの目は、「なんでレヴァを逃がすのに手を貸すんだ、お前はっ! お前も兄貴分なら、レヴァの恋に協力しやがれ!」と叫んでいた。
 それが分かる程度にカンダタの表情が読める自分がイヤだ。
 というか、カンダタ? お前も兄貴分なら分かるだろうが。
 レヴァは、そういうのを嫌うってことがな。
 耳にかすかに、パタン、という音が聞こえた。
 レヴァがドアを開けて出て行ったのだろう。
 普通なら聞き逃してもおかしくないくらい小さな音量だったが、俺もカンダタも「盗賊耳」を持っている。
 当然、レヴァが外に出て行ったことにはすぐに気づいた。
「おめぇは、そういう気配りができネェから、モテねぇんだよ! ティナと上手く行きたかったら、もっと気配りを持てっ!!!」
「うるさい……、耳に響くだろうが。」
 うざい、と、顔を顰めて答えれば、カンダタは、チッ、と大きく舌打ちした。
 かと思うや否や、忌々しそうな顔で、ジロリ、と俺を睨みつける。
「んで、どういう了見だ、イファン?」
「何の話だ?」
「なんで、俺がレヴァの可愛い恋愛相談をしてやろうって言うのを、邪魔しやがる?」
 可愛い恋愛相談、ね。
 その単語に、鼻で笑いそうな気持ちになりながら、俺は、ヒョイと肩を竦める。
「お前だって気づいただろう? レヴァは困ってただろ?
 ──だからアンタも、俺の助け舟にあえて乗ったんじゃないか。」
 違うか? と、チラリと視線をあげれば──なぜかカンダタは、渋面で俺を見ていた。
 その表情は、いつものケンカを売るようなものでもなければ、はたまた、迷惑にも兄貴分ぶった表情でもなかった。
 なんていうか──困ったような、どうしたらいいのかもてあましているような、そんな顔だった。
「……おりゃ、そんなつもりで、お前の口車に乗ったわけじゃねぇ。」
「は?」
 どういうことだと、顔を歪める俺に、カンダタはガリガリと自分の頭を掻いた。
「なんだよ……もしかしておめぇ、無自覚かよ。」
 ったく、やってらんねぇ、と零すカンダタに、俺はますます意味がわからなくなって──いや、もしかして、という思いが頭をもたげた。
 けど、それを……俺は、認めたくはなかった。
 だって──……まさか、今のやり取りで、カンダタに気づかれたなんて……そんなこと、あろうはずがないじゃないか、と。
 けれど、カンダタは、そんな俺の舌打ちしたいくらいの失態を認めるように、
「俺が、さっきレヴァに聞いたときによ……てめぇ、聞きたくないって顔しただろ?」
 参ったよなー、という顔で、俺に言う。
 その内容に──俺は、とっさに言い訳をしようと……いつもの皮肉めいた口調でなんでもないことに、口先で丸め込むつもりで口を開いたが、それよりも早く、
「まさか、と思ってな──煽るように言ってみたら、案の定、お前、釣りあがっちまった。」
「──……。」
 しまった。
 くどいくらいにレヴァに「教えろ」と言っていたのは──アレは、単なる興味とか、レヴァへのおせっかいからきた迷惑な行為じゃなく。
 カンダタの……俺の感情を量るための、「トラップ」か!
 悔しさのあまり──それを見抜けなかった自分の失態に、歯噛みをしたい気持ちになったが、そんなことをしては、トラップに嵌った末の結果を「真実」だと告げることになる。
 そ知らぬ顔で──ポーカーフェイスで、俺はカンダタを不審そうに見上げる。
「何を言っているのか、分からないな。」
「ばっくれんじゃねぇ。
 俺の目は節穴じゃねぇんだよ、イファン?
 お前はずっと一人で行動をしていたからこそ、わかんねぇだろうけどな? 俺は……多くの子分どもを見てきてる。
 そういう機微に関して、お前は俺に勝てねぇよ。」
 ジトリ、と、俺を見据えるカンダタの声と視線に──その心の奥をも見透かそうとする視線に、俺は、視線をずらすことすら出来なかった。
 あぁ、クソっ!
「さすがにレヴァに聞かせられねぇかんな──。」
 まったく、参ったぜ──と、カンダタはあからさまな溜息と共に、ガリガリと頭を掻いた。
 その言葉に、カンダタがわざと俺の挑発に乗って、レヴァを部屋の外に「逃がした」のだと知って、ムカついた。
 コイツのこういう所は──本人に言いたくないが、さすがだとは思う。
 思うが──その対象が自分となると、やっぱり、素直に感嘆は出来ないんだよ。
「何が言いたいんだ、カンダタ?」
 さっき口にしたのと、ほぼ同じセリフだ。
 けれど、そこに含む意味は全く違う。
 バッくれるつもりではなく──「それを知った上でどうするつもりだ」という意味で、問いかけた。
 それに、カンダタは眉を寄せては、片方の眉を落として、苦々しい顔になる。
「俺はな、お前もレヴァも、おんなじくらい可愛いんだ。」
「──……。」
 困ったようなカンダタの言葉は、おそらく本気なのだろうと分かる。
 真剣なのだろうとも。
 しかし。
 その言葉は──正直、俺の両腕に、思いっきり鳥肌を立てた。
 か、可愛いって……おまっ!
 ゾクゾクと背筋が震え、気持ち悪さに吐きそうにすらなった。
 そんな俺を一目見て分かったのか、カンダタはイヤそうな顔になると、
「お前がレヴァに抱いてるよーな想いじゃねぇぞ?」
「そんなこと、言われなくても分かってるっ!」
 とっさにそう叫び返して──あぁ、と、俺は気づいた。
 カンダタのヤツが──完全に気づいているのだということを。
「とにかくまぁ……、俺は、そういう気持ちは分かんねぇけどなー。
 ……なぁ、イファン?」
 なんて言ったらいいんだろうな、とカンダタはブツブツ零す。
 子分達だって、男所帯だったが、こんなことにはならなかった。
 まさか……あんなにカワイイコが揃っているのに、なんだって、俺の大事な弟分ときたら……。
「グチグチ言ってるくらいなら、はっきり言え、カンダタ。
 男らしくないぞ。」
 口を歪ませてそう告げれば、カンダタは何か言いかけて──口を歪めた後、結局、
「ま、しょうがねぇわな。
 お前が好きっつぅんなら、好きなんだろ。」
 ヒョイ、と肩を竦めて、それで終わりにしてしまった。
 あまりにアッサリとした結論に、聞いた俺のほうが顔を歪めてしまったくらいだ。
「──……カンダタ?」
「まっさか、あの本の内容が本当だとはなー。」
 腕を組んで、そんなことを呟くカンダタに、俺は頭痛を覚えて頭を抑えた。
「いや、違うだろ、ソコんところは。」
 というか。
 額を押さえたまま、俺はカンダタを見上げる。
「あんた……いいのか? 俺が──……。」
 その先は、さすがに口に出来なくて濁した。
 思わずそのまま目線も下げた俺に、カンダタはと言うと、あっけらかんと、
「いいもなにも、だってよ、こういうのは本人同士の問題だろ?
 俺が口を挟んでも、てめぇもレヴァも、聞いてくれやしねーだろ?
 なら俺は、んな面倒なことはしねぇ! むしろ、そんな所に労力を使ってるくらいなら、いい女を口説くなっ!!」
 ぐっ、と拳を握ってまでの力説だ。
 最後の部分だけ聞いてると、アホじゃないのか、とか──思わないでもないんだが。
 カンダタの、こういう心の広さが、子分どもが集ってくる理由なんだろうな。
 ま、他の部分は、どうかと思うところばっかりだがな。
 けれど──今は、そういう心の広さに助かったのは確かだ。
 だから素直に、カンダタには礼を言っておくことにする。
「レヴァに気づかれないようにしてくれたことには、感謝しとく。」
「おぅ! もっと大々的に感謝しとけ!」
 ──ほんと、こういうところがなかったら、いい兄貴分なんだろうけどな。
 はぁ、と溜息をわざとらしく零した俺に、そりゃどういう態度だっ、とカンダタが噛み付くように怒鳴ってくる。
 そのまま、ドカドカと荒い足音を立てて近づいてくるカンダタに絡まれるのだけはゴメンだったから、俺はレヴァに倣って、スルリと椅子から立ち上がると、彼が近づいてくるルートと反対ルートから、部屋の扉へと近づいた。
 本当に、言いたくはないことだが──カンダタは、こう見えて、「俺とレヴァには甘い」方だ。
 というか、懐に1度入れた人間には、とことん甘くなる性質だ。
 物凄く認めたくはないが、俺も、カンダタの「懐の中の人間」に数えられている。
 だから──俺が、つい最近自覚したばかりのこの感情について、あいつは、誰かに面白半分に言うことは、絶対にないことだけは分かっていた。
 相手が本当にティナやシェーヌなら、面白がって言うだろうが──相手が相手だ。
 あいつは、だから、このことは絶対に口にしない。
 レヴァを悩ませることは、本望じゃないだろうしな。

 とは言うものの、あいつも迂闊だから、うっかり口を滑らせることはあるだろうから──その辺りは、要注意だがな。

「おい、イファンっ!」
「あんたに説教されるのはゴメンだ。」
 俺はもう部屋に戻る、と。
 扉に手をかけて、振り返りながらそう言えば、カンダタは物凄く微妙な顔で──自分の目の前に指を一本立てて、まるで念押しをするように、俺にこう言った。

「一つだけ約束してくれ、イファン。
 同室だからって、あの本みたいに……レヴァに無理強いすることだけは……──っ。」

 ヒュンッ──……がごっ!!!

「てめぇ、一回、脳みそ洗ってきやがれっ!!!!」
 思わず手近にあった花瓶を引っつかんでカンダタに投げ飛ばしながら、叫んでいた。











 結局──カンダタには、思いも寄らないところで、悟られてしまったわけだが。
 俺が自分の感情の種類に気づいたのも。
 カンダタがその事実に気づいたのも。
 シェーヌがカザーブから持ち込んできた……「あの本」の存在のせいなんじゃないか?
 と、思い至ったら。
 なんだか急に、シェーヌの頭を殴りに行きたくなってしまったのは──もう、なんていうか、しょうがないことだよな?

 八つ当たりめいてるとはわかってるけどな?

 あぁ、まったく。










 心の中の禁忌に気づいた時には、その禁忌の只中に居た後だ、って言うのは。

 どうしたもんだろうな?







 なぁ?






 レヴァ







気づいた編っていうか……これ、気づかれた編って言わないですか??(笑)




ということで、ようやくお題にあった「其れは真空の刃」という本の伏線が、消化されましたよ!!!
 ↑あれ、伏線だったんだっ!!?


そうですv あの本は実は、「イファンの自覚」のきっかけだったんですねー、あはははは;

それに使われるまでに、ずいぶん月日を要したものです。

きっと、あの本を読んでからというもの、何気ないレヴァとカンダタの絡み(笑)を見るたび、イファンは一人、悶絶していたに違いありませんv アフォですねvvv





ちなみに、カンダタは完全にノーマルですので、あしからず。