俺の心の中には、近づいてはいけない場所がある。
それは、禁忌というほどの物ではないけれど──近づいてしまっては、取り返しのつかないことになる、そんな感情を仕舞いこんでいる場所だ。
踏み込んでしまってはいけない領域。
それに気づいてしまった時。
もう、後戻りはできなくなる。
賢者になってすぐの頃、アリアハンでリィズの祖父だと言う男と話をしたことがある。
魔法使いだと言うシャハールは、レヴァが賢者になったいきさつを聞きたがった。
そして──賢者になるための悟りの書を、ずっと幼馴染が探してくれていたのだと、そう告げたとき。
彼は、なんともいえない──鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした後、少し困ったように笑って、「まだ分からないだろうが」と、前置きして、こう教えてくれた。
『独占欲を抱くのは、悪いことじゃない。
けどな──それが子供の勝手なソレなのか、恋愛の絡んだ大人のソレなのかによって、受け取る相手にもずいぶん違って感じるものだ。
……お前のそれは、どっちだ?』
言われたときは、何のことなのか分からなかった。
独占欲、と言われても、そんなものを抱いたことなどなかったし。
子供の勝手なそれ、と言われて思い浮かんだのは、カザーブの孤児院の子供たちのことだ。
彼らは、お気に入りの玩具を、誰が取った、誰が勝手に使ったのだと、いつもケンカをする。
そのことはレヴァも心得ていたから──この年にもなって、そんな子供じみた独占欲など、抱えた覚えもない。
何を言われているのか分からない、と言った顔になったレヴァに、シャハールは大仰に驚いたように両目を見張ると──すぐに破顔をして笑って、こう続けてくれた。
『そうか、お前、無自覚か! ──なら、それに越したことはないだろう。
気づかないまま、立ち消えていく物もある。』
思春期だからな、と。
なにやら自分にも苦い経験があるのか、渋い表情でそういった後、シャハールは、気にするな、とレヴァの頭をポンポンと叩いて、会話を強制的に終了させてくれた。
その後は、何のことかと聞いても、一つも教えてはくれなかった。
でも。
気づいて、しまった。
無自覚だったなら、そのままにしておけばよかったのに──気づいてしまったのだ。
シャハールが、「だれ」に対する「独占欲」を、自分が抱いていると気づいたのか。
それも。
──この独占欲の種類が「なに」から来ているのか、理解すると同時に。
それは、己の心の内にある
ラダトームの東にある船着場を出て、1週間。
レヴァは、アレフガルドの地図と睨めっこをしながら、夕食後の、少しのんびりとしたひと時を過ごしていた。
ちょうど、少し前に紅一点であるアリシアが風呂に行ったため、部屋に残っているのは男三人だけであった。
カンダタは、いつものように夕食後のワインを手酌で楽しんでいたし、イファンは、そんなカンダタの語るとも尽きない話に、迷惑そうな顔をしている。
船の上の旅を始めて最初の日や二日目は、毎日毎日、良く理由を見つけてくるものだと思うくらい──部屋割りだとか、毎日の生活習慣だとか、それこそ地図の見方からワインの飲み方まで──、もめにもめてくれたものだけれど。
数日も過ぎれば、元々同じ屋根の下で暮らしていた気心からか、カンダタもイファンも、お互いの動向にそう気を尖らせることもなくなった。
そのおかげで、レヴァもゆっくりと地図を確認する時間を持つことが出来ている。
カンダタの、自慢とも失敗談とも分からない話を右から左へと聞き流しながら、レヴァはふと、地図から視線をあげて、イファンの顔を見た。
彼の正面の席に座るイファンは、机の上に置いたウィスキーボトルを、水で割りながら、チビチビと飲んでいるようだった。
カンダタが絡んでくるように時々話を振ってくるのが面倒なのか、時々うっとおしそうに顔を顰めているが、緊張した様子や、警戒している様子は見られない。
この船で旅をすることで、レヴァが一番心配していたのは、イファンだったのだが──カンダタは元々子分たちと寝泊りしていたから、見知らぬ他人とでもゴロ寝の類はできるけれど、イファンは神経質だからそうもいかない──、カンダタ相手のペースを取り戻したのか、三日目くらいからは、普通になっていた。
さすがに、おとつい──出港して5日目に、意気揚々と地図を持って船長に指示を出していたカンダタが、実は方角を見間違えていて、「創世途中の海の端」なんかを発見してくれた時は、甲板の上で罵詈雑言が飛び交ったものだけれど。
それもほんの数時間で済んだし。(ちなみに、数時間で済んだ理由は、「いい加減にしないと、バシルーラで海の向こうに吹っ飛ばすよ?」とレヴァが笑っていない目で微笑みながら脅したからである)
元の海路に戻す途中で、大きなイカの化け物と戦うハメになったこと以外は、そう大して大きな事件があったわけでもない。
この分だと、放っておいて地図に集中しても大丈夫だろう、と判断したレヴァは、視線を地図の上に戻し、自分たちのとりあえずの方向を視線で辿った。
進路は、ひたすら北に真っ直ぐ。
上の世界の航海と違い、日が昇ることもなければ沈むこともない──ひたすら闇夜に浮かぶ月と星明かりを頼りに、走り続ける。
この世界の夜は、大魔王ゾーマのもたらした「闇」と、精霊神ルビスが残した希望の「光」が混合して存在しているのだと言う。
けれど、封印されてしまったルビス神の力が弱まるにつれて、空にいつも浮かんでいた丸い月は、【夜】になると西の空に沈むようになり、今では季節によって欠けるようになった。
数え切れないくらい空に瞬いていた【星】もまた、月日と共にその数を減らしていったのだという。
だから、上の世界では一日の時間の頼りにしていた「太陽」に変わる存在が、この世界には存在しない。
月すらもうつろいやすく、必ず同じ時間に登るとは限らないからだ。
だから、この世界に着いて10日ほどになるが、未だに昼なのか夜なのか分からない。
先にこっちに到着していたカンダタに聞いても、腹時計だ、だとか、野生の勘だ、だとかしか言わないので、全然参考にならない。
かと言って、生まれたときからアレフガルドにいるアリシアに問いかけても、おっとりと首を傾げて、
「そうですね、やはり、星の配置ですわね。
不変ではありませんが、変わりにくいものですから。」
そう笑って教えてくれるのだ、が。
自分たちが生まれ育った世界とは全く違う空の色、星の配置。
その星を指差しながら教えてくれる内容は、全く知らないことばかりで。
時刻を教えてくれる星を覚えるのには、まだしばらく時間がかかりそうだった。
どこかに上陸するまでには、覚えたいものなのだが。
そう思いながら、レヴァは手にした地図を見下ろしながら、ふぅ、と溜息を零す。
指先で、つ、と今いる場所の辺りを辿り、それから北の方へと視線をずらす。
「ここ、が……北西の岬。」
もう少しすれば、灯台がある北西の岬が見えてくると、先ほど店長が言っていた。
これ以上北に行くと、海の果てしかないのだと言う印の明かりが灯っている場所なのだと言う。
ここに辿り着いたら、船は進路を東に取るのだ。
距離から考えるに、後3日から5日と言ったところだろう。
このまま天気が荒れなければいいのだけれど、と、レヴァがそう思ったところで。
「おっ、レヴァ、進路の確認か〜?」
がしっ、と、背中から太い腕がレヴァの首元に回ってきた。
思わず顎を反らして見上げれば、ハァ〜、と酒臭い息が真上から降ってきた。
思わずレヴァは鼻に皺を寄せて顔を顰めると、両手の平で間近に迫ってきたカンダタの顎を思い切り良く跳ね除ける。
「カンダタ兄さんっ! 酒臭いよっ!? どれだけ飲んだんだよっ!?」
険のある目つきで、ギッと睨みつければ、酒で仄かに赤く染まった顔で、にたり、と笑う。
「あははは〜、そう堅いこと言うなって。
どーせ、今日はもう敵なんか出やしないってよ。」
「またそんなこと、適当に言って……。」
全くもう、と、額に手を当てて溜息を零すレヴァに、カンダタは彼の背中に圧し掛かるようにして、右手でクシャクシャとレヴァの頭を掻き乱す。
「おぉーっ! なんだ、つーぎの目的地は、北西の岬──お宝場かぁっ!?」
上機嫌に喉を鳴らして笑いながら、わっはっはっは、とレヴァを強引に胸元に抱き寄せて大笑いするカンダタに、レヴァは、はぁぁ、と更に思い溜息を零す。
酔っ払い相手に無駄だとは思いながらも、自分の首から肩に回ったカンダタの太い腕を、ぽんぽん、と叩いて、
「お宝場じゃなくって、灯台だよ……。」
どうせ酔っ払っていて聞いてもいないのだろうけど、と思いながらも訂正しておく。
「それに、最初の目的地は、岬じゃなくって、マイラだってば。」
海路組の目的地は、マイラ──そして陸上組との合流点であるリムルダールだ。
情報集めをしながら、ゾーマがいる城へと向かう道を探すのだ。
「何が宝場だよ──……って、あ、そうか。」
離してくれるかな? と続けて言いかけたレヴァは、ふと先日のことを思い出した。
そうだ、そう言えば、船長が北西の岬にある灯台の話をしてくれた時に、一緒に教えてくれた話があった。
「……もしかして、それ……銀の竪琴の、こと?」
まさか、と思いながら問いかけたレヴァに、カンダタは大きく首を縦に振った。
「そそそ、それだよ、それ! かーっ! いいねぇっ! 銀の竪琴っ! んなでっかい銀の塊なんて──一体、盗み出したらいくらで売れることかっ!」
考えるだけで、ゾクゾクしてくらぁっ! ──と。
片手で持っていたワイングラスとワイン瓶をカチンと鳴らして、カンダタは興奮したように頭をブルリと振った。
「盗み出すって……カンダタ兄さん。」
何を言うんだと、レヴァは頭痛を覚えたように手の平で額を押さえる。
今日の昼間、船長が次に停泊する予定地である北西岬の灯台について、少し話をしてくれたのだ。
その時に出てきたのが、「銀の竪琴」という物の存在だった。
けれどそれは確か、お宝、とかそういう話ではなかったはずだ。
確か、その灯台の麓に、竪琴弾きのガライ、と呼ばれる青年が居て──彼は、その竪琴の音色で、モンスター達を宥め眠らせることが出来る腕前を持つのだという。
更に、気性の柔らかなモンスターならば、飼いならすことすら可能で──例えば、スライムベスとか──、それが故に、一部では「天性の魔物使い」とも呼ばれているらしい。
ただし、今は灯台の麓の家に居ることは少なく──年の半分以上を、ラダトーム大陸各地を旅しながら、モンスターの研究や格闘技場の経営などをしている人間に協力しているのだと言う。
そのガライという人が使っている竪琴が、──神話にある「精霊神ルビスが世界に残した、ルビスの愛用の品」の一つ、「銀の竪琴」だというのだ。
正直、その音色には興味があったが──むしろ、元山賊のカンダタと現盗賊のイファンは、彼が扱う世にも珍しい銀の竪琴、というのに興味が惹かれたらしく、そのことについて、船長にもっと詳しく話すようにと、せがんだくらいだ。
その時のことを思い出して、溜息を零すレヴァの背中に、カンダタは、ノシリともたれかかるように体重をかける。
途端に背骨が悲鳴をあげるような痛みを感じて、レヴァは窮屈そうに身をよじった。
「ちょっと、カンダタにいさん……っ。」
さすがに重いから、退いてよ、と──そう続けようとしたレヴァの言葉は、前方から飛んで来た声によって、掻き消された。
「何が銀の塊だ。お前は、物理的な値段でしか物が量れないのか?」
ハッ、と、鼻で笑って、イファンは冷ややかな冷笑を浮かべる。
挑発にしか思えない言葉に、酔っ払ったおかげで、導火線の短くなったカンダタが、カッとなって顔を跳ね上げる。
「あぁっ!? んだと、イファンっ!?」
日に良く焼けた頬に血を上らせ、酔いでにごった視線を向ける彼に、、イファンはチラリと冷えた視線を向けた。
「カンダタ、いい加減レヴァを離してやれ。身動き取れてないだろ?」
「うっせー、可愛い弟分を可愛がってんだよ。」
べー、と舌を出すカンダタに、イファンは軽く片眉をあげて──困ったように眉を落としているレヴァを見て、溜息を一つ零す。
「レヴァが潰れるだろ、お前の重みで。」
しっしっ、と、イヤそうに手の平で払いのけるような仕草をするイファンに、ハッ! としたようにカンダタは目を見開く。
そして、慌ててガバリとレヴァを解放すると、両肩をガッシリと掴み、
「レヴァーっ! 潰れてねぇかっ!? お前の大切な脳みそが、俺の重みで潰れちまうのかーっ!!!?」
がっくんがっくん、と激しく揺らしてくれた。
背後から、思い切り良くシェイキングされて、レヴァは迷惑そうに顔を顰めながら──それでも強引にカンダタを突き飛ばすことなく、抵抗は言葉だけにする。
「ちょ……ちょっとカンダタ兄さんっ。いくらなんでも潰れないから……っ。」
「お前が潰れちまったら……お前の脳みそが潰れて耳から出てきたら、ちゃんと詰めて戻してやったからなーっ!!」
今にも号泣しそうな勢いで叫ぶカンダタに──これはもう、酔っ払ってるよな、とレヴァはあきらめにも似た気持ちで、はぁ、と溜息を漏らす。
「カンダタ兄さん……落ち着いてってば。」
もー、と、ガクンガウン揺らされながら、説得してみるものの──声にも力は全くない。
そんなレヴァの代わりに、イファンが、やれやれと言った表情で、自分の目の前に置かれたグラスを取り上げた。
カンダタが、夕食後のデザート代わりにと、つい今の今まで水のように飲みまくっていたワイングラスとは違う、少し小ぶりのウィスキーグラスだ。
そして、それを手の平で持ち替えたかと思うや否や、表情も変えず、カンダタ向けて、指先だけで弾き飛ばす。
ヒュンッ──……ガコッ!
「あだっ!!!」
命中率も抜群の攻撃は、イファンの狙い通り、酔っ払ったカンダタの額のど真ん中に命中した。
首がガクンとのけぞり、カンダタは慌てて両手で自分の額を押さえる。
思い切りのいい音を立てたグラスは、そのまま跳ね上がり、ごんっ、とテーブルの上に転がり落ち、カンダタが持っていたワイングラスとワインは、ごと、と床の上に落ちた。
割れた音はしなかったが、ヒビくらいは入っていたに違いない。
「カンダタ兄さんっ!? 大丈夫っ?」
酔っ払いから解放されたレヴァは、がたんっ、と椅子を跳ね除けて立ち上がり、額を押さえたまま身悶えているカンダタの腕に手を当てて、彼の顔を覗き込む。
けれど、そんなレヴァに、イファンは涼しげな顔で告げる。
「放っておけ、レヴァ。頑丈な面の皮してるんだから、それくらいで怪我なんてするわけないだろ?
そいつには、これくらいしないと、酔いがさめないしな。」
しれっとした口調のイファンに、呻いていたカンダタの動きがピタリと止まる。
「……てっ……め、イファン──……っ。」
カンダタの分厚い唇が捲れ、低い……唸るような声が漏れる。
そんなカンダタに、イファンはわざとらしく音を立てて背もたれに体重をかけると、
「お前、酒を飲むと見境が無くなる癖、もう少しなんとかしろ。
さもないと──お前が冷静になる前に、ぶっ飛ばしたくなる。」
冷ややかな──凍りつきそうなほど冷えた視線で、カンダタをヒタリと見据える。
その視線に、カンダタはグ、と喉を詰まらせ──うぐぅ、と声にもならない声で、息を呑んだ。
カンダタにとっては、不愉快なことだが……表の世界でバラモスの城に乗り込める実力を持つイファンと、山賊の後も遊んでいたようなカンダタとの間には、歴然たる実力の差というものが存在している。
だからこそ──多くの死闘を生き抜いてきたイファンの、殺意すら含みそうな冷えた視線に、カンダタは気おされてしまったのだ。
何も言えず、むぐうう、と唇を歪めるカンダタに、イファンも不愉快そうに眉を寄せたところで。
はぁぁぁ、と。
レヴァは、緩く頭を振って、わざとらしいほどわざとらしく、溜息を零した。
そして、同じようにわざとらしく大きな音を立てて椅子から立ち上がると、カンダタの傍に転げ落ちたワイングラスとワインボトルを取り上げ、ダン、とテーブルの上に置いた。
「二人とも! 食器もタダじゃないんだから、乱暴な扱いしないように! ──って前から言ってるだろっ!?」
キッ、と、イファンとカンダタと交互に睨みつけて、レヴァは軽くテーブルを手の平でパンパンと叩く。
そんな彼に、ぐ、と二人は黙り込み、無言で視線を反らせる。
──なんだか、この光景……数年前のカザーブとかで、何度も見たような気がする。
妙な既知感を感じながら、レヴァは念を押すように、ジロリと二人の顔を睨みつけてから、音も高らかに椅子に座り込んだ。
「どうしてもケンカをしたいって言うなら止めないけど、勝負する方法は、もっと穏便な方法にしてよね。
釣った魚の数で勝負するとか、そういうので!」
このセリフ──そう、これも既知感がある。
カザーブに居たとき、きしむ教会の床に正座させた二人に指先を突きつけて、そう説教したのだ。
あれから何年も経っていて──自分たちは見た目も中味もずいぶんと大人になったはずだと言うのに、なぜ、一番変わっていてほしいことが変わらないのだろう。
なんだか情けない気持ちになってきた。
レヴァが眉を少しへの字に落とせば、カンダタはレヴァの機嫌を伺うように、ちらり、と上目遣いに弟分を見上げて、そろりと口を開く。
「けどよぅ、レヴァ……、俺ら、前にも言ったと思うけどよー?
盗賊なんだから、勝負すんなら、釣りの獲物とかじゃなくってよー、お宝の獲物とかで勝負してぇんだけどなー?」
「…………。」
レヴァがそう言ったカンダタに無言で視線を向ければ、彼はビクンと肩を強張らせ、顔の前で慌てたように両手を振った。
「いっ、いや、あの、できればでいいんだけどなっ!?」
動揺丸出しの声に、イファンは呆れたように頬杖をつく。
「……お前、ほんと、昔からレヴァには弱いよな。」
「うっせぇっ! お前だって人のこと言えないだろうがよっ!」
がうっ、と噛み付くように怒鳴るカンダタに、イファンは短く息を吐き捨てると、軽く肩を竦めるだけに留めた。
「しっかし、お宝探索以外の勝負なー。」
カンダタは、両腕を組んで、うーん、と一人で唸り始める。
レヴァは、そんなカンダタを見て、「まだ何も言ってないんだけど……」と思ったが、何かを言えば、余計にややこしくなるのは目に見えて分かっていたので、そのまま経過を見ることにした。
うーん、と、首を左右に傾げて、しばし考えていたカンダタだったが、不意に何か思いついたのか、ぽん、と手の平を叩いた。
「おっ、そうだ、イファン、こうしようぜっ!」
「というか、俺はそもそも、お前と勝負で決着つけるなんて一言も言ってないんだが……。」
明るい笑顔で顔を上げるカンダタに、イファンが冷静に突っ込んでみたが、もちろん、唯我独尊の道を行く男は、まるで聞いて居なかった。
ビシッ、と人差し指をイファンに向けて突きつけると、
「今まで会って来た美女の数で勝負だっ!」
自信満々に、胸を張って、そんなことを宣言してくれた。
「…………はぁ?」
「は? 何言ってるの、カンダタ兄さん?」
彼の──いつの間にか彼よりも強くなってしまっていた弟分が二人、ぽかんと口を開いて、カンダタを見上げる。
子供時代に戻ったかのような二人の表情に、カンダタはニヤリと笑って、昔のように──小さい弟分に、偉そうに話す兄分の体勢で、したり顔で説明を始めた。
「銀の竪琴の話を聞いたときに、船長がここの三大美女について教えてくれただろーが? 覚えてるか? んん?」
「それと、これと、どういう関係があるんだ?」
頭痛を覚えたかのように、額に手を当てて問いかけるイファンに、カンダタの鼻の穴が広がる。
どうやら、力でも素早さでも賢さでも負けてしまった弟分に説明できることが、酷く嬉しくてしょうがないらしい。
「有名な美女に、今まで何人会ったことがあるか! その数で勝負しようっつってんだよっ! 三大美女に会ってたら、得点は10倍で行くぜっ! これなら、今すぐに決着がつくし、美女の話も聞けて俺も嬉しいだろーがっ! んっ、いいアイデアだなっ、さすが俺っ!」
「──……お前……アホだろ……。」
自分の提案に酔いしれるように、カンダタは右手で顎の無精ひげを撫でて、ニヤニヤと笑う。
そんな彼に、イファンは付き合っていられないとばかりに、手の平に顔をうずめて溜息を零した。
「三大美女……? ……そう言えば、昼間、そんな話が出てたっけ。」
レヴァは首を傾げながら、昼間の記憶を掘り返してみた。
船長が北西の岬の話をした時に、銀の竪琴の話が出たところは覚えている。
その竪琴の奏で手が、稀なる才能の持ち主で、ガライという名であることも覚えている。
──が、その後、この世界のお宝伝説に話が大幅にずれてしまってからは、あまり記憶がない。
銀の竪琴、という名称が出た途端、現役と元盗賊の二人が、目の色を変えたからだ。
このアレフガルドにどんなお宝があるのかと、イファンとカンダタが身を乗り出して聞き始めたのも、なんとか記憶の片隅にある。
──また始まったか、と思わないでもなかったけれど、ガイアの剣の例もあるし、伝説の武器や防具……また、ゾーマ城へ渡るための手段を探す身としても、船乗り達の噂話を仕入れるのもいいだろうと。
真面目に思っていたのは、ほんの数秒だけだった。
気づいたら、アレフガルドのお宝伝説は──なぜか、世界三大美女の話に移り変わっていたからである。
どうやら、「お宝=美女」という図式になるのが、この世界の船乗りの常識らしかった。
その辺りから、レヴァは全く記憶がなかった。
「なーにを言ってやがるんだ、レヴァもイファンも! てめぇらも、欲望厚い男だろうがよっ! 美女って言ったら、目の色変えやがれっ!」
「……美女、と言われてもな……。」
興奮中のカンダタに対し、イファンは冷めた態度だ。
その心中は、酷く簡単だった。
イファンだって男だ。綺麗な女や美しい女に興味がないわけではない。
けれど、世界三大美女と言われても、会えるか会えないか分からないような人間に、カンダタのように興奮したり、船乗り達のように、「目も眩むような美女だって言うじゃないか! いっぺんお目にかって、一回でいいからお願いしてぇなぁっ!」なんて夢見るようなことを思ったりはしない程度に、現実派なだけの話で。
「まー、お前らは、リィズちゃんで目ぇ肥えてるのかもしれねーがな。
俺も、世界各地を回った上にココまで落ってきちまったけど、リィズちゃんクラスの別嬪さんは、お目にかかったことがねぇからなー。
あー、ちくしょ、シェーヌとフィスルのヤツめ、リィズとティナと一緒って、なんつぅ羨ましい……。」
くぅっ! と、心底悔しそうにうなるカンダタに、レヴァはドコから突っ込めばいいのか分からなくなった。
確かに、リィズは美人だ。
美女ではないが、この上もない美人だ。
時々、モンスターがリィズに見とれて攻撃をしてこないほど──それほど、美人だ。
「俺も、できればアリシアちゃんと一緒に、向こうに行きたかったぜ。
ティナとリィズちゃんとアリシアちゃんと俺。……うぉ、夢のようなハーレムだなっ!」
じゅる、と、思わずこみ上げてきた涎を拭い取る兄分に、レヴァは呆れて声もでず──はぁ、と何度目になるか分からない溜息を漏らすしかなかった。
そう言えば──すっかり忘れていたけど。
リィズが「男」だと言うことを──彼は未だに、知らないままだったのだ。
そう……リィズは、正真正銘、間違いなく、「男」だ。
レヴァもイファンも、彼と一緒に風呂に入ったこともあれば、着替えたこともあるから、それは確認している。
「……突っ込むのも面倒だし──そのまま勘違いさせておくか。」
どうせ、ここでそう言ったとしても、カンダタは真実を目にするまで、決して信じてはくれないだろう。
それどころか、「俺がリィズちゃんに手を出すと思って、そんな苦し紛れなウソを口にするんだろ、レヴァっ!?」とか言い出して、面倒なことになりかねない。
そこまで反対するのなら、それこそ手を出してみせようホトトギス、とか言ってきそうだ。──いや、間違いなく言い出すだろう。
「まぁ、別嬪度で言や、リィズちゃんクラスは無かったが、それでも俺だって、そこそこ有名な美女とは出会ってるんだぜっ!」
えっへん、とカンダタは胸を張って、もったいぶるように指を折り始める。
そんな彼に、やる気なさげな態度で、イファンはとりあえず突っ込んでみた。
「だから、誰も勝負するとは言ってないだろうが。」
「……イファン……、酔っ払いを相手にするだけ、無駄だから。」
レヴァは、やれやれと頬杖をついて、生き生きと目を輝かせる酔っ払いを見上げる。
なんだかんだと言っているが、早い話が、昼間の船長の話を聞いてからずっと、カンダタは自分の自慢話がしたくてしょうがなかったのだろう。
それに、イファンとレヴァが付き合わされてしまっただけの話だ。
こうなったら、素直に話を聞いてやろうじゃないか、と言外に告げるレヴァに、イファンはイヤそうな顔をしてみせた。
いろいろ反論をしたいことはあったが、酔っ払いと言い争いをする気はなかった。せっかくの美味い酒も台無しになってしまう。
そう思ったイファンは、反論を溜息に変えて、テーブルの上に転がったウィスキーグラスを引き寄せた。
先ほどカンダタの頭に向けて投げたそれを手にして、埃を軽く拭い取ると、グラスの中にウィスキーを注ぎこむ。
つん、と鼻先を漂う特徴的な香を、そのまま口元に近づけた。
コクリ、と一口飲み込めば、口内に広がる芳醇な香と、刺激的な味──そして、喉を通り抜ける熱いアルコールに、舌鼓を打つ。
酒を飲んでいれば、カンダタの聞くに堪えない自慢話も、酒の肴として楽しめるかと思ったのだが。
「例えば、ノアニールのアンって言う美少女だろ〜。」
「……それ……、美少女って言うか……。」
なにやら聞き覚えのある名前に──自分は実際に会ったことはないけれど、シェーヌとリィズから聞いた覚えがある──、レヴァは最初から突っ込みそうになる自分の口を、慌てて閉じてみた。
「有名な美少女なのか? 聞いた事ないぞ。」
イファンは、黙っていられず、ぼそりと突っ込んでみる。
けれど、カンダタはそんな突込みも気にせず、指を更に折り込む。
「んで、ロマリアの第一王女、テセラ姫だろ〜。」
「あれは微妙だろ……。」
ロマリアの第一王女の顔を思い出して、ぐ、とイファンは鼻に皺を寄せた。
「アッサラームの踊り子、ビビアンだろっ!」
「あれは、ただ化粧で綺麗に見えてるだけだろーが。」
「あぁ、ぱふぱふ娘も、なかなか美人だったな……ふへへ。」
「あんた、昔から、ああいうのが好きなタイプだよな。」
「ポルトガのサブリナって女も、美人だったなー。
夜も過激で、別嬪さんでよ!」
「お前、恋人がいようがいまいが、関係なしだな。つぅか、アレは夜は猫だろーが。」
目を斜め上に飛ばして、遠くを見ながら語るカンダタに、イファンがウィスキーをチビチビ飲みながら突っ込む。
レヴァは、両手で頬杖をつきながら、二人の会話を聞いた。
──なんだかんだで、イファン……綺麗な女の人のこと、しっかりチェックしてるってことじゃ、ないかなー……コレ。
「バハラタのタニアも別嬪さんだったなーっ!」
「あんた、思いっきり攫っただろーがっ!」
「せっかく、俺の嫁さんにした後、うっぱらっちまおうと思ったのによー、すぐにシェーヌとお前らが奪い返しにきやがって。」
「あんた、やっぱり反省の色がないんじゃないか?」
「そんなことないぞ。あの後ちゃんと、あいつらにワビをしてやろうと思って、黒コショウを宣伝しまくってやったんだぜ?」
「……物凄く微妙なお詫びだな……。」
どこで宣伝していたのか気になるところだが、今は関係ないので、さておくとして。
カンダタはその後も、もう片手の親指を折って、美女の名前を口に出していく。
「ランシールの道具屋の娘だろー。」
「娘という年頃じゃないだろ、アレは。」
「エジンベアの王女も美人だと聞いたが、それは見てないんだな、これが。」
「ティナが、鼻持ちならない女だとか言ってたぞ? まぁ、そこそこ美人だったらしいがな。」
「お、そうなのか? まぁ、そういう鼻っ柱の強い女も、かぁいいもんだぜ〜、特にベッドの中で、甘えてくるところがなっ!」
「会ったことないって、今言っただろ、あんた。姫相手に、勝手な想像してるなよ……。」
このように、他にもカンダタが名前を出していくたびに、イファンが一言二言返していく……という状態が、しばらく続いていく。
レヴァは、カンダタとイファンを交互に見やっていたが、カンダタの両手の指が折り返し地点に来た頃には、ただ、ジッと、イファンの横顔を見ていた。
イファンは、片手にウィスキーグラスを傾けながら、口元に薄い笑みをはせ、カンダタを見上げながら揶揄を続けている。
ウィスキーの中身は、注いですぐの頃に比べて、ずいぶん減りが遅くなっている。
そしてその分だけ、口が良くすべり──カンダタとの会話のキャッチボールの数も、ずいぶんと増えていた。
「──……なんだかんだ言って、この二人、御酒が入ると仲がいいんだよね……。」
しらふのときに口にすれば、二人から猛反撃が返ってくるので、とても言えないことだが、レヴァはいつもこの状態になるたびに思うのだ。
同じ盗賊でも、カンダタとイファンは目指す方向性が違った。──だからこそ二人は、ソリがあわないからと、別々の道を歩み始めた。
けれど……幼い頃から一緒にすごした、根っこの部分だけは変わらなくて。
顔をあわせればイヤミを吐いて、意見を出し合えば口論をして。
そういう関係の癖に──上っ面にある互いへの見得とかを取り払えば、気のあう部分が顔を出すのだ。
いつもなら、その事実が──二人がなんだかんだ言って仲良く言い合っているのが、嬉しくて、ニコニコと見守るのに。
「──……なんだろ……。」
なんだか、胸がモヤモヤとして、レヴァは下唇を軽く突き出して、視線を落とす。
手の平を、そ、と胸に当てても、何も分からない。
けれど、なんだか、胸元が苦しいような気がする。
一体、いつもと、何が違うんだろう?
意味が分からなくて、そ、と眉を寄せた──その時。
「後は、あの人だ、あの人っ!
美女って言ったら、この人を忘れちゃいけねぇなっ!
イシスの女王様っ!!」
バァンッ、と、勢い良くカンダタが、両手でテーブルを叩く。
がたんっ、と揺れたテーブルに、レヴァは驚いて、びくんっと肩を跳ねさせる。
イファンは、迷惑そうに片目をゆがめたが、それだけで文句を言うことはなく──代わりに、興味深そうにカンダタを見上げる。
「俺は会ったことはないが、あんたは、あるのか?」
「ばっか言え。会ってたら、とっくの昔に攫ってるに決まってるだろーっ!」
わっはっはっは、と笑い飛ばすが──それは、笑い事じゃないと思う、と、レヴァは思った。
どうせ言うだけに決まっているが……けれど、バハラタでは、あの町一番の美人であったタニアさんを攫ったという前科がある以上、あまり笑い飛ばせない。
「なんだ、それじゃ、数にあげるなよ。」
呆れたような口調で言うイファンに、うっせぇ、とカンダタが低く──拗ねたように呟く。
「一目見てみたかったけどよー、どうも警備が厳重で、なかなか忍び込めなくってだな……。
てめぇだって、会ってないだろーがよ。」
けっ、と毒づくカンダタに、イファンはヒョイと肩を竦めるだけで答えない。
そう言えば──と、レヴァも思い出す。
あの、イシスのピラミッドに、イファンは居たはずなのだ。
レヴァはあの時、シェーヌに少し無理な行軍を強いられたせいで、熱中症でダウンしていて、イファンとは擦れ違いで会うことはなかったのだけれど。
後からシェーヌに聞いて、ことの成り行きは知っている。
イシスの女王に「黄金の爪」を献上し、お近づきになりたい──と思っている某国の貴族のたっての依頼を受けて、イファンは単身、ピラミッドに入り込んでいたのだという。
「でも……イファンも、イシスには居たんでしょ? 会う機会も無かったの?」
あの時のことは良く覚えていた。
イファンの黄金の爪探索を手伝うと、ティナがピラミッドに一緒に残ったのだ。
その後、なんだかんだと色々あって、結局、レヴァは賢者になるためにダーマ神殿に残り──ティナとまともに再会したのは、数ヶ月後のアリアハンであった。
だから、イシスのピラミッドで何があったのか、聞き逃したままだったことを、今更ながらに思い出した。
「黄金の爪を見つけた後、女王陛下に献上したんじゃなかったの?」
「あれは、依頼人に渡しただけだから、会ってる暇はなかったな。」
レヴァの問いかけに答えるイファンの答えは、簡潔だった。
実際、そうとしか言いようがないのだ。
とにかくあの時は、とっとと「ブツ」を依頼人に渡して、その呪いから解放されたかったのだ。
あの時の、灼熱の地獄とせまり来るモンスターの輪を思い出し、ゲンナリと顔を歪めたイファンは、自分の隣で悲鳴をあげて無茶苦茶な攻撃していた少女を思い出し、本当にアレは大変だった、と顔を歪める。
「けど、イシスの女王サマってぇのは、大人気だかんな。
そうそう簡単にゃ会えないだろうぜ?」
何せこの俺でさえ、会えなかったんだ。
イファンごときが行って、通してくれるはずがねぇだろうが。
──と。
ハッ、と鼻で笑うカンダタに、ム、としたようにイファンは眉に皺を寄せる。
「俺は、お前と違って、【会ってくれなかった】んじゃなくって、【俺に会う暇がなかった】んだよ。
一緒にするな。」
眦を軽く釣り上げて、不機嫌そうな表情になったイファンは、ふん、と息を吐くと、さらに続けた。
「お前がやたらと怪しい人相をしてるから、あわせてもらえなかったんじゃないのか?」
「んっだと?」
チクリと突き刺すような棘を織り交ぜたイファンの言葉に、かちん、と来たカンダタが、鼻息も荒く歯をむき出しにする。
けれどイファンはそれに構わず、何でもないことのように言葉を続けた。
「実際、ティナはイシスの女王に会ったとか言ってたしな。」
ピラミッドの薄暗い中で、マミーだの腐った死体だのを相手に戦っている最中に、ティナは、女王と会っていないというイファンに、興奮した面持ちで教えてくれたのだ。
それは、女王信者になったのか、と思うような賛美の連続だった。
あの言葉を信じるなら、イシスの女王という人は、太陽のごとき輝きと、月のごとき神秘さを兼ね添えた女神ということになる。
「簡単に会えないわけじゃないだろ? 一介の冒険者が会えるくらいなんだからな。
──なぁ、レヴァ?」
ティナが会っていただと? ──と、驚いたように目を見張るカンダタを視界の片隅に止めて、イファンは、目元と口元に、性質の悪い笑みを浮かべつつ、サラリと話をレヴァに振った。
突然話を振られたレヴァは、目をパチパチと瞬かせながら、慌てて頷く。
「え? ……あ、あ、うん。会ったというか、謁見の間で遠目に見ただけ、だよ?」
ほんの少しだけぎこちなさを紛らわせながら、──それでもレヴァは、ニッコリと微笑んでみせた。
これは、ウソではない。
確かに、謁見の間では、遠目にしか見なかった。
遠目とは言っても、普通の謁見で許された距離くらいなので、目鼻立ちはしっかりと分かったし……イシスの女王が、噂に違わぬくらい美しいことも、良くわかった。
「マジかっ! レヴァ、お前、すっげーなーっ!
くはーっ、羨ましい!!」
くぅぅっ、と、悔しさを噛み締めるように、すっぱいものでも食べたような顔で、頭を振るカンダタに、レヴァは乾いた笑みを浮かべる。
そんなに悔しがるようなことかなー、というのが本音だ。
カンダタは、女王に会うのは難しい、と言ってはいるけれど──「昼間」の女王に会うのは、そんなに難しいことではない。
普通に城に行って、普通に冒険者であることを名乗って、謁見許可を取って、許可の通った時間に謁見の間に行っただけだ。
普通の国と違って、謁見を申し出る人数がしゃれにならないだけに、申し込むのと、謁見許可を取るための準備に手間取りはしたが、大まかなことは、他の国と何も変わりはしない。
「カンダタ兄さんが謁見許可をもらえなかったのって──単に、信頼審査に落ちたからじゃないのかなー……。」
困ったような顔で、ポツリ、と呟いた声は、カンダタには届かなかった。
「あーっ、くそっ! 俺も、せめて一目くらいは見たかったよなーっ! んで、一晩、お願いしたかったぜっ!」
「──そういうことを企んでるから、謁見も出来なかったんじゃないのか?」
呆れたように冷めた視線を送るイファンの突込みこそが、まさに正論だと、レヴァは溜息を零しながら頷く。
お城で聞き込みをしていたときにもれ聞こえた情報によると、過去、イシスのピラミッドに入った墓泥棒やトレジャーハンター、盗賊たちは、女王の噂を聞き、誰もが寝室に入り込もうとしたり、女王陛下を盗み出そうとした挙句──お縄を貰ったのだそうだ。
そんなこともあったせいか、きな臭い匂いがする人間は、決して謁見許可を通らせない上に、近づけさせないのだという。
「で、レヴァ? どうだったんだっ!?」
がしっ、と、レヴァが座っている椅子の背もたれを掴んで、ぐぐ、とカンダタは鼻息も荒く顔を近づける。
「ど、どうって……何が?」
酒臭い口を近づけられ、顔を顰めながら、レヴァは顔を後方に下げながら問いかける。
「だーかーらっ! イシスの女王は、どんだけ美人なのかって聞いてんだよっ! どうだ? リィズちゃんとだったら、どっちのが美人だったっ!!?」
「兄さん、ツバが跳ぶよ……。」
もー、と、更に近づいてくるカンダタの頬に手の平を押し当て、グイグイと向こう側に押し返しながら、レヴァは視線を天井に彷徨わせる。
イシスの女王の美しさ、といわれて思い出すのは、むせ返る花の香水の香だった。
玉座に座る彼女も美しかったが──女王がただならない美しさを放つのは、夜の幻想的な月明かりの下だった。
白い花の明かりに囲まれた、薄い布を身に纏っただけの女王の──夜の寝室での、幻のような美しさは、とても口ではいえないくらいに、美しかった。
リィズの美しさとは、まるで違う──仄かな色香をたたえたそれは、純粋な「美」とは違う、魅惑的な美しさを称えていた。
そのことを説明しようと思うと、経験値の足りないレヴァには、とてもじゃないが無理だ。
だからと言って、そんな女王陛下を見たのだ言えるわけもない。
──何せ、シェーヌさんに連れられて、みんなで女王陛下の寝室に侵入したなんて、とても外聞が悪いからである。
「噂ほど綺麗じゃなかったのか?」
怪訝そうに尋ねてくるイファンに、レヴァは困ったように眉を落とす。
「ううん、綺麗は綺麗だったんだけど──リィズと比べて、って云われると、困るな、って思って。」
比べようがない、と、へにょりとレヴァは眉を落とす。
「人」としての美しさ、という点なら、リィズのほうが比べようもないくらいに綺麗だ。
彼の美しさは、人と言う存在を超越している。
彼から「言葉」や「表情」や「感情」を奪い取ったなら、リィズはまさに美の神と言っても過言ではない美しさを誇るだろう。
けれど──リィズには、「言葉」も「表情」も「感情」もある。
そう言った多くの感情が、リィズを「完璧な美」から遠ざけている。
人間味のある美人さん、にしているのだ──いい意味で。
「顔立ちだけで言えば、リィズの方が美人だと思うんだけど──雰囲気とかを含めると、女王様のほうが、綺麗に見えるっていうか、魅力的に見えるって言うのか……。」
何と表現をしていいのか分からなくて、困ったようにレヴァは首を傾ける。
昼間の玉座に座る女王陛下は、毅然とした美しさを持つ美女だった。
その時の姿とリィズを比べると──リィズのほうが美しいと思える。
けれど──あの夜の、明かりの元での女王陛下は。
「王」という仮面を置いて、嫣然と微笑みながらも、かすかな悲しみを隠したあの人は。
にじみ出る色香と魅惑的な雰囲気を有したあの人は──まさに、傾国の美女とでも言うべき、たとえようもない美しさを有していた。
「雰囲気……、…………火月みたいな感じか?」
考えるように顎に手を当てたイファンの言葉に、レヴァは、アッ、と顔をあげた。
「そう! そんな感じかも。
うん、火月さんは、雰囲気が華やかで鮮やかだったから、誰もが見とれるくらいに美人だったし。」
目鼻立ちが整っているだけではなく、その取り巻く雰囲気そのものが、美しいのだ。
リィズはそれで言うと、経験値が比べようもなく少なく、彼女たちの輝きの前には、乏しく映ってしまうのだ。──神がかったかのような雰囲気を有するときは、触れることすら躊躇うような美しさを放つのだけれど。
「火月? 誰だよ、それ?
俺の知らない女が居るとは!!」
聞かない名前を出されて、カンダタが食いつくように問いかけてくる。
その、少し血走ったような視線に、レヴァは更に力を込めて、近づこうとする彼の顔を向こうへと押し戻す。
「バラモスを退治するときに手伝ってくれた女性だよ。」
「美人なのかっ!? リィズちゃんとアリシアちゃんと比べて、どうだっ!?」
「え? く、比べて? そんなの、皆タイプが違うから、比べられるわけないだろ。」
鼻息も荒く、酒臭い息を近づけるカンダタに、これだから酔っ払いは、と溜息を零したくなった。
そこで、イファンが無言でウィスキーグラスを掴んでいるのを見咎めて、レヴァは、それはダメだと、目線でとがめておく。
「なんだよ、それでも比べられるだろーっ? どうだよ、な? 俺の好みのタイプで言うと、何番目くらいだっ!?」
「え、えーっと……、カンダタ兄さんが好きそうな好み……。」
それこそ、まさに難しいじゃないか、と、レヴァはゲンナリした気持ちで、天井を仰いだ。
カザーブに居たときのカンダタの好みを思い出しながら──道具屋の若奥さんだとか、宿屋の後家さんだとか──、更に先ほどからイファンと話をしていた女性の好みを思い出し。
「一番が、火月さんで、二番目が女海賊さんで、三番目がイシスの女王様……かなぁ?」
とりあえず、誰もが「美人」と口々に言い、「色香がある」と思えるような女性の名前を、思いつくままに述べてみた。
とは言うものの、レヴァも人様に言えるような経験値があるわけではないので、「色香」云々に関しては、ほとんどフィスルの受け売りである。
そのため、二番目の女海賊の頭領辺りには、物凄い私見が入っているものと思われた。
「何ッ!? その火月って言うのが、ナンバーワンなのかっ!? くはっ、上の世界に、そんな俺のナンバーワンを残してきてたとは、俺も罪におけねぇなっ!」
カーッ! と、悔しそうに呻いて、パチン、とカンダタは手の平で自分の額を叩いた。
「……別に、罪も何もないと思うけど。」
「レヴァ、女海賊って言うのは、アレか? サマンオサで会った……。」
「あ、うん、そう。そういえば、イファンも会ったことがあるんだよね。」
ほんの2ヶ月と少し前の話だというのに、もう何ヶ月も前のように感じて、懐かしいような、とレヴァはシミジミと呟く。
──と、その瞬間。
「何っ!? サマンオサってこたぁ、女海賊ってぇのは、いろっぺぇお姉ちゃんとかじゃなくって、あのバカ女のことなのかっ!?」
がばっ! と、勢い良く顔を跳ね上げたカンダタが、忌々しそうな顔で、そう吐き捨てる。
「バカ女って……もしかしてカンダタにいさん、女海賊さんを知ってるの?」
カンダタが、女相手に──しかも、美人で色気のある女性相手に、そんなことを言うなんて思いも寄らなくて、キョトン、と不思議そうに見上げれば、カンダタは憤怒に顔を染め上げる。
「知ってるも何も……ありゃ、俺をこの世界に落とすまで追いつめた張本人だ。……ちっ。」
思い出すのも腹ただしい、と、肩を怒らせながら、ブルリと体を震わせるカンダタの言葉に、レヴァは驚いて目を見張った。
まさか、こんなところで、そんなつながりが発覚するとは、思ってもみなかった。
「──……はっ? ……なんだよ、カンダタ? お前……海賊に負けたのか?」
アホだな、と言いたげなイファンの口調に、ギリッ、とカンダタは彼を鋭く睨みつける。
「うっせぇっ! しょうがねぇだろっ、海じゃ、分が悪かったんだよっ! ちょっと、サマンオサに侵入して、船に乗せてやった若い夫婦を、国王に奴隷として売っ払うつもりだったのによー、あの義賊面したバカ女が邪魔してきやがって……っ!」
あの若い夫婦、見たことのない服装をしていたから、珍しがられて、高く売れると思って、作りなれない親切面まで作って、上手く騙していたというのに。
いつも、ここぞと言うところまで行った所で、邪魔にあう。
シェーヌといい、シェーヌといい、あの女海賊といい!
まったく、運がないぜ、俺──、と。
カンダタが、ブツブツと呟いた言葉を聞きとがめて、キリリ、とレヴァが眦を釣り上げる。
「……兄さん……やっぱりアレからも、人売りとかしてたんだ……?」
一段と低くなった声音で、下から睨み挙げるように見上げれば──レヴァの、常にない低い口調に、びくぅっ、とカンダタの肩が跳ね上げた。
「うっ、あ、いや、今のは言葉のアヤってやつでなっ!!」
ぶんぶん、と頭を振りながら、ついでに両手を顔の前で振りながら、彼は必死で視線をあっちへこっちへと彷徨わせる。
二度あることは三度ある、というが──レヴァはどちらかというと、「仏の顔も三度まで」のタイプだ。
もし、バハラタで見逃してもらった後──ダーマで適当に商人を騙して船を奪い取り、辺りでダーマとムオル間を行き来する船相手に、海賊行為をしていたことが知られてしまったらっ!
更にその挙句、その定期便が廃止されてしまった後は、陸地を移動する旅人を襲っていたことを知られてしまったらっ!
その後、沿岸にある宿屋で知り合った、珍しい姿をした若い夫婦を、他の大陸に送って行ってやろうと、口先三寸で丸め込んで、売り払うつもりで船に乗せたことまで知られてしまったらっ!
確実に、廊下で正座一晩中は確定だ。
しかもその上、朝ごはんと夕ご飯も抜きになり、1日1食の大事なご飯の中味は、薬草粥になってしまう!!!
しかも風呂も最後の、男の垢だらけの残り湯だったり、洗濯物は色物と一緒に洗濯されてマダラ模様になってしまったりするのだ。
それは情けない、あまりに情けない。
カザーブ時代なら、こっそり夜中に抜け出して、近くの宿場町で飯を食ったりすることも出来たが、この船の上ではそうも行かない。
「それはだな、そう……そう! あの若い夫婦に、俺は、新しい就職先を斡旋しようと思ってたんだよっ!!!
奥さんが、これまた美人でな〜! だからこう、つい、俺も情にほだされてなっ!!
それじゃ、ちょっくらサマンオサまで届けてやろうじゃないかってなーっ!」
「へー……鎖国していたサマンオサまで?」
「ぁっ、いや、それはなんつぅか、ほら、どうせなら誰も知らない新天地で──って思ってだなっ!!」
強引な話の展開に、レヴァはひたすら、ジトリと視線を向け続けたが、それ以上何も言うことはなかった。
バハラタの後も、悪いことをしていたみたいだけれど──女海賊に襲われて、ここに来て以来、おとなしくしていたということは、ラダトームの守護を務めていたアリシアが証明してくれている。
あえて今は、突っ込むこともないだろう。
「そっ、それにほら、俺もサマンオサには行ったことねぇから、ちょっくら、新しい美女探しに行くのもいいだろーなー、って思ってだなっ!! サマンオサには、王女様も居るって言うしな〜っ!」
「──……あんた、結局、そればっかりなのかよ。」
イファンが、はぁ、とわざとらしく溜息を零す。
そんな彼に、カンダタは胸を張って答える。
「あったりまえだろうがッ! 男に生まれた以上、美人を求め、理想の女を求めるのは、まさに本能だぜっ!!」
「………………。」
「……………………。」
自信満々なカンダタの答えに、それはどうかと思ったが、酔っ払い相手に何を言っても無駄なのは分かっていたので、イファンもレヴァも、突っ込むことはしなかった。
「だから、ほんっと、陸のパーティメンバーはいいよなぁ。
こっちは華が少ねぇよな。アリシアちゃんも美人だけど、男の間に女一人じゃ、華が足りねぇぜ。」
「……向こうも、華がないって意味じゃ、そう変わらないと思うけどな。」
口元を手の平で軽く覆いながら、ぼそり、とイファンは呟く。
カンダタが何に夢を見ているのかは知らないが、向こうのパーティメンバーで、唯一「花」と言えるのは、ティナくらいのものだ。
リィズも美人で華やかだが──アレは男だし。
シェーヌは女だが、アレにはそもそも、「女」としての自覚もなければ、色も花もない。
普通なら目のやり場に困るような魔法のビキニ姿も、なぜか彼女が着ると、雄雄しいことこの上もなく映ってしまうのだ。
とてもじゃないが、イファンには、シェーヌを女としてみることは出来なかった。
「フィルと俺が変わってりゃ、今頃俺は、リィズちゃんとティナを左右にはべらせて、シェーヌに…………。
…………シェーヌに…………………………、うーん…………。」
ニヤニヤとにやけた顔で、妄想の世界に旅立とうとしていたカンダタは、そこで顔を大きく歪めて、腕を組んで唸りだす。
「どうかした、カンダタにいさん?」
「ああ、いやなー。俺、シャンパーニの塔であいつに負けたときによ、『お前が女だったら、惚れてた』って言ったことがあるんだけどよー。」
渋い表情で、カンダタはあの時のことを思い出す。
自分をジロリと睨みつけ、見下ろすシェーヌの姿は──今でもアリアリと思い出せるほど神々しく、美しく見えたものだった。
その女顔を見て──あの時は、心底男だと思っていたから、思春期の少年にありがちな女顔ってヤツなのだろうと、そう思っていたのだ──、あぁ、こいつが女だったなら、俺はきっとこの瞬間に惚れていたに違いない、と。
最高の理想の女だろう、と。
そして、思わずそのことを口にしていたのだ。
──途端、「っざけんじゃねぇっ!」と言う罵倒と共に、カンダタは腹に痛恨の一撃を受けて、吹っ飛ばされたのだが。
「えっ、そんなこと言ってたのっ?」
驚いたように目を見開くレヴァに、カンダタは重々しく頷き──しかしなぁ、と微妙に顔を歪めた。
「けどなー……なんつぅか。
あいつ、でも、実際女だろ?」
「そうだな。……今は特に、女の格好をしてるしな──。
一応、どこからどう見ても女だな。」
カンダタの言いたいことをなんとなく悟り、イファンは微妙な明答を避けてみた。
そう──アレは女だ。
どれほど、そこらの男顔負けであっても、女なのだ。
──なのに。
「なのになー、なんつぅか……惚れねぇんだよな、これが。
チラリとも食指も動きゃしねぇ。
どういうことだ、こりゃ?」
ひょい、と肩を竦めて聞かれても、レヴァは乾いた笑いをあげる以外、なんとも答えようがなかった。
「あ……あははははは……。」
「女という色がなさすぎるんだよ、アイツは。
一緒に居ても、女には見えない。──あんな格好をしていてもな。」
シェーヌが女であろうと男であろうと、どうでもいい──そんな態度で、イファンが言い放つ。
何であろうと、シェーヌがシェーヌである限り、恋愛対象になど、絶対にならない自信があった。
「あー、そりゃ言えてるかもなー。
俺が今まで会った中で、一番のいい女に入るはずなのに、なんでああも、女に見えないんだろうなぁ?」
勿体無い……あぁ、勿体無い。
カンダタは、顎に手を当てて、渋るように首を緩く左右に振った。
本当に……全くもって、勿体無かった。
顔は美人だ。性格も──まぁ、強気で勝気ではあるが、そういう美人はどこにでも居る。けれど、悪い性格ではなく、むしろ正義感が強く、真っ直ぐな気性だ。
腕も凄腕、魔法も使えて、料理は大雑把だが出来ないわけでもない。ところどころケチ……いや、経済感覚もある。
「本当に、相棒にして、嫁にするには一番なんだけどなー。
なんで、ああも、食指がうごかねぇんだろーな。」
しみじみと呟くカンダタに、レヴァもイファンも何もいえなくて、無言で視線を交し合った。
シェーヌの価値は、何も「女」であることではない。そうじゃないことは、良くわかっているのだが──女なら、大抵の食指は動く、というカンダタに、ここまで言われる彼女が……なんとなく可哀想に思えた。
「もう少し、こう、アレだな──そうそう、リィズちゃんみたいな、しとやかな雰囲気とかあったら、いいのかもしれねーなーっ!」
リィズちゃんは、ほんと可愛いなー、と。
デレ、と相好を崩すカンダタを見ていられなくて、つい、と視線を横にずらした。
「………………。」
「…………。」
真実を──「リィズは男だ」と言う真実を告げれば、カンダタはこの場で卒倒するのだろうか?
「シェーヌも、あんな格好してりゃ、すげぇ美人に見えるしな。
ティナも、あと数年もすりゃ、いい女になるしなー。
こりゃ、なかなか掘り出し物そろいのパーティだな、こりゃっ!」
バンバンっ、と机を叩くカンダタに、とてもではないが、同意出来なくて──レヴァもイファンも、な? と話を振ってくるカンダタから、視線をずらした。
そんな二人に、うん? とカンダタは目を見張る。
そして、不審そうな目で、ジロジロと二人の弟分を交互に見渡す。
「……なんだよ、お前ら、ずいぶんノリが悪いな?」
「え、そ、そんなことないよ?」
「お前のノリが良すぎるだけだ。」
わざとらしいほどわざとらしく、視線を宙に彷徨わせるレヴァと、目を閉じて顔を俯かせるイファンに、カンダタは、鼻の頭に皺を寄せて、二人を無遠慮に見やった。
「……こんなに、よりどりみどりな状況で、ちぃとも食指が働かねぇとは……お前ら……。」
「食指が動くって……仲間なんだから……。」
そんな気持ちでしか見れないカンダタ兄さんのほうが、どうかと思うよ、と。
はぁ、と重い溜息を零したレヴァを、そういう問題じゃない! とカンダタは一喝すると、ガツッ、と椅子を蹴飛ばして、そのまま、ガンッとテーブルに片足を乗り上げた。
「まーかーか、お前らっ! あの本みたいに、実はデキてるとか、そういうオチじゃねぇだろーなっ!!? あぁんっ!!?」
グイッ、と、身を乗り出してイファンとレヴァをギラリと睨みつけるのに。
「ぶっ!!」
「ぐっ!!!」
二人は同時に、思いっきり噴出した。
「……お、おま……っ、あの本って……まさか……っ!?」
手の甲で、口の端をグイと拭い取り、イファンは顔を大きく歪めてカンダタを見上げる。
「そはしんくうのやいば、だったか? あっはっは、カザーブのおばさんどもも、おっもしれーよなーっ! いい趣味してやがるぜっ!」
ぶわっはっはっはっ! ──と笑い飛ばして、カンダタはさも面白そうに腹を抱える。
「見たのっ!? カンダタにいさん、アレ、見たのーっ!?」
ありえないっ!
悲鳴をあげて、レヴァは頭を抱えてその場にしゃがみこむ。
そんな彼に、カンダタは堪えられない笑いを漏らして、パタパタを手を振った。
「いんや、実物は見てネェけど、ティナから聞いたんだよ。」
「……ティーナー……っ。」
ふるふる、とレヴァとイファンは、震える拳を握り締める。
何を考えて、あのコは、カンダタにそんなことを話したというのだろう!
「わっはっはっは、お前ら、マジで早く恋人見つけないと、大変だぞーっ。」
「うるさい。」
面白そうに……心底面白そうに笑い飛ばすカンダタを殴り飛ばしたい気持ちになりながら、イファンは震える拳を、もう片手で握り締めて堪えた。
「つぅても、お前らに出会いなんてものが、そうそうあるわけねぇしなー? 仲間内で見つけたほうがいいだろうよ。」
さもないと、また、あーんな本が作られるぞ〜、と、他人事のようにカラカラと笑うカンダタに、イファンは手の平で顔を覆い、レヴァはガクンとテーブルに額をぶつけた。
「勝手なことを言うな。」
ふん、と不機嫌そうな声を出すイファンに、カンダタは肩を竦めてみせる。
「なんだよ、心配してやってんだろーが。
で、イファン? てめぇ、シェーヌとティナとリィズとアリシアちゃんなら、誰が好みだ?」
「……なんでそういう話になるんだ?」
呆れ顔で、イファンは指の間から、目線だけでカンダタを睨みつける。
そんな彼に、カンダタは、照れるな照れるな、と明るく笑い飛ばす。
「やっぱ、身近な人間とのほうが、恋に落ちやすいだろ?
今まではそう思って無くても、これから女と思えばいいんだよ。
で、どーよ? シェーヌなんか、いい女だろ?」
ん? と、顎を軽くしゃくるカンダタに、イファンは、心底イヤそうな顔になる。
「シェーヌを女と思えるお前がスゴイと思うぞ。」
そこは感心する、と答えるイファンに、そうか、とカンダタは肩透かしを食らったような顔で、ふーむ、と唸る。
「んなら、リィズちゃんはどーよ? すっげぇ美人だし、あれを嫁にしたら……。」
「嫁になるわけないだろーが。」
すかさずイファンは裏手つきで突っ込む。
──そう、いくら美人で、いくら綺麗でも、嫁になどなれるはずがない。
何せ「彼」は、どれだけ美人でも、あくまでも「男」であり、「僧侶」なのだ。
アホか、と思いながらも、リィズに夢を見ているのが分かっていたので、カンダタに真実を告げるのだけはやめておいた。
「ん、お前も、なかなか条件が厳しいな。
そーすると、アレかっ! アリシアちゃん目当てかっ!?
くはーっ! まさか俺と好みがぶつかるとはなっ!」
この野郎、と、パチンと己の頬を叩いて、してやられたっ! と言わんばかりのカンダタに、イファンは、何を言ってるんだと言う目で彼を見据えた。
「……好みだったの、アリシアさん?」
レヴァは、カンダタとイファンを交互に見て、問いかける。
それに、カンダタは大きく頷き、イファンは微妙な笑みを見せる。
「当たり前だっ! 金持ちの貴族の娘で、更に美人で、性格も良くて、強いと来たら、こりゃもう、理想の嫁だろうよーっ! なっ、イファンっ!?」
当然のように、満面の笑顔を向けられて──イファンは、疲れたような表情で、はぁ、とわざらしい溜息を漏らした。
「……理想の、お嫁さん、なんだ。」
レヴァも、なんともいえない顔で、イファンとカンダタの顔を交互で見やる。
「俺に同意を求められても困るんだよ……、彼女は、どっちかというと……苦手だ。」
「あまりに理想すぎて、苦手なんだろーっ! あっはっは、若いなー、イファンっ!」
「………………。」
明るく笑い飛ばすカンダタに、レヴァは少し視線を俯ける。
「理想すぎて苦手……、……確かに、イファンの性格なら、ありうるかも……。」
カンダタ兄さん、さすがは兄分というか──大雑把でアバウトすぎるように見えるが、しっかり締める所は絞めているというか。
しっかりとイファンのことを見てるんだなー、と、感心するのが半分。
なんだか微妙な気持ちになるのが半分。
そんな心地のレヴァに気づいてか、イファンが米神を指先で押さえながら、
「こら、レヴァ。」
余計な事は言うなとばかりに、軽く凄むように目を向ければ、レヴァは、首をすくめて苦い笑みを乗せた。
「それに、俺はああいうタイプは好みじゃない。」
「んじゃ、やっぱり、リィズちゃんか?」
「……だから、リィズはそもそも、論外だろう。」
更に話を掘り下げるカンダタにウンザリしながら、イファンは、やっぱりカンダタに真実をぶちまけてやろうかと思った。
けれど、それはそれで、面倒なことになりそうな気がして──例えば、「それはウソだっ!」だとか、「俺に狙わせねぇために、そんなこと言ってんだなっ!」だとか……挙句の果てに、「お前の本命は、リィズだったのか!」とか言い出して、話を先走らせそうだ。
昔からそうだが、カンダタは、本当に人の話を聞かないところが多すぎるのだ。
「論外っ!? ──そうか、あまりに美人すぎて、高嶺の花ってことか! お前、案外、謙虚なところがあんだなー。」
「…………レヴァ、こいつの頭、どうにかしてくれ。」
「うーん……それはちょっと、無理かなぁ。」
相手にするのが本気でイヤになってきて、イファンは顔を覆いながら、助けを求めてみた。
カンダタの相手が一番得意な相手に泣きついてみたものの、レヴァもレヴァで、こうなった彼を止めるのは出来ないと──カンダタ兄さんは、思い込みが激しすぎるよね、とサジを投げてくれた。
そんな二人の弟分の複雑な心境を他所に、カンダタは一人マイペースに、
「おっ、ってことは何だ? お前、パーティの女の中じゃ、ティナが一番好みってことか!」
ぽむっ、と、手の平を打ち合わせて、結論に顔を輝かせた。
「──……。」
「………………。」
イファンの目が半目になり、レヴァの頬がかすかに引きつる。
何が何でも、コイツは、パーティメンバーと自分とをくっつけたいのか、とイファンが溜息を堪えるのと、レヴァが強引だなぁ、と息を吐くのがほぼ同時。
カンダタは、そうかそうか、と明るい笑顔で二度三度頷くと、
「なんだー、お前、ティナみたいな、元気で明るくて可愛いのが好みだったのかっ! それならそうと言えよー? 俺とかぶらなくて安心したぜっ! なんなら俺、協力してやろうか? ん??」
嬉しそうな──心底嬉しそうな声で、「これで俺も、弟分の面倒を見てやれるなっ!」と続けるカンダタに、イファンは何かを言いかけた言葉を、ウィスキーで飲み下しておいた。
こうも上手く会話のすれ違いを続けるカンダタは──ある意味、さすが、だ。
「元気で明るくて、可愛い、な。」
カンダタの言葉を小さく口の中で繰り返して、確かにな、とイファンは思う。
そういうタイプの女の子が好きだというコは、確かに多い。
イファンも昔、情報収集のため、口の堅い男相手に、その男の好みの女を雇ってスパイ活動をさせたことがあった。
そういう時、男が好む女は、「美人で色香がある」タイプか、「元気で明るくて可愛い」タイプが多かった。
前者のタイプは、色気で誘うため、相手の男に警戒されやすかったが、後者のタイプは、警戒心を起こさせず、成功する確率が高かった。
そういう意味で言ったら、確かに。
「……まぁ、確かに相棒とするには、ティナみたいなタイプが一番かもな。」
うん、と、思わず口にして頷いた瞬間。
「やっぱりお前、ティナが本命かーっ!!!」
よっしゃーッ! ──と。
カンダタが拳を突き上げて、大声で宣言した。
「いや、誰もそんなこと言ってない。」
すかさずイファンが、疲れた声で突っ込むが、カンダタはそれを聞きもせず、笑顔でレヴァを振り返ると、
「よし、レヴァ、イファンはティナが本命だぞっ!
で、お前はどうなんだっ?」
えっへん、と胸を張って問いかける。
「──……ぇ?」
レヴァは、パチパチ、と目を瞬き、カンダタを見上げる。
「だーかーら、お前だよ、お前っ! お前は、パーティメンバーで誰が一番好みだっ?」
「……………………。」
俺が取り持ってやる、と、気分良く微笑むカンダタを、レヴァは呆然と見上げた。
何を言われているのか分からない……そんな顔だった。
カンダタはレヴァの肩をポンポンと叩くと、
「さ、お兄ちゃんに、素直に吐いてみなさい。」
ん? ──と、兄ぶった顔で、そう続ける。
それにイファンが、
「お前、兄顔するのは、いい加減に止めたほうがいいんじゃないか?」
呆れたように突っ込む。
レヴァは、困ったように眉を寄せて、カンダタの顔と、テーブルを挟んだ先に座っているイファンの顔とを交互に見た後、
「──……えー、と。」
視線を天井辺りに彷徨わせて。
「……ごめん、カンダタ兄さん、イファン。」
小さく笑みを浮かべると、レヴァはゆっくりと椅子から立ち上がり、さりげない動作でカンダタの手を肩から剥がすと、
「俺、ちょっと──、これから先の航路のことで、船長に相談しに行きたいから、もう行くね。
最後まで付き合ってあげられてなくてゴメン。」
ニコ、と笑んで、地図を軽く掲げて頭を傾ける。
「なんだー? レヴァ、そんなの、明日にしとけよ。
今は、お兄ちゃんに恋愛相談のコーナーだぞー。」
「そうは行かないよ。
もう時間が遅いし──早く相談に行かないと、船長が寝ちゃうだろ。」
ぶーぶー、と唇を尖らせるカンダタに、レヴァは緩くかぶりを振って、扉に向かって歩き出す。
そんなレヴァを、更にカンダタが止めようとするが、
「そうだな。早く相談しておかないと、この間のように海の果てを見ることになったら、たまらないしな。」
サラリとイファンがイヤミを織り交ぜて、皮肉めいた笑みを口元に浮かべる。
とたん、
「んっだとーっ!? そりゃ、イヤミかっ! イヤミか、イファンーっ!?」
酒が入っているせいで、余計にカッカしやすいカンダタが、キッ、とイファンを振り返る。
「さぁ? どうだろうな?」
ふふん、とイファンが鼻で笑うのに、さらにカンダタが眦を釣り上げる。
カンダタのソレを目の端にとどめて、イファンは素早くレヴァに目配せする。
レヴァはすぐにその意図に気づいて、ハッと目を見開くと──あぁ、と軽く眉を寄せる。
気にせず行け、と。
イファンは、カンダタに分からないように顎で軽くドアをしゃくる。
「──……ありがと、イファン。」
唇だけの動きで、そう囁いて。
レヴァは、カンダタに気づかれないように、そ、と足音も立てずにドアの傍まで近づいていく。
「ありゃぁな、お前らが海の果てを見たいなんていうから、俺が気を利かせてだなーっ!」
「いや、それはありえないだろ。
っていうか、誰が一体、いつ、そんなこと言ったんだ?」
「言ってなくても、俺は兄分だからなっ! それくらい気づくんだよ!」
「どうせ、本当はお前が見たいと思ってたんだろ。」
軽口の応酬を耳にしながら、レヴァはノブを静かに回して、開いた隙間からスルリと廊下へ出た。
ドアを閉める瞬間、チラリと肩越しに室内を振り返ると、カンダタが肩を怒らせて立っていた。
イファンの姿は、その大きな男の影に隠れて見えない。
「おめぇは、そういう気配りができネェから、モテねぇんだよ! ティナと上手く行きたかったら、もっと気配りを持てっ!!!」
パタン、と。
そこでドアを閉じたから、カンダタの叫びに、イファンが何と答えたのか分からなかった。
ただ、レヴァに分かったのは、たった一つのことだった。
「──……どうしよ。」
閉まったドアを背に、レヴァは途方にくれたように廊下に佇み、ぽつん、と呟いた。
どうしよう、本当に。
地図を持った手を、自分の胸に当てて、あぁ、と、彼は天井を仰いだ。
問いかけても、答えは出ない。
出るはずがなかった。
この場にしゃがみこんで、頭を抱えてしまいたい気持ちになりながら、レヴァは視線を廊下の向こうに飛ばした。
暗闇に包まれた廊下は、まるで自分の気持ちの行く末を示しているようだった。
「どうしよう……本当に……。」
気づかなかったら良かった。
心からそう思った。
気づかなかったら、良かったのに。
クシャリ、と眉を寄せて。
泣きそうな気持ちで、レヴァは締め付けるような痛みを訴える胸元で、ぐ、と拳を握り締める。
「信じられない……、俺…………、……俺。」
呟いた声は、かすれていた。
もしかしたら、喉が潤んでいたかもしれない。
自分が発した声すら、耳に入らず──レヴァは、自分の足元に視線を落とした。
ゆっくりと目を閉じれば、耳に奥に蘇る、「こえ」。
『やっぱりお前、ティナが本命かーっ!!!』
ズキン、と。
胸が、強く痛んだ。
まるで刃を突き刺されたような痛みに、レヴァは更に強く胸元に拳を押し付けた。
あの、カンダタの心からの嬉しそうな声を聞いた瞬間、泣きそうな気持ちになったのだ。
思い出しただけでも──この場に崩れてうずくまりそうになるくらい、痛い、と、そう思ったのだ。
そんなはずはないと、そう思うのに。
イファンの本命が、ティナであろうはずがないというのに。
ティナとイファンが、普通に話している姿が、頭の中に浮かんでくるのだ。
イファンが女性相手に(シェーヌのことは、元々女だと思って居なかったみたいだから、数には入れないけれど)、あそこまで喋るのは、ティナだけだという事実が、余計になんとも言えない複雑な気持ちにさせた。
そうして、その度に──心の中で、強く叫ぶ自分が居る。
『そんなはずない。──だって、イファンは、俺のなのに。』
「──……っ!!!」
ぐ、と、レヴァは拳を握り締める。
ブルリ、と体を震わせて、レヴァは下唇を強く噛み締める。
こみ上げてくる、強い独占欲を、強引に飲み下すように──目をきつく閉じた。
そうすることで、自分の中の激しい感情が、穏やかな凪のようになるようにと、そう祈る。
けれど、胸に吹き荒れる嵐は、そう簡単に静まってはくれなかった。
それどころか、気づいたばかりの感情に、気持ちは乱れるばかりだった。
「──ずっと親友で、幼馴染だと、思ってたのに。」
親友に、幼馴染に、こんな独占欲は抱かない。
こんな……嵐のように吹き荒れる気持ちは、抱かない。
「──……どうしよう……、俺……。」
なんで、よりにもよって、今、気づいちゃうんだろう。
せめて、もう少し早く気づいていたら……シャハールさんに相談することだって、出来たのに。
クシャリ、と眉を寄せて──レヴァは、顔を大きく歪めて。
あぁ、と。
絶望に近い気持ちで、レヴァは溜息を零した。
──零さずには、いられなかった。
気づいてしまった、この「独占欲」に。
心は、ただ、乱れるばかりで。
答えは、まるで、見えなかった。
ということで、イファンとレヴァのお話、第一弾、気づいた編。
最初は、レヴァが自分の気持ちの種類に気づく話にしよう、と決めていました(^^)
それにカンダタも絡めるつもりではいたのですが──; なかなかイファンが、きわどいセリフを口にしてくれないので、必要以上に長くなってしまいました……_| ̄|○i|||i
この幼馴染三人組は、結構好きですv
アフォなカンダタさんとかvv(笑)
次は、イファンさんが気持ちに気づく話……になるはずです。