見渡す限りの草原の中、馬車が通れるほどの広さを持つ土の道が、すらりと一本伸びている。
その一本道から外れた場所──草を濡らす、ムッとした血の匂いがした。
駆け抜ける涼やかな風に混じって届く鉄さびの匂いに、軽く眉を顰めた青年は、自分目掛けて飛び掛ってきた殺し屋の一撃をかろうじて避けながら、ゴロゴロと草原を転がった。
そのまま手を突いて起き上がりざま、さらに飛び掛ってくる鋭くとがった爪に、慌てて握り締めたままの剣を翳して受け取ろうとした矢先──、ガキン、と割り込んでくる鉄の音。
「大丈夫でがすか、兄貴!」
ぽっちゃりした体躯の男が、鎌を掲げて爪を受け止めていた。
「ヤンガス!」
地獄の殺し屋──キラーパンサーの爪と牙が、ヤンガスのすぐ目の前でギラギラ光っている。
立ち上がればパーティメンバーで一番の長身であるククールすら凌駕しそうな体躯を持つキラーパンサーは、血走った目で獲物を捕らえる邪魔をしたヤンガスをギロリと睨みつけている。
巨大な体躯を鎌一本で支えるのは辛いのか、かすかに震えているヤンガスの腕を認めて、イニスは体勢を立て直す。
そのまま剣を構えなおして、キラーパンサーに切りかかる!
しかし、その動きに気づいたモンスターは、ヒラリとヤンガスの上から飛びのき、巨体に似合わない俊敏さで一気に2人の間合いから遠ざかった。
剣が空を切り、ヤンガスが後方に2、3歩後ずさる。
絶妙な間合いを取るキラーパンサーに、改めて構えなおす矢先──、
「──……メラミ!」
その猛獣目掛けて、高らかな声が響いた。
──と同時。
ドゥンッ!!
目にまばゆいばかりの炎が、地面に激突するっ!
ゴゥッ、とあがった炎の向こうで、キラーパンサーの巨体が大きくのけぞるのが分かった。
炎が激しく猛獣の毛皮を焼いていく。
確かな手ごたえを感じたゼシカが、ニ、と口元に笑みを吐くと同時、彼女の隣に居たククールが、キリ……と弓を番えた。
炎が収まり始めるのを狙い定め──ツ、と細めた瞳が、ブルリと大きく身震いするキラーパンサーを捕らえる。
そして間をおかず……、シュンッ──と、風を切る音とともに、ククールの手から矢が放たれる!
美しい軌跡を描いた弓矢は、一直線にキラーパンサー目掛けて飛ぶ。
狙い違わず、走った矢はキラーパンサーの前脚の付け根にザックリと突き刺さり──、
「よしっ、今だ、イニスっ!」
ククールがそう叫んだ──その刹那。
「……ククールっ、前っ!!!!」
ゼシカが、悲鳴に近い声を上げた。
視線をすかさず飛ばした先──前脚を射抜かれたはずのキラーパンサーが、後ろ足で地面を蹴り、飛び掛ってくるのが見えた。
その前足から、ダラリと流れた血が飛び散るように後方に引かれるのが、ひどく印象的に目に映えた。
とっさに体が動いていた。
ククールは次の矢を番え、弓を引き絞ろうとするが、それよりも獰猛な獣の動きの方が早いっ。
弓に矢をかけたところで、目の前に獣が押し迫る。
「ククールっ、ゼシカっ!」
駆け寄ってくるイニスとヤンガスが間に合うはずもなく──ククールは、正面から飛び込んでくる獣の前足から逃れるように、背後に跳躍することを選んだ。
けれど、飛び掛ってくる獣は、いち早くククールの意図に気づき、丸めた背筋を伸ばすようにして前足を伸ばしてくる。
ガツッ──。
「くっ……っ。」
肩口を獣の鋭い前脚に捕らえられ、脚がもつれたかと思う間もなく、視界が反転する。
目の前には、巨大なキラーパンサーの獰猛な牙。
ズシリと背中から地面にたたきつけられ、己よりも大きい体躯のキラーパンサーが圧し掛かってくる。
完全に身動きは取れない。
肩口にのしかかる重みと、食い込む爪が、奇妙な圧迫感を伴っている。
怒りの色を滲ませたキラーパンサーの顔が迫ってくるのに、慌てて逃れようとするが、肩に乗った獣の爪でズキリと痛みが走るだけだった。
せめて持っている武器が弓じゃなくて剣であったなら、迫ってくる牙に剣をかませて、少しは抵抗できるものを。
そう思いながらも、必至で自由が利く脚でキラーパンサーの後ろ足をけりつけようとした瞬間だった。
「ククールっ!」
どこか切羽詰った色を滲ませた叫び声が、聞こえた。
と思うや否や、ガツンッ、と衝撃が走る。
近くにいたゼシカが、持っていた杖でキラーパンサーを殴ったようだった。
目の前に迫っていたむき出しの獣の牙が、一瞬動きを止めた。
──しまったと、そう思うよりも早く、キラーパンサーはククールの体の上にのしかかったまま、前脚の片方で、バシリとゼシカを払いのけた。
普通の獣ならば届くはずのない距離だが、巨大な体躯を持つキラーパンサーには十分な距離だった。
もう一発ムチをくれてやろうと、大きく振りかざしていたゼシカは、目の前を風が切るように飛んできた一撃を、避ける余裕はなかった。
ガシッ!!
「キャァッ!!」
「ゼシカっ!!!!」
赤い血の色が、走った。
ゼシカは叩きつけられるようにして、後方へ吹っ飛んだ。
ズザザザ……と草原の草をすべるようにして飛んでいく体は、動きを止めたとたん、クタリと力無くして地面に伏せられる。
それを認めることもなく、手負いの獣は無造作にククールに向き合った。
その前脚の──爪先に、ザックリと裂けた布が引っかかっていた。
かすかに血に濡れたそれを認めた瞬間、ククールの頭の中が、カッ、と赤くなった。
「──……くそっ!」
小さく罵りの言葉を吐いて、彼はゼシカの元に駆けつけるべく、必至でキラーパンサーの巨大な足をどけようと、手を、足を動かせる。
けれど、動けば動くほど、自分の肩にキラーパンサーの爪が食い込み、ギリリと奥歯を噛み締めるほどに痛い。
くそ──……っ。
焦る気持ちにさらに拍車がかかった瞬間──……、
「はぁっ!!」
凛々しい──けれどどこか焦りを交えた青年の声が、高らかに聞こえた。
──刹那、ククールの真上に乗っていたキラーパンサーが、大きく体を震わせた。
続けて、ドゥンッ、とさらなる衝撃が走り、とうとう獣はククールの真上から転げ落ちる。
そこへさらに追い討ちをかけるように、ヤンガスが痛みに悶絶するキラーパンサーを追った。
ようやく──本当にようやくと感じるほどの時間を経たように感じるほど長い時間だったと、ククールが目を見開く前で、初めの一撃を地獄の殺し屋に食らわせた青年は、チャキンと剣を持ち帰ると、
「ククール、回復は頼むっ!」
そういい置いて、ダッ、と駆け出していく。
あの俊敏な動きの獣は、ヤンガスの動きでは追いきれないからだろう。
特に手負いの獰猛な獣は、隙あらば飛び掛ってくるのだから──今、ククールがそうあったように。
ククールはその場にムクリと起き上がり、ズキンと走った肩に軽く眉を寄せながら、痛みを訴える肩に手を当てた。
そのまま一瞬意識を集中させ──ふわり、と聖なる光が掌に宿るのを感じた。
痛みが急速に遠のいていくのを感じながら、ククールは立ち上がり、横手に放り出された形になった弓を手に取った。
そして、視線をあげた刹那。
ザンッ──と、耳に重く響く音がした。
間をおかず、イニスが斜めにおろした剣の前──目を見開いて、動きを止めたキラーパンサーが、ガクガクと小刻みに震えた。
かと思うと、そのままキラーパンサーは体を傾がせて……バタン、と、倒れた。
やった、と拳を握るヤンガスが、鎌の先でゴロリと大きな獣の顔をひっくり返すが、強い一撃を受けたキラーパンサーは、それ以上動くことはなかった。
それにホゥと吐息を零して、イニスはチャキンと剣を治めて、ククールとゼシカを振り返った瞬間、不意に顔を顰めた。
「ククール…………。」
その低い声を聞いて、ククールは立ち上がった服についた草をパタパタと落としながら、
「結構、苦戦したな〜。」
暢気に口にしながら、ゼシカの方に視線を転じた。
そこではゼシカが、右腕を押さえながら、千切れたスカートを見下ろして、しゃがみこんでいる。
「ゼシカ、怪我してるだろ?」
見せてみろよ、と、ニッコリ笑顔で掌を差し出すと、ゼシカはそんなククールの差し出した掌に、ニッコリ微笑みながら掌を重ねるなり──。
「──……イオッ!!!」
渾身の力を込めて握りつぶした掌目掛けて、思いっきり良く──叫んだ。
苦戦の末に倒した「地獄の殺し屋」ことキラーパンサーを無事にスカウトし終えた面々は、戦闘に入った瞬間に、勢い良く遠くの木のあたりまで逃げていたトロデ王と姫を呼んだ。
彼らが合流すると、そこでは戦闘の過酷さを物語るような光景が広がっていた。
倒れた草に、かすかに飛び散る血の色。
誰の服も千切れて破れて、かすかに血がにじみ出ている。
特にひどいのが、半径1メートルは焦げているのではないかと思われる場所に、突っ伏して倒れているククールである。
男前が台無しになるのではないかと思うほどに色よく炭色に塗れている。
そのククールを見るなり、
「ど、どうしたんじゃ、ククールっ!? もしや、あのキラーパンサーは火まで吹いたのかっ!!?」
驚いたようにトロデ王が目をひん剥いて叫ぶが、ククールはピクリと動くだけで答えられそうにもない。
近づいてきたミーティア姫が、汚れた顔を布でぬぐっているイニスに顔を近づけるが、イニスはそんな彼女に苦い色を滲ませるだけで、特に何か答えることはなかった。
──けれどその彼の視線が、チラリ、とゼシカの方に当てられたのを、ミーティア姫はしっかり目撃していた。
さらにそのタイミングで、
「自業自得だわ。」
キッパリはっきり、言い切ってくれたものだから、トロデ王もククールのその惨状が、ゼシカのものであることを悟る。
それと同時、彼は小さな肩をストンと落として、ヤレヤレとかぶりを振る。
「なんじゃ……またか、ククール。」
「フェミニストを豪語してるくせに、こと戦闘になると、ゼシカ姉ちゃんの回復を忘れるでげすよ。」
トロデ王の考えを肯定するように、ヤンガスが呆れた調子で呟くと、ピクリ、と指先を動かせたククールの体から、淡い光りが放たれ始める。
その「ベホイミ」の明かりを、ゼシカはどこか冷めた視線で見守る。
草の上に直接座り込んだゼシカは、そのまま膝を抱き寄せると、頬杖を付きながら、
「ククールに『カリスマ』スキルをあげさせるのって、問題がオオアリだと思うわ。」
不意に、そう苛立ちの色を滲ませて呟く。
「そりゃまた、どうしてじゃ?」
なんとか起き上がる程度には回復したククールが、ぶっすりと黙り込んでいるのを横目に、トロデ王がイニスとゼシカの顔を交互に見上げて尋ねる。
そんな彼に答えたのは、一人立ったままあたりを見回していたヤンガスであった。
「ククールが、常に、自分最優先なんでげす。」
「──────………………ハ?」
きっぱりはっきり言われた、とても耳に良く届くその台詞にイミが分からなくて、トロデ王はとがった耳に手を当てて、ヤンガスに向かってイヤミのように聞き返す。
そんなトロデ王に、ヤンガスはイヤそうに眉を寄せるが、トロデ王に代わりに応えたのは、馬車の中から水筒を取り出していたイニスであった。
「実は、ククールにカリスマスキルを覚えるようにお願いしてから、『命だいじに』でお願いすると、いつも、気絶寸前の危険な人間よりも、自分を優先してベホマするようになっちゃって、困ってるんです。」
かすかな苦笑を滲ませながらそういう口調には、困ったものだという色がアリアリと出ていた。
その言葉を受けて、ほほう、とトロデ王は頷く。
「それはいかんな。ククール。確かにおぬしが自分大事なのはしょうがないとは思うが、戦闘はチームワークじゃぞ。」
戦闘に参加していないトロデ王に、さも当然だろうと言わんばかりに胸を張られて言い切られたククールは、ムクリと上半身を起こして、懐から出してきた布で顔を乱暴に拭い取る。
「だからソレは言っただろ? とりあえず回復役が死んでたら洒落にならないか、まずは俺が体勢を取り戻さないといけないからだって。
今のだって、俺がまず回復しないといけない状況だったじゃないか。」
ちゃんとチームワーク基づいて行動していると、きっぱり言い切る彼に、先ほど死に掛けたゼシカがギロリと睨みを利かせて、
「あと一撃で死んじゃう人間を放って、まだ攻撃受けても動けそうな自分を優先的に回復することの、ど・こ・が、チームワークだというの?」
「──……倒れてるゼシカの元に駆けつけるのが遅くなったのは謝るけどな……。」
「あら、だってしょうがないじゃない? ククールは、自分最優先なんだから。」
とげとげしい台詞を吐いて、ツン、とゼシカは髪を払いのけて顎を反らした。
そんな彼女に、だからな──と、ククールが口火を切るよりも早く。
「そうだね──、ククールってば、カリスマスキルが30超えた辺りから、ベホマラーかけて欲しい場面で、自分だけベホマかけるとか、そういうことが多くなったよね。」
イニスが、にっこり笑顔でそう言った。
その笑った目元が、全く笑ってない。
思わず、ピタリ、と動きを止めたククールに追い討ちをかけるように、
「兄貴の言うとおりでがす。
カリスマスキルって言うよりも、ナルシストスキルの間違えなんじゃないでげすか?」
「うまい! ヤンガスっ!」
パチンッ、とその台詞に反応したのは、ゼシカだった。
不機嫌そのものの顔もドコへやら、ゼシカはキラキラと輝く瞳でヤンガスを見上げると、
「絶対そうよっ! ククールのカリスマスキルは、ナルシストスキルの間違えなんだわっ!!!」
「──……って、それを言うなら、ゼシカのお色気スキルだって、お色気って言うより、ダメージ系じゃないか!」
しかも戦闘中のことだから、それを眺めてる暇もない!
そう叫ぶククールには、
「いいじゃないか、それで敵が見とれて攻撃しないのが多いんだし。」
アッサリとイニスが流してくれた。
「ということで、今日からククールの『カリスマスキル』は、『ナルシストスキル』に決定〜っ!
これからレベルアップするときは、ナルシストスキルにポイントを入れるの? って、聞くからね。」
つまり遠まわしに、これ以上カリスマスキルを上げるなという、ゼシカからの無言の圧力である。
賛成の人ー、と手をあげて挙手を願い出るゼシカに対し、ククールの自分本位の回復でずいぶん迷惑をこうむっているイニスも、おかげでホイミや力の盾を絶好調に活用する羽目になっているヤンガスも、問答無用で右手をあげて、ゼシカに同意を示す。
さらに、話が分かっていないくせに、トロデ王は右手と左手を同時にあげて、
「左手はミーティアの代わりじゃぞ。」
とまで付け加えてくれた。
その行動に、思わずククールは拳を握り締めて、反論を試みる。
「──……いや、でも、カリスマは、メダパニーマとか、グランドクロスを覚えるようになるんだぜっ!?」
──が、しかし。
「ん、別にメダパニーマは使わないし、ジゴスパークさえ習得すれば、それで十分だと思うよ。」
イニスがニッコリと──しかし有無を言わせぬ口調で言い切った瞬間。
突発で起きた、「カリスマ会議」は──終了した。
「多数決&リーダー判決で、さっくり決定ね。」
「さすが兄貴でがす。」
「うむうむ、わしの部下は優秀そろいで、結構、結構。」
「ひひーん。」
一同、挙手していた手を収め、同意を示すようにパチパチと拍手が沸き起こった。
その音を聞きながら、ククールは無言で手の平を見下ろし──、
「──……いや、でもやっぱり、あの順番で正しかったと思うんだけどな………………。」
誰にも聞こえないように、ポツリとそう零した。
実話です(笑)。
カリスマスキルを50くらいまであげちゃったら、ククールってば「自分のベホマ」が最優先してくれて……ザオリクよりも、瀕死のゼシカへのベホマよりも、自分へのベホマっ! 次に主人公! 最後にゼシカっ!
だったので、「女大好き」設定、嘘だろっ! っていうか、ゼシカのことを女だと思って無いだろーっ! と何度思ったことか……。
絶対、カリスマスキル=ナルシストスキルだと思います。
──ただそれだけ……(笑)
一度や二度なら笑って済ませられるけど、何度も続くと、「それを優先して当たり前」な状況下でも、点数は辛くなります。