闇色の恋







「平和って、やっぱり暇なものねぇ……。」
 しみじみと呟いて、彼女は二階の廊下の窓から、遥かな海を眺めていた。
 小さい頃からみなれた、毎日違う顔を見せる海は、どこまでも続く美しい色を称えている。
 どこまでも続く海は、果てない水平線で空と一つになる。
 海と空は、どこまでもお互いを追いかけていき、それを邪魔するものはないのだと、父からも母からも教わった。
 けれど、今は違う。
 多くの冒険と、多くの出会いや別れを経て、彼女自身も手を貸し、世界が以前の姿を取り戻してきたのだ。
 遥かに続くエメラルドグリーンの海には、美しい海と空を分ける島影がそこここに見えた。
 冒険に次ぐ冒険を繰り返し、父や母を心配させて来たツケを、今更支払われた気持ちを抱えながら、彼女は窓の桟に腕を横たえ、その上に顎を乗せた。
 強い陽射しの下で戦った日々により、赤く腫れた皮膚も、こんがりと焼けた肌も、何もかもが白く戻り、あの退屈な日常が戻ってきたような気のする日常ばかり。
 弱って倒れた父が、少しずつ元気を取り戻して行く中──それでも、また娘が冒険に飛び出して行くのではないかと不安を抱えているらしく、治りはすこぶる不調だ──体はどんどん怠けて行っている。
 かと言って、訓練や修行などしようものなら、父の精神過労を後押すことは間違いなく……正直な話、激化する戦いに思いを馳せれば、絶対、今の私って足手まといよね、と思ってしまうのだ。
 そんなことを鬱々と考えながら、彼女は溜息を零す。
 戦いと冒険と──そんな生活の中に居た頃は、とにかく必死だった。
 辛いことも、痛いことも、悲しいことも──嬉しいことも、楽しいことも、何もかもが裏表に存在していた。
 だから、何もかもをありのまま受けとめて、その時の感情を抱えて、前を見据えて行くしかなかった。
 そうしないと、死が待つだけだったから。
 戦って、泣いて、戦って、叫んで。
 ────あの日々が、嘘のようにこの村は穏やかだ。
 魔物なんて存在しない。
 哀しみなんてありはしない……いや、太陽のような王子を無くした哀しみは、今もこの島をやんわりと覆ってはいるけど、それもマリベルとアルス達が新しい冒険を繰り返しているうちに、だんだんと人々の哀しみを和らげて行ったようだった。
 けど。
「ふ、と現実に帰ったみたいな気分だわ。」
 はぁ、と溜息を零して、彼女は右手を空に透かして見せる。
 目を細めると、手の平の周囲に淡い光の膜が見える。
 こうして普通の生活を送っている今も、体全体には薄い魔法の防御膜が張られているのだ──無意識のうちに。
「冒険が夢の中だったみたい──なんて思えるくらいなら、いっそアレも夢だったら良かったのにね。」
 一人だけ、ぽつん、と現実に──もとの平和な、変哲もない現に帰ってきたようだった。
 今、この瞬間にも、死と背中あわせの世界で戦っている幼馴染だけを置いて、一人だけ……帰ってきたようだ。
 あの旅立ちの日から、ずっと平和な現世界から逃げてきていた。
 その現実が、不意に目の前に付きつけられて、
「一人で現実を見るのって、結構痛かったりするわ。」
 いっそ、「あの当時」に付きつけられたほうが、周りと共に嘆けた分だけ幸せだったろうか? 嘆く面面を叱咤し、あの自分勝手な王子に怒鳴りちらして、怒りも哀しみも燃焼できただろうに。
「…………まぁ、今から味わっておいて、さっさと現実に返っておいたら、後でこういう状況になったアルスを、サクサクと突っつくくらいのことはできるんだろうけど、さ。」
 言いながら、視線を落として見るのは、アルスの家がある砂浜。
 穏やかな波が打ち寄せるそこには、誰も立つことがない。
 旅に出る前には、あそこでアルスとキーファが居て、見つけた瞬間にマリベルは飛び出していったものだ。
 今日という今日は、あいつらの秘密を嗅ぎ付けてやる、と。
──そうして、その結果、あの旅に出ることになって、そのまま運命は動き出した。
「あのバカ王子が、私の知ってる光景から居ないってだけなのにね。」
 はん、と鼻でせせら笑い──マリベルは、ふ、と視線を落とした。
 窓の桟に手をかけて、ゆっくりと腕を伸ばした後、彼女はクルリと踵できびすを返した。
 背中の向こうから、聞きなれた波音がする。
 けれど、振りかえってもそこには、見なれた光景はない。
 一人だけ──この島の中で、たった一人だけ。
 王子が居なくなったという現実から、取り残されている。
 その痛みが、ツキン──……と、胸に刺さった気がして、マリベルは桜色の唇に苦笑を刻んだ。






 少年は、潔い眼差しをして、厳しい顔つきで前を見つめている。
 闇色に染め上がった世界は、何度も何度も巡ってきた世界と同じもの。
 息苦しい、絶望と苦しみの世界が、辺りに立ち込めている。
 その中、少女は生ぬるい風がまとわりつく髪を掻き揚げて、ぶるり、と頭を振った。
「……行くの?」
 短い問いであったが、それが何を示すのが分かっていた。
 だから少年は、精悍な顔立ちを少女へと向け──微かに苦笑してみせる。
「行かなきゃ、終わらせることはできないから……。」
 それは、昔見た頼りない微笑みと同じもの。
 けれど、その胸の芯にあるのは、強い──輝くばかりの強い意思。
「分かってると思うけど。」
 マリベルは、そんな彼から視線をずらして、正面を見つめる。
 どこまでも続く、美しい青い海原はそこにはない。
 暗い──夜よりも暗い世界が広がっている。
 よどんだ潮風、沈んで行きそうな暗い海面。細波すらも荒荒しく映る。
「私も行くわよ。」
 きっぱりと言い切った言葉は、アルスには驚く言葉ではなかったらしい。
「うん。」
 すぐにやんわりと返ってくる言葉に、彼女は笑った。
「何よ、やっと、私の必要さが分かったってこと?」
 目を緩めて、マリベルはアルスを見上げる。
 いつのまにか高くなった目線に、悔しさよりも頼もしさを感じた。
 いつまでたっても、ダメな弟だという感覚が、綺麗に拭われているのを感じた。
「うん。──マリベルが居ないと、やっぱりダメなときがあるみたい。」
 微笑むように呟いた少年の、見なれない横顔に、マリベルは一瞬言葉を途切れさせて……そうして、溜息を零して見せた。
「バカね。」
 突き放すような響きを宿したその言葉が、実は全く別個の物であることを、幼馴染である少年自身が誰よりも分かっていた。
 だから、マリベルに視線を向けると、彼女の勝気な目とぶつかった。
 にやり、と笑いあって、二人は視線を同じように前へと向けた。
 今や、呪われた大地の一つとなった、自らの故郷と外の世界を分ける、強大な障壁。
 その障壁の近くに、ユゥラリと見える──双頭の船……。
 それが、どこかで見たような気がすると、ふとアルスはそう思い、軽く目を眇めた。
「急ぎましょう、アルス。」
 ふわさっ、と音を立てて髪を掻き揚げ、マリベルはキリリと唇を結ぶ。
 そんな彼女を見て、アルスも力強く頷いて見せる。
 けれど、彼の目は遠い沖に見える船に囚われたままであった。
「──……ねぇ、マリベル?」
「ドン臭いわね……何よ?」
 ジロリ、と睨み付けるマリベルの目を見ずに、アルスは沖を指差し、
「あの船──……見覚えなんて、ない……よね?」
 どこか自信なさそうに尋ねるアルスの言葉に、マリベルは軽く目を見張った。
 けれど、それ以上の表情も動作も見せずに、彼女は唇を引き結んだまま、船の方角を見た。
 どんよりと濁ったような潮風が吹いてくる中、マリベルは大きな瞳を細めて──、
「どこにでもある船じゃないの?」
 そう、つっけんどんに言い切った。
 ────あれほど巨大な船が、どこにでもあるわけがないのだと…………分かっているくせに。

















「……………………。」
 気づいていた。
 本当は、気づいていた。
 けど、気づきたくなりフリをしていただけ。
────気づきたくなかった、だけ……………………。
 ぎゅ、と指を組み合わせて、少年は甲板の上に、ぽつん、とたたずんでいた。
 どんよりと曇った空は、暗雲に包まれている。
 その中、深い闇を司る海は、まるで人を飲み込むブラックホールのようだった。
 濁った、腐ったような潮風が、甲板の上を通り過ぎていく。
 夜の冷えた風は、彼のどこか青ざめたような頬を、更に白く見せた。
 けど、少年は決してそこから動こうとはしない。
 手すりの上で組み合わせた拳に、ぎゅ、と押し付けるように自分の額を突きつけて、彼はきつく目を閉じる。
「──────…………っ。」
 吐き気がすると、彼は下唇を噛み締める。
 噛み締めながら──……でも、現実を受け入れなければいけない事実に、泣きたくなった。
 遠くから聞こえるような宴の音が、笑い声が、今の自分からは果てなく遠い世界のことのように感じた。
 それを耳にしながら、少年は必死で堪える。
 胸の内から沸いてくるような、さまざまな感情を──吐露しないように、必死で…………堪える。
────もう、自分には、泣く場所も、叫ぶ場所もないのだと…………そう、自分に言い聞かせながら…………………………。








 憑き物が落ちたような気持ちと、どこか浮かれた気持ちとを持て余しながら、彼は宴の席には戻らず、自室へと向かっていた。
 遠くに聞こえる宴の声は、つい先日まで凍り付いていた人間とは思えないほど、熱く活気溢れていた。
 その声を耳に止め、船員のことを家族のように思う船長としては、口元に自然と笑みが浮かばずにはいられなかった。
 特に今日は──どこか寒くなった気のする右腕をさすりながら、使命を失った身だというのに、心が浮かれてしょうがなかった。
 それがどうしてなのか、彼自身にも分かっていた。
 つい先日のことのように思える──でも実際は、数百年も過ぎていた世界に残してきた、誰よりも愛した女の面影が、ふわりと浮いてくる。
 魔王に凍らされて、数百年が経ったという事実を、ボルカノという男から聞いたときは、愕然とし、同時になんともいえない喪失感と、絶望とを抱いたものであったけど。
 愛する女は、とおの昔に死んでいる。
 自分が守ろうとした世界は、今も魔王に翻弄されている。
 けど、世界はどうなっているのかと尋ねた自分に、根気強く応えてくれたボルカノの話に出てきた、彼の勇猛なる息子が目の前に現れて、どこか懐かしく思えて。
 そうして。
「────……生きていた…………。」
 その事実が、露見した。
 体にアザを持つのは、神に仕える精霊の加護を持つ証。
 彼らの加護を持つ者には、必ず何かの使命がある。
 男は、それを魔王と戦う使命だと思っていた。
 けれど。
「生きていた…………。」
 自室の扉の前で、緩む口元を抑えられず、小さく彼は繰り返す。
 口にするたび、愛した妻が死んだ事実が胸に染み込んで来るのだけど、その絶望とは相反した喜びが胸の内から沸いてきた。
 同時に複数の感情を抱くのは、人間の特有の感情だ。
 その想いを持て余すように──けれどそれに喜びを覚えながら、男は自室の扉に手をかけた。
 ほろ酔いが体の芯に残るのを感じながら、扉を開ける。
 宴の音や、波の音に混じって、扉が開くときに立てる鈍い音は彼の耳に届くことはなかった。
 なかったのだけれども。
──……。
「────…………。」
 扉を薄く開いて、彼はそこで手を止めた。
 そのまま動きを止めて、別の手がすかさず腰の辺りを探る。
 たとえホームグラウンドであっても、決して手放さない懐剣の存在を、指先で確かめた瞬間。
「さすがは、世に有名な海賊船の棟梁だけあるわね……気配を押し殺したつもりなのに。」
 涼よかな声が、まるで自分の立場をなんとも思ってないかのように、聞こえた。
 睨み上げた視線の先──明かり一つ灯らない、闇色の室内には、一瞥しただけでは誰か居るようには見えなかった。
 けれど、注意深く目を細めると、扉から差し込む仄かな月明かりに照らし出される、華奢な人影が見えた。
 かすかな光にクッキリと浮き立つ、抜けるような白い肌。
 赤の混じった金髪は、豪奢に波打ち、体のラインが出ない服の上で、月明かりを反射している。
「完璧に、気配は殺せていたと思うよ──お嬢さん。」
 自分の部屋に、気配を立ち殺して立っていた少女に──気配を殺していたくせに、扉の真正面にある机に、堂々と腰掛けている少女に、口元を緩めて話し掛ける。
 人を小馬鹿にしたような表情──口元に浮かぶのは、鮮やかな桃色の笑み。
「そう? なら、私が未熟なんじゃなくって、あなたが凄いってことかしらね?
 ──シャーク・アイ。」
 トン、と、身軽な動作で机の上から降り立ち、少女は腕を組む。
 少し斜めに構えて、男を見上げる少女のその仕草は、偉大なる男を前にして、自らの意思を貫こうとしている気負いのような物だった。
「さぁ、どうだろうな?」
 知らず、男は右手の腕をさすった。
 どこか寒々しい気のする腕には、今まで共にあった物はない。
 分かってはいたけれど──いや、分かっているからこそ、ついさすってしまうのかもしれない。
 こうして目の前に対峙して、戦うわけではないが……彼女から漂う気負いが、ビリリと男の皮膚を刺激し続けている。
 彼が生まれた世界は、魔物との戦いにある世界だった。
 彼女が生まれた世界は、ボルカノの言葉を信じるなら、それらからまったく縁遠い世界であった。
 その彼女が、運命に導かれて、自分たちが生きていた世界に行き……命をかけた戦いを何度も繰り返してきた。
 その事実が、彼女を普通の娘ではなく──戦いの中に身をおく娘に変えていた。
 こうして、自分の目の前に立ち、悠然と微笑むことが出来るほどの、戦士に。
「マトモにやりあえば、俺が勝つだろう。」
 腰に差した剣の柄を叩いて、シャーク・アイは口元に笑みを上らせた。
 実戦の数においては、シャーク・アイの方が多い。
 死線を潜り抜けてきた数についても同じだ。
 けど。
「だが、お嬢さんが持つその魔力には、適わないな。」
「…………先ほどまでなら、いざしらず……?」
 軽く笑おうとしたシャーク・アイの言葉を遮って、少女が笑う。
「………………。」
 慌てることなく、シャーク・アイは視線を上げた。
 その先で、少女は何も変わらない仕草で、何も変わらない態度で、シャーク・アイを見つめている。
 けれども、彼女の美しい眼差しが、暗い色に変わっていた。
 シャーク・アイは、後ろ手でドアを閉めた。
 それと同時、室内は暗黒に包まれる。
「……メラ。」
 瞬間、少女が無造作に突き出した指先に、小さな炎が宿った。
 灯りに、少女の白い美貌がほの赤く浮き立った。
 彼女は、その灯りを感情のない目で見やってから、
「確かに、水の守りを持つ人間相手なら、ベギラマ程度じゃ効かないかもね……。」
 そう小さく呟いた。
「……知っていたのか?」
「知らないわ。何も。」
 扉近くに置いてあった蝋燭を手にして、慣れた室内を前へと歩む。
 そして、少女の指先に灯ったメラから、失礼、と声をかけて火種を分けてもらった。
 ボッ、と宿った光に、シャーク・アイの横顔が照らし出される。
 その表情もまた、どこか暗く、痛々しく見えた。
 シャーク・アイは、蝋燭の灯りを、ランプに映す。
 少女はそれを認めて、指先の炎を掻き消した。
「アルスが何も言わないのに、私が何を知っていると言うの?
 ただ、考えただけよ。
 アルスの腕のアザと同じアザが、あなたのアザにもある理由──。」
「………………アイラ殿が、過去のコスタールに行ったと零していた。」
「口を滑らせていた、の間違いね。」
 辛辣に訂正して、マリベルは髪を掻き揚げる。
「────私達は、あなたの協力を無くしては、ココから開放されることもできないわ。」
「協力は惜しまないつもりだ。」
「ええ、だから、必然的に、あなたとアルスの距離は短くなるわよね。」
「……それが?」
 シャーク・アイは微笑み、火の灯った蝋燭をテーブルの左右の燭台に移す。
「──正直な話、こういうことをわざわざ話すのは、まるで私がアイツの保護者のようで、ご免こうむりたいところなんだけど。」
 マリベルは、そんな男を見上げて、唇を一文字に結んだ。
「気づいていないフリをしてくれないかしら?」
「──何を?」
 曖昧に微笑む男に、マリベルは一瞬眉を顰めた後、ホロリ、と綻ぶように笑って見せた。
 彼の答えが、自分の「願い」の答えに違いないと、理解したからだ。
「……ありがとう。」
 ヒラリ、と闇夜に舞う蝶のように軽やかに、マリベルはシャーク・アイの横を通り過ぎる。
 彼が約束をくれた以上、ココに居る理由などなかった。
 少し風に当たってくると断って、あの宴を中座した手前、なるべく早く戻らないと、きっとアイラが心配して見に来てしまう。
──まだ、誰にも知られるわけには行かなかった。
 当事者であるアルス自身にすらも。
 少女が、シャーク・アイの隣を通り過ぎる間際、フワリ、と甘い香りがした。
 その、どこか懐かしく感じる女物の香水の香りに、シャーク・アイは軽く目を細めて……シャラリと揺れる彼女の髪を目で追う。
「──……今だけ……一つ、聞いてもいいか?」
「……。」
 扉に手をかけて、一度だけマリベルが振り返る。
 それが、自分の質問への許可であると感じて、シャーク・アイは彼女の澄んだ瞳を見返す。
「ボルカノ殿から、俺と同じ血は感じられなかった……海の男ではあったが、水の民ではなかった。
 ────アルス殿の母君は……。」
 そこで、一瞬、彼は言葉を詰まらせた。
 ランプの明かりが届かない場所で、マリベルが鼻の頭に皺を寄せた事がわかった。
「…………300年以上も経っているんだもの。面影なんて、残ってるはずもないってことくらい、あなたも分かっているんじゃないのかしら?」
「……はは……そうだな…………。」
 苦い笑みを刻み込んで、シャーク・アイは、自分が何を口にしようとしていたのか──恥ずかしいことを口にしかけていたと、喉で笑った。
 そんな彼を、闇にまぎれて見えない場所で、マリベルは静かに見つめて……キリ、と、彼に気づかれないように唇を噛み締めた。
「────それに、私、コスタールには行ったことがないの。
 アイラから、土産話として、話は聞いているけれど。」
 …………だから、「答え」を、知っているけれど。
 教えない。
 教えてなんか、あげない。
「──……そうか……。」
 ランプの明かりに、日に焼けた男の顔が映し出された。
 どこか甘く苦い笑みを浮かべる、戦士の顔だ。
 マリベルは、その──幼馴染に良く似た男に。
「……おやすみなさい……シャーク・アイさん。」
 苦い──苦い想いを、無理矢理飲み下した。

 

 なんておろかなことをしているのだろうと、そんな自覚はあった。
 でも。
「平和って、退屈すぎて──痛いわ。」
 小さく呟いて、マリベルは海風に翻弄される自らの髪を背中へと払いのけた。
 甲板へと降りる階段の手すりに手をかけて──その手を止める。
 暗闇の中、手すりに両手を乗せたままの姿で、震える体を必死に堪える少年の姿があった。
 一瞬、どうしようかと迷ったが、すぐにマリベルはかぶりを振って、彼が居る方とは別の階段へと踵を返す。
 くだらない。
 くだらない、ことだわ…………。
「………………くだらないけど…………それが痛いと思うのは…………どうしてかしらね?
 ……あんたなら、答えを持っているのかしら……ねぇ? 馬鹿王子?」
 答えを。
 答えを欲しいと、思った。
 あなたが居ない。
 あなたの答えがない。
 秘密も、痛みも、喜びも。
 ずっと分け合ってきた人が居ない。
 ただそれだけの事実が、酷く痛いと思った、平和な日常。
 それが一転して──一番初めに感じた痛みが、コレだと言うのなら。
 なんて神様は意地悪なのだろうと思った。
 彼が居ない。
 その事実が、痛くて、苦しくて──、
「…………っ。」
 ギュ、とマリベルは拳を握り締める。
 噛み締めた唇が、痛いほどに食い込んでいた。
 それでも、その痛みをもってしても、心の痛みを払拭することは出来なかった。
 彼が居ない。
「──……アルスを慰めるのは、あんたの役割だったじゃないの……っ。」
 誰かの慰めを必要としなくなるほど、強く生きていけるなら、それで良いだろう。
 けど。
 自分の生い立ちなんて言うものを、たった一人で抱えなくてはいけない少年を──一体、誰が慰められると言うの?
 誰が、彼に叱咤できると言うの?
「あたしの役割じゃ、ないでしょう……っ。」
 小さな胸を握り締めるように唸り、マリベルは目をゆがめた。
 その視界が小さく滲み──彼女は、強く、強く……。
「………………っっ。」
 幼馴染って、だから嫌なのだと──悪態づくように、心の中で、呟いた。














ドラクエ処女作「虹色の水」の、マリベルバージョン。
普段の戦いなんかでは、キーファのことを思い出すことなんて無いのに、こういう精神的な面のイベントが起きると、昔から側にあった人にすがりたくなる、思い出したくなる──そんな一面を描いてみたつもりです。
アイラから話を聞いているから、何が起きたか気づくマリベルと、
マリベルが知っているはずはないからと、必死で押し隠そうとするアルスと、
二人、同時に、ココには居ない──自分の感情を吐露できる、信頼できる幼馴染のことを思う。
幼い頃から知っているから、アルスの苦悩も、マリベルの苦痛も、理解できるはずの人。
そういう人が昔居たからこそ、今居ない事実が、酷く胸に答える。
こういうとき、一生──もう二度と会えないという空虚感が再び胸に押し寄せてきて、二重で苦しく感じてしまうものです。
自分がドッチで苦しんでいるのか、わからないくらいに…………。



さて、題名が闇色の恋、なのですが。
────誰が誰に恋してるでしょうね…………これ?
いや、なんだか雰囲気的にはこういう題名にしてみたのですが、別にアリマリじゃないです。


密かに、シリアスダークを目指す、痛い主人公を狙うなら、この後パーティに戻ったアルスに、アイラが、悩んだ表情で、
「シャーク・アイさんに、アニエスさんのこと……話したほうがいいのかしら?
 アルス、どう思う?」
って話を持ってこられたり。
で、アルスは一瞬ギクリとするんだけど、何事もないように微笑みながら、
「どう……かな? 今のこの状況で、本当にアニエスさんが無事なのか──海底世界が無事なのかも分からないからね…………。」
と、回答を濁したり。
「今は、それよりも、ココから出て行くことが先決だと思うわね。
 話したいことはたくさんあるでしょうけど、今の私達には、その余裕がないんだもの。
 それに、言葉は悪いようだけど、期待させておいて、実は……なんてことになったら、協力してくれるシャーク・アイさんに申し訳ないわ。
 せめて、全てが終わってからにしたほうがいいと思うの。
 万が一生きているかもしれない、なんてことになったら、愛する人の生死だもの──何をおいても探しに行きたいという気持ちを押し殺して、私達に付き合わせることになってしまうもの。
 それは──辛いわ。」
そして、したり顔でそのアルスに援護をするマリベル。
それを聞いて、アイラは「それもそうね」とアッサリ納得するのだけど。
アルスだけは……。
「…………マリベル…………。」
「──正論でしょ?」
 もしかして?
 そんな顔をする彼に、何でもないことのように、ツン、と顎を上げて答えてみせる。


全ては、戦いの後に────…………。