遠く離れていく輿を追って、ただひたすら走った。
息が切れてきて、喉がヒュゥヒュゥ鳴って、肺が痛んでも走り続けた。
それでも輿は遠くなっていくばかりで、決して距離は縮まらなかった。
でも走ることはやめなかった。
輿が通った跡が残る道を、走り続けた。
姉と一緒に何度も何度も通った道を、たった一人で走った。
繋いだ小さな手は、優しくて暖かくて、いつも自分を抱きしめてくれたもの。
今は差し伸べた手を取ってくれる人は居ない。
その人は、輿の中で、白い透けた服に身を包み、清廉の花を髪につけ、静かに座っているのだろうから。
けど、その手を再び取るために、少年は走った。
走るのを止めるつもりはなかった。
目はひたすら遠ざかっていく輿を追い続けていた。
そうしないと、怖かったから、もう手の届かない場所に行ってしまうと、ただそればかり考えていたから。
走って、走って、走って。
咳がこみ上げてきて、目がくらんだ。
それでも走って。
足が縺れて、必死で霞のように遠くなった輿を睨んだ。
けれど。
輿が、重厚な扉の向こうに消えて――絶望にも似た思いが彼を襲ったその瞬間に、ガツッと、誰かに腕を取られた。
思いもよらない力に、弱っていた足がたやすく縺れて転んだ。
膝をつこうにも、腕にぶら下げられて足は地面につかなかった。
無気力な顔で見やる先に見えた扉は、一部の隙もなく閉められる。
それが、姉との、永遠の別れなのだと――――――理解したくない頭の中で、彼は思った。
もう二度と会えないのだと思うと、涙が込み上げてくるはずなのに、熱くなった瞼は、ただジリジリと瞼を焼くだけだった。
どれほど生活が苦しくても、どれほど幸せから縁遠い生活であったのだとしても、どれほど荒涼した町だったのだとしても。
それでも、姉が居てくれれば、幸せだったのに。
些細な幸せを、二人だけで守ってきたというのに。
――――どうして俺達は生まれたきたのだろう?
どうして俺は、力が無いのだろう?
どうして俺は、守られることしか考えていなかったのだろう?
どうして俺は、守る力を持つことを、考えなかったのだろう?
答えは、まだ……闇の中。
楽しげに笑う玉座の男の笑い声が勘に触る中、青年はしっかりと柄を握り締めて、少年と対峙していた。
何度かめぐり合った彼は、いつも目の中に闇を持っていた。そして同時に、癒されない傷を抱えていた。
ほんの数度のめぐり合いに過ぎなかったのに、それが胸の中に強く印象づけられていた少年は――今、青年の前で敵としてはだかっていた。
それも、正気の彼ではない。今の彼の目はどんよりと曇り、先日会った以上の闇を心に抱えていた。
まるで操られているようだと思うと同時、まるでじゃない、操られているんだと、青年……イザは苦く事実をかみ締める。
ヘルクラウド城の玉座の間――玉座に座るのは、近くに居るだけでも威圧感がヒシヒシと感じる、地上に居る4人の魔王の一人だ。今までの魔王とは格が違うほどの瘴気を感じる。
そして、そんな彼の「お気に入りの私兵」というのが、イザの目の前に立つ少年のことであった。
青いターバンを頭に巻き、青いマントを身につけた――青い迅雷、テリーと言う名の美少年である。
白皙の肌に、見目麗しい容貌。女たちが彼を見ては騒ぎ、彼の強さを見ては男達は戦く。
彼の名は、どこの町でも――彼が行ったことのある町ではどこでも聞けた。
それほど少年は誰の脳裏にも軌跡を描き続けたきたのだ。
一度彼の強さを目の当たりにしたことがあったが、その強さは尋常ではなく、彼ほどの剣士がここでこんな風に魔王に操られているのはにわかに信じられなかった。
魔物が化けているのではないかと疑いもしたが――世にはそういう魔法もあるのだと聞いたことがあるから――、そうではないことは、彼の目を見ればわかった。
「くそっ、どうする、イザっ!?」
苛立つように、目の前に忽然と現れた少年を威嚇するように構えながら、ハッサンが目をそらさず聞いてくる。
そう聞かれても、イザにはなんとも返答のしようがなかった。
何せ、どうしようか考えているのはイザも同じだったのだ。
「アイツに操られているのでしたら、まず彼を気絶させるか何かして、その間にあのデュランとか言う魔王を倒すのが一番なのでしょうけど――。」
チャモロは、ちらり、と玉座で面白そうに人間同士の戦いを見物しようとしている魔王を一瞥する。
しかし、チャモロにしても、テリーの強さは目の当たりにしている。
彼を気絶させてから、魔王を倒すなんて――その気力が自分達にあるのだろうかと、危惧を覚える。
「それって、結構大変じゃないのー!?」
バーバラが、ピシリとムチをしならせて、でもやるっきゃないか、と唇を舐め取った。
隣で同意を示して獣化のために意識を集中させ始めたのがアモスである。彼は多くは語らないが、言うべき言葉は同じであると感じているのだろう。
イザは、そんな仲間達の台詞に頷き、ラミアスの剣を握り締めた。
なんとか、彼に致命傷を与えないように、戦闘不能にしなくてはいけない。
たとえどれほど嫌なやつであろうとも、死を望んでいるようにしか見えなかろうとも――それでも自分達は、人を殺すつもりはないのだから。人を救うために、ここまで来ているのだから。
自分達には、癒しの一族であるゲントの次の長老であるチャモロが居る。
チャモロならば、彼の傷を癒してくれるだろう。
その不思議の力によって、イザたちも多いに助けられてきたのだから。
「よし、それじゃ皆……っ、行くぞっ!!」
掛け声一つ、イザが駆け出そうとした瞬間、ヒュンッと、目の前の少年の影がぶれた気がした。
え、と目を見張る間もなく、青い線が走りぬけ、
「イザっ!!」
バーバラがムチをしならせるよりも早く、イザは自分の真横に少年の容貌があるのに気づく。
ひやり、と背筋が凍りつくような感覚を覚えたイザ向けて、テリーは剣を突き出そうとするが、ちょうどイザの後ろに居たチャモロに杖を突きつけられそうになり、キュキュッと床を鳴らして位置を変えた。
そこへ、バーバラがムチを振り下ろす。
少年は何でもないかのように、左腕を掲げ、ぶん、と軽く振った。
「……っ。」
バーバラが振り下ろしたムチは、ヒュヒュンッと音を立てて、少年の左腕に巻き付く。
何をする気なのかと、彼女が眉を曇らせた瞬間、
「バーバラっ! 手を離せっ!!」
イザが、叫んで剣を振りかぶる。
けれど、その意味が彼女に通じるよりも先に、テリーは左腕をグイ、と引いた。
見た目の華奢さ加減に惑わされたバーバラは、思いもよらない強さに、床から足が浮く。
そしてそのまま、自分のムチごと振り回された。
「……きゃぁっ!!」
ムチから手が離れると同時、バーバラは10メートルほど飛ばされ、床に打ち付けられる。
「バーバラさんっ!」
咄嗟にチャモロが彼女のもとへ駆け寄ろうとするが、バーバラは頬についた擦り傷に手を当てながら、大丈夫だと片手を上げる。
頭がクラクラしていたが、大事はない。
テリーの左腕は、ムチに締められたためか、皮膚が切れて血が滲んでいた。
彼はそれに頓着せず、無造作に右手で雷鳴の剣を振るう。
その剣をラミアスの剣でとめて、ぎり、とイザは唇をかみ締める。
――魔王の力で、力が増幅されているのか……っ。
ハッサンがテリーの後ろから、回し蹴りを入れようとする。
けれど、その足すらも、ムチの絡みついたままのテリーの左腕でせき止められる。
「んな……っ!?」
めりり……と、筋肉が更に盛り上がった足を、テリーは一瞥してクンッと振り払った。
バランスを崩したハッサンの頭上に、
「……ハッサンっ!!」
チャモロが慌てて両手で術を切るが、間に合わない。
帯電したいかづちが、思い切りハッサンの体に落ちた。
「ぐぉわぁぁっ!」
ががががっ。
体中が踊るように身悶えるのを無表情に眺めて、テリーは自分の左腕を振るい、ハッサンに近づこうとしていたチャモロをムチの柄で横殴りにする。
思いもよらない方向から飛んできたムチに、チャモロは右目横を掠められ、顔を大きくのけぞらせた。その一瞬のたたらを踏んでいる間に、テリーは更にハッサンに同じくいかづちを落とす。
「……や、やめろぉぉぉぉーっ!!!!」
イザがとっさにラミアスの剣から力を抜き、そのまま体重をかけて間をおかず切り出した。
かきぃんっ、と音が鳴って、テリーの雷鳴の剣が軽く弾かれる。
けれど、柄はしっかりとテリーの手に握られていて、たやすく手から剣を取り除こうとすることは出来ないようだ。
静かな眼差しをイザに向けて、テリーは足を踏み出した。
連続で剣を振るうテリーの剣を、必死にイザは受け止める。
ずさ、ずさ――と後に下がっていくイザとテリーの間に、バーバラが右手に掲げた炎を打ち落とす。
「メラミっ!!」
さすがに威力を抑えているのは、テリーとイザとの距離が狭いためだろう。
それでも魔力値の高い彼女が放つ炎の呪文は、どごっ、と大きく床をえぐり、イザとテリーを離れさせるのに十分であった。
そこへ、
「ぐぉぉぉーっ!」
勢いをつけたアモスがテリーを上から押さえつけようと足を大きく上げる。
テリーはそんな彼を見上げ、無造作に剣を上に差し出した。
その仕草に、
「……ダメです、アモスさんっ!!」
ハッサンの治癒にかかりきりになっていたチャモロが、張り叫んだが、間に合わない。
ずさっ。
「………………アモスっ!!!」
イザが、無防備になったはずのテリー向けて走る。
彼は、アモスが足を落としきる前に、素早く彼の足の下から抜け出していた。
その手には、何も武器はない。
――今なら。
「ぎゃぁぁぁぁっぁっう!!」
あまりの痛みに、みるみるうちに人間の姿に戻っていくアモスに、チャモロが悲壮な表情を浮かべた。
彼の右足には、切れ味の良さそうな刃が突き刺さっていた。
「チャモロ……行ってやれ……っ。」
低く、ハッサンが呟く。
その彼の頬には未だ焼けどの跡が残り、体中にもところどころ黒い部分が残っていた。
でも――と、ためらうチャモロに、あっちのが重症だろうが、と送り出し、ハッサンはチャモロの背中を押し出す。
大きく頷いたチャモロに、ハッサンは苦痛の息を押し殺し、立ち上がった。
見やる先には、テリーに向かって走るイザの姿があった。
彼は、ちゃきんと刃を鳴らし、無防備にしか見えないテリー向けて、振りかぶった。
「――……っっ、ダメっ! イザっ!! 逃げてぇぇぇっ!!!」
その瞬間であった。
今の今まで、ずっと動かずに一連の出来事を見守っていた女性が、喉も裂けよとばかりに叫んだのは。
イザはその声を耳に、前に立つ少年を目にとめる。
銀髪と紫の瞳に――優美な美貌は、ゆっくりと目をイザに当て……唇で、のろいを吐く。
「ジゴスパーク。」
バシンッ!!
何かがイザの上ではじけた。
振りかぶったラミアスの剣は、決して振り下ろされることはなかった。
少年は無傷で立ち尽くしたまま、一同を見ていた。
尋常な強さではなかった。尋常な速さではなかった。
凍りつくような眼差しで、テリーはイザを見た。
全身創痍の姿で床に倒れ付すイザを、ただ静かに見つめていた。
バーバラが両手に溜めた力を、いつ解こうかと焦りにも似た気持ちでテリーを見つめ続けるが、彼にはまるで隙が見当たらない。
アモスの治療にかかり始めたチャモロが、汗を滴らせながら、必死にイザを思う。
ハッサンが、なんとか立ち上がり、テリーとの間合いを計るが、これほど離れていても近づくことが容易ではなかった。
その中で、ただ一人、戦いを傍観していた女性が、イザに走りよった。
必死の思いで駆けた彼女は、仲間達が危惧するような攻撃を受けることもなく、イザとテリーの間に割り込めた。
そして、イザを背後に庇って、両手を広げた。
キッとテリーを睨み――その美貌を歪めて、呟く。
「人の心を失ってまで、あなたは何を手に入れようとしているの、テリー……?」
糾弾のようでいて……贖罪を請うような、言葉だった。
その彼女の言葉にも、テリーは何の表情も宿さない。
彼女は、そんな彼にひどく悲しそうな顔をしたあと、かすかに俯いて――、キッと顔をあげたときには、強い意志を宿した表情で、彼を睨み上げていた。
手にした扇を思い切りよく……誰もが想像もしなかったほど強く、テリーの頬向けてぶつけた。
その衝撃は、彼が背後に倒れこむほどのものであった。
「ひゅーっ、ミレーユ、やっるーっ。」
バーバラは小さく口笛を吹くと、自分が唱えかけていた呪文を解き放った。
「いっけぇっ! イオラっ!!」
ちゅどーんっ! と、勢い良く床の板が粉砕されていく粉塵の中へ、ハッサンも突入する。
「岩石おとしっ!!」
「それでは私も……、グランドクロス!」
リン、とした声でチャモロが十字を切る。
さらに粉塵が舞い、イザの側にしゃがみこんだミレーユは、一瞬眉を顰めたが、すぐにイザに向き直り、彼に手を当てた。
「ごめんなさい――戦闘に参加するのが遅れて。」
言いながら、治癒魔法をかけてくれるミレーユに、イザはかすかに目を歪めた。
ミレーユがどういう事でかは分からないが、テリーという少年のことをひどく気にかけていたのは、最初に出会った城でも、あの雪の中の洞窟でも、良く分かっていることであった。
時々一人になっているときに、酷く悩んでいることも知っていた。
多分、彼のことで何か思うことがあったのかもしれない。――彼女は、過去も力も何もかもが謎な女性であるから。
「――いや、ミレーユには、デュランとの戦いまで、体力を温存してほしかったんだけど、さ。」
だから、苦笑にまぎれてそう言うと、彼女はかすかに唇を歪ませて笑った。
そして、冷ややかな印象を与えてしまう、綺麗な瞳を細めると、
「ありがとう、イザ。
――でも、もう貴方の優しさに甘えていては……逃げていてはいけないの。」
低くそう呟いて、立ち上がった。
粉塵の中、見え隠れする青い姿に、ミレーユは一度だけつらそうな顔を見せた後、キッと顔つきを改め、両手を広がて術を唱え始める。
彼女が何を唱えているのか知ったイザは、すぐさま仲間達に指示を下し始めた。
「ハッサンっ! バーバラっ! 彼の足止めを頼むっ!
チャモロっ! アモスっ! 俺を援護してくれっ!!」
先ほどまで感じていた痛みが遠く感じながら、イザはラミアスの剣を握り締めて駆け出した。
その彼の背から、ミレーユの呪文が飛んだ。
「バイキルト!!」
ふぃんっ、と剣が軽く、頼もしく感じるのを悟りながら、イザは粉塵の中へ飛び込んだ。
あの少年を、魔王の手から解放するために。
「俺を殺さないのか?」
倒れた玉座の主を冷ややかな目で一瞥した後――何の落胆も浮かべず、少年は開口一番、そう尋ねた。
戦いが終わった衝撃で目覚めたらしい少年は、誰もが剣を仕舞う姿に、不思議を覚えたようであった。
唐突に広間の端から飛んできた台詞に……気を失ったテリーの体は、アモスが気配りを見せて端っこに運んでくれていたのだ……、イザは呆然とした。
目覚めたと同時、デュランの支配から解放されるものだとばかり思っていたから――未だ彼がデュナンの支配から逃れていないのかと、そう疑いの眼差しを向けてしまったのである。
それは、イザだけではなかったようだ。
「おい、お前、正気に戻ってるのか?」
ハッサンが近づき、彼の前にしゃがみこんで、ヒラヒラと掌を泳がせている。
そんな彼に、テリーはさらに冷たい目を向けると、
「俺を殺せ。」
そう、迷いも何も無い声で告げた。
テリーの雷鳴の剣を拾っていたチャモロは、そんな彼の感情の欠片もない声に、絶句をしてみせる。
ゲントの村で、癒しの力の加護を受けるものは、皆生に対して貪欲なほどであった。
死を焦がれるものなど――恐れるものは見たことがあったが、これほど死を無頓着に捕らえるものなど、見たことがなかった。
バーバラは、理解できないといいたげに肩を竦めて、ハッサンの隣にしゃがみこんだ。
そして、整いすぎて冷酷な印象を与えるテリーの顔を覗き込むと、理解できないといいたげに眉を曇らせてみせた。
「ねぇ、あんた、もうあの変なのに支配されてるわけじゃないのよ? それに、あたしらも、あんたを殺すつもりなんてないの。わかるぅ?」
覗きこむ彼女に、テリーは鼻の頭に皺を寄せると、立ち尽くしているイザに目をやった。
彼の、空洞のような目に射抜かれて、イザはビクンと体を震わせる。
「なぜ俺を殺さない? このまま俺を放っていても、仕方がないだろう?
一度は魔族に落ちた穢れた身だ。殺しておけば、お前らも安心できるだろう?」
「――――…………殺さない。殺せるわけがないじゃないか……。」
理解できないと、そう言いたげに首をふるイザに、テリーは嘆息を零した後、チャモロを見た。
そして、右手を差し出して、自分の剣を手渡すように告げる。
チャモロは戸惑いつつも、それを手渡そうと手を伸ばした瞬間、乱暴な仕草でテリーに剣を奪われる。
とっさにハッサンとバーバラはその場から飛びのき、身構える。
そんな二人の反応を鼻でせせら笑い――テリーは、血に濡れた剣を見た。
視線をあげた先で、剣に貫かれたアモスの姿がある。
テリーは、無造作にそれを自分へと向けた。
ぴたり、と腹に切っ先を当てるテリーに、誰もが息を呑み、叫ぶ。
「何やってんの、あんたはーっ!!!」
「おいおい、お前、何考えてるんだっ!?」
バーバラとハッサンが叫び、それをとめようとするのに、近づくな、とテリーは低く彼らを止める。
「お前らが殺してくれないなら、俺が自分で死ぬしかないだろう?」
「――……命を無駄にするなんて、そんなことを、神は許されません。」
小さくかぶりを振るチャモロに、テリーはすごんだ目を向ける。
「神? ――それは、救われたものの持つ言葉だ。魔王の手に落ちた俺が、自分の穢れた身を貶めて、何が悪いと?」
は、と唇だけで笑うテリーに、イザが踏み込む。
「なぜ……なぜ君は、自分が穢れていると……死のうと、そればかりを考えるんだ? どうして、死にたいとそう思う?
君は、なぜ――ずっと、死を待つような戦い方ばかりをしている?」
真摯な光で尋ねるイザに、テリーは少し驚いたように目を見開いた。
そうして、イザの告げた言葉の内容をかみ締め――そうかもしれないな、と笑った。
「俺はずっと、死にたかったのかもしれない……戦いの中で、強くなりたいと願い、そうしながら、俺を殺してくれる人を探していたのかもしれないな……。」
「なんでっ! なんで死のうなんて思うのよっ!? せっかく生きてるのに、死にたいなんて、ワガママだよっ!?」
ぎゅぅ、と握り締めた拳が、バーバラの耐えた気持ちを語っていた。
彼女は、指先が白くなるほど握りこんで、眉をきつく寄せて、テリーを睨みつけている。
彼女が――自分の記憶を取り戻して知った事実は、仲間の誰もが知っているからこそ……皆一様に眉を曇らせる。
普段は決してそれを口にすることはないが、――そしてこうして普通に戦い、話、笑っているからこそ、誰もが現実だと認識しないけれども、彼女は…………とおの昔に滅びた国の人間なのだ。
テリーは、そんな彼女を理解できない生き物のように見つめて、自分の手に力を込める。
剣の切っ先が肉に埋まろうとするのに、イザが口を開く。
「待て、テリー!」
「生きていても、俺は同じことを繰り返すだろう――決して求めても得られないものを求めて、同じことを繰り返す。
希望が無いと分かっている生を伸ばし続けるのは、苦痛でしかない。」
「…………っ。」
なぜ彼は、生きることを諦めるのだろう? なぜ彼には、今この瞬間に見える希望の光を見ようとする力がないのだろう?
その力を、自分達は与えてはやれないのか?
今まで、いくつもの町を旅してきた自分達に出来る希望は――俺達は、その希望を解き放つために旅に出たのではなかったのか?
この少年の希望を、どうして見つけることが出来ないのだろう?
拳が震えて――イザは、何度も喉を鳴らした。
バーバラは怒りにか、悲しみにか、眉を寄せ――無言で涙を流していた。
そんな彼に、肩を震わせ、彼の独白を耐えて聞いていたミレーユが、不意に目を上げて叫んだ。
「馬鹿っ!!」
キッ、と上げた瞳は、怒りと悲しみと辛さに、ゆがみ、震えていた。
「生きたくても、生きれなかった人が大勢いるわっ!! 罪もないのに摘み取られた命が、いくつもあったわっ!!
それでも、そんな中でも希望を失わなかった人たちが居たわっ! 絶望の中でも、優しさを失わなかった人たちがいたわっ――っ!
あなたは、そんな人たちにめぐり合わなかったんじゃないわ! 心の目を閉ざして、何も見ようとしなかっただけっ! 希望の光が無いなんて、それはあなたのタダの決め付けだわっ! 希望は、いつだってココにあるの――っ! 私達の、ココにあるのよっ!!!」
どんっ、と自分の胸を叩き、ミレーユは彼に歩み寄る。
そして、しゃがみこみ、いぶかしげに自分を見上げている少年に、叩きつけるように叫ぶ。
怒りに、悲しみに、辛さに、切なさに、喜びに、そして――優しさに満ち溢れた言葉に、なぜか彼は目を離せなかった。
ほかの誰の言葉でもない。彼女の言葉が、テリーの目をひきつける。
彼女が持つ自分へ向かってくる感情が……ほかの誰のものとも違った気がして、ならなかった。
「辛くても、悲しくても、どれほど痛くても――、それでも、希望を忘れない限り、私達は幸せであれるの――幸せを模索することが出来るの! 諦めることなんてないのよっ!!
あなたは、希望をなくしたんじゃない、希望に恵まれていないのではないわっ!
あなたは、自分に負けたの……っ! 希望を持ち続けるという、何よりも難しいことに、負けたのよ……っ。」
叩きつけるような言葉は、ひどく胸に痛いはずだった。
げんに、ハッサンもバーバラもチャモロもイザもアモスも、ミレーユの言葉に、痛そうな顔をしている。
けれど、不思議とテリーはそれを不快に感じることはなかった。
胸に突き刺さる言葉であったし、痛い言葉でもあった。言いたい放題の彼女に反論したくて、苛立ちすらも覚えたが――それよりも何よりも、彼女の言葉に、暖かさがあった。
自分のことを何よりも考える、やさしい心があった。
――――それは、遠い昔に触れた、誰かの感情。
いつも感情を抑えるような、穏やかなミレーユにしては珍しい――もしかしたら初めてかもしれない感情の爆発に、一体何が起爆剤だったのかしらと、バーバラは自分が怒っていたことすらも忘れて、おろおろとしてしまう。
ハッサンはハラハラとミレーユとテリーを交互に見て――あれ、と何か違和感に気づいた。それが何なのかは、分からないけれど、二人を見ていると、何か……感じ取れるように思えた。
がくり、と膝を落とすようにミレーユはその場にしゃがみこんだ。
剣を自分に突きつけ続けるテリーと目線を合わせて、彼女は続ける。
「でもね……何度でも私達は、自分自身に向かい合うことが出来るの。一度負けても、何度でも立ち向かっていけるの。
私達が、希望を覚える限り――思い出す限り、何度でも……一生、戦い続けるの。
あなたは、望んでも手に入らない人もいる、再戦のチャンスも、見ようともせず、逃げようとしているわ。
私は――――それを、許せない。」
自分の痛みのように、そ、と胸に手を当てて囁く彼女に、テリーはキリ……と唇を噛んだ。
知らないくせに。
自分の痛みを知らないくせに。
俺がこの10年間、どんな思いで居たのかすらも、何も知らないくせに。
どれほど打ちのめされ、どれほど苦痛を味わったのか――どれほどの孤独を愛し、どれほど人のぬくもりを恐れたか。
何も知らないくせに――……。
かたん、と音がした。
はっ、と視線を向けると、ミレーユの隣にイザが跪いていた。
人の良さそうな微笑を浮かべて、警戒心を解き放つような瞳を向けて、彼は尋ねる。
まるで痛みを知らないような――縁のないような顔に、テリーは苛立ちすら覚える。
「どうして、君はそこまで希望を持とうとしないの? 希望を見ようとはしないの? 君さえ周りを見回したら、すぐに見つかるはずなのに――なぜ、そこまで、この世界から解放されることを望むの?
そのままでは、君は夢を見ない――……夢の世界ですら、君は幸せを見れないよ……?」
何を馬鹿なことをいうのだろうと思った。
夢の世界? ――夢なんて、10年前のあの日から、一度たりとも幸せを訪れさせるものじゃなくなった。
夢の中では、顔すらもおぼろげになった姉が、泣き叫び、殺される姿ばかりだ。
「夢? それが何になる? 夢を見たら、それが本当になるとでも?
だったら俺は、その夢のとおり、この世界にただ一人なんだ。
――探しても探しても、見つからない……どれほど強くなっても、守れない………………それならいっそ、何もかもを終わりにしてしまえばいいんだ。」
イザの言う奇麗事を屈するつもりで口にした言葉は、言葉にすればするほど、重みを増していった。
そうだ。
俺は、もう疲れたんだ。
探しても見つからない人。
強くなっても、守れない人。
どれほど強くなっても、再び失うことが怖くて、ずっと孤独であることを求めた。
探して、強さを求めて、失うのが怖くて。
強くなったら、きっと自分が求めるものが見えると――自分は一人ではないのだと、そう抱きしめてくれる腕が現れると、信じていた。
けれど、10年……10年の間、見つからなかった。
俺は一人だった。
孤独だった。
世界に人は居ても、優しくしてくれる人は居ても。
俺は一人だった。
夢の中、姉さんは死ぬ。
現実で、俺は一人になる。
その、果てないほどの恐怖を久しぶりに思い出して、テリーは身震いする。
拍子に手の平から剣が落ちたが、床に転がった雷鳴の剣に、テリーは気づかない。
「…………疲れたんだ…………もう…………。夢にうなされるのも、孤独であるのも、守れないことも、探しても居ないことも――もうこの世界に一人であると、この世界には居ないのだと……そう知ってしまうことも………………。だから、俺は死んで……。」
しぃ、と、そこまで語った瞬間、イザが人差し指をテリーの唇に当てた。
「それ以上は、口しちゃダメだよ、テリー。言葉には、言霊が宿るから――――そうだったよね、ミレ……。」
軽くかぶりを振って、イザが隣に居るミレーユを見上げた瞬間。
彼女は、フラリと倒れるように膝を進め、たおやかな腕をテリーの背に回し、豪腕の剣士とは思えない華奢な少年を抱きしめていた。
「――……っ。」
大きく目を見開くテリーを、強く抱きしめて――ミレーユは、ホロホロと涙を零す。
透明な雫は、彼女の頬を伝い、顎を伝い――テリーの頬に落ちた。
「ごめんなさい……テリー…………。」
掠れた涙声で、彼女はそう呟いた。
テリーの耳朶を打つような声音に、テリーはゾクリと背筋を震わせる。
声が違う――けど、知っている。
「うややっ、やだ、ダイタン……っ。」
思わず手を口にあてて、バーバラが小さく呟くと、チャモロが硬直した面持ちでめがねを上げる。
間近でミレーユの行動を見ることになったイザは、話の展開についていけず、目を白黒させている。
「正しいことだと……ずっとそう思っていたの……。」
彼女がうわごとのように呟く言葉は、さきほど彼女が叫んだことに対してだと思った。
柔らかな女の――大人の女の感触に、テリーは頬が赤らむどころか、暖かさを感じてたまらなかった。
甘い香が鼻腔をくすぐり、慣れない女の香水に、それでも懐かしさすら覚える。
それが何なのか、テリーは分からないまま、彼女の抱擁をただ受け入れている自分に疑問を抱く。
人と馴れ合うのが嫌いなテリーは、誰かが自分に触れるのすら厭うことが多かった。
なのに、今会ったばかりの女性の抱擁は、やさしく暖かいと思っている。
「私さえ犠牲になれば――何もかもがうまく行くと、そう信じていたの…………。」
ミレーユは、そっと顔を上げて、テリーの顔を覗き込んだ。
まだ幼さの残る頬を撫で上げ――切なげに微笑をもらす。
「あんた、何言って……。」
こつん、と――昔良くそうしたように、ミレーユは額と額をあわせた。
そして、懐かしい紫水晶の瞳を覗き込み、囁く。
涙はとどめなく頬を流れていく。
嗚咽を堪えて、彼女は言葉をつむぐ。
「長い時間が流れたわ――それでも、心の痛みも、辛さも、時が癒しきってくれるわけではないわ。
でも、だからこそ私達は故意に忘れていくのかもしれない……自分の心を守るために。
――あなたが忘れたのは、なぁに? テリー?」
幼い子供に尋ねるように名を呼び――そうでありながらミレーユは、彼が何を忘れたのか理解しているようであった。
彼女もまた、信じまいとしていたことだから……弟は、もう死んでしまったか、どこかで幸せに暮らしているのだと、そう信じようとしていたのだから。
「…………………………っっ。」
こくん、とテリーの喉が鳴った。
目の前で見開かれる瞳を、ミレーユはジッと見つめた。
「あなたが忘れても仕方が無い――それほどの年月が流れたわ…………。
幼い私には、あなたが言ったように、一緒に逃げることなど不可能だと思っていた。
――そんな私が、あなたの『希望』を、打ち砕いていたのね……ごめんなさい、テリー…………気づいてあげられなかった。
あなたを、こんなに苦しませてしまった。
二人でなら、どこでも生きていけたかもしれないのに………………。」
ホロホロと、涙が零れる瞳に自分の顔が映っていた。
その顔が、不意にぼやけて、満身創痍の――やつれた面差しの自分から、幼い幸せ一杯の笑顔の自分の顔へと変わった気がした。
瞬間、テリーは小さく、まさか、と呟く。
信じられなかった。
そんなことがあっていいはずがない。
だって、見つからなかった。
十年も捜し求めて、強さばかりを求めて、でも見つからなかった。
――――――――――違う………………気づかなかったんだ……………………。
「…………違う………………。」
「……テリー…………。」
「俺が、もっと強かったら…………俺が、もっと強かったら、あんなヤツラに、好きにさせなかった……っ!
そうしたら、母さんも父さんも、傷一つ負うことなく――生活でも出来た……っ。
…………力がなかったから………………皆で暮らすための力がなかったから………………っ。
だから俺は、力が欲しかった……力を求めて――。」
ぎりり、と拳を握るテリーの目が、憎悪に染まり始めるのを見て、ミレーユは寂しげに微笑み、昔良く泣いていた弟にしたように、そ、と唇を額に落とした。
「ごめんなさい、テリー。」
優しく微笑むミレーユに、テリーは泣きそうな顔で表情を歪めた。
「なんで――謝るんだよ……っ。俺が、俺が気づかなかった……あんなに近くに居たのに、何度もすれ違ったのに、一度も気づかなかった……。」
見えていなかっただけ。
「――そうね、あなたは私が見えなかったんだわ……ただ、それだけなのよ。
そして私も、あなたに声をかけることができなかった――あなたを置いていったことを、憎まれているかもしれないと、怖くて……。」
きゅ、とテリーはミレーユの服を握って、頭を振る。
そんなはずはない。
そんなことがあろうはずがない。
「ね……さ…………ミレーユ…………姉さん…………っ。」
「テリー……っ。」
強く、抱きしめられて、テリーは溺れるようにミレーユの背中に必死で手を回した。
幼い頃、怖いお化けが出たと言ってはミレーユの布団の中にもぐりこんだように。
怖い夢を見たと言っては、呆れた姉と手を繋いで寝たように。
お互いの体温を、存在を感じるために、必死で彼女の体を抱きしめる。
柔らかで暖かい――それは、養父と養母よりもずっと身近にあった、自分だけの姉のぬくもりだった。
ミレーユは、目から溢れる涙を惜しみもなく流して、幼い頃よりもずっと頑健に、そして逞しくなった弟の頭に頬を埋めた。
10年ぶりのぬくもりを――二度と手にすることなどないと思った存在の重みを、しっかりと確かめるように……。
目の前で熱い抱擁を交し合う姉弟を前にして、呆然としていた仲間のうち、まずバーバラが復活した。
彼女はカリカリと頭を掻き、視線をめぐらせてハッサンを見た。
ハッサンは、再起不能なくらいフリーズしていた。
「…………あーあ、ダメだ、こりゃ。」
優しくて綺麗で頭の良いミレーユに密かに恋心を抱いていたハッサンにとって、致命的なダメージになったに違いない。
何せ相手は、アークボルトの時から密かに敵視していた青い閃光である。
ハッサンじゃ彼のライバルにはならないよー、せめてイザじゃないと、ねぇっ!?
と、当時は馬鹿笑いしたものだったが、今となっては、それはあんまりにもかわいそうでできない。
バーバラは傷心のあまり思考回路が停止してしまったハッサンを置いて、今度はアモスに視線を移した。
こちらは石化中であった。
かっこーん。と見事に顎が開いている。どうやら、貞淑な乙女だと思っていたミレーユの大胆さに、女性に関する意識を根こそぎ改められてしまったようである。
ああ見えてもミレーユって、結構な酒豪だってこと――やっぱり教えておいたほうが良かったのかなぁ、とバーバラは思いながら、今度はチャモロに視線を移してみた。
チャモロはチャモロで、色恋ことに遠い位置にあったせいか、真っ赤になって燃焼していた。
「うわっ、焼けすぎ、焼けすぎっ!!」
おいおい、ととりあえず手元にあったアモスの盾でチャモロを仰いでやる。
ヒャドで冷やしてあげて、と言いたいところであるが、ヒャドが使えるミレーユは現在熱愛中である。
「うーん、うちの男どもって、こう言うのに弱すぎっ!
その点イザは、そういうこともないわよね。」
ぱたぱたとチャモロを仰ぎながら、視線をやってみると、ミレーユとテリーに目の前で熱い抱擁を交わされ、さらにミレーユの頭に隠れて仲間には見えなかった額にチューまで見てしまったイザは、脳みそがパンクしている状態であった。
顎を上げて天井を見上げて、目を大きく見開き、口は大開きだ。
良い男が台無しだわと、バーバラは顔を思い切り顰めてみせた。
その視線の先――ミレーユに抱きとめられたテリーは、さぞかし鼻の下を伸ばしているのだろうと、キン、と睨みつけたバーバラは、思いもよらない彼の表情にぶつかり、唖然と目を見開いた。
テリーは、微笑んでいたのである。
それも、アークボルトやマウントスノーで見かけたような皮肉な笑いではなく、優しい……雪が解けた春のような、微笑みだった。
その瞳からは、一筋の涙が零れている。
「――――………………。」
ハッと息を呑んだバーバラは、まるで宗教画か何かのようだと、陶然とそれに見蕩れた。
それと同時、バーバラの頭の中で、ほかの男達の株が下がり、テリーの株が大幅上昇したというのは――バーバラの頭の中だけの、秘密であった。
DQ6の中で一番好きなシーンです♪
姉弟もの、弱いんですよー。
思わず一気に書きあげましたよ(笑)
ちなみに、カップリングは、こんな風にかかれてますが、6主×ミレーユですっ!!(言い切り)
この小説内の場合は、
ハッサン→ミレーユ、6主・ミレーユ(仲良し)、バーバラ・ミレーユ(超仲良し)、という展開がありますが(笑)
この展開で行くと、テリーvミレーユ(めっちゃラブオーラ発散)という感じに見えます。
二人とも、小さい頃からシスコン・ブラコンだったと思われます。
見た目、美男美女なカップル。
しかし、この展開だと、まだ二人ともお互いが姉弟だとばらしてないわ…………きっとハッサン辺りが嫉妬するのを、テリーは面白がってしまうんだわ。
で、ミレーユがあっさりと、「弟なの。」とか言うんだわ……(笑)。