ミントスで、私は半月近くも寝込んでいたのだそうだ。
 ──とは言っても、私にはその記憶はない。ずっと熱にうなされて、夢の世界を漂い……時折現実世界に戻ってきただけに過ぎないから。
 その現実世界に戻るたびに、死相が濃くなっていったようだった、とは、後にブライ様から聞いた話だ。
 ただ、長い間、悪夢を見ていた記憶があった。
 その悪夢は、本当にさまざまで──小さい頃のことや、最近起きたモンスターの襲撃のことや、初めての戦闘のことや、塔の中でのことや、それから、それから…………。
 過去に経験した悪夢。
 まだ見ぬ未来の悪夢。
 たくさんの悪夢が頭の中をグルグルと回り続けていた。
 その中のどこにも顔をのぞかせるただ一人の存在に、うっすらと意識が浮上していくのを感じながら想った。

──自分にとって、悪夢、と呼べる者には、やっぱり彼女が関わることなのだ、と。

 誰よりも笑って欲しいから。
 自分の心に一条の光をともしてくれた姫君には、いつも笑っていて欲しいから。
 だから。
 彼女が苦しそうに、泣きそうにしているのは──……一番、辛い。







錯綜する想い

迷 い 恋














「──……あ、起きるかな?」
 まだ遠くに感じる意識に、触れてきた声。
 知らない声だと想った。
 耳に心地よいテノールは、まだ少年じみていて、少しだけ不安定。
 誰だろう?
 ボンヤリと想いながら、開いた目の先。
 熱でボンヤリしているはずの視界が、思うよりもはっきりと映ったのを感じた瞬間。
「……おはよう。」
 ニッコリ、と笑ってくれた見知らぬ少年の、どこか人をひきつける笑顔に、なんだか、懐かしいような──そんな気持ちを覚えた。
 久し振りに悪夢もなくグッスリと眠ってしまったため、日付感覚が酷く遠い。
 苦い液体を飲んだ覚えがあるけれど、アレがいつのことだったのか、まるで覚えていない。夢の中で、彼のような人に会ったような記憶もあるけど、アレは何時のことなのだろう。
 そんな私に、彼は首を傾げてこう尋ねてくる。
「俺のこと、覚えてる? 昨日、パデキアを飲んだ後、少し話しただろ?」
 優しい目と優しい口調だったけれど、どこか暗い感情を抱いている。
 そんな感じがした。
 そう思えば、あぁ、と思い出す昨日の記憶。
 うっすらと目を開けば、アリーナ様が覗き込んでいて、ホッと安堵したのを覚えている。
 死ぬ前に彼女にもう一度会うことが出来て……彼女の元気そうな姿を見ることが出来てよかったと、そう思った。
 それと同じくらい、彼女の眼の前で逝くことを申し訳ないと思った。
 心優しい彼女は、自分の手で助けられなかった従者のことを、酷く悲しく思うことだろう。酷く自分を責めるだろう。
 自分が彼女をかばって死ねば、彼女は永遠に自分を心にとめてくれるだろうか、なんて馬鹿なことを思っていた事もあったものだけど──その時はただ、哀しかった。
 自分ごときのことで、彼女の胸を痛めたくなくて──だから、せめて微笑んで死にたいと思った。自分は何も後悔などしてない、志半ばで先に逝ってしまうことだけが、気がかりだけど……それでも、どうか、あなたには笑って前を見据えて欲しい、と。
 笑って欲しいと、そう思った。
 そんな思いと共に見上げていた私の前に、顔を出したのが……彼だった。
「もう大丈夫、って──そう声をかけてくれました……ね?」
 声を出して尋ねると、掠れた声が喉で引っかかった。
 小さく咳き込むと、その咳き込みすら肺に痛く響いて、眉を顰めて喉で押し殺さずには居られなかった。
 体がだいぶ衰弱していた。
「うーん、やっぱりそれくらいしか覚えてないか。」
 困ったように眉を寄せる彼に、ほかに何を話したのだろうと、ボンヤリと彼の顔を見上げた。
 キレイな髪と瞳。整った容貌。
 どこか懐かしい雰囲気をもつ、人。
 彼は、誰だろう? どうして、姫様と一緒に居て、今、ココに居るのだろう?
 ブライさまや姫様は、どこへ行ってしまわれたのだろう?
 それとも、昨夜、姫様が戻ってきたと思ったのは夢で、この人は宿の人か誰かで、私をずっと看病してくれたのか?
 答えがでなくて、尋ねようにも喉が痛くて、肺が痛くて……ただ、浅い息を繰り返すしか出来ない。
 少年は、そんな私に困ったような顔をするばかりで──あぁ、なんてこの人は、さびしそうな、かなしそうな顔をするのだろう。
 まるで……捨てられた子犬のような、けれど、それを絶対に見せようとしない、気高いプライドを持つ猫のような。
「ヒスイ! そろそろ代わるわ。」
 ばん、と、ノックもなしにドアが開いて、声が、聞こえた。
 はっ、と、慌てて反射的に起き上がろうとする私を、胸元を抑えただけで少年はその動きを止めた。
 細い腕だというのに、彼に軽く抑えられた私は、まるで身動きもできなかった──いくら寝込んでいて体力が落ちていると言っても、さすがにショックで、一瞬呆然と目を見開いた私の前で、彼は柔らかに微笑んでドアから入ってきた「彼女」に、こう言った。
「グットタイミング。今、クリフトさんが起きたところだぜ、アリーナ。」
「えっ、本当っ!? クリフト、目が覚めたのねっ!?」
 飛び上がらんばかりに弾んだ声で喜ぶアリーナ様の声に、気をとられるよりも何も。
 思わず私は、息を詰めずには居られなかった。
 彼は、今、なんと呼んだ?
「クリフトっ! 良かったっ!」
 やがて、顔を横に向けていた視界に、懐かしい人の姿が映った。
 少し疲れているのか、目の下にはうっすらと隈が出来ていて、きれいだった肌は少しくすんで見えた。
 けれど、ばら色に染まる頬も、桃色に輝く唇も、キラキラと光を宿す瞳も、何もかもが彼女を引き立て、愛らしく見せていた。
 その顔を見た瞬間、ただ──ただ、嬉しくて。
「アリーナ、さま。」
 かすれた声で、そう呼びかけた。
 そんな、聞くに耐えないだろう声に、アリーナ様は、本当に嬉しそうに笑ってくれた。
「良かったな、アリーナ。」
「うんっ、本当にありがとう、ヒスイ。」
 ニッコリ、と笑いあう彼と彼女の姿に。
 その交し合う言葉に何の気負いもお互いに見つからないさまに。
 チリ、と──覚えた感覚は、多分、予兆だったのだと…………後々、思うことになる。






 「アリーナ」と呼び捨てにしてもよい人間は、過去にも未来にも3人しか存在してはいけない。
 一人は、父君であるサントハイム国王。
 一人は、母君である亡くなれらた王妃。
 一人は、まだ見ぬ──将来の彼女の夫。
 ずっと……長い間、そう思っていたから。
 一瞬、彼の口から当たり前のように呼び名が告げられた瞬間、こう思ってしまった。
──ブライさままでもが、それを許したのか、と。
 後に、初めてほかのパーティと合流する形になって、結局、「アリーナ」と姫様のことを呼び捨てにする方は、マーニャさんとミネアさんも加えて、もう2人ほど増えることになってしまったけど。
 ……この世で、彼女のことを呼び捨てにする男性は、国王陛下と、勇者さんだけ。



 結局、その事実は、変わらないのだと思うと。
 なぜか、胸が、騒いだ。













 「パデキア」の薬で、病気が治癒し、なんとか起き上がることが出来たクリフトの元に、「勇者さま」はホカホカのお粥を運んで来てくれた。
 その後、ふぅ、ふぅ──と熱いお粥に息を吹きかけながら、ゆっくりと粗食するクリフトに、アリーナがニコニコと笑いながら彼が倒れてからのことを語っていた。
 そんな彼女と彼の様子を、少し離れた場所から、少年は見ていた。
 クリフトのベッドの前の椅子を陣取って、ニコニコと笑うアリーナに、それにいちいち相槌を打ちながら、ゆっくりとお粥を食べるクリフト。
 ブライにしてみれば、本当にいつもの光景でしかなかった。
 けれど、「クリフトの命の恩人」である勇者にとっては、そうではなかったのだろう。
 何が彼の気に触れたのかは分からないけど、彼は扉近くの壁に背を預けて、こう呟いたのだ。


「そうやって甘やかしてると、図に乗って、飼い犬に手を噛まれてもしらねぇぞ、アリーナ?」


「──…………ふざけてるわ……っ!」
 ──そう、怒りを滲ませて呟いた姫君の、あまりに不穏な呟きに、ハッ、と顔を上げた直後。

バチンッ!

 高らかに響き渡った音に、クリフトは大きく顔を歪めた。
 ベッドの上に上半身を起こして、まだ握力も心もとない手で、なんとか消化に優しいお粥を、食べている只中の出来事だった。
 本当に、くだらないことなのだ──後から思えば。
 いや、後から思うも何も、当事者であるクリフトは、酷くくだらないことだと思っていた。
 けれど、アリーナにとっては、そうではなかったのだろう。
 一体彼女のドコの琴線に触れたのかは分からないが、ミントスの宿の二階──まだ病み上がりの状態で、一日も早く体力を取り戻そうと、クリフトが必死になってお粥を粗食していた隣で。
 初対面に近いほど親しくない二人の少年少女の喧嘩は、勃発した。
「あなたっ! クリフトのことを何も知らないくせに、何よ、その言い方はっ!?」
 ビシッ、と、指先を突きつけて叫ぶ彼女のくれない色の瞳は、ギラギラと怒りに燃えている。
 自分のことを言われる分には、ただニコニコと笑っているだけの彼女が、自分が身内だと認めてしまった人間の「悪口」に近いからかいに関しては、非常に熱くなる性格だということを、クリフトはもちろん、ブライも良く知っていた。
 しかし、つい先ほど──本当に夕暮れになる直前に始めて合流したといえなくもない旅の一行は、そんなことを知るはずもなかった。
「……ってぇなぁ……。」
 アリーナも、怒り心頭とはいえ、手加減はしたのだろう──彼の白い頬にくっきりと付いた赤い跡に、あぁ……と、クリフトは頭を抱えたくなりながら、レンゲを置いた。
 とにかく、なぜアリーナがココまで怒っているのかは分からないが、とめなくてはいけない。
 病み上がりの自分の体力で、どこまでアリーナを止められるか分からなかったが、命の恩人である「彼」に、怪我をさせるなど、とんでもないことなのだ。
「痛くて当たり前です! でも、それは数時間もすれば消えてしまうような体の痛みでしょう!? 今、私とクリフトが負ったのは、いつまでたっても抜けない痛みだわ……っ、あなたの言葉の暴力だわっ!」
 背筋をリンと伸ばして、キッパリと言い切る彼女のこういうときの姿は──本当に王女らしくて、凛々しくて。
 思わず見とれてしまうほどに鮮やかだけど、もちろん見とれている場合ではない。
 その手がまだかすかに震えているところを見ると、彼の答え次第では、もう一発くらいお見舞いしそうな勢いなのだ。
「アリーナ様……落ち着いてください。」
「落ち着く!? どうしてクリフトは冷静なのよっ!?」
 なるべく穏かな声でそう囁いたら、逆に彼女は今にも頭から湯気を出しそうな勢いで振り返ってくれた。
「どうしてって……──確かに、表現は不適格ですけど、でも──勇者さんが言いたい分不相応という言葉の意味は、私も分かりますし……。」
 困ったように首を傾げるクリフトに、アリーナはキュ、と唇を強く結んだ。
 悔しそうに瞳がゆがむのが分かった。
 それを見上げて、クリフトはますます困ったように眉を寄せる。
──アリーナが、何に怒っているのか、分からないわけではないのだ。
 彼女は、自分とクリフトの関係を──正しく言えば、自分達三人の関係を侮辱されたと思っているのだ。
 誰よりも信頼の置ける旅の仲間──……城に居た頃も、旅に出てからも……否、旅に出てからのほうが、ずっと身近に付き合ってきた、大切な仲間。
 そんな相手を、彼は「飼い犬」と呼んだ。
 アリーナにとっての、従者に過ぎないヤツを、そこまで甘やかしてもいいのかと、そう揶揄したのだ。
 そこで怒りたくなる気持ちは分かる。
 確かに分かるけれど──だからと言って、ここまで激怒してしまうのも、どうかと思った。
「──正しいことを指摘されたからって、そうやって頭に血が上りすぎるから、自分の部下の管理も出来ないんじゃないのか、って……俺はそう言った。
 アリーナ、あんた、本当に意味が分かってるのか?」
「────…………っ! あっ、なたなんかに……っ。」
 キッ、と、目に強い光を込めて、アリーナは叫んだ。
「あなたなんか、ちょっとでもいい人だって思ったわたしが、バカだったわっ!
 分かってもらわなくてもいいっ! あんたなんか、コッチから願い下げよっ!!」
「……アリーナ様っ!」
 何を言っているのか分かっているのかと、顔を歪めて叫んだクリフトに、アリーナは怒りがにじみ出た目を向けると、
「クリフトも!」
「はいっ!」
 たたきつけるような口調に、思わずびしりと背筋を正す。
「あなたは、私の部下や飼い犬なんかじゃなくって、私の大切な仲間で、かけがえのない人なんだから、そこで納得しないで!
 ──何のために私は、あなたを助けようと思ったと……思ってるのよ…………っ!」
 ギリ、と──アリーナの拳に突き刺さった彼女の爪先が、ひどく痛そうに見えた。
 だから、クリフトは静かに彼女の瞳を見返して──ただ、小さく笑った。
「そういう風に思っていてくださるあなただからこそ──彼はきっと、あなたを心配してそう声を掛けてくれたんだと思いますよ。」
 手を差し伸べて、その手を握り締めてあげたい。
 その感情を押し殺して……ただ、静かに笑って。
 それから、クリフトは壁際で口の中に広がった血を掌に吐いている少年を見た。
 彼は、チラリ、とクリフトの顔を見て、苦く顔を歪める。
「勇者さん──あなたが何を勘違いされたのか分かりませんけど……それは、本当にただの勘違いですから。」
 表情が表に出ないように──微笑む。
 その、聖職者じみた微笑みに……否、己ですら偽善者じみていると思った笑顔に。
 勇者は、何かを探るように目を細くさせた後──、
「………………勘違い、ね。」
 意味深にそう呟いた。
 その言葉が、更にアリーナの怒りをあおると、分かっていながら。
 それでも狩れは譲ることは出来なかったのだと……クリフトだけは、理解できた。
「ヒスイ!!」
 思いきり声を荒げるアリーナに、ヒョイと肩を竦めると、
「悪かったな、食事中に。」
 そう残して、逃げるように部屋の外へと去っていった。
 残されたアリーナは、むかむかと肩の辺りに怒りを残して、
「何が勘違いなんだか、なんなんだか知らないけど! クリフト! 待っててっ! 私、今すぐあなたに謝るように、ヒスイに言って来るからっ!!」
 クリフトを振り返るなり元気良く宣言した。
「って、アリーナ様っ!?」
 慌てて呼び止めたものの、アリーナは疾風のような勢いで部屋を飛び出ていってしまった後だった。
 残されたクリフトは、ただ呆然と先ほどまで2人が居た場所を見詰めるしかなかった。
「……………………まさか……、ね。」
 見つめながら、ふと胸に過ぎった考えを、クリフトは否定するように頭を振った。
────彼が、私のアリーナ様への思いを見抜いて、アリーナ様に忠告したという事実は確かだろう。
 あの台詞は、アリーナ様を怒らせるためではなく、本当は私を怒らせるための台詞だったと言うことも、確実だ。
 ただ、無邪気で純粋に見えるアリーナの、無防備なまでの姿を見て、彼は心配してそういったのだ──。
 それ以外、何の理由があるというのだろう?




「だって、アリーナ様と彼は、出会ったばかりなのに。」




 喧嘩をしても、すぐに2人は笑いあっている。
 一方的にアリーナが拗ねて、クリフトが謝って仲直りする自分達とは、違う形。
 意見が衝突して、なんだかんだと取っ組み合いに発展しそうなほどお互いをけなしあっているくせに、次の瞬間には手を取り合って叫んでる。
 気の許せる友人を持てたことを互いに喜び合い、そして互いにソレを認め合う。
 異性の友人が、本当に良き異性の友人であり続けた形を、クリフトは知らない。
 異性の友人が、いつしか恋愛の対象になっていった形を、クリフトは知っている。
 でも、アリーナ様は違うと──そう、信じていた。
 信じたかった。





 だけど。






「クリフト……っ、助けて…………っ。」
 いつも気丈な色に染まった瞳を、今ばかりは困惑と恐怖の色に染めて、彼女は震える指先でクリフトの法衣を掴んだ。
 旅の最中、何度も破れ繕っていた法衣は、彼女の強い力に握られて、ビッ、と小さく音を立てる。
 その音が、無理矢理傷口をふさいでいた心の縫い代を破る音に重なった。
「アリーナ様……。」
 心配げに、声が震えないように、彼女の肩に手を置く。
 両手でしっかりと法衣を掴んで、彼女はクリフトの顔を見ないまま、胸に頭を押し付けて涙を流す。
 ポタポタと落ちる雫が、クリフトの服に染みていく。
「──おねがい…………どうしたら……いいのか、教えて…………っ。」
 悲鳴。
 幼い彼女の、困惑に染め上がった悲鳴。
 何も言えず……喉に詰まるような苦しみを覚えながら、クリフトは泣きそうな己の顔を必死で静かな表情に変えた。
 細い肩も震えていた。
 その肩に置いた手が、必要以上に力が入らないように──クリフトは、ただ静かに彼女の言葉を受け止め続けた。
「────……き……っ、すき、なの…………っ。」
 思い焦がれていた言葉。
 彼女の涙に濡れた唇から零れる、甘い響きを持つ言葉。
 なのに、それは──問答無用でクリフトの胸を突き刺す。
 その先を聞きたくなくて、クリフトは彼女に分からないように空を仰いだ。
 夜の気配を濃厚に宿す闇色の空は、今日は星も月も出ておらず──ただ、静かに彼の心を包み込んでいた。
「──ヒスイが……好きなの…………っっ。」
「………………ありーな、さま……………………。」
 痛い。
 ただ、痛い。
 細い華奢な体を、このまま抱きしめて──そうして、あなたが好きだと囁けたら、どうなるのだろう?
 あなたの涙に濡れた瞳一杯に私の顔を映し出して、ただ彼女は困惑するのだろうか? 恐怖に怯えるのだろうか?
 ────初めての恋に、自分の中にあるコントロールできない感情に怯えている彼女に?
「…………どうしたらいいの……っ!? わたしっ、どんどん、イヤな子になってく…………。
 ──どうしたら…………いいの……………………?」
 ずるり、と、力なく法衣から離れる手を握り締めて、冷たい台詞の一つでも吐けばいい。
 そういうあなたは本当に残酷なのだと。
 小さい頃から、あなただけを愛してきた男が目の前に居るのに、あなたはその男を心から信頼し、自分の思いを吐き捨てる。
「わたし──……どんどん変わってく…………っ。」
 それが、怖い……………………。
「どうしたら──……。」
 ひっく、と揺れた肩を抱く手がこわばっているのに気付いて、クリフトはその手から力を抜き──彼女をなだめるように彼女の肩を撫でた。
 撫でながら──……あぁ、と、自分達を照らし出す唯一の光源を見上げた。
 それは、クリフトとアリーナが立ち尽くす宿の裏庭に差し込む──部屋の明かり。
「……………………誰だって、怖いんですよ……アリーナ様。」
 見上げた部屋の明かりに、人影は見えない。
「みんなそうやって、心の不安や怖さを抱えながら、その人の色に染まってしまうんです──そうやって……幸せになろうと、していくんです。」
 その部屋が、自分と彼の部屋だという確信はなかった。
 けど、クリフトは──分かるような気がした。
 あの窓の下で、しゃがみこみ……同じような恐怖に震えている少年の姿が、見えるような気がした。
「──────…………その想いを、大切にしていれば、きっと。
 イヤだと思う以上に……痛いと思う以上の喜びを、手にすることが出来ますよ────きっと。」

 思いを込めた一言は、もしかしたら。
 自分のために、言い聞かせた言葉だったのかもしれない。

「…………クリフト…………。」
 泣きそうな顔で、アリーナは呟く。
 その声に宿る響きは、どこか安堵を含んでいた。
 そしてそのまま彼女は、甘えるようにクリフトの法衣に顔を埋めた。
 スリ、と、無意識に寄せられた彼女の頬に、クリフトは絶望にも似た感情が、ジンワリと胸の中に広がっていくのを感じた。
「ゴメン──……ありがとう。」
 震えるアリーナの指先を見下ろして──月の明かりの下で、白く輝く彼女の手の甲を見つめて、クリフトは静かに目を細めた。
「何が、ゴメン、なのですか?」
 いつも溌剌と元気良くした娘は、今、自分の目の前で小さく震えている。
「クリフトにだけ……私、いつも、甘えてる。」
 零れた言葉は、彼女なりの誠意。甘えの言葉。
 それが、彼女からの信頼のソレだと分かっていながら、クリフトは──その彼女の声に、答えることは出来なかった。
──……この痛みが、甘美な甘さを持っていなかったら。

 簡単に、あきらめられるのに。

「…………いいんですよ、姫様。
 私でいいのなら──いくらでも。」
 バカみたいに自分を追い詰めていると自覚しながら、クリフトは唇に微笑を刻んで、アリーナを見下ろしてそう告げた。

 たとえあなたが誰を見ていても、私はあなたの側に居る。
──そう、それは、昔から決めていたこと。
 それが、ただ……今、目の前に横たわる現実になったというだけのことなのだから。

 ただ、それだけ、なのだから。






















「──……なぁ、クリフト? ひとつ、聞いてもいいか?」
 さらり、と揺れる翠の髪。
 振り返るその双眸は、晴れた日の空の色。
 整った容貌は、そうしてキラキラ光る木漏れ日の下にいると、まるで人ではないもののように神秘的な色を宿す。
「何でしょう?」
 穏かに聞き返しながら、少しまぶしげに目を細める。
 その視線の先で、彼はニッコリと微笑んだ。
 いつもの、どこか陰を隠した微笑ではなく、それは──まるで挑発するような、ソレ。
 その意味を図りかねて、クリフトは相手にわからないように眉を寄せた。
 それをまるで見ていたかのように、そのタイミングで、少年は唇を開く。
「──いつまで、そうやってるつもり?」


ザァァ──……と、風が、吹く。


「……え?」
 聞き返したのは、風の音で彼の声が聞こえなかったからじゃない。
 彼の言う言葉の意味を、図りかねたからだ。
 どういう意味なのか、小さく目を見開くクリフトに、少年はいつものように笑った。
 それは、どこか少し痛みを含んだ……微笑み。
「煮え切らないなら──本気になるよ、俺?」
「勇者、さん…………?」
 戸惑いを含んだ声に、少年はそれ以上何も言わなかった。
 ただ、微笑みを深くするだけだった。
 何に、煮え切らないのか。
 何に、本気になるのか。
 彼は、決してそれ以上口にすることはなかった。
 ソレ、が。
 彼にとっての優しさなのか、痛みなのか、クリフトには分からなかったけど。
 「なに」を指しているのかだけは、口にされなくても、理解できた。
 だから。
「────あなたの心は、あなたのものですから……。」
 ただ、そう……答えた。
 この答えが、相手の少年が望む答えではないと、知りながら。
 ざぁぁ──……二度目の風が、クリフトと彼の間を吹きぬけた。
 一瞬むせ返るように広がった風の匂いに、クリフトが軽く眉を寄せた瞬間、ぽつり、と少年は呟く。
 その声は、クリフトには届かないまま、風に攫われていく。
「……勇者さん?」
 小さく、呼びかける。
 けれど、その声に彼は答えぬまま──ただ、シニカルに笑った。
「その言葉、後悔するなよ、クリフト。
 ……俺は、勝てない戦いはしない主義だから、宣言したんだからな。」
 不敵な──微笑。
 そういわれるまでもなく、彼が「勝てない戦い」がしない主義であることなど、クリフト自身、良く知っていた。
 掌中の宝珠のように大切に──けれど厳しく育てられた少年の身に宿った戦闘センスが抜群なことくらい、クリフトも良く知っている。
 ライアンに剣技を学べば、彼の背を預かるほどの剣術使いに。
 マーニャから攻撃呪文を学べば、彼女と同等レベルの中級呪文を詠唱も短く的確に放てるように。
 ミネアやクリフトから回復呪文を学べば、莫大な魔力を消費するほどの絶大な威力の回復魔法を覚えて。
 戦略についても、クリフトやライアンから、飲み込み良く覚えていった。
 だから、彼は勝てない戦いはしない。
 勝てる見込みのある戦いは、最後まで諦めない。
 そういう気質を、仲間なら誰でも知っていた──そう、同じような戦いの見方をする、アリーナと同じくらい、クリフトは彼のそんな気質を知っている。
 彼は、戦うために生まれたような人だと、トルネコが酷く悲しそうに呟いていたのを覚えている。
 それは、今もクリフトの耳にこびりついている。
 同時にその言葉は、少年を孤独にみせているのだというのに。
 ふ、と──気づいてしまった。
 彼は、優しい人。
 彼は、強い人。
 リーダーであり、救い手であり、そしてみんなにとても気を配るのだ。
 そんな彼が、誰の前で素の顔に戻るのか……気づいてしまっていた。
「ええ、知っています。」
 クリフトは、瞼の熱さも、唇にこみ上げてくる熱さも、何もかもを飲み込んで、微笑んだ。
────大丈夫。
 だって、私は笑ってお見送りすると決めてきたのだから。
 覚悟を決めてきたのだから。
 こんな場で、それを諦めるわけには行かない。
 あの方の、白い見事なドレス姿を見ても、きっと私は笑ってその前で幸運を祈ることが出来る。
 出来なくてはいけない。
 それが出来ない者に、彼女の傍に仕える権利はないのだから。
「──知ってるなら。」
「それでも、私はあなたを止めることはできません。その権利もありません。」
「………………いいんだ?」
 す、と目を細めて尋ねてくる彼は、やっぱり優しいのだと思う。
 本当は、止めて欲しいのだろう。
 本当は、他ならない自分に止めて欲しいのだろう。
 それは、分かっている。
 きっと彼は、自分が「やめてくれ」と言えば、そうしようと頷いてくれるのだろう。
 たとえそのことで、自分がどれほど辛くなろうとも──彼は、優しい人だから。
 さびしくて孤独な人だから。
 私を傷つけることのないように、自分で言い訳が欲しいのだ。
 「クリフトを傷つけたくないから、この想いは形にしない。」
 でも。
 私は、止めない。
 彼がどれほどソレを望んでいようとも、どちらを選んでも、私にとっては残酷な形でしかないと知っているから、それならなおさら。
 私は、この道を選ぶ。
「いいも何も……理由を言っても、いいのですか?」
「理由? そんなの──。」
「あなたが、アリーナ様の前で、どういう顔をしているのか……ここで、突きつけても、いいのですか?」
「──……っ。」
 表情は変わらない。
 でも、目の色が変わる。
 ハッとしたような、傷ついたような、おびえているような。
 そんな、顔。
 年相応の──傷つきやすい、思春期の少年の顔だ。
 私が彼のこんな顔を見るのは、何度目なのか、もう覚えてはいないけれど、これだけはハッキリといえる。
 彼が、私に向けてこの顔を見せたのは──初めてだ、と。
「理由は、それです。
 ……無理矢理、想いを閉じ込めても、苦しいだけだということを、私は知っていますから。
 でも、私はあえてその道を選んだ。
 その道を選ばないと、私はあの方の傍には居られなかったから。
 私が少しでもアリーナ様にそのような動きをすれば、すぐさまブライさまによって排斥されていたのは、確実ですしね。」
 少しだけ苦い色を乗せて、クリフトはツィ、と少年を見上げた。
 初めて会ったとき、少し済ました顔の少年だと想った。
 何か、影を持ち、何か、言い知れないものを抱えている少年だと。
「でも、あなたは違います、勇者さん。」
 パーティの中で、一番年が近い2人の少年と少女。
 同じ前衛で、戦略を練っては、それを実践で使い……たぶん、今まで一番身近にいたクリフトよりも、ずっと身近に立ってしまった少年。
 それが、ただの異性の友人であれば、どれほど良かっただろうか。


「あなたは、違うから……私を理由にして、逃げないでください。」



 ──はぁ…………と、今まで見たこともない悩ましげな溜息を零す姫君の、どこか熱をもった瞳の意味を、理解できないほど──子供じゃない。
 甘い、とろけるような吐息が、麗しの乙女の唇から零れる。
 その吐息の鮮やかな色に、ふっ、と目を奪われた。
 初めて聞く、悩ましげなため息。
 初めて見る、恋する乙女の顔。
 その変化に、気付かないほど……彼女を見ていなかったわけじゃないから。
 だから。
 気づいていた。本当は。
 彼女から、叩きつけられるような想いを吐露されるよりも先に。
 彼女が誰を見ていて、彼が誰を見ていたのか。
 誰よりも先に──気づいていた。
 同じくらい……それ以上に、ずっと、見ていたから。


 いっそ、攫っていけたら。
 いっそ、この腕に抱きとめて、何もかも忘れさせてしまえたら。
 いっそ。
 永遠に、彼女の顔から微笑を奪ってしまったら。





──────………………あぁ………………そんなことをすればきっと私は、死んでしまうのでしょうね。












「俺は、自信があるぜ。」
 二コリ、と笑う少年の顔を見て、クリフトはあいまいに笑った。
 「自信」──そんなものがあれば、自分はずっと昔に、片思いだった彼女に思いだけでも告げていたかもしれない。
 否、それはありえない。
 一国の王女であるアリーナの傍に男子が仕えることを許されるのは、社交界の場にデビューする前まで。
 貴族や他国の王族との社交場にデビューしてしまえば、たとえそれがどのような相手であっても、遠ざけられるのが通例だ。
 ただし、サントハイムが教会を大事にするというお国柄を持つことと、神に仕える者の身も心も神のもの──はっきり言ってしまえば、恋愛ご法度の者なら、それは別扱いとなる。
 そのため、姫君の身を守る者として、一人だけ、「男」でありながら、彼女に直々に仕えることを許される存在がある。
 ソレが、「神官戦士」の肩書きを有する者。
 クリフトは、その「神官戦士」になるべく育てられた「エリート」であった。
 しかるべきとき、姫君が無事に輿入れ・もしくは婿入りをされた後、教会の内部でもぜったい的な地位を貰うか、そのまま国王の相談役として任命されることになるという、これ以上はない地位を約束された役目だ。
 そんな重要な役目を担わされているからこそクリフトは、周りの人間から──そして神学校で、くどいほど言い聞かせられていた。
 決して、過ちは犯してはならない、と。
 姫君に恋をするなとは言わない。
 過去、そうして守護する姫と恋仲に落ちた神官戦士も居た。
 そんな2人が無事に婚姻を果たしたという例がないわけでもない。
 けれど、彼らは恵まれていたのだ、と、誰もが口を揃えて言う。
 姫君は王位継承権も低く、神官戦士は貴族の生まれであった。
 だからこそ、姫は王位継承権を破棄し、神官戦士はその位を返還し、2人は結ばれることが出来たのだ。
 けれど、アリーナ姫は、ただ一人の王位継承者。
 「王」になれぬものが──否、国に利益をもたらさない者を、伴侶に迎えるわけにはいかない。
 愛らしい姫君の幸せな結婚を誰もが望んでいる。
 誰もが、彼女が好きな相手と結婚させてやりたいと思っている。
 けれど、それと同じくらい、自分も、ブライも、知っている。
 知らざるを得ない。
 姉妹による正略結婚の結びつきを望めない以上、アリーナがムコに迎えるのは、他国の王族、もしくは有力な貴族でなくてはならないのだと。
 そうでなければ、サントハイムは──窮地に立たされてしまうだろう。
 特に今、サントハイムの城がもぬけに空になってしまい、サントハイム大陸は残った貴族達で何とかやりくりしている状況ではある。それでも、このまま後数年放っておけば、他国が黙って見ていることはあるまい。今はエンドール王がなんとか目を利かせてくれているようではあるが、野心家のボンモール王がどう出るか──、予断は許せぬ状況ではある。
 サントハイムに平和が戻った後も──もしかしたら戻らないときのことを考えても、唯一の王位継承者であるアリーナには、過酷なことを頼むことになる。
 まずは、財。
 城にあったほとんどの宝物は魔物たちに奪われ、運び出されていた。イザというときのたくわえ庫が、国王のみが知る場所にあるはずだというブライの言葉から、最悪の状況は免れたと言えようが、諸手をあげて喜べるほどのものではない。
 税金は、各地の領主達が滞りなく行ってくれているようだが、それも──各地の村や町の被害金に当てられていて、コチラへの復旧に当ててもらえるかどうかも怪しい始末だ。
 次に、平和になった世の中の国王達が、ここぞとばかりにサントハイムの領土を手に入れないような伏線が必要となってくる──滞りない外交だ。
 そのためにも、各地の国に入ったら、ブライも自分もアリーナ姫にとって良い手助けを得られるように、各国の貴族や王族には常に気を使って対応するように心掛けている。
 ヒスイたちの一行と合流して助かったのは、まさにその面であった。
 アリーナとその供が2人という、年頃の姫君をつれて国々の貴賓を相手どるにしては、非常に心もとなかった旅の連れが、一気に倍以上に増え──アリーナのために、座興でマーニャはその見事な舞を見せて貴族達の心を掴むことに協力してくれたし、それは高い確中率を誇るミネアの占いにしてもそうだった。王族や貴族からの内密の占いには、馬鹿が付くほど吹っかけて、気にいらなかったらケンもほろろに断ってしまうミネアが、アリーナのためにと、無償でその相談に乗る。
 そして、何よりも目の前の少年──一見した風では、普通の整った容貌の少年にしか見えないこの人の、いまだ眠る「名声」が、アリーナの王への道を、たやすくしてくれている。
 そんな事実が、いつもクリフトの目の前にある。
 勇者としての名を持つ、世界を救うことが出来る勇者様。
 アリーナのために、名を馳せた己の肉体と力を使う姉妹。
 彼女を狙う不逞のやからを追い払うのに適した睨みを利かせる戦士。
 商人のネットワークを使い、今でもサントハイムに多大な支援をしてくれている商人夫妻。
 自分とブライでは、決して出来なかったことで、彼らはサントハイムのために……否、アリーナのために協力をしてくれている。
 この旅そのものが危険で、余計なことを考えている余裕などないというのに、そうやって、いつも、アリーナのために動いてくれる。
 それらを目の当たりにしていて──どうして、「王族」ではないアリーナだけを見ていたいと言えるだろう?
 ──そうすることを、彼らに少なからず望んだ自分が、どうして目の前の人だけを見ていたいといえるだろう?
 理性を金繰り捨てて、目の前の人だけを見ていけたら、どれほど幸せなことなのか、分からないわけではない。
 愛する人をこの腕に抱いて、大丈夫だと、そう囁く幸せにめまいを覚えているだけですんでいたら──そうしたら、どれほど楽に生きれるだろう?
 ──でも、それは、できない。
 できないから……だから。
「アリーナ様のお心が誰のところにあるのか、気付いてないんですか、勇者さん?」
 ただ静かに──そう問い返した。
 何でもないことのように、表情を取り繕いながら。
「姫様はお強い方がお好きでいらっしゃいます。
 ですから。」
 そこで一度区切って、クリフトは、スゥ──と息を飲み込み、
「今、姫様が見ているのは、勇者さんではありません。」
 少しだけ寂しそうな顔を浮かべて、続けてやった。
「ライアン殿ですよ。」
 強い風が吹いた。
 その風に乱れる髪を押さえながら、ヒスイは苦い表情を浮かべる。
「────……いや、それはちょっと無理があるだろ?」
 いくら、アリーナのことはクリフトが一番良く知っているとは言え、それはさすがに無理がある。
「お前、俺に手を出して欲しくないなら──本気になって欲しくなかったなら、はっきり口に出して言えよな?」
 けだるげにあごを上げて、呆れたように見下ろした先で、クリフトは合いも変わらず淡い笑みを浮かべていた。
 浮かべながら続く台詞は変わらず、
「本気になっているというなら、アリーナ様のあの視線の意味にも気付いているのでしょう? 勇者さん?
 ライアン殿を見つめる熱っぽい視線……彼の隣で嬉しそうの頬を染めながら、腕をなで上げている姿。
 さらに、先日は町の中でライアン殿と腕を組みたがっていました。」
「そういわれると、最近、良くアリーナのヤツ、ライアンさんと一緒にいるような……。」
「ええ、そうです──ライアン殿は、実家に帰れば名門の戦士の出だと聞いております──この旅が終わり、昇格を果たせば、アリーナ様のムコ君としても遜色はないだろうと、そうブライさまもおっしゃっていました。」
「もうブライさんの所にまで話が言ってるのかよっ!?」
 思わず突っ込んだヒスイに、クリフトは重々しく頷いた。
「すべては、アリーナ様のためですから……。」








 なんとも複雑な表情で立ち去っていく、我らがリーダーの後姿を見つめながら、クリフトは、はぁ、と己の胸元を押さえながら、俯いた。
 視線の先にある靴先を見つめながら、零れるため息は収まらない。
 苦痛に眉を寄せて──……クリフトは、堪えきれないかのように目を閉じた。
「────…………神よ……嫉妬にかられて、物事を誇張して伝えてしまったこの私の罪を、どうぞ戒めください…………。」
 見ていれば、気付く。
 どうせすぐにヒスイも気付いてしまうことだろう。
 だから、ほんの少しの──しっぺ返しでしかないのだけど。
「アリーナ様……最近、ライアンさんの剣技や筋肉の付き具合に、ひどく関心を持たれておいででしたから……。」
 そして、ライアンの身元を確認したのは、ただのブライの取り越し苦労であって。
 その事実を、しっかりとクリフトは認識していて尚、そう口にしてしまった自分の罪深さに──はぁ、と、もう一度重いため息を零した。
 もしかして、コレって。
「…………わたし、勇者さんに宣戦布告したことに、なっていたりするんでしょうか………………?」
 でも。
「────…………闘う前から……負けている身で、何を言ってるんだか…………。」
 苦い笑みが、ふ、と崩れて。
 クリフトは、顔を手の平に埋めた。

 姫の想いがどこにあるのかではなく。
 彼女を想うだけで、決して行動に移そうとしない自分の心そのものが、
 ──闘う前から、負けているのだ、と。
 分かってはいる。











 こんな感情……無かったらいいのに。








TO BE ……?



SSSダイアリーにて適当に続けていた勇アリ←クリフトの話を、多少加筆してアップです。
勇アリというよりも、クリフト完全片思い、ちょっと切ない系を目指してみた、切ない系って言うよりも、クリフト苛めて楽しんでるだけだろっ!? とゆー話になりました。

ちなみにこの続きもチラリと考えてみてました。
以下、下。某様(笑)のメールでちょっと語ったお話をそのまんま転載。
この後、クリフトは一人、森の中で木の幹に拳を打ち付けて、苦しみを押し殺そうと必死になるわけですよ。

はぁ〜v 萌えvv
今度は、無理矢理アリーナを○○するクリフトとか書きたいですね♪
それで、アリーナに怯えられちゃうのv キャv

……って、そーゆーのキライとか言ってたくせに……(笑)。





「もし、あなたが私に遠慮をして自分の心を閉じ込めることを考えているのなら──
私は私のために、あなたにこうすることを望みます。」
 微笑んで、クリフトはヒスイに向かった。
 ただ静かな光を宿すヒスイの瞳は、どこか疲れたような色を宿していた。
 その彼の瞳が、和らいだ光を宿すのが誰の前なのか、知っているから。
「──何を言っているのか、俺にはわからないよ、クリフト?」
「……本気になるのでしょう?
 本気になると、言ったのでしょう?
 ならどうして──眼の前に答えがあるのに、逃げるのですか?」
 チラリ、とあげた瞳が、剣呑な光を宿していた。
 それに、どういう意味が込められているのかわかるからこそ。
「俺が逃げてる?」
 唇をゆがめるヒスイに、クリフトは微笑を貼り付けながら頷く。
 ──胸に、シクリ、と痛む刺。
 抜けない刺は、抜きたいとも思わない。
 そのまま突き刺さっていてくれた方が、ずっと傷は浅くて済む──たとえ、どれほ
どそれが痛くても。
「逃げてるじゃないですか。
 どうしてアリーナ様を見ようとしないのですか?
 ──私のことを案じているというなら、私はあなたにそれこそ言いたい。」
「…………クリフト…………俺は…………。」
「さっさと、覚悟を決めてください。
 ──こうやって、生殺しで居る方がずっと辛いと、わかっていて、あなたがあえて
そうしていると言うのなら。
 アリーナ様を、このまま苦しめ続けるというのなら…………私は、あなたを。」
 言葉を区切って、ヒタリ、とクリフトはヒスイの目を睨みすえた。
「絶対に許さない。」