ドラゴンクエスト4SIDE
外は真っ白な銀世界。
ぶ厚い窓ガラスも白く曇り、そのこちら側では、シュンシュンとストーブの上でヤカンが音を立てていた。
宿屋の一室──3人部屋の中央に置かれた縦型のストーブの前のおかげで、部屋の中はずいぶんと暖かく、いつもの服の上に厚手のストールを一枚羽織っていれば、十分事たりた。
ストーブの前には、大きな体躯の男が1人、しゃがみこんでいる。
ストーブの中で赤い火を灯す炭火を眺めているその姿はとても穏かで──良く見れば、時折瞼が閉じていて、こっくり、こっくり、と居眠りしているようだった。
そのままにしておいたら、そのうち額をストーブにぶつけて焼けどしそうだと、そのすぐ傍で無意味に屈伸運動をしていた少年は、一応男に向けて声をかけてみる。
「トルネコさん、寝るならベッドに行ったほうがいいんじゃない?」
呆れたような口調に、声をかけられた方は、ハッとしたように肩を大きく揺らし、それからパチパチと忙しなく目を瞬いて──照れたようにか、目の前のストーブのせいか、頬に赤い色を散して、笑った。
「ぁれ……わたし、寝てましたか?」
「うん、今にもストーブに頭をぶつけそうだった。」
素直に頷いてやれば、それは大変だとばかりに、慌ててトルネコはソコから立ち上がり──ストーブの前よりもずいぶんと寒々しく感じる室内に、ブルリと体を震わせた。
しゅんしゅん、と静かな室内に響き渡るヤカンの白い蒸気の音を背後に、ユーリルの隣のベッドに腰掛けると、トルネコは大きく一つ欠伸をして、
「それじゃ失礼して、ちょっと寝させてもらいましょうかね……。」
「うん、夕飯には起きるよね?」
「そりゃもう! 夕食を喰いっぱぐれなんかしたら、私は寝られなくなっちゃいますよ!」
確かめるようにユーリルは口にしながら──なんだか違和感を感じるなぁ、と、トルネコのコロコロ笑う声を耳にしながら首を傾げる。
けれど、ユーリルの感じる違和感を、トルネコはまるで感じていないのか──それとも、眠くて感じることすらできないのか、彼は上着を脱ぐと、そのままコロンとベッドの中に丸くなってしまう。
こんもりと盛り上がった毛布を見るともなしに見ながら、何かがおかしいような気がすると、ユーリルは首を傾げながら、視線をストーブの前に移した。
ストーブの前で居眠りしていたトルネコ。それを見て──……。
「………………ぁ、クリフト。」
違和感の正体が自分の視界の隅を掠めた途端、簡単に答えは出た。
グルリと顔を巡らせると、ユーリルの右隣のベッドにクリフトが腰掛けているのが見えた。
こちらに背を向けて、なにやら真剣に顎を落とし──読書の只中であることは間違いないのだろうけど。
「そっか、そっか……どおりで違和感があると思った。」
さきほど自分がトルネコに向けて放った言葉のほとんどは──いや、おそらくはその全てが、いつもならクリフトが言っている言葉だったからだ。
クリフトが当たり前のように目に留めて、当たり前のように口にするセリフ──しかもその大抵のセリフの先にいるのは、ユーリルである。
いつも言われている台詞を、知らず知らずのうちに自分が口にして気にしているのも驚きだが、クリフトがユーリルよりも先に気づかなかったのも驚きだ。
いつものクリフトなら、トルネコが居眠りをし始めた段階で気づいて、「寝るなら布団でどうぞ。」と声をかけているし──いやそれ以前に、ストーブの前に陣取っているトルネコに向かって、「ストーブの前にいるほうが風邪を引きやすいですよ。」と注意しているはずだ。
さらに言うなら、トルネコがベッドの中に入って眠ろうとするのに、「先に寝巻きに着替えないといけません。」と小姑のように口をすっぱくして言って来る。──そう、たとえそのセリフをライアンやトルネコに向けて口走っているのを見たことがなかろうと、ユーリルに向かっては、ほっぺたを引っ張りながら言うのだから、その行動パターンは間違いない。
そのクリフトが。
いつも仲間の健康管理をさりげなく口すっぱくしている「小姑」であるクリフトが!
「……クリフト、熱でもあるのか…………?」
思わず不安になって、ユーリルは自分のベッドを降りて、クリフトが腰掛けるベッドの反対側にギシリと体重をかけた。
けれど、クリフトは呼びかけにも答えない。
ピクリとも動かない肩に、ユーリルは軽く眉を寄せて──まさか寝ているのではないだろうかと、さらにギシリとベッドの上で膝を進めた。
「おい、クリフト?」
そのまま背後から近づいて、下から顔を覗きこんでみようとした途端──、ペラリ、と、指先がページを捲って動いた。
背後からチラリと見えるクリフトの頬や顎先も、そのページの動きに合わせて動いているのが分かった。
それを認めて、ユーリルは自分の目がかすかに据わるのを感じつつ、
「……………………クーリーフートー。」
少しばかり剣呑な響きを宿して青年に呼びかけてみるものの──やはり青年の背中は、ピクリとも動かない。
代わりに、本のページの端に触れた指先が、かすかに動くばかり。
ソロリと腕ごしにクリフトの顔を見上げてみれば、端正な面差しは、硬直したかのように表情を無くし──その中で、黒い瞳が真摯な色を潜めて、古びたページの上に落とされていた。
その、真剣極まりないクリフトの表情を認めた途端、
「こーの、本の虫め……っ!」
マーニャが呟きそうなことを呟いて、ユーリルはパタン、とベッドの上にうつぶせになって転がった。
頬に触れたシーツは、ほんの少しだけヒンヤリとしていて、冷たくて……気持ちがいい。
シーツに頬を摺り寄せながら、ごろん、と寝返りを打てば、古びた宿の天井の節目が視界に移った。
それを見るともなしに見上げながら──ことのついでのように、チラリとクリフトの横顔へと視線を上げれば。
「……──……で、だから…………あぁ…………。」
クリフトのすこしだけひび割れた唇が、声にならない呟きを零しているのが見えた。
おそらく、真剣に「暗記」でもしているのだろう。
こういう状態のクリフトには、声を掛けても無駄なのは過去の経験上分かりきっている。
良く耳を澄ませないと分からない──口の中だけで消えていく呟きに耳を傾けていたら、なんだか眠くなりそうで……ふぁ、と短い欠伸を零れた。
聞こえてくるのはシュンシュンというヤカンの音と、二つはなれたベッドの上で丸まったトルネコの寝息。──そして、時折窓を揺らす風の音。
その音に耳を傾けていると、眠くなかったはずの瞼がトロトロと落ちてきそうな気がして、ユーリルは再びゴロリと寝返りを打つと、シーツの上で頬杖を付いて、
「ひまー、クリフト、すっげぇ暇〜。」
バタバタ、と足を上下に揺らしながら訴えて見た。
ばふんばふんと、小さくベッドがバウンドするたびに、クリフトが見ている本も揺れているだろうに──クリフトは本に視線を落としたままで、まるでこちらの様子は耳に入っていないようだった。
「クーリーフートー。」
懲りずに声をかけながら、ユーリルは首を傾けるようにしてクリフトが読んでいる本の背表紙を覗き込み……、ん? と、眉を寄せた。
緑色の革表紙に包まれたソレは、いやに古臭い文字体で簡素に一言。
「薬草図鑑…………?」
背表紙はユーリルの指の第二関節ほどまでの太さがあり──しかも先ほど覗き込んだクリフトの捲っていたページは、全て文字……だったような覚えがある。
そんな、文字ばっかりの薬草図鑑なんて読んで、一体何が楽しんだと、ユーリルは呆れながら溜息を零す。
クリフトの「勤勉家」には、旅の中で何度か助けられているから、勉強するなとは言わないけれど──外は寒くて、中でヌクヌクと暖をとりながらの読書は分かるが……なんでよりにもよってそんなもの。
「……アリーナと一緒に、雪ダルマでも作って遊ぼうかなー……。」
ゴロン、と、再び寝返りを打ってうつぶせになりながら、なんともなしに零した言葉は──なかなかいい案のように感じた。
外は寒くて凍えそうな雪景色だけれど、すこし厚着をして、この間の街で買ったばかりのお揃いのミトンとイヤマフをつけて、ミネアが馬車の中で編んでくれた大き目のマフラーをグルグル巻いて。
──うん、そうだ、そうしよう。
「ココに居ても、体が訛るだけだしな。どーせアリーナだって、退屈で部屋の中で暴れてるんだろうし。」
退屈しのぎにポツリと零れたにすぎないひとり言の提案は、改めて考えてみるとなかなかいい暇つぶしになりそうで。
ゆーりるは、早速とばかりに、シーツに両手をついて、よいしょ、と頭をあげようとした──その後頭部に、
「外に行くのはもう少し待ってください。」
声とともに掌が押し付けられたと理解するよりも早く、圧力をかけられて、ぶし、とシーツの海に顎から沈んだ。
「ふへっ。」
シーツの下の固い木の感触を感じて、思わず眉を顰めたユーリルの頭を、さらに強くシーツの中へ押し込めながら、
「もう少ししたら読み終わりますから、それまで待っていて下さい。」
「……ってお前……聞いてたのかよ……。」
至極冷静ないつもの声が淡々と──その神経のほとんどは、ユーリルが話しかけてから数ページほど進んだ本に注がれている──かけられて、ユーリルは憮然とした顔でフルフルと力なく頭を振ってみた。
そうしてみても、頭に乗せられたクリフトの掌は上から退いてくれることはなく、結局自分の髪の毛がクリフトの手によってクシャクシャと歪められるだけだった。
ますます憮然として、ユーリルは視線だけでクリフトを仰ぎ見る。
「じゃ、読み終わったら、チェスしようぜ、チェス。」
「外に出て、姫さまと雪ダルマじゃなかったんですか?」
先ほどまで本にしか向いていなかった視線が、ユーリルの誘いの言葉にようやくチラリと一瞥を向ける。
その瞳がいぶかしげな色を纏っているのに気づいて、ユーリルはシーツに顎を埋めたまま、だって、と返した。
「クリフトが構ってくれるんだったら、外に遊びに行かなくてもいいじゃん。」
「………………ユーリルとチェスをするくらいなら、薬草図鑑を最後まで読んだほうが有意義だと思うんですが。」
思わず一瞬動きを止めたクリフトが、眉間に皺を濃く刻んでそんなことを呟いてくれる。
「どうせ僕はチェスが下手だよ! でもなっ、この間はマーニャに勝ったし、その前だってアリーナに3戦2勝だぞっ!」
「マーニャさんとするときは、ユーリルにハンデがあるでしょう?
それに……どちらにしても、チェスをしている暇なんてないと思いますよ。」
はぁ、と、溜息を一つ零して、クリフトはベッドサイドの棚においてあったしおりを指先で挟むと、ユーリルの頭をクシャリと掻き混ぜてから、分厚い本を閉じた。
「なんだよ? クリフト、今から何か用でもあるのか?」
不思議そうに首を傾げながら──指先で自分の乱れた髪を整える少年を見下ろして、クリフトは口元に苦い笑みを刻んだ。
「……自覚がない見たいですけど、ユーリルと姫様は思考回路が一緒ですから。」
言いながら彼は、これから起きることを知っているかのように、ベッドから立ち上がり、ストーブの近くに吊るしてあった自分のコートとユーリルのコートを取上げる。
それをポイと、ベッドの上でゴロゴロしたままのユーリルに向けて放り投げながら、
「あなたが暇を感じているということは、姫様も同じだって事ですよ。」
でしょう? と、同意を求めるように言われて、そうかも、とユーリルは一つ頷いた。
寒い雪だらけの日は、家の中でゴロゴロしている──という、山奥の村では冬の日常のように繰り返していたユーリルですら、退屈だとクリフトに訴えるような穏かな午後……あのアリーナが、おとなしく部屋の中でマーニャやミネアたちとのおしゃべりに興じるだけで満足しているはずはない。
そろそろ窓辺にしがみついて、この雪の中でいかにして、「こんな寒い中で長時間外に出るなんて、何を考えてらっしゃるんですか!」と叫ぶクリフトの目から逃れて、鍛錬をすることができるだろうか──なーんてことを考えているに違いない。
「……つまり何だよ?」
クリフトに投げられたコートを羽織りながら、自分のベッドに放り出された道具袋から白いイヤーマフを取り出しながら、
「クリフト、もしかしてお前……僕をアリーナの退屈メーターに使ったってことか…………?」
肩越しに、不穏な眼差しでクリフトを振り返れば、彼はその視線を受けて、曖昧に微笑んだ。
「この雪ですから、姫さまをお1人で外に出すわけには──いかないでしょう?」
少し困ったような顔で、やんわりと首を傾げて笑むクリフトの言葉は、肯定ではなかったが──アリアリと、そうだと語っているような気がした。
「……ぅわ……クリフトって、マジでアリーナバカだよな?」
思わず、顔を大きく歪めて溜息交じりに零したユーリルの言葉は──決して間違っているわけではないだろう。
「私はアリーナさまの忠実なる家来ですから、アリーナさまのことを第一に考えるのは当然のことです。」
コートの上からマフラーをグルグル巻いていたユーリルに、クリフトは当然のように答えて、ストーブの前にしゃがみこんだ。
クリフトが伸ばした指の先で、かちん、とストーブが小さな音を立てて、煌々と燃えていた火を消した。
「はーい。その次くらいにかわいい親友のことを考えてくれてもいいと思いまーっす。」
緑色のマフラーの端を、ヒョイ、と肩から背中に流して、ユーリルはポケットの中に手袋を突っ込みながら立ち上がり、ストーブの火が完全に消えたか確かめるクリフトの横に立った。
クリフトは、呆れたような目でユーリルを見やると、
「……それはもしかしてもしかしなくても、あなたのことを指してるんですか……ユーリル?」
「うん、そう。」
イヤそうな顔で尋ねてくるクリフトに、ユーリルはアッサリと頷く。
そんな彼に、クリフトは秀麗な眉を寄せると、指先でこめかみの辺りを揉み解し──何か言いたげに口を開いたが、すぐに閉じると、
「…………自覚のなさまで、アリーナ様といい勝負だとは思わなかった……。」
ゲンナリとした声で、ぽつり、と──口の中に消えそうな声で呟いた。
パーティメンバーの中で最年少であるユーリルとアリーナは、他の面々から可愛がられる傾向にあった。──その中にあってなお、この二人にとことん甘い筆頭が、マーニャとクリフトだと言うのが、仲間達の共通した意見だ。
特にクリフトの場合は、不本意ながら、「二人のお母さんみたい」な役割をしていると、ライアンにまで言われる始末な状態で。
それほどまでに、世話を焼いているのに……、言うにことかいて、「かまって」……?
年の離れた弟を持つ兄の気分というのは、こういうものなのだろうかと、クリフトは苦いものを噛み潰しながら、考えを振り払うようにフルリとかぶりを振ると、
「ユーリル、雪遊びをするなら、ちゃんと帽子も被ってくださいね。」
とりあえず、出かける気満々のスタイルで立ち尽くすユーリルの、「お母さんとしてはその格好で表にでるのは、ちょっと許せない」所を口にして、自分もクルリとマフラーを纏った。
それから、先ほどまで見ていた薬草図鑑の内容を脳裏に思い描きながら──あの二人のことだから、またこの間のように、手がかじかんでしもやけになるくらい、雪合戦とか雪だるまとか……するのだろう。
ミネアに借りた薬草図鑑には、クリフトが今まで知らなかった使い方や効能も載っていて……なかなか助かる。
この周辺では当然のように売られているクリフトが知らない薬草の名前も効能も、しっかり暗記したから。
たとえ二人が雪でビショビショになって、しもやけで痒いと大騒ぎしても大丈夫。
──遊びつかれた二人に、近くの屋台で買った温かなココアを手渡してあげながら、帰り道に道具屋で売っている薬草を買って帰るのは……なんだか今から目に見えている気がした。
それでもって、その薬草をこの部屋のストーブで煎じていたら──きっとミネアは、呆れたように笑ってこういうに違いない。
「あの本を借りていったのって、二人がこうなるのを見越していたってことなのかしら?」
──だって、ミネアさん?
この「似たもの同士」の二人が。
一面の銀世界が広がる宿の中で、ずーっとおとなしくしてるなんてこと……絶対に、あるわけがないじゃないですか。
そんな風に、アリーナを誘う前から、数時間後の会話まで思い起こせる程度には。
「十分、世話を焼いていると……思うんですけどね。」
ふぅ、と短い溜息を零して、苦労症めいた表情で眉間に皺を寄せれば、
「ほら、何やってんだよ、クリフト。
アリーナをデートに誘いに行くぜっ!!」
グルグルと巻いたマフラーに顎を埋めたユーリルが、無邪気に笑って立っていた。
そんなユーリルに微笑みながら頷いて、クリフトは一瞬だけ室内を見回し──すやすやと寝息を立てているトルネコに目を留めた後、ストーブがしっかりと消えているのを確認して、扉の外に飛び出していくユーリルの後について部屋を出た。
────数時間後、鼻の頭とほっぺたと耳を真っ赤に染めた二人のお子サマが、雪の上に放り投げた手袋と帽子とマフラーを発掘するのに必死になって、手をしもやけして痒いとクリフトに訴える光景が、部屋のストーブの前で見られたとか、どうとか。
自ら苦労は買ってでもするクリフトの話。