こんな日常
「――で、どうするの?」
こっつん、と杖の先で地面を叩いて、少女は後ろに居る仲間二人を振り返った。
豪奢な雰囲気のある巻き毛を背中に払い、彼女は整った顔立ちに困惑の表情を浮かべている。
旅に次ぐ旅という生活を送っているわりには、彼女の肌は抜けるように白く、木目細やかであった。
ぱっちりとした紫水晶のような瞳を縁取るのは、長いまつげ――ゆっくりと瞬きすると、整然と揃ったその睫が、頬に影を落とした。
少女が振り返った先に居るのは、二人の仲間である。
ある意味幼馴染とも言える、遠い血縁の少年二人は。
「だぁからよー、カイン? 何度も言ってるだろー? ちょっとでいいんだって、ちょっとで。」
「ダーメッ! この間もそう言って、リンに怒られたじゃないか。ユーリは口先だけだから、絶対聞けませんー。」
しなやかな筋肉がついている戦士風の少年が、彼と比べると大分華奢に見える少年の背中に懐いていた。
カインと呼ばれた少年の肩に顎を置き、なにやら頼み込んでいるらしいのは一目瞭然であった。
「今度は大丈夫だって! 絶対、ちゃんとやりきります! なー、だからさー?」
甘えるような声を出すユリウスに――彼がこういう態度に出るのは非常に珍しい。とは言っても、カインにとってはいつものことのようであったが。
「んー――……ユーリの言うことだしなー。」
軽く唇を尖らせて、彼は困った顔で空を仰ぐ。
その顔を見て、リィンはため息を零した。
「二人とも。いちゃついてないで、ちゃんと話を聞いてよ。」
腰に手を当てて凛とした声で語りかけると、ちらり、とユリウスが目を向けた。
「今は、こっちの話のが優先。」
そして、再びカインに体重をどっぷりと凭れかかる。
をかけてくるユリウスの仕草に、思わずカインの体が前向きに倒れ掛かる。
そこをグッと堪えて、カインは苦く笑みを張り付かせ、ユリウスの顔ごしに、顔つきを険しくさせているリィンを見やった。
「ちょっと待ってて、リン? すぐに話を終わらせるから。」
「すぐに終わるわけないだろ。」
「終わるよ? ユーリが諦めてくれたら、すぐに。」
「誰が諦めるかよ。なー、カイン、いいだろー?」
顔を間近に寄せ合って、睦言のように囁きあう二人の様子は、幼馴染の一人であるリィンが見ても、変に思うくらいに仲が良かった。
コレで、昔はユリウスがカインを良く苛めていたというのを聞いたら、たいていのものは信じないだろう。
当時、カインをユリウスから庇っていたリィンが見ても、あれは夢か幻か、自分の勘違いか、と思うくらいだ。
――もっとも、ユリウスがいじめっ子だった当時は、リィンが二人の間に入る隙間もあったのだけど、今は、男同士の友情に踏み入ることが出来ないことが多い。
それはそれで、魔法を使う者同士の会話から、ユリウスを仲間はずれにさせることもあるから、どっちもどっちとも取れるかもしれないのだけど。
「ユーリ! カインが困ってるじゃないの。
何を頼み込んでるのか知らないけど……知りたくもないけど、今はそれどころじゃないってこと、ちゃんと自覚してよねっ!」
あんた、一応リーダーでしょうがっ!
言いながら、突きつけたリィンの魔術師の杖を、キョトン、と見やって、ユリウスは顔を険しく寄せた。
りりしい顔立ちが、顰められる様は、まるで戦闘時のようであった。戦うときのユリウスは、格好いいのにね、というのは、彼には内緒のカインとリィンの会話の中の「いつもの評価」である。
「こっちもそれどころじゃねぇんだよ。
結構重要事項発生してんだからさ。」
「…………何が重要事項なの? まーさーか、この間みたいに、ぱふぱふ娘を買うお金がないとか、そーゆーくだらないことだったら、先一週間回復呪文かけないからね。」
じと目で睨みあげるリィンに、ユリウスはまるで反省もしていないような顔つきで、まさか、と肩をすくめる。
ぱふぱふ娘、のくだりで、仄かに頬を火照らせたお子様のカインが、居心地悪そうに身をずらした拍子に、ユリウスが載せた顎が落ちる。
がくん、と顔が一段下がって、ヤレヤレと仕方なさそうにユリウスは姿勢を正した。
そうすると、リィンよりも目線が頭半分ほど高いカインよりも、さらに頭一個分ほど背が高いことが分かる。リィンの華奢な肩に比べると、二回り以上はがっしりしている。さすがは、毎日二人を庇うように前線で戦う男だけあった。
その、最近新たに出来た小さな傷を肩に見咎めながら、リィンはどうよ、と言いたげに顎を逸らして彼を見上げる。
もちろんこのとき、カインの回復呪文は、リィンによってことごとく邪魔されるのは当たり前で。
それどころか、補助呪文すら飛んでこない、飛ばさせないという徹底さも目に見えて分かっていた。
今から踏み入る土地が、どれほど危険で強い魔物が生息しているのか分かるだけに、ユリウスの嫌そうな顔は、ますます強くなった。
「んなわけあるかよ。ぱふぱふ娘なんて、一回経験したら十分だよ、な、カイン?」
「ぅえっ!? ぼ、僕? ……え、あー……って、ユーリ……僕、した覚えないんだけど……………………。」
真っ赤になって、慌てて何か言い訳を口にしようとしたカインは――話を唐突に振った少年を、困惑の眼差しで振り返る。
その、困ったような、尋ねてくるような目に、ユリウスは、そういやそうだな、とぼやく。
「お前、城に居るときは、未だに妹と一緒に湯浴みしてたらしいかんなー。俺やリィンと違って、わざわざ他所で見るもんでもないってか?」
「……妹と僕がそういう関係みたいな言い方、やめてくれるかな? それに、湯浴みじゃなくって、禊だって、何度言ったら分かるの?」
呆れたようにユリウスの鼻の頭をつまんで、ぐい、と引っ張ると、ユリウスは慌てて顔を振ってカインの手を放させた。
そんな二人の光景を、やはり蚊帳の外の光景で見ながら、リィンは重い、重いため息を零す。
ため息を聞きとがめたカインが、慌ててユリウスが再び伸ばしてくる手を払いながら、彼女を見やった。
「ごめん、リン。それで、君の言いかけたことって、何だった?」
にこ、と笑うカインの笑顔には、まるで邪気はなく――リィンは、自分が吐いたため息が軽く聞こえるのに気づいた。
諦めたような心地で、手の中の杖をくるんと、彼女は前方を示した。
そこには、巨大な湖が広がっている。
「迂回するために来た道を三日戻るか、いかだでも作って渡るか――食料が少ないことも考えて、いっそのことルーラで近くの町まで戻るか、そう聞いたのよ。」
とん、と軽くまわした杖の先で地面を叩くと、カインの背中に再びへばりつく形になっていたユリウスも、やっとこちらを向いてくれた。
そして、え? と小さく呟くカインと一緒に、辺りを見回す。
三人が進んできた獣道にも近い街道の先にあるのは、確かに巨大な湖だった。
静かに太陽の光を反射する湖の縁には、びっしりと草が覆われており、下手に近づくと、どこから水に浸かるのか見えないため、落ちてしまいそうだった。
湖自身の透明度は、ほどほどに高いようで、青い澄んだ色をしている。
左右に立ちふさがる木々と草のおかげで、前方の視界は狭く、横幅がどれだけあるのか分からないが、彼らの立ち位置から見える向こう岸は、果てしなく遠かった。
何せ、向こうに生えている木々が、米粒ほどに見えるのだ。
「三日戻るって――ああ、そうか、こんな中には入ってけねぇしな。」
「最後に分かれ道があったのって、三日も前だったっけぇ? もうそんなに歩いたんだぁ。」
乱暴に首筋の辺りを掻くユリウスに対し、カインは感心したようにそんなことを言ってくれる。
ユリウスが示す「こんな中」は、湖の周囲に広がる草木のことであった。
湖を迂回するようにしてけばいいじゃないか、といいかけた言葉は、木々のうっそおとした加減と、草木がリィンの目線まで育っているという、尋常ならざぬ森加減に、途切れてしまわざるを得なかった。
何せ、旅装束とは言えど、魔物と戦いやすいために、軽装と言ったほうが正しいような服を着ているのだ。こんな格好で森の中を歩いたりしたら、とんでもないことになってしまう。
「近い町まで、どれくらいかかる?」
振り返って尋ねたユリウスに、リィンは軽く肩をすくめて答える。
「ここまで五日かかったと思うけど――一度通ってるから、ペース配分はもっと楽になるから、町から分かれ道まで、二日もかからないんじゃないかしら?」
ふぅん、と小さく呟き、ユリウスは少し考えるように瞑目する。
カインは、自分の肩に顎を乗せたままの彼を、首を傾げるようにして見た。
間近にある幼馴染の真剣な顔は、こういうときくらいにしか見えないもので、今のうちに見溜めしとかなくっちゃねー、などという、ユリウスが聞いたら力の抜けそうなことを思っていた。
「戻ったほうがいいな。確か、ここまでまともな食料調達できなかっただろ?
一度町に戻って、飯を買いなおそうぜ。」
いい終わるなり、ユリウスはカインの腰に手をまわし、彼をさらに自分に引き寄せると、
「ルーラ。」
そう耳元でねだる。
その様子に、リィンは二の腕に表れた鳥肌を無言で見つめてしまった。
ゆっくりとさすりながら、自分とは大分態度が違うじゃない、と忌々しげに呟く。
かく言うリィンだとて、ユリウスに対する態度と、カインに対する態度がまるで違うのだが、これまた本人自覚なしと来ているから――結構似たもの同士なのであると言うことを知っているのは、カインだけであった。
「分かった。
でもさ、ユーリ、リン?」
さっそくお荷物を背中にくくりつけたまま、カインは呪文体制に入って――二人をニッコリ笑顔で振り返る。
天真爛漫なその笑顔に、リィンはつい緩む頬を押さえられなかったし、ユリウスは甘えるように頬を摺り寄せる。
そんな二人に、
「僕達ってさ、ルーラとかリレミトとかなかったら、ぜったいどっかでのたれ死ぬような旅の仕方してるよねー。」
語尾に花が咲いているかのような明るい口調で、二人のプライドを引き裂くようなことを言ってくれるのであった。
思わず、ぐぅっ、と言葉に詰まった二人に、カインはニコニコ笑顔を崩さず、じゃ、行こうかぁ、なんて明るく笑って、呪文をさせてくれた。
体が不可思議な力に包まれるのを感じつつ、ユリウスもリィンも、密かに握りこぶしを握って、強く誓った。
計画は、しっかりとたてないと……っ!!
と、当たり前のようなことを、本当にいまさら、心底から、誓ったのであった。
町に戻り、宿屋で取った二部屋のうち、自分にあてがわれたほうの部屋じゃない部屋へ訪れたリィンは、そこに少年が一人しか居ないのに珍しい、と小さく呟き――すぐに目を不穏に光らせる。
風呂あがりで、髪が濡れているリィンの肩には、しっとりと濡れたタオルがかけられている。
窓から風を入れていたカインは、室内に入ってきた彼女のそんな様子に気づくと、すぐに窓を閉めた。湯冷めしないように気を遣ってくれたらしい。
そんな彼のやさしい気遣いに、リィンはあでやかな微笑みをこぼしながら、カインのベッドに近づくと、腰を落とした。
部屋に一つしかない椅子に腰掛けて、今日の旅日記を書いていたカインは――どんな内容が書かれているのか、以前興味でユリウスと見たことがあったが、天然なだけに辛辣な意見や見方が書いてあったりして、なかなか心に痛かった覚えがある。それからリィンは、あえて彼に日記の話題を振ることをやめている――、リィンににっこりと笑いかける。
そんな彼にあいまいに笑い返して、リィンはカインのベッドの隣にあるベッド――すなわち、この部屋のもう一人の宿泊者のベッドを睨みつけると、
「ユーリはどこに行ったの?」
とカインに尋ねた。
返ってくる答えが、どれほど不当でむかつくものであろうと、リィンは「この部屋」では怒りを爆発させるつもりはなかった。
「買い物だよー。今度こそ、ちゃんと頑張ってくるって言ってた。」
「…………買い物、頑張る?」
見事におかしな単語の羅列に、リィンの寄せられた眉の皺が深くなる。けれども、カインはそれに気づかず、うん、と大きく頷いた。
「福引券がさ、あと一枚で一回できるでしょ? だから、どーしても買い物に行きたいっていうから、今日の買出しは任せちゃったんだけど――――やっぱり、まずかったかなぁ?」
ぴ、と指一本立てて宣言した後――非常に弱弱しく、カインが上目遣いにリィンを見上げた。
武器の買出しはユリウスも一緒に行くことが多いが、基本的に道具関係や旅の準備関係の荷物は、重いものがない限り、カインとリィンで済ませることが多い。
なぜなら、ユリウスに頼むと、まともな買い物になることが少ないからだ。
本当に一人で旅をしようと思っていたのか、というくらい、彼は薬草や魔法薬に関する知識がなく、この間はあやうく力の種を、「魔物の食い残しの果物の種」と思い込んで、地面に埋めようとしたくらいなのである。
どうして「毒消し草を買ってきてね」というお使い内容が、キメラの翼に変わっているのか不思議だということは、非常に良くあった。
武器や防具のことに関しては、これ以上ないくらい詳しいのに、そういう道具知識は非常に疎いのだ。
「――……まずいに決まってるじゃないの…………って、カイン……もしかして、もしかしなくても、昼間のユーリのおねだりって、それのことなのっ!?」
あいた、と額を叩いて、リィンは今日のゴールドの稼ぎを思い出し、痛い顔をして――すぐに慌ててカインに詰め寄った。
すると、やはりというのか、カインは当たり前だよ、と言いたげに小さく頷く。
「そう。本当は僕も一緒に行くつもりだったんだけどね。どうしてか僕が一緒だと、福引が当たりにくいんだよね。いっつも薬草でしょー?
ユーリはさ、昔から強運だったじゃない? だから、どうしても一人で行くって言い張ってさ。」
当たり前のように笑って告げてくれる内容に、リィンは頭痛を覚えた気がして、額に手を当てる。
――なんですって?
福引? 福引をしたいから、買い物へ行かせてくれ? たかがそれだけのために、あんなところで、あんなふうにいちゃついていたというの!?
っていうか、それってどうよ? まだ町も村も集落すら見えない……どころか、行き止まりにしか見えないあの場所で、そんなこと考えていたってことっ!?
眩暈すら覚えて、リィンは唇をかみ締め、きつく目を閉じて眉を寄せた。
福引したいだけ、だなぁんて、可愛いんだから、もーう。というには、相手はあんまりにも可愛くなかった。
まったくまったくまったくまったく……と、忌々しげな言葉をブチブチと漏らすリィンに、カインは軽く首を傾げると――。
「リィン? 湯冷めしちゃったの?」
ひょい、と心配げに眉を曇らせ、リィンを覗き込む。
不安そうに揺れる眼差しが、リィンをまっすぐに見つめている。
思うよりも間近に聞こえた声に、はっ、と目を見開いたリィンは、すぐ目の前にある――近距離にありすぎるカインの顔に、凝固する。
「……………………っっか、カインっ。」
咄嗟にずさっ、と後ずさり、リィンは唇を一文字に引き結んだ。
「大丈夫、リィン? 顔赤いけど、熱でもあるのかな?」
んん? と首を傾げたカインは、そのまま手を伸ばし、リィンの額に触れようとした。
その手を、やんわりと押し返しながら、リィンはなんでもないわ、とかぶりを振った。
それから、生乾きの髪を掻きあげると、
「それより、カイン。――今日のお買い物、何があったかしら?」
「うーん? 確か、薬草と、毒消し草でしょ。満月草も頼んだかな? あとは、聖水もほしいけど、お金に余裕があったらでいいよって言っておいたよ。」
「…………そんな余計な一言言ったら、あいつは聖水しか買ってこないわよ。」
「まっさかー、いくらなんでもー…………………………も……………………。」
言いかけたカインは、過去にあった、「そういうこともあったなぁ」的な出来事を思い出し、あはははは、と乾いた笑いを浮かべた。
「あるかもね………………。」
そして、わざとらしいくらいわざとらしく、視線を逸らした。
リィンが、うんうん、と頷いている。
「薬草も毒消し草もないと、カインに負担がかかっちゃうわよね。」
「でも、聖水がたくさんあったら、ユーリの負担は軽くなるよねっ。」
「それで寄ってこないザコ相手に、傷を負うユーリが未熟なだけだと思うけど。」
辛辣な一言を零した後、リィンは短いため息を零した。
「薬草を束で買うほうが、福引券をおまけでつけてくれやすいんだけどなー。」
ぽつり、と呟くカインの一言に、
「――……あー……ん。も、どうでもいいわよ、私。」
がっくりと、リィンは腰を捻ってベッドに顔を埋めた。
お日様の香りのするシーツに、ずず、と頬を滑らせると、はふ、と小さく吐息を零した。
「んー?? そう? ま、どっちにしても帰ってくるまで待ってないと分からないしね。」
カインは、軽い動作で自分のベッドに腰掛ける。
隣でベッドに半うつ伏せになっているリィンを見て、ぎしり、とベッドを揺らした。
窓の外は暗い闇に包まれていた。
室内を照らす炎の光は明るく、机の上にはカインが出した魔法光が輝いている。夜の強行軍をしない限り、滅多に使わないそれは、室内を十二分に照らし出している。
その光に反比例するように影が色濃く現れていた。
ぼんやりとそれを眺めて、カインはもう一度視線を戻した。
リィンは、身動き一つしていない。
「リン?」
小さく呼びかけた言葉は、リィンの耳に届くことはなかった。
「リン。」
もう一度呼びかけた後、カインは気づく。
彼女の唇から、細い吐息がこぼれているのに。
それは規則正しく、優しい安らぎの音だった。
「…………寝ちゃったの、リン?」
覗きこむように、優しく尋ねるけど、やはり応えはなく、カインはクスクスと小さく笑った。
そして、妙な体勢のまま眠ってしまった彼女の隣から立ち上がると、リィンの華奢な身体を引きずるようにしてベッドの上に乗せた。
ユリウスならば、リィンを横抱きにすることも出来るのだろうが、カインには無理だった。
強引にリィンを仰向けにさせ、一瞬彼女が起きたかどうか探ってみる。けれど、薄着の胸元は規則正しく上下していた。
確認したカインは、足元に重ねてあった毛布を広げ、リィンの上にかぶせてやった。
「おやすみ、リィン。」
小さく囁いて、妹にしたときのように、そっと彼女の額に口付けを落とす。
静かな寝息を零すリィンを後に、カインは蝋燭を消し――一瞬悩んでから、魔法光をそのままに、ただし光源を弱めて、部屋を出た。
ユリウスが戻ってから、灯りがないのもまずいだろうと思ったのである。
ぱたん、とドアを閉じて、カインは隣の部屋を開けた。もともとリィンにあてがわれた部屋へと。
暗い室内は、どんよりと空気が溜まっているようだった。
カインは、窓の一つを開け放し、蝋燭に火を灯すと、机の椅子に腰掛けた。
そうして、のんびりと日記の続きを書き始めた。
「戻ったぜ、カーイン。」
乱暴に扉を開けたユリウスは、室内の仄かな明るさに眉を寄せた。
そして、机の上に灯っている魔法光と、光の届かないカインのベッドのふくらみとを見比べ、はぁん、と小さく笑った。
ユリウスの戻りが遅いのを待っていられなかったカインが、眠るためにベッドに入ったのだろう。戻ってきたユリウスのことを考えて、光だけは残しておいて。
蝋燭だと、燃え移ったときが怖いからな、と納得したユリウスは、担いでいた荷物を床に落とす。
頼まれたものを買ってきた「つもり」ではあるが、きちんとカインに確認してもらわなくてはいけない。
あれほど無理矢理買い物を引き受けた身としては、買い物が出来ていないと、二人揃ってリィンに怒られるのだけは避けたかった。
もっこりと盛り上がったベッドの毛布を見て、ユリウスはしばし思案した後、自分の服を見下ろした。
宿を取ってすぐに買い物に出かけた体は、汚れている。
思ったよりもすぐに開いてる道具屋を見つけることが出来たため、早く帰ってこれた。
だからまさか、先にカインが寝ているとは思わなかったのだが、あれほどの強行軍の後だ。疲れていても仕方がないだろう。
ふんわりと風に乗って香るのは、石鹸の香だ。
カインは先にお風呂に入ったらしい。
俺も入ってこようと、ユリウスは汚れた上着を脱ぎ捨てる。
ついでに宿屋の女将に洗ってもらおうと思いついたユリウスは、ついでにカインを見やった。
この間川で寝巻き代わりに使っていたシャツを洗っていたときに、野宿が多いから、汚れが取れないと文句を言っていたのを思い出したのだ。
どうせだから、女将に一緒に洗ってもらえばいいと、ユリウスはカインに声をかける。
「カイン。洗濯頼んでくるから、それ、脱いじまえよ。」
けれど、返ってくるのは寝息ばかり。
ったく、と眉を寄せたユリウスは、面倒だから、寝ててもいいから剥いでしまおうと、暗闇に隠れて見えにくいベッドへ近づき、毛布を掴み取った。
その瞬間。
「んん……? ん…………き、きぃやぁっ!!!」
相棒にしては、ずいぶん高い声が悲鳴をつむいだかと思うや否や、切り裂きの風がユリウスの体を襲った。
「……っ!!?」
何が起こったのかわからないユリウスの前に、毛布を掴んでかき寄せた少女が、大きく目を見開いて、ユリウスを睨みつけている。
「なっ、何考えてんのよ、あんたはっ!!」
震える手も、真っ赤に染まった顔も、暗闇にまぎれてユリウスには見えない。
「何って……あ?」
何が起きているのか未だ理解できないユリウスは、頬をぬめる暖かな血をふき取った。
そして、手の甲についた血を舐め取り――やっと事態を理解した。
「お前……リィン!?」
素っ頓狂な声をあげたユリウスに、リィンは真っ赤になりながら怒鳴る。
「ほ、ほかに誰だって言うのよっ! このどスケベ男っ!!」
「なっ。だ、誰がドスケベだよ、自意識過剰女っ!」
「んなっ! じゃ、あんた何であたしの毛布捲ってんのっ!? そんなっ、上半身裸で居るのよっ!!?」
びしりっ! と指差された先には、確かに先ほど脱いだ服を握った手と、上半身裸の体。ところどころ傷がついているのは、リィンが放ったバギのせいだ。
「って、いや、俺はそこにカインが居ると思って……。」
慌てて言い訳しようとするユリウスの言葉に、リィンは益々目を見張らせると、すぐにキッと、今まで以上のにらみを利かせた。
「あんた……カインに何しようとしてたのっ!!?」
「何って……いや、だから服を脱がせようと。」
未だ頭がまともに働いていないらしいユリウスの言葉に、リィンはすっかり勘違いをしてしまった。
それと同時、
「何騒いでるの? ほかの人の迷惑だよ?」
ひょこりと、隣の部屋に移動していたカインが顔を覗かせた。
それに喜んだのは、ユリウスである。
やっと何とか申し開きが出来ると、彼はカインを振り返る。
カインが大きく目を見開いている理由に気づかぬまま、
「聞いてくれよ、カインー。」
と、彼に歩み寄ろうとした。
が、それよりも早く、ベッドから飛び降りたリィンが、ユリウスを突き飛ばし、カインの腕の中へ飛び込んだ。
まるで、襲い掛かってきた男から、安全な人の中へ逃げ込むように。
「カインっ! 今すぐ、ここから出ましょうっ!!」
リィンが、カインの肩を掴んでそう言ったのには理由があったし。
「こんなケダモノと一緒に寝るなんて、冗談じゃないっ!!」
そう言った彼女の主語は、「あなたが」であったが。
この部屋の中で、上半身裸のユリウスと、ベッドから飛び出してきたリィンを見ただけのカインは、当たり前だが勘違いをした。
そして、怒りのあまり震えているリィンの肩を抱きしめると、キッとユリウスをにらみつけた。
「ユリウスっ! 見損なったよ。」
いつも温和なカインのこの台詞は、ユリウスの胸に、どん、と突き刺さった。
声も出ないユリウスに、それぞれ一睨み利かせると、カインはリィンをしっかりと抱きしめ、リィンもリィンで、カインをしっかりと抱きしめ――お互いに勘違いしたまま、お互いを守るのだと心に思いつつ――隣の部屋へと、避難した。
ユリウスは、ぱたんとそっけなく閉まるドアを見つめても――ただ、何が起こったのかわからないまま、呆然と突っ立っていたのであった。
隣の部屋で二人が、猛然と「主語」を抜かしたまま、ユリウスを見損なっただとか言っているのに、どうしようもないまま……ひたすら、立ち続けるのであった。
誤解が解ける、翌朝まで。
その後の痴話喧嘩
「ごめんってば、ユーリ。」
「だって、あんな状況で、あんなこと言われたら、てっきりユリウスったら、カインを襲うのだとばっかり……。」
「僕も、あんな状況だったから、てっきりユリウスがリィンを襲ってるのだとばっかり。」
「っていうか、お前ら俺のことをそんなにケダモノだと思ってたのかよっ!?」
「うん。」
「え、えーっと…………ごめん。」
「うわっ、カインまでそう来るかっ!?」
「だ、だって、ほら、ユーリだって男だしー。リン可愛いから。」
「可愛いっ!? どいつがっ!?」
「私がに決まってるでしょ。」
「あほか、お前は。お前よりもカインのが可愛いに決まってるだろ。」
「……っ! カインっ! やっぱりこいつと一緒に寝るのは、問題があるわっ! 今日から私と一緒に寝ましょっ!? ねっ!?」
「え? ええ? だ、大丈夫だって。今までだって、ユーリと一緒に寝てるし。そりゃ、時々抱き枕と間違えられて、ギュゥギュゥされるのは苦しいけど、それも少しの間だし。」
「えっ!? うそっ、俺、そんなことしてるっ!?」
「してるよー。時々、このスライムめっ、とか言いながら、エルボーしてくるし。」
「うわ……わりぃ、カイン。」
「寝てるときも乱暴ね、こいつは――っていうか、カイン、カイン!」
「へ? 何??」
「あんたたち、一緒に寝てるの!?」
「そりゃー、ベッドが一つしかないときとか、野宿で毛布がないときとかは、一緒に寝るしかないじゃない。」
「…………――――そ、そういうときは、一人が床で寝るとか、見張りしてるとか、そうならないっ!?」
「お前、バカだろ、リン? 二人で十分寝れるようなベッドだったら、片方が筋肉を休められないような格好で寝るより、一緒に寝たほうが、体力は回復するし、寒い時期での野宿なら、一緒の毛布に包まりながら、見張りしたり寝たりしたほうが、体力も温存するだろぉが。」
「――……………………カイン。」
「ん? リィン?」
「それじゃー、今日から、私と一緒に、寝ましょう? 体力バカのユーリよりも、私とカインは体力ないから、体力を回復・温存させるのは、じゅうっぶん、必要だもの、ねー?」
「?? ねー?」
「カインっ! てめっ、裏切り者っ!!」
「ええ? 何が??」
「あのなー、そもそも男と女が一緒に寝るのに問題が……。」
「だからって、いい年した男同士が一緒に寝るのもどうかと思うけど!」
「僕は、別にどっちでもいいよ? ユーリと寝ると安心するし、リィンはあったかくてやわらかいから、好き。」
「そういう勘違いされるようなことをいうなよ、お前も!!」
「もう……カインが言うと、なんていうか…………。」
ベッテベタに仲の良い、こんな日常。