昂治も、彼女の笑顔に、にっこりと笑い返す。
「どういたしまして。あんまり役には立たなかったと思うけど。」
昂治の言葉に、ネーヤは軽く頭を振って──それから、するり、と彼の首から腕を解いた。
そのままフワン、と来たときと同じように、唐突に姿をかき消す。
まるで超常現象のようなそれに、まわりの人間がざわめいたが、昂治は気付かず、冷めかけたコーヒーを再び手にした。
そこで初めて、目の前に座っている親友が、凝固しているのに気付いた。
イクミは、茫然とした顔で、昂治を見ていた。
「イクミ?」
俺は、そんなに変なことを言ったのだろうかと、今更ながら恥ずかしさで顔が赤らむ思いだったが。
「笑った……。」
イクミがかすれた声で呟いたのは、全く違うことだった。
「…………は?」
短く問い返した昂治に、焦ったようにイクミが叫ぶ。
「今、ネーヤ、笑ったよなっ!?」
「…………そりゃ笑うだろ。」
何を言っているのかと、昂治がいぶかしげな顔をする。
そんな彼に、ますますイクミは困惑した。
ネーヤといえば、このリヴァイアスのスフィクスであり、ヴァイアである。
彼女が他のスフィクスと異なり、「言葉」を持ち、「感情らしきもの」を持っているということはイクミも報告で聞いていた。
けれども、今までほとんど無表情か、不思議そうな顔しかしたことなかったのだ。
あれほど「感情」の溢れる顔など、見たことがなかったのだ。
「イクミ、お前やっぱり、休んだほうがいいんじゃないのか?」
唖然とするイクミの様子に、昂治が本気で心配そうな声をかけた瞬間である。
「尾瀬っ!!!」
聞きなれた怒号が響いたのは。
あ、とイクミが小さくうめく。その顔は、やばい、と顰められている。
テーブルの上に乗っているままのトレイには、まだ半分ほどのご飯が残っていた。
けれど、これが食べられなくなるのは時間の問題だ。
慌てて平らげようとスプーンを持つよりも先に、
「てめぇ、いつまで休憩してやがるっ!?」
乱暴な態度で、がしっ、と後ろ襟首を掴まれた。
「わわっ! ちょ、ちょっと裕希君、乱暴っすよっ!」
「うっせぇ! とっとと行くぞっ!」
がたがたっ!
乱暴な物音がして、イクミがイスから引き摺り下ろされる。
その拍子に、トレイがカタカタと音を立てて、慌てて昂治はそれを抑え込んだ。
残っていたスープや水が零れなかったのを確認して、ホッと安堵の吐息を零す昂治に、
「昂治くんっ!? 親友のイクミ君の心配よりも、食べ残しのご飯の心配をしますかっ!?」
イクミが、泣きそうな顔を作って叫ぶ。
しかし、その襟首が掴まれているその格好では、どちらかというと情けなさを通り越して泣けてきた。
「いや、だって──いつまでも食べなかったのはイクミだし。」
あっさりと見限ってくれる親友に、イクミは顔を歪める。
「それはだから、昂治が……って、こら、裕希! 俺はまだご飯の途中なんだよっ! 何連れてこうとしてるわけっ!?」
「てめぇが来ねぇと、ソリッドが進まねぇだろっ! Aパターンは任せろって言ったのは、どこのどいつだよっ!?」
きり、と綺麗な目が狂暴に吊りあがって、イクミを見下ろす。
イクミはそんな彼の視線に、ひきつった笑みを零した。
「えー…………俺です。」
「なら、行くぜ。」
当たり前のように引きずって行く裕希に、もうイクミは逆らうこともできなかった。
実際、予定していた休憩時間をオーバーしているのも本当のことだったから。
いつもだったら、率先してサボるくせに、こう言うときだけ……と、ぶつぶつ呟いていると、うざったそうな顔で彼が振りかえった。
「言いたいことがあんなら、言えよ。」
ぎろり、と見下ろしてくる端正な顔立ちに、いいえぇ、といやみったらしく返しかけ──はた、とイクミは目を上げる。
そして、イクミのトレイを片付けようとしている昂治の名を呼んだ。
「……何?」
声に答えて、昂治が軽く首を傾げる。
「あのさ、ソレ、タッパーに詰めて、後でリフト艦まで持ってきてくれよ。」
「はぁっ!?」
驚いたように叫ぶ昂治に、頼むな、とイクミは両手を合わせる。
昂治は、片方の眉だけを上げた後──何か言いたげな顔をそのままに、溜息を零した。
「わかった。後で持ってく。」
きっと、俺はだから、今日はオフなんだって……と思っていること間違いなしだったのだけど。
イクミは、笑ってそんな彼に頷いた。
「さんきゅ。」
後ろでは、裕希が馬鹿くせぇ、と小さく呟いていたけど──その声は、昂治に届くことはなかった。