小さな部屋の、小さなベッドの上。
 固い手触りのマットレスの上に敷かれたシーツが、良い匂いをさせているのは、昨日朝早くからおばさんに言われてたっぷりのお日様の下で干したから。
 ──あぁ、そうそう、干した早々に、「いとこ」に邪魔されて、おばさんとおじさんに怒鳴られてもう一度洗いなおすハメになったっけ。
 朝食作り。
 洗濯物。
 後片付け。
 掃除。
 この家に居る限り、決して無くならない「仕事」。
「……いつだって、シリウスと暮らせそう。」
 ゴロン、と横になった瞬間、零すつもりもないのに零れた台詞に、ハリーはクシャリと顔をゆがめた。
 頭を抱え込むようにして、ごろん、と体を横にした。
 目に映るのは、ここ数年の殆どを過ごしている賑やかな寮の部屋ではなく、こうして長期休みの間に帰ってきている間にしか過ごさない、二階の小さな部屋。
 ベッドと机と箪笥を入れたら、もう一杯のこの部屋には、生まれて初めてハリーが手に入れた「まともな部屋」だ。
 けれど、まともな部屋だからと言って、ホッと胸を撫で下ろして過ごせる場所というわけではないのだ。
 眼鏡をかけていないおかげで、ボンヤリとしか見えない視界で、机の上に載せられた写真立てを見上げる。
 ぼんやりと歪む視界に滲んで見える二つの人影。
 それがよく見えないのがもったいなくて、ハリーは手を伸ばして枕元に置いてある眼鏡を手にした。
 それをヒョイとかけると写真立てにクッキリと見える二人の男女が、こちらに向かって手を振っていたところだった。
 何か話しているらしい口元が、何をしゃべっているのは分からなかったけど──時々本気で、「学校」にある絵画たちのように、彼らも話してくれたらいいと思う。
「……おはよう、父さん、母さん。」
 そのまま視線をずらして、ハリーは同じように写真たてに飾られた一枚の白黒写真を見た。
「おはよう、シリウス。」
 いつものようにそれぞれの写真に笑いかけた後──ハリーは、笑みを苦い色に変えた。
 何せ、シリウスとはああいう出会いをした上に、ああいう別れをした仲で。
 名付け親の彼の写真は、どこにも無かったのだ。
「だからって、さすがにこの写真はないと思うんだけどなぁ、ロンも。」
 帰る瞬間、ほら、とクシャクシャに丸められた「新聞紙」をよこしてくれたロン。
 何を、と広げようとしたハリーを慌てて止めて、唇に指を押し当てながら、「一人になってから広げろよ、ハリー!」と、イタズラ気な顔をしていた。
 そのことを思い出しながら、ハリーは皺を無理矢理伸ばした新聞紙の中の顔を──初めてこの「手配書」を見たときよりも明るい顔が多いような気のする顔を、見つめた。
 ロンの隣でハーマイオニーが呆れたような顔をしていたのは、彼女はロンがハリーに何を渡したのか、気づいていたからだろう。
「いくら何も無いからって、手配書をそのまま渡すのは、あんまりだわ。」
 後からロンに向かって何か文句を言っていたのは、きっとこう言っていたに違いないだろう。
 ハリーは写真たてに入ったままのシリウスの「手配書」を見るたびにそう思う。
 こんな手配書が机の上に飾ってあるから、余計に「おじさん」も「おばさん」も怖がっているから──それはそれで面白かったけど。
「でも、いつまでもこのままって言うのも、どうかと思なぁ。」
 けれど、逃亡生活を続けているシリウスに、まともな写真をとる機会もなく──結局、彼のまともな写真を始めて手に入れるのは、きっと「一緒に暮らした日記念日」とかになりそうな気がしないでもない。
 そうすると、確実に同じ写真にロンもハーマイオニーも入るだろう。
 それはそれで楽しそうだな、と。
 ハリーは、込み出る笑みを隠すことなく、ただ笑って見せた。
 それ、が。
 いつ来るものなのかは、まだぜんぜん検討もつかなかったけれども。
 心にほんわりとした暖かさを感じるのは、そのことに不安を覚えていても、幸福を感じるほうがずっと強いから。

「名付け親、か。」

 血は繋がってないけど、父さんの親友で、僕の名付け親。
 今は「手配書」の新聞写真しかないけど。
 いつかきっと、普通の写真を撮って貰おう。
 そう……魔法使いの写真になれたら、マグルの写真じゃ満足できないから。

 いつかきっと。

 みんなで。


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