右手で携帯を握って、カメラレンズをこちらに向ける。
大きな液晶ディスプレイには、シンジの顔が中央に──ちょっとだけ上目線の自分の後ろには、レンズ越しにも良く分かる、まばゆいばかりの太陽と、青い空──白い砂浜に、打ち寄せる透き通る波。
「………………。」
ディスプレイの中に映った自分の顔は、ちょっと照れたようで、どこか気恥ずかしい表情を浮かべている。
少しだけ悩んで、ピースサインをしてみようかと、にか、と笑顔を浮かべて、カメラに向かって左手でぎこちなくピースを向けたところで。
「何をやってるんだい、シンジ君。」
「──……っ!」
ひょい、と、顔の間隣に、自分以外の顔が飛び込んできた。
驚いて、慌ててカメラの終了ボタンを押そうとしたのに、間違えて、親指がカシャン、と甲高い音と共にシャッターボタンを押してしまう。
「あぁっ!!」
悲鳴をあげて引き寄せた携帯の画像には、情けない表情で驚いた顔の自分と、不思議そうにレンズを向いているカオルが、寄り添うようにして映っていた。
保存中──の表示が一瞬だけ映った後、すぐにまたディスプレイの映像は、携帯を覗きこんでいる情けない表情のシンジと、そのシンジを倣うように彼の手元を見下ろしているカヲルの顔が映り始めた。
「あぁ、写真を撮っていたのかい?」
耳元近くで囁かれて、びくり、と肩を震わせたシンジは、少し顔を遠ざけながら、今度こそ携帯のカメラ終了ボタンを押す。
「う、……うん。
その……あんまりにも、海とか、綺麗だったから……。」
言いながら、なんて陳腐な台詞だろうと、恥ずかしくなってきて、ほんのりと目元を赤らめた。
何もなかったかのように、携帯を引き寄せて──後で、あの情けない写真はしっかり消去しておこうと誓いながら、携帯を握り締めた。
「それで、一人でこっそり写真に映ってたのかい、シンジ君は?」
「──……っ。」
とぼけたような──不思議そうな色を宿した声音で聞かれて、ぐっ、とシンジは言葉に詰まった。
違うよ、と──そう言えたら良かったのかもしれない。
でも……それは、正しく、真実なのだ。
「いやっ、あの……ぼ、僕だって、皆で一緒に撮ったほうが、いいかな、とは思ったんだよ。で、でも──その、皆……っ。」
一人で写真をこっそりと撮る、寂しいヤツ──そう思われたくなくて、慌てて口早に説明しながら、シンジは皆が居る方向……ネルフの面々が集っている方角へと、チラリと視線を走らせる。
実際、最初はそう思ったのだ。
社員旅行だったか、息抜きだったか、名目は覚えて居ないが、ネルフの主要メンツで、海に「遊び」に来たのは、本当なのだ。
父が本当にソレを目的としていたのか──一緒に来たはずの律子や冬月たちが居ないことを考えると、実は、仕事の一環なのかもしれないけれど。
それでも、「みんなで海」なんていうのは、遊びたい盛りの子供にとって、魅力的な言葉に変わり無くて。
何がどうであれ、父がいようといなかろうと、綺麗な海で、輝く太陽の下で、遊べることは、確かだったから。
だから──本当は、ものすごく、楽しみにしていたのだ。
口先では、「海なんて、いつでも見れるのに」だとか言ってはいたけど──本当は、すごく、楽しみにしていて。
だから、ちょっぴり、みんなで写真を撮ったりもしたいかなー、なんて、思って、いたのだけれど。
「……あぁ、そうだね。
あの中に入っていく勇気は、ぼくにもないねぇ。」
そんなシンジの、自己弁護と意地の葛藤に気づいているのかいないのか。
のんびりした口調で、カヲルは顔をあげると、柔らかに微笑みながら、砂浜の先──灼熱の太陽にさらされた、まさに、激戦区を見つめた。
そこでは、炎が上がるかと思うほどの熱気にさらされた──ビーチボール対決が行われていた。
参加しているのは、シンジとカヲルを抜いた女性陣ばかり。
普通なら、聞えてくるのは、「キャーv」だとか、「イヤ!」だとか、そういうかわいらしい悲鳴のはずなのに──……。
なぜか、砂浜に響きわたっているのは、エヴァンゲリオンもかくやと思わせる、強烈な唸り声ばかりなのだ。
「……うん。」
こっくり、と、慎重にシンジは頷いて、とりあえずの名答を避けて見た。
最初は、あんなんじゃなかったのだ。
スポーティな水着姿に身を包んだ女性陣達が手にしていたのは、ただの、ビーチボールだったはずなのだ。
そこにシンジとカヲルも誘われて参加して、ミサトがドコからともなく審判席を持ってきて。
優勝者にはジュースね〜、なんて言い初めて……。
そう、あの時はまだ、こんな熱戦は予想なんてしていなかった。
一体、どこでビーチボールがバレーボールに変化したのか。
そして、目が血走るような状況になってしまったのか──……。
まったくもって、予想もつかない。さすがはネルフだとしか言いようが無かった。
「女性達の、あんな姿を写真になんか残したら、後後が怖そうだしね。
シンジ君の判断は、賢明だと思うよ。」
サラリ、と、吹いて来た風に色素の薄い髪を揺らして、カヲルがニコリと微笑む。
「そんなことしないよ! トウジ達じゃあるまいし。」
プイ、と顔を横に向けて、握りしめた携帯を左手に持ち変えて、そのまま荷物を置いてある木陰へと体を向けた。
そうしながらも、つい、チラリ、と女達の熱い戦いの方へと視線が向いた。
白い砂浜に反射した彼女達の体は、白く輝いていて──いつも見かける時よりも、ずっと健康的で、魅力的に見えた。
いつもは目にすることがない、しなやかな腕と足。──ミサトの場合、しょっちゅうバスタオル一枚で出てくるから、見かけるも見かけないもないのだが、そのミサトですら、水着姿になると、ちょっといつもと違ったように見えた。
レシーブが決まったのか、満面の笑顔を浮かべて笑っているアスカの顔を、遠目にぼんやりと見ながら、
「ああしてると、かわいく見えるのにな……。」
思わずポツリと呟いた瞬間、
「誰がかわいく見えるって、シンジ君?」
「──……っわっ!」
てっきり、付いてきていないと思っていた背後から、カヲルの声が聞えて、驚いてのけぞった。
ずるっ、と砂浜に取られた足が滑るのに、カヲルが背中を支えて転びそうになるのを止めてくれた。
背中に当たった華奢な腕は、この暑さの中にも関わらず、ひんやりと心地よく感じるほどに冷たかった。
「……あ、りがと……、う。」
「危ないよ、シンジ君。彼女たちの健康美に見とれる気持ちは分かるけどね。」
のけぞるようにして見上げれば、カヲルが涼しげな笑みを浮かべて、イタズラ気に目を細める。
それを認めて、かぁっ、と顔を赤く染めたシンジは、慌てて立ち直ると、カヲルの腕を払いのけて、
「見とれてなんかないよ。ただ、足がちょっと滑っただけで!」
「そう?」
「そう。」
緩く首を傾げるカヲルに、ぶすりとした顔で頷いてから、シンジはふたたび木陰に向かって歩きかけて──ふ、と、手元の携帯に視線を落とした。
肩越しに目線をよこせば、カヲルは涼しげな態度と表情を崩すことなく──この熱いのに、汗を一滴もかいていないのはどうしてだろう──、空と砂浜を見つめている。
「海はいいね、海は。」
自然の音楽が聞える──と、楽しそうに目を細めるのを見てから、シンジはふたたび無言で携帯に視線を落とした。
ためらうように、指先が二度三度動く。
皆で写真を撮りたい……そう思ったのは本当だ。
でも、撮れそうにないから──こっそりと、一人だけ、写真を撮ろうと思った。それが、ひどく寂しくて、しょうがないことだと分かっていながらも。
「……カヲル君。」
「うん? なんだい、シンジ君。」
携帯を握りなおしながら、そ、と振り返れば、すぐに満面の笑顔が向けられる。
「え、と……あの、さ。」
「うん。」
言うべき言葉は、とても簡単だ。
「一緒に写真を撮らない?」そういえば、済むことだ。
でも──言おうと思って呼びかけた瞬間に、「男同士で、写真に映るのかよ!?」という言葉が、まざまざと脳裏に浮かび上がってしまったのだ。
カヲルは、緩く首を傾げながら、シンジの言葉の続きを待っている。
上目遣いに見上げながら、シンジは手元の携帯を見下ろして──キュ、と唇を引き結んだ。
「……や、やっぱり……。」
やめよう、と。
そう思って、頭を振りかけた瞬間だった。
「写真、撮らないのかい、シンジ君?」
ツイ、と。綺麗な指先で、カヲルがシンジの手の中を指差す。
「──え、あ……う、うん、……撮る、けど。」
止めようと思っていた言葉を、先に奪われた気がして、困惑気にシンジが眉を寄せる。
カヲルはそれを見て、楽しそうに喉で笑うと、ずい、と踏み込んで──下から、シンジの顔を覗きこむ。
「なら、一緒に撮らないかい、シンジ君。」
「──ぇっ?」
「写真、一緒に写ろう? 一夏の思い出だね。」
「────…………。」
呆然と目を見張ってる間に、携帯を持っていた手を、スルリと撫でられて、同じ大きさの手に包みこまれた。
ハッ、と目を見張った隙に、携帯を奪われて、カヲルはさも当然のように、開いた携帯を動作させ始める。
それを認めて、慌ててシンジは彼の手から携帯を奪い返す。
勝手に触られてはたまらない。──見られては困るものだって、時々は……入っているのだ。
「カヲル君! 僕がやるから!」
「そう? それじゃ、頼むよ。」
悪びれない様子でニコリと笑うカヲルの手から、奪い返した携帯は、すでにカメラが起動されていた。
ディスプレイの中で、思わず憮然とした表情のシンジの顔がアップになって映っている。
カヲルはそんなシンジに、小さく笑いながら、こっち向きに撮ろう、と彼の肩を引き寄せた。
自分たちは木陰の方角を向いて、ディスプレイの中には、青い海と青い空が写りこむ。
「ほら、シンジ君、笑って。」
右手で肩を抱かれて、フニ、と頬を摘まれる。
シンジは憮然とした表情のまま、チラリと彼を睨み付けると、カヲルはやっぱりいつもと変わらないような、笑顔を浮かべていた。
それを見て──はぁ、と溜息を零すと、シンジは改めて携帯の画像を覗きこむ。
クイ、とレンズを上向けて、映っていた鎖骨の部分を下にして、自分とカヲルの顔が映りこむように調整した。
いい具合に右手を動かせながら、
「カヲル君、もうちょっと左──。」
「ん、こっちだね。」
カヲルの顔がはみ出るから、もう少しだけ寄り添って──と、顔を互いに寄せ合えば、するり、と脇を撫でられる。
「──……っ!! かか、カヲル君っ!?」
ビビッ、と毛を逆立てて、バッ、とカヲルの腕の中から逃げれば、
「あぁ、ゴメンごめん、シンジ君。」
やはり悪びれない笑顔で、カヲルが笑いながら、両手を肩口であげて謝罪を口にした。
「近づくなら、腰に手を当てたほうが、バランスが良かったから。」
「………………そ、そういうときは……ちゃんと先に、断ってくれないと──。」
「今度からはそうするよ。」
にこにこにこ、と邪気のない笑顔で笑われて、シンジは目元の辺りに浮かび上がった朱を消すように、ごし、と手の甲で拭いた後、そろそろとカヲルに近づいた。
先ほどと同じ位置に立てば、ス、と寄せられた彼の唇から、
「それじゃ、腰を抱いてもいいかな、シンジ君?」
耳朶をくすぐるような囁きが、フ、と息と共に拭きかけられた。
「──……かかかか、カヲル君っ!!!」
「うん?」
やっぱり悪びれない笑顔を浮かべている彼の顔が──今度という今度は確信犯に思えて、シンジは耳に手を当てながら、ブルブルと肩を震わせた。
「どうしたんだい、シンジ君? 虫でもいたの?」
「虫って……、虫……って……っ!!!!」
ここにアスカやミサトが居たら、「大きい虫がソコに居るでしょーがっ!!」とカヲルを指差して突っ込んでくれたことは間違いないだろう。
間違いはなかったが──だがしかし、その二人は今、ビーチバレーに夢中で、ここで起きている事件など、まるで知りもしなかった。
目元を赤くして、キッ、と睨み付けるシンジに、カヲルは何もしていないことを示すように軽く両手を広げて、
「写真は撮らないのかい?」
「……撮る、よ。撮る、けど。」
「うん、それじゃ、もう少し近づかないと、一緒に写れないよ?」
「………………う、ん……。」
そろそろそろ、と近づくシンジに、カヲルはやっぱり、綺麗な顔に、綺麗な笑顔を浮かべて、悪びれずそう囁く。
その言葉に頷きながら──なんとなく釈然としないものを感じつつ、それでもシンジはギリギリ携帯のディスプレイにおさまる距離に、立った。
肩先は触れ合うけれど、顔は触れ合わないほどの、微妙かつ絶妙な距離。
そのまま、携帯を覗きこんで、
「それじゃ、はい、チーズ、でシャッター押すからね。」
「わかったよ。」
返ってきた返事を確認しながら、レンズに視線を合わせる。
微妙な距離のおかげで、お互いの肩がちょうど切れている。
それでも、互いの顔はしっかりと映っているから、別に構いはしないだろうと、親指をシャッターボタンに当てた。
「行くよ……はい、チーズ、………………っ!!!!!!!」
パシャ、と。
携帯の画面が、思わず、大きくゆがんだような気がした。
画面に大きく「保存中」の表示が出るよりも早く、バッ、と体を大きく引き剥がす。
携帯を握って居ない手を、左頬に当てる。
一拍遅れて、ボボッ、と音が立って、顔が首から耳まで真っ赤に染まった。
「かっ、かかかか、カヲル君っ!」
「うん? どうかしたのかい、シンジ君?」
原因であるカヲルはと言うと、涼しい顔をして、ただ、ニッコリと笑っているだけだった。
その顔に、今までも何度か、「気のせいかな…?」と思うことがあった。
けど、だからって……でも。
今、はっきりと、左頬に当たった、生暖かく湿気った感触は……気のせいであろうはずがない!
「い、今、何したんだよ!」
「ん、何って──それは、シンジ君のほっぺに……。」
「わーっ!!! や、やや、やっぱりいい! 言わなくてもいいよっ!!」
ニコニコニコ、と癖のないように見せかけた、たっぷりの癖ある笑みを浮かべつつ、当たり前のように口を開きかけたカヲルに、シンジは慌てて手を伸ばして彼の口を塞いだ。
カヲルの口から、何をしたのか──と言う事を「言葉」として説明されると、先ほどの一瞬の出来事が、生々しく感じてしまいそうだったからだ。
顔から首筋から耳元まで、真っ赤に染めながら、顔を俯けて、グ、と唇を噛み締めるシンジを、カヲルは目を細めて見下ろす。
口元に浮かんだ微笑みは、どこか柔らかで──少しだけ、揶揄するような色も宿っていた。
けれどソレも、シンジが顔をあげた瞬間、すぐに掻き消えた。
目元を赤く染めて、睫を薄く揺らしながら、キュ、と唇を一文字に結んだシンジに、カヲルは、参った……と言うように、手の平を口元に当てた。
「シンジ君、もう一度写真を撮りなおさないかい?」
「──……なんで。」
ぶっすり、と頬を膨らませて、子供みたいに睨み付けてくるシンジに、カヲルは喉を震わせて笑いながら、
「さっきは、お互い、肩が切れてただろう?
だから、今度は、きちんと写らないかい?」
「………………ヤだ。」
ぶすりと頬を膨らませたまま、プイ、とシンジは横を向く。
その耳元辺りが赤く染まっていて、彼が何を心配しているのか理解できた。
顔を下から覗きこんで、
「シンジ君?」
「──……っ、絶対、ヤだ。」
さらにプイと顔を横向けて、シンジは手にした携帯を見下ろし、そえrがまだカメラ撮影状態になっているのを認めて、ピッ、と終了ボタンを押した。
そして、何事も無かったかのように、それをしっかりと握りつぶして、ズカズカと木陰の方へと早足で駆けて行く。
カヲルはそんなシンジの、悋気を放つ後姿を見ながら、クスリ、と笑みを零すと。
「シンジ君、青春の一コマは、大事に写真に撮っておくべきだと思うよ。」
「さっきの一枚で十分だよ!!」
すかさず返ってきた返事に、カヲルはますます楽しげに笑いながら──。
ゆっくりと空を仰いで、
「うん、それじゃ、後は家に帰ってからってことだね。」
「誰もそんなこと言ってないだろーっ!!!」
ふたたび悋気をもらって、あはははは、と、声も高らかに笑った。