「トリニティ……俺は、お前をどこまで信用したら、いいのかな?」
不意にそう呟かれた言葉に、辺りを油断無く見つめていた女は、振り返った。
鋭い眼光で見据えた先にいるのは、初めて出会った時から同じような体制で座る──まるで、自分を見失うかもしれないと怖がっている子供みたいな体勢で、足を引き寄せている、少年。
──そう、少年だ。
緑の黒髪と、真っ直ぐな……痛いくらいに真っ直ぐな青い瞳の、レンジャー。
本来なら、政府と反政府として、敵対してしかるべき相手だ。
でも、ほんの少しの偶然で、今はこうして行動を共にしている。
「──レンジャーがトリニティを信用する? おかしな話だとは思わないのか?」
皮肉るように首を傾げると、フードから零してある亜麻色の髪が、さらりと頬を撫でた。
けれど、そんな彼女の──リンの言葉に返って来たのは、ヒタリと見据える、彼の瞳。
話す相手を正面から見つめるその眼に、なぜか心がザワリと引きつる音を立てた気がした。
出会ったばかりの相手だ。
自分が保護しようとしていた対象を、「処分」しようとしていた「政府の犬」だ。
けれど少年は、状況のためにそれをそうとは知らずに庇い、守り続けている。
真実に気付けば、彼はその対象を……ニーナという幼い少女のことを手にかけるかもしれない。
そう思って、リンはあえてそのことに口をつぐみ、行動を共にすることを決意した。
「……………………。」
黙りこんで、両手を組む少年の旋毛を見下ろす。
行動をともにして、それほど時間が経っているわけではない。
お互いにココを抜け出すために手を組んだだけのような相手だ──きっと少年もそう思っている。
なのに、
「それじゃ聞くけど、あんたは私をどこまで信用できるんだい?」
一度背中を許して戦った相手と、今度は正面に向かい合って戦えるかと言われたら──正直な話、人生経験が豊富なわけではないリンにも答え辛いものだ。
今の立場は、ともにここを抜け出るまでの関係。
抜け出たら──どうすればいいだろうと、リンは密かにずっと考えていた。
行動を共にしてからというもの、ニーナが──「保護対象」が、どれほど少年に心を許しているのか見てきた。
戦闘に入れば、彼は真っ先にニーナを庇うし、ニーナも彼が傷つけばすぐに薬を使おうとする。
戦闘慣れしていない二人に、説教じみたことを言ったのも、一度や二度じゃない。
おかげで最近では、ちょっとした戦術めいたものも使えるようになってきた。
そんなものが使えるようになったのも、少年とニーナが、お互いを守りたいと、そう思っているからだと、わかるからこそ。
「…………信用したいと、思ってる。
あなたも……ニーナを、守りたいって、思ってるんだろう?」
レンジャーは──政府の連中は嫌いだ。
だから、リンはあえてこの道を選んだ。
綺麗な世界で生きていけるわけじゃない。
そんなこと、物心ついたときから知っていた。
けど、彼は知らない。彼の目は、何も知らない素直な眼をしている。
眩しくて、痛い──真実を貫く目。
あの不思議な力も──分からない、と自らに戸惑いながらも、それでも少女を守ろうとするその真摯な眼には、自分の立場を入れても好感が持てるものだった。
少年が自分へと問い掛けた物と同じ問いを、自らの胸に落とせば、リンの中では簡単に答えが出た。
「…………ああ。」
少年の言葉に頷いて、リンは視線を別の場所へと移した。
そこには、少年の気遣いから敷かれた粗末な布の上に、華奢な──細すぎる体を横たえた少女が眼を閉じて横たわっている。
普段からこれほど長い距離を歩いたことはないのだろう。休憩にしようと言って、ここへ座り込んでからすぐに、寝息をたて始めたのだ。
無防備な幼い寝顔を見て、リンはふと顔を緩めた。
その表情を、少年は無言で見詰めて──、
「もし。」
小さく、呼びかける。
「もし、俺が……俺じゃ無くなったら。」
「……。」
少年を見やると、彼はもうこちらを見てはいなかった。
視線を落とし、唇を強く引き締め──まるで何かを堪えるように、キュ、と。
「ニーナを、頼んでも……大丈夫だよな?」
「──────……………………。」
この子は、自分の存在を──ニーナを守ろうとすることで、かろうじて支えているように見えた。
自分の中に在る力を、存在を、恐れる心を、無理矢理ねじ変えているように、見えた。
「……私に頼むのか? レンジャーのあんたが?」
どうしてかいたたまれない心地に包まれて、問い返した。
なぜか胸が、ジクリと痛みを覚えた。
少年は、一瞬目を見開いて──それから、少しだけ瞳を揺らす。
「トリニティは、信用できない。」
「……………………。」
「だから……リン、あんたに頼んでる。
リュウとして──ただの、リュウと、して。」
静かに上げられた目には、ただ真摯な光が宿っていた。
輝くその目は、まだ迷いの少ない少年のもの。
好ましいと、そう思うのは、自分が汚い世界を見てきたからか、綺麗な物を見ることに、憧れていたからか。
「あんたが、私の名前を覚えているなんて思わなかったね。」
最初に名乗ったっきり、お互いに名前を呼び合うことはなかった。
そのことにニーナが戸惑っているのは知っていたけど、それは、どうしても譲れない一線だと、リュウもリンも知っていた。
だからあえて、互いのことを他人行儀に──いや、それ以上に仰々しく、「レンジャー」「トリニティ」と呼び合っていた。
ある意味それは、自分自身への戒めでもあったはずだ──おたがいに、気を許すな、という。
「──それは……。」
いいよどみ、視線を落とすリュウに、リンは、ふふ、と短く笑った。
「いいよ、分かってる。それは私も同じだ。」
腕を組んで、体重を斜めにかける。
そうしながら、ジロリと部屋を見回し、何も変化が無いのを確認すると、視線を戻した。
どこか暗い光を宿すおとなしい少年、そんな第一印象のある彼の、その目だけが、それを裏切っている。
素朴な優しさと、内に秘める情熱と、戸惑いと──それらを凌駕する決意。
「リュウ。」
リンは、真っ直ぐにその眼を見返して、彼の名を呼んだ。
「私は、トリニティだけど──決して政府を許すことは出来ないけれど、あんたが信用できないほど、愚かじゃないつもりだよ?
何が正しくて何が正しくないのか……少なくともその眼を持つから、私はトリニティに居るんだ。」
「────…………何が、正しいか…………。」
考えるように手を組むリュウに、リンは小さく笑って見せた。
「今はまだ、答えを出すときじゃなくても、いずれ──どうしようもなく選択を迫られるときが来るはずだよ。
………………この場所を、抜ける頃には、きっと。」
瞳を細めてリュウを見下ろす。
彼は、再び考えに沈むように眼を伏せた。
リンはそれを見つめながら、彼に見つからないように細く溜息を零した。
この場所を抜ければ、自分たちは再びレンジャーとして、トリニティとして、向かい合うことになるはずだ。
それと同時に、彼は、今自分が守っている少女が、「荷物」であったという事実を知るだろう。
どの時彼は、どうするだろう? 3rdレンジャーとして、政府の下す任務を忠実にこなすだろうか?
──否。
そんな少年の名を、私は決してこの口で紡ぎはしない。
答えは、そういうことなのだ。
「……………………。」
彼のように真っ直ぐな目は、自分と同じ結果に──政府への不審に行き着くに違いない。
でも、選ぶ道は。
「きっと、違うんだろうけどね……。」
彼はその真っ直ぐな瞳ゆえに、トリニティに来ることもないだろう。
この道を選んだ自分が一番良く知っている。反政府軍だと言っても、所詮それは人の塊……決して奇麗事ばかりではないのだと。
彼は、少女を守るために、自分の信念を守るために、そして何よりも──己の中の恐怖と戦うために、違う道を選ぶ。
政府でもなく、トリニティでもなく。
その時自分はどうするだろう?
この、痛いくらいに素直に前を見つめる少年に、自分は、どうするのだろう?
「………………ヤキが回ってるね、私も……。」
苦い笑みを口元に上らせながら──リンは、自分にも懐きだしてくれた少女を見つめ……泣きそうに顔をゆがめた。
「誰の目にもわかるくらい、正しいと言える道が、目の前に広がっていてくれたら、きっと、戦いなんておきないのにね。」
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