そんな風に、楽しげに最近あった出来事を話していた泰麒を見ていると、ふと彼が顔をあげて、
「──……? どうかしたんですか、陽子さん?」
軽く首を傾げて、ぼんやりとしていたらしい陽子の顔を覗きこむ。
どこか幼子を思わせる表情に、ハッと我に返った陽子は、軽く目をニ三度瞬いて、それから柔らかに笑みを広げると、
「いや──、泰麒は、本当に泰王がお好きなんだと思っていただけだ。」
途端、泰麒はかすかな狼狽を見せて、目を大きく見開いた後、照れたように目元を赤く染めて、
「──……麒麟が王を慕うのは、当然のことです。
景王も、景台輔にとても慕われておいでじゃないですか。」
「…………景麒が?」
泰麒に切り替えされて、陽子は渋面を作って呟いた後、手を顎に当てて少し考え込み……、
「──そうか?」
いかにも分からないと言いたげな顔で泰麒を見返した。
泰麒をはじめとして、陽子が会った麒麟はすべてと言っても良いほど、主上をとても大事に思い、誇りに思っていることは分かっている。
けれど、景麒はそれでいくと──ちょっぴり、微妙だと思えた。
お互いに信頼しているし、信用はしている。それにとても心配性で口うるさい。
まるで慶国にもう一人の母親が出来たようだと、思うようになってきたほどだ。
けれど、「慕われている」というと──……どうだろう? 景麒はそんなに可愛らしい性格はしていない。
疑問を口にする陽子の渋面を見ながら、泰麒は自信満々に微笑む。
「はい、そうです。」
「────…………。」
陽子は更に悩むように顎を手の平で摩りあげたが、それ以上何かを口にすることはなく、
「……泰麒がそういうなら、そういうことにしておこう。」
「──陽子さん……。」
苦い色を刻んで笑う泰麒は、それから少し懐かしむように目を細めて、
「景台輔は、とてもお優しい方です。
蓬山にいたとき、僕にとても優しくしてくださいました。」
「言葉が足りないから、とても苦労したの間違いじゃないのか?」
今までにも何度か繰り返した繰言を再び口にして、陽子は伺うように泰麒の顔を覗きこんだ。
その真摯に見える緑色の瞳に、イタズラな色が浮かんでは消える。
泰麒はその言葉にくすくすと笑って、
「そんなことはありません、景王。台輔はとても僕に良くしてくれましたよ。」
言葉遊びにように、いつも返している言葉を返した。
それから、そのまま楽しげに目元を緩ませる泰麒としばらくたわいのない軽口を繰り返して、陽子は笑い疲れた喉をお茶で潤した。
ふぅ、と一つ息をついて、
「それにしても、前々から思っていたんだが──。」
「はい?」
「私はここに来るたびに、泰麒の『のろけ』ばかり聞いているような気がする。」
軽く首をかしげる陽子の、どこか楽しげな目を見て、思わず泰麒はお茶にむせた。
「──……っ、ごっ、ごほっ!」
そのまま、ゴホゴホと上半身を折る泰麒に、慌てて陽子は長椅子から立ち上がり、彼の背中を卓ごしに摩ってやる。
「大丈夫か、泰麒!?」
「だ──……だ、大丈夫、です、けど……、そ、その、のろけってなんですか……っ!?」
「いや、だが、いつ来ても、泰王のことを褒めてばかりしかいないじゃないか。」
普段慶国にやってくる「珍客」と言えば、大抵、雁の「御仁」方だ。
あの二人に限っては、お互いをけなすような軽口を叩くことこそあれ、褒めることなどありえない。
その陽子にとって、泰麒の王を褒めつくす言葉というのは、ひどく新鮮であった。──と同時に、良くここまでのろけの言葉につきないな、とも感心する。
「そ──そうでしょうか?」
「うん、そうだな。
そうやってのろけられてると、なんだか悔しいかな?」
「──え?」
昔、同級生が「彼氏とののろけ話を聞くのは、悔しかった」と言っていたのを思い出す。
陽子自身は、そんな同級生達に加われず、ただ遠くから愛想笑いを浮かべるばかりだったのだけれども。
「いや、だから、のろけにはのろけで返すと言っていたような覚えがあるが、かと言って私にはのろける対象が居ないな、と。」
これでは泰麒に毎日のろけられて終るのか。
──なんとなくそう思った。
別にそれはそれで、いいのだけれど、と陽子が苦い色を更に口元に刻み込んだ瞬間であった。
「──なら、景台輔のことをお話ください。」
泰麒が、期待に瞳を輝かせながら告げた。
「…………景麒のことか。」
先ほど以上に難しい表情で、陽子は顔を顰めて唇をゆがめると、しばらく黙考したが、やがて少しの後。
「────…………景麒でのろけるのは、難しいな…………。」
思い浮かぶのは、昨日の小言だとか、おとついの説教だとか、その前の溜息だとか。
まったく、麒麟というのは慈悲の動物ではなかったのかと思うこともしばしばだ。
難しい表情になる陽子に、逆に泰麒が不思議そうな表情になる。
「そうでしょうか? 景台輔は、確かに言葉少ないですけれど、とても温かみのある、立派でお優しい方だと思いますよ。
いつも陽子さんは、台輔と一緒におられて、羨ましい限りです。」
ニコニコニコニコニコニコ。
邪気のない笑顔でそう告げて、泰麒はカップを手に取り、新茶のすがすがしい香に和んだような表情を見せた。
その泰麒を、思わず陽子はマジマジと見つめて。
「──……泰麒はすごいな。」
「え?」
「人を褒めるのがうまい。」
「──そ、そうでしょうか?」
困惑の色を宿す泰麒の、かすかに困った顔を見ながら、陽子は重々しく頷いた。
「すごいよ。」
蓬莱で彼が送ってきた生活のことを、ポツリポツリとではあったが、聞いたことはある。
泰麒は決して、蓬莱でどのような扱いを受け、どのような生活をしてきたのか、誰にも語ろうとはしなかった。
胎果である延麒は、泰麒が口に出して言わずとも、あらかたのことを察しているようだったが──。
延麒を除けば、多分、陽子が一番「泰麒」の現状を理解するのが早かっただろう。
そのこともあってか、陽子には隠してもどうせ知られてしまうと分かっていてか、泰麒は彼女が問いかけたことには、隠すことなく話してくれた。
聞いただけでも顔をゆがめてしまうほどに痛い、傷ついた心を持っていてもおかしくはない生活だったと、思う。
陽子が聞いたすべてが泰麒の──高里の生活のすべてではなかったはずだ。
にも関わらず、彼はあれほどまでに弱り、それでも心はまるで弱体化してはいなかった。
陽子ですら、ここに来た当初、あれほどまで疎まれ、命を狙われ──楽俊に会わなかったら、どれほど自分はすさんでいったのかと思うほどなのに。
彼と自分との違いに、つくづく「いたらない」と思えてしまう自分がいた。
けれど、そう陽子が苦く思うたびに、まるでそれを見抜いたかのように、
「それならきっと、僕が今、すごい、のは──陽子さんたちがいてくれたからだと思います。
陽子さんのあの時の決断を、僕のほうこそ、すごい、って、そう思います。」
心の塊を溶かすような、柔らかな笑みを浮かべて笑ってくれる。
麒麟の満面の笑顔は、総じて綺麗で柔らかく、見る人の心を和ませる効果があるような気が──陽子にはするのだけれど。
その中でも特別、泰麒の笑顔は優しい気がした。
自分が苦労をし、辛い目にあってきた分だけ、彼は他の人にもそんな思いをさせたくないと思っているからなのだろう。
その優しい心遣いが、表情に表れているのかもしれない。
「だから、陽子さんは僕の命の恩人で、泰の恩人です。
そのことは、きっと、一生変わらない。」
「──そう言ってもらえると、私も、うれしい。」
彼とたわいのない話をしていると、素直に「うれしい」と口に出来る自分がいる。
ニッコリと綻ぶように笑う陽子に、同じようにニッコリと泰麒も微笑み返した。
ほんわりとした空気が二人の間にいきわたり、再びたわいのない会話が、再会する。
時々楽しげに笑い声が空気を震わせ、二人は揃って肩を揺らしあった。
そんな、優しい午後は、まだ──始まった、ばかり。