そのまま彼の腕に抱え込まれた服を奪い取り、それをベッドの上に放り投げた。
寝巻きを脱ぎすて、服を手にする。
そんなスイを、グレミオは不満そうに見つめたが、何も言わなかった。
代わりに一つため息をこぼして、
「ちょっと待っていてくださいね、ぼっちゃん。」
スイが着替えるのを手伝うこともなく、そのままヒラリと身を翻してしまった。
カツカツと足音を立てながら部屋から出て行くグレミオを、珍しいこともあるものだと、スイはぼんやりとその背を見送った。
パタン、と部屋の扉が閉じられ、とたんにシンとした重みが部屋の中に落ちてくる。
同時に、ズシリ、と体の奥に残る倦怠感が、よみがえってくるのを感じて、スイはベッドの上に広げられたままの服を、ぼんやりと見下ろした。
袖を通しただけで、首をくぐっていないシャツが、そのまま腕からするりと抜けていきそうだと、そう思ったけれど──でも、だからと言って、体が動くわけでもなかった。
そのままの体勢で、ぼんやりと視線を落として、白いシーツを見つめていた。
かすかに寄る皺は、つい先ほどまで自分がこの上に横になっていたことを示している。
けれど、ずっしりと重い体も、痺れたような脳裏も、それを現実めいて感じさせなかった。
袖に引っかかっただけのシャツが、イヤに重く感じて──スイは、腕をノロノロと下げる。
その刹那。
カチャ。
──ハッ、と、われに返った。
慌ててスイは、手にしたシャツに改めて腕に通しなおし、思い切りよく頭からかぶった。
先ほどまで、おっくうに感じていたその動作は、あっけないほど簡単に終わりを告げ、スイは近づいてくる足音を背に、着こんだシャツを手で直す仕草をする。
「ぼっちゃん。」
後ろからかけられた声に微笑を貼り付けて振り返ると、すこしだけ苦い色を刷いたグレミオの微笑が返って来た。
その手には、スイの愛用のマグカップが握られている。
「暖めてありますから、ゆっくりと飲んでくださいね。」
彼は、ようやくシャツを着こんだばかりのスイに、特に何か言うわけでもなく、そ、とカップを差し出した。
「グレミオ──悪いけど、何か飲む気には……。」
小さくかぶりを振ってスイはそれをグレミオに押し返そうとするが、グレミオはただ微笑んでスイの手にカップを握らせた。そしてその手の上から、ギュ、とスイの手を一度強く握りこむ。
「何も食べられなくても、グレミオ特製のこのスープだけは飲んでくださいね。
栄養と愛情はたっぷり入ってますから。」
促されるように見下ろしたカップの中には、半透明のスープが入っていた。
具は何もないけれど、ソレの中に栄養がたっぷり詰まっているのは、良く知っている。
昔から、スイが食欲が無いときに、グレミオが手間暇をかけて作ってくれたスープだ。
その懐かしい香に鼻腔をくすぐられながら──それでも食欲が湧いてこない自分に、泣きたいような感覚を覚える。
「…………ゴメン。」
たくさんの具を煮詰めるのに、スープが半透明なのは、グレミオがスープを作っている間中、その鍋の前に立って灰汁を取り続けるからだ。
きっとグレミオは、スイの食欲がなさそうなのに気づいて、昨夜一晩中鍋の前に立っていたのだろう。
──分かるからこそ。
美味しそうなスープを見下ろして、吐き気すら覚える自分に、苛立ちばかりを覚える。
「ぼっちゃん。」
「………………────ぅん。」
スープを見下ろしたまま固まっているスイに、ただ優しくグレミオは微笑む。
無言でうつむき続けるスイの手に握られたままのカップは、一向にスイの口に運ばれることはなく──グレミオは、そんな少年の旋毛を、見下ろした。
そうして──諦めたように小さく吐息を零すと。
「……やはり、誰かの前でないと、食べる気は起きませんか?」
強張ったスイの手から、マグカップを取り上げた。
スルリ、と抜けた温かみが、どこか哀しくて、スイは眉を強く寄せた。
「………………ごめん。」
「謝る必要など、何もないのですよ、ぼっちゃん。」
マグカップを自分の手の平で包み込み、グレミオはゆるくかぶりを振った。
──誰かの前でしか、食べることをしない小さな主。
けれど、グレミオは知っている。
「仕方がありません──。
消化できるときに、食べていただくのが一番なのですけど。」
「誰か」の前で食べることは、「必要」なことだから。
だからスイは、誰かの前ではきちんと食事をする。
けどそれは……スイの糧になる食事ではないのだ。
「うん……。」
小さくうな垂れるスイの、いつになく細く華奢に見える首筋を見下ろして、痛々しい表情を浮かべるものの、グレミオはそれ以上何も言わずに、さて、とことさら明るい声を出した。
「着替え終わったなら、軽く朝の散歩でもいかがですか、ぼっちゃん?
軽い運動は、体にもいいですからね。」
ニッコリ微笑むグレミオに、スイは、うん、と頷いて答えた。
「そうだね──そうするよ。」
運動をすれば、イヤでもおなかがすいて、いやでも何か食べれるかもしれないから。
「…………いつか…………グレミオの前でも、平気な顔をして、ご飯を食べるようになるのかな──?」
手をつけず、冷えてしまったスープを見下ろしながら、ふと思う。
もし──そうなったら。
「僕は……『だれ』に、なるんだろう………………?」
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