唇の魔術

1主人公:スイ=マクドール
2主人公:リオ



 約束だよと、小指と小指を絡めた思い出。
 微笑む端正な美貌が、すぐ間近にあって、心臓がドキドキと鳴っていた。
 頬が熱くて、喉がからからに乾いていた。
 このうるさいくらいの胸の音が、聞こえたらどうしようかと、そればかりが頭の中をグルグル回っていた。
 近づいてくる唇が、熱い吐息を零していた。
 腰にまわされた腕が、力強く抱き寄せた。
 重なり合った身体が、熱くて、熱くて。
 どうにかなってしまうのじゃないかって、そればかり考えてた。
 でも、それすらも今は、遠い遠い昔。
 思い出だけの中――。


「じいちゃん……。」
 三人で立てた墓の前で、少女は座り込んでいた。
 その背中の寂しそうな雰囲気に、ジョウイは言葉に詰まる。
 いつも元気なナナミの背中は、そこにはなかった。
 ゲンカクを失った痛みは、三人の幼なじみの間に、大きな傷を残していた。
 寂しげな背中を見つめながら、ジョウイは言葉を詰まらせた。
 手を伸ばして、彼女の肩を掴もうとしたその時、
「んっ!」
 彼女は、唐突に身体をあげた。
 それと同時、伸ばしかけたジョウイの手が、不揃いな髪に叩かれる。
「……っ。」
 とっさに手を引いたジョウイに、ナナミは満面の笑顔を見せて振り返ると、
「いつまでも悲しんでられないもんねっ! これからは、バリバリ働くわよっ! なんてったって、オネエチャンだもんねっ!」
 よし、と、拳を握り締めたナナミの笑顔に、ジョウイは一瞬気を飲まれたような顔をした後、ゆっくりと――ほぐすように笑って見せた。
 そんな彼女の笑顔は、いつもジョウイを励ましてくれたし、元気を分けてくれていた。
 だから、まだ悲しみに沈んでいたジョウイだったけれども、自然と、微笑みが口元に浮んだ。
「そうだね。僕も手伝うから、頑張ろう。」
 笑顔で告げると、ナナミも大きく頷く。
 そんな彼女の背中越しに、家から出てくるリオの姿が見えた。何枚かの紙を手に、ナナミとジョウイに気付いて、少し腫れた目を緩める。
 ナナミのまえでも、ジョウイの前でも、泣こうとはしなかったけれど、赤く腫れた瞼が、リオが泣いていることを教えてくれた。
 少し痛ましい気持ちで、それでもナナミに分けてもらった笑顔を浮べて、リオに話し掛けようとした瞬間。
「そうと決まったら、さっそくやるわよっ!
 結婚式っ!!!!」
「……………………………………。」
「……………………………………。」
 ぎゅ、と拳を握ったナナミが、唐突に叫んだ内容に、ジョウイもリオも、硬直した。
 そして、ナナミの身体越しに、視線を交わらせ、目と目で会話する。
――結婚式って、何……?
 確か、男と女が、一生愛しますって誓いをたてるんだよね?
 そうそう、確か、愛し合った男女が、一緒に暮らしはじめるための儀式だよね?
 視線で確認しあって、二人は改めてナナミを見た。
「ナナミ、結婚するのっ!?」
「僕ら、そんなこと聞いてないよっ!!?」
 二人が叫んだ結論は、まったく同じ結論でありながら、ナナミが導いた結論とは異なっていた。
 だから、二人に挟まれるようにして叫ばれたナナミは、きょとん、と目を見張り――。
「なんで私が結婚するの?」
 不思議そうに――そう、心の奥底から不思議そうに、尋ねてくれた。
「えっ? 違うの? だって、ナナミ、今、結婚式やるって――。」
 リオが、持っていた紙の束を握り締めながら、慌てたように駆けつけてくるのを、ナナミが目を細めて見詰める。
 ジョウイも、彼女の隣から、頷きながら続ける。
「そうだよ、だからてっきり、ナナミ、僕とリオに黙って付き合っている人が居たのかと――。」
「誰が、私の結婚式って言ったのよ?」
「……それなら、誰の、結婚式?」
 尋ねたリオに、ナナミは、ごくごく当然のように、笑って告げた。
「決まってるじゃない。ジョウイと、あんたのよ。」

「…………………………………………………………。」
「…………………………………………………………。」
「…………………………………………………………。」
「………………………………………………………………っっっっ、ええええええええーーーーーーーっ!!!!!!!!!??????」

「ジョウイなら、リオを安心して任せられるわ。
 もっとも、ちょーっと、年齢的に頼りないけど、ま、それもオイオイなんとかなるでしょ。
 それに、今のうちに家族にさせておけば、いざって時も安心だしねっ!」
 うんうん、と、固まる二人を放っておいて、ナナミが満足したように頷いている。
 それを見ながら、リオが――泣きそうに顔を歪めた。
「なななな、ナナミーッ。」
「え? まさか、嫌なの、リオっ!?」
「えっ!? リオっ! 僕じゃ不満なのかいっ!?」
 慌てて、硬直状態から脱したジョウイも叫ぶのに、リオはブンブンとかぶりを振った。
「そうじゃないよっ、そーじゃ、ないん、だけどっ!
 だって、ジョウイっ、わかってるのっ!? 結婚って、結婚だよっ!?
 僕たち、男同士なんだよっ!?」
 説得しようとするリオの言葉半ばで、あっさりとナナミが結論を出した。
「なんだ、別に嫌なわけじゃないのね。ならいいじゃない。」
 そういう問題じゃなくって、と叫ぼうとするリオの前で、
「良かった――てっきり僕じゃ役不足とか言われるかと思ったよ。」
 ジョウイが、ホッとしたように笑う。
「私の大切な弟をあげるんだから、もう少し頼り甲斐があるほうがいいんだけど、こればっかりは仕方ないわよねー。」
「って、ナナミ……。」
 うんうん、と大きく二度三度頷くナナミに、ジョウイが苦笑を見せる。
 そんな二人を交互に見やって――リオは、手にしていた紙の束……就職情報を見ろして、呟く。
「………………げんじつとうひって、こういうのを言うのかな?」
 なんだか、少し違う事を思いながら。




 月明かりの下、じっ、と彼は右手を見つめていた。
 そこには、ほの白く輝く紋章が宿っている。
 それを、まるで愛しいものでも見つめるように見つめてから、彼は静かに目を閉ざす。
 素足に触れるのは、白いシーツ。
 柔らかな皺が寄ったシーツの先には、うずくまる、白い肌。パサリと散った漆黒の髪が、闇夜の中でも艶やかに輝いている。
 優しい手触りの、暖かな人の中は、いつも熱くて、泣きたくなるくらい激情に包まれるけど。
 ふ、と、月を見ると思い出すのだ。
 あの時の、優しい誓い。
 永遠に続くと思った、穏やかで優しい――初恋を。
 右手を見つめ、そっと、その甲に唇を寄せる。
 あの時誓った――祖父の墓の前で、式とも呼べない、おままごとのような結婚式をした、誓いを思い出す。
「病めるときも、健やかなるときも。」
 あなたが傷つき倒れたら、私は一心をもってあなたを看病しましょう。
 あなたが前を見つめるならば、私は側に寄り添って、あなたと共に歩みましょう。
 月の光が、ひっそりと室内に差し込んでいる。
 優しい光。でも、冷酷な光。
 あの人を思い出させる、悲しいくらい、淡い光。
「あなたは、ジョウイ=アトレイドを愛すことを誓いますか?」
 月の光に手を翳す。
 柔らかな光を宿した手の甲は、答えない。
 届いているかどうかも、わからないけど。
 とどかない。
「………………もう、そんな人、いないのにね………………。」
 呟きは、小さく、小さく、途絶えた。
 目を閉じて、息を細く吐き出す。
 そんなリオの左手を、そ、と冷たい手の平が触れた。
 ぴくん、と揺れたリオが、瞳を瞬いた先で、琥珀色の瞳が、揺らめく。
「…………リオ。」
 白い腕が伸びて、リオの頭をかき寄せる。
 優しい香のする肌に、頬をつけて、リオは強く目を閉じた。
「リオ、恋しいの?」
 耳元に囁く声も、頭を撫でてくれる手も、優しいのに、胸が焦げるほどに愛しいのに。
 この人の身体を掻き抱いて、何もかも自分の物にしたいと、そう思うのに。
「………………今日は、月が、明るいから…………。」
 きゅ、と背中に手を回して、すがりつくように目を閉じると、彼は何も言わず、ただ抱き留めてくれた。
 今、唯一、何もかもを投げ出して、抱き寄せてくれる人。
「――いいんだよ、そういう夜も、あるんだから。」
 分かったように囁いて、白い肌で包み込んでくれる。
「終わったんです……。」
「…………………………。」
「もう、初恋は、終わったんです。」
「…………………………うん……………………。」
 答えてくれる人の、声が優しいから。
 あまりにも、優しいから。
 背中に回した手をそのままに、ぎしり、とベッドの上に倒れる。
 ぱさ、とシーツに散った髪が、彼の白い面を浮かび上がらせる。
 琥珀の瞳が、怖いくらいに奇麗だった。
 手の平を、そっと抜け出させて、彼の頬の両隣につけたら、彼は、少しだけ身じろいだ。
 そして、リオの右手を見つめ――首を傾けるようにして、そっと、手の甲に口付けを落とした。
「………………っ。」
 沸き立つ感情は、嫉妬と、切なさと、愛しさと。
 そうして。
「スイ、さん……。」
 ささやきとともに、彼の白い肌に口付けを落とす。
 赤い痕が、花びらのようにうっすらと浮かび上がるのが奇麗で、滑らかな肌に、続けて唇を当てた。
 彼はそれを何も言わず受けいれて、優しく、微笑んだ。
「月は、心変わりしやすいんですね。」
 囁いて、口付けて、熱い吐息を零して。
 先ほどの情事の痕が色濃く残る身体を、押し開いていく。
 彼はそれに抵抗を示すことなく、素直にリオを受け入れながら、辛そうに眉根を寄せる中、そっと――吐息と共に吐き出した。
「でも……見えない場所は、変わらないから――。」
「…………………………。」
「だいじょうぶ……しんじて。」
 火照った唇に、そんな慰めを吐く唇に、口付けただけなのに。
 どうしてか、胸が熱かった。
 どうしてか、泣きたくなった。
 どうしてか――信じたく、なった………………。
 あなたは、欲しい言葉をくれる、魔法の唇を持っているから。