手袋に包まれた右手──彼の運命を握り、同時に彼女の運命を奪った右手。
 そこに、──そこだけは愛しげに触れて、宝物を握りこむように優しく握り締める。
 ゆっくりと上半身を起こし、背を撓らせた。
 握り締めた左手に力をこめて、天井を仰ぐ。
 違う体、違う手、違う瞳、違うもの。
 でも、
「────…………あ、……はぁ……っ。」
 私が求めているものは、そこにあるから。
 ぎしり、とベッドがきしむ音がする。
 少年が左手で自分自身の顔を覆うのが分かった。
 でもそれを咎める気はない。
 だって、自分が必要としているのは彼の顔ではなかったから。
 天井を見つめ、ただ左手で握り締めた右手の感触だけを感じる。
 幼い手、もうきっと大きくなることはないだろう手のひら。
 でも。
「──……ん……は──あぁっ…………っ。」
 体の奥から生まれてくる眩暈のしそうな熱さにとらわれながら、右手で己の体に触れた。
 滑らかな肌を滑らせ、手のひらに余る胸を包み込んだ。
 熱さを持った手のひらは、まるで自分の物ではないように蠢く。
 あの日、あの時、彼がそうしてくれたように──その右手で、自分の体を高めていく……決して、唇をかみ締めている少年を認めずに。

「──テオ…………さま…………っ。」

──────────────その瞬間、天井を仰ぎながら、右手を握り締めながら。
 あなたは、己の頬を流れる涙に、気づいているのでしょうか……………………?



 何事もなかったかのように、パタン、と扉が閉まる。
 その冷ややかな音を聞いても、彼は動くことはなかった。
 開け放たれた窓から吹き込む風が、先ほどまでの情事の後を掻き消していた。
 濃厚な熱さはどこにもなく、ただ静かな冷たさばかりが残される。
 乱されたシーツ、散らばった衣服。
 それでも、その何もかもをそのままに、彼は両足をベッドに投げ出し、座り込んでいる。
 右手だけを遠くに放り出すようにして、うつろなまなざしを窓の外に向けていた。
 月の光が、湖面を揺らしているのが見えた。
 最上階であるこの部屋には、心地よい風が吹いてくる。
 それと同じくらい、強い月の光も差し込んでいた。
 いっそ、月の光など届かなければいいのに。
 そう思うほど、──イヤになるくらい、ハッキリと見えた涙の影の残滓を払うように、彼はかぶりを振った。
 その拍子に、ふと鼻についた匂いに──あまりのその醜悪さに、顔を歪める。
 歪めて……先ほどまでつながれていた右手を認めて、唇を、かみ締めた。
 ピリ、と、流れる血の匂いと共に痛みが走ったが、気にする余裕もなく、左手で顔を覆った。
 右手が小刻みに震える。
 それでも、必死でそれを遠のけるようにして、彼は顔をうつむけ、泣き出しそうになる顔をこらえた。
 泣いてはいけない。
 泣けるはずはない。
「…………っ。」
 右手を握り締めて、彼は零れそうになった嗚咽を必死にかみ殺し、ゆがんだ顔を天井に向けた。
 彼女が涙を流しながら見上げていた天井。
 何かがソコにあるわけじゃない。
 でも、そうして天井を見上げていると、同じ角度で見上げた人の顔が浮かんでくるような気がした。
 いつかきっと、追い越してみせると思っていた背の高い、美丈夫な男──己の父。
 彼女が見上げていた天井にも、同じ男の顔があったに違いない。
「────…………。」
 きっと、彼女は一生気づくことはない。
 あんな風にしてしまったのは自分だから、一生気づかせることはない。
 うつろなまなざしを、今度は右手へと移した。
 手袋に包まれたソコは、熱い感触をまだ持ち続けている。
 触れた指先、絡み合った指。
 力をこめてすがられたソレはでも、自分を求めているわけじゃない。
「…………………………ソニア………………。」
 小さく……小さく名を呼んで、彼はソとまつげを伏せて目を閉じる。
 彼女がどれほど父のことを愛していたか、自分も良く知っている。
 甘い微笑み、まっすぐな瞳、全身から溢れる想い。
 誰よりも知っている。
 彼女がどれほど彼のことを愛していたか。
 だって。
「────これが………………僕の、………………咎…………………………。」
 同じくらい、あなたを見ていたのだから。


 君が握った右手を、引き寄せて余韻に浸ることも許されない。
 だってソコには、あなたが愛した男が眠っている。
 僕が殺した父が眠っている。

 痛いくらいに──ただ両方にとって痛いだけだと、そう分かっていても、拒むことができないのは。


…………アナタが好きだから。

…………アナタが憎いから。


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