しなやかな動きをする棍を持ち、その右手に凶暴な紋章を宿す、幼くありながら覇王として新生解放軍を率いる軍主は。
いつもリンとした光を宿らせる瞳をパチパチと幼く瞬かせ、琥珀色の眼差しを、純粋な疑問に染め上げて。
冷ややかにすら見える整った容貌に、キョトンとしたあどけない表情を宿して、こっくり、と、幼子のように無防備に首を傾げて。
「僕、おじさん知ってる〜、マッシュルームカットって言うんだって、父上が言ってたー。」
額に青筋を浮かべて眩暈を覚えた自軍の軍師に向かって、ニッパリ、と、邪気のない無垢な笑顔を浮かべて、そう笑ってくれた。
その、いつもとまったく正反対な、無垢であどけなさすぎる笑顔に、思わずマッシュは手のひらに顔を埋めずにはいられなかった。
「ぼっちゃん、違います。こちらの方は、マッシュ・シルバーバーグ殿ですよ。」
「マッシュルームカットー。」
キリリと顔を整えて、グレミオが自分の膝の上に乗った状態のスイの言葉を正せば、幼い口調と声で、スイがニコニコ笑いながらグレミオの言葉を「復唱」する。
その、分かっていてやっているのではないかと思うスイの態度と言葉に、マッシュはますます肩を落とさずにはいられなかった。
「……グレミオ殿、これは一体──どういうことですか?」
手のひらに向かってうめくように問いかけながら、指の間からチラリとベッドの上を睨み付ければ、グレミオが困ったように──それでありながら、小さい頃のように無条件で甘えてくる主に、ヘラリと目元を緩めて笑いながら、マッシュを見上げて答える。
そんなグレミオの膝の上に乗ったスイは、幼い子供のように足をブラブラ揺らせながら、右手でしっかりとグレミオの腕を掴んでいた。──そう、幼い子供が、父や母に膝の上で抱っこをするのをねだるような仕草で。
「はぁ、それが良く分からないんですけど……どうもぼっちゃんは、ご自分が五つだと思っているらしいんですよ。」
「今度の誕生日にねー、僕、6つになるの〜。」
グレミオの、困ったような──けれどやっぱり嬉しさと楽しさがにじみでいる言葉につられるように顔をあげたスイが、満開の笑顔でマッシュを見上げる。
それは、グレッグミンスターを出る前の「テオ・マクドールの息子」が浮かべていたかもしれないが、「解放軍のリーダー」となったスイ・マクドールは、一度として浮かべた事が無い──憂いのまったくない、子供の笑顔。
その、まぶしいほどの明るい笑顔を向けられて、思わずマッシュは言葉に詰まった。
その笑顔の質は、マッシュがセイカの村に残してきた自分の生徒達が浮かべる、明るい無垢なソレに、非常に良く似ていたのである。
しかもその上、タチが悪いことに、ムダに整ったスイの満開の微笑みは、大の大人を黙らせるほどに、威力があった。
まともにそれを正面から浴び──しかも構えても居ないところに浴びた純粋無垢な笑顔の攻撃に、ウッ、とマッシュはまともに言葉に詰まる。
そんな彼を見上げて、ますますスイは嬉しそうな顔で笑みを深めると、
「6つになったらね、父上がね、僕に剣を教えてくれるって言ってたの。
マッシュルームカットさん、父上、いつ、『えんせー』から帰ってくるの? 僕ね、父上が帰ってきたら、お部屋でおでむかえしなくちゃいけないの。」
言いながらスイは、手のひらを引き寄せて、ひとーつ、ふたーつ、と数え始める。
グレミオがそんなスイの顔を覗きこんで、スイの指先を握り締めながら、何の数ですか? と優しく尋ねれば、スイはそんなグレミオを見上げて、ニッコリと微笑み返しながら、
「あのね、父上がおでかけしてから、今日で四日目なの。
グレミオ、あと何日寝たら、父上、帰ってくるかなぁ?」
ニコニコニコ、と無邪気に微笑み続けるスイの態度に、グレミオは一瞬小さく瞳を揺らして──けれどすぐに、ふんわりと優しく笑うと、昔スイにしたように、彼の柔らかな髪をなでながら、
「そうですねぇ、ぼっちゃんがいい子にしていたら、すぐに帰ってくるとは思いますけど、ぼっちゃんは今日もイタズラばかりでしたから、いつになるか、グレミオには分かりませんねぇ……。」
──もう十年も前になるあの頃。
グレッグミンスターから遠く南にある城で、小さいスイを膝の上に抱き上げながら、やはり同じように返した答えを思い起こしながら、懐かしく口ずさめば、スイはパッと顔をゆがめて、グレミオの胸元を掴み上げた。
「僕、今日はイタズラしてないもん! 今日はね、ソニアが剣のお稽古してたから、見てたの! だから、何もしてないもん!」
必死になってクシャリと顔をゆがめて叫ぶスイの様子に、グレミオは小さく微笑みながら、本当ですかぁ? としらじらしく問いかける。
これが、「現代のスイ」が相手だったら、そんなしらじらしい問いかけなんかに引っかかってくれるわけはないのだが、目の前に居るのは、見た目は今と同じでも、中身は小さい頃のスイそのもの。
グレミオが目に入れても痛くないほどかわいがっていた──今も目に入れても痛くないと断言するが──、小さな小さなスイなのである。
「本当だもん! だから父上、ちゃんと僕のところに帰ってくるもん!
僕、お約束したもん!」
小さな手のひらで、ギュ、と握ったグレミオの服を強く握り締めて、スイは上目遣いに彼を睨み上げた。
ジンワリと瞳が潤みはじめているのが、いつになく儚くかわいらしく見えて、グレミオはデレリとだらしなく目元を緩めると、スイの体をキュゥと抱きしめた。
「ええ、ええ、ぼっちゃん! 大丈夫ですよ! テオ様がこーんなかわいいぼっちゃんを、一人にしておくはずがないじゃないですかっ!!!」
「……グレミオ、お前な……。」
ギュウギュウと抱き寄せて、スイの頭に頬刷りをして叫ぶグレミオに、頭痛を覚えたようにフリックが突っ込んだが、もちろん、そんな制止がグレミオの耳に入るはずはなかった。
「じゃ、父上、すぐに帰ってくる?」
頭を右へ左へとずらして、グレミオの腕から顔を出したスイは、こっくりと小首を傾げて尋ねた。
その問いかけに、グレミオは、グッ、と言葉に詰まって──無言で顔を逸らす。
そんなグレミオに、スイは不安そうに目をゆがませる。
グレミオはそれでも答えられなくて、困ったように眉を寄せながら、そ、とマッシュを仰ぎ見た。
「──……スイ殿……いえ、スイ。」
「……マッシュルームカットさん?」
──どうしてもその呼びかけは治らないのだろうかと、ピクリと米神を揺らしながら、マッシュは溜息を飲み込みながら、あどけない表情のスイを見下ろす。
「あなたのお父様は、どこに遠征に行くと言っていたか、覚えてますか?」
「だいしんりんのむら。あのね、コボルトさんがいるの。」
ぴし、と片手をあげて元気良く答えるスイに、マッシュは考えるように俯く。
「6歳だと言うことは、今から9年前──、継承戦争の只中。
その中で大森林の村にテオ・マクドールが遠征に行ったのは……。」
マッシュは小さく唇の中で呟いて──目の前でグレミオにギュゥと抱き付いているスイが、「どういう立場」なのか思い当たり、なんとも言えない表情を見せた。
そのまま、天井を仰ぐように視線を上へとやったマッシュを、フリックとビクトールが不審気に見やる。
「マッシュ?」
呼ばれた名前に答える気力も持たず、マッシュは額に手を当てると、はぁ、と溜息を零した。
「……パンヌ・ヤクタ城………………。
どうやら、よりにもよって、継承戦争の只中の──パンヌ・ヤクタに居る時の、スイ殿、ですか…………。」
これは、幼いとか記憶退行の問題にプラスして、また面倒な状態になりそうだ、と。
マッシュは、先々のことを思って、溜息を漏らさずにはいられなかった。
そんなマッシュを、スイは不思議そうに見上げる。
その大きな目を見下ろして、マッシュはなんと言っていいものかと視線を彷徨わせる。
これが、普通の一般兵が相手だったなら、「戦が酷くなったから、親戚の家に預けられる途中」と、適当なウソをついて、とりあえずカクの村に預けるとかそういう手段に出るのだが。
いかんせん、目の前の少年は、この解放軍の若きリーダー「スイ・マクドール」で、帝国のお尋ね者で──よりにもよって、あの、テオ・マクドールの一人息子なのだ。
いっそ、見た目も五歳児であったなら、何も心配することはないのだが──……。
「……困りましたねぇ。
おそらく、短時間の記憶の混乱……だと思うのですが。」
「──……すまん。」
コリコリと米神を掻きながら、困ったような顔になるマッシュに、フリックが肩を落として頭を下げる。
「とにかく、しばらくは様子を見てみるしかないと思うのですが──医療の知識があるわけではないので、確たることは言えませんけど。」
本当に困った──困り果てたというような表情で、キョトンとするスイの顔を見下ろし続けるマッシュに対して、少年を腕に抱くグレミオは、自信満々に微笑みかけた。
「大丈夫ですよ、マッシュさん! 何せ、ぼっちゃんですから! たとえ頭が5歳児でも、ぜんぜんOKです! 問題ナシです!」
何を根拠にしているのか、グッ、と明るい笑顔でOKサインを出してくれる。
──本当に何が問題ないんだか。
「……問題なら大アリでしょう…………。」
さらに頭痛を覚えたと言いたげに、はぁぁ、と溜息を零すマッシュに、スイはますます首を傾げると、チラリとグレミオを見上げて、モゾモゾと彼の腕の中で体をよじった。
そして、グレミオの膝の上に膝立ちになると、俯いて目を固く閉じながら──精神だけ幼くなってしまったスイに、どう説明して、どう納得させるか。
そのことに頭を悩ませるマッシュに向けて、スイは両手を差し伸べると、そ、と、彼の荒れた頬を両手で包んだ。
ハッ、と目を見開くマッシュに向かって、ふわり、と柔らかに微笑むと、スイは少し背伸びをして、すぐ間近に迫った疲労の色が濃い男の顎に、ツン、と触れるような口付けを一つ落とす。
その慣れた仕草に、あ、と、グレミオが大きく目を見開くのと、驚いたマッシュが、バッ、と後方に後ずさるのとが、ほぼ同時。
「──……っ、す、すすす、スイ、どの……っ!!!!?」
顎先に当たった濡れた感触に、バッ、と手のひらを顎に当てたマッシュが、ワナワナと唇を震わせる。
スイは、赤く染まった──血行が良くなったように見えるマッシュの顔を見上げて、パッ、と明るく笑う。「元気でた? マッシュルームカットさん?」
「げ、元気出たって……っ、スイ殿……っ!!!?」
覗きこむように笑うスイの顔は、いつも見せる裏がありそうなソレではなく──無邪気な、見ているこちらが恥ずかしくなりそうなほど無邪気な、子供の微笑みだった。
そのあでやかな微笑みに、マッシュは言葉の先を失った。
「……ぼっちゃん……………………。」
はぁぁぁ、と疲れた吐息を漏らすグレミオの呼びかけに、スイはニパァ、と笑うと、モゾモゾとグレミオの膝の上に戻ると、上機嫌にグレミオの首にしがみつく。
「元気出たみたいだよ、グレ。
僕のチュー、今のとこ、ひゃっぱつひゃくちゅうってヤツだね!」
誉めて誉めて、と言うように、スイはスリスリとグレミオの首筋に擦り寄る。
グレミオは、そんな彼の体を抱きなおしながら、はぁぁ、と溜息を一つ零して──チラリ、と、マッシュを見上げた。
「──……な、な……、なにを──……っ!!」
いつも冷静な軍師らしからぬ動揺を見せるマッシュを、グレミオは同情に染まった瞳で見上げながら、
「すみません……、ぼっちゃん、継承戦争中の──パンヌ・ヤクタに居た頃、挨拶のチューが、すっっごくお気に入りだったんです。」
今、マッシュさんにしたのを見て、思いだしました。
そう、疲れたように説明してくれるグレミオの言葉に、
「────……おー…………なんか、すげぇ、面倒くさそうになりそーな展開が、今、頭に浮かんだぜ。」
言わなくてもいいのに、ビクトールが自己申告してくれた。