驚いて店内を見回せば、薄暗い闇の中、旅装の人間や町の人間らしき人──それから、騎士団らしき人たちと幾人か視線がかみ合った。
 その誰もが、ヒューゴに対して怒りや憎しみめいた負の感情を抱いているというよりも、驚きと困惑を感じているように見えた。
 そんな視線の一角──出入り口から遠い場所に設置されたテーブルに。
「あんた、あたしを無視してカウンターに向かうなんて、いい度胸してるじゃないの、ん〜?」
 酔っ払って赤く染まった目元で──ジロリ、と睨みあげてくる娘を中央に、左右で肩身を狭そうにしている二人の男が、疲れたようなすまなそうな笑みを浮かべて、ペコリと頭を下げるのに………………。
「…………リリィさん………………?」
 どうして彼女がココにいるのだと、ヒューゴは呆然と呟くことしか出来なかった。
 そんなヒューゴに向かって、すっかり出来上がっているらしいリリィは、手にしていたジョッキを、どぉんっ、とテーブルの上にたたきつけて、
「いーから、こっち来なさいよー! まーさか、あんたまであたしの酒が飲めないとか言うんじゃないでしょうね!!?」
「すみません、ヒューゴさん、お嬢様酔ってるから、相手しないように相手をしてやってください……。」
 ぺこぺこと頭を下げるリードの言葉に、それは一体どういう意味だと、呆れたようにヒューゴは三人の顔を見交わす。
 けれど、ためらったのはほんの一瞬。
 わざわざ客室から見知らぬこの場所へ来るほどに、ヒューゴは人恋しく思っていた。
 見慣れた顔に会ったのも何かの縁だ。
 ヒューゴはそう判断すると、おとなしくリリィの手招きに従って、彼女のテーブルに座ることにした。
「久しぶり、リリィさん。──でも、なんでこんなところで飲んでるの?」
 ホラホラ、ココ座んなさいよー、と、とろんとした目で笑いながら、リリィは足癖の悪いブーツで、ガツンとリードが座っていた椅子を蹴り飛ばす。
 リードはそのリリィのひどい仕草に、うわっ、と立ち上がると、転がった椅子を起き上がらせ──どうぞ、とその席をヒューゴに譲った。
 ──そんな、リリィの足技が届くような席には座りたくはなかったが、躊躇っている間に、リリィによってがっちりと肩をつかまれ、グイ、と引寄せられるようにして座らされてしまっては、もうさからえない。
 ヒューゴがしぶしぶ腰を下ろした途端、リードがホッと胸を撫で下ろしたのが──非常に気に食わなかったりするが、まぁそれはそれで仕方がない……のだろうか?
「んふふ〜、実はね〜、今日、パーティに出席してきたのよぅ〜。」
 上機嫌そうに笑いながらも、目が笑ってない。
 っていうか、ヒューゴを掴んだ指先が、無駄に力が込められている。
「いたっ、痛いって、リリィさん……っ。」
「馬鹿オヤジがね〜、あーたーしーに、ゼクセのなんたら言う商人のパーティがあるから、出て来いって言うから〜、船に乗ってきたのよぅ、昨日。」
 ねぇ、聞いてる? と聞いてくるリリィの口からは酒の匂いがする。
「お嬢さん、酔ってますよー。」
 肩を竦めて、リードが呟いた途端、リリィは左手に持っていたジョッキをグイッと一気にあおって──不機嫌そうに鼻を鳴らす。
「そうしたら、もう! いい男が居るどころか、エロオヤジばっかり! んも、セクハラの嵐なのよ、セクハラの! こんなでこんなでこうなのよ、ヒューゴ!?」
「って……りりりり、リリィさんっ、どこ……っ、どこ触ってるんだよっ!!!!」
 慌てて自分の足だの腰だの尻だのを縦横無尽に走り回るリリィの手を払いのけるが、酒にプラスして怒りに眼の前が真っ赤になっているリリィは、そのまま払いのけられた手でヒューゴの肩をガッシリと掴むと、
「あの馬鹿オヤジ! あたしをセクハラオヤジに売ったのよ! 信じられるっ!!? 誰かアレをたたきとおせって言うのよ!」
「お嬢さんっ、お嬢さん、そういう不穏な発言はちょっと……っ。」
「まぁ、落ち着いてくださいよ、お嬢さん……。」
 慌ててなだめようとするお付き二人の声は全く届いていないのか、リリィは益々拳を握り締めると、
「──でぇ、あんまりにもむかついてきたから、ばっしゃーんっ! ってシャンパン引っ掛けて、逃げてきちゃったー、アハハハハハハ〜。」
「……アハハハ……って………………。」
 それって、とても……良くないことなんじゃ?
 酒が入ってハイテンションなリリィに頬ズリをされるほどに近づけられて、ヒューゴはヒクリと引きつりながらリードとサムスを見やると──リードは青ざめた顔で遠くを見ていて、サムスは気まずげに視線を逸らした。
──うん、だいぶ、まずいことらしい。
 そして多分……今……、逃亡中って、ヤツですか………………?
「リリィさん………………。」
「でも、こーんなところでヒューゴにあえて、ほんっと良かったわぁ。
 リードとサムスだけじゃ、心元無かったもの〜。」
 んふふ〜、と笑って、リリィは自分が左手に持っていたビールジョッキをヒューゴの前に置くと、酔っ払った目のままで、
「ささ、飲んで飲んで。」
「……っていや、リリィさん、このジョッキ空……。」
「なによ!? あたしの酒が飲めないって言うの!? アンヌの酒は飲んでたくせにーっ!!!」
「なんでそこで逆切れするの!」
「あぁぁぁ〜、もう、なんでもいいから、飲んでやってください、ヒューゴさん……。」
 お願いしますと、リードに頭を下げられては、意地をはるわけにもいかない。
 しかも相手はリリィさんで、なおかつ恐ろしいことに酔っ払いだ。
 ヒューゴはしぶしぶ空のジョッキを手に取ると、何も入っていないソレを覗き込み──たっぷり溜息を一つ零して、それを仰ぐフリをした。
「……ごちそうさま、リリィさん、おいしかったです。」
 言う言葉が淡々としてしまうのはムリがないことだろう。
 にもかかわらず、リリィはにぃっこりと嬉しそうに笑うと、ヒューゴの体をギュゥゥ、と突然抱きしめて、
「……り、りりぃさんっ!!?」
「ふふーんっ! これでヒューゴは私が貰ったわ!」
「……──て、お嬢さんっ!!?」
 呆れて水の入ったグラスを指先で拭っていたサムスが、こればかりは何事だとばかりに目を見開いて叫べば、リリィは自分の胸元に引寄せたヒューゴの頭に顎先を押し付けるようにしてグシャグシャにしながら、
「ヒューゴ! そんなわけで、しばらく世話になるわ!!」
「………………──……て、…………はぁぁぁぁっ!!!!?」
 ティントにも戻れない、かと言って目立つところに行っては父の追っ手がかかる。
 それを良く分かっていたからこそ、リリィは酔っ払いの堂々たるワガママでもって、ヒューゴにそう押し切った。
 ──まぁ、リリィの場合、酔っ払ってなくても、ワガママを押し通すのだが。
「な、……なんで俺、……こんなことになってるんだよ……?」
 酒の回った上機嫌な顔で、グリグリとヒューゴの頭に頬刷りするリリィに好きなようにセクハラされながら、ヒューゴは思い返して呟いてみるものの──銀色の乙女の朱色に染まった容貌を思い出した途端。
「……………………酒………………………………。」
「……ぇ、は? 何? どうかしましたか、ヒューゴさん?」
 慌ててテーブルに両手をついて覗き込んでくるリードに向かって、キッ、と涙交じりの双眸を向けるなり、
「いいからっ、酒……っ! 持ってきて!!!」
 こうなったら、ヤケ酒だと、リリィが移ったかのようなヤケでもって叫んでいた。

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