口の中で甘い味を広げながら、スイは何かを思い出すように天井を見つめながら、トウタに頷いてやった。
「そう──ついこの間なんだけど、ちょっとしたことで、お饅頭被害にあってね。それからしばらく、お饅頭とかは敬遠していたから……うん、一ヶ月ぶりくらいかな?」
一ヶ月。
その期間は、なんだかトウタにも覚えがあって、彼も顎に手を当てて何かを思い出すように視線をさまよわせた。
一ヶ月──確かそれは、国境近くで小競り合いに近い戦いが起きたときだったと記憶している。
そう、その最中、突如軍主が姿を消して、シュウが怒鳴っていたような覚えが──……いや、軍主どころか、主だった幹部の半分くらいが姿を消したとかどうとか聞いている。
後にシュウは、胃薬を求めにココへ顔を出したから、確かなはずだ。
「──それって、うちであった事件と何か関係があるのでしょうか?」
「事件?」
「あ、はい。あの──戦争中に、リオさんたちが神隠しにあったんです。……でも、その夜にはこのお城に戻っていて……シュウさんが、リオさんを凄く怒っていたのは覚えてるんですけど。」
首を傾げて、トウタはブルリと身震いをした。
あの時は、小さな小競り合いに近い戦争で、何とか軍主抜きでも楽勝で済んだけれど──戦争中に神隠しなんて、本当になんて恐ろしい。
「────…………神隠しにあったことになってるんだ。」
ポツリ、と呟いたスイの言葉はトウタに届くことはない。
そして、真実を知っているシュウも、永遠に「神隠し」としてその不祥事を隠し続けることも、間違いない。
まさか、戦争中に、「スイさんの身に一大事っ!」とか叫んで、軍主がルックのテレポートで消えた……なんて、言えるはずもないだろう。いくら、「楽勝で勝てそうですね。」と、シュウが吐いた言葉を聴いての行動だとしても、軍主失格である。
「あぁ……怖いですよね。スイさんも気をつけてくださいね……。」
心配そうに眉を寄せるトウタに、大丈夫だよ、とスイは満面の微笑みを浮かべた。
「ちゃんと危険物の管理はしっかりするように、リュウカンにもミルイヒにもグレミオにも、しっかり言っておいたから、もうあんなことが起きることはないと思うよ。」
最後のヨウカンの一切れを綺麗に食べ終えて、スイはトウタの入れてくれたお茶を手にした。
そしてソレを、グイ、とあおったその瞬間、
ドクンっ。
鼓動が一つ、大きく打った。
ビクン、と肩をこわばらせ、スイは湯のみをゆっくりと置く。
ドクン。
鼓動がもう一度強くなる。
そして、それとともに全身が熱くしびれ始める。
この感覚を、知っていた。
「──……トウタ君……。」
ギリ、と、奥歯の更に奥で、こみ上げてくる痺れを必死に飲み込みながら、スイはまつげを震わせて、少年の顔を見上げた。
トウタは、きょとん、とスイの顔を見つめ返す。
「はい?」
「このお茶……か、ヨウカン…………、どこから貰ったヤツ、かな?」
ゴクン、とこみ上げてくる生唾を飲みながら、スイは片手で心臓の上を押さえた。
そうしている間にも、脈拍は異様なほど高まっていく。
それとともに、手足がしびれ始め、体中が熱くなってくる。
じわり、とにじみ出た汗が、額をびっしりと埋め尽くす。
「ど、どうかしましたかっ!?」
慌てて、トウタはスイの顔を覗き込む。
蒼白にも見えるその顔色に、彼は飛び上がった。
「スイさんっ! 大丈夫ですか!? 何か……何か入ってたんですか、お茶かヨウカンにっ!?」
まさか、毒が?
──この同盟軍本拠地内で、あってはならないことだ。
あってはならないことだけど──その可能性が、ないわけじゃない。
顔色を変えて、トウタは当たりを見回す。
しかし、まだ見習いの身でしかないトウタでは、傷の手当てをするのが精一杯で、スイのこの表情と態度が何を示すものなのかは、まるでわからなかった。
「ホウアン先生を呼んできますっ!!」
頭の中に浮かんだのは、師の顔だけだった。
トウタはそう叫ぶと、泣きそうに顔を歪めて、走り出そうとする。
しかし、その腕を──がっしり、と、スイが掴み取る。
「まて……毒、じゃ────……ない、から…………。」
手加減している余裕がないのだろう、トウタの腕を掴む手には、異様なほど力が入っていて、トウタはその痛みに悲鳴を上げそうになる。
その、一瞬のトウタの表情の変化に、スイはユルリと腕を放し──それから、はぁ、と熱く息を零した。
「毒じゃ、ない──毒は……慣れてる、から──スグに分かるし、飲んでもあまり効かないから………………。
そうじゃなくて……コレ………………。」
熱い息が唇から零れていく。
体の中の血が沸騰しそうだと思う。
体の隅々がしびれ、自分が今何をしているのか、どういう状態にあるのか、それすらも理解できない。
目の前が真っ白になるほどかすんで──あぁ、とスイは必死で唇をかみ締めた。
どくんっ。
強い鼓動が、全身を揺るがした。
その刹那、
「スイさんっ!?」
駆け寄ってきたトウタに、スイは自分の身をしっかりと抱きしめながら──ブルリ、と身震いをした。
──そして。
「……………………ゴメン………………。」
小さく……呟く。
床を睨みつけ、俯いたまま。
「至急、ホウアン先生を呼んできてくれるかな?
…………このヨウカンに、何が入っていて、効果がいつまでなのか、効きたい。」
「………………スイ、さん………………?」
呆然と目を見開くトウタの目には、スイの体に何が起きたのか、まったく分からなかった。
分からなかったけど。
その、目の前で椅子にうずくまる人の声が。
「────……なんだか、女性みたい……ですよ?」
いつもより高く細く聞こえることは、間違いないと──そう、思った。
そして、その事象は、ホウアンが帰ってきてすぐに解明された。
すなわち、
「トウタっ! これは、先日リュウカン師からお預かりした、『魔法薬』入りのヨウカンですよ! これを、お出ししてしまったんですかっ!?」
「あぁ……やっぱりそういうオチか。」
チョコン、と椅子に腰掛けた、人生二度目の「お嬢様」になってしまった英雄は、うんざりした顔で、己の体の変化に、どっぷりとため息を零すのであった。
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