※この話は、庵百合華の、個人的な妄想による、
テオ=マクドールとその妻の恋愛ストーリーです。
ただし、百合華の書く恋愛ですので、あんまり期待はしないでください
オリジナル設定が許せない方も、閲覧しないでください※
世界に轟く強大な帝国――赤月帝国。
何百年と続く帝国は、その歴史の長さに関わり無く、穏やかで規律ある治世は未だ続いていた。
これは、その治世が終わる運命の皇帝が、まだ皇太子であった頃……数年後には、「帝国6将軍」と呼ばれる才能ある若者達が、まだ一個小隊を任される隊長でしかなかった頃。
その出会いは、起きた。
世界は美しいのだと、きっと私は、生まれたときから知っていた。
だから、どうしても生きたいと願い。
生きるための努力をすることを、覚えた。
赤月帝国、グレッグミンスター。
巨大にして名をとどろかせている帝国の帝都は、美しく鮮やかで、誰もが憧れる地であった。
その、帝国の政治の中心地であり、皇帝のおわせられる場所――宮殿に近い位置に、貴族の屋敷が連立する区間があった。
そこには、帝都を守る優秀な軍人が多数揃っている。
特にその中でも、将来有望な軍人として名を連ねているのが、代々将軍職を預かってきたマクドール家と、シューレン家であった。お互いの屋敷が近いこともあり、二家はとても仲が良い。そのため、昔からそれぞれの家に生まれた後継ぎ――一人息子であるテオ=マクドールと、一人娘であるキラウェア=シューレンは、お互いが兄弟ナシでなかったら、真っ先に政略結婚で婚姻関係を締結していただろうと噂されていた。
二人とも、同じ軍人の道を歩み、優秀な成績を残して軍人学校を卒業した。
宮殿に仕えるようになってからも、破格の出世を繰り返す二人は、性別と選んだ戦い方こそ違えど、いいライバルであり、友人であった。
そのキラウェア=シューレンが結婚相手に選んだのは、自分の身を守ることが精一杯の、低級貴族の青年であった。
回りが反対した結婚に、彼女は無理に押しとおし、彼と結ばれた。
時を同じくして、キラウェアはシューレン家の名実ともに当主となり、水軍として小隊を持つようにもなっていた。
決してそれは、実家の名声の成せるわけではなく、キラウェア自信の実力であると、誰もが認め、誰もが彼女自身を慕った。
そんな彼女の日課は、日が昇るかどうかの朝も早くに、自宅を出てのんびりと散策をしながら宮殿へと向かうことであった。
グレッグミンスターのどこからでも見渡せる、巨大な宮殿――自分が数年前から勤めている仕事先へと、涼やかな風を受けながら、ゆったりと歩く。
整然と整えられた街道を歩みながら、早朝の空気を思い切り吸い込む。
清廉とした空気は、眠気を覚えていた体には心地よく、すっきりと目が覚めて行くのを覚える。
軽やかな足取りで、いつものように、同僚であり幼馴染でもある男の屋敷の前を通り過ぎる。
きっちりと閉まった門は、まだ夜が明けた様子を見せては居ない。
今日もどこかに泊り込んでいるのか、昨日の仕事を片付けられず、兵舎へ泊り込んだのか。
どちらにしても、いつもならこの時間に朝の訓練をしている男が庭に居て、いつもの調子でなんだかんだとからかいながら話し掛けるところなのだけれども。
「何をやってるんだか。」
呆れたように呟いた自分の声の語尾が、少し笑いを滲ませているのに気づいて、キラウェアは唇を引いて微笑をもらした。
今日もいつもの日の繰り返しだとわかっていたが、戦いのない平和な一日というのも心地よく、特に最近起こった問題と言えば、新米兵士があまりの厳しさに耐え切れず、脱走まがいの脱退をしたくらいのことで――可愛げのある問題だ。
テオが一日かかりきりになってしまうような仕事があったとしても、どうせ命に関わるだとか、帝国の存続に関わるだとか、そういう重いことではないはあずだと、キラウェアは呑気に思いながら、テオの屋敷の前を通り過ぎた。
そのまま、中央街道のある広場へ進み――ふと、キラウェアは、早朝のさわやかな光景には似つかわしくない光景を見つけた。
広間の片隅――石廊で固められた地面に、しゃがみこんでいる少女が見える。
体を丸めて、俯いている後姿からは、何をしているのか分かりかねた。
気分が悪くてうずくまっているようにも見えたし、なにか落し物をして、探しているようにも見えた。
けど、どうしてか彼女は、その後姿を見た瞬間、彼女の方角へ足を向けていた。
華奢な体は、上品な臙脂色の胴衣に包まれ、その下から覗く裾の広がった淡いクリーム色のスカートが、地面の上で皺を寄せている。
背中まで届く髪は、漆黒。遠目に見ても柔らかで触り心地がよさそうであった。
後ろ姿だけはわからないが、わずかに見え隠れする輪郭が、今にも消えてしまいそうにはかなく見えた。
「もし、お嬢さん? ご気分でも?」
なぜ、こんな早朝に、こんなところでうずくまっているのか――もしかしたら、家出少女かもしれないという可能性がキラウェアの頭の片隅を掠めた。
時々いるのだ。
華やかな都、グレッグミンスターに憧れて、地方から上京してくる「家出娘」が。
彼女ももしかしたらそうかもしれないと思いつつ、近づいて声をかけて、彼女は同時にそれはありえないと判断を下した。
少女が着ている服は、布の材質が木綿や麻などと言った、都から離れた農地の職人が着るような素材ではできていなかったのだ。
それどころか、その光沢のある丁寧な織かたの服は、このグレッグミンスター内でも、低級の貴族でもなければ手に入れることの出来ない、上等の物だったのだ。
ということは、可能性としては、どこかの貴族のお嬢さんが早朝の散歩に出て、迷い込んでしまったのか。
どこかの貴族の囲われ者であった身分で、その生活が嫌になって飛び出してきたのか。
それとも、実は彼女は体を売ることを生業としている女性の一人で、どこかのお屋敷から帰ってくる途中だったとか?
さまざまな可能性が飛来する頭の中で、貴族であったなら、顔を見れば分かると考え、キラウェアは一向にこちらを向こうとしない少女に、もう一度声をかけた。
「立ち上がれないようなら、衛兵を呼んでこようか?」
親切心で言ったように聞えるようにそう言えば、一番初めの可能性の女性なら、頷くであろうし、二番目の可能性の女性なら、慌てて否定するに違いない。
そして、三番目の女性なら、慣れた言葉でそれを交わすであろう。
さて、どれだと、相手の反応を待ったキラウェアへと。
「…………大丈夫…………です…………ただの、立ちくらみ…………ですから………………。」
弱弱しい声で、今にも消え入りそうな言葉で、少女はゆっくりと、ゆっくりと顔をあげた。
さらり、と零れる柔らかな漆黒の髪。それに包まれた白皙の容貌は、細くはかない輪郭で形作られている。弱弱しく寄せられた眉には、今にも消えてしまいそうな命の炎が透かし見え、土気色にも近い顔色は、彼女が長い間苦痛を堪えているのを語っているようであった。
けれど、キラウェアが驚いたのは、彼女のその顔色などでは決してなかった。
濡れたような色素の薄い双眸は、琥珀の双玉。長く整然と揃った睫が瞳の上に薄い陰を落とし、強く皺寄せられた眉間から続く鼻梁は、形良く伸びている。
大きな目を印象付ける頬には、余分な肉もついておらず、柔らかな輪郭は彼女を儚い華に見せていた。
ふっくらとした小さな唇は、今は血の気を失い、乾いていたが、本来は果実のように瑞々しく、艶やかであることは間違いなかった。
触れれば折れてしまいそうな細い首の半ばから、胴衣の襟が立てられ、彼女の細く華奢な指が、その襟をわしづかみにしていた。
筋が立つほど力を入れられた右手首を、左手でしっかりと握り締め、爪が食い込んでいた。
「立ちくらみ!? そんな顔色で、何を言っているのっ!?」
慌ててキラウェアは彼女の隣にしゃがみこんだ。
その拍子に、少女から甘い切ないような香が流れてきて、一瞬息が止まった。
間近で見る少女は、指先が触れるだけで消えてしまいそうな、そんな儚いまでの美しさを持っていた。
彼女が今まで見てきた、溢れるばかりの健康美を持つ少女や少年達とは、まるで違う次元の生き物だ。
「今医者を呼んでくるから、……これを飲んで。」
腰につけていた水筒を取り外し、彼女の口元へと運んでやる。
しかし、少女はかたくなにかぶりを振り、それを拒もうとする。
「何を……っ。」
「水は……飲めないの…………今の私の体には…………水すらも、重い…………から………………。」
弱弱しく微かに顔を振る少女に、キラウェアは当惑したような顔になった。
水が飲めない病とは、一体何だというのだ?
しかも、水が飲めないくせに、こんなところで、こんな時間に一人でいる彼女は――一体、何者なのだ?
「――それじゃ、せめて場所を移動しましょう。横になれる場所が、あなたには必要だわ。」
さぁ、と背中を差し出すキラウェアに、彼女はさらに強く胸元を握り締めて、辛そうに息を吐き出した。
「ごめん……なさい…………今の私には…………少しの動きも………………つらい、から………………。」
泣きそうな顔で、謝罪されて、キラウェアは自分の肩越しに少女の顔を見た。
整った彼女の容貌は、だからこそ余計に作り物めいて――まるで、命を少ししか与えられていない人形のように見えた。
そのまま彼女は、顔を俯かせる。
どうやら、顔をあげているだけで辛かったようだ。
キラウェアはしばらく逡巡したが、
「…………こうしてれば…………発作…………おさまる、から………………。」
少女の、途切れ途切れの掠れた声を聞いて、そのまま彼女の隣に腰を落ち着けた。
何も出来ないと分かってはいるけど、このまま見捨てていくことは出来なかったのだ。
何よりも、発作がおさまった後、彼女にはここから移動するだけの体力はないだろうと思ったし、このまま発作が収まらなかったときのことを思えば、去ることなど出来なかったのだ。
そのままジッと待ち続けること、数十分くらいか――荒かった少女の呼吸が、だんだんと治まりはじめ、やがて耳を澄まさなければ呼吸音も聞えないようになり……それでも少女は動かず、微動だにしない。
キラウェアは辛抱強く彼女を待った。
やがて、少女の肩がピクンと揺れ、襟元を強く掴んでいた指が解かれた。
指が強張っていたのだろう。ゆっくりゆっくりと解く指の合間から、硬く皺がついてしまった襟元が見えた。その部分だけ色が変わっているように見えるのは、きっと彼女が掌にかいた汗なのだろう。
少女は、全部の指が服から離れたのを悟り、ゆっくりと――ゆっくりと、顔をあげた。
目を閉じたまま、白い顔を空へと仰がせ――その顔色は、青ざめていたが、先ほどよりはずっと良くなっている――、睫を震わせた。
そぅ、と、何かを恐れるように開いてく瞳に、思わずキラウェアは視線を寄せられた。
震える睫の奥から、琥珀の瞳が姿を現せる。早朝の柔らかな光を宿して、その目は、仄かに赤く輝いた。
そして、ぼんやりとした瞳が、唐突に光を宿す。
キッ、と意思ある目をもち、彼女はそのまま顔を下ろした。
その、一瞬の変貌に、息と飲んだキラウェアと、少女が、真正面から顔を付き合わせた。
パッチリと目を瞬いた少女は、先ほどまで儚い印象を抱かせていた乙女というよりも、強い生命力を持つ少女に見えた。
顔色も青ざめたままだし、華奢で儚そうに見える美少女であることは、まったく変わりないのだが――その目が、強い力を宿している。
たったそれだけの違いなのに、少女は、存在力のある強い生命力に満ちた者に感じさせる。
とっさに何か言おうと思っていた口が、何も言葉を発さない。
沈黙が、二人の間に落ちた後、少女が小さく掠れた咳を漏らし、軽く首を傾げた。
「もしかして、私の事を心配して、待っていてくださったの?」
きょとん、と目を見張り尋ねる声は、鈴の音がなるような、愛らしくも耳に心地よい音だった。
まるで歌うようなその声に、一瞬聞きほれてしまったキラウェアは、慌てて彼女に頷いてみせる。
「待っていたというわけじゃないが――失礼だとは思うが、万が一のことを考えて……。」
彼女に万が一のことが起きると思っていたことをわびるように、微かに頭を垂れると、少女はなるほど、と納得したように頷いた。
「それはありがとうございます。
正直な話、わたくしも、自宅を抜け出して鍛錬に来たあげく、こんなところで野たれ死んでしまっては、周りの人に迷惑をかけるだけだと思ってましたの。
身元不明の死体ほど、嫌な物はないと、言いますものね。」
にっこりと、華もほころぶように微笑みかけられ――キラウェアは、彼女が何を言ったのか、理解できなかった。
だから、凍りついた笑顔で、そのまま少女を見返すと、彼女はその沈黙を勘違いして、あ、と唇に手を当てた。
可憐な唇は、年頃の夢見る乙女が持つそれと同じであったが。
「すみません。わたくし、助けていただいて、まだ自己紹介をしておりませんでしたわね。
わたくし、ファラウと申しますの。
今日は、カイ先生のトコへ、棒術の稽古をしに行くところでしたのよ。」
「あ……私は……、キラウェア。キラウェア=シューレンだ。水軍の第1小隊の隊長を務めている。
棒術のカイという名は、聞いたことがあるが――こんな早朝に、稽古?」
他になんと言っていいのかわからず――早朝に稽古をしにきて、発作が起きてしゃがみこんでいる、どうやら口調から判断するに、結構いいところのお嬢様らしい少女…………何だか変だと思う以上に変だと思った。
「さすがにお日様が上りきってしまいますと、わたくしの体力が持ちませんから、涼しいうちに――それに、早朝って、家のガードが甘いから、抜け出しやすいのですわ。」
自慢そうに笑われて、キラウェアの頭の中で、現在のグレッグミンスター貴族辞典が広がった。
何か持病を持っているような、朝から屋敷を抜け出して棒術を習いに行く少女――――――………………。
そんなもの、載っているわけがなかった。
確かに、この赤月帝国は、遥か北に位置するハイランド皇国やゼクセン、ハルモニア神聖国などと違って、貴族の女性も軍家出身者なら、誰もが戦いの剣を取れる仕組みになっている。
現に、諸国に比べて戦う女の数も、一段と多い。数多くの女性が重要地位にも持ち上げられている。
いるの、だが。
「体が弱いのに、棒術を習うのは、むずかしいのじゃないか?」
呆れたように問い掛けると、彼女は未だ地面に座ったままの姿勢で、キョトンとキラウェアを見上げた。
「あら? わたくし、こう見えても結構な腕前ですのよ? カイ先生の所の、他のお弟子さんに負けたこと、ありませんもの!」
そして、まるで大輪の花が咲きほころぶような笑顔を見せてくれた。
体の弱い、どこかの貴族の娘らしい、棒術の得意なお嬢様……――。
奇妙で変な少女との出会いが、自分の未来に大きく関わってくるということを、二人は何も分かってはいなかった。
「テオ。最近また良く耳にするぞ。」
久しぶりに脚を運んだ訓練場で、キラウェアは弟のようにも思っている幼馴染を見下ろした。
そこに居るのは、当たり前のような顔をして剣を磨いている、精悍な顔立ちの青年であった。
彼の隣で同じように剣の手入れをしているのは、軍事学校時代からのテオの悪友である、カシム・ハジルである。
彼はキラウェアの――密かに帝都の兵達に絶大な人気を誇っている美女を見上げて、ほらみろ、とテオを突付いた。
テオはテオで、苦虫を噛み潰したような顔をしている。
キラウェアが何を言いたいのか、きちんと分かっているのだろう。
「そうか。」
短く答えた彼の言葉に、彼女はさらに眉を寄せる。
「そうか、じゃない。
あれほど、女性を遊び半分にからかうのはよせと言ったのに。」
「からかったわけじゃない。
こっちが本気になる前に、あちらが逃げてしまうだけだ。」
「そうだな。テオの心がココに無いと知って、彼女達はめげてしまうわけだ。」
くっくっくっ、と、楽しそうに笑う悪友に、テオはきつく顔を顰める。
「別に、彼女達を見ていないわけじゃないし、俺は俺で、本気になれると思っていた。
けど、そうならないうちに向こうが冷めてしまうなら、しょうがないだろう?」
違うか、と見上げるテオに、カシムが隣で軽く眉を顰める。
「冷めるんじゃなくって、諦めてるんだよ、あれは?
お前、彼女とのデートよりも、訓練を取るし、同僚の誘いの酒にも、結構付き合っているだろう?
それが、彼女達の不安を誘ってるんだと、どうして分からないかな、お前は?」
まったく、と呆れたように言ってくれる友人に、テオは本気で嫌そうな顔になる。
「言っておくが、俺はただ一人に縛られるつもりもないし、ただ一人のために自分の時間を割くつもりもない。」
きっぱりはっきりと言い切る幼馴染に、キラウェアは疲れたように笑った。
「……そりゃ、あんたがまだ本気の恋をしてないからさ。」
「………………。」
そんな彼女の「言い分」に、テオはきつい睨みを利かせる。
怖い怖い、と軽く嘯いて、キラウェアは肩をすくめて見せた。
テオがそうやって怖い顔をする理由は、彼女は良くわかっていた。
何せ、そう言ってテオを説得しているキラウェア自身、テオと同じ言葉を毎日のように吐き続けていたからだ。
もう、数年以上も前の話になるのだけれども。
そのたびに、テオはそういうものか、と頷いていたことを考えると――彼のこの意識を受け付けたのは、自分以外の何者でもなく、そんな自分が、あっさりとその信念を放り出してしまったことに怒りすら覚えているだろうことは間違いない。
「そんな顔をするな、テオ? 言っておくけど、私だって、別に誰かに縛られているつもりはないし、自分がやりたいことを譲歩するつもりがあるわけでもないよ? ただ、命に代えても守りたい、一緒にいたいと思う、大切な人が出来ただけさ。」
最後の一言だけは、少しシニカルな笑みに変わってしまう。
理由は、他の誰でもないキラウェア自身が分かっていた。
何もかもをなげうって一緒にいたいと思ったわけじゃないけど――どれほど辛い目に会おうとも、彼と一緒にいることだけは捨てられないと、そう思った相手は……数年前に、事故で亡くなってしまっているからだ。
もっとも、キラウェアには、彼と過ごした短い日々の間に、新たな「大切なもの」が出来ていたし、それを守るためなら、どれほど大変であってもやりきってみせると思っている。
だから、夫を亡くした今でも、キラウェアの言葉には、重みはあるはずだった。
真実なのだから。
けれども、テオの渋面は崩れはしなかった。
「短い時間で、それほど大切に思えるようになるとは思えないな。
だから、彼女達は軽率だと思うぞ? 俺は。」
手入れをしていた剣を日に透かし見て、満足げな笑みを浮かべるテオを見下ろしながら、それはどうだろうなぁ、とカシムが首を傾げる。
所詮そういうものは、その人の好みであり、その人の生き方であり、選び方だ。
どういう基準で「大切」と思えるかは、千差万別であって当たり前なのだから。
テオは、短い時間で「大切」だとは思えないというだけで、一目見た瞬間から、何にも変えがたい大切なものにめぐり合ったという人だって居る。
――たとえば、同僚のミルイヒとか。
「それじゃ、私も軽率みたいじゃないか。」
「キラは違うだろう? あんたが大切にしたいと思っていたものは、3年越しだった。」
慣れた口調で幼馴染の、姉とも思っている女性につぶやいて見せると、彼女は小さく苦笑を漏らし、髪を掻き揚げた。
「それがね――最近、出会ったばかりのものに、守りたいと思うものが出来たばかりでね。」
自嘲めいた笑みは、それでも幸せがにじみ出そうな嬉しそうなそれであった。
そんな彼女の微笑を久しぶりに見たテオは、きつい眼差しを顰めて彼女を見上げる。
「?」
それはどういうことだと、問い詰めるよりも先に、思い当たったらしいカシムが、ああ、と短く声をあげる。
「もしかして、アレか? 最近、キラウェアに詰め寄る求婚者連中を蹴散らしているとかいう、美少女!」
やはり、噂になっているようだな、と、改めてここで認識してから、キラウェアは慎重に頷く。
名家の出であり、美人で才女でもあるキラウェアには、未亡人で子持ちとは言えど、求婚者は山のように居る。
その迷惑極まりない相手に、キラウェアは一つの条件を出していた。
私と結婚したければ、私を倒してからにしてくれる?
という、魔法も剣の腕も一流の彼女だからこそ、言い切れた条件。
その条件にチャレンジしてくる求婚者連中を、訓練ついでになぎ倒すというのが、キラウェアの日常でもあったわけだが――最近、それに少しの変化ができた。
それは、キラウェアに求婚者が勝負を仕掛けた瞬間、まるでどこかでそれを見ていたかのように、一人の美少女が駆けつけるという変化である。
彼女は、しなやかな棍を振り回し、キラと勝負したければ、まず私と勝負しなさい、と言い切るのだ。
そして、彼女は強かった。
「未だかつて、その美少女を倒したヤツが現れないという噂だが――どこまでが本当だ?」
面白そうに尋ねてくるカシムに、頭痛を覚えつつ、キラウェアは答えてやった。
「噂に関して言うと…………彼女が私の愛人だという噂以外は、ほとんど本物だ。」
そんな、苦い笑みを刻んでのキラウェアの台詞に、テオは興味を持ったように目を細める。
「そんなに強いのか、その少女は?」
「あの棒術のカイに習っているらしいが――たぶん、うちの小隊の中には、彼女以上のヤツは居ないと思うよ?
身軽で、筋がいい。しかも、まるで舞うような動きが綺麗で、やられた男の大半は、それに見とれているうちに気絶させられておしまいってパターンだよ。」
面白げに囁いてやると、テオは口元を歪めて笑った。
「それは、見てみたいな――。」
「確かに。」
そして、テオのそんな意見には、カシムも賛成だったらしく、大きく頷く。
「今度、紹介してくれ、キラ。」
一体どういう姿が描かれているのか分からないが――これで彼女のキャラクターを知ったら、彼らがどういう反応をするのか…………キラウェアはそれが楽しみでもあったため、決して「美少女」のことについて、詳しく語ることはなかった。
「キラウェア=シューレンっ! 貴殿に1対1の戦いを挑むっ!!」
びしりっ、と、タキシード姿で剣を構える男の、なんと奇妙なことか。
帝国に名を馳せるほどではないものの、ほどほどに知られている隊長相手に、タキシードで戦いを挑む――ある意味、滑稽で酒の肴くらいにはなりそうであった。
キラウェアは、今日も今日とて、求婚者に引き止められた己の身の上にため息を零しつつ、腰から下げたレイピアの柄に手を掛けた。
「その意味やいかに?」
いつものように、うんざりした心地で問い掛けた瞬間であった。
最近の、「いつも」の光景が起きたのは。
「ちょーっと待ったぁっ! そこまでですわよっ! そこの熊男っ!!」」
良く響く、りん、とした心地よい声。
甘い余韻すら残すその声は、元気に辺りに響き渡った。
発作が起きているときは、まるで今にも死にそうな儚さを醸し出すくせに、元気なときは、本当にじゃじゃ馬にしか見えないような元気さを見せ付けてくる――目下、キラウェアが娘以外に目を離せないと認識している少女である。
彼女は、颯爽とキラウェアの対向場所に立ち、右手に黒い棍を持ち、風に漆黒の髪をなびかせていた。
髪の毛の上半分を軽く掬い、そこに銀色の髪飾りを付けている。
ぱっちりとした目も、白皙の肌も、ふっくらとした桃色の唇も、何もかもが上品で美しく揃った少女であったが――好戦的な目が、より一層彼女を引き立たせている。
「く、くまぁぁっ!?」
本人は、タキシードでバッチリ決めたつもりなのだろう。
それを、いかな美少女であろうとも、こう言われてしまっては、相手がいきりたつという物。
基本的に、「怒り」モードに入った者の攻撃力が上がるということを、知っていて言ってるのだとしたら、相当のツワモノである。
「キラウェアと戦いたければ、まず私と戦ってくださいまし?」
にっこりと微笑み、軽く首を傾げられると、思わず笑顔でハイ、なんていいたくなる。そんな美少女を前にして、男は明らかにうろたえたようであった。
「……ふぁ、ファラウ…………。」
疲れたような声で、キラウェアが少女の名を呼ぶ。
彼女は自信ありげな微笑みを浮かべて、細長い棍を両手で掴んでいる。
身構えもしない彼女のそんな仕草は、ちょっと今からお洗濯をしますの、と言って洗濯棒を片手に、何をしたらいいのか分からず佇んでいる、どこかのお嬢様のようであった──そこまで思うと同時、そのお嬢様は私の娘だよ、とキラウェアは心の中で突っ込んだ。
「お嬢さん……? そんな細腕で、一体何をしようと言うのだ? おとなしく家に帰って、お茶でも習っていた方がいいぜ?」
どう見ても華奢で、どう見てもか弱そうな美少女を前にして、戦え、なんていわれても、とうんざりした顔で告げた男に、ファラウは驚いたように片眉をあげて見せた。
「確かに、お茶でも習っていた方が有意義かもしれませんけど──。」
くり、と小首を傾げる少女の「言い分」を、きっちりと理解したキラウェアは、それが嫌味だと男が悟る前にと、彼女の前に片腕を示すようにして通路を防いだ。
「ファラウ。危ないから、ここは下がっていて……。」
しかし、それでおとなしく下がっていてくれるようなら、カシムやテオが噂を聞くようなことにはならないのだ。
「大丈夫ですわ。最近、暇で暇でたまらなかったの。この辺りで運動して置いたほうが、良い感じ?」
花も綻ぶような笑顔とともに、少女は手にした棍を握る手に力を込めた。
「ファラ……っ。」
意図を悟ったキラウェアが鋭く注意を叫ぼうとするが、それよりも早く。
「それでは、参りますわ。」
とん、と軽やかな舞うような足取りで、少女は地面を蹴った。
そして。
ヒュンヒュンッ――どごっ!
結果は、あっけなく着いた。
「ああ……。」
キラウェアは、目の前に倒れ伏している男を眺め、ぱちん、と自分の額を叩いた。
こっつん、と地面に棍の先をつけて、ファラウは軽く眉を顰める。
「まぁぁっ! 信じられませんわっ! こんなヨワヨワで、キラをお嫁さんにしようだなんて、百万年早いですわよ、ほんとっ!」
きっぱりと言い切った彼女へと、
「ファラウ……もう少し、手加減というものが──。」
痛くもない頭痛を、唐突に覚えたらしいキラウェアの、疲れたような声が割ってくる。
くるり、と振りかえった少女は、頬にかかる髪を軽く掻き揚げながら、
「どうして? だって、この人、貴方を負かせて、あなたを貰いうけようとしているのでしょう? なら、徹底的にぶちのめしておかないと、もう少し修行すれば、望みがあるかも、なんて無駄なことも思わなくなるでしょう?
少しの希望も、ちゃんと削ぎとっておくのも、大切なことですわよ?」
無邪気に、悪気無く笑っていってくれるから、彼女の育った環境を疑ってしまう一瞬である。
「……だからって、ファラウがわざわざすることもないだろう?」
今の暴れっぷりを見ていても、キラウェアの頭の中には、どうしても彼女の最初の日の発作が引っ掛かっている。
普段はどう見ても健康で、元気な少女で、どこが悪いのか分からないのだけど、時々、ふと数日間姿を見かけなくて、その直後に顔を出す彼女の頬が、少しこけていることもあるから、体が弱いのは本当なのだろう。
それを思うと、彼女が思い切り良く戦うのを、安心して見てはいられないのだ。
なのに。
「あら、ダメよ。だってわたし、キラのこと好きだもの。そんじょそこらの男にやるわけにはいかなくてよ。」
彼女は、手にした棍をヒュンと振るって、そんなことを言ってくれるのだ。
「そんじょそこらのって……ファラウの腕に勝てる男がいたら、そのほうが凄いよ。」
事実、テオやカシムに言った事は、事実であると、毎日のようにファラウの棍の腕を見ているキラウェアは思うのだ。
力はない分、スピードと技術力に優れ、更に元々賢いためだろう、相手の弱点を見ぬくのも早い。
だから、力任せの男は、一瞬の隙を付いて倒されてしまうし──ファラウが相手をして苦手な人間は、きっと彼女と同じ質を持っている者くらいだろう。
現に、カイ先生相手には、まだ一本も取れない、とたまにグチを聞かされるから。
「あら、でも皇太子殿下は、きっと私よりも強いわ。
あと、カシム様とか、テオ様とかいう小隊長方もね。違って?」
皇太子殿下というのは、当代皇帝の第一嫡男であり、第一位王位継承者であるバロバロッサ=ルーグナーである。
将来的に、彼に仕えることになるだろうキラウェアもテオもカシムも、彼とは何度か手合わせをしたことがあるが、何度か剣を交えただけで、彼が相当の使い手であるということは分かっている。
それは同時に城下にも知れ渡っていて──実際の腕前よりは、何割か素晴らしく聞こえてはいるのだろう。
だからこそ、ファラウの口から真っ先にその名が挙がったのだろうが。
正直、他に並びたてられた剣の達人の腕前を知っているキラウェアとしては──今の所、将軍の次にテオというところだな、という事実を心の中だけで呟くことにした。
「さぁ、どうだろうね? ファラウが女の技も磨いたら、きっとお三方も叶わないさ。
ああ、もっとも、皇太子殿下は、皇太子妃様に一途な方だけどね。」
くすくすと、からかうように口にした後に、尊敬している皇太子殿下の悪口と捕らえられてしまったら、不敬罪扱いされるかもしれない。
「?? 何、それ?」
けれど、純粋培養らしい少女は、意味がわかりかねると言いたげに小首を傾げた。
その仕草が愛らしくて、彼女にはそういう取引を覚えて欲しくないものだと思った。
ファラウには関係のない世界だよ、と軽口で告げようとした瞬間、少女は唐突に顎を大きく引き上げた。
「……あ! 診察っ!! 大変っ! 先生をお待たせしているわっ!!ごめんなさい、また今度ねっ!」
そして、慌てて身を翻したかと思うや否や、片手を大きく振ることで別れの挨拶をして、彼女は颯爽と角の向こうへと消えた。
呆れたように手を振り返し、やれやれと、キラウェアはため息をこぼした。
「まったく、大事な診察を忘れてどうする気だ、あの子は。」
まるで嵐のような少女だと、見かけに似合わない評価を彼女へと下したその瞬間である。
「キラウェア。何やら騒々しいようですけど?」
不意に、雑多な城下に似つかわしくない、通る声が聞こえた。
やや跳ねあがるような語尾と、貴族が好んで使うしっとりとした抑揚。
宮殿に住まう王族や王族の血族達が使うそれを、あえてこの城下で使う人間の心当たりは、たった一人しかなかった。
心優しい貴族様と知られてはいる彼は、舞踏のような剣技と魔術を使う有力な将軍候補であり、皇太子の覚えもめでたいのは、同じ立場であるキラウェアも良く知っている。
「ミルイヒ殿か。いや……また、な。」
微妙な物言いをして、相手の──今日も見事な井出立ちに苦笑を覚える。
初めて出会った頃は、そんな彼の衣装や小物のすざましさに、共に歩くのを嫌がったものだが、最近はどうとも思わなくなってきている。何せ、ミルイヒのこの趣味を、城下の人間も余さず知っていて尚、彼を慕っているのだから。
「おや──またですか。」
言いながら、彼は優雅に幅広い帽子を直しつつ、足元に倒れている男を見やった。
その背後からゆっくりと歩み寄ってきた男が、楽しげに喉を鳴らしながらそんなタキシード姿の青年を見下ろす。
「はは、綺麗な未亡人も大変だな。」
「……テオ……。」
おそらくは、ちょうど休憩時間が一緒であったのだろう。
共に歩み寄ってくる二人は、彼らが同僚のような存在だと思わない限りは、どういう関係なのか首をひねる所である。
「お前が、自分に勝った者の嫁になるなどというからだぞ、これは。
……お前の財産目当てに男が寄ってくることもあるってこと、ちゃんと分かってるなら、何も言わないけどな。」
やれやれと言いたげに、弟のように思う幼馴染が、倒れた男の隣にしゃがみ込む。
「……おや、これは、脳天を棒か何かで直撃したような………………。」
そんなテオを見下ろしながら、ミルイヒは軽く眉を顰める。
まさか、鞘で殴り飛ばしたのですか、と呆れたような視線を向けてくるのに、
「違う。それは、私じゃないぞ?」
キラウェアは、軽く肩を竦めて答える。
「もしかして、例のファラウ嬢がここに居たのか?」
青年の怪我具合を確かめていたテオが、面白そうに顔を上げて尋ねてくる。
そんな彼を憎憎しげに睨み、そうだ、と頷いてやる。
「ああ、聞いたことがあります。滅法強い、キラウェアの用心棒が居るとか。
……用心棒を雇ったのですか?」
そりゃ、あれほど毎日毎日襲われたら、雇わないとたまらないのだろうけど。
ミルイヒも青年の怪我の具合を見やり、見事なほどの峰打ちですね、と感心する。
脳天の直撃も、それほど重大なダメージではない。
「ほとんどが2、3日の間、アザになる程度の物だな。」
感心したようなテオの台詞に、ミルイヒも頷く。
「用心棒じゃないんだがな……。」
「噂では、綺麗な顔をしているらしいけどな。」
たわむれのように、テオが笑い──ふと、青年のすぐ側に落ちている物に気付く。
「……なんだ、これは?」
きらり、と陽光を反射して光るそれを手にすると、テオの手の平の上で煌く、小さな髪飾りだった。
淡い銀色の輝きは、鈍い色ではなく、輝くばかりのそれで、メッキか何かかと思ったのだが、重みが違う。
「……プラチナ?」
この男が、キラウェアに渡そうと持ってきたのだろうか? それにしては、可憐な花が咲いたような細工の髪飾りは、キラウェアに似合いそうな物ではなかった。
「それは、今日ファラウがしていた髪飾りじゃないか……。」
彼女が漆黒の髪に身につけていた、銀の鈍い光がコレであったはずだと、キラウェアはテオから受けとろうとした、その瞬間。
がさっっがさがさっっ
キラウェア達が立っていた、すぐ隣の茂みが、大きくゆれた。
「ん?」
ミルイヒが、軽く眉を顰めてそちらへと注意を払う。
いつもの癖で、右手はすでに腰に佩いた剣へ伸びていた。
と、突然緑色の茂みが小さく避けたかと思うや否や、にょきっ、と、白い素足が露になった。
そして、茫然とする面面の目の前に、茂みを掻き分けるように両手が飛び出し、そのまま勢い込んで、
「やっばーいぃいっっ!!」
しなやかな体の少女が、飛び出してきた。
ひょいっ、と足で無理やり地面を蹴って、茂みから飛び出た少女は、そのまま、ぶし、とすぐ目の前にしゃがんでいたテオの頭を踏みつけた。
「ぶっっ!」
思わず零れたテオのうめき声は、
「ふぁ、ファラウっ!? ど、どこから!」
驚いたキラウェアの叫びにかき消される。
地面にしては柔らかな感触のする人間の上にしゃがみ込んだ態勢で、ファラウは彼女を見上げると、大きく目を見開いた。
「あっ! キラ!! ここに髪飾り落ちてませんでした!? お兄様から貰った物なのっ!」
ぶしぶし、と地面を叩くつもりで、ファラウはテオの頭を叩く。
しかし、真剣な表情でキラウェアを睨み上げているファラウは、そんなことにも気付かない。
「ぐ……。」
さしものテオも、女を放り出すわけにもいかず、必死の思いでこらえている。
その様子が面白くて、キラウェアは笑いをかみ殺すのに必死になりながら、それだったら、と指差そうと思った瞬間であった。
「えーっと……ファラウ殿──……でしたか?」
ミルイヒが、おずおずと腰をかがむようにして、少女の後姿に声をかける。
さすがにこのままにしておくには、テオが不憫であった。
「え? あ、はい?」
ファラウは呼ばれた声に、振りかえろうとして──ぐらり、と体が傾いだ。
「……??」
不安定な柔らかな体から、落ちそうになったファラウを、やんわりとキラウェアがとどめ、
「ファラウ。その上からどいてやってくれないか?」
笑みをかみ殺しながら、真下のテオを指差して見せた。
きょとん、と目を瞬いたファラウは、ゆっくりと視線を落とし……自分の体が不安定だった原因を、悟った。
「……あ、ああああっっ!? やっだぁ、ごめんなさい! 私ったら、なんてことをっ!」
そして、叫ぶと同時に、慌ててテオの上から飛びのく。
そして、そのまま必死の思いで堪えている男の肩を掴んだ。
「大丈夫ですかっ!? やだっ! 顔が潰れて……あら、元から? これ?」
「ファラウ──それは、さっきお前が倒した男だ。」
ファラウの隣にしゃがみ込んで、それは違う、とパタパタと両手を振った後、こっちだ、とキラウェアは自分の幼馴染を指差した。
上から異物がどいたため、自分の頭をさすっているテオは、その場にしゃがみ込んで眉を寄せていた。
ファラウはそれを認めて、自分が肩を掴んでいた青年の体を置くと、
「ごめんなさい。」
柳眉を寄せて、謝った。
「…………。」
「これは──。」
正面から見つめる少女の、可憐なまでの愛らしい表情に、貴族の娘達のすました顔や、取り繕ったような笑顔になれていた、無骨な男どもに。
「見蕩れている場合じゃないだろうに、二人とも?」
くっくっく、と笑いをかみ殺すようにキラウェアが忠告する。
その言葉に我に返った二人を、不審そうにファラウが見つめる。
「? 何のこと?」
「いや、何でもないさ。ところでファラウ。髪飾りというのは?
確か、先ほどテオが拾ったような、と視線を向けると、テオが手元を見て、ああ、と低くつぶやいていた。
「あ! そうなのよ、キラ! お兄様から貰った髪飾り! 落しちゃったの。さっきの乱闘のときだと思うんだけど……んも、だからちょっとやそっと暴れたくらいじゃ落ちないような髪飾りにしてくれって、言ったのに。」
ファラウは、自分が踏んでいた人間がそれを拾ってくれているとは思いもしなかったのだろう。
彼女は、少し困ったような顔でキラウェアにそう告げる。
見た目だけなら、可愛らしくおとなしい少女そのものであるというのに話している内容が内容であった。
「普通の人はそんなに暴れないからだろう?」
呆れたように額に手を当てたキラウェアの言葉に、しれっとして、少女は言い切った。
「あら? カイ先生直伝の奥義も出していないんですもの。暴れたことには入らないわよ。あんなの。」
平然と言い切る少女の、勇ましいとも言える言葉に、
「勇ましいな。」
テオが、手の平の銀の髪飾りをもてあましながら、そう感心してみせた。
思いもよらない所からの話しかけに、ファラウは大げさに両肩を跳ねさせる。
「きゃっ! び、びっくりした。居たんですか?」
「…………────。君が探しているのは、これかな?」
溜息を押し殺すのを堪えつつ、テオは手の中にすっぽりとおさまる、華奢な作りの髪飾りを差し出した。
ファラウはそれを認めた瞬間、みるみるうちの顔をほころばせた。
「それです、それっ! ありがとうございます!!」
差し出される綺麗な髪飾りを、両手の平で受けとめ、大切にそれを抱え込む。
一度目を閉じ、その感触と存在を確かめてから、ファラウはゆっくりとテオを見上げた。
「ありがとうございます。私、ファラウって言います。」
にっこりと、綻ぶような笑みを浮かべられ、テオも口元をほころばせる。
「オレはテオ。テオ=マクドールだ。」
あのまま放っておいても、少女はきっと髪飾りを見つけたに違いないのだろうけれども。
こうして感謝されるのは、酷く嬉しいものなのだ。
しかし、テオが名乗った瞬間、ファラウの笑顔は拭き取るように消えた。
変わりに、驚愕が彼女の顔に映し出される──かと思うや否や、
「テオっていうと、あの、女好きのテオ将軍っ!?」
思い切り良く、叫んだ。
それも、この辺り一帯に良く響き渡るような大声で。
「あーっっ!! こらっ! ファラウっ!!」
「ふがっ。んー、ふがふが。」
慌ててファラウの口を抑え込んだが、すでに遅く、幼馴染の男前は、無言でキラウェアを睨んでいた。
「……キラウェア、お前何を教えたんだ?」
「あ、あはははは。」
乾いた笑いを漏らすキラウェアが、まぁいいじゃないか、と片手を左右に振って告げたのに、力が緩んだ彼女の手を外し、ファラウは大きく空気を吸った。
「苦しかった……。」
そして、軽く左右に首を振って、髪飾りを手早く頭につけた瞬間、辺りに響き渡るような鐘の音が鳴った。
定時に鳴るその音を耳にして、一同が顔を上げる。
「あっ……やばいっ! 行かなくちゃっ!
それじゃ、皆様、ごきげんよう。」
ファラウは、あわただしく立ちあがると、そのままスカートの裾を抓むような仕草をして、軽く一礼する。
まるで貴婦人のような仕草であったが、格好はまるでそれとは似つかわなかった。
けれど、面白く映ることもなく、少女はそのまま身を翻す。
慌しい少女の後姿へと、キラウェアは慌てて声をかける。
「気をつけて行けよっ!」
「だーいじょうぶーっ!!」
すぐ側の角を曲がる間際、彼女は元気良く左手を振って、キラウェアの言葉に笑って答える。
弾けんばかりの笑顔が角の向こうへ消えて、キラウェアは自然と浮かんでいた微笑をかき消す。
なんとも言えない顔つきで、テオが立ちあがった。
その隣で、一連の出来事を茫然と見ていたミルイヒが、感心したように顎に手を当てた。
「元気な少女ですね。それに、なんていうか……珍しいタイプの女性です。」
複雑な顔をしてみせるミルイヒのファッションセンスも、相当「珍しい」類ではあるが、彼はそうは思わないようであった。
そんな彼の目にも「珍しい」と映ってしまうファラウは、一体どうなんだろう、と思いはするが、別にそれは全くの別問題なので、どうでもいいことである。
「確かに……あいつは、このグレッグミンスターに治療に来ているらしいんだが──。」
それにしちゃぁ、ずいぶんと元気でたくましい。
初めて出会った頃の、あのか弱く消えそうな少女は、一体どこへ行ってしまったのだろうか。
「治療? というと、どこか悪いのか、彼女は。」
どう見ても、元気そうにしか見えないのだが?
と、軽く首を傾げるようにしてテオが尋ねる。
彼の問いには、ミルイヒも同意らしく、こっくりと頷いた。
「ずいぶん勇ましい、元気そうな少女のようですが? ──さきほど、先生と言っていたようですが、医師の事なのですよね?」
目には分からない重い病を持っている者が居ることは、ミルイヒ達にだって分かる事だ。
しかし、治療に来ている、という言葉に余りにも不似合いすぎる元気な少女は、「入院患者」というよりも、「下町のアイドル」というほうがお似合いである。
「そうだ。噂に名高い名医、リュウカン医師だ。あの医師にかかっても、ムズカシイといわれている病らしい。」
「………………。」
アレで? と、言いたい気持ちを目線で尋ねる男どもへ、キラウェアは苦笑にも近い笑みで頷く。
「時々姿を見かけないし、そういう期間の後は必ず、やつれている。」
「──……不憫だな。あれほどの腕前なら、戦士にもなれるだろうに。」
少し重い口調でそう呟いたテオに、ミルイヒは呆れたような目を向ける。
「女の子に対して、そういう見解はないと思いますよ?
──まぁ、テオらしいと言ったら、テオらしいですけど?」
「そうか?」
一体何が悪いのかと、眉を寄せる男を、キラウェアは軽く拳で叩いてやった。
「どっちにしても、あんたみたいな女に本気になれないような男を近づけるつもりはないからね?
もし、町中でファラウを見かけても、まっすぐ回れ右しなよ?」
「…………なんだ、それは?」
どういう意味だと、うんざりしたようなテオへと。
「あんたは、自分が思ってるよりも良い男だってことさ。」
誉めてるはずの言葉だったが、言い切ったキラウェアの言葉は冷たい。
何を言うのかと、目線で尋ねてきたテオへと、
「私は、ただ、あの子が幸せになってくれればと思うだけさ。」
キラウェアは、娘の事を語るような目で、彼女が消えて行った街角を見ながら、そう答えた。
NEXT?
坊のパパンとママン出会い編ということです。
えー……ママンの性格設定は、坊に似通ってますが、ネガティブにアクティブな性格です。
恋愛に対しては、憧れてはいるけど、自分とは縁のないものと考え、ミーハー万歳で生きていこうと思っている感じです。
…………続きみたいなぁ、って奇特な人がいたら、続くかも。
目指すは「泣き」路線ですが、たぶんきっと、私には無理かも…………(T_T)。
「ねぇ……テオ様?
幸せって、たくさんあると思いますわ。
その中で、私達は、幸せを選んで生きていきますの。
私は、テオ様の側に居られる幸せよりも、テオ様が幸せな笑顔を浮かべているのを見ている幸せを取っただけですのよ?
テオ様が、ステキな女性と出会って、その方と幸せな結婚をして、幸せな生活を送る。
それを考えただけで、ほら、こんなに幸せな気持ちになれますの。
私は、これで十分。
ちょっと欲張って言えば、テオ様に良く似た子供が見れて、それを抱きしめることを許して貰えたら、すごく、すごく幸せになれます。
だから、テオ様には素晴らしい女性が現れてくれたらいいと思いますの。
私が、大好きなテオ様に。」
「なぜ……なぜ自分がそうなろうとは思わない?」
「……だって私、テオ様の幸せな姿が見たいんですもの。
私では、テオ様を幸せには、できないから…………。」
こういう感じの、ラブストーリーちっくになる予定。
予定は未定。
とりあえず、次回! があるなら、ファラウがテオに恋に落ちる話になるはずっ!
──しかし、夢みるようなドラマティックな恋愛ストーリーを想像している方は、諦めて下さい(笑)。