両手に抱えて持つほどの大きさの籠の中に、白さが眩しい布が山盛りになっている。
水を含んで重くなっているそれを、勢い良く抱え上げて、グレミオは慣れた足取りで裏庭に出た。
良く日差しの入り込む暖かな裏庭は、太陽光をたっぷりと含んだ暖かな地面が広がっている。
その一角に、大きめの岩と竹とで作った、急ごしらえの洗濯干し場があるのだ。
つい先日まで使っていた表の庭の洗濯場は、どこぞの美少年によって壊されてしまったため、容疑者一同に強引に作らせた品であった。
ややいびつであったが、丈夫なロープを張れば、この屋敷に居る人間の洗濯物を干しても撓むことがないほどの出来ではある。
その、細いながらもしっかりとしたロープの下に、洗濯籠を置くと、グレミオはふぅ、と額に出た汗を拭った。
そしてそのままの動作で空を見上げ、唇をほころばせた。
「今日もいい天気ですねぇ。」
この分なら、表の庭と違って良く風が吹き込まない裏庭でも、昼過ぎには乾いてくれるだろう。
そう思いながら、腰をかがめて籠の中の洗濯物を手にした瞬間であった。
どっごーんっ!
ぱりぃぃんっ!!
グレミオの後方――質実剛健を旨として作られたお屋敷から、そんな乱暴な音が聞えたのは。
*
「ちぃっ! なんで避けるかなぁ、シーナはっ!!」
荒々しく舌打ちをして、リオは顔を大きく歪めると、左手に残った魔力の残骸を捨て去るように、乱暴に左手を振った。
それと同時、左手に残っていた帯電した空気が、風に溶け込むように消えていく。
そして、その彼の正面に、つい先ほどまで立っていた青年は、思い切り良く割れたガラス窓の左手――砕け散ったガラスの届かない場所で、絨毯の上に転がっていた。
慌てて左手一本で起き上がると、彼は腰に佩いた剣を抜き放つ。
父から借り受けているキリンジは、割れた窓から差し込む光を反射して、きらり、と光った。
「避けなかったら、直撃だろうがっ!」
「直撃するように狙ったんだよっ! おかげで、窓が割れちゃったじゃないかっ!!」
言いがかりもはなはだしいことをおっしゃってくださる少年は、軽く唇を尖らせる。
そうしていると、まだまだ幼い外見ともあいまって、可愛く見えないこともないのだが――先ほど行ってくれた攻撃が攻撃である。
「あほかっ! どこの世界に、激怒の一撃なんかを喜んで食らう人間が居るんだよっ!」
「この間、カーンさんがシエラさんから食らってましたー。」
叫び返して、ついでに右手の土の紋章の力を開放しようとしたシーナへ、すかさず突っ込みが入る。
その突っ込みの主であり、この屋敷の主でもある少年は――この怒涛のような騒ぎが展開されている応接ソファの一角に、堂々と座っている。
さらに帯電した空気のおかげで、テーブルの上には零れた紅茶や砕けたクッキーなどが落ちている。
一連の騒ぎの現場となった応接セットは、「激怒の一撃」のおかげで、大きな地震が起きた後のような状態になっている。
にも関わらず、ちゃっかりと右手を上げて突っ込んでくれた主は、自分の分の紅茶とケーキを確保していたし――シーナと同じソファに座っていたはずのルックも、いつのまにか紅茶とケーキの皿を持って、屋敷の主様の隣に移動している。
その行動の素早さと言ったら、戦闘中の動き以上ではないかと思われる。
「あれは違うだろーがっ! つぅか、お前らだけ逃げるってぇのは、卑怯じゃないのかっ!?」
背もたれと床とをくっつけた状態で倒れているソファの向こうから、シーナが叫ぶ。
剣を左手に持ち替えながら、土の紋章の力を開放することに意識を向ける。
けれど、それよりも早く、「敵」の呪文が完成する。
「雷撃球っ!!」
ぎゅぉんっ! と空気が歪む音がする。
シーナは慌ててソファから飛び出し、頭上に現れた帯電する球を見上げた。
このままでは、戦闘不能になってしまうと、彼は大きく歪み始める――スパークする球に脂汗をたらす。
「いやぁ、この出来事に口を突っ込んじゃうと、ほら、僕も共犯者だってグレミオに思われちゃうからさー。
もう、昨日のルック君セクハラ事件で、グレミオから説教貰うのはコリゴリだし。」
そんなシーナの、命の危機にまるで頓着せず、スイは呑気に紅茶をすすっている。
ソファの肘掛に腰を落としたルックもルックで、冷静な瞳をスイへと向けると、
「誰のせいで、あんなことになったと思ってるんだよ?」
「うーん……単に、ルックがドレスを着なくてはいけないような状況を作り出した、シーナのせいかと。」
むむむ、と難しい顔で悩んでくれるスイに、ルックは心底嫌そうな顔になる。
それから、そのまま興味を失ったかのように視線をずらした。
その視線から外れた場所で、シーナは迫り来る雷撃球と戦っていた。
――が。
ががががっ! どっぉーんっ!!
どれほど逃げたり無効化しようとしたりしても、結局土の紋章の力を開放することが出来なかった人間の上に落ちてしまうのは、仕方のないことなのであった。
「が……っ、がぁぁぁっ!!?」
バリバリバリバリッと、思い切り良く帯電するシーナに、それを放った張本人であるリオは、満足げな顔で頷いてみせる。
「やっぱり、犯罪者には罰を与えないとダメですよね、罰をっ!」
うんうん、ともっともらしく頷いているリオに、スイは朗らかに笑いかける。
「じゃ、このリビングの窓を壊したリオにも、罰は居るかな?」
さりげに掲げられるのは、無言で紅茶を飲み続けているルックの右手。
がしり、と華奢なルックの手首を掴んで、無理矢理右手を掲げて見せるスイの目は――本気で笑っていた。楽しそうに。
だからこそ、余計に背筋が凍るものを覚えたわけだが……フリックやビクトールなら、この場で速攻逃げていただろう。しかし、リオは違った。
自分がしてしまった不可抗力に、ちゃんと気づいていたのだ。
「う……す、すみません……つい、カーッってなっちゃって…………。」
しょんぼりと首を落とすリオに、スイもそれ以上怒るつもりはなかったらしい。
クスクスと柔らかな笑い声を零すと、嫌がるルックの手首を簡単に放してやった。
ルックは自分の手首を奪い返すと、そのまま視線を窓へと向ける。
思い切り良く割れたガラス窓からは、涼しい風が入り込んできていた。
レースのカーテンが、大きく膨らんで揺れている。
「ああ……随分といい風が入ってくるじゃないか。」
「う……っ。……僕、グレミオさんに言って、ほうきとちりとりを貰ってきます……。」
「そ……そのまえに……俺を…………なおしてけ…………。」
ヒクヒクと、瀕死のシーナが小さく悶えながら呟いた台詞に答える声はなく、リオはそのままショボンと肩を落としてドアの向こうへと消えていった。
それを笑顔で見送った後、さて、と優雅に紅茶を啜ったスイは、目の前の窓の残骸を見て、柔らかに微笑む。
「いやー、風通しが良くなったもんだねー。
この弁償金は、レパントとシュウ殿と、どっちに回しておいたらいいかな?」
笑顔で尋ねるスイに、ルックは興味なさげに一瞥した後、ずず、とわざとらしく音を立てて紅茶を啜った後で、
「両方に回しておいたら? どうせ、バカ息子とバカ軍主の醜聞を隠すために、どっちもまともな確認もせずに金を出してくれるだろうさ。
――僕には、その半分を迷惑料として払ってくれたらいいよ。」
しれっとして、ヒラリと片手を差し出す。
そんなルックの片手に、パシン、と掌を叩いて見せたスイは、
「そういう口止め料は、僕じゃなくってシーナとかリオとかの請求してくれるかな?」
ん? と笑顔で笑った。
死にかけのシーナは、どっちでもいいから回復させるか、治療しやがれ――と憎憎しげな口調で呟くが、解放軍時代からの悪友達は、さっぱり聞いてはくれなかった。
「――それじゃ、一つ尋ねてもいいかい、スイ?」
「何さ?」
「どうして君、リオの呪文を無理矢理封じなかったのさ?
こうなるって分かってただろうに?」
冷ややかな美貌で尋ねるルックの言葉は、どこか勝ち誇った表情を宿していた。
スイは、チラリ、とそんな彼を見やった後、ヤレヤレとため息を零して、かちゃん、と音を立てて紅茶のカップをソーサーの上に置いた。
「君なら、リオとシーナを巻き込んで、サクッと呑んじゃうくらいのことはするかと思った。
――二日連続でグレミオさんに怒られるくらいなら。」
ふ、と。
この上もない極悪な微笑みを浮かべてみせるルックに、ヒンヤリとした空気がシーナの上に落ちた。
この空気が、「死神」なのだといわれたら、シーナは信じてしまいそうだった。
「そんなことはしないよ。――うちの屋敷を壊されるくらいなら、サク、って後ろからドツクくらいはしたけど。」
「………………じゃ、なぜ?」
「別に深い意味はないよ? ただ、このリビングの窓、ヒビが入ってただけだから。」
あっさり。
思い切り良く、「リオがシーナに怒るのを放っておいた二人のうちの一人」は、何の気負いもなく白状したのであった。
「おっ、おい……っ、お前……っ。」
ガガガガ――と、床に爪を立ててギリリと睨みつけたシーナに、ほんの一瞥を寄越すこともせず、ルックはなるほど、と一つ頷いた後、
「それなら、しょうがないね。」
これまたアッサリと、スイの言い分を通したのであった。
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