「断固反対ですっ!!」
きっぱりはっきりと言い切って、彼は部屋とも呼べない部屋の入り口に――扉も何もない、ただの通路を区切ったような場所に――立ちふさがった。
そして、両腕を左右に広げ、彼はきつい目を、更にきつく見せるような勢いで、自分の小さな主を見下ろした。
「じゃぁ、何か? お前は、僕に寝るなとでも言うのかよ?」
まったく、と呆れた風に腰に手を当てる少年に、そういうわけじゃ……と口ごもりながら、彼は一瞬手を下ろしかけるが、下手な隙を見せることがどれほど危険なのか、一瞬で思い出し、すかさず気合を入れて両手を広げた。
それを呆れた眼差しで、彼の同僚の女が、
「あんたね……今更だろうが? 何より、あんた自身だろう? ぼっちゃんがおっしゃることに、従うって言い切ったのは? 違うかい?」
ん? と顎を突き出すように問われて、ぐぐ、と黙り始めたグレミオであったが、すぐに顔つきを改めると、
「それでも、反対なものは反対なんですっ!!」
いつも洗濯や掃除や料理で鍛えている、逞しい腕に力を込めた。
「だからさー。」
疲れたように、今一度彼を説得しようと、少年が口を開けるが、
「ぼっちゃんをこんなところで寝かせるくらいなら、徹夜していただいたほうが、マシですっ! とにかく、グレミオが掃除を終えるまで、絶対に寝ないでくださいよっ!!?」
きっぱり言い切り、グレミオは自分の懐から布を取り出すと、慣れた手つきで髪を纏めた。
さらに違う布を取り出したかと思うと、それでしっかりと口元まで覆いはじめる。
「ええええーっ!? グレ、めちゃくちゃ横暴ーっ!!」
顔をゆがめて叫ぶ少年を見やり、女は重いため息を零す。
「ぼっちゃんは、色々あって、お疲れなんだよ? それなのに、徹夜させる気なの?」
キッ、と下から睨みあげるクレオへ、いつもならタジタジになるグレミオの強い眼差しが閃く。
「そうです! たとえ、テオ様に言われても、私はぼっちゃんをここで寝かせるつもりはありませんからねっ!!」
いつのまにか、完璧な掃除おばさんになったグレミオは、そのまま背後を振り返ると、薄汚い壁に囲まれた空間を睨みつけた。
べっとりと足跡がついた薄汚れた床、くすんだ黒い染みがついた壁。
グレミオは狭い空間内のそれらを強い眼差しで一瞥する。
小さな蝋燭――それも、蝋はわざと小さく切ってあり、節約されて小さい炎が宿っているだけ――の灯りに照らされている室内は、汚いというよりも、薄暗いという印象の方が強い。
ただ、通路の脇を流れている川の音と、男が密集しているせいか、独特の匂いが立ち込めていたが。
「染みは取れないとしても、せめてこのカビと、床の汚さだけはなんとかしませんと――そうですね、表で壁紙と布を買ってきて……。」
ぶつぶつと呟くグレミオに、コリコリ、と少年は米神を掻いた。
「……別に、昨日まで普通に野宿してたんだから、今さら床に寝ようと、気にすることもないと思うけど。」
「――……まぁ、せっかくお風呂に入った後なのに、床で寝るってのは、抵抗ありますけどね。」
女が苦笑いを少年へと見せた、その時であった。
「一体、何の騒ぎなの?」
驚いたような顔で、スラリとした女性が姿をあらわしたのは。
はっ、と振り返った女性と少年へ、すばやく視線を走らせた女性は、続けて通路の突き当たりのようになっている「部屋」を見やり――柳眉を顰めて見せた。
「えーっと……グレミオさん、でしたよね?」
軽く首を傾げる彼女の、戸惑いが現れている容貌は、初対面の時のような凛々しさよりも、年頃の娘らしい表情が勝って見えた。
「何を、して……らっしゃるの、かしら?」
「消毒ですっ!」
きっぱりはっきり言い切るグレミオが、凛々しい表情で振り返った。
それを眺めて、娘は額に手を当てている女性と、ヤレヤレといった顔つきの少年とを見比べた。
「スイ君、クレオ? あの人って――潔癖症だったり、する?」
怪訝げな顔で、グレミオを示す彼女へ、
「綺麗好きではあるけど……そういうわけじゃ、ないよ。」
「僕――別に、純粋培養になるつもりなんてないから、適度に黴菌付けたいんだけどなー。」
うーん、と軽く首を傾げる少年へ、顎に手を当てて、彼女は軽く首を傾げてみせる。
「適度に黴菌って……そんなに汚れてないわよ、ココ? 毎日、フリックが掃除してるし。」
指差す床も壁も、毎日掃除している、と言う割りには綺麗なようには見えなかったが――おそらくそれは、もともとが綺麗ではなかったというだけなのだろう。
「フリックって、あの青いマントの?」
尋ねたスイとクレオの眉間に皺が寄ってしまうのは仕方がないことだろう。
初対面の挨拶が挨拶だったのだから。
それに気付いたのだろうオデッサは、苦笑にも似た笑みを貼り付け、ええ、と短く答える。
「解放運動の副リーダーを務めているの、彼。」
「副リーダー自ら掃除をしてるの?」
素朴な疑問というか、抱いて当たり前の質問を返されて、オデッサは視線を天井に彷徨わせた後、
「彼――私に気を遣ってくれているみたいで……。」
と、微妙に口を濁した。
そんな彼女の言葉に、クレオとスイはチラリと辺りを見回し──まぁ確かに、この場所は、若い娘には不向きな場所だな、と結論づける。
実際グレミオも、大切なぼっちゃんをこんなところで生活させるわけにはいかないと、俄然張り切ってるようだし。
「ん〜……ま、このままグレに任せておけば、そのうち…………フローラルな香とか、してくる……カモ?」
言外に、今は悪臭がすると、訴えるスイに、オデッサは眉間の間に濃い皺を寄せて見せた。
それから、……こほん、と小さく咳払いをすると、すぐ間近を流れる汚れた流れを見ながら、
「確かに今は、いい香りではないけれど──いい香りがすることもあるのよ。」
「──こんなところでかい?」
いくらグレミオでも、掃除や消臭剤ごときで、どぶ川の香を妨げることが出来るのだろうか?
そんな顔で下水を見つめていたクレオに、オデッサは自信満々の表情で頷いた後、
「そう! 宿がお風呂の時間になると、フローラルな香がしてくるのよ!!」
バンッ、と、手のひらで、今はなんとも言えない香を放っている下水を示して、キラキラと目を輝かせてくれた。
「…………………………………………。」
「……………………ぇーっと──……、それって…………、風呂の下水の匂いって……言わないかい?」
なんと答えていいものか、と首を傾げて悩む「まだ世間にもまれて居ないぼっちゃん」の隣で、クレオは米神辺りを引きつらせながら、突っ込んで見た、が。
「時々、自前のシャンプーを持ってくる人が居て、その人がお風呂に入ってる時は、また格別の香りがするのよ!!」
長く下水生活に慣れてしまっているオデッサには、突っ込みは効かなかった。
クレオは、そんなオデッサの顔と、掃除スタイルに入っているグレミオと──そして、すぐ近くを流れている下水道を順番に見た後、
「……………………。
…………ぼっちゃん、なるべく早く、テオ様の元にいけるよう、努力しましょう。」
────ポン、と、スイの肩を叩いて、そういうにとどめておいた。
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