「…………まぁた、この人は。」
呆れた声の中に、慈愛が見え隠れする。そんな声色で、グレミオは苦笑を零した。
彼が見守る先に居るのは、可愛くてしょうがない養い子である。
起きてるときは、一所にジッとしていることがないのかと思うくらい、ばたばたと走り回っている少年が、革張りのソファに横になっている。
上半身だけソファの上、足先が絨毯に届くか届かないか――そんな格好で寝ていては、起きてから肩が痛くなるに違いないのに。
やれやれと、愛しげに瞳を細めながら、グレミオは彼を見下ろす。
サラサラの黒髪を額に散らし、目を閉じて眠るさまは非常に愛らしい。
時折憎くなるくらいの悪戯小僧になるが、今はそれも面影を潜め、本来の整った顔立ちにあどけなさが残っていた。
グレミオは、そっと指先を伸ばし、主の額に落ちる髪を払ってやると、しばしその寝顔を見つめた。
そうしながら、あれ、と気づく。
彼は直接ソファに横になっているのではなく、何かを下敷きにして寝ていた。それも、わざわざ頭の部分が枕になるように、ふくらみをもたせているようである。
その下敷きになっているものの色は、どういうわけが、非常に見覚えがあった。
そう、朝から探していた――……。
「私のマントじゃないですか……。」
声を荒げると、主が起きてしまうために、どうしてもひそやかな声になってしまう。そんな自分を情けなく思いながら、グレミオは細い息を零した。
まるで猫のようだと、そう思いながらも、グレミオはマントを奪い取ることはなかった。
そのまま、彼の枕もとに腰をおろすと、無言で安らかな寝顔を見守る。
伸ばした指先に触れる髪は、柔らかで手触りが良く、そうして梳いているだけでこちらにも眠気が移りそうであった。
さらさらと、彼の髪をなで続ける。
優しいときが、静かに流れていく。
ただ無言であるときが、緩やかに流れていく。
どれくらいそうしていたのか、するり、とグレミオの指先から髪が逃げた。
あ、と彼が思うよりも早く、身じろいだ少年の眼が、ゆっくりと開いた。
まだ寝ぼけているようにぼんやりした眼は、真上にグレミオの顔を認めて、ふんわりと、笑った。
どくん、と自分の胸が大きく鳴った気がして、グレミオは手を止める。
少年は、左手を上げると、額に落ちる自分の髪を掻き揚げるように額に持ってくる。
そうして、髪が眼に入らないように額に手を当てると、芒洋とした眼差しで、グレミオを見つめる。
琥珀色の瞳が、まっすぐにグレミオを凝視している。
「起こしてしまいましたか?」
知らず詰めていた息をゆっくりと吐きながら、そう尋ねたグレミオに、彼はぼんやりしながらかぶりを振った。
そして、まだ開ききらない目を擦りながら、グレミオを見据えようとする。
仄かに赤くなった目元を見て、グレミオは憂いの表情を浮かべると、そっと掌を伸ばして、彼の手を捉える。
眠気がはっきりと覚めたわけではない眼差しを見つめ返しながら、グレミオははれぼったくなった瞼に、もう片手を当てる。
「どうぞ、お眠りください、ぼっちゃん。」
まだ、時間はあるのだから――……。
優しく囁いて、ぽんぽん、と肩を叩いてやると、すぐに少年は肩の力を抜いて、すとん、とマントに頬を落とした。
ゆっくりと唇が綻び、吐息がこぼれていく。
グレミオがそっと眼元から手を離すと、少年のあどけない寝顔があらわになる。
自分の顔の上からぬくもりが無くなったのを寂しいと感じたのか、そうではないのか――彼は、すり、と頬摺りをするようにマントに頬を埋める。
グレミオはしばしその寝顔を見つめていたが、やがて立ち上がり、苦笑を口元に刻んだ。
「さて――ぼっちゃんが起きる頃には、全ての準備が終わらせてしまわないと。」
自分に言い聞かせるように呟いた言葉が終わる頃には、グレミオの苦笑は抑えても堪えきれない微笑へと変換されていた。
どうしても緩んでしまう頬を軽く叩いて、しっかりしないと、と自分に言い聞かせる。
けど、嬉しいのは仕方がないのだ。
チラリ、と背後を振り返ったソファの上で寝ている少年は、まだ子供のようだけど――彼ももう14。「成人」と言い切れる年齢ではないけれども、兵になるために、軍の中で働き始めるにはいい時期だ。
そのために、彼は、明日――出仕することが決定したのだ。
明日のために、イロイロな人から、祝いや激励を貰い、少年も疲れてしまったのだろう。もちろん、緊張もあるし、不安もあるのだろう。
今夜は眠れないかもしれないですね――と思いながら、グレミオはまどろむ少年の顔を、もう一度振り返り……少しだけ寂しそうに微笑んだ。
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