兵舎へやってきたスイとグレミオの二人は、さっそく近くの兵士に、にこやかに――そう、二人とも、外面の良さにおいては、世界最高峰を誇るのである――尋ねた。
「マクシミリアンって、今どちらにいるかな?」
 スイの、優しくてさわやかな微笑みと、グレミオの穏やかで暖かな微笑みを前にして、かたくなな態度を取り続けられる人は、ほんのわずかである。
 事実、運の悪い兵は、あっさりとその笑顔を前に陥落した。
「あ、は、はい。今は、稽古を付けるとかで、道場の方に行かれています。」
「そう……ありがとう。邪魔したね。」
 さわやかに去って行くスイの後ろを、大きな荷物を背負ったグレミオが付いて行く。
 それは或意味不自然な姿であったが、なぜか兵は疑問を抱かなかった。
 ただ、二人の後ろ姿を、うっとりとした眼差しで見つめていただけで……。



「マクシミリアンに渡して、ゲオルグおじさんに渡して、タキおばあちゃんにも渡しておこう。
 それから――。」
 兵舎の一階へと続く階段を下りながら、スイが指折り確認して行く。
「ゲオルグ様もですか? それはちょっと……まだ老人と言うには、お若いのでは?」
 グレミオが難色を示すのに、スイはシレっとして答える。
「そんなことないと思うけど――今の時代を作った人、という意味を加えると、ゲオルグおじさんも入って大丈夫だと思うよ。」
 にこ、と笑ったスイに、グレミオは少し考えるように天井を見つめてから、
「私的に言わせてもらいますと、それでもショックなのには変わらないと思いますよ。」
 ぼそり、と呟いてくれたが、スイはまるっきり聞いてはいなかった。
 最後の段差を、軽快に飛び降りると、くるん、とグレミオを振り返った。
「ついでに、リュウカンから頼まれた仕事を先にしてくよ。」
「リュウカン先生から?」
 こっち、と手招きをして、スイが医務室の方へと走り出す。
 グレミオは訳が分からないと言いたげな顔であったが、背中に担いでいた荷物を抱え直すと、スイの後に付いて行く。
 医務室の前に立つと、拳を作って、軽くドアを叩いた。
 そうして、軽い返事が返ってきたのを確認してから、スイは扉を開けた。
 医務室独特の薬草の匂いや、薬の匂いがする部屋は、それでも病院と言った雰囲気はなかった。
 居心地がいい雰囲気があると思うには、きっと、中央に座る髪の長い男の雰囲気のせいであろう。
「あれ、スイさんじゃないですか。」
 ちょこちょこと良く動くトウタが、両手に大きな瓶を抱えて、入り口を振り返る。
 軽く目を見開くトウタに、スイは小さく頷くと、
「ちょっとホウアン先生に用があって来たんだけど、先生は今、空いてるかな?」
 優しく微笑みながら尋ねると、トウタはにっこり笑って頷いた。
「今日は、敬老の日ですから、ちょっと忙しいんですけど――ちょうど今は、手が空いているんです。」
 そう言いつつも、トウタ自身は忙しそうであった。
 手にした瓶を棚の上に置いて、そのまま棚から薬瓶を取り出し、トレイに乗せる。
 そうかと思うや否や、トタトタと窓際に走り、そっこに置いてある袋を取る。
 手伝ってあげたいのは山々なのだが、何をしたらいいのか分からない以上、へたな手出しは余計な手間になると分かっていたから、スイはトウタの背中を見送るだけにして、診療机に向かって何か書いているホウアンに近づいた。
 少し距離を開けた場所で立ち止まり、先に声をかける。
 ホウアンは、少し驚いたかのように目を見開けてから、穏やかな微笑みを浮べる。
「これはこれは、スイさん――でしたよね? こんにちは。」
 少し首を傾げるように笑う彼の微笑みは、穏やかで、優しく、側に居るだけで心が癒されるようであった。
 スイは彼に頷き、簡単な挨拶の後、グレミオに指示を出して、両手に乗るくらいの大きさの箱を取り出させた。
 他のプレゼント類とは異なり、何の包装もしていない、そっけないものであった。
「リュカン医師から預かってきました。前から頼まれていた処方についての書き止めと、見本の薬を同封してあるそうです。」
 それほど重くない箱を手渡すと、ホウアンは嬉しそうに笑った。
「先生から――そうですか、それはわざわざありがとうございます。
 本当なら、私から出向くべきでしたのに……。」
「いいえ、構いません。これは、日ごろお世話になっているリュウカンへの、わずかばかりのお礼を込めて、僕が自ら名乗り出たのですから。
 リュウカンも、出来る事なら自分の手であなたに渡したかったと言っていましたが、なにぶん、まだ隠居を決めるには早いようで、日々忙しいようで、かわりの者を遣わすことになった旨を、謝っておいてくれと、伝言を受けてきました。」
 大切そうに、箱を撫でながら、ホウアンが軽く眉を寄せる。
「そんな――気を使ってくださらなくてもよろしかったのに。
 でも、本当に助かります。私も、ここから離れる日が出来ず、途方にくれておりましたから。
 どうか、先生によろしくとお伝え下さい。……ああ、トウタ。」
 頭を下げてから、ホウアンは思い出したかのようにトウタを振り返る。
 声を受けて、ベッドのシーツを整えていたトウタは、キョトンと振り返ったが、すぐに何か思い当たったようで、元気良く返事を返す。
 そうして、少し離れた場所にある棚の引き出しを開けると、そこから小さな包みを取り出すと、それをホウアンに手渡した。
 ホウアンは、包みを一撫でした後、スイにそれを見せる。
「もしよろしければ、これを、先生に届けていただけませんでしょうか?
 今日は――敬老の日、ですから。」
「…………もちろん、よろこんで。
 リュウカンも、喜んでくれることでしょう。」
 まかせてくれと頷くスイの背後で、グレミオが、目頭を押さえて、「立派になって、坊ちゃん――」と、涙にくれていたことに気付いたのは、スイ一人であった。


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