はぁ、と吐き出した息が、うっすらと白く染まっているのを見て、カシルは大きく顔を顰めた。
「……なんで室内なのに息が白くなるんだ。」
「冷えてるからじゃないのー?」
 答えは、数歩離れたベッドの上で、頭から毛布を被ったクリスが寄越してくれた。
 寒いからと、さっさと布団の中に潜り込んだクリスは、マクラの上の置いた雑誌をペラリと捲りながら、
「カシルも早くベッドに入ったほうがいいよ。今日の夜は、部屋の中に霜が降りてくるらしいから。」
 カシルは寒さに弱いよね、とクリスは楽しそうに喉を鳴らして笑う。
 そんな彼の入った毛布の塊をジロリと睨みつけて、カシルは無言でたんすの中から新しいセーターを取り出すと、シャツの上からそれを被る。
「ミッドガルの冬は暖冬だって聞いたのに、広告に偽りアリ、だな。」
 セーターの冷たさにブルリと身を震わせながら、カシルはベッドの中ではなく、椅子に腰掛けると、本棚の奥──手前に並んだ兵書や武器辞典の奥に手を突っ込んで、そこから雑誌を取り出した。
 背表紙が分厚いくせに、表紙が薄いため、非常に持ち運びしにくい雑誌──通販のカタログである。
 普通の通販のカタログなら、堂々とベッドの上や机の上に出しておいても問題はないのだが──彼が隠すようにしていた場所から出してきたソレは、とてもではないがこの部屋の住人が読むようなジャンルのものではなかった。
 無言で机に向かってカタログを捲りだしたカシルを、毛布の隙間から覗いたクリスは、アレ、と素っ頓狂な声をあげる。
「何、カシル? もしかして『カリア』の新しい冬服買うの?」
「…………もう少し厚いセーターがないと、俺は冬を越せないんだ。」
 もぞもぞ、と毛布から頭を出して問いかけてくるクリスに、カシルは憮然とした表情で答える。
 言いながら捲ったページは、どこもかしこも淡いパステルカラーが一面に飾られた部屋の中で、可愛らしく着飾った娘たちが、笑顔を満面に振りまいている。
 その右端や左端に、彼女たちが身につけている物の名称と金額と注文番号が書かれている──れっきとした、女性専用の通販カタログそのものである。
「冬を越せないって、この間一緒に買い物に行った時に、インナー買ったじゃない。」
 (女装用の)冬服が一枚もないからと、(一般兵士としての)休日を使って、冬物バーゲン市に行ったのだ。
 その時に、寒さに弱いと言っていたカシルが、服の下に着るのだと言う、遠赤外線効果のあるインナーを何枚か買っていたことを、クリスは良く覚えていた。
 どう考えても、女装の時用だけじゃなく、普段着用にも買っているなと、チェックしていたからだ。
 はぁ、と息を吐けば、一瞬白くなった吐息が頬をくすぐる。
 今、世界で一番「売れてる」神羅の一般兵が入る兵舎の癖に、暖房もまともに入っていないのかと、クリスはウンザリ気味で冷たく感じる頬を毛布に擦り付けた。
 カシルではないけれど、「冷え性の女性用」インナーが欲しいと心から思ってしまうくらいだ。
 だいたい、就寝時間に合わせて暖房器具が止まるならまだ分かるけど、就寝時間二時間前に切れるっていうのはおかしいじゃないか。
 そもそも、夜勤の人間や、遅番の人間は、どうしたらいいって言うのか。
 ソルジャー棟や本社にばかりお金をかけすぎなんじゃないかと、文句の一つや二つも言いたくなるってものだ。
「あんなんじゃ、全然暖かくならなかった。
 なんで世の中の女性は、あんなインナー一枚や二枚で、あんなに薄着が出来るんだ。」
 ブツブツとクリスの言葉に答えながら、モコモコしたセーターを3枚も重ね着したカシルが愚痴を零せば、
「──……女性の方が、体脂肪が多いからじゃないか?」
 クリスではなく、別の方向から答えが返って来た。
 つい十数分前に、風呂に行ってくると部屋から消えた人間である。
「あれ、クラウド、お帰り〜。」
 布団から頭だけを出した姿で、クリスは最後の同居人へと目を向けて──ギョッ、と、頭を跳ね上げた。
 風呂場へと続く扉の前には、白い頬をほんのりと赤らめた、見目麗しい女装の麗人の姿が一つ。
 恐ろしいことに、タンクトップと短パン一枚姿だった。
「なっ、なっ……──おまっ、なんて格好してるんだーっ!!!!???」
 それを認めた途端、絶叫にも近い声で悲鳴をあげたのは、カシルであった。
 信じられない、と低く呻いて、カシルは両腕で身体を抱きしめると、ブルリと体を震わせた。
「なにって……風呂上りだけど。」
 クラウドは、モンスターに会ったかのような反応を示すカシルに、憮然と言い返しながら、ガシガシと頭からかぶったタオルを動かす。
 露になった首筋に滴る水滴が、ひんやりと冷えているように見えて、カシルは堪えきれないようにギュと目を閉じて、クラウドを視界から追い出す。
「お前、信じられない! なんで風呂上りに、そんな寒い格好してるんだよ!?」
「……風呂上りで熱いから、……だろ?」
 ブンブンと頭を振って、セーターのハイネック部分に顎を埋めるカシルを見て、クラウドは何を言われているのか分からない、というように首を傾げた。
 そんなクラウドを横目で見上げて、クリスはため息を一つ零す。
「風呂上りにそんな格好してると、風邪引くよー、ってカシルは言いたいんだと思うよ、クラウド。」
 そう言えば、クラウドは、夏場も変わりなくそんな格好だったっけ、とクリスはべっとりと枕に顎を落としながら忠告してやる。
 確かに風呂上りは熱いものだけれど、だからって軽装で居ては風邪を引く。──特に今は冬場なのだ。
 それくらい、クラウドだってわかってるだろうにと、呆れたようなクリスの言葉に、クラウドはフルリと頭を振って、
「訓練後もこの格好でウロウロしてるじゃないか、みんな。」
 意味がわからない、というようにそのまま頭を傾げる。
「うん……まぁ、確かにそりゃそうなんだけどね。」
 あははは、と乾いた笑いを漏らして、クリスは今日の昼間も見たばかりの光景を思い浮かべる。
 寒空の下、冬の訓練着に身を包んでいた面々が、寒い寒いとブーたれていたのは最初のうちだけだった。
 過酷な訓練が終わった時にはみんな汗だくで、あっというまに訓練着も脱ぎ捨てて、真っ裸になってたっけ。
「アレは昼間。今は夜。」
 むっつりと唇を一文字に結んで、カシルは通販雑誌をパタンと閉ざすと、壁に立てかけられたクラウドのパーカーをひったくると、それをクラウドに向けて投げつける。
「とにかく上に何か着ろっ、見てるこっちが寒いだろっ!」
「…………わかった。」
 ニブルヘイムじゃコレが普通だった、──と言いたそうな顔をした後、クラウドはカシルの唇が紫色なのに気づいて、無言でパーカーを羽織った。
 けれど下は短パンのまま──スラリと伸びた素足が、見事な曲線美を描いているのを見て止めて、カシルは寒さにブルリと身を震わせた。
「うぅ……クラウド、お前、見てるだけで寒い。存在そのものが人災だ。」
「……なんだよ、それ。」
 むっつりと唇を尖らせて、クラウドは肩からタオルをかけると、そのままどっかりと床の上にしゃがみこんだ。
 ガシガシと乱暴な手つきで頭を拭き出すクラウドを横目に見やりながら、クリスは小さくため息を零すと、
「クラウドは、見た目と違って寒さに強いよね。」
「……ニブルヘイムは、もっと寒かったから。」
 「見た目と違って」の辺りに引っかかりを覚えないでもなかったが、クラウドはそれに対して何か言うことなく、ただそれだけ答えた。
「それに引き換え、カシルったら、すっっごく寒さに弱いんだよねー……。」
「俺が生まれたのはゴンガガ地方だから、冬でもこの辺りの春くらいの気温なんだよ……っ。」
 クリスがチラリと視線を向ければ、カシルが軽く唇を尖らせる。
「……うちの夏は、ここの春くらいの気温かなぁ。」
「ぅわっ、信じられねぇっ! ニブルヘイムなんて人が住む場所じゃないな、ソレっ!」
 カシルのセリフにクラウドが呟けば、カシルがブルリと大きく身体を震わせて頭をブンブン振った。
 そんな彼の仕草に、クラウドもクラウドで唇を尖らせる。
「それ言うなら、ここの夏よりも暑いゴンガガの夏の方こそ信じられない。あそここそ、人が住む地区じゃない。」
 キッパリ、と断言するクラウドの言葉に、
「どこがだよっ!」
 カシルがグルリと首をめぐらせて振り返り──同時に、クラウドのむき出しの足を見て、いやっそうな顔をした。
 ホカホカと血色のよさそうなクラウドの足を見ているだけで、こちらのほうが寒さに鳥肌が立ってくるような錯覚を覚える。
「だって、寒かったら、そんな風に厚着したらいいけど、夏なんて、裸になっても暑くてうだりそうになるんだぞ。」
 両手を広げて訴えるクラウドに、その動作で巻き起こった(気のする)冷たい風が頬に当たった気がして、カシルは首をすくめて体をちぢこめた。
「お前は暑がりすぎるんだよ!」
「そういうカシルが寒がりすぎるんだ。」
 お互いに憮然とした表情で、一歩も引く気がないらしいカシルとクラウドの会話を、呆れたように聞いていたクリスが、わざとらしく大きなため息を零して見せた。
 そして、バサリと音を立てて布団を蹴り上げると、ベッドの上に起き上がって、
「僕からいわせれば、夏、暑いからって『商売道具』の髪の毛を坊主にしようとするクラウドも信じられないし。
 今、寒いからって言う理由で、セーターを3枚も重ね着するカシルも信じられない。」
 言い争いはココまで、──と、言わんばかりの態度で、クリスは2人の整った顔を交互に睨みつける。
 だいたい2人とも、自分達の「もう一つの姿」に対する認識が、なさ過ぎるのだ。
 可憐で華奢で守りたくなるような金髪の美少女「クラウディア」は、ワンピースやふわふわした服が良く似合うというのに、夏になれば、「暑い」という理由で、髪の毛をお団子にして、タンクトップに短パンという格好で仕事に出ようとするし。──そういう格好は、「クラウディア」ではなく、「クリス」がする格好だ。
 更に言えば、「クラウド」も、この兵舎内ではしないほうがいい格好でもある。
 逆に「カリア」は、知的でスマートな美人に見えるのだから、真冬でも薄いロングコートを羽織って颯爽と歩くくらいが良く似合う。──にも関わらず、身体が動くのだろうかと思うほどのモコモコスタイルに、長いマフラーをグルグル巻いて、手袋も3枚に重ねるし、頭にはニット帽なんてかぶるし──それもどちらかというと、「クリス」がするような格好だ。
 男の姿の時でも、モコモコのスタイルに、周りから苦笑がもれていると言うのに──一緒にいるこっちが、ため息出てくるよ、ホント。
「そうは言うけど、寒くって、イザッって言うときに体が動かなかったら困るじゃないか。」
「うん、俺も、イザッっていうときに、暑くて頭が朦朧としたら困る。」
 クリスのにらみを受けて、思わずカシルが口答えすれば、それに賛同するようにクラウドもコクコクと頷く。
 さっきまで口げんかをしていた張本人同士の癖に、ずいぶん仲がいいことだと、クリスは鼻の頭に皺を寄せて顔を顰めた。
──そんなこと言うけど、暑がりのクラウドと寒がりのカシルのおかげで、ど・れ・だ・け僕が迷惑こうむってるのか、分かってるのかな、この2人はっ!?
 暑さに弱いクラウドのおかげで、夏の炎天下で長時間行わなくてはいけないような仕事の時は、常にカシルかクリスが表に立つ番。クラウドは涼しい喫茶店で報告&監視係りだ。
 逆に真冬の同条件の仕事の場合は、カシルがすぐに地面にうずくまって動かなくなるから、表に立っての仕事はクラウドかクリスの番。──カシルは暖かい喫茶店で報告&監視係りだ。
 そういう理由から、街頭に出るのが辛い真夏と真冬の季節に、クリスは「必ず」実行員に回らなくてはならなくなるのだ。
 しかも、三人が特別工作員の仕事に就くのは、たいてい、一般兵としての仕事が終わった後か、休日のその日。
 つまり、普段の訓練で疲れているところを、更に酷使する形になるのだ。できるなら、喫茶店での報告&監視係りを務めて、楽をしたいと思うものじゃないか。
 なのに、どちらかが使い物にならないって言う理由で、常にクリスは実行員に回される。
──この現状を我慢している僕こそが、同情されてもおかしくないって思うんだけど!?
 そんな思いを込めて、ギリリとにらみつけたクリスに、ようやく彼が何を言いたいのか気づいたらしいカシルとクラウドが、ハッ、としたように目をみひらき──そして、互いを伺うように視線を走らせると、
「……ごめん、クリス。」
「悪い……。」
 クラウドは、この1年弱で磨きがかかった、必殺の上目遣いで。
 カシルも同じく、1年弱で輝きを増したすまなそうな顔の苦笑でもって、クリスに訴えかけた。
 クリスは、そんな無駄に培われた表情術を目の当たりにして、唇の端をヒクヒクと引きつらせては見たが──どう足掻いても、この2人の寒がりと暑がりがすぐに直るわけではないのは、良く分かっていたので。
 はぁ、と、諦めたようにため息をついて肩を落とした。
「……そう思うなら、せめて5回に1回は、2人で表に立ってよね。最近、防寒グッズとか避暑グッズとか、イロイロ出てるんでしょ。」
 赤外線インナーとか、足裏ホッカイロとか。
 冷えピタとか、ネッククーラーとか。
 パタパタと手を揺らしながら、先ほどカシルが閉じたばかりの通販本を指し示す。
 つられるように視線をあげたクラウドとカシルに、
「それで調べて、買って──それで、もう少し僕に楽をさせてください。」
 軽口を叩くように、ね? と、──これまた一年弱で鍛え上げた、可愛らしい微笑を口元に浮かべて小首を傾げてお願いしてみせれば。
 数多もの男を垂らしこんだ自慢の微笑みと小首傾げを披露してみせるクリスに、それを向けられたクラウドとカシルは、他の男どものような失態は決して見せてくれず──代わりに、ひどく、疲れたような、微妙な笑ってない目元で見返してくれた。
 きっと彼らもまた、「こんなに女らしくなっちゃって」とか思っているに違いない。──さっきクリスがそう思ったように。
 無言で三人は、ちょっぴり寒くなった心を慰めあうように、
「……じゃ、クラウド、一緒にコレ、読むか?」
「うん。」
「あ、僕も見る。湯たんぽないかな?」
 一際明るい声をわざと作り出して、揃って「女性用通販雑誌」を、取り囲み始めるのであった。






 真冬の始まりを告げる、数日前のことである。