冬とは思えないほどうららかな昼下がり。
いつもは、寒いからとなかなかベッドから出てこないマーニャが、今日に限ってはなぜか、買出しに付いてきた。
大きな主街道沿いに立ち並ぶ量産店を渡り歩き、当座の食料の手配を済ませたユーリルとマーニャは、仲間たちが待っている宿に、そのまま戻るはず──だったのだが。
「ちょっとユーリル! 寄り道するわよっ!!!」
宿まであと半分ほどの距離、と言うところで、ガシィッ、と、マーニャの鋭いツメが、ユーリルの手首を掴んだ。
──とたん、
「っぅぎゃぁっっ!!」
まるで猛禽類の鋭いツメに引っかかれたかのような痺れる痛みを覚えて、ユーリルは街道に響き渡るほどの悲鳴をあげて、彼女の手を振り払おうとする。
──が、しかし、マーニャの行動の方が素早かった。
「なんて声出してんのよ、あんた。ちょっと失礼じゃないの?」
彼女はユーリルの手首に突き刺した爪をそのままに、彼の腕を胸元に抱え込み、豊満な谷間に埋めるようにして擦り寄ると、ギョッとしたようにこちらを見ている町の人達に、見とれるばかりのあでやかな微笑を見せて、
「もう、ほんと、お子様なんだから、ユーリルったらvv」
ぎっちりと握りこんでいる手とは違う手で、つぅん、とイタズラ気にユーリルの額を突付いて、うふふふ、とさらに彼の腕にしがみついた。
豊かな胸が強調されるように柔らかにユーリルの腕に押し付けられる光景を見て、町の人達は、「なーんだ、冬にありがちなバカップルか」と、気にしない素振りで通り過ぎていってくれた。
それをニコニコと満面の笑顔で見送りながら──「マーニャは、女に恥かかせるんじゃないわよ」と凶器のツメでグリグリと傷口をいたぶるのもわすれなかった。
あまりの激痛に、ユーリルの全身がビビビッと逆立った気がしたが、しっかりと彼の腕を抱え込んでいるマーニャはそれに構わず、
「そんなことより、コッチよ、コッチ! この町に来たら、ぜぇったいココによらなくっちゃって思ってたのよぅ〜♪」
「いたいっ、痛いってば、マーニャっ! ちゃんと着いてくから腕放してくれってっ!!」
涙目で必死に歯を食いしばるユーリルの言い分には聞く耳持たず、マーニャは彼の体をズルズルと引きずって、目的の店に入った。
大きな店ばかりが立ち並ぶ街道の中にあって、あまり目立たない、小さな店である。
ディスプレイを重点に考えているほかの店とは違い、小さな窓しかない──一見したら、店の中に一軒家が混じっているようにしか思えないほど、普通の建物だ。
とてもじゃないけれど、派手好きのマーニャが好みそうなものなど売って居なさそうだった。
けれど、からんからーん、と軽快な音のベルを共に開いたドアの中は。
「………………げ。」
思わず痛みを忘れて、ユーリルが呆然としてしまうほど、人にまみれていた。
外のうららかな暖かさとは比べ物にならないほどの、ムッとした熱気。
狭い店内は、これ以上入る隙間がないほど女性が蠢いていた。
「──……な、なんだよ、この匂い……っ。」
さらに、店内は、甘いようなスパイシーなようなすっぱいような──不可思議な匂いが充満していたのだ。
甘いだけなら、お菓子の店かと思わないでもない。
けれど、スパイシーですっぱい匂いは、何を形容しているのか分からなくて、思わずユーリルは、ずさっ、と後ろに後ずさった。
──が、マーニャの絡まったままの腕が、それを許さない。
なんとかして店内から体を遠ざけながら、ユーリル顔をクシャリと歪めたところで。
「ふっふっふ……腕が鳴るわね。女の戦いだわ……っ。」
ぼそり、と──マーニャが不敵に呟いた。
その声が耳に届いた瞬間、ユーリルの背筋がゾワワッと毛羽立った。
「おっ……んなの戦いって……ま、マーニャさん……っ?」
声を震わせながら、恐る恐るマーニャを見上げた瞬間──ユーリルは、脱兎のごとくその場から逃げたくなった。
しかし、マーニャの手に掴まれた腕が、それを許してくれない。
ジタバタと足掻いてみるが、戦闘態勢に入ったマーニャの握力は、アリーナに勝るかと思うほどの強さでもって彼を束縛し続ける。
「ぅよしっ! まずは手始めに、本命に見せかけた義理レベル高ランクからねっ!!」
一番真っ先に売れそうな物から確保すべしっ!
猛禽類のような凶暴な光を宿した目で、ビシッ、と前方の──ユーリルにしてみたら、人の頭の群れで何が何だか分からない辺りを睨みつけると、マーニャは気合を入れて、行くわよっ、とユーリルの腕をつかみなおした。
とりあえず、マーニャがこの群れの中に入っていくのは確定なんだー、と、人事のように思っていたユーリルは、マーニャに引っ張られて初めて、自分が完全に巻き込まれているのだと悟った。
「えっ、ちょ、ちょっと待てっ、そこでなんで僕を引っ張るのさっ!?」
「そんなの決まってるじゃないの! あんたも人数に入ってるからよ!」
「何のーっ!!!」
狭い店の中だと言うこともわすれて、思わずユーリルは絶叫していた。
けれどその声は、あっさりと店内のザワメキにかき消されてしまった。
「いい? ユーリル。」
そしてマーニャは、ユーリルの不満を聞こえもしない素振りで、ガシッ、と彼の肩を正面から掴んだ。
アーモンド型の綺麗な双眸で彼の整った容貌を覗き込んで、
「あたしは今から、あっちの、本命用チョコの激戦区に行ってくるから、あんたは、アッチの、超義理チョココーナーを頼むわよっ!!」
「意味わかんねぇしっ!!」
マーニャの声に釣られるように悲鳴をあげて──ユーリルは、「あぁ、ここって、お菓子やさんなんだ」と言う事実に今更ながら気づいた。
となれば、甘い匂いはお菓子の香りで、スパイシーなにおいや柑橘系の匂いはきっと、ここで埋もれている女性達の香水の香りだろう。
それにマーニャのエキゾチックな香水の匂いまで混じって、すごい有様になっているが。
「いいっ!? 10Gくらいの、安くて、でもちょっと高そうに見えるヤツにすんのよ! それを、あんた達の人数分買いなさい!」
「って、しかも僕らの分の義理チョコかよ!!」
それを僕に買わせるか、普通っ!!?
思わず声を荒げたユーリルに、マーニャはキッとキツい視線を向けると、
「ゴールドを払うのはあたしよ!!!」
文句あるのか、と、豊かな胸を張って言い切った。
その、堂々たる言い張りっぷりに、ユーリルが勝てるはずもなかった。
ウッ、──と短く詰まったかと思うと、ダラダラと脂汗を流し始めるユーリルに、マーニャは瞳を和らげて、
「お駄賃として、あんただけ二つ買ってもいいわよ。」
「……──っ、くっ。」
そんなものに騙されるかと、キュ、と唇を引き結ぶユーリルに、更にマーニャは甘い言葉を囁く。
「手伝ってくれたら、来月の三倍返しは免除してあげるわよ。」
「──……っ!」
ピクンッ、と跳ね上がったユーリルの肩を見て、マーニャはほくそ笑む。
ユーリルは、間近に迫った選択に、うぅぅ、と低く呻いた。
今のユーリルの脳裏には、去年、50Gのギリチョコのお返しとして奢らされたブツがグルグルと回っているに違いない。
あの後しばらく、ユーリルは恒例になった「新しい町でアリーナと食べ歩きツアー」もできなくて、クリフトにたかり続けていたのだ。
その辛い一週間を思い出せば、根をあげるだろう。
マーニャは、ユーリルが答えを出せぬままに呻いているのを見下ろして、勝者の笑みを浮かべて見せると、ポーンッ、と景気よく彼の背中を叩いて、
「ほらっ、悩んでる暇があったら、さっさと行ってらっしゃい!」
自らもまた、香水の匂いとチョコレートの匂いが充満した店の中へと、飛び込んでいった。
ユーリルはそのしなやかな背中を、ジットリと見つめはしたけれど──結局、諦めたように、はぁ、とため息を零して。
「……どうせ、帰ったら、後でお仕置きされるんだろうしなぁ………………。
……くそっ! 俺のチョコは2個分で、でもって、来月の三倍返しはナシだからな、マーニャっ!」
ぐっ、と拳を握り、目に力を込めて──ままよ! とばかりに、飛び込んだ。
──後は、野となれ山となれ。
勝利の笑みを浮かべたマーニャが、ぼろきれのようになったユーリルを引きずって帰ったのは、この二時間後のことである。