窓の外に見える、どこまでも続いていく空から体を隠すように、白いシーツに包った。
 途端、鼻先に香る匂いに、吐き気にも似た衝動がこみ上げてくる。
 かすかな血臭、それに勝る生臭い匂い。
 それが何のものなのか、分かっていたから、彼女はギリリと唇を噛み締めて──やおら、バサリと勢い良くシーツを蹴落とした。
 白いシーツの中から現れたのは、白い──抜けるように白い素肌だ。
 何も身につけていない、しなやかで薄い筋肉のついた体は、女性らしい優美な曲線を描き──その中で、幾つか赤い色が落ちていた。
 彼女はソレに目もくれず、うっすらと埃の積もった床の上に落ちた、グシャグシャになった服を取上げた。
 パンパンと埃を払う間も勿体無いとばかりに、手早く下穿きを履き、サラシを巻く時間も勿体無いとばかりに、そのまま素肌の上からシャツを着込んだ。
 それから、寝癖の付いたようにピンと跳ねる髪の間に指先を突っ込むと、軽く撫で付けて──ベッドから落ちたシーツに視線を落とす。
 グシャグシャと皺の付いたシーツは、日の光の下で見れば、黄色や茶色の染みが所どころついていた。
 それを認めて、彼女は顔を大きく歪めた。
 それが、昨夜の情交の名残ではないことは、分かっている。
 けれど──いつか、誰かが、ココで行った情交の証であることは確かだろう。

 人里離れた、森の中にぽつんと位置する、小屋の中。

 夏になれば、突然の雨や嵐で人々が雨宿りをし。
 冬になれば、突然の吹雪や霧で人々が数日を過ごす。
 そんな目的のために建てられたココが、それ以外の使われ方をされているのは、「地元」では有名なことなのだそうだ。
「………………これを、汚らわしいと思う権利が、私にあるわけが、ない。」
 無言で落としたシーツを抱えて、それをベッドの敷布の上に重ねた。
 そのまま、自分が先ほどまで体を横たえていた敷布を見ないようにソレを引き剥がすと、汚れたシーツと敷布の二枚、まとめて抱えあげる。
 鼻先にツンと匂い香に、キリリと奥歯を噛み締める。
 全身に感じる倦怠感を振り払うようにフルリと頭を振って、小さな小屋の扉を開く。
 そして、シーツを無造作に小屋から少し離れたところに投げ捨てると、無言で指先をソコに突きつけて──呪文を一つ。
「メラ。」
 ボッ。
 ──灯った炎が、あっという間にシーツを侵食していくのを見つめながら、娘は小屋の壁に背を預ける。
 メラメラと燃え上がったシーツは、そう間もおかずに灰になるだろう。
 燃えて、燃えて──燃え尽きて。
 もうそれ以上燃えることのない灰になれば、抱えきれないこの鬱屈とした感情を、わすれることが出来るのだろうか?
「──シーツだけ燃やしてもね。」
 ハ、と、自分の行為をせせら笑うように、自嘲じみて呟けば──……。

「証拠隠滅のつもりか? ──……リラ?」

 クツ、と。
 低い声が、低い笑い声を伴って、聞こえた。
 とたん、ぴくり、と肩が跳ねるのを覚えながら、リラは何でもない風を装って、声のした方角を見やる。
 森の木々の切れ目から、スラリとした体躯の青年が、こちらを見ている。
 日の光を弾く銀色の髪は、いつも見ているソレよりも濃厚に見えるほど濡れ、肩には小屋の中にあったのだろう、シーツに良く似た素材のタオルをかけていた。
「……何の証拠隠滅をする必要があるのかしら?」
 チラリと無感情な眼差しで彼を見やり、リラは再び何でもないことのような表情で、炎へと視線を移す。
 男はソレに、愉悦を滲ませた表情で紅色の瞳を緩めると、シュルリとタオルを抜いて、それを火の中に落とす。
 ボッ、と、燃え移った炎が、あっという間に投げ入れられたタオルを包み込んでいく。
「お前が毛嫌いしている行為そのものを、だ。」
「……毛嫌いしているのは、私ではなく、むしろ貴方だと思っていたわ。」
 ゆったりとした仕草で腕を組んで、リラは炎をはさんで向かい合う男を──気を失った自分をベッドの上に置き去りにして、1人近くの川で体を洗い流してきただろう男を、冷ややかな眼差しで見つめる。
 先ほどまで、吐息を重ねあい、肌を重ねあったとは思えないほど──冷えた距離。
 けれど、自分と彼との間には、この距離が普通なのだ。
 あの、狂気にも似た情欲の距離こそが、ありえないのだ。
「──私のほうが、ずっと毛嫌いしているというのなら。」
 リラの皮肉を軽く聞き流すように、彼は首を傾けて微笑むと、
「お前は、喜んで私の前で膝を割っているということになるな?」
 軽口のように──けれどヒタリと赤い双眸でリラを見据えて。
 そう、愛を囁くように呟く。
 リラは軽く眉を寄せて──けれどその真意を図るようなことはせず、ツイと炎の勢いが衰えたシーツの残骸へと視線を落とした。
「毛嫌いなんてしてはいないわ。好んではいないだけ。」
 ──ただ、自分が赦せないだけ。
 胸をかきむしりたくなるような激情の先に何があるのか──知りたくないだけ。
 そう呟いて、リラはくすぶった煙を履きだすようになった黒い塊を潰すように、その上を踏みしめた。
 そして、灰と地面をならすように何度か蹴り上げるような動作をした後、足もとから感じる熱に唇をゆがませる。
 ──シーツに染み付いたにおいはなくなったけれど、その分だけ。
 私にしみこんだ匂いが、ひどく、際立って感じる。
「──毛嫌いしていないわりには。」
 わざとらしく音を立てて、男がリラの側に歩み寄ってくる。
 水の香に、──あぁ、そう、私も帰る前に体を洗い流さないと、と……ぼんやりと思うその顎先を、クイ、と捕らえられた。
 口付けを交わしそうなほど間近。
 リラの双眸を覗き込むようにしながら、男が色じみた笑みで笑う。
「お前が誘いに乗るのは、3度に1度なのだな?」
「あなたのように色恋にうつつを抜かして、部下に手ひどく裏切られるわけにはいかないの?」
 軽口に答えるように透明な笑みを浮かべて、ペシンとつやめいた動きを始める男の手を払って、リラは後ろ足で残った灰の塊をけりのける。
 それから、いつものように、彼の腕からスルリと抜け出て、
「残りの始末はお願いね? ──ピサロ。」
 最後の最後で、冷徹な響きを乗せて……「彼」の名前を、今日会って初めて、口にしてやった。
 その響きに、ピサロは小さく瞠目した後──ニヤリ、と口元に笑みを刻んで笑う。
 そんな男の笑みを視線の端にとどめて、リラはその後は振り向くことなく、彼が先ほど居ただろう川へ向かって、ゆっくりと脚を進めていく。
 気を抜けば体のふしぶしが痛むことや、その更に奥が表現できない悲鳴を上げていることになんて、気づかないフリをしながら──そんな風に、痛みを痛みとして感じないようにすることなんて、あの旅のさなかでは、しょっちゅうだったから。
 ……痛みは、慣れてるから、平気。

 ……痛みは平気、だけど。

「──あまい恋愛なんて、……夢のまた、夢だわ。」




 体の痛みじゃない「痛い」は。



 ……ちょっとだけ、せつない。


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