『……おにいちゃん、だぁれ?』

 自分よりも小さな子供を見たのは、初めてで。
 このお城にこんな小さな子供が居るんだと、驚いた。
 一緒に遊んで、彼女がこの城のお姫様だと聞いて。
 またね、とバイバイして別れた。

 それからの毎日は、本当に大変で。
 やんちゃなお姫様は、良く部屋を抜け出して僕の部屋にやってきた。
 なんだか毛布がモッコリ膨れてると思ったら、「かくれんぼなの」と無邪気に笑う。
 香ばしい匂いがすると思ったら、「オヤツの時間だから」と、ドロにまみれた手の上に、コックさんの努力の結晶。
 姿が見えないと思ったら、なぜか水浸しで廊下を走っていたり。
 花の蜜を吸うことを覚えたと思ったら、花瓶を落として割ることも。
 本当に、めまぐるしくて。
 本当に、月日が経つのは早くて。
 気付いたら彼女の社交界デビューの日が来ていて。
 ドレス姿に包まれた幼い少女の姿を認めた瞬間、胸に走った痛みの名前に──初めて、気付いた。


 初恋は、実らないものなのだと。


 誰から聞いたのか忘れたけれど、そんな言葉を聞いたからだと思う。
 神学校に通わないかと誘われて、入ったのは。
 それは、……その痛みを少しでも忘れるためだったのかもしれない。
 ずっと一緒に居たから、ずっと当たり前のように隣に居たから、だから勘違いしてしまったのだ。
 彼女は手が届く人なのだと。


 時々本当に、気さくな彼女の性格が、疎ましく思うことがある。
 誰にでも笑顔を振りまくことが、イヤなこともある。
 でも何よりも──毅然とした態度で「王女様」として自分の前に立つとき、身分の違いを思い知らされるのに。
 その顔を金繰り捨てたとたん、同じ位置まで降りてきて、ニッコリと笑ってくれるのが……一番、辛い。
 彼女は、自分個人の感情で動いてはいけない人なのだと、ほかでもない自分が良く知っている。
 というよりも、知らざるを得ない。
 何せ、誰にでも気さくに話せて打ち解けてしまう愛されるべき「王女様」を、止めなくてはいけないのが自分の立場なのだから。
 本当は、もっと彼女に自由に生きてほしいと思っている。
 自由の中にあってこそ、彼女の輝きは本物の光を宿すと、分かっているから。
 でも、同じくらい──神学校で彼女の役に立つために勉強をしてきた自分には、分かってしまっている。
 彼女個人のワガママで、国一つが転覆してしまうこともあるのだということを。
 そして──そのことで、彼女が誰よりも心を痛めてしまうのは、火を見るよりも明らか。
 だから。
 どうか、頼り切った微笑を見せないでほしいと思う。
 対等の者であるかのように、扱わないでほしいと思う。
 そんなことをされればされるほど、いつも痛みと喜びが胸の内に湧き上がり……新しい傷と輝きを作ってしまうから。
 臣下である私にしてはならないことです」と諌めるのが、自分の立場であると同時に……自分をどれほど傷つける言葉であるのか、誰よりも知っている。
 嬉しいけれど、痛い。
 痛いけれど、ワガママな自分はいつも祈っている。
 祈りながら──言い聞かせる。


「私は──あなたの傍に居るだけで、幸せなんですよ…………アリーナさま。」


 それが、自分の身を守る……さいごの呪文。



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