御者席から身を乗り出して、マーニャは手綱を放り出すと、両手の平を合わせた。
馬車はすでに森の出口につけていた。
後はこの辺りの雑魚をマーニャが呪文でなぎ払い、ミネアが威嚇している間に、馬首を取って返して、いつでも森の中に戻れるように準備をするだけなのだ。
そして、ミネアとブライ、トルネコが馬車を守っている間に、ライアンとマーニャが2人で、馬車の外に居る三人を回収する……、そういう手はずだった。
まずは手始めに、と、マーニャが両手からベギラマの閃光を解き放つ!
大きく波打つ炎が、目の前のモンスターたちと馬車とを区切る小さな壁になったところで、ミネアがすかさず炎の向こう側に向かって、バギマを放った。
炎が大きく揺らぎ、その向こうにいるモンスター達を風の刃が襲う。
モンスター達からしてみれば、突然炎の壁が出来て、その向こうから見えない刃が飛び出してきたように見えるだろう。
何が向こうに潜んでいるのか分からず、ユラユラ揺れる炎の向こう側に、踏み込むことを逡巡するだろう。
その間に、馬車は首を取って返し、迎撃準備を整え、ライアンとマーニャはユーリルたちの下へ行く準備を済ませるつもりだった。
御者席にミネアが座り、前方からの敵に備える。ブライは後部に腰を下ろし、後方からの敵に備えた。トルネコは、呪文の威力を秘めた武器や杖などを手に、ミネアとブライのフォローに走る。
そして、馬首を取って返したところで、マーニャとライアンが地面に降り立ち、再びモンスターを混乱させるためのベギラマを放とうとしたところで──……。
「……待て、マーニャ殿っ!」
ライアンが、抜き身の剣で、自分達が目指す前方を指差す。
「何!?」
不測の事態でも起きたのか、と。
ライアンを胡散臭そうに振り返りながら、マーニャは、消えつつあったベギラマの炎の向こうを、睨みすえた──瞬間、
「なっ、何やってんのよ、アリーナ!!!?」
ふわり、と──崖の向こうに落ちていこうとするアリーナの姿を、バッチリと目撃してしまった。
唖然と目を見張るマーニャの叫び声に、馬車の中に居た面々も、ギョッとして振り返る。
「姫様がどうかなされたか、マーニャ殿っ!?」
「何事ですかっ?」
「姉さんっ!?」
マーニャもライアンも、その声には振り向かず、ちっ、と小さく舌打ちする。
「まだ落ちたと決まったわけじゃないわ!
とにかく、強行突破して……っ!」
すばやく呪文を唱え、両手に光り輝く珠を生み出す。
両目でユーリルとクリフトの居る位置を確認しながら、彼らの邪魔にならない程度に──けれど、アリーナが落ちた崖まで一気に道が出来る位置に、イオラを放って、と計算を落とす。
慌てて馬車からブライが飛び降りてくる気配に、ライアンが声をなげかけているのを尻目に、
「とりあえず、ユーリルとクリフトは、回復呪文使えるし……っ、多少巻き添えさせてもいいわよ、ね……っ!」
グル、と、手のひらの中で、強烈に圧縮された魔力が、唸り声をあげた瞬間──……、
『ザラキ!!!!』
今まで聞いたこともないような、強烈な──「力ある言葉」が、あたりを支配した。
「──……っ!!!!」
「……っ!!?」
とっさに、ライアンは正面に向かって構え、マーニャは今にも放ちそうだった呪文を解消させて、己の身を守るために構えを両手をクロスさせる。
全身がビリビリと総毛立つような寒気が襲い、一拍遅れて、「力ある言葉」の威力が、ザァッ、と、辺り一面に広がった。
そして、その直後。
ドタドタドタッ──……と。
次々に、モンスター達が、倒れ……霧散していった。
「ぃや……っ。」
ミネアが、小さく悲鳴をあげる。
振り返らなくてもわかった。
彼女は、顔を真っ青に染めて、両手で耳を覆っているに違いない。
感受性が高いミネアには、この「声」は──とてもじゃないけれど、耐えられないからだ。
「──……っ。」
「死の言葉の呪文」だと、知ってはいた。
数々の戦闘の中で、恐怖を覚えるその呪文を、投げかけられたことも一度や二度じゃないからだ。
そのたびに、決死の思いで理性を手放すまいと頑張って、乗り越えてきた「呪文」だからだ。
けど。
まさかそれが、これほどの威力を持つものだとは、思いもよらなかった。
「今、の──……。」
ごくん、と、喉が上下した。
あれほどの強力な力を宿す言葉であったにも関わらず、ここに居る面々は、何のショックも受けてはいない。意識を手放した者すらいない。
あるのはただ、モンスター達の、屍ばかりだ。
そのさなか、
「アリーナさまっ!!」
崖に向かって、まっすぐに駆けて行くのは、青い服の神官ただ1人。
少し離れたところに立つユーリルですら、呆然とした表情で、立ち尽くしているだけで、動きもしない。
それはつまり──あの術を放ったのが、「クリフト」に他ならないということを示していた。
呆然と見ている間に、クリフトは崖端にたどり着き、下を覗き込むような動作をした。
その瞬間、ハッ、としたようにユーリルが我に返り、
「クリフト、待てっ!!」
喉をそらすようにして叫ぶ、が。
クリフトはユーリルの声も聞こえない様子で、そのまま──躊躇することなく、崖下に飛び込んだ……瞬間。
「あぁぁぁーっ!!!!! バカぁぁぁーっ!!!!」
マーニャは、両手で頬をはさんで、絶叫した。
クリフトが飛び込んでどうすんの! ──というか、クリフトが躊躇わずに飛び込んだってことはつまり、アリーナの姿は崖下に見当たらなかったって、ことで……っ!!!
「──……ぁあっ、もぅっ!!」
とにかく、何を優先したらいいのか、と。
困惑する頭で、それでも必死に、前へと走り出した瞬間──、崖のふもとまで駆けつけたユーリルが。
ぴょんっ、と。
飛び降りた。
躊躇もなく。
「……ユーリルっ!!!???」
「ユーリル殿っ!」
互いに横になって走りながら、マーニャとライアンが叫ぶ。
ユーリルはその声に気づいて、ヒラリと手を振ってこちらに合図を示すと、そのままクルンと回転して──……。
空に目掛けて両手を突き出し──術を解き放つ!
「イオラっ!!!」
ドォンッ、と、空に向けて解き放たれた術が、ユーリルの体を直角に崖下へと突き落とす。
「ちょっ、ユーリルっ!」
何をするつもりなの、と。
叫びかけたマーニャの声に、背後からミネアの鋭い声がかぶさる。
「ルーラをするつもりなんだわっ!」
思わず振り返った先で、ミネアが何かを確信したような笑みを浮かべていた。
「ルーラ?」
トルネコがキョトンと問いかけるのに、蒼白な顔になって、ブルブルと震えていたブライが、ハッとしたように顔を跳ね上げた。
「なるほど! そういうことか!」
確かに、ルーラを使えば、転落から一転して町へ行くことができる。
ただし、それには運が必要となってくる。
ユーリルが飛び降りながら「イオラ」を使ったのは、クリフトとアリーナが、いまだに転落していたから──それに追いつく加速をつけるためなのは、間違いないだろう。
問題は、その先だ。
加速をして間に合うかどうかが一つ目の問題。
そして、その加速のさなか、アリーナとクリフトを捉えることが出来るか、が二つ目の問題。
三つ目は──そんな状況下で、ユーリルが「しっかりと」ルーラを唱えられるかどうか、だ。
「……ユーリル殿。」
「ユーリル……っ。」
問題点が一瞬にして脳裏を駆け巡った一行は、すぐに鋭い視線を崖の方へと向ける。
もし、ユーリルが失敗したときのことも考えて──そのときはきっと、クリフトが強引にスカラでも唱えまくっていることを前提に考えて──、マーニャとライアンだけは、そのまま崖に駆け寄った。
ユーリルの、あの瞬間に見せた笑みは、信頼している。
けど。
最後まで手を抜かず、最善をつくすこと。
それは、間違ってはいないはずだ。
「ユーリル、アリーナ、クリフトっ!」
走りながら、マーニャはすばやく算段を練る。
ユーリルがルーラに成功したならば、話は早い。
けれど、もし失敗したのならば──駆け寄って、崖の上から下を見下ろして。
もし降りれるようなら、ミネアを連れて降下して──降りる瞬間に、イオとバギを唱えて落下の衝撃を和らげて……あぁ、そうするには、彼らが落ちた場所から少し離れたところに降りれるようにしないと。
それから、ミネアに傷を癒させて、ルーラで飛んで。
それから……それから。
キュ、と、下唇を噛み締めた瞬間。
ビュォンッ──と。
崖の真下から、風が吹いた。
強い……強い、風と、魔力の気配。
ハッ、と足を止めた瞬間、瞬く間もなく、ゴゥッ! と──風に煽られるように、人影が上空へと走った。
目の前を通り抜けたのは、ほんの一瞬だったが……その風は、3つの人影を伴っていた。
「ユーリルっ!!」
思わず零れた声は、歓喜の声だった。
思わず見上げたマーニャとライアン──そして馬車に残った面々の視線を受けて、かすかな光を纏った人影は、そのまま上空に、ヒュンッ、と音を立てて消えた。
「やったっ!」
思わず両手を握って、喝采をあげたのはトルネコだ。
ミネアもブライも馬車から降りて、夜空の向こうに消えた光の柱を見上げ──ほぅ、と安堵の息を零す。
「よかった……っ。」
「姫様……、クリフト……っ!」
両手を胸の前で組んで、ミネアは顔を俯けて──キュ、と目を閉じて喜びを示す。
ブライはその場にヘナヘナとしゃがみこみ、弱弱しく頭を振りながら、声を震わせながら喜びの声を発した。
「よくやった、ユーリルっ!!」
右拳を空に向かって突き上げながら、マーニャが夜空に向かって叫んだ。
よっしゃっ! ──と、ガッツポーズで喜びをたたえた面々に、ライアンも、ほ、と安堵の息を零しながら、夜空を見上げる。
そして、満面の笑みをたたえたまま、無言でマーニャを見やると、
「……で、マーニャ殿?
ユーリル殿は、一体、どこにルーラしたんだ?」
「………………………………………………。
…………………………………………………………。
…………………………え……?」
新たな問題が、勃発した瞬間であった。