面倒を見ることに慣れている男に、面倒を見られることに慣れている「村で一番年下だった僕」は、適わないってことだ、つまりは。
「クリフトの体温が戻ったら、部屋の中に戻ろうぜ。」
「別に、今から普通に部屋の中に戻れば、いいだけだと思いますけど。」
「ダーメっ。僕はまだ星を見るのに飽きてない。」
「そんなこと言って、明日風邪を引いていても知りませんからね?」
「ソックリそのまま返してやるよ。」
「わたしは、風邪を引くほど体は冷えてませんよ?」
軽口を叩きながら、ココアをすする。
ココアからの湯気なのか、吐いた息なのか、目の前が白く濁っていた。
毛布から出した指先は、冷たい風を感じるのに、毛布の中は湯タンポのおかげでヌクヌクしてきた。なんだかこのまま寝ちゃってもいい感じ。
温泉は寒い時に限るとアネイルで言っていたマーニャの気持ちが、今なら理解できそう。
「あぁ……綺麗な星ですね。」
はぁ、と息を吐いて、クリフトが呟く。
隣を見ると、顎を反らせて天上を見つめるクリフトの姿。
つられるように僕も空を見上げた。
そこには──リンと張り詰めた冷たい空気の中、冴え冴えと光る星の瞬き。
満天の星なのは、さっきと同じだ。
ぼんやりと眺めていた空と、何も変わりはない。
なのに、どうしてかな?
「──……うん、綺麗だよな。」
誰かと一緒に見上げているというだけで、さっきと違って見えた。
目に痛いほどのきらめきが、一つ一つ、力を持って光っているように、見える。
たくさんの──幾億ものメッセージが、僕の上に降り注いでくるように。
「むかし、姫様に……星が欲しいとねだられたことがあったんです。」
「あ、それ、こないだアリーナから聞いた。
そしたらお前、あの星は空にあるから輝いているんだって答えたそうだな?」
星は、空にあるから輝いているのだと。
地上に落ちたら、星は空を恋しがって泣くばかりで、決して輝きはしない。
それでも──その星を手に入れたいというなら、このクリフトが何をしてでも、手に入れて見せましょう、と。
「──ええ、正直、それでも欲しいと言われたら、どうしようかと思いましたけど。」
でも、多分そう口にした時、クリフトは確信していたのだろう。
アリーナは、決してそのようなことを言いはしない、と。
だから僕は、首を傾けるようにしてそんなクリフトの──淡く懐かしそうな微笑を見上げて、意地悪く聞いてやった。
「じゃ、僕が今、どうしても欲しいって言ったら?」
「どうぞ、お好きなだけ、ご自分でお取り下さい?」
にっこり、と言う微笑みが返ってくる。
んまー……予測してたけどさ。
「なんかこう、ためらいとか、驚きとか、ないわけ?」
「ないですね。」
アッサリ返されて、そーですか、と拗ねたように返事してやった。
すると、クスクスと、笑うような響きが肩ごしに感じられる。
からかわれているのは、もしかして、僕か?
そんな憮然とした気持ちで、ココアを飲む。
もう、大分ぬくもりの薄れてきた飲み物は、甘さばかりが喉をついた。
「──────姫様が、お星様が欲しいと言ったのには、理由があるって……本当は知っていたんです。」
「…………?」
少し目を伏せて、唐突にそう語りだしたクリフトを、横目で見やる。
「誰かに聞いたんでしょうね……死んだ人は、星になる、と。」
自嘲じみた微笑を刻んだクリフトの、どこか憂う顔を見ながら、僕はもう一度空を見上げた。
「王妃様が亡くなられた、少し後のことでしたから。
だから本当は、もっと良いお話とか、あったのかもしれないのに……、私は結局、本で読んだようなことしか、アリーナ様に語りかけることは出来なかった。」
満天の、星。
僕は、旅を始めてから今まで、まともに星空なんて見なかった。
たいてい星を見るときは、方角確認の用途くらいだ。
だから、覚えてない。
──村に居た頃と、今と、星の数がどう変わっているのか、なんて。
「……あぁ、だから、なのかな…………。」
見上げたまま、小さく呟いた。
そうだ、今思い出した。
アリーナが、僕に向かってどうしてその「お星様が地上に落ちたら、輝かなくなる」って話をしたのか。
あの時も僕は、特に見るともなしに星を見上げてたんだ。
星を見ているなんて言う自覚は何もなくて、ただ見ていただけだったけど。
多分きっと、アリーナは思ったんだろうな──僕が、空の星になった人たちを、むかしの自分と同じように欲しているのだと。
「…………慰めだったのか、アレ。」
うーん、まるで分からなかった。
「──は?」
きょとん、とするクリフトに、パタパタと手を振ってやった。
「いや、お前ら、思考回路、一緒だなー、って思っただけ。さっすが幼馴染。」
そして、多分──今、クリフトも、僕を慰めようとしてくれているわけ、だ。
僕が星を見上げている理由に、色々と思い悩んで。
「思考回路? ですか??」
「うん、そう。
あのさ──クリフト、そういったとき、ずっとアリーナと一緒に星を眺めてたんだろ?」
そう、今、僕に対してそうしているように。
あの時アリーナが、用もないのにぼくと一緒に星を見上げてくれていたように。
「慰めの言葉よりも何よりも、それが一番──うれしいよ。」
心に、届くよ。
「…………ユーリル…………………………。」
うん、と、一度頷いて、僕はカップの中身を飲み干した。
それから、満天の──降るような星を見上げる。
僕は、この星を見て、「綺麗」だと思える。
地上に咲く花を見て、美しいと思える。愛しく思える。
「さ、戻ろう。クリフト。
早く寝ないと、本当に風邪を引いちゃう。」
笑いかけると、クリフトも柔らかに微笑み返してくれた。
僕が笑うだけで、誰かも笑う。
そんな事実が、今、すごくうれしい。
だから……今度こそ、失いたくない。
その気持ちは、一日を経るたびに強くなっていくばかり。
「そうですね──一応、寝る前に風邪クスリだけ飲んでおいたほうがいいと思いますけど。」
湯タンポをしっかり抱えて立ち上がる僕に、同じように立ち上がりながら、クリフトが手早く毛布をまとめる。
そんな彼の、堅実な台詞に、僕は思い切りよく眉を顰めた。
なんで甘いココア飲んだ後に、苦い薬を飲むんだよっ! 普通、逆だろ、逆っ!?
「コレに懲りたら、星見するときは、しっかり着込んでくださいね。」
言いながら、クリフトはさり気に自分の髪を掻き揚げる。
そして、一瞬だけ眉を顰めたのを、僕は見逃さなかった。
──まだ、髪が濡れているに違いない。しかも、冷たくなってるんだ。
「そういうクリフトも、風呂上りにベランダに出るのはやめような。」
意趣返しをこめて、そう言ってやると、クリフトはなんともいえない苦い顔で、窓を閉めた。
「肝に銘じておきます。」
軽く肩を竦めて答えてくれるクリフトに、僕は小さく笑い声を上げた。
旅の空の下、日常が、「日常」っていえないような日々ばかりだけど、それでも僕は、この日常が気に入っている。
旅を始めた当初は、旅が終わったらどうしようだとか、そんな不安も胸のうちにあったけど、今はとりあえず、旅が終わって、真っ先にやりたいことが心の中に浮かんでくるようになった。
旅の後、何をしようか、というのは、実際、誰もが色々考えているらしいけど。
とりあえず、僕は。
いつか、きっと、未来──みんなで笑いあいながら、花畑を作りたいな、と……そう、密かに思ってる。
まだ、みんなには、内緒だけどね。
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