アリアハン大陸の西──広大な森の奥深くに、オルテガと共に旅をした魔法使いが住んでいる。
現存する魔法のほとんどを使いこなし、世界のあらゆる歴史や文字を操ることができる優秀な頭脳を持つその魔法使いは、ただ、とても「偏屈」で、森の外を出ることはなかった。
そのため、魔法使いの姿を見たことがあるのは、大陸中でもほんの一握りの人間だけ。国王ですら、魔法使いが森の中に移住する許可を得にやってきた時に、一度顔を会わせただけなのだという。
魔法使いが森の外の人間と顔をあわせるのも、月にほんの数度あるかないか。森の中で自給自足で暮らしている中で、足りなくなった物資を補給する時くらいなのだと言われている。
古くから「死の森」と呼ばれるその森(実は単に、人里から離れた場所にある森で、奥地には広い地下洞窟への入り口があるため、危険だとみなされて子供たちが近づかないようにと、大人たちがそう呼んだのが始まりの、別に何のいわくもない場所だったりする)に住む「偏屈な魔法使い」は、いつのころからか、アリアハンの城下町やレーベの村の子供たちから、「人を取っては食う魔法使い」だと、恐れられていた。
だから、子供たちは決してその死の森には近づかない。
──たった一人。
勇者オルテガの血を引く、勇者になるべき子供以外は。
「……偏屈な魔法使いが唯一認めた勇者様だって──お前、世間でそー言われてるらしいぜ。」
がさがさと、前から突き出てくる葉っぱを剣の柄で払いのけながら、からかうようにそう口にすれば、数歩前を歩いていたシェーヌが、呆れたように肩口から顔を覗かせた。
「それじゃ、シャハールとしょっちゅう酒盛りしてるシーズさまは、偏屈な魔法使いの愛人、──ってぇわけだ?」
片目をすがめながら、アホらしい、と吐いて捨てれば、
「──……ぶはっ!! おまっ、バカ言うなよっ!?」
噴出したフィスルが、不敬罪だと顔を大きくゆがめる。
シェーヌはそんな彼にヒラヒラと手を振りながら、
「そーゆーフィルこそ、今、頭ん中で想像してなかったか?
シーズ様、なんでかしんねぇけど、王宮の男どもにもてるからなー。」
ケラケラと明るい笑い声をあげながら、今朝会ったばかりの義理の祖父の顔を思い浮かべる。
凛々しい……というよりも、粗野で大雑把な面差しをしている男は、アリアハンの唯一の将軍という、非常に「モテる」位置に居る。
「…………あのな、シェーヌ? シーズさまが今、女性の方々よりも男性の方々にモーションかけられてるのは、お前のせいじゃなかったか?」
「え、そだっけ?」
疲れたようにため息を零すフィスルの言葉に、シェーヌは小首をかしげて、自分が何かしただろうかと思い返す。
しかし、脳裏に思い浮かぶのは、シェーヌとフィスルの剣術の師匠である「祖父」の、老若男女問わずにモテる原因とも言える、彼の経歴ばかりであった。
王族の王位継承権はとおに破棄してないものの、現国王の従弟であり、時期皇太子の剣術指南役。
しかも、生死が不明であるものの、世界的に有名な「勇者オルテガ」の養父であり、これから有名になる予定の「勇者シェーヌ」の指南役で義理の祖父。
性格は大雑把さが目立ちすぎるものの、細かいところに目が利き、老人と女子供に優しく、そして何よりも強く。──アレで子持ちどころか孫持ちですらなかったら、若く美しい独身の娘たちから、秋波を送られすぎて、毎日大変になっていたところだろう。
──と、そこまで思い出して、あぁ、と、シェーヌはポンと手を叩いた。
「あ! もしかしてアレか? フィル?
去年の、お前とシーズさまの愛人宣言!」
「もしかしなくてもソレだ! つぅか、宣言じゃねぇっ! 疑惑だ、ぎ・わ・くっ!!!」
ガバッ、と振り返って叫ぶフィスルの言葉に、そうだっけ? と、シェーヌは反対側に首を傾げながら、当時のセンセーショナルな……というか、今でも続くシーズの周辺の騒動を思い返した。
シーズがモテるのは、シェーヌが物心ついたときからそうだ。
ルイーダに聞くところによると、オルテガが小さかったときからそうだったらしい。
オルテガが幼いころには、「オルテガの母になりたい!」という女性が急増して、一時期は「お見合いパーティ」まで開かれた勢いだったという。
けれど結局、シーズがのらりくらりとそれを交わして来たタメ、未だに彼は独身なのだ。
すでに壮年と言っていい年ではあるものの、いい男であることには代わりがないシーズは、今でも秋波を送られすぎて、夜這い3連日とか食らうことも多い。
昔なら、それこそのらりくらりと交わしきる体力もあったらしいが、めきめきと実力を伸ばしてきたシェーヌの剣の稽古の後に、夜這いに来られるのは参るらしく、おととしくらいから、彼は夜這いに来られた瞬間、自室の窓から逃亡すると言うことをはじめた。
この場合、逃亡先はシェーヌの家である。
これが度々ではなかったおととしはまだよかった。
しかし、去年になってから、「俺も体力的に衰えた」と言って彼が逃亡してくることが、4日に1度──早い話が、夜這いに来られたそのすべてを逃亡している──にもなった時には、シェーヌも我慢が限界になった。
シーズが泊まりにやってくると、シェーヌは自室のベッドから追い出されるのだ。そしてソファで寝る羽目になる。
この件に関しては、さんざんシーズと正面対決してやりあったのだが、伊達に勇者オルテガを育てた経歴を持っていないとでも言うべきか、シェーヌは基本的に、シーズ相手に一勝もしたことがない。シーズに勝てる物といえば、早起きくらいの物なのだ。
そんなソファ生活が1ヶ月も続けば、シェーヌも切れる。
結果、シェーヌはその日も夜遅くやってきたシーズに、「フィルが、俺のところにばっかり来て、自分の所に顔を見せないなんて、ひどいや師匠(うそ)って言ってたぜ。」と、朗らかな笑顔で言うことになった。
もちろん、シーズはソレがシェーヌのウソだとわかっている。
わかってはいたが、夜に押しかけた自分に対応するフィスルの、苦悩の顔を見てみたいという、イヤがらせの気持ちの方が勝った。
かくして、シーズはその日から、フィスルの部屋に毎晩、イヤがらせを嬉々として行った。
やることは、夜を通してのヒンズースクワットや腕立て伏せだとか、酒に溺れさせることであったりだとか、時には潰れたフィスルを起こすために、強引に関節技を決めることであったりだとかした。
結果、シーズが泊まっていった翌日、フィスルは生気を吸い取られたようにフラフラすることが多くなり──────、
「シーズ閣下が、愛弟子のルイーダの一人息子の所に、毎晩夜這いしている!」
という噂が立ったのだった。
ちなみにこのとき、シェーヌはこの噂を肯定こそすれ、否定することはなかったということを付け加えておこう。
そのときのことを思い出して、アレ、今でも下火になってないんだよなー、アハハハ、と明るく笑うシェーヌの言葉に、フィスルは八つ当たりまがいに飛び出てきた枝を叩き落した。
「ぜんっぜん、しゃれになんねぇんだよ、それ!
俺はな、おかげで今でも、先輩たちから誘いをかけられることがあるんだぞっ!?」
「おー、そりゃお互い様だろ? シーズ様なんて、男が夜這いに来るようになったって、笑ってたぞ?」
フィスルの泣きそうな訴えは、あっさりとシェーヌに叩き落される。
「そりゃ、シーズ様は笑って済ませられるだろうさ! でもな、でもなぁっ! 俺なんて、相手が先輩なんだぞ、先輩っ!! 断るのも一苦労するんだっつぅの!」
「つぅか俺としちゃ、お前がそこまで男にモテるのにもびっくりだぜ。
……うーん、思ったよりもライバル過多ってヤツか?」
くり、とかわいらしい動作でありながら、なぜか背筋がゾクゾクするような気持ちを駆り立てるシェーヌの問いかけに、フィスルはゲンナリしたように肩を落とした。
「俺は、どーせモテルなら、可愛い女の子にモテたいよ………………。」
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