「さっむーいっ!」
 宿屋のドアが豪快に開いて、飛び込んできたのは亜麻色の髪の少女だった。
 愛らしい白い容貌が、頬も鼻の頭も可哀想なくらい真っ赤に染まって、首をすくめて飛び込んでくる。
 その彼女の帽子にも肩にも、白くふっくらとした雪がかすかについていた。
「お帰りなさいませ、姫様。」
 ニッコリ微笑んだ青年が、宿のロビーに設置されていた暖炉の前の休憩所から顔を覗かせる。
 買い物に行って来ると出かけたアリーナとユーリルが、そろそろ帰って来るだろうと、つい先程部屋から出てきたところだった。
 暖炉の火で温まったストールを片手に持ちながら、体から雪を払っていた少女を出迎える。
 その後ろで、ドアがもう一度開いて、彼女と同じ有様の少年が飛び込んできた。
「途中で雪が降ってくるんだもん。このまま宿に帰れないかと思ったぜ。」
 ぼやく彼の背後で閉まるドアの向こうは、白い細かな粒が吹きすさんで見えた。
 先に宿に飛び込んだアリーナは、と視線をさまよわせた先。
「クリフトっ、ただいまーっ!」
 出迎えに出て来てくれた青年の懐に、ばふっ、と飛び込んでいるアリーナの姿が見えた。
 彼女は、冷え切った頬を彼の服に擦り付けて、はぁ、と息を弾ませる。
「あぁ、こんなに冷え切って……。」
 言いながら、クリフトは手にしていたストールを彼女の肩に掛けてやる。
 そうしながら、さりげに残っていた雪を払ってやり、自分に抱きついているアリーナの頬に指先を触れさせた。
「ずいぶん冷えてますね。何か暖かい飲み物でも作っていただきましょうか?」
 覗きこむように尋ねてくるクリフトに、うん、と一つ頷いて、アリーナはクリフトの手に自分の手を重ねて、彼の手のひらを己の頬に押し付けた。
「クリフトの手、あったかーい。」
「姫様の体が冷えてるんですよ。どうぞコチラへ。暖かいですよ。」
 嬉しそうに頬を緩めて、アリーナはクリフトの体から離れると、掛けてくれたストールの前を掻きあわせて、彼の後に続く。
 クリフトはアリーナの髪を手で梳きながら、ストールの上に髪をファサリと出して──ユーリルを振り返った。
「ユーリルも、ココア、飲みますよね?」
 笑顔で確認するクリフトに、うん、と一つ頷いて、ユーリルもクリフトと入れ違いになるように中へと入った。
 暖炉を囲むようにして椅子がいくつか置かれていて、その椅子の中の一つに、チョコン、とアリーナが腰掛けていた。
 他の椅子には、見ず知らずの同じ宿を取っているらしい夫婦と、岩窟そうな老人が1人。
 そしてアリーナの近くの椅子に、ミネアが腰掛けていて、その肘掛に、長い足を惜しげもなくさらしたマーニャが座っていた。
 入ってきたユーリルに、マーニャはアリーナの隣の椅子を指で示した。
「ソコ、あったかいわよ〜。あたしとクリフトで、あんた達の分の椅子を確保してやったんだから、ありがたく思いなさい。」
 ニッコリと笑うマーニャのあでやかさに、ぱっ、と周辺の空気が色づいた気がした。
 そんなマーニャの側から、ミネアが穏やかに微笑む。
「二人とも、とても寒かったでしょう?」
「うん、寒かった! でも、とっても楽しかったわ、ね、ユーリル?」
「そうそう、色々面白いものもあったし。」
 そう言ってにっこりと微笑みあうアリーナとユーリルに、マーニャはソレは良かった、と一つ頷いた後──ところで、と紅の塗られた唇をキュ、と笑みの形にゆがめて、
「さっきから見てたんだけど、あんたら、荷物がないようだけど?
 買出しにいったんじゃ、なかったのかな〜?」
 ん? と、首をかしげて、笑ってない目元でヒタリとユーリルと睨みつける。
 そんな彼女に、ユーリルは手元を開いて、何も持っていないと示した後、
「買出しに行った先で雪に降られて、何も買ってこれなかった。」
「雪の中、走るのってとっても楽しかったわ〜。」
 ニコニコとアリーナも笑って答える。
 そんな愛らしい二人の様子に、同席していた夫婦と老人が、目元を緩める。
 マーニャがそんな二人に、あきれたようにため息をこぼして、
「──まぁ、そんなこったろうと思ったわよ。雪が降ってきた時点でね……。」
 ミネアの座る椅子の背もたれの上に頬杖をつく。
「どちらにしろ、今日はこの分だと外出できそうにないから、また明日──買出しに行かないと駄目ね。」
 どんどん激しくなっていく吹きすさぶ風の音に、ミネアはゆるく瞳を細めた。
「明日は晴れるかしら?」
「雪が積もったら、雪だるま作ろうぜ。」
 首をかしげるアリーナに笑いかけながら、ユーリルがそう提案する。
「ガキねぇ。」
 まったく、と、マーニャが吐息を一つこぼした瞬間、
「アリーナさま、ユーリル、ココアが入りましたよ。」
 両手にホカホカと湯気の立つカップを手にしたクリフトが入ってきた。
 その声に、ぱぁっと頬をほころばせて、ユーリルが椅子から乗り出すようにして手を差し出す。
 その手の上にユーリルの分のカップを置いてから、クリフトはアリーナに残るもう一つを差し出す。
「ありがとう。」
 にっこり笑って、アリーナはクリフトの手からカップを受け取り、両手でそれを包み込み、ふぅふぅ、と息を吹きかける。
 そんなアリーナを、やさしい眼差しで見守るクリフト。
 マーニャはそのクリフトを見上げた。
「あたしたちの分は〜?」
「先ほどまでワインを飲んでいたじゃないですか。アレはもうよろしいのですか?」
「とっくの昔に空っぽよ。」
 えっへん、と威張るように胸を張って宣言するマーニャの先を見やると、確かにソコには空になったグラスが二個と、同じく空になったワインビンが一つ。
「あ、あら、つい口当たりが良かったもので……。」
 口元に手を当てて、うふ、と照れたようにミネアは微笑む。
「あまり飲みすぎるのも考え物ですよ──昼間っから。」
 そう一言言い置いて、クリフトはユーリルとアリーナの背後に立つ。
 ココアをおいしそうに飲んでいたアリーナは、そんなクリフトを顎を反り上げて見上げると、
「──あ、そっか、クリフトが座る場所がないわ。」
「……あ、そういえばそうだな。」
 なぜ彼が自分たちの背後に立ったのか理解する。
 今ユーリルとアリーナが座っている椅子は、元々マーニャとクリフトが座っていた場所だ。
 マーニャはいつものようにミネアの肘掛に座っているので違和感がなかったが、クリフトは座っている誰かの肘掛に座ることなんてしない。
 それなら、クリフトに椅子に座ってもらって、自分が肘掛に座るかと、ユーリルが彼を見上げた瞬間、ピョン、とアリーナが椅子から降りた。
 そして彼女は、クルリとクリフトを振り返ると、
「クリフト、座って!」
「いえ、わたしは立っていますから。」
「あら、でもクリフトが座ってくれないと、わたしも座れないじゃない。」
 小さく笑って、アリーナはユーリルの肘掛に腰を落とす。
 断りもなく肘掛に腰を落としたアリーナに、まったく、と小さくこぼして、ユーリルはもう片方の肘掛に体重をかけた。
 クリフトは苦く笑みを広げてから、失礼します、とアリーナが座っていた椅子に腰をかけた。
 しっかりと彼が腰を落としたのを確認して、アリーナはヒラリと肘掛から降りると、そのままいつものように彼のひざの上にチョコン、と腰を落とした。
 ユーリルはソレを待って、アリーナが腰を落としていた肘掛の方に体重を預けると、
「なぁなぁ、アリーナのココアの方、ホイップ入ってる?」
 何事もなかったかのように話しかける。
 アリーナは首を傾けるようにして、ユーリルを見下ろそうとすると、体が小さく揺れた。
 クリフトがそれを正すように、手のひらを差し出して彼女を支える。
「うん、入ってたわよ。」
 笑ったアリーナに、ユーリルがエコヒイキだ、と、クリフトを軽く睨みつける。
「エコひいきって──あなたはいつもホイップを入れないじゃないですか、代わりに砂糖を増やせとか言うくせに。」
「今日はホイップな気分だったんだよ。」
 あきれたようなクリフトの答えに、ユーリルもブッスリと答えて、ココアを口に含んだ。
 その濃厚な甘みを舌先で感じていると、同じように上機嫌でアリーナがココアに舌鼓を打っていた。
 そんなユーリルとアリーナを見て、マーニャがヒラリと肘掛から降りる。
「ホットワインでももらってくるわ。クリフト、あんたどうする?」
「いえ、わたしは結構です。」
 小さく笑んで断ったクリフトに、両手でマグカップを包み込んでいたアリーナは、あっ、と小さく零す。
 そして、自分が手にしていたマグカップを、クリフトの口元に差し出す。
「クリフト、一緒に飲む?」
 にっこり、と可憐に笑う少女に、クリフトは小首をかしげて、
「それじゃ、一口だけ。」
 そう告げた。
「あー、僕も一口。」
「ユーリルは、もう飲んでるじゃないの。」
 クリフトに自分のマグカップを手渡したアリーナが、あきれた様に言うと同時、マーニャが「ワインワイン〜♪」と口ずさみながら、宿の受付のほうへと歩いていった。
 ミネアはそれを見送りながら、
「──明日も、この町に足止めかしらね?」
 のんびりと、椅子の背もたれに体重を預けてそう呟く。
 何事もない──いつもと同じような光景。


 ただ一つ、なんとも言えない顔で、夫婦と老人が、5人。
 その物事を、呆然と見守っていた。



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