栗クリームのどら焼き
懐かしい味がします。

幻水２

鬼の霍乱

「今日のオヤツは、何にしましょうか？　どら焼きとかどうですか～？」
　柔らかにそう尋ねる青年をチラリと見上げて、スイは整った顔に渋面を貼り付けた。
　銀色のお盆を胸元で抱き込んで、ニッコリ微笑むグレミオの顔は、お世辞にも華やかであでやかとは言えなかった。
　夏の日差しの下で見れば、まばゆいばかりの白い肌は、今はずいぶんとくすんで……いや、くすんでいるというよりも、血の気を失った蒼白色だ。
「…………グレミオ。」
　かたん、と、冷えたハーブティの入ったグラスをテーブルの上に置けば、グレミオは緩く……ゆったりとしすぎるほどゆったりとした仕草で小首を傾げる。そのついでに、フラリと体がかしぎかけたのは、愛嬌というか、当然というか。
「はい、どうなさいました、ぼっちゃん？」
　なのに、蒼白な顔色で、目の下にクッキリと浮き出るクマの上に、見て分かるほどの皺を寄せながら、グレミオはハキハキした声でスイの言葉の先を待つ。
　この声だけ聞いていれば、グレミオが今にも倒れそうな風体だなど、誰も思ったりはしないだろう。
　けれど、一目見てしまえば、驚くばかりだ。──というか、この顔で、この様子で、今テーブルに広げられている昼食を用意したと言うのだから、たいしたものだ、……けれど。
　スイは、それを誉めるわけには行かなかった。
　いや、それどころか、人の言うことを聞かないグレミオに向かって、叱り、言い聞かさなくてはいけない立場にあった。
　そもそも、ほんの数時間前の朝食の時に、口をすっぱくして言ったはずなのに。
　いや、グレミオが「お昼御飯ですよー」と、スイの所に呼びに来た時だって、何をバカなことをしてるんだと、そう叱り飛ばしたと言うのに。
　その口の根も乾かないうちに、「オヤツはどうしますか」だと？
「……おまえ、さっき僕が言ったことを覚えてないのか？」
「オヤツのお話ですよね～？」
　ゆったり、と表情を変えて笑うグレミオの頬は、ちょっとこけていて、やつれていると言った風だ。
　とぼけたようなグレミオの言葉に、けれどジットリと彼を睨んでいたスイは、彼が本気で言っているのに気づいて、ふぅ、と溜息を零す。
　記憶もあやふやになってきたと言うのなら、これは本格的に寝かせておかなくてはいけない。
　──って、数日前から言い続けてるのに、グレミオと来たら、ぜんぜん人の話を聞きやしない。
「グレ、誰もオヤツのことは言ってない、おまえだけだ。」
「でも、オヤツは大事ですよ？　甘いものだって食べないと、頭が働きませんし。」
　ね？　と、微笑むグレミオの表情は、いつもなら見ているこちらもおっとりとなるものだが、今日ばかりは違った。
　何せグレミオは今、性質の悪い夏風邪にやられて、４０度近い熱が出ているからである。
　高熱があるにも関わらず、顔色が蒼白の事態ですでに立っていることすらおかしいというのに、朝から朝食は作るし、気づけば洗濯や掃除をしてるし、それを奪い取って部屋に押し込んだはずなのに、掃除をしているスの所に「昼食ができた」と迎えに来た挙句、冒頭の台詞である。
「頭が働いてないのはグレミオだ！　いいか、グレミオ、今日五度目の僕からの命令だ。
　今日は一日、何があっても、絶対にベッドから抜け出ないこと！」
「でもそれじゃ、オヤツが作れませんよ？」
「作らなくてもいいの！」
　朝食も昼食も掃除も洗濯も買い物も、全部スイとクレオとパーンが手分けしてやると言っているのに、気づいたら３人の動きの先を行って、グレミオが家事をしている。
　その先回りのすばらしさに、さすがはマクドール家の主婦だと感心していたのも、最初の二日ほどだけ。三日目に入り、グレミオの体調が笑っていられないほどひどくなってからは、なんとしてでも彼をベッドに押し込むことにしていた。
　──にも関わらず、先回りされているこの現状は……。
「とにかくグレミオは、ベッドでゆっくり休んで、何があっても立たない！　御飯は運ぶし、飲み物も水差しから飲め！　トイレに行きたくなったら取ってやるからベルで鳴らして僕かパーンを呼べっ！」
「そっ、そんな、ぼっちゃんをベルで呼ぶなんて、とんでもありません！　グレミオは別に、寝たきりの老人じゃないんですから！」
「似たようなものなんだよ、今のおまえの体調は！！」
　なのに、そうやってムリに立ち上がるから、良くなるものも悪くなる一方！
　昨日、回診に来て貰ったリュウカンだって、休ませるのが一番だと口をすっぱくして言ってたのに──どうして、台所で眠っているパンの種の事は記憶していても、休めと言われたことを記憶してないんだ、グレミオはっ！
　スイは、グレミオの顔色が土気色になってきたのを見上げて、泣きそうな気持ちになりながら、彼の腕を強引に掴んで、
「おとなしく寝てないと、一生口利かないからなっ！！？」
　グレミオにのみ良く効く、伝家の宝刀で持って、グレミオをベッドにもぐりこませることに成功はしたのだが。
　問題は、と。
　スイは、閉まった部屋のドアを見ながら、うんざりした気持ちで思う。

　グレミオが今の伝家の宝刀を、いつまで覚えていてくれるかである。

「…………やっぱ、病人にはヤバイって言われたけど、睡眠薬でも盛るしかないのか、グレミオの場合は…………。」

　そんな乱暴なことを、しみじみと思ってしまう──夏のとある日の、午後。

グレミオさんの鬼の霍乱。ぼっちゃんは心配でしょうがない様子。