バターロールとブラッドオレンジ

バターロール
ふんわり柔らかなミルクとバターの味
特に焼きたては最高です。







幻想水滸伝2 Wリ−ダーズ

「I LOVE PAN MACHINE」









 それは、とある秋の、良く晴れ渡った日の出来事だった。



 ジョウストン都市同盟の隣国「トラン」の英雄こと、スイ=マクドールが、秋の行楽日和にちょっと足を延ばして、ティーカム城までやってきていた。
 夏の真っ只中には──湖のただなかに砦を持っていたスイも良く分かることだが──、湖から吹く生ぬるく湿気を帯びた風のおかげで、不快指数は常に80%を越えてしまうティーカム城は、夏には近づきたくない場所トップ5に入る。そのため、スイの足も自然と遠のいていた。
 しかし、水蒸気で出来る蜃気楼を見ることもない秋口になれば、心地よい風が湖から絶えず吹きつけて来て、ティーカム城の初秋は、とても過ごしやすい気候となる。
 また、ティーカム城には、露天風呂もあるしレストランも酒場もある──行楽気分の最終地点としては、望ましい場所であった。
 しかも、スイ個人に至っては、ティーカム城までこれば、一瞬で帰れる「テレポート」地点にもなる。
 だから、スイがグレッグミンスターからの「ちょっとそこまでピクニックしてくる」はずの、思わぬ遠出となった最終地点に、ティーカム城を選んだのは、ある意味【必然】なのである。
 かくして、モンスターどもを適当に蹴散らして、ちょうどいい運動不足解消を果たした英雄は、いつものごとく傷一つない体で、ティーカム城の城門を潜り抜けることとなった。
 すでに顔見知りの門番と軽く二言三言挨拶を交わして、大通りに踏み込みながら、スイは手にした棍で、トン、と軽く肩を叩いた。
「さて……どこから行こうかな。」
 ぐるりと見回した大通り沿いの木々は、青々と茂っているように見えたが、デュナン湖から吹き付ける優しくも冷たい風に晒されて、ずいぶんと青みを失っているように感じた。
 もうあと少しすれば、やがて紅葉へと至るだろう。
 冷たい風に大きくざわめく木を横目に見ながら、とりあえず紋章屋に顔を覗かせに行くかと、城門から商店街の方向へと──まっすぐに進路を決めたその瞬間だった。
 通りの左右に連なる商店街の上。いい風が吹いてくる日は、城門のあたりまでかぐわしい香が届くと言われている、ハイ・ヨーのレストランの、テラス──そのバルコニーに、バサリと白い何かが飛来した。
「──……ぁ。」
 視界を掠める真っ白いものに、思わず釣られて視線をあげると──同じように、数人の通行者が、ふと足を止めて上を仰いでいた。
 商店街の連なる屋根のさらに上。
 風を孕んで大きく膨らんだ布の──テラスのバルコニーの横幅を覆い尽くすほどの大きな布地を握り締めているのは。
「──あ、リオさまだぁっ!」
 スイのすぐ傍に立っていた子供が、にっこりと丸みのある頬を綻ばせて、バルコニーに立つ少年へと指を指し示した。
 そう、大きな布地を──おそらく、レストランの広告用のバナーになるだろうそれを握り締めているのは、このティーカム城の城主にして、新都市同盟軍のリーダーでもある、少年だった。
 彼は、下から見上げられているのに気づいていない様子で、右から左へと掌を大きく動かし、隣に立つ男に──そのレストランのコックであるハイ・ヨーに、布地の片端を手渡す。
 ハイ・ヨーはリオから手渡された布地を受け取りながら、コクリと頷き──それから2人は、クルリとお互いに背を向けるように反転して、ダッ、と、バルコニーの両端へ目掛けて駆け出した。
 風を孕んで大きく広がり──隣の中央塔の壁に薄い影まで伸ばしていた白い布は、2人が両端に向けて走るに従って、そのふくらみを小さくしていった。
 そうなるに従って、膨らみすぎて真下からでは布地の裏側しか見えなかったバナーの表面が、皺で見え隠れして──……。
 パンッ、と、景気の良い音とともに、バナーの皺が伸びて、すかさずその瞬間を狙い違わず、リオとハイ・ヨーの2人は、布の両端にあらかじめつけていたのだろう紐を、ぐるぐるとバルコニーに固定した。
「──……わぁっ!」
 その2人の手際の良さに、思わず感嘆の声をあげたのは、子供だけではなかった。
 その子の手を引いていた母親らしき女性も、口元を綻ばせながら、掌を口にあてて軽やかに笑う。
 ようやくまっすぐに伸びた白い布地に描かれた──手書きらしい、リオの癖のある字と、可愛らしいイラスト。
 それを認めて、スイも思わず頬を綻ばせた。
 リオとハイ・ヨーは、バルコニーの両極端から、そろって体を外に向けて乗り出し、その文字と絵を確認すると、うんうん、と大きく頷きあった。
 そのまま、ダッ、と2人揃ってバルコニーの中央に戻ってくると、こちら側を向いて、
「みなさん、今日は、パンパン☆パンデーね!!!」
 ハイ・ヨーが、口の回りを掌で覆って、叫んだ。
 さらに続けてリオがその隣で、両手をブンブンと振って、足を止めて自分たちを見上げる「お客さん」にアピールするように、
「特別パンが、目白押しだよーっ!!! 今日限りの限定商品もありまーっす!」
 コレコレ、と、バナーを叩いて──それから、自分に向けて、笑いながら手を振る子供に気づいて、ニッコリ笑って手を振り返してやりながら…………。
「────…………って、あれぇぇ、スイさぁんっ!!!!??」
 ガバッ、と、驚いたように、バルコニーから上半身を乗りだして、良く響く声で、そう叫んでくれた。
 今にも落ちそうなほど乗り出したリオに、慌てて隣のハイ・ヨーが飛び掛るのを見ながら──なおかつ、リオの突然の声に目を丸くしながら、キョトンと当たりを見回している人々の視線を感じながら。
「……叫ばなくていいから、そこから。」
 スイは、半ば苦い色を含んだ笑みを、口元に刻んだ。





 このまま、何も無かったように酒場へ行ってしまおうかと、きびすを返しかけたのも束の間。
 つい先ほどまでレストランのテラスにいたはずのリオが、商店街通りの突き当たりの──東塔の一階入り口から駆け出してくるほうが、早かった。
「スーイーさぁぁーんっ!!!」
 尻尾を振りたくった上に、それでは足りないとばかりに、全身全力を持って駆けてくる犬というのは、こういうのを言うのだろうか?
 そう思わせる速度で走ってきたリオは、ギョッとして身を引く人々の奇異な視線を一心に受けながら──それを全く気にせずに、そのまま英雄目掛けて、がばっ、と抱きついた。
「スイさん、スイさん、スイさぁーんっ!!!」
「あー……リオ、リオ、ちょっと落ち着いて。」
 避ける間もなく──いや、本当は避けたい気が満々だったのだが、周囲の視線が気になったので、否応なく受けてみた──横手から抱きついてきたリオが、興奮した犬さながらに、すりすりと頬を寄せてくるのを、落ち着かせるように肩を叩いてやるが、その興奮は一向に収まるところを知らなかった。
「スイさん! 今日はどうしたんですか!? 来るなら来ると言ってくれたら、僕、グレッグミンスターまで迎えに行ったのに!!」
 がばっ、と顔をあげて、キラキラ光る目で訴えるリオの紅潮した頬を見下ろしながら、まぁ、落ち着いて、と、スイはことさらゆっくりとした口調で彼の体をやんわりと引き剥がすと、
「あんまりにもお天気が良かったから、ちょっと散歩がてら遠出しただけなんだけどね。」
「そうなんですか〜!」
 ここに誰か突っ込み係りがいたら、「ちょっと散歩」で、なんでノースウィンドウまでくるんだと、突っ込んでくれたに違いないが、残念ながらこの場にはリオとスイとその他大勢しかいなかった。
「あっ、それなら、スイさん、おなか空いてませんか!? さっき、焼きあがったばかりのパンがあるんです、パンっ!!」
「──あぁ、あの、……パン?」
 キラキラと、さらに目を輝かせて満面の笑顔を貼り付けるリオの顔に、つられて微笑みを零しながら、スイはチラリと意味深にレストランの垂れ幕を見上げた。
 真横に長く作られた垂れ幕──岩のようにしか見えない細い丸の形をした「パン」のイラストに、こちらは見事な色彩で描かれたサンドイッチのイラスト。
 そして。
「はい! 今日は、パンパン☆パンの日なんです〜っ!!」
 イラストの横手に書かれた、リオの字で書かれた、豪快かつ勢いのある字。
 そこに書かれた言葉と同じ文句を口にしながら、リオはスイの腕に手を絡めると、
「みんなで、いろんなパンを作って焼いたんですよ!」
 さぁさぁ、と、スイの腕を引っ張りながら、今自分が来たばかりの道を戻っていく。
「みんなでパンを? リオとハイ・ヨーさんだけじゃなくって?」
 今にも飛び上がっていきそうなほど楽しそうなリオの様子に、クスクスと笑みを零しながら問いかけると、リオは肩越しに振り返って、もちろん、と大きく頷いた。
「ビクトールさんは熊パン焼いたし、フリックさんはジャムパンなんです! あと、シーナさんはプリンパン焼いてたし……。」
 スイの腕を捕まえている手とは違う手で、指折り数えながら歌っていくリオの言葉に耳を傾けながら、スイは彼らがどうやってそのパンを作ったのか想像して──ますます、笑い声を軽やかにあげた。
「そうなんだ。それはさぞかし楽しそうだね。」
「はい! 僕もね、頑張ったんですよ!」
「そう。」
 料理勝負でハイ・ヨーの手伝いをしているリオが作るパンなら、さぞかし美味しいパンに違いない。
 一体、どういうパンを作ったんだい、と──そう尋ねるつもりで口を開いたスイの言葉が零れるよりも早く、
「レパントさんには負けられませんから!」
 リオが、満面の笑顔で、そういいきってくれた。
 邪気が欠片もない笑顔には、自分が作ったものへの自信が満ち満ちていた。
「──……レパント?」
 思わず、潜めるように声の調子が下がったスイに気づくことなく、リオはグイグイとスイの腕を引っ張って、建物の中へくぐりはいる。
「そうです! ほら、レパントさん、この間『英雄まんじゅう』作ったじゃないですか〜、スイさんの顔の形した。」
「──……あぁ……うん、そうだね。」
 ますます先ほどまでの答えと違う調子になるスイの口調に、リオは全く気づかない。
「あれ、僕、絶対間違ってると思うんですよね!」
「へぇ……。」
「だってほら、まず第一に、スイさんに似てるところがないじゃないですか! スイさんの顔はあんなに丸くないし、スイさんの髪はもっとサラサラだし、何よりも瞳が……っ!!」
 ぐぐっ、と、拳を握り締めて叫ぶリオの言葉は、つい先日もどこかで──そう、マクドール家の屋敷の中で、主人の気持ちを無視して早速まんじゅうを購入してきたどこぞの下男が、衝撃の声と顔で叫んでいたのと、まったく同じものだった。
 ちなみにその後、そのマクドール家の下男は、謎の襲撃者により、一週間ほどベッドから立ち上がることはなかったとかどうとか。
「────……そう、それで?」
 近くに誰かが知っている者が居たならば、警報を発していたに違いないスイの、冴え渡るような微笑が、口元にあがる。
 けれどリオは当然、前を向いているのでそのことに気づく気配はなく。
「だから、僕が、これこそ正しいスイさんですと、世の中に知らしめるために、『マクドールさんパン』を作ったんです!!」
 ──……。
「すっごい、力作なんですよ! 中にアンコが入ってるのと、クリームが入ってるのがあるんです! もう、今から完売御礼間違いなしの自信作で……っ!!」
「…………リオ?」
 冷ややかな空気を纏った声に、興奮がいきわたったリオが、気づくこともなく。
 階段を上りかけたところで、グイ、と腕を引かれて、立ち止まりを要求されて、リオはキョトンと目を見張って、スイを振り返った。
「え、歩くの、早すぎましたか?」
 まるで見当違いの心配を投げかけてくるリオに向かって。
 スイは、今日一番最高の──冷ややかな笑顔を浮かべると。




「         。」





────────その日、レストランの一つ下の階で、謎のガス爆発に軍主が1人巻き込まれたと伝えられたのは、垂れ幕が掲げられてから10分後のことだったと言う。






たまにはそんな日も。