幻水1 クリスマス
「もーう、いーくつ寝ーるーとー、お正月〜。」
上機嫌で軽やかな口調で歌を謡いながら、スイは傍らに置いてあったダンボールの中から、シャラリと音を立てる鐘を取り上げた。
親指と人差し指で作ったワッカと同じくらいの大きさの、金色の鐘だ。
一般家庭の家では、「金メッキ」であったり、スプレーで色づけしているだけの鐘であるが、スイが取り上げたソレは、紛れもない純金製である。
それが山のように積もっているダンボールの中を、なんとも言えない気持ちでシーナは見下ろす。
この純金製の鐘が、誰から差し入れられたものなのか、良く知っていたからである。
「つぅか、正月の前にクリスマスだろーが。」
雪を模した綿──と見せかけた上質のラビットファーのリースを持ちあげたフリックが、床にしゃがみこみながら、ゲンナリした顔でスイに突っ込む。
普通、クリスマスツリーを飾り付けているときに謡うのは、「ジングルベル」であって、正月の歌じゃないんじゃないかと、顔を顰めるフリックを気にせず、スイは金色の鐘をクリスマスツリーに飾りつけながら、
「羽根ついて〜、コマをまわして遊びましょう〜。」
やっぱり軽やかな歌声で、お正月の歌の続きを謡ってくれた。
そんな彼に、聞いてねぇのかよ、とフリックが小さく裏手で突っ込んだ瞬間──、
「自分が何を飾り付けているのかも分からないなんて、ずいぶん面白い物忘れ病にかかったもんだね……、スイ?」
せせら笑うような響きを宿した、冷ややかな──暖炉で煌々と燃える紅い火が暖めた室内が、一気に10度くらい下がったのではないかと思うほど冷たい声が、微かな笑みを含ませて響いた。
その声が聞こえた瞬間、フリックもシーナも、そろってゲンナリしたように肩を落とす。
チラリと視線を投げかけるまでもなく──美声の主は、山のように詰まれたオーナメントの入ったダンボール箱の前で、鼻先で笑っているのが分かった。
声の主は、わざとらしい仕草でダンボールの中からサンタクロースのぬいぐるみを取り上げると、それを目の前でユラリと揺らしながら、
「あぁ、けど、見て分かるようなクリスマスツリーもサンタクロースにも気づかないってことは、物忘れじゃなくって、幻覚でも見てるのかもしれないね?」
うっとりと──見とれるようなあでやかな笑顔を浮かべて、ルックは小首をかしげる。
色の白い面に広がる金色の髪と、緩やかに細められる双眸の色艶がまた一段と美しく……見ているだけなら、クリスマスの夜を控えて地上に舞い降りてきた天使のよう──に、見えなくもない。
その頭と背中に、悪魔の角と羽根さえ見えなかったら。
そんなルックのせせら笑う声を背中に受けながら、せっせとオーナメントをつけていたスイはと言うと、あからさま彼の挑発に乗るかのように、手にした「プレゼント型のオーナメント」を持ち上げて、
「それはこっちの台詞だよ、ルック? 一向に手伝ってくれないから、君の方こそ、このクリスマスツリーもオーナメントも見えてないのかと思った。──だから気をつかって、クリスマスの歌は避けてたんだけどね?」
にっこり、と。
負けず劣らずの微笑みでもって、ルックを威圧する。
そんな2人の美人の微笑みが、フリックとシーナを挟んで、バチバチと火花を立てるのはどうしてだろう。
「……っていうかお前ら、ケンカするなら表に出ろよ…………。」
これがマクドール家の居間ではなく、ティーカム城の玄関ホールで見かける光景であったなら、ココまで胃が痛むことはなかっただろう。
何せあの城は、無駄にたくさんの人が行き来しているので、2人はすぐに気がそがれて、今の今までにらみ合っていたのがウソのような態度で、普通に会話をし始めてくれるからだ。
けれど、今、ルックとスイをはさんでいるのは、シーナとフリックのみ。
言い換えれば、普段から2人の巻き添えを食っている不幸な美(?)青年2人組みだ。
どう考えても、このまま紋章合戦と行ってしまいそうな予感がした。
過去の経験上、それがどれほど危険でやばく、そして自分に痛いのか良く分かっているフリックは、2人の間を仲介するように、キラキラと光る大粒の宝石があしらわれたオーナメントをかざして、
「部屋の中でケンカされたら、クリスマスツリーもフルコース料理もダメになっちまうぞ。」
とりあえず、2人にとって──というよりも、スイにとって、一番効果があると思われる制止の文句を口にしたところで。
……ぁ、と。
思わず呆然と、呟いた。
「──……雪だ。」
暖炉の炎が赤々と燃える、暖かな室内の、薄く曇った窓の外。
──外の冷たい空気に晒されて、曇った窓にできた大粒の雫が、ツゥ、と滴ってできた筋から垣間見える外の世界に、それは薄く積もっていた。
窓ガラスの白い靄と一体化したように見えたソレに、錯覚を覚えたのは一瞬。
すぐにフリックは、窓の外に広がる芝生に、うっすらと白い雪が積もっているのだと気づいて、目を丸く見張った。
確かに、いつになく今日は冷えると思っていたが──まさか、雪が降ってくるとは。
「へぇ……、ホワイトクリスマスだな。」
ヒュゥ、と短い口笛を吹いて、シーナはルックの隣を通り過ぎて窓際に近づく。
キュ、と手のひらで曇りを拭い去れば、雪がサラサラと降ってくる様子が、良く見えた。
それと共に、暖炉から遠い窓の傍が、ひんやりと冷えていることも感じ取れた。
はぁ、と息を吐けば、かすかに息が白く、窓に薄い紗が掛かった。
一面の灰色の雲から、ひらり、ひらり、と空から零れ落ちてくる雪。
地上は、薄く白く埋もれ、緑色の芝生は、かすかに垣間見えるだけ。
「明日は、一面真っ白だろうな。」
再び息を吐いて、窓を白く染めると、シーナは再び手のひらでそれを拭い取る。
「ホワイトクリスマスなんて、何年ぶりだろう。」
──ここ3年は、旅の空から旅の空で、雪の無い地方に足を伸ばしたりしていたから、ホワイトクリスマスには無縁でいた。
そしてその前の2年間は、雪に埋もれることのない湖のど真ん中にいたから、ホワイトクリスマスどころか……、
「一面真っ白って言う意味だったら、3年前も真っ白だったよね。」
「あぁ、あの、氷のクリスマスね。」
なんとなく遠い目になって、懐かしい思い出──というよりは、記憶の彼方に捨て去ったはずの記憶を掘り返してしまったシーナとフリックが、慌ててその「恐怖のクリスマスベスト1」に輝いた記憶を、フルフルと振り払おうとしたところで。
まるでそれを見切っていたかのようなタイミングで、スイがにこやかに告げてくれた。
さらに継いで、先ほどまでの険悪さをチリとも出さず、ルックも軽い調子で頷いて同意を返す。
「そうそう。マッシュに気づかれないように、氷付けにするのって大変だったんだよね。」
セルゲイに氷を作る機械を作ってもらったり、カマンドールに冷気を吐き出すようなモーター付扇風機を作ってもらったり、ジュッポに氷のからくり城設計図を作ってもらったりするのは、それこそ朝飯前のことだったけれど。
やっぱり、実行者以外の人間に気づかれないように、「朝起きたら、軍主さまからの素敵なプレゼント!?」大作戦を実行することがね、本当に大変だった。
ちょっぴり遠い目をしながら懐かしむスイを、ルックがジロリとにらみつける。
「それはこっちだって同じだよ。誰かさんが無茶を言うから、わざわざ北から雪雲を風で引きずってきて……アレは最悪の思い出だね。」
「良く言うよ、氷のゴーレム作って、遊んでたくせに。」
「君がゴーレムを作れって言ったんじゃないか。」
「だって、さすがの僕も、達人クラスの寝込みを襲って、プレゼントを枕元においてくるのは難しかったから……。」
かわいらしく小さく唇を尖らせて、しょうがないじゃないか、と、ぷっくり頬を膨らませるスイの「言い分」に、シーナはゴンと窓に額をぶつけ、フリックは手にしたオーナメントを握りつぶしそうになった。
──って言うか、何か?
本拠地で安心して寝ていた「達人クラス」が、クリスマスの早朝、氷漬けになって発見されたのは、「プレゼントを枕元に置く」ためだったと、それだけだったというのか……っ!?
あの後、彼らを解凍するのに、氷付けのシュタイン城の中で、どれほど苦労したのか、知らないわけでもあるまいに……っ!!
「そ……っ、もそも! そのプレゼントだって、ワケのわからねぇ、氷のからくり城の招待券とか言う、地獄への誘いだっただろーがっ!?」
バンッ、と、床を叩いて、フリックが怒鳴れば、スイは不快そうな表情を浮かべて眉を寄せる。
「失礼だな、心沸き立つクリスマスに、どうして地獄へ誘わなくちゃいけないんだよ。
あれは、正真正銘、氷のからくり城で遊んでもらって、ちょっとみんなに童心に帰ってもらおうって言う、僕なりの気遣いだったんだよ。」
「…………の割りには君、ずいぶんとからくりに心血注いでなかったっけ?」
スイが滔々と説明する隣で、ルックが呆れたように突っ込む。
「うん、だって、作るの楽しかったし、死亡率を高めに設定したほうが訓練にもなると思って。」
スイはそれにニッコリと笑って答えながら、そ、と両手の指先を絡み合わせて、楽しかったなぁ、と、幸せそうに微笑む。
その懐かしそうな、満面の微笑を認めた瞬間、ザァッ、と音を立ててシーナとフリックの頭から血の気が引いた。
「それで重症になって、年末年始を医務室で過ごしたヤツも居たってこと、その記憶容量に入ってるか、スイっ!?」
スイが再び、「今年も氷の城とかやってみようかな」と言い出さないことを祈りながら、慌ててフリックが声をかければ、
「入ってる入ってる。フリックが低温やけどでお尻にシップ貼ってたのも知ってる。」
「余計なことまで覚えてるんじゃないっ!!」
パタパタパタ、とスイが投げやりな仕草で手を振って、覚えていなくてもいいことを披露してくれた。
「あぁ、あの──『とうとうお尻まで青くなった青二才』と、評判だった。」
更にルックまで、アレはなかなか好評だったね、などと言い出す始末。
「ちがっ……っ!」
フリックが眦を吊り上げて、腰を浮かせながら叫ぼうとするが、それよりも一瞬早く、スイがにこやかに微笑みながら、
「そうそう、ソレソレ。
評判良かったし、今年もソレで行ってもいいかもね〜。」
「良くないだろ!!」
バンッ、と床を叩いて叫ぶフリックに、スイとルックはますます楽しげにのどを鳴らして極上の笑みを零す。
──どうやら、互いに毒舌を披露するよりも、いつものようにフリックいじめをするほうが楽しいと……結託したようであった。
そんな様子を、少し離れた窓の傍から眺めていたシーナは、怒りに顔を紅く染めたフリックと、ニコニコ笑う美人2人の悪魔な表情とを見比べてから、
「……っていうか、いい加減、手を動かそうぜ?
──マジでクリスマスパーティに間に合わなくなるぜ。」
誰も聞いてないだろうなー、と思いながら、現実的なことを呟いて見せた。
……もちろん、誰も聞いてはいなかったけれども。