幻水5 誕生日プレゼント

















 その日が近づいてくると、太陽宮の中は、少しだけ浮き立った雰囲気に包まれる。
 特に王族付きの女官達は、ヒマを見つけては額を付きあわせ、なにやら楽しげな相談事の真っ最中だ。
 磨きたてられた廊下の片隅──良く見渡せる回廊の中央からは死角に当たる曲がり角の一角で、その日もリディク付きの女官と、サイアリーズ付きの女官である娘が三人ほど、なにやら手のひらを仰向けに翻して話しているのを見つけて、むぅ、とリムスレーアは眉間の間に皺を寄せた。
「……むぅ。」
 思わず、不満の表情だけではなく口にまで出してしまったリムスレーアに、彼女の少し後ろから付いてきていたミアキスが、明るい笑顔のまま、
「あれあれぇ? 姫様、どうかなさいましたぁ?」
 のほほーんとした口調で──それでいて、油断ならない声で、小首を傾げて上から顔を覗きこんでくる。
 リムスレーアは、そんなミアキスを見上げて、不満そうな表情を隠そうともせず、こっくりと頷く。
「この間から、みんな揃って密会ばかりなのじゃ。」
 そう言いながら、ほら、と指し示すリムスレーアの視線の先を見て、あぁ、とミアキスは納得したように頷いた。
「あれはきっとぉ、あれですねぇ〜?」
 したり顔で頷くミアキスに、リムスレーアは驚いたように顔を跳ね上げる。
「知っておるのか、ミアキス!」
 女官が──王族付きの女官ともなれば、王族のいろいろな噂や真実をその手に掴んでいるも同然。
 だから、女官の扱いには気をつけなければいけないよ、というのが、リムスレーアとリディクの叔母にあたるサイアリーズの「教育」だ。
 そんな彼女達が──しかも同じ人物付きの女官同士ならとにかく、そうではないもの同士が、情報交換している現場を見て、「噂されてますねぇ〜、うふふ」と笑って居られるミアキスの気がしれなくて、ギョッとしたリムスレーアに、あれあれぇ? と、ミアキスは含みを持った笑みを見せる。
「どうしたんですかぁ、姫様? そぉんなに、驚くことなんて〜、何もないと思いますよぅ〜?」
「い、いや──た、確かに、何もないが──……っ!」
 言いながら視線を床に落とし、キュ、と服の裾を掴むリムスレーアの表情に、ミアキスは指先を頬に押し当てて、少し考えるように首を傾げた後、──ポン、と、軽やかに手を打ち鳴らした。
「──あ、もしかして〜、姫様、この間の、雷の日のことが、王子にばれちゃってたの、気にしてますぅ〜?」
「だ……誰も、そんなことは言うておらん!!」
 愛らしい容貌を真っ赤に染めて、ほてった唇をキュと一文字に結んで、そう見上げて叫ばれても、ぜんぜん説得力がなくて、くすくすとミアキスは楽しそうな笑みを広げるばかりだ。
 リムスレーアは、そんな彼女を、キッと睨み付けると、
「わらわは、何も気にはしておらんが、だがしかし、あ、兄上の女官が、叔母上の女官に、兄上のことを話していたら──た、大変ではないか!」
「えぇ〜? 大変って、何がですかぁ?」
「何がって……! た、たとえば、兄上の苦手なものを、叔母上にうっかりもらしたりとか……っ!!」
 そらっとぼけたフリをして、わからないと言うように首を傾げる──無邪気な笑みを広げたように見せかけるミアキスに、軽い癇癪を起こしそうになるのを堪えながら、リムスレーアがそう叫べば、ミアキスは、んん〜? と小首を更に傾げて、
「姫様ぁ〜? それは、違いますよぅ?」
 腰を折り曲げるようにして体を傾げて、指先でツンとリムスレーアの口元を突付く。
 そして、とっておきの笑顔を口元に上らせながら──あの雷の日からとっておいた、とっておきの話を暴露してみせた。
「王族付きの女官のぉ、口の堅さはぁ、女王騎士と同じじゃないといけないんですよ〜。」
「だ、だがしかし、実際に兄上は……っ!」
 拳を握って、その先を口走ろうとしたリムスレーアは、ココが自分の私室ではないことを思い出して、苦虫を噛み潰したような顔で言葉の先を飲み込んだ。
 その、ぐぐ、と堪えた顔が愛らしくて愛らしくて、ミアキスは、鼻にかかった笑い声をもらしながら、
「ですからぁ、姫様が〜、雷が怖くて眠れなかったこととかぁ、布団と枕を頭から被って、歌を歌って怖いのを紛らわせようとしていたことを〜、王子が知ってたのはぁ……、わたしがぁ、王子にお教えしたからなんです〜。」
 うふふふ〜、と。
 悪びれもせずに、ニッコリ笑ってそう告げると、
「だから、女官がしゃべったわけじゃぁ、ないんですよぅ?」
 ──ぜんぜん悪いとも思って居ない口調で、ミアキスは、そう続けてくれた。
「────……っ、み、ミアキスーっ!!! おっ、おっ、お……っ!!!」
 何か叫びたくて──でも、あまりのショックと憤りと恥ずかしさに、それ以上何も言えない様子で、口をパクパク開け閉めするリムスレーアに、ミアキスは満面の笑みを零して、──やっぱり姫様ったら、かぁわいぃ〜、と……そう思っていたのは、誰が見てもわかることだった。








「──……ハッ!? 結局、ミアキスにごまかされて、なぜ女官が逢引をしておるのか、聞くのを忘れたではないか!!」
 リムスレーアがその事実に気づいたのは、すでにリディク付きの女官と、サイアリーズ付きの女官達が、角から姿を消した後だった。
 しまった、と、悔しげにうめくリムスレーアに、ミアキスはニッコニコと微笑みながら、
「ダメですよぅ、姫様。女官さんたちの邪魔しちゃぁ。」
「仕事の邪魔ならせぬ。だが、彼女達は、どう見ても仕事ではなかったではないか。」
 数日前にリムスレーアを襲った雷地獄──正しくは、遠く空の果てで雷が鳴っているのを聞いて、布団の中にもぐったというあの事件を、リディクに教えたのは、女官ではなくミアキスだと言うことはわかった。
 なんてことをするんだと、ポカポカと叩いて見たが、ミアキスにはぜんぜん効かないのもいつものことだ。
 息切れがするほど叩いてから、それを諦めてみたものの、ミアキスのおかげで、ダイスキな兄に子供じみたところを知られてしまったという憤りはまだ残っている。
 ムッとするように睨み上げれば、ミアキスは分け知り顔で、リムスレーアの前で、指を振り、
「姫様にそう見えただけですよぅ? 王族付きの女官ともなれば〜、ああしてお互いの情報交換をすることもあるんですぅ〜。女王騎士のわたし達だって、それは同じなんですよぅ?」
「……む。」
 当たり前のような顔で、実際、リオンちゃんと私だって、情報交換はしますしね? と──リオンはまだ見習いであって女王騎士ではないのだが、そんな風にたとえを出してしまわれると、リムスレーアもそれ以上は何も言えなくなってしまう。
 うぅ、と、言葉に詰まって──視線を少しだけ下げて、それもそうかと、考え込むような表情になった途端、
「──おや、なんだい、リム、ミアキス。なんで廊下の真ん中で突っ立ってるんだい?」
 先ほど女官達が消えて行った先から、軽やかな足音を立ててサイアリーズが歩いてきた。
 彼女は、豊かな胸を前に誇るように突き出して、小首を傾げるようにして腰に片手を当てる。
「あ、叔母上。」
「サイアリーズ様、こんにちはぁ〜。」
 振り返るリムスレーアとミアキスに、サイアリーズはあきれたような顔で、2人を見比べる。
「てっきりあたしゃ、今日は下で買い物でもしてるのかと思ってたよ。」
「下? 買い物??」
 穏やかな微笑を口元に張り付けながら近づいてくるサイアリーズに、リムスレーアは不思議そうに目を瞬く。
 考えるように首を傾げて見るものの、サイアリーズの言葉が差す意味がわからなくて、リムスレーアは素直に困惑の表情を浮かべたまま、叔母を見上げた。
「どういうことじゃ、叔母上?」
「どういうことって……、──まさかリム、あんた、忘れてるんじゃないだろうね?」
「忘れる?」
 少し腰を折るようにして顔を近づけられて、サラリと鼻先に彼女の髪がかかる。
 甘い花の香りが漂ってくる髪の毛に、リムスレーアはますますわからないと言うように叔母の顔を見上げた。
 サイアリーズは、そんなリムスレーアに、あきれたように片目を眇めて見せると、
「リーム、あんた、明日が何の日だか、覚えてないのかい?」
「それくらいわかっておる。明日は、兄上の誕生日じゃ!」
 ん? と、顔を覗きこまれて、リムスレーアは先ほどまでとは異なる、満面の笑みを浮かべた。
 その、輝くばかりの明るい笑顔に、サイアリーズは少し驚いたように目を見張った。
 ゆっくりと折り曲げた腰をあげながら、リムスレーアの背後に立つミアキスを見やる。
「なんだい、覚えてたのかい。」
「当たり前じゃ! 兄上の誕生日なのじゃ! 明日は、いっちばん最初に、おめでとうと言うと決めておるのじゃ!」
 グッ、と両拳を握り締めて、リムスレーアは、だから今日は早く寝るのじゃ、と気合を入れる。
 兄の誕生日には、一番最初におめでとうを言いたかったのに、昨年はリオンに負けた上に、一緒にリディクの部屋に行ったミアキスにまで先を越されてしまったのだ。
 今年こそは、と、気合を入れるリムスレーアを見下ろし、サイアリーズは、くすくすと楽しげに喉を鳴らして笑う。
「だったら見当もつくだろう? リム。
 うちの女官は、リディクの女官に、リディクが何をほしいのか聞いてたってことさ。」
「あ〜、ダメですよぅ、サイアリーズ様。姫様にあっさり答えを教えてさしあげたらぁっ!」
 もう、と、ぷっくりと頬を膨らませるミアキスに、それはどういう意味じゃ! とリムスレーアは軽くくってかかったが、すぐに気を取戻すと、
「そうか、それでは、あの女官達は、兄上のほしい物を聞いておったのか。なるほど。」
 うんうん、と、納得したように二度三度頷いた後──頷いた姿勢のまま固まり、ゆったりとした動作で首を傾けると、
「………………なぜじゃ?」
 不思議そうな顔で、サイアリーズを見上げた。
「……──なんでって、だから、プレゼントとか、デザートだとか……そういうんじゃないのかい?」
 誕生日の。
 ──何を言うのかと、そう思いながら軽やかに笑ってサイアリーズが告げたとたん。
「────………………た……、誕生日の……プレゼント……っ!!!!?」
 ガガーンッ、と、リムスレーアが、必要以上にショックを受けた顔で、目を愕然と見張っていた。
「……リム?」
 何を驚いてるんだい、と──そう続けようとしたサイアリーズは、はた、と思い出した。
 そういえば、誕生日にプレゼントをする──ということを、リムスレーアは知らないのかもしれない。
 次期女王の身である彼女の元に、何かのたびにプレゼントが届くのは当たり前のことで、「自分からプレゼントをする」という概念自体が、まだリムスレーアには無いのだろう。
 リディクは、母や父が誕生日に「お祝い」としてプレゼントをくれることから、誕生日にはプレゼントを渡すものだと理解しているらしく、数年前から、リムスレーアやサイアリーズ、母や父やリオンとミアキスにまで、些細なプレゼントを用意しているが──、リムスレーアが誰かにプレゼントをしているところは見た事がない。
 もっとも、リムスレーアの場合、リディクとは違って、お小遣い程度の金銭をモンスター退治で稼ぐことも出来ないから、仕方ないと言えば仕方がないのだろうが。
「そ、そういえば、去年もその前も、わらわの誕生日の翌日に、兄上は髪飾りをくれたのじゃ!」
 思いつかなかった、と、更なるショックにドーン、とリムスレーアは落ち込んだ。
 そのまま、首をガックリと落としていたリムスレーアだったが、すぐにハッと我に返ると、顔を跳ね上げてサイアリーズを見上げた。
「……おっ、叔母上は、兄上に何かあげるのかっ!?」
 その、必死さながらのリムスレーアの表情に、サイアリーズはほほえましい気持ちで柔らかな笑みを浮かべて見せた。
 数年前までは、自分には兄なんて存在はいないのだと、ツンと顎をそらしていたというのに──今は、兄が居ないと右も左も見えないような状態だ。
 次期女王である娘が、こんなのでは困ると、眉をひそめる貴族連中も居るが──まだ幼くさかしいリムスレーアが、そのあどけなさを表現するのが、リディクに関わる時だけだと知っているから……このままでもいいと、姫と親しい者達はみな、そう思っている。
 だからこそ、リディクもリムスレーアには、やさしく接するのだろう。
「あげることはあげるけどねぇ……、あたしは別に、物じゃないよ?」
「──そうなんですかぁ?」
「では、何を兄上にあげるのじゃ!?」
 意味深に微笑むサイアリーズに、ミアキスとリムスレーアが、驚いたように目を見張る。
 飛びかかってくるように、サイアリーズの揺れる服の裾を掴んでくるリムスレーアに、コロコロとサイアリーズは笑いながら、彼女の手をやさしく包み込んだ。
「あたしはねぇ、リム? 今年も去年と一緒でね。」
 言いながら、サイアリーズはリムスレーアの顎先を、クイ、と上向かせると、
「お……叔母上??」
 目を白黒させるリムスレーアに顔を近づけて──ニッコリと目元をほころばせて笑いながら、チュ、と、リップノイズを盛大に立てて、リムスレーアの頬にキスをした。
「おおおお、叔母上……っ!!!」
 慌てて、バッ、と背後に飛び退るリムスレーアの、耳から首まで真っ赤になった顔を認めて、サイアリーズは、プッ、と短く噴出す。
「あははははは! 顔が真っ赤だよ、リム?」
「なっ、だ、だましたんじゃなっ!!?」
 そのまま腹を抱えて大笑いを始めるサイアリーズに、リムスレーアはムッとしたように鼻の頭に皺を寄せた。
 小さく──噛み付くように吼えるリムスレーアに、ますますサイアリーズは楽しげに喉を震わせて笑う。
「まさか、そんなことして、この叔母さんに、一体何の得があるって言うんだい?」
 目元ににじみ出た涙を、ス、と指先で拭いながら、ん? と首を傾げながら微笑むサイアリーズに、ニコニコと笑ったミアキスが、
「姫様をからかうのはぁ、楽しいですけどねぇ〜?」
「────………………。」
 とりあえず、その言葉には同意も否定も飛ばすのは止めておいて、サイアリーズは改めてリムスレーアを見下ろすと、彼女の頭をクシャリと掻き撫でてやってから、
「なんでもいいんだよ。──リディクが生まれてきてくれて、嬉しいって気持ちを、形にするだけなんだから。
 だからあたしは、毎年、想いのありったけをこめてあの子にキスするのさ。」
 からかうためではなく──ただ、柔らかに、やさしく微笑んでみせた。
 リムスレーアは、サイアリーズによって乱された髪を元に戻しながら、小さく唇を尖らせた後、サイアリーズの言葉を頭の中で繰り返しながら、
「……、想いのありったけ。」
 ちょっと考え込むようにして、今のサイアリーズと同じように、自分が兄にキスしているところを思い浮かべて──ボッ、と、リムスレーアは音が出るほど顔を真っ赤に染めた。
「……っ! だ、だだだ、ダメじゃっ! そんなのは、ダメじゃーっ!!!!」
 ブンブンと、首が引っこ抜けるかと思うほど強く、激しく、頭を振って見せたリムスレーアは、ポポポポ、と頭から湯気が出るかと思うほど真っ赤になると、
「ダメって、リム──あんた一体、何を想像したんだい?」
 あまりに激しい動きに、あきれたようにサイアリーズが見下ろすが、リムスレーアはほてった頬に両手を当てて、湧いてくる考えにブンブンと頭を振るばかりで、彼女の問いかけに答えることはなかった。
 サイアリーズは、リムスレーアに聞くのを諦めて、チラリとミアキスを見れば──ミアキスは、にっこりと、それはそれは嬉しそうに微笑んで、
「サイアリーズ様〜、ありがとうございますぅ〜。これから姫様と一緒にぃ、王子に何をあげるのか、考えてみますねぇぇ〜♪」
 ──いかにも、からかうネタを手に入れたと言わんばかりの表情と態度で、笑ってくれた。
 サイアリーズは、すぐにミアキスの意図を悟り──クスリと小さく微笑むと、
「……──ククッ……まぁ、ほどほどにしておいてあげなよ?」
 そう言って、未だに顔を真っ赤に染めているリムスレーアに向かってヒラリと手を振って、そこから去って行った。
 ミアキスは、そんなサイアリーズを見送った後──んふふ〜、と、たくらみ顔で、大切な姫様を見下ろすと、
「さぁって、姫様〜♪ 王子へのプレゼント〜、考えましょうね〜♪」
 にっこにこと満面の笑みを貼り付けて、姫の背を押して見せた。










結局イチゴババロアを手作りしようとした…と言う話を書きたかったのですが、文字数オーバーで断念。