DQ4 ヴァレンタインになると思い出す







ココアクッキー



ココアクッキーと飴ちゃんズ









 甘い香が充満する厨房で、城の年若い侍女達が集まっているのを見かけた瞬間、ふと、思い出したことがあった。
 それは、もう10年以上も前のこと──まだ、このサントハイム城にお妃さまが存命でいらした頃のことだ。
 アリーナさまと同じ亜麻色の髪にすみれ色の瞳をした、他国にも評判の美しい妃であった王妃様は、甘いお菓子を作るのが、特別に上手な方だった。
 この季節になると、王妃様自らが厨房に出向き、白い頬を桃色に染めて浮き足たった若い娘達に、直々にご指導されていた。
 だから、この季節になると、王妃様の体からは甘い甘い香がしていて、アリーナさまは、そんな母君の甘い香が、いたくお気に入りのようだった。
 いつもはお転婆に走り回っているのに、この季節だけは、厨房でせわしなく指示を与える母のスカートに、ぴったりと張り付くのだ。
 そうして、母のきれいな指先から作られるクッキーやケーキを、一番初めに味見をするという、重大な役目をこなしていた。
 そんなアリーナさまの遊び相手でもあったクリフトは、アリーナさまが王妃様の邪魔にならないように、周りをウロウロと気を使って歩いた。──ただしくは、ぴったりとアリーナさまを貼り付けた王妃様が、必要以上に動かなくてもいいように、お菓子道具を右へ左へと持ち運ぶ「助手」を勤めたのである。
 アリーナさまは、粉や液体が、あっという間に形を変えて、美味しいお菓子になってしまう「魔法」を、いたく気に入られて、城内の娘達がソワソワし始める頃になると、同じようにソワソワして母の傍を離れようとはしなかった。
 クリフトは、一度だけ、王妃様に聞いてみたことがある。
「王妃様、アリーナさまは、お菓子を作るのを見るのが、とても大好きなんです。だから、今だけじゃなくって、もっといつも、見せてあげられないんでしょうか?」
 厨房に行けば、料理長や賄婦達が、お菓子をいつも作っているのは知っている。
 けれど、アリーナさまが見たいのは、「魔法のようなお母さんの手」なのだ。
 だから、同じお菓子を作るのでも、それは王妃様の手でなくては意味がない。
 この季節──外海から身を切るような冷たい風が吹く季節だけではなく、もっと他の時にも、お菓子を作ってあげてはくれないか、と。
 そう願い出たクリフトに、王妃様は困ったように笑いながら言った。
「ごめんなさいね、クリフト。──私の体が丈夫ではないから、アリーナには、とても我慢をさせているのね。」
 この季節にお菓子を作るのは、私のわがままなの。
 一年に一度のこのときだけ、陛下も侍医も、私が厨房に立つのを許してくれるのよ。
 王妃様は、こまりながらも、キレイなキレイな笑顔を浮かべてそう説明してくれた。
 一年に一度の、大切な日。
 女の子が主役の、大切な人に思いを込めて贈り物をする日。
──王妃様が、まだお若くていらっしゃるときに、初めて陛下に心を込めて贈り物をした日。
 2人が、一生を共に歩いていこうと、そう決めた日。
 だから、その日だけは特別。
 そう言って笑う王妃様は、まるで夢を見る女の子のようにきれいで可愛かった。
 一年に一度のこの日は、女の子をとびきり可愛く見せる日なのよと、王妃様は続けて教えてくれた。
 数年前のこの日、王妃様は、とびきりの幸せを手に入れたのだという。
 だから、同じ日に、少しでも多くの女の子が幸せのために足を踏み出すことが出来たらいいと──そう思って、お菓子教室を開いているのだ。
「でもね、陛下は少しだけホッとしているのよ。
 私が今の時期にしかお菓子を作らないから、アリーナが私にべったりとくっついているでしょう?
 今の時期のお外は寒いし、食料がなくて凶暴になったモンスターがたくさんいて危ないから、アリーナがお転婆に表に飛び出さなくて良いと、そう思ってらっしゃるのよ。──ふふ、心配性よね。」
 内緒よ、と、楽しそうに続けて笑う王妃様の血色はとてもよくて、一年の3分の1はベッドの上で過ごされているようにはとても思えなかった。
 椅子の上やベッドの上から降りて長時間立ち尽くす王妃様を見るのは、この季節のこの時期だけなのだ。いつもはたいてい、よその外交官や貴族達との夜会や昼食会などに出るだけで、彼女の体力は費えてしまうから。
 そういう意味では、寒い季節だから外からの訪問者がいないこの時期は、彼女が自由を勝ち取れる希少な時期とも言えるのかもしれなかった。
 そんな王妃様が、とある年のその時期に、味見で満腹になって眠ってしまったアリーナさまを膝に抱きながら、こっそりとクリフトに教えてくれたことがあった。
 他の【生徒】達にも教えたことがない、とびっきりのお菓子のレシピがあるのだと言う。
 なんと、王妃様が初めて陛下にプレゼントしたのが、そのお菓子だと言うのだ。
 そしてそれは、今も、たった一人、陛下だけが一年に一度食し続けることが出来る、唯一のものなのだとも。
 そんなものの存在を、どうして自分に教えるのだろうと、困ったように眉を寄せたクリフトに、王妃様は少しだけ寂しそうな微笑を浮かべて言った。

「娘が生まれたら、このレシピを教えて、一生を共に歩きたいと思う人だけに食べさせてあげなさいと、そういうつもりだったの。──私みたいに。」

 だから、いつか、アリーナに教えるためだけに、このレシピは大切に大切に取ってきていたの。
 ──でもね。
 王妃様は、少しやつれた頬に、なんだか見ていられないような微笑を刻んで。
「……間に合わないみたいだから。
 だから。」
 クリフトが、泣きそうになることを、教えてくれた。

 だから。

 私の代わりに、あなたが教えてあげてちょうだい。

「いつか、アリーナに大切な人ができて、一生を共に歩きたいと思えるようになったら、その人に、このお菓子を作ってあげて──、と。」
 このお菓子は、大切な人のためだけに作るお菓子。
 愛情をたっぷり入れないと、美味しくならないお菓子。
 その、特別の大切を、アリーナには教えてあげられないから。
 だから。
「お願いね、クリフト。」
 アリーナ以外の女の子に教えてることは出来ないレシピだから。
 男の子のあなたに、特別にお願いするわね。

 そう言って、王妃様は、きれいに笑いながら、「特別」で、「大切」で──「アリーナさまの将来の夫君」のためだけのレシピを、教えてくれた。
 作ってはいけない、誰にも教えてはいけない。
 たった一人のためだけのレシピ。

「それは──今もまだ、私の胸の内にあるけれど。」

 クリフトは、そ、と己の胸の上に手を当てながら、マーニャたちと連れたってお菓子やさんに飛び込んでいく姫の姿を見送った。
 小さなお菓子屋は、たくさんの若い娘でにぎわっていて、かわいらしいラッピングに包まれたチョコやクッキーが、山のように積まれていた。
 その光景を見た瞬間に、フッと思い出した「特別のレシピ」の存在に、──クリフトは、ただ、苦い笑みを口元に刻むしかなかった。
 今はまだ、特別のレシピは、クリフトの胸の中にしまわれたままだけれども。

「…………いつか、きっと。」

 空を仰いで、小さく、小さく──祈りにも似た思いで。
 お菓子屋に消えていった姫の背中を思い、言葉の先を飲み込んだ。
 そこに続いた言葉が、はたして「どちら」なのか、クリフト自身にも分からないまま──彼は、いつか来るだろう日を思い、唇を噛み締めるしかできなかった。







特別なお菓子を、クリフトがアリーナに教えて云々という話が書きたかったんだけど・笑。入らなかったデス……