幻水2 紅葉








「……あ! 見てみて、リオっ! 葉っぱが赤くなってるっ!」
 少し前を歩いていたナナミが、ふと何かに視線を取られたかと思うと、街道沿いに立っていた一本の広葉樹に向かって駆け出した。
 両手を少し広げながらナナミが走っていく先には、確かに、モサモサと生えた葉っぱの一部分が赤く染まった木が立っていた。
「へー、この木、赤く染まるんだ〜。」
 半月ほど前にこの街道を通ったときには、まだその木は青々としていたから、全然知らなかった。
 目をぱちぱち瞬きながら、ナナミの後をついて木の下に歩いていくリオの後ろを、ポテポテとムクムクも着いていく。
 そして二人と一匹は、見上げても頂上が見えないほど大きなその木を、そろって顎をそり上げてしみじみと見上げた。
「これ、何の木かな? 見たことない。」
「真っ赤になるまで、どれくらいかかるかな〜?」
「むむぅ。」
 ナナミが首を傾げながら、手に触れそうな場所にある葉っぱに手を伸ばしながら呟けば、リオはニコニコ笑いながら──そういえば、もうすぐ紅葉狩りシーズン〜♪ と、何かを思いついたようないたずらげな笑みを浮かべる。
 ムクムクの相槌は多分──あまり意味はないと思われる。
 そうやって三人が、一部分だけ赤く染まった木を見上げながら、あ、あそこの葉っぱも赤く染まり始めてる、と指差し、楽しげに笑っていると──、
「おや、リオ様方が居たキャロには、その木はありませんでしたか?」
 後ろからゆっくりと歩いてきていたカミューが、穏やかな微笑を浮かべながら──どうもその笑顔の質が、保父さんっぽい気がするのは、いまさらだろう──、首をかしげて問いかけてくる。
 確か、キャロの町は、春夏秋冬を問わないリゾート地だったはずだ。春には山を染め上げる桜、夏は涼しい気候、秋には山を覆う紅葉、冬は雪に閉閉ざされるものの、スキーが楽しめると聞いた覚えがある。
「うん、無かったよ。
 キャロはね、モミジとかイチョウとか、桜とか、そういうのが多かったかな?」
「リゾート地だもんね〜。」
 あどけなさを残す少年と少女は、そう言って笑いながら──葉っぱも食べれるし、実も食べれて、見目がほかと違って麗しいものじゃないと、リゾート地には植えないんだよと仄めかすように笑った。
 事実、それが人為なのかどうかは知らないが、山の奥地ならとにかく、人が分けいれる場所は、そういうものが多かった。
「だから、紅葉シーズンになるとすっごいのよ。
 もう、あたり一面真っ赤と黄色で!」
 見上げた仄かな赤い色の葉っぱを見つめて、ナナミはこみ上げる笑みを広げながら、カミューを振り返る。
 カミューはそんな彼女に、目元を緩めて微笑みかける。
「それはとても美しい光景でしょうね。」
 目を閉じれば、カミューにもたやすく想像することができる光景がある。
 騎士団の砦のバルコニーから、見つめた先に広がる、赤く染まった一面。そのころになると、誰もが惹かれるように休日の遠乗りにはそこを目指した。
 辿り着いた山の中は、しっとりとしけった落ち葉で腐葉土ができていて、足元はくすんだ茶色に近い赤色。見上げた世界は、青い空を覗きながら赤と黄色に染まって──まるで別世界に入り込んだようだった。
「──もう少しすれば、ティーカム城の周りも紅葉し始めるでしょうから。」
 そうなれば、皆さんで一緒に紅葉を見ながらティータイムでもどうですか、と。
 カミューが微笑みながらそう提案しようと口を割った直後、
「あ、そっか! そうだよねっ! ティーカム城も紅葉する木ばっかりだったっけ!」
 リオが、今気づいたっ! というように、目を見開いて叫んだ。
 その表情は、喜びというよりも、微妙に苦いものを含んでいるように見えて、あれ、とカミューは首をかしげる。
 ティーカム城が紅葉したなら、リオのことだからきっと大喜びでトウタやユズ達と一緒に、どんぐりだの松葉だので遊びまわると思っていたのだが──、
「あれだけの木が紅葉したら、大変だね。」
 ふぅ、とため息を零すナナミの言葉に、カミューは眉を顰めた。
「……大変?」
 何が大変だと言うのだろうかと、そう怪訝そうに伺ったカミューの視線の下では、腕を組んだムクムクが、ムムゥ、としたり顔で頷いている。
「キャロに居たときは、良く、二人で一緒にご用聞きしたよね、ナナミ。」
「うんうん。銀杏とかどんぐりとか、キレイなモミジとかも落ちてて、美味しかったよね〜!」
「お礼にって焼き芋もらったりとかね!」
 懐かしいなぁ、と、しみじみと首をひねりながら頷きあう姉弟の言葉が、ますます理解しにくくて──いや、銀杏やモミジとかが美味しいというのは、わかるような気がしないのだが、ご用聞きと焼き芋とは、何の話だ?
「リオ様? ナナミさん?」
 何のことを言っているのですか、と、不審気な色を言葉に含んで問いかけるものの、ナナミもリオもお互いの話に夢中で、まるで気づいてくれる様子はなかった。
 それどころか、二人の間でトントンと話は進んでいった挙句、リオは満面の笑みと共に木を見上げると、
「それじゃ、城に帰ったら、早速シュウさんに頼んで、掃除部隊組まなくっちゃね〜!」
 ──どこから捻じ曲がったのかサッパリわからない台詞を、吐いてくれた。
「……そ……、掃除部隊……っ!? ……ですか??」
「そう! 桜の時も大変なんだけどね、紅葉はもっと大変なのよ!
 毛虫も一緒に落ちてきたりするんだもの!」
「でも、その落ちた葉っぱを積んで、焼くときに作る焼き芋が最高なんだよね〜!」
「うんうん、あれ、美味しいよね〜!」
 重労働の後のご馳走〜、と、ナナミが両頬を抑えながら、うっとりと空を見上げる。
「──で、その夜のご飯は、銀杏ご飯とモミジあげ! ────────ナナミ風味。」
 グッ、と拳をあげて叫んだ後、リオはちょっぴり視線をはずして小さく呟いた。
 本来なら旬の美味しい味も、ナナミ風味が加わることで、微妙な味になっただろうことは想像に難くない。
 ──というか、
「………………つまり、紅葉で落ちた落ち葉の、掃除部隊──ということですか?」
 顎に手を当てながら呟いたカミューの声は、ちょっと微妙な響きを宿していた。
 考えてみればわかることだ。桜の満開の時だって、雨が降る前に掃除をしなくてはひどい有様になった。
 落ち葉はそれよりも面積が多い分だけ、大変なことになるといえばそうだろう。
 ──騎士団に居たときには、考えもしなかったことだ。
 それをナナミとリオは、当たり前のように──キャロの街でそうやって小遣いを稼いでいただろうことが、たやすく想像できるほど当たり前に、口にするのだ。
「さーっ! 紅葉まで時間もないし、早く帰って、掃除部隊組んでもらって、みんなで銀杏狩だーっ!!」
「焼き芋大会もねっ!!」
「ムムーッ!!」
 おーっ! と色が薄く高くなった空に向かって拳を突き上げるリオに続けて、ナナミとムクムクも満面の笑みで拳を突き上げた。
 カミューはそれを見ながら、ゆったりとした動作で腕を組み──、

「……それでリオ様は、夏初めに、サツマイモ畑は絶対にはずせないといっていたのか………………。」

 なるほど、と、苦笑めいた笑みを零して、そう呟いた。