同盟軍の本拠地、ティーカム城の敏腕の軍師であるシュウは、その昔ラダトで商人をしていた。
当時も優秀な腕のために忙しい毎日を送っていたが、今ほど忙しくは無かったと語る。
彼の一日は朝早く始まり、夜遅くまで続く。
その理由の大半は、彼を同盟軍軍師に誘った張本人である「同盟軍軍主」のせいであった。
元々デスクワークよりも外で溌剌と遊ぶほうが好きな少年であった。年頃もまだまだ遊びたいざかりであるからして、仕方ないと言ったら仕方ないのであろう。
そう思っている間は、仕事を全面的に負わされたとしても、許せた。探し出して説教するくらいで済んだ。
が、しかし、現在はそういうわけにはいかなかった。彼が仕事をさぼる原因の一つが一つであったからだ。
それこそが特に大きい原因となって以来、シュウが軍主を追いかけて説教するのに熱が増した。
原因のために出かけようとする軍主を、なんとしてもとッ捕まえようとする軍師を見る一同は、皆が皆こう思うのであった。
やはり、軍師殿は、解放軍のリーダーが好きではないのだろう──と。
その日もいつも通り、シュウはまじめに軍主の残した仕事を片付けていた。
先ほどまでは、それに付き合ってくれていた副軍師であるクラウスが側にいてくれた。だが、このままだと夜中どころか明け方になりそうだったので、日付を越えたところで眠らせるために帰していた。
今ごろ軍主である少年は、今日も軍師から逃れたことにホッとしながら、暖かな寝床で寝ていることだろう。
本当なら、そのベッドで待ち伏せして書類を付きつけても良かったのだが、そこまでしている暇があったら、さっさと済ませてしまったほうがいいのもたしかであった。
商人をしていたためか、一分一秒が金になるとばかりに思っているシュウは、無駄を嫌い、どうしても必要な書類以外は自分でするようにしていた。
出きることなら軍主であるリオにやらせるのが一番なのだが……──彼もまだ幼いと言ってもよく、他にやらねばならないことも多くあるので、甘い顔をしてしまうことが多い。それは自他ともに認めることであった。
これではダメなのかもしれないと、苦く思いはするが、それでもあの天真爛漫な笑顔を見ていると、仕方ないかと思えるのだ。幼い少年を担いで、苦労するとわかっていても尚、彼に魅せられたのも自分であるのだから。
自分自身に苦笑するたび、それでもシュウはそんな自分に満足していた。
けれど、最近は少し違う。
リオが今熱心に通っている、彼曰く「憧れの人」の出現のせいである。
昔──自分が師と仰いでいた人が選んだ「リーダー」……よりにもよってその人を、リオは憧れの人として選んだ。
師は、自分の考えを全て否定した人であった。お前は軍師には向かないと、そんな考えを持つものに教えることはないと、そう言った師──彼が選んだただ一人の「リーダー」。
自分が師に出会ったときは、彼はすでに戦争や戦いに拒絶をしていた。いや、拒絶などと言う言葉では言い尽くせないほど、嫌悪を持っていたように見えた。だからこそ、シュウの危険な考えを──何にもおいて最善の策を取るのが一番正しいのだと、そういう考えを嫌った。
その人を再び戦乱に巻き込んだ人物。師に戦乱の場に赴いてもいいと思わせた人物──気にならないと言えば嘘になる。
皆、シュウが彼を嫌っているとは言っているが、嫌いなわけじゃない。──苦手だと言うのは、おそらく的を得ているのだろうけど。
彼は、「成し遂げた」人物であったから……シュウにも読み取れない物を持っていた。
始めは、ただ担ぎ上げられただけのリーダーだろうと思っていた。ただの少年にすぎないと、思っていた。
けれど、かぶっていた猫が少しずつ剥がれるたび……少しずつ、見せびらかすように剥いで行くたび、そうではないのだと思い知らされる。
彼は、自分にすら奥を見せない人だ。この同盟軍の軍師であり、この国の要を間近で守る唯一の者である自分にすら読み取らせない人物だ。
それが──怖い。
遠くハイランドではなく、間近に、身近に──リーダーの身近にそんな人物がいる。自分には読み取れない、何なのかまるでわからない。そんな人物が常に自分が守るべき人の側にいる。
この恐怖が、この苦手意識が、他の誰に分かるだろう? あの少年は、自分に近い副軍師クラウスの心をも掴んでいる。
クラウスは、シュウが彼に対する吐き捨てるような暴言をこぼすたびに、苦笑している──その表情からも明らかに分かる。
彼は、その存在そのもので、この同盟軍のものをも惹きつけている。
ビクトールやフリックの言葉を借りるなら、その「魅力」は、リオのものとは異なっているから、そう心配しなくてもいいということだけど。
──自分が心配しているのは、気にかけているのはそれじゃないと言って、二人は理解してくれるだろうか──果たして。
あの英雄は、自分の長いとも言えない……けれど波乱万丈な人生の中で、唯一会って後悔した人物であることは間違いない。嫌っているわけではないけど──苦手、なのはたしかなのだから。
理路整然としないことを、心の中に抱えておくのは嫌だけれども、実際そうなのだから仕方ない。
シュウは、そんな答えの出ないことをまた考えてしまっている自分に、辟易して溜息をこぼした。
今日中に済ませてしまわなくてはいけない書類は、まだたくさんある。このまま筆が進まなかったら、徹夜しても終わらないに違い有るまい。
最もそうなったら、さすがのリオも反省して手伝ってくれるのだろうけど──そう思いかけて、それはないな、とシュウはすぐに結論を出した。
リオは明日、絶対に逃げ出す。
今日は、彼が憧れて止まない英雄が泊まっていっているのだから。せっかく一緒にいるのに、それを無駄に書類整理などで過ごすはずはないであろう。
「………………………………。」
再び唇から溜息が零れた。
結局、これは自分が片付けるしかないのだ。
にも関わらず、自分の優秀なはずの頭脳は止まったきり動く気配は無い。それどころか、さきほどから時間ばかりが気になっている始末だ。
自分も相当おかしくなっていると、忌々しい気持ちで思う。
額に手を当てて、一向に進まない書類を睨む。
もう時間も遅い──そう、時間も遅いのだ、と……まるで自分に言い聞かせるように時計から無理やり意識を離したそのとき、今日もまた、それは鳴った。
とんとん
軽快なノックの音であった。
気軽にちょっとやってきた、と言う時間ではない。けれど、ノックの主はそんなことを考えてもいないのだろう。
初めてこの部屋を訪れたときのように、軽やかな音であった。
シュウは、とっさにそちらを見やってから──ゆっくりと息を吸い、立ちあがる。
時間はもう遅い。こんな時間に尋ねてくる者など、いるはずがなかった。もしいたとするなら、それは火急の用事を持った兵くらいのものである。
けれど、この訪問者はそうではないと、シュウは知っていた。
だから、せわしなくなる鼓動を無理やり閉じ込めて、いつもよりもゆっくりと、ドアを開く。
長身のシュウからは、大分下の方にある顔が、にこやかな笑顔を貼りつけて笑っているのが見える。
「こんばんわ♪」
いつものように、いつもの笑顔で、彼はそう言った。
今が「こんばんわ」ですむような時間じゃないのは、分かりきっているはずである。
本当なら、今ごろはこの城の軍主と一緒に眠りについているはずの、シュウの「苦手」な人物は、食えそうにない笑顔を満開に、そこに立っていた。
「…………こんばんわ、マクドール殿。」
皮肉を込めて囁くが、彼は全く頓着せず、
「リオがさー、なかなか寝てくれなくって、今日は無理かと思っちゃったんだよね〜。」
と、お気楽ご気楽にそうのたまってくれた。
シュウが何も言わず、無言で目をそらすと、彼は襟元をくつろげた青年軍師に、
「もしかして、待っててくれたの?」
笑顔で尋ねた。
シュウは無言で彼を見下ろした後、体をずらして、室内のテーブルを見せる。
「あなたがやってきて下さったおかげで、こちらは仕事が山積みなのですよ。」
「あ、それは大変だね。」
ぜんぜんそうとは思っていないだろうに、トランの英雄はそうこぼすと、シュウが開けてくれた隙間から部屋の中に入る。
そして、キョロキョロと辺りを見回し──整えてある彼のベッドを見た瞬間、口元をほころばせる。
「るい〜♪」
そして、うれしそうにそう言いながらベッドに駆けていった。
シュウは無言でそれを見送り、何も言わず開け放されたままのドアを閉める。
かちゃん、と音がして、部屋の中に一人住人が増えた。
振りかえると、スイ=マクドールは、さっさとシュウのベッドの上に上がって、足をくつろげて座っていた。
シュウは何時ものことだと、ため息すらつく気になれず、無言でテーブルに向かった。
テーブルの上には、まだまだ未処理のままの書類が山積になっているのだから。
「にゃう。」
ベッドの主が、そう鳴くと、
「いい子だね〜、るい。」
うれしそうにスイがその主の名前を呼ぶ。
それに答えるように、黒い毛並みも綺麗な猫は、にゃん、と一声鳴いた。
猫は、スイが撫でる指先に答えて、顔を摺り寄せて行く。それが嬉しいらしく、スイは更にその猫を撫でてやる。
スイが泊まる日には、恒例となったいつもの光景を背に、シュウは筆をとった。
全くもって、彼がよくわからない。
シュウが部屋の中で猫を飼っていると聞いたその日に、彼はこうして部屋を尋ねてきて、猫と遊んで帰って行った。
それから、この妙な訪問は続いている。
もちろん最初の頃は、シュウもそれを利用していろいろなことを英雄から聞き出そうとしたものだ。
けれど敵もさるもので、結局シュウがわかった情報というのが、「彼が解放軍で猫を飼っていたことがあるということ」「その猫の名前が、ぐれとみおだったということ」「しかしその猫は、戦争が終わったときに、別の人に引き取られてしまい、今はどこにいるのか分からないということ」──その程度のものであった。
結局、猫の話しかしてくれないのである。
そんなに猫が好きなら、自宅で飼えばいいのに、とげんなりして呟いたシュウに、彼は苦笑いをしながらこう答えたこともある。「
いつ旅に出るのかわからないのに、無責任に飼ったりはできないよ」──と。
人に付くイヌならとにかく、家に付く猫を連れて旅はできないから、と。
その言葉から、彼がどうやらまた旅に行くことを考えているらしいと言うことは推測できた。
が、それだけである。
彼がこのままトランにいることはない、という情報は確かに役立つが、だからといって今この同盟軍に迫っている「スイ=マクドール危機」が去ったわけではない。
トータルで相当同じ時間を同じ室内で過ごしていると言うのに、得た情報はこれだけである。
これは、自分の諜報能力を疑うべきか、それともスイの実力を敬うべきか……判断に悩む所である。
しばらく背中を気にしつつも、さぼっていると思われては心外なので、まじめに筆を動かせていると、
「ところでさ、シュウ? るいにお婿さん取らないの?」
唐突に話しかけられた。
まさか話しかけられると思っても見なかったシュウは、ゆっくりと彼を振りかえる。
すると少年は、ベッドに座り込んで、黒猫をその腕に抱いて、シュウを見つめていた。
「だってさ、これだけの器量良しなんだよー? きっと子猫も可愛いと思うんだけどな〜。あ、大丈夫、猫の貰い手なら、トランにもいっぱいいるしさ。」
なでなで、と、おとなしく抱かれたままの猫をさすりながら、スイは提案した。
シュウはそんな彼を嫌そうに見た後、
「猫なんて一匹いれば十分ですよ。」
そう答えた。
彼自身、猫のしつけなどに相当苦労してきたからである。例え貰い手がいたとしても、乳離れするまでは自分が面倒見なければいけないのである
そう思うと、今からげんなりしてきた。
ただでさえでも忙しくて、この猫をかまってやれない時間が多いというのに、コレ以上猫が増えるなど、考えただけでも頭が痛かった。
「えー? そんなことないよ? 僕も何匹か飼ってたけど、そう大変じゃなかったよ? ビクトールやフリック達なんかと一緒に育ててたし。あ、テンガアールやメグなんかも、猫については結構詳しいんだよ。」
「…………今でも睡眠時間が少ないのに、冗談じゃないって言ってるんですよ。」
例え誰が協力してくれようとも、結局自分も手を出してしまう姿が容易に想像できて、シュウは彼から顔をずらしてテーブルと向き合う。
「えー……? あっ! それじゃぁさ、猫が母親離れするまでは、僕がここに住みこむからさ! それならいいんじゃないのっ!?」
「…………………………………………マクドール殿?」
「スイでいいよ、別に。この部屋は盗聴されてないんだろ?」
「同盟軍の本拠地……それも軍師の部屋が盗聴なんてされてたら、今ごろこの軍は鎮圧されてますよ。……と、そうではなくてですね。」
溜息すら覚えて、シュウはリオにするように説教モードのスイッチを入れるが、
「別にいいと思うけどな〜、僕とシュウには、共通の知り合いもいるし、その関係で仲が良くなったとか、そう言う風に持ってきて。」
猫をあやしながらのスイの台詞に出鼻をくじかれる。
「もって来れるわけないでしょうが。」
飽きれるばかりだと、シュウは眉をしかめる。
「じゃ、正直にシュウの猫は僕がはらませたと言うから……。」
「人聞き悪いことを言わないでくださいよ……。」
「…………あー言えばこう言う、そー言ってもああ言う。まったく、シュウってわがままだよねぇ。」
「どっちがっ!!」
思わず叫んでしまい、彼は全く、と肩をそびやかした。
「わがままはそっちのほうですよ、スイどのっ! ったく、しょうもないことばっかり言う所は、リオ殿そっくりなんですからっ!」
「しょうがないよ、僕とリオは似てるらしいし。」
あははは、と明るく笑うスイに、シュウは頭痛を覚えた。
「似てませんよ、ぜんぜん。リオ殿のほうが百倍はすばらしいです。」
「そうだね、リオの方が可愛いよね〜。シュウ、いくら可愛いからって、手を出しちゃだめだよ、君は僕って者があるんだから……。」
「あなたと言う人はーっ!!! ったく、こっちは忙しいんですから、遊ばないで下さいっ!!!」
「はいはい、ま、お仕事がんばってね。」
ひらひらと、薄情にも手を振ってくれるスイに、シュウは今日も今日とて反省した。
どうしてこの人を部屋の中に招き入れてしまったのだろうか、と。
「もう、しょうがないお父さんですねぇ、るい〜? かわりにお母さんがたっぷりと愛情あげますからね〜?」
「………………スイ殿………………だぁれが、おかぁさんですか?」
「僕v」
「……………………………………っ!!!!」
こらえろ、こらえるんだ、と、自分に言い聞かせて、シュウは筆を握る手に力をこめた。
そのまま、無理やり書類に熱中する。
いつものように、たまにスイがいらないちょっかいをかけてきたが、それでも無視をして書類を書いていると、いつのまにか声も気にならないくらい、熱中していた。
いつもいつもこのパターンが成立しているような気がした。
気分転換にはちょうどいいのだろうが……。
ちょっとそう考えてしまった自分に嫌気が差して、シュウは無言で眉間に寄っていた皺をほぐす。
そうしながら時間を見ると、もうすでに夜が明けてもおかしくない時間であった。
いつのまにこれほど時間がたっていたのかと、シュウは驚きを抱きながら、今更ながら眠気を覚えた。
書類も全て終わっているとは言いがたいものの、朝までに終わらせなければならない物は、もうない。
少し眠っておくかと、イスをきしませて振りかえる。
そうして、振りかえって初めて、シュウはまだスイがそこにいたことに気付いた。
とても静かだったので、てっきりいつものように、さっさと出て行ったものだとばかり思っていたのだ。
白いシーツに頬を寄せて、彼は瞼を閉じていた。
もちろん、本当に寝ているとは限らない。何せ相手は「スイ=マクドール」である。
シュウは息を押し殺すようにしてベッドに近づく。
なぜ自分のベッドに、ここまで気を使わねばならないのかと、今日何度目になるかわからない疑問を浮かべながら、彼の寝顔を覗きこんだ。
懐に頂くようにして眠る猫を抱いている。
長い睫が、白い頬に影を落とし、さらさらの黒髪が、額にゆるくかかっていた。
目を開けていると、その風変わりな色合いの瞳が酷く印象的であったが、こうして目を閉じていて──初めて気付く。
彼が、年よりも幼い顔立ちをしていることや、顔形が綺麗に整っていることなどに。
もちろん、普段こうして間近でじっくり見ることなど、叶うはずはないのだろうが。
穏やかな寝息が零れているように感じた。
そう、眠っているように見える。
だが、油断はならない。
「……スイ殿、もう夜が明けますが?」
彼が起きていると言うように、シュウは声をかける。
しかし、その声に反応したのは、スイではなく、彼の腕の中で寝ていた猫であった。
猫は、眠そうに頭をもたげると、シュウを認めて、
「うにゃぁ。」
と、鳴いた。
そして、するり、とスイの腕の中から抜け出て、ひょん、とベッドから飛び降りる。
どうやらシュウに構ってもらえると思ったらしく、彼の足元に顔や体を摺り寄せてくる。
猫の姿に苦笑を覚えつつも、シュウは再びスイに声をかける。しかし、やはり応えはなかった。
「まさか、本当に寝ているのではあるまいな?」
ぼそり、と一人ごちると、まるでそれに答えるかのように、「るい」が鳴いた。
「にゃ。」
その愛らしい鳴き声に、シュウはやわらかな猫の体を抱き上げる。
寝ずにいた、冷えた体には、猫のぬくもりが酷く心地良い。
猫が頬に顔を寄せてくるのに、淡く微笑みながら、シュウは眠っているらしいスイに顔を近づける。
「スイ殿……?」
寝息を確認するように、そっと囁くと、ふいに抱いていた猫が、するん、と腕を抜け出した。
かと思うや否や、寝ているスイの頬を、ぺろり、と舐めた。
どうやら、自分だけが起きたのに不満を抱いているようであった。
猫がそのままぺろぺろと舐めるのを見て、さすがにこれでは起きるだろうと、シュウは判断する。
すると、
「ん……?」
その通り、スイが薄く瞼を開いて、猫を手探りで撫でる。
どこかぼんやりした目が開くと、それはいつもよりもずっと危うく見える。
同じ不思議な色あいの瞳なのに、と不思議な気持ちを抱きながら、シュウは彼に苦笑すら覚えて囁く。
「スイ殿、そろそろ部屋に戻らないと……──。」
言いかけて言葉は、彼が震える唇でつづったせりふに、掻き消える。
「……………………マッ……シュ………………?」
ぼんやりと開いた彼の瞳には、確かにシュウが映っているはずであった。
けれど、スイの目は、どこか遠くを見ている。
シュウの向こうを見ているのだ。
どくん、と心臓が跳ねあがったのを感じながら、シュウは無言で彼を見下ろす。
スイはそれに気付かないのか、ぼんやりした様子でシュウを見上げると、
「ごめん……寝ちゃってた……。」
そう言って、ふわり、と微笑んだ。
シュウが見たことない──いや、きっとこの同盟軍の全ての者が見たことのない、透明な……幼い微笑みであった。
信頼しきった者にしか見せない、彼にとったら、マクドール家にいる家人にしか見せないだろう、優しくも鮮やかな微笑み。
思いもよらず、目の前にそれを見せつけられてシュウは息を詰める。
とろん、とした瞳が、少しずつ閉じられて行く様を、何も言えず見つめていた。
「ごめ……もう少し……したら…………起こして………………。」
笑顔は、言葉とともに、溶けこむようにして消えて行く。
瞳が完全に瞼に消えて──シュウはそれを最後まで見た後、信じられないものを見たかのように、自分の口を手のひらで覆った。
猫は、目を閉じてしまったスイを、不思議そうに見つめている。
「にゃ?」
そして、目線をずらしてしまったシュウを、見上げる。
シュウは、口元を手で覆ったまま、低く呟く。
「俺としたことが………………。」
その目元が赤いことに、自分で気付きながらも、どうしようもない。
まさか、この自分が、この憎たらしいことはあっても、可愛げなどまるでないはずの少年を……カワイイ、と思うなんて──絶対にあってはならないのにっ!
後悔が胸に押し寄せてくるシュウを見るのに飽きた猫が、再びスイを起こそうと、前足を掲げる。
しかし、その足は、脇の下に入れられた手のよって邪魔をされた。
「るい……起こさなくてもいい。」
動揺から復活した主の台詞に、るいは、きょとん、とした目を向けた。
しかし、その仕草に主は答えず、無言でるいを抱きしめながら、もとのようにイスに戻った。
そして、しっかりとるいを膝の上に置くと、再び筆をとる。
今日は徹夜だと、そう心に決めて、書類にまじめに向かうのであった。
「スイさんっ! どーしてシュウの部屋で寝てたんですかっ!!?」
明くる朝、眠そうに瞼をこする英雄の後ろを、リオとナナミの姉弟が付いて歩いていた。
「どーしてだろうねぇぇぇ。」
答える気もないスイは、あくびを手のひらで隠しながら、すたすたと歩いていく。
行く先は、もちろんビッキーのもとであった。
「どうしてだろうって……っ! 一体シュウと一晩中、何をしてたんですかっ!?」
「そりゃ、一晩一緒にいてすることと言ったら一つだろう?」
血相を変えて詰寄るリオの姿があまりにも愛らしくて、スイはくすくすと笑顔をこぼしながら、イタズラな爆弾を落として見た。
すると、二人の姉弟は、そろいもそろって、硬直した。
「…………ってぇと…………え?」
「一晩っていうと……えええええっ!!? むにゅむにゅでもやもや〜んなことですかぁぁぁっ!!?」
「ナナミっ! 声が大きいよっ!!」
慌ててリオがナナミの声を押さえようとするが、さすがの彼も、あまりのショックで、それ以上止めることは出来なかったらしい。
「シュウさんってば、スイさんの事苦手みたいに言ってたのは、結局惚れた弱みだったってことなのっ!!?」
その言葉は、ものの見事に広間に響いた。
もちろん、そこにいた者も、その外に居た者にまで、声は漏れなく響いた。
この後の騒動がどうなるか分かっていたため、スイは笑顔でリオにお別れの言葉を告げることにした。
「あ、リオ。シュウに伝えといてくれるかな? 今度、一緒に子供作ろうねっ♪ ってさ。」
「こっ、子作り〜〜〜〜〜っ!!!!!!!!???????????」
かくして、同盟軍は、新たな騒動を再び巻き起こすはめになるのであった。
朔也様
3333キリ番リクエスト、ありがとうございました〜♪
密かに設定してあった、一方的に仲の良い(笑)、ぼっちゃんとシュウ軍師でございます(笑)。
でもなんだか、仲がよさそうに見えないのはどうしてかしら……? やはり一方的だからでしょうか?