「レオナさんっ! 匿ってくれないっ!!?」
 言いながら飛び込んできたのは、血相を変えた青年だった。
 今日はとある理由から、閑古鳥の鳴いている店内ではあったが、だからと言って事件が欲しいわけではない。
 何せ、事件はすでに起こっていて、それの収拾のために、人が出払っている状態なのだから。
 だからこそ、いつものようにカウンターでパイプを吹かしていたレオナは、事件を持って来たらしい青年を一瞥して、ふぅ……と煙を吐き出した。
「悪いけどね、シーナ? 今日ばかりは、そうは行かないよ。」
 そして、流し目ついでに彼の姿を上から下まで眺めて──軽く目を見開いて見せた。
 飛び込んできたシーナは、いつもと違って、酷くヨレヨレだったのである。
 右半身はなぜか濡れているし、ズボンの端はちぎれている。
 一体何をしてきたのか、と思うような状態であった。
「ほんっと、そのカウンターの下に入れてくれるだけでいいんだってっ!!
 拝み倒すようにして、シーナはカウンターの入り口にまでやってくる。
 困り事の事件は、今ばかりはお断りだったけど、さすがにこの状態は見逃せるものではなかった。
 顔を顰めて、レオナはシーナに尋ねる。
「一体、どんな厄介事を持ってきてくれたんだい?」
「厄介事っていうか、リオから匿ってくれたらいいんだっ!」
「リオからかい?」
 カウンターのドアを空けたレオナに、飛びつくようにシーナが入ってくる。
 その姿は、情けないようにしか見えない。
「……なんでまた、リオから?」
 呆れたように尋ねるレオナに、シーナはカウンターの中に身を縮めながら答える。
「あいつ、俺にルックとカップルの振りして、オトリになれって言いやがるんだぜっ!?
 ったく、男となんて、冗談じゃねぇっ。」
 いまいましげに呟くシーナの旋毛を見下ろして、なるほどねぇ、とレオナは呟く。
 「おとり」というのは、今同盟軍が関わっている事件そのものである。
 それは確かに、シーナにとっては嫌に違いないだろうとレオナは納得して、視線を上げた。
 そうして。
「…………………………シーナ。」
 小さく、足元で座っている青年の名を呼ぶ。
 なんだよ、と頭を上げたシーナは、動きを止めたレオナの隣に見えた顔に──カウンターの中を覗き込んでいる見なれた顔に、言葉を無くして絶句してみせた。
「すまないね……。」
 天井を仰ぐように呟いたレオナの台詞にかぶさるようにして、はぁーい、と片手を振って見せた軍主は、ニッコリ笑うと、
「やぁっと捕まえたよ、シーナ♪」
 そう、勝ちの宣告をしてみせたのであった。


夜道にはご用心

1主人公:スイ=マクドール
2主人公:リオ






 吹きぬけのホールの、両脇を階段に挟まれた場所──入り口から入ってきて、階段を上れば真っ先に目につく場所に、そこは存在している。
 頭上には、この城の象徴である守護像が堂々と飾られ、エレベーターへも墓場へも、そして左右の塔へも行き来できるという交通の便からも、1日に通る人間の数は、この城内で一番多いのではないか、と言われている場所である。
 その、この城の中で一番有名である場所に、この軍の中でも重要な部分を占める「物」が置かれている。
 大事な預かり物とも言えるそれには、いつも見張り番のような少年が立っている。
 今日もそれは変わらず、見ているだけで眼福出来る容貌の少年は、無表情で石板の前に位置していた。
 ──ただ、今日は彼だけではなく、もう一人、少年が立っていた。
 目のさめるような美貌を持つ美少年魔法使いの少し後ろに──石板の側面に、思いきり凭れている少年である。
 彼は、今やこの城内で知らない者は居ないほどの有名人となっていた。
 理由の一つは、彼の持つ二つ名のため。
 そしてもう一つは、ここの軍主様が、とても彼に懐いている、という事実からであった。
 彼が居る場所には、常に軍主がまとわりついている、というのがこの城の人間の認識である。
 けれど、今、彼の周りに居るのは、顔は綺麗だけど性格は最悪、という美少年だけである。
 いつもなら、無意味に石板に触れた人間は、例え軍主であろうとも、問答無用で風の刃の餌食にするはずなのだが、なぜか思いきり凭れている少年は、傷一つなかった。
 それはある意味、とても珍しい光景であったが誰一人としてその事実に気付くことはない。
 なぜなら、常に人気があるホールにしては珍しく、今日は誰一人として通りかかることはなかったからである。
 少年は時々、無愛想な目を後ろに──「トランの英雄」という二つ名を持つ少年へと向けるが、相手はまるで感じてないかのように、両手に持ったペーパーを捲っている。
 ゆっくりと捲るペーパーには、ぎっしりと文字が埋め込まれている。この大陸で使われている共通語である。
 美少年は、ゆっくりと視線をめぐらせて、静かなホール内を見渡した。
 いつもこれくらい静かなら、瞑想もやりがいがあるのだが──今日のこの静けさは、本来、喜ぶべきものではないのだ。
 まぁ、それでも、静かならそれはそれで、いいんだけどね……僕は。
 ふぅ、と溜息にも似た吐息を零して、石板の守人──ルックは、この久しぶりの静けさ……そう、この城に来てから一度も味わったことのない静かさを、ノンビリと味わうことにする。
 が、しかし。
「へぇー。世間様は怖いねー。サウスウィンドウで拉致事件発生だってさー。」
 今の今まで、石板の側面に背中を預けて、おとなしく新聞を読んでいたくせに、ルックが瞑想に入ろうとしたりすると、こうして話し掛けてくる。
「…………君ね、ついさっきも同じネタを僕に振ったばかりじゃないか。」
 じろり、と睨みつけてやると、新聞から視線を放した少年は、からかうような微笑みを浮かべて見せる。
「だって、このネタしか書いてないんだもん、この新聞。」
 ひらり、と舞わせて見せる新聞は、数枚に渡ってビッシリと文字が埋め込まれている。
 そのくせ、内容はたった一つしかないのだ。
「そんなゴシップネタを、いちいち口に出さなくてもいいよ。」
 つい、と視線を前に戻すルックに、どっしりと石板にもたれたまま、少年は笑った。
「でも、この城も、今はこのネタで持ちきりじゃないか。自分の属してる軍で、何を話題にされてるのかっていうのを知っておくのは、大事だと思うよ?」
「……サウスウィンドウ拉致事件だろ? 昨日もおとついも、軍師殿から直々に情報を貰ったばかりだよ。
 この城の108星すべてにね。いまさらその新聞相手に、さまざまな情報を入れる必要はないさ。」
 したり顔で説明してくれる、一応この城の「部外者」であるところの英雄相手に、疲れたように、本日二度目の説明をしてやる。
 ルックに新聞のネタを振ってくれているスイ自身だって、この城の軍主であるリオから聞いているはずなのだ。
 最近、サウスウィンドウで、恋人同志を狙った拉致事件が起きているということくらい。
 それは、昼夜関係なしに誘拐されているらしく、すでに姿が見えなくなったカップルが10組にも登るのだという。
 旅の途中で立ち寄ったカップルであったり、サウスウィンドウの新婚夫婦であったりした。
 これで、居なくなったカップルが、二組や三組ほどなら、実は駆け落ちだったのではないか、と疑うところなのだが、10組ともなると、それはまずない。
 何の目的でカップルが襲われているのかはわからないが、それを突きとめるべきだという目的の元、新同盟軍も立ちあがり、サウスウィンドウにおとり作戦で多くの兵士が出て行っているのだ。
 居る人数で、カップルの振りをし、そのカップルを守るために、多くの人間が借り出されている。
 残っているのは、命令を指揮しているシュウと、軍主であるリオ、さまざまな理由から、カップルおとり作戦から外された面々だけである。
 ルックが残っているのは、もちろん、彼が断固として拒否したためである。
「そう? それじゃ、この最新情報も知ってる?」
 言いながら、スイはクシャリと新聞を丸めた。
 ニッコリと、誰もが可憐で美しいと褒め称える微笑みを浮かべて、
「サウスウィンドウで攫われたカップルってね、引き離されて、人買い市場に出されてるらしいよ。」
 そう──今朝の最新情報でも、シュウが言わなかった情報を、提示してくださった。
 思わずルックは、柳眉を顰めてスイを振りかえる。
 やっとまともに自分と視線を合わせてくれたルックに、スイはよし、と言わんばかりに笑った。
「……ガセ情報なんて、掴まされてるんじゃないよ、君は。」
 棘のある台詞を呟きつつも、踵を返して真正面からスイを見る。
 スイがガセ情報なんてものに、簡単に引っ掛かるわけがないのだ──もっとも、ガセだと知っていて、わざと情報を提供してくれるのなら、話は別であったが。
「ガセ情報だなんてひどいなぁー。
 せっかく僕が、サウスウィンドウカップル拉致事件でテンテコ舞いしてるルックのために、カゲを脅して情報収集にいそしんだっていうのに……。」
 少しの憂いを見せて、そう呟いた少年の台詞には、非常に突っ込みたい所があったが、あえてそれを飲み込み、ルックは不機嫌な顔を崩さない。
「正直な話、このまましばらく城の中が静かなほうが、ありがたいんだけどね、僕としては。」
「せっかく、展開が面白くなりそうだと思って、情報をリオに伝えて、作戦も授けてあげたっていうのに……っ。」
 ふぅぅ、と目線を落として、スイがニュースペーパーを口元に当てた。
 憂いの美少年に見えなくもない仕草であったが、3年前にさんざん付き合っているルックには、それが本気でないことくらいお見通しであった。
 お見通しであったのだけれども。
「……なんだって?」
 聞き逃せない台詞に、ルックが顔色を変えてスイを振りかえった。
 そこへ、
「だから、愛するルックのために、無い知恵を絞ってみたって言ってるんだ。」
 スイが、しっとりと濡れた瞳をあげて見せる。
 おそらく、彼の本性を知らない人間なら、コロッとやられるところだろうが、同じような本性を抱えているルックには通用しない。
「確かに、良い方に使う知恵は、全く無いと言っても過言じゃないだろうけどね……。
 君が、こういう場面で、良い方向に知恵を使うはずもないと思うんだけど──何を、リオに言ったんだい?」
 ピシリ──と、空気が凍る音がするほどに冷ややかな視線で睨み上げると、スイはその彼に柔らかに笑って見せた。
「どうやらハルモニアに三等市民として売られてるらしいって話をしただけだよ。──オトリ作戦なんてしたら、危ないって言う意味をこめてね。」
「……………………。」
 思いもよらず零れた情報に、ルックは険しい眉を更に顰めて見せた。
 三等市民なんて綺麗な言い方をしなければ、早い話が「奴隷」だ。
 それも、人買いなんて言う裏市場を通じて売られる奴隷となると、世間では決して口に出せないような世界の奴隷ということになる。
「スイ、そういう情報は、僕じゃなくって、シュウ殿にくれてやってよ。」
 これ以上聞いてしまったら、思いきり巻き込まれるという気持ちがあったからこそ、ルックはあえてそう口にした。
 カゲに情報を探らせたとなると、絶対、それ以上の素晴らしい情報が出てくるに違いないのだ。
 それを聞いてしまえば、巻き込まれる以外ありえないのだから。
「そんなことできないよ。
 僕が、今でも現役なところを見せるのは、こっちにも都合は良くない。」
 ぱたぱた、と手を振ってきっぱり言い切るスイに、ルックは眉をひそめるだけで答えはしない。
 何を自信過剰に、と思わないでもないが、実際、シュウですら手にしていない情報を、ポイポイと用意できる彼の腕の確かさ──情報網の多さは、有能以外の何者でもない。たとえそれが、ハルモニア側に居るカゲだからこそ仕入れられた情報なのだとしても、だ。
「まー、それでね、今回のシュウ殿たちの作戦だと、オトリにならないってことを、リオに説明したんだよ。」
 ヒラヒラと折り曲げた新聞を揺らしながら、スイが笑った。
 その言葉を聞きたくないって言ってるだろうがと、ルックがキツク睨みつけるが、そんな彼との付き合いの長いスイには、全く効いてはいなかった。
「どうしてかって言う説明をするには、まずはじめに、どうしてカップルが狙われているかと言う説明をしなくてはいけなくなるわけだ。」
「聞きたくないって言ってるだろ、だからっ。」
 思いきり声を荒げて、ギッとスイを睨んだ瞬間。
「スイさーんっ!! 無事、シーナ捕獲しましたーっ!!!」
 ダッシュで、勢い良く外へと繋がる階段を駆け上がってくる少年が、ホールに飛び込んできたのであった。





「彼らは、ハイランドやグラスランド、ゼクセン地方で、人を攫っては、ハルモニアの闇市場で人を売って商売しているっていうグループでね。」
「悪徳ですよねーっ!」
 プンプンと唇を尖らせて、石板の前に円座を組んでスイの説明を聞くハメになった二人を前に、リオが憤慨したように叫んだ。
 聞きたくないと言ってるだろうが、という目で凄んで見せていたルックであったが、グルグル巻きにされて連れてこられたシーナを見つけるにあたって、諦めることにしたらしい。無言で目を閉じて、せめてもの反抗をしている。
 そうして、酒場でリオに見つかってしまったシーナは──カップルおとり作戦に参加させると、相棒の女の子に良からぬことをしそうだという理由から、外されていた──、叫ばないように口には猿轡をかまされ、手足は見事にグルグル巻きである。
「ふがふがっ!」
「そうだよねっ、シーナも、許せないですよねーっ!」
 思いきり両手を握り締めて、リオが叫ぶ、
 いや、シーナが許せない相手は、悪徳商人ではなく、リオなのでは? という突っ込みは、残念ながら、誰もしなかった。
 シーナにとっては、酷く残念な事実であっただろう。
「それで、彼らが狙うのが、どうしてカップルなのかって言うことなんだけど、実は今回の事件では知られてないんだけど──彼らは、カップル以外にも、こっそりと目立たないように、子供だとかを攫ってるんだよ。
 ただ、一番楽で得するのが、カップル狩りらしいんだ。」
「……ふが……。」
 なんでお前、そんなに詳しいんだよ……と、シーナは呆れているようであったが、リオは全く分からないまま、ウンウン、と同意を示し、ルックは無表情で目を閉じつづけている。更にスイは、分かっているだろうに話を進めていく。
「それはどうしてかというと──カップルっていうのは、双方ともにスキが出来やすい時間っていうのが、どうしてもあるんだよね。その瞬間を狙って、サクッ! と攫っちゃうらしいんだよ──えーっと、お子様には分かりにくいだろうけど、営み瞬間だね。」
「サクって言いすぎだっ!!」
 がふっ! と思い切り良く猿轡を顎にずらして、シーナが叫ぶ。
 やはり、どうしてもしゃべらずにはいられなかったらしい。
「そうなんです! つまり、シュウの作戦では、おとりにならないんですっ!!」
 ぎゅむ、とリオが拳を握って力説する。
 ルックは、無言で目をうっすらと開いた。
 シーナも、嫌な予感を覚えて顔を大きく歪める。
 そんな面々を見やって、うん、とスイが頷く。
「だからね、はい、これ。」
 そうして、まるでリオが言うのを待っていたかのように、ひょい、と懐の中から細長い四つの紙切れを示した。
 しっかりと右手で握り締めている紙切れは、どう見ても……簡易クジであった。
「はい、これ……って……何だよ、これ?」
 嫌そうな顔で、シーナが顎でクジを示す。
「これで組み合わせを決めるって言うんですか、スイさんっ!? それは無しですよーっ!?
 ここは、僕とスイさんのコンビっ! シーナとルックっ! それ以外は、ありえませんっ!
 ほら、僕とスイさんなら、Wリーダー攻撃も使えるしっ!!」
 思い切り良く反論したのは、リオであった。
 もちろん、「正しいカップルおとりになるために必要な営み」に頭が行っていることに間違いない。
「ば、バカ言うなっ! お前みたいな万年発情期に、途中で止めるっていう器用なことが出きるのかよっ!」
「できませんっ!」
 叫んだシーナに、きっぱりはっきり、良い子の返事を返すリオの頭に、
すかこーんっ!
 小気味良い音を立てて、ルックのロッドが決まった。
 リオの正面に居たスイは、丸めたままの新聞紙を構えていたところだったが、今回ばかりはルックの方が早かったらしい。
 チッ、と、ルックとシーナにのみ聞こえるような舌打ちを零すと、何事も無かったかのように新聞紙を丸めなおした。
「でもね、ルック、シーナっ!? はっきり言わせて貰うけど、いざオトリ現場で、ヤルぞっ、ってな時に、サクッとヤレるほどの甲斐性くらいは無くてはいけないと思うんですっ!!」
「いや、無くてもいいし。」
 パタパタ、とスイが手を振って注意を入れるが、リオはまったく聞いてない。
「つぅか、お前とスイを一緒にさせとくほうが危ないだろうがっ! ここは、やっぱ、本命の俺が行くしかないと思うんだけどなっ!?」
 んん、とロープに縛られた体で前に進み出るシーナが、思い切り良く顔を突っ込んでくるのに、すかさずスイは彼の口に束になったクジを突っ込んだ。
 そして、そのまま手の平を緩めるようにして手元に引く。
 一本だけ、シーナの唇に張りつくようにして残ったクジの先は、赤く塗られていた。
「はい、シーナ赤組で決定ね。」
 あっさりと決まってしまった結末に、茫然とするシーナを横に、さっさとスイが残りの三本のうち、一本を引いた。
 表示されているのは、白である。
「ああ、僕は白組だ。」
 あっさりと告げてくれる内容に、シーナがガックリと肩を落とした。
 これでは張本人に、断られたようなものである。
「じゃ、つ、次は僕ですかっ!?」
 緊張した面持ちで、リオが震える手を差し出す。
 残った二本のうち一本は、シーナと。
 残り一本は、目当てのスイとのコンビだ。
 これは、逃すことは出来ない!
 リオは、思い切って右側で依れている紙を引いた。
 その先には、──何も、書かれていない。
「……っ!」
「……っ。」
 思わず息を呑むシーナとルックを横目に、リオは顔中にこみ上げてくる笑いをかみ殺すことが出来なかった。
「リオは僕とだね。じゃ、残ったのは、……うん、赤だから、ルックとシーナの組ってことで。」
 はい、と残った紙を手渡されて、ルックはクシャリ、とそれを握りつぶす。
「──誰も、参加するなんて言ってないだろう?」
 言いながら、上機嫌で両手を上げているリオを睨み上げる。
 もっとも危ない野生の発情サルに当たってしまった以上、ここは何としてでも、オトリカップルを遠目から見守る役を確保しなくてはいけない。
 そのためにも、この赤いクジは、不必要なのだ。
 ぱらぱら、と磨き上げられた床にゴミを零して、ルックは正面からスイを見やった。
「僕は、そんなバカみたいなことをするつもりはないよ?」
「そうそう。俺だって、相手がスイならとにかく、こんな顔だけの根性悪と、ラブラブカップルの振りなんて出来ないって。」
 シーナも大きく頷きながら、スイを説得しようとするが、
「ダメダメダメダメっ! やっぱりここは、オトリは一組よりも二組っ! だぁいじょうぶだって、ルックとシーナだったら、ちゃーんと美男美女に見えるってば♪」
 語尾が浮かれているリオが、あははは、と底抜けに明るい声をあげてくれた。
「そうだね。ちゃんと女装用のドレスも、2着用意してるから──。」
 言いながら、スイはカギを取り出す。
 そのカギには、良く見ると、「フリック」という名前が彫られていたが、誰もそれに対して突っ込むことはなかった。
 今頃、無理やりカップルを組まされたニナに引きずりまわされているに違いない色男が、不幸に縁があるということは、城内では有名だったからである。
「はいっ! あ、なんなら、レオナさんからお化粧道具も借りてきましょうかぁ〜っ!?」
 心底嬉しそうに、ゲンナリしているシーナとルックを余所に、リオが満面の笑顔で尋ねると、
「そうだね……ま、とりあえず先に、サイズが合うか確認することから始めないとね……ルック、リオ?」
 スイは、リオの笑顔に負けないくらいの笑顔で、女装すべき人物二人に、ニッコリと笑いかけた。
「……………………………………え………………………………僕……………………………………?」
 長い問答の末、リオが自分の顔を指し示す。
 そんな彼に、うん、と微笑んで、当たり前のようにスイは告げた。
「だって、リオは顔が知られてるから──女装でもしないと、すぐにばれちゃうでしょ?」
「……あー…………頑張れ、リオ!」
 ロープに縛られたまま、シーナが、うん、と一度頷いた。
 その顔が、笑いをかみ殺しているようにしか見えない。
「…………〜〜〜〜そんなぁーっ!! それじゃ、女装したスイさんを押し倒して、あんなこととか、こんなこととか出来ないのーっ!!?
 っていうか、僕が押し倒されるほうっ!? ほうなわけっ!!!?」
 今にも泣きそうな顔で、リオが叫ぶ。
 そんな彼に、うんうん、と嬉しそうにシーナが頷く。
 その正面では、ルックがひたすら無言で床を見下ろしていた。──このメンバーになったときから、分かり切っていたことなのだが……わかりきっていたことなのだが………………。
「そんなのってない! だって、それだったら…………………………だったら………………………………。」
 叫ぼうとしたリオは、なぜかそのまま言葉を途切れさせ、空中に視線を泳がせた。
 そうして、しばらくの沈黙後。
「…………いいかも、それでも………………。」
 ぽつり、と呟く。
 その小さな呟きが、なんだか嫌な予感を覚えさせて、シーナが彼に追及しようとした瞬間である。
「…………守りの天蓋。」
 唐突に、スイが左手を掲げて呟いたかと思うや否や。
「永遠の風!!」
 ルックの桜色の唇から、本来なら聞くことのない呪文が、放たれた。






 表向きは、何か事件が起きたように見えないサウスウィンドウであったが、市長が公開処刑された、あの最悪の事件の時よりも、根底に潜んだ暗い何かが漂っているように見えた。
 笑っている子供が走って行く街道。
 おとな達が、商品片手に押し問答している模様。
 何もかもが普段の光景ではあったが、どこか退廃した雰囲気がある。
 誘拐事件については、まだ表だった話になっていないとシュウは言っていたが──やはり、誰もが肌で感じているのだろう。
「つぅか、異様な光景だぜ。」
 ひりひりとする手首をさすりながら、シーナがゲンナリと呟く。
 隣に立っているのは、深窓の令嬢風の出で立ちをした、極上の美少女である。
 しかし、深窓のご令嬢風のわりには、態度が偉そうである。
「これ見て、何も無いって思うほうが、変だよなぁ?」
 なぁ、と隣の「恋人」に語りかけるものの、シルクやオーガンジーをたっぷりと使ったドレスに身を包む相棒は答えてくれる様子はない。
 怒りに震えている様子は良くわかったが、残念ながら、今の彼には呪文を唱えることは出来なかった。
 なぜなら、一連の出来事を完全に読み取っていたスイによって、全体魔法を返された挙句、ちんもくの紋章を宿した天牙棍で「ちんもく」になるまで攻撃されたからである。
 しかも、ルックが逃げないように、HPはそのままの状態になっていたりするから、これを鬼といわずして一体誰を鬼というのだうか?
 そういう男だと分かっていたけど、やはり怒りは怒りで覚えずにはいられないのだ。
「異様に、カップル多いんだぜ……。」
 呆れたように辺りを見まわしたシーナは、言葉通り、カップルだらけの広場にゲンナリしてみせる。
 幸せそうに寄り添う恋人や、楽しそうに笑っている新婚カップル風の人間が、そこかしこに見えるのだ。
 しかも、良く見れば、彼らの側にはさりげない仕草で新聞を広げた人間だとか、無意味に縄跳びをしている子供が居る。
────全て、同盟軍の人間だ。
「カップル攫われ事件があるってときに、これだけカップルがいたら、そりゃー、何かあるって思われて、引っ掛からなくても当たり前だと思うんだけど──実は、シュウさんって、抜けてるのかな?」
 なぁ? と、答えが返らないのを分かっている上で、シーナがしみじみと呟いた瞬間、
 ゴツンッ! と、ルックが彼の足を蹴った。
 それほど高くないとは言え、わざとらしくヒールで蹴る辺りが、ルックである。
 そんな踵の細い物で蹴られては、シーナも跳び上がらざるを得なかった。
「つぅぅっ!! て、てめっ、何しやがんだよっ!」
 涙目になって叫んでくるシーナを、ぎろり、とルックは睨む。
 その鋭い眼光に、はいはい、とシーナは答えて、投げやりな動作でルックの肩を抱こうとした。
 が、それよりも早く、げしっ! ともう片方の足で、思い切り良く足を踏んだ。
「……〜〜たぁぁぁっ!!? て、てめっ、何しやがんだよ、マジでっ!」
 そんなシーナの耳に、整った指先を引っ掛けると、思い切り良くそれを引っ張った。
「…………ヵ……っ、……っぁ……。」
 ノドがまるで言うことを聞かないのに、苛立つように眉を絞ったルックは、更に口を開こうとするが、体に訴えられる痛みにゲンナリしていたシーナは、あっさりと道具袋の中からノドアメを取り出すと、ひょい、とルックの口の中に突っ込んだ。
「で? 言いたいことがあるなら、さっさと言ってくれよな。」
 ほら、と顎をしゃくるようにしてシーナが進めると、ルックは更に強くシーナの耳を掴んで、
「脳みそ足りなさ過ぎて、蒸発しちゃったんじゃないかいっ!? この、マヌケっっ! って言ってんだよっ!!」
 今まで叫べなかった分、思いきり良く叫んでやった。
 キィィーンッ、と頭がしびれているシーナの耳を引っつかんだまま、ルックは頭に無理やり結ばされたレースの髪飾りをかきむしるようにして取ると、ブルリ、と頭を振った。
「子サルとスイは、どこに行ったか、ちゃんと見てたのっ!?」
「はっ!? リオとスイだったら、後ろに……………………………………。」
 さっき、一緒にサウスウィンドウに入ってきたじゃないか、と振り返ったシーナは、示そうとした指先を宙に浮かせたまま、動きを止めた。
 当たり前であったが、そこに二人の姿は無かった。
「っっ! やっべぇぇぇっ!」
「だから、そう言ってるじゃないかっ!」
 噛み付くように怒鳴って、ルックは辺りに視線を走らせる。
 シーナもシーナで、感覚を研ぎ澄ませて、感じなれた気配を探ろうとするが、あまりにも周りに知っている気配がありすぎて、どうにも意識が散漫になりがちであった。
 ちぃっ、と苛立ちに舌打ちをすると、不意にドレスの裾を翻してルックが駆け出した。
「ルックっ!」
 思わず叫んだシーナが、彼の後を追った。
 すでに「オトリカップル」の自覚はない二人であった。──見た目だけなら、そう見えなくもなかったのだけど……。






「やっぱり、カップルって言ったら、裏道ですよねー。」
 うんうん、と頷きながらリオは進んで前を歩いていく。
 その後をノンビリと歩きながら、町娘風のリオの姿を目で追う。
 ルックと違って、スカートを履いただけではイマイチだったリオは、カツラも身につけて、化粧も完璧な状態である。普通に座ってニッコリ笑っていれば、可愛い女の子だと、10人中8人は答えるだろう。
 そして、この姿の彼を見て、同盟軍リーダーだと思う人は誰も居ないに違いない。
「あんまり裏道に行きすぎると、隠れる場所がないから、奥には行かないほうがいいよ、リオ。」
 隠れる場所がないと、襲われる可能性が低くなる、と危惧するスイに、顔だけ振りかえって、ニッコリとリオが笑った。
「でも、奥の奥まで行かないと、探し出されちゃ居ますから。」
「いや、だから、探されたほうがいいと思うんだけど……。」
 サクサクと前に突き進んでいたリオは、突き当たりの手前で足を止めた。
 そして、キョロリと辺りを見まわして、うん、と一度頷く。
「ここにしましょう! スイさんっ!」
 異様に力の入っている目で、きらん、とスイを振りかえる。
 一人ブラブラと辺りを見まわしていたスイは、リオの勢い溢れる一言に、視線を移した。
 そこには、廃れたような雰囲気の壁と、おざなりに積んである木箱が幾つか置いてある。
「ここにしましょうって……何が?」
 今、ここで、何をしなくてはいけないのか──分かってはいるものの、分かりたくはないというか。
 スイは、なんとなく目を眇めて……そ、と視線をずらしてみせた。
 リオはその隙に、スイの手を取る。
 ずい、と前に迫って見せると、キラキラと輝く子供のような瞳で──いや、子供はこんなに食いつくような目をしてはいない。
 じりり、と後じ去り、スイは軽く首を傾げて見せた。
「リオ……あのね、君はおとなしく、目を閉じてその木箱に座っていてくれれば、後は僕が適当にするから……。」
 ね、と説得するようにスイが笑いかけると、リオはリオで、握り締めた手に力を込めて、顔を近づけさせる。
「だーいじょうぶですよぉー。のーぷろぶれーむ!」
 にっこりと、間近で微笑むリオの笑顔は、何も知らない人が見たら、恋人に可愛らしくおねだりする少女に見えないこともないのだけど……手が、手が、全く別の所をまさぐりかけていた。
「この手は何だ、この手はっ! 何、腰なでてるのっ!」
 慌てて握られている手をもぎ離し、スキなように動き始めているリオのもう片手を制そうと手を伸ばす。
 そうこうしている間に、ドンっ、とふくらはぎに木箱が当たった。
 あ、と思う間もなく、そのままドスンと腰から木箱の上に落ちた。
 まずい、とスイが態勢を立て直すために足でリオを蹴り上げようとするが、スカート姿のリオの膝が、ずしり、とスイの太ももに圧し掛かり、動きを全て封じられてしまった。
「……くっ。」
 みし、と背中で木箱がきしむ音がする。
「スイさん〜♪」
「あのねぇぇ、リオっ! たしかにオトリをするためには、こうした方が良いとは思うけど──っていうか、お前、本気で途中で止めれるのかっ!!?」
 手が服の合間に差しこまれる段階まで来て、悲鳴のようにスイが叫ぶ。
 リオは、ニッコリと嬉しそうに笑うと、
「スイさん、知ってます? スカートって、こういう時、便利ですよねーっ。」
「……………………っ。」
 瞬間、スイは決断をした。
 とりあえず、オトリ作戦の事はスッキリ忘れよう。
 どうせ元々はサウスウィンドウの事件で、シュウが何とかしようと乗り出しているのだ。
 そのうち、彼も裏情報に気付いて、解決してくれるだろう──そう、例え、それまでに犠牲者が膨れ上がったとしてもっ! ……まぁ、最も、その前にカップル達が危険を感じるほうが先だろうから、さっさと敵が引き上げてしまうかもしれないが。
 バリッ──と、スイの意識に反応するように、右手が力を放電した気がした。
 もちろん、スイ自身に、それに逆らうつもりはない。
 だからこそ、紋章が望むまま、力を思いきり解放しようとした。
「…………つぅか、やっぱやってたなぁぁぁーっ!!」
 聞きなれた声と共に、空気を切り裂くような音が、するまでは。
「……っ!?」
 は、と視線を向けた先で、表通りへと続く曲がり角に立つ、肩で息をしているシーナの姿と、白いドレスを翻して、右手を突きつけている美少女と。
 そうして、思い切り良くリオめがけて、ぶつかった──風の轟き。
 ゴゥンッ、と風がくぐもるような音がしたかと思うと、リオの体がグラリと傾ぎ、がくんっ、と地面に膝を突く。
 強烈な眠気を覚えているのか、クラクラする額に手を当てて、リオは奥歯をかみ締める。
 上から重しの無くなったスイは、ヤレヤレと乱れた服を治しながら置き上がる。
「大丈夫か、スイっ!? ったく、だからこの組み合わせは反対だったんだよっ!」
 全く、と吐き捨てるように呟きながら、シーナが駆け寄ってくる。
 スイの足元にうずくまるリオは、強い眠気を振り払うように、ぶるり、と頭を振った。
 そして、強く眉を顰め、ぼんやりと眠気の残る頭で、シーナを見上げる。
「せっかく振り払ったと思ったのに〜。」
「あのなー……っ。」
 思いきり苦々しい顔で自分を睨みつけてくるシーナに、軽く頬を膨らませるリオには、全く悪気はないようであった。
 スイは、とりあえず木箱から降りるついでに、わざとらしくリオを踏みつけてから、地面に足をつけた。
 ぶし、と潰した声を漏らしたリオは、その表紙にかみ締めていた奥歯で、咥内を噛んでしまったらしい。スイが降りた木箱に震える片手を置いて、痛みを堪える。
「つぅかお前、押し倒す役じゃねぇだろーがよ。」
「はひひって……ん……最近は、女が押し倒すのも流行りだって、ビクトールさんが言ってたもん。」
 痺れを覚える口の中に、大きく顔を歪めて、リオはシーナを見上げる。
 全く悪びれない様子のリオに、シーナは苦虫を噛み潰したような顔になった後、ぐい、と彼の後ろ襟首を掴んで立たせた。
「だからって、最初の目的忘れてんじゃねぇよ。」
「忘れてないよっ!? だから、ちゃんと最初の目的通りの事をしようとしたのに、シーナとルックが邪魔したんじゃないかっ! そういうシーナとルックも、しっかりやってよねっ!!」
 バタバタと両手を動かせるリオへと、シーナは鋭い視線を走らせた後、
「それは、そこの角見てから言いなっ。」
 くい、と顎で、ルックと共に現れた路地角を示した。
 くすんだ壁に凭れているのは、先ほどリオ向けて風の紋章を開放した、純白のドレスを品良く着こなした美少女である。透けるような白い素肌と、宝石のように美しい双眸が魅力的な、都会でも珍しい綺麗な容貌だ。
 彼女は、視線をツイ、とずらした。
 その先には、避暑地のお嬢様風なドレスを提供した張本人が、地面にしゃがみ込んでいた。
「ルックと──スイさん?」
 無言で汚れたドレスの裾を払っているルックの足元でしゃがんでいるスイは、満足げな表情で自分の前に積まれた物体を認めた。
 怪しい麻袋を持った、作業服姿の男が数人──サウスウィンドウでこのような者がうろついていたら、怪しいことこの上ない。しかも、こんな裏道で倒れているということは、考えられるのは一つである。
「なかなかヤルじゃないか、ルックもシーナも?
 ──どんな手を使って、彼らを引き寄せたのさ?」
 ニヤリ、と、底意地地の悪い笑みを見せて尋ねてくるスイへ、ルックは本気で嫌そうな顔をしてみせた。
「君とリオじゃあるまいし。」
「僕だって、別に好きで押し倒されてたわけじゃないんだけど?」
「…………どうだか……。」
 ちょっと、と不満そうな顔になったスイであったが、もう一度目の前に積まれた男達を見やった後、ゆっくりと立ちあがった。
 振りかえった先では、町娘の格好をしたリオが、キョトンとした顔でコチラを見ていた。隣には、こざっぱりした格好のシーナが立っている。
 とってもお似合いだよ、二人ともv なんて言ったら、多分二人から猛烈な抗議を貰うだろうことは分かっていたので、ノドの奥に飲み込むことにして、とりあえず今しなくては行けないことを告げた。
「リオ、シーナ。この男達を本拠地に連れて行って、シュウ殿に頼んで、親玉を洗ってもらってくれる?」
 くい、と足元に転がる気絶した男達を示す。
 どうやら、シーナもルックも、前に立ちはだかって邪魔してくれた男達に、容赦かけらなく対応したらしく、三日は目を覚ましそうになかった。
「えっ!? 男達って……っ!?」
「だから言っただろ。お前がスイを押し倒してる間に、俺とルックでそいつら倒したんだよ。」
 ぐい、とリオの耳たぶを掴んで、わざとらしく耳元で一言一言告げてやると、リオは嫌そうな顔でシーナから逃げ──すぐに、顔をシーナに近づけ直す。
 キラキラと目が嬉しそうに輝いていた。
 シーナとルックが戦っている間に、自分はちゃっかりスイを押し倒していたのか、とシーナは責めるつもりでったのだけれども。
「それってつまりさ、僕とスイさんが、ちゃんとオトリになったってことだよねっ!?
 やっぱり、僕がやってることは、無駄じゃなかったんだねっ!!」
 よし、と思いきりリオは拳を握って叫んだ。
 そのリオの後頭部へ、
「嬉しがるな、ソコ。」
 がっつんっ! と、思い切り良く棍がぶつかった。
 ヒュンッ、と棍がしなり、一回転する。
 どさり、と体ごと崩れ落ちたリオの体の横に、かっつん、と棍の先を叩きつけて、スイは顔を歪めて見せた。
「シーナ、悪いけど、男どもとリオを連れて帰ってくれる?」
 いつものように手加減なく叩きのめしてしまったのだろう。
 倒れたリオは、うつぶせに地面とご対面したまま、ピクリとも動かなかった。
「はぁっ!? 何で俺がっ!? おまえとルックはどうする気なんだよっ!?」
「帰る。」
 きっぱりはっきり答えて、後に思い残すことは無いと言いたげに、スイはルックに手を差し出した。
「帰るって……っ。」
 シーナが更に言葉を続けようとするが、ルックは無言で差し出されたスイの手を睨み付けると、乱暴な手つきで彼の手を握り締めた。
 そしてそのまま、グイ、と乱暴に引き寄せる。
「俺だけ貧乏クジかぁっ!?」
 スイとルックの意図を悟ったシーナが、声を荒げるのに、すでに魔力が発動している範囲に足を踏み入れたスイが、ニッコリを笑って告げた。
「ちゃんと街中には味方がいるし、リオの道具袋の中には瞬きの手鏡もあるじゃないか。」
 だから、何の憂いもなく、ココを後に出きると──綺麗な顔をほころばせて言う台詞は、一人ココに残されるシーナとしては、非常に不本意な台詞であった。
 だからこそ、一歩前に踏み出そうとするが、巻き起こった風塵に足止めを食らわされる。
「それに──僕は、事件解決の現場に居ないほうがいい……だろ?」
 少しだけ、儚さすら感じさせる微笑みを残して──スイとルックは、風にまみれて姿を消した。
 音もなく。
 何も残さず。
……残ったのは、頭を殴られて意識を失ったリオと、シーナとルックとで倒した後の男の束と。
「──……やっぱ、貧乏クジじゃねぇかよ……。」
 やってらんねぇ、と忌々しげに溜息を零して、とりあえずシーナは、左手に宿しておいた水の紋章を見やった。
 いざという時のためにと、宿してもらっておいて正解だったわけである。
 そうして、まずは足元から回復してやるかと言わんばかりに、倒れているリオの元にしゃがみ込んだのであった。





 音も無く辿り着いたのは、新同盟軍の本拠地ではなかった。
 見なれた調度品の並ぶ室内は、昨夜遅くに、スイが箪笥荒しをしていた部屋である。
「ルックって、この部屋に入ったことあったっけ?」
 どうして入った事も無い部屋に、一瞬で辿り着くことが出きるかな、と、呆れたように腰に手を当てる少年を、ルックは強く睨み付けると、そのまま着込んだドレスを乱暴な手つきで脱ぎ始めた。
 ばさり、と近くのイスの背にかけられるドレスの音に振りかえると、ルックが頬に張りついた髪を剥がしている所だった。
「もう脱いじゃうの? 似合ってたのに。」
 大げさに残念がって見せる少年に、恨みのこもった目を向ける。
「……何を考えてるんだい、君は?」
 低く尋ねるルックの台詞に、何が、とスイは分かっていないような微笑みを見せる。
 もちろん、本当に分かっていないわけじゃないことは、ルックにだって良くわかっていることだ。
「あのクジと言い、リオに反抗もしないことと言い……あんまりふざけたことしていると、こっちも黙っていないって言ってるんだよ。」
「ああ、イカサマのこと?」
 あっさりとネタをばらして、クスクスとスイは笑った。
「答えは酷く簡単だと思うよ、ルック。」
 ぎし──と音を立てて、イスに凭れかかる。
 綺麗に隅々まで掃除された室内は、毎日窓を開放しているためか、こもった匂いはしない。
 それどころか、女性の部屋特有の、微かな甘い匂いすらした。
 それが何の匂いなのか──懐かしい気持ちすら抱かせる優しい香は、母が好んだというハーブの匂いだ。きっと、グレミオが気を利かせてサシェでも吊るして置いたのだろう。
 人気のない部屋は、どうしてもそういう匂いがこもってしまうと、気にしていたようだから。
「簡単だって? それは、作戦としての効率性を言っているのかい? 僕とリオが組んだり、リオとシーナが組むよりも、たしかに今回のコンビの方が効率がいいからね。」
 苛立ちを隠せない様子で、白いレースがついた靴下と、可憐な靴を脱ぎ捨てたルックに、
「それなら、僕とルックが組んで、シーナとリオに護衛させたほうが、一番確実だと思うけど?
 ルックと僕の組み合わせなら、きっと、奴隷商人は食らいついてくるだろうからさ。」
 クスクスと笑いながら、スイは適当な箪笥の中から、男でも着れそうな服を取り出し、ルックに向かって放り投げた。
 無言でそれを受け取ったルックは、それを広げて見せて──嫌そうな表情になるが、他に着るものもないので、それに足を通した。
「だったら──。」
 目を上げたルックに、うん、と小さく頷いて、スイは微笑む。
「単に、ルックの女装姿を写真に撮りたかっただけ。」
「…………………………………………………………あ?」
 ノドを震わせるように低く漏れたルックの言葉に、彼は軽く肩を竦めて見せた。
「ほら、一緒に組んでると写真撮れないしさ、かと言って、僕とシーナが組んじゃうと、ビジュアル的に僕も女装しなくちゃいけないだろ?
 ルックを女装させ、なおかつ、ルックの女装姿を写真に収めるためには、このコンビが一番良いと思ったんだ。」
「…………ばっ……バカだろ、君はっ!!」
 ばさっ! と、手にした上着を投げ捨てて、ルックは叫んだ。
「女装させておいたら、リオも走ったりしないだろうと思ったんだけど、まっさか、女性上位で責めてくるとは思わなかったよ。
 やっぱり、スカートの下にスパッツを履かせたほうが良かったかもしれない。」
 ねぇ? と話を振られて、あまりな内容に、ルックは言葉も無くしてしまった。
 普通に考えたら、分かりそうなことじゃないか。
 どう見ても、自分の事を狙っているような男が二人居て、片方はそれこそ猪突猛進なサルで、もう片方は手の早いプレイボーイで。
 そんな相手を選んで、今回の事を逆手にとって、そんな計画を練るなんてことが、どれほど無謀でバカなことなのか、どうしてコイツはわからないんだっ!?
 あまりの彼の無防備さに、眩暈すら覚える。
「君……っ、普段の悪知恵は嫌になるくらいに完璧なくせに、どうしてこういう事になると、抜けてるんだよっ!
 もし、僕とシーナが、君達を探そうとしなかったら、今ごろどうなってたか分かるのっ!?」
 ガツガツ、と乱暴に絨毯を蹴りながら、スイに近づいて、睨み上げると、彼はアッサリと言い切った。
「とりあえず、リオは今ごろ、右手の住民かと。」
「…………〜〜〜〜っっ。」
「でもさ。」
 絶句して、肩を震わせたルックを覗き込んで、言葉を続けてみせる。
「本当にヤバイようなら、ルックもシーナも、ちゃんと助けてくれるんだろ?」
 無防備に覗き込み、柔らかに微笑む少年の顔は、やっぱり無自覚すぎると──溜息ばかりを覚えながら。
「いい加減──自覚したら?」
 ふい、と顔を寄せて、鼻と鼻がつくほど間近で、スイの瞳を覗きこむ。
 大きな双眸に、ルックの整った顔が大きく映し出されている。
「………………。」
 無言でスイが目を瞬いた、その瞬間を狙って、更に顔を近づける。
「ル……。」
 薄く開いた目に、ゆっくりと開く睫と赤く濡れた瞳を、焼きつけながら。
 暖かな唇から、彼がつむぐだろう言葉の全てを、奪う。
「……んっ……?」
 スイが凭れるイスの背もたれを握り締めた手に力を込めて、もう片手で彼の肩を掴む。
 軽く寄せたスイの眉が、きつく顰められていく様子を眺めて──ルックは、そ、と唇を離した。
 はぁ──……と、どちらともなく吐息が零れて、距離が開く。
「………………。」
 無言で瞳を歪めるスイの顔から視線を外して、ルックは自分で投げた上着をかがみ込んで拾った。
 そして、それに袖を通して、前も止めずにスイを振りかえる。
「君が思ってるほど、僕もシーナもリオも……甘くないってこと。」
 答えを待つことなく、ルックはそのまま姿を消した。
 音もなく消え去った彼が立っていた場所に残されたのは、白いドレスと靴下と靴だけだ。
 イスの背もたれに凭れたまま、それを見送ったスイは、器用に片目だけを眇めて見せると、濡れた唇を一文字に引いて見せる。
「思春期の、一時期の気の迷い希望…………。」
 呟いてみるものの、それが実現するかどうかは──。
「望み、薄そうだよなぁー。」
 がっくりと、イスに全身を預けながら呟いた一言が、何よりも物語っていた。
 ちょっといつものように遊んで見るつもりが──結構面倒な事態を招いてしまったものだと、スイは疲れたように溜息を零して見せた。
 わざわざ自宅までテレポートしてくれた、ルックの「親切」に感謝しながらも、明日からの日々を思うと、さすがの彼も、ちょっとめげてしまうのであった。







たよりになる悪友から、突然告白されるって、どういう気分?


新哉様


一万ヒットありがとう記念企画にご参加くださいまして、ありがとうございました!
遅くなりましたが、やっとリクエスト頂きました品が完成しました〜v
やっぱり、登場人物が多いと、文章も長くなるようです(笑)。
ルック勝者というよりも、ルック一歩リードという感じで終わってますが……今はこんなもので勘弁くださいませ……(^_^;)


その後、マクドール家厨房にて。

坊「グレミオ……ちょっと聞いてほしいんだけど。」
グレミオ「ちょっと待って下さいねっ! 今、一番大事な所なんですっ!」
坊「じゃ、そのままで聞いてくれる? あのね、今日知ったんだけどさ、なんか僕って、結構モテルみたいだよ。」
グレミオ「………………は、はぁぁ? 何の話ですか、一体!?」
坊「いや、さっきルックに、キスされてさ。」
グレミオ「…………………………。」
坊「ルックの女装写真を撮ろう作戦を執行していたんだけど、リオにも押し倒されたし……。」
グレミオ「き……気付いてなかったんですね…………ぼっちゃん…………。」
坊「実は僕って、男にモテルのかなー、なんて思ったんだけど。」
グレミオ「…………ぼっちゃんっ!」
がしっ!
坊「あれ? グレミオ、今シチューが大事な所じゃなかったの?」
グレミオ「明日からしばらくは、同盟軍に行かないでくださいねっ!」
坊「やっだなー、大丈夫だって! もし本当に、リオ達が本気で僕に惚れてたとしても、今の今まで何もなかったんだからさー。」
グレミオ「バカな子ほど可愛いとは言いますが、こういう事にもバカな子っていうのは、困り者ですね……うう。」
坊「グレ? 気にしすぎてると、禿げるよ。」
グレミオ「ぼぼぼぼ、ぼっちゃ〜〜ん………………。」