恐怖の伝説を作った男


 いつものように、同盟軍の若き軍主は、トラン共和国を訪ねていた。
 しかし、今日は残念ながら目当ての人に会えることは叶わなかった。
 明日まで粘る、と叫ぶリオを無理やり連れて帰らないと、あの怖い軍師様がうるさいので、リオと一緒にトランにやってきたシーナは、父親に見つかる前にと、さっさと瞬きの手鏡を使うことにした。
 その手には、行きは持っていなかった分厚い本が握られていたが、じたばたと暴れるリオに気を取られていた一行は、気付くことがなかった。

「うわーんっっ! どうしてスイさんは、今日に限って一泊旅行なんて行ってるんだよぉぉ―っっ! 先に言ってくれたら、僕も無理についていったのにーっっ!!」
「それがわかってるから、言ってかなかったんだろ。」
 ティーカム城に帰ってくるなり、どやどやとレオナの酒場にやってきた一同は、オレンジジュース片手に叫ぶ軍主に溜息をこぼす。
「そういうこと言うと、お酒飲むよ、僕。」
「わーっっ! それはダメだよっ、リオっ!!」
 冷たい台詞にムッとしたリオは、フリックが飲んでいる酒を指差す。
 とたん、左右から、ナナミとアイリが飛びついてきた。
 リオの酒癖の悪さは、この場にいる一同が知っていることなので、それに関しては皆意見が同じであった。さりげにフリックとビクトールも自分のコップをしっかり握りこんでいる。
 ただ一人、シーナは無防備に酒を側に置いたまま、何やら楽しそうに本をめくっていた。
「スイさん、いつ帰ってくるかなぁ?」
 ナナミから、新しいオレンジジュースを持たされて、リオは溜息をこぼしながらつぶやく。
 スイに会わない日が続くと、中毒症状が出るような気がしてきた。
「どこへ行ったかによるんじゃないか? 一泊ってことは、そう遠くないだろ。サラディか、その辺かもな。」
「サラディ??」
 リオが不思議そうに首を傾げてそう言ったフリックを見た。
 フリックは、ああ、と呟いたきり、何といっていいものか、と悩む。なんとたとえていいのか分からない町である。
 どういうふうに例えていいものか、と悩む。
 そんなフリックの隣から、ビクトールが笑って言った。
「あそこはほら、オデッサとの思い出の宿らしいからな。それでじゃないか?」
「………………思い出の、宿?」
 フリックの目がきりりと吊り上るのを悟りながら、面白ろおかしくビクトールは続ける。何のことかわからないナナミとリオは、無言でフリックの腰の剣を指差し、あれ? とか呟いていた。
「ああ、確か……スイが夜中にベッドを抜け出して、オデッサと……──ま、そういうことだ。」
「なんだとぉっっ!!」
「なんですってぇぇっっっ!」
 ビクトール自身、あまり記憶にない事件ではあったが、それを聞いたグレミオがしばらく撃沈していたのを覚えていたので、何気に口にしたことだったが、その効果は絶大であった。
 フリックが叫び、テーブルをたたき、リオまでもが立ち上がり、ビクトールに詰め寄る。
 その二人のダブル攻撃に、
「それっ! 本当ですかっ!!」
「おいっ、ビクトールっ!! どういうことだ、それはっ! あの時だろうっ!? 火炎槍の設計図を取りに行ったあの時だろうっ!? お前らも一緒に行ったんじゃなかったのかっ!?」
 がっくんがっくんと、左右から絞られながら、ビクトールが何とか口を開こうとするものの、その瞬間を狙ったかのように、ナナミがビクトールの後頭部を叩いた。
「いっやぁぁぁぁーっ!! スイさんの昔の男……じゃなかった、女のことなんて聞きたくないわぁぁぁーっ!」
 がごんっ、と勢いよくテーブルに頭をぶつける事になったビクトールを、さらなる災厄が待っていた。
「ナナミっ! 好きな人の過去をも許してこそ、二人の仲は更なるものに発展するんだよっ! だから、今することはっ!」
「……何? リオ?」
 コップを握り締めて、ナナミは尋ねると、
「許す前のヤケだよっ! ってことで、シーナ、お酒貰うよっっ!!」
 リオが、さっきの男前な台詞を消すような勢いで、生返事をするシーナから酒を奪うと、そのまま一気に煽った。
 一人付いていけずに、ちびちびとジュースを啜っていたアイリが、咄嗟に止めようとしたが、もう遅い。
 あっという間にリオは酒を飲みきって、ふぅ、と腰に手を当てた。
 ナナミはそれを見て、そろり、と後退した。
「アイリちゃん……あと、よろしく。」
 ぽん、と肩に手を置かれて、アイリはこれから起こるであろうことを思い出し、ギョッとして、首をすかさず振った。
「じょじょ、冗談じゃないよっ! こんなことでそんなことされても、困るだけじゃないっ!」
「こういうことをチャンスとしてこそ、抜けめのない女に成長され……あ、やっばーっっ!」
 ゆらり、と立ち上ったリオに、ナナミは慌ててシーナの腕に隠れる。
 いつものパターンで行くと、真っ先に被害者となるのは、自分なのである。
 アイリも慌てて椅子の影に身を隠した。見ると、何時の間にかレオナもカウンター席に隠れていた。
 リオは、微かに上気した頬を引き締めて、辺りを見回すと、首を傾げる。
「あれぇ……おねえちゃんは?}
「うっ、私、リオのお姉ちゃんって、呼び方に弱いのよねぇ。」
 言いながらも、ナナミはシーナの影からでない。
 シーナはそれに構わず、ページを捲って、ほう、と唸った。
「り……リオ、お姉ちゃんはいないが、そこに熊なら……。」
 くるり、と見回したリオと視線があったフリックが、慌てたようにビクトールを指差す。
「ってめぇ、熊とはなんだ、熊とはっ!!」
「熊ちゃん……くま……?」
 咄嗟に怒鳴ったビクトールに、リオの視線が止まった。
 そして次の瞬間、リオは派手に唇を熊にぶつけた。
「…………やったか。」
「──いったね。」
「リオぉぉ。」
 フリックが哀愁を漂わせて、キス魔と化したリオの犠牲者に敬意を払って、オデッサを構える。
 それを見ながら、ナナミもふぅ、と吐息づいた。キス魔になると分かってるんだから、酒を飲まなければいいのに、あの子はお酒好きだから、というのがナナミの言い分である。
 アイリが隠れて哀しそうに目を揺らした。
 それでも自分が犠牲になるのは嫌らしいので、乙女心は複雑なのであった、が。
「…………シーナさんっ、もうっ! リオに酒を渡しちゃ駄目じゃないです…………か………………ぁ、…………あ、…………ああああああああああーっっ!!!!!」
 フリックがリオめがけて鞘に入ったままの剣を振り下ろそうとしたその時、ナナミはシーナの手元にある本を見て、叫んだ。
 叫ばずにはいられなかった。
 その声に、がたんっ、とアイリは椅子の音を鳴らし、フリックは剣を落しそこなう。
 リオも食らいついていた熊の口を解放し、熊は熊でげんなりした表情でナナミを振り返った。
 そして、
「シーナさんっ! これっ!! これっ!! どうしたんですかぁぁぁぁぁっっっ!!!!」
 がくんがくんと、今まで部外者顔していたシーナを、がっくんがっくんと、激しく振った。
 女の子には優しく、をモットーとするシーナは、振り落としたくても振り落とせないナナミの力強い腕に手をかけながら、なんとか声を出す。
「いや、それは、その……っていうか、ナナミちゃん、……手、とめ…………止めてくんない? …………。」
 がっくんがっくんと、はげしく揺すられて、シーナは意識を手放そうとする寸前まで行くが、
「ナナミ、何やってんの?」
 ナナミの声に正気を取り戻したらしいリオが、ふしぎそうに尋ねるので、とりあえずナナミの十八番は止まった。しかし目をぐるぐる回していることには変わりなく、シーナはナナミから解放されない。
「そうなのよっ! これっ!! これみてっ!!」
 ナナミはそのまま、シーナを放り出す勢いで投げ出すと、シーナが見ていた本を、がばっ、と見せた。
 シーナはむなしくカウンターに頭をぶつけたが、誰一人として構ってはくれなかった。ただ一人、レオナが大丈夫かい? と尋ねてくれただけで。
「これ……って………………ああああああーっっ!! シーナっ! これ、どうしたのーっっ!!」
 しかし、レオナの言葉もむなしく、今度はリオがシーナの頭を攻撃した。
 いや、それは正しくない。
 攻撃したかったわけではないのだ。リオも。
 ただ、焦ってシーナの身体に突撃したら、シーナが再びカウンターに撃沈しただけで。
「すっごぉぉーいっ! ねね、すごいよ、ナナミっ!」
「でしょでしょーっっ!!」
 二人は何時の間にか、本をシーナから奪い、覗き込んでいる。
 その興奮の仕方は、例えようもなかった。
 いぶかしんだフリックとビクトールが目を合わせるが、何が何やらさっぱりである。
 アイリがリオの酒が抜けているかどうか、こそっと眺めていたが、どうやらリオの頬が赤面しているのは違うことのせいだと納得したのか、彼女もそろりと覗き込んだ。
 そして、
「なっ、なんだい、これは?」
 素っ頓狂な声をあげた。
 傍観者に徹していたフリックとビクトールも気になって、カウンター席にやってくる。
 シーナは撃沈したまま、頭がぐらぐら回っているのを堪えている。
「これ……スイ=マクドールだろう?」
 レオナがトレードマークのパイプを咥え直して、リオとナナミが雁首突き合わせて覗き込んでいる本を見やる。
 分厚い本は、どうやらただの本ではないようであった。
「スイ?」
 フリックとビクトールは、聞きなれた名前に、リオとナナミの頭の上から覗き込んで……硬直した。
 そこには、たくさんのスイがいた。
「シーナっ!? これ、なんなんだっ?」
 フリックが焦ったように回りを見回して、シーナに視線をやった。
 シーナはシーナで、取られた本を見ながら、こめかみに指を当てる。どうやらまだ脳みそがシェイクされているらしい。
「スイの写真集らしい。」
 見てすぐ分かるようなことを言われても、はいそうですか、と納得できるはずなどなかった。
 ビクトールとフリックが、ひゃー、と呟きながら本を一瞥するのに、リオはキラキラと目を輝かせて二人を見あげる。
「これって、グレッグミンスターに売ってるのかなっ!? すごいよっ! 解放軍時代のスイさんがいる〜(>o< ////)」
「非売品だよ、……一応。」
 シーナは自分が一人占めしていた本を恨みがましく見つめつつ、堪能されているらしいリオとナナミを見つめる。
 一ページに一枚という、贅沢な写真集は、シーナがグレッグミンスターで回収してきたものであった。
 それをここで見ていたのだ。部屋で一人見ていると、なんだかやばい気がして、とりあえず見るだけだから、ということでこういうところで見ていたのだが、最後まで見ないうちに取り上げられるのなら、部屋で見たほうが良かったのかもしれない、と。
 酒場で見ていた自分の悪さを考えず、そんなことを思ってみた。
 ビクトールが、ははーん、と写真集を指差す。
「これ、どうせレパントだろ? グレミオのにしては、薄すぎるっ!」
 キッパリ断言したビクトールに、フリックが気のぬけたような表情をしたが、彼もそう思っているのは間違いないだろう。
「まぁな。親父の部屋から持ってきたんだ。こんなの見つけたら、お袋がまた切れるからな。俺が持ち出しておこうと思って。」
 さて、それは果たして本音だったかどうか、実はシーナ自身にも分からない。
 スイの家に寄る前に、レパントにシュウからの手紙を届けに行ったリオに付いていって、父の部屋で見たこの本を持ってきたのは、何のいたずら心か。
 全てのページにスイが載っており、たまにレパントの字で注釈が書かれていた。なぜかその注釈は、ほとんど「ある方面から見たら、やばそうな写真」ばかりであった。例えば、「竜のアイスブレスによって、凍らせたバナナを’しゃぶる’スイどの」とか、「微熱があるため、潤んだ目で皆を見上げるスイどの」とか、「水浴びをしていて、顔に水をかけられたスイどの」とか……。
 分からない者にはわからないが、分かるものには分かる、「おかず集」な気がするのは、シーナが腐っている証拠なのだろうか?
 リオとナナミが、「このスイさんカワイーッ」とか叫んで居るのを聞きながら、自分の汚れ加減に苦笑したシーナの耳に。
「ナナミ、見てみてっ! この『落ちたポッチを探すため四つ這いになるスイどの』って、やりやすそうだと思わないっ?」
「こっちの『休憩中に足を広げて座るスイどの』っていうのも、誘ってるみたいだよっ!!」
 興奮した二人の姉弟の声が聞こえた。
「なにがだなにがっっ!!」
 フリックが咄嗟に突っ込んだが、ビクトールなどは笑いながら、お前たちも分かるようになったんだな、などとほざいている。
 シーナは再びカウンターに撃沈しそうになりながらも、苦笑いを刻んだ。
「おまえらなあ、どんなにその写真が綺麗で可愛くても、結局それはあのスイなんだぞ? そのへんわかってるのか?」
 呆れたようなフリックの脳裏には、たまに見せる悪魔の笑みを浮かべたスイが映っているはずである。
 シーナもそれはよく分かる。あの一件軟弱そうな少年にいっぱい食わされた事は数え切れないのだ。
 元気で食わせ物で、そして強情な面を持つ彼が、この写真に治められているくらい可愛げがあるはずはないと、言い切れる。
 なのに……こうあってくれたらいいと思うのは、結局自分も父と同じなのだろうか?
 嫌気すら覚えながらそんな埒も明かない事を思っていると、姉弟ははっきりとフリックに答えた。
「それもスイさんの魅力ですからっ!」
「…………────。」
 脱力するフリックの背中を、面白そうにビクトールが叩く。
 シーナは感心したようにリオとナナミを見た。
 二人の幼馴染がそれぞれを裏切ったと聞いたとき、シーナが素朴に二人に尋ねた時の事を思い出す。
 それってさ、悔しくて憎くないのか? と。
 シーナがその時思い出したのは、、昔、同じように裏切った人を許した「英雄」のことであった。
 彼はあの時、憎いからと人を殺すのは、憎しみを生むだけだよ、と、そう言った。
 受け止め、許し、導く事……それがあの少年の持つ、ふしぎな力だった。
 リオは、同じようなことを尋ねたシーナに、こう答えたのだ。「だって、ジョウイだもん。」
 それだけである。
 それを聞いたとき、はぁ? と思ったのだが、付き合いが長くなった今は分かる。つまり、リオはその人の人柄そのものを受け入れる人なのだ。
 敵とか味方とかに関係なく、その人そのものを見て、その人の決断すらも受け入れるのだ。
 それが今の言葉にも含まれている。
 スイはスイであり、そういう陰険なところも、なにもかもをまるごとひっくるめてスイ=マクドールなのだ。
 かなわねぇな、とシーナは正直そんな感想を再び描いた。
 こういう奴が、スイを救うのかもしれないと思うと、胸のどこかがちりりと痛んだが、それは覚えのない振りをする。
 締め出して、レオナに新しい酒を追加したその時、
「でもでもフリックさんっ! これなんて凄いですよっ! ほらほら。」
「う……こんなの、どうやって……──。」
「げげっ、こんなものまでっ。」
 リオが楽しげにレパントの秘蔵の写真集を広げて見せた。
 フリックとビクトールが唸るということは、どう凄いのやらと、シーナがいつもと同じ軽い口調で、見せて見せて♪ と寄っていった。
 そこには、凛々しくも叫ぶスイの姿があった。軍旗を背に、右手を示し、後ろにマッシュを置いて、何か叫んで居る姿である。今ではまるで見かける事のない、「リーダー」としての姿であった。
 それを見た瞬間、シーナは自分の心が三年前に戻った気がした。
 喧騒の中、父と母と共に駆けた戦場。
 それに命令を飛ばすスイの声。
 凛々しく、厳しく、張り詰めたような表情は、見惚れるばかりに美しく、鮮やかだった。
 特にグレミオを失ってからは、まるで張り詰めた糸のようなリーダーぶりで……皆を引き付けた止まなかったものだ。
「……──。」
 上半身裸で水をかぶっているのは、戦争の後であろう。汚れた衣服が血に濡れている。しかし少年に怪我はない。返り血であろうと思われる。
 軍議の写真は、真剣な表情で話を聞き入っている。張り詰めた空気がここまで伝わってきそうであった。
 崖に立ち、遠くを見通す瞳は澄んでいて、とても哀しげな背中は、それでも大きく見えた。
 同じくらいの年だというのに、先に立つその背は、いつも凛としていて、頼りになると思ってた。
「……──こうしてると、15には見えないよな。」
「だな。」
「僕もいつかこうなれるかなぁ?」
「無理無理。スイさんを目指すのは諦めて、リオはリオらしいリーダーを目指さないと。」
 しみじみと呟いたフリックとビクトールに、何を触発されたのか、リオがそんなことを呟く。
 その瞬間、ナナミが即答した。
 その言葉もまた、重くて、シーナは苦笑いする。
「そうだよねぇ、スイさんはスイさん、僕は僕だもんねぇ。」
 ナナミの言葉に反論することなく、リオもそんなことを呟いている。
 見ると、フリックとビクトールが苦笑いしていた。どうやら二人も、シーナ同様抱いている感想は同じなようだった。
 この二人、妙な所で達観しているのだ。下手したら軍師であるシュウよりも大人かもしれない。
「お前、今の台詞痛いだろ?」
 にやにやと笑って、ビクトールがフリックを突つく。
 未だ青さを返上できないフリックは、黙ってそれを払いのけた。
 シーナは懐かしさを込めて、リオ達の上から新しくページを捲る。
 そこには、昔の自分に笑いかけているスイの姿があった。
 優しい笑顔、シーナと呼んだその声。何もかもが鮮やかに蘇ってくる。
 自分はこの時と変ってしまったけれど、あの少年はこの時のまま、ずっと時を止めている。
 ただ惜しむらくは、あの時のように、彼の側に当然な顔をしていれないということ。
 彼の側にいれるならば、もしかしたら──。戦争なんて終わらなかったら……──。
「シーナ。」
 だから、ぽん、と肩を叩かれたとき、その懐かしい……変わりない声を聞いたとき、咄嗟に言ってしまったのだ。
「リーダー…………。」
 と。
 その囁きがリオに聞こえたのは間違いはない。
 しかしリオは何も言わず、それどころかシーナを払いのけて、シーナの名を呼んだ少年を振り返った。
「スイさんっ!?」
 てっきりもう明日まで会えないと思っていた人がそこにいるっっ!
 リオとナナミの目は見る見るうちに輝き始める。
 それを面白そうに眺めながら、ビクトールは麦酒を煽った。
「どうしたんだよ、お前旅行に行ってるんじゃなかったのか?」
 尋ねると、スイは困ったように首を傾げて、微笑む。
「まぁ、そういうことだったんだけど……ちょっと状況がね。」
 意味深な微笑みと共にそう言う時はろくなことがないときである。
 いつもの経験から、フリックは思わず身構える。
 ビクトールも、さり気に今残っているグラスをごくごくと一気に煽った。
「じゃ、何かあって帰ってきたってことですか?」
 ナナミがスイの言葉の言い方に気付かず、嬉しそうに彼に尋ねる。
 するとスイは、そうだね、と微笑んだ。
 それから、何事もなかったかのようにシーナを見つめた。
 シーナは気まずさに目をそらす。それから、はっ、と視線の先に写真集を見つけ、それとなく隠そうとしたが、その手はスイによりつかまれる。 スイは、にぃっこり、と笑った。
「実はね、ここに来る前にレパントの所に寄ってきたんだ。」
 父の名に、嫌な予感は膨れ上がる。
 シーナの背に密やかに走ったのは、恐怖であった。
 思わずリオとナナミが目配せしあう。腐れ縁二人は、密かに後退し始めていた。
 スイは困ったように眉をひそめる。
「この間、レパントにオークションで手に入れてくれと頼んでいたものがあったんだよ。それで、それをサラディの知り合いの家に預けておいてもらったんだよね。」
 聞いてもいないのにかたり出すスイの手が、シーナの腕に食い込む。
 痛さに片目を閉じたシーナの目の前で、スイはその美貌に冷たい微笑みを乗せた。
「ところが、そこに預けられていたのは、別物だったんだ。……そんなもので僕を騙そうだなんて、君の父上も馬鹿だと思わない?」
 うっすらと微笑むその微笑は──解放軍時代を経験してきた一同が何よりも知る、スイの「お仕置きモード」である。
 焦ったシーナが、スイの腕を取り払おうとするが、華奢に見える彼の手ははがれない。
 焦れば焦るほど、その手は食い込んでいく気がした。
「それで早馬を飛ばして戻ってきたってわけ。……本当は向こうで一泊してくるはずだったんだけどね。わざわざヘリオンに無理までさせてここにきちゃったよ。」
 トラン共和国の星見の名をだして、スイはシーナがさり気に目をそらしている先に目をやった。
 ビクトールやフリックもそうだが、シーナに分からないはずがないのだ。
 スイがサラディで落すよう頼んだオークションの品を、レパントが偽物と取り替えて持ち逃げした。そういうことなのだと、わからないはずがない。
 そして、その品というのが、──スイがここにいることから察して、絶対の確率で言える。
 今皆でなごやかに見ていた、写真集だと。
「あー……そ、そりゃご苦労さんで。」
 シーナの視線が泳ぐのを見て、あからさまな態度で溜め息を零し、スイはくい、とシーナの顎をつかんだ。
 そして、無理に自分の方を向かせ、視線を合わせた。
「僕が、こういうの大嫌いだって、知ってるよね、シーナ?」
 リオとナナミはそのときになって、やっと自分達が見ていた本を密かに指差した。
 もしかしてこれ? これをスイさんは取り戻しに来たの? と言う目である。
 正直な話、二人ともまだ堪能してはいない。
 どうせなら、あと一週間くらい貸し出して欲しい所である。
 しかし、この分だとそんなこと口に出そうものならデュナン湖に沈められそうである。
 とりあえず、二人はそろり、と席を立った。
 シーナはいや、ほら、とか羅列を並べて笑っている。それが乾いた笑いなのは百も承知である。
「あ……ー、スイ? 言っておくけど、俺はこれがこんなだなんて、知らなかったんだからなっ。」
「うん、知ってるよ。で、それが?」
 どれほど言い訳しても、所詮スイには通じないらしい。
 スイの手のひらがどんどん力が込められていく。
 それを感じながら、シーナの背中に冷や汗が流れていく。
「あのね、シーナ? レパントには先に行ってもらってるからv」
「先………………?」
 たらり、と額に流れる汗を感じながら、シーナは言葉を途切れさせた。
 スイはにっこりと笑顔を広げて、フリックとビクトールを見た。今にも酒場から逃げようとしていた二人は、スイの軽やかな声により呼び止められる。びくり、と肩を揺らした二人は、恐る恐るスイを振り返る。
「言っておくが、俺は全然関係ないからなっ!」
「俺だってっ!」
 ビクトールが問答無用に叫ぶのに、フリックも叫んだ。
「分かってるよ、やだなぁ。ただ僕は、二人にも協力してもらおうと思ったんだよ。」
「協力? 何をだ?」
 スイが行うであろう「お仕置き」はいつも大変なものばかりである。重しをつけて湖に沈められるだとか、城の屋上から突き落とされるとか、そういう類のものは序の口なのだ。
 実際フリックとビクトールも色々やられてきただけに、後退してしまうのが避けられない。
「大丈夫だよ、そんな顔しなくても。フリックにしたみたいに、ネクロードの前に突き出したりなんてしないから。」
「………………おもいださせるなぁぁぁぁぁっっっ!!」
 突然その場にしゃがみこんで耳を塞いだフリックに、ビクトールが気まずそうな表情を見せた。
「ネクロードの前って……?」
 ふしぎそうに尋ねたリオに、スイは明るく笑った。
「僕に女装しておとりになれなんていうからさ、だったら君が行けよって、痺れ薬盛ってウェディングドレス着せてネクロードのところに突き出しただけだよ。」
「なんか暗い経験を作ったらしくてな、フリックの奴。それあいつの前で聞くなよ。なんかトラウマになってるらしいから。」
 ビクトールがスイの言葉の後にぼそぼそと付け足す。
「フリックさん、ウェディングドレス着たんですかぁっっ!?」
 しかし、そのビクトールの忠告を聞いてか聞かずか、ナナミが怒鳴った。
 途端、フリックが再び叫んでそのまま酒場を出ていった。
「ちくしょーっっ!!」
「……青いね、相変わらず。」
 スイがその背中にとどめをさした。
 シーナはそれを申し訳なさそうに見送った。ここでいらないことを言ってしまうと、自分の被害が酷くなる事をよくわかっているので、口にはしない。ただスイがしっかり握っている手が、どうにかして外せないものかと悩んではいたが。
「一体どうしたのかな、フリックさん?」
「男の人の事情じゃないのかな。」
 ナナミが首を傾げると、リオは分かった風な口を利いた。
「それでスイ? シーナにはどんなおしおきするんだよ?」
 他人事だと面白いらしいビクトールの質問に、スイは薄く微笑みながらビクトールに向かって頷く。
「うん、レパントはすでにドワーフの金庫に閉じ込めてきたんだ。これからシーナをそこに運ぶだけv」
「運ぶだけって、おいっ! スイっ!?」
 スイに手をつかまれたまま、シーナが抗議の声を上げるが、スイは彼の腕をへし折らんばかりに握り締めてそれを黙らせる。
「レパントが個人的にこれを見ていたのも許せないけど、持ち出したシーナも許せないんだよ。ふぅ、悟ったつもりでも、心が狭いのはなかなか治らないね。」
 入れたとしても出るのが難しいと言われるドワーフの金庫。あそこは解放軍時代にスイが相当あらしまわっていた。
 それを教訓として、ドワーフの長は、セルゲイだのジュッポなどといった、解放軍のメンバー達の協力を仰いで相当な代物に仕立て上げたはずだった。
 その中に閉じ込められるというのは、一体……っ。
「一体その金庫に何を入れたんだよっ! スイっっ!」
「さぁ、何かな?」
 焦って暴れ始めるシーナを、とまどうビクトールに任せると、ビクトールはふしぎそうにスイを見た。
「俺はこいつを羽交い締めにするだけなのか?」
 すると、スイはすごく微妙な表情になった。
 それを見逃さないビクトールじゃない。ピクリ、と頬を動かせて、腕の中のシーナを見た。
 もし変なことを言ったら、このシーナを逃がして自分も逃げるつもりであることは間違いない。
 シーナが、放せと叫んで居るのは聞かぬ振りをして、スイを見ると、彼はそうだねぇ、と呑気に首を傾げた。
「これからシーナを着替えさせるから、その手伝いをしてほしいんだよ。」
 着替え? といぶかしむビクトールを背中にして、スイはリオとナナミに笑いかける。
「ちょっとシーナ借りてくね。大丈夫、一週間ほどで返せるから。」
「冗談言うなっ! 俺は物じゃないから、借りるもなにも……っ!!」
 言いながら、必死の思いでリオに助けを求めるが、リオはそのシーナの叫びをキレイさっぱり無視して、
「はいっ! 分かりましたっ、シュウにもそう伝えておきますねっっ!」
「ちょ……っ! おいおい、リーダーぁぁっっ!?」
 情けない声を上げたシーナに、リオはにぃっこりと笑った。
「いいじゃない? シーナも元リーダーのスイさんの元に居たいんでしょ?」
 その棘のある口調に、先程つい漏らした「リーダー」の一言に、実はリオが怒っていたのだということを悟った。
 おいおいおいおい、と涙目になるシーナに、スイは穏やかに言い募った。
「さっきルックに内容を話したら、面白そうだって承諾してくれたから、今すぐテレポートで飛べるよ。じゃ、とりあえず着替えようか?」
「ちょっと待てというのにっっ! とりあえず、金庫に何がいるのかくらいは教えてくれてもいいだろうがっっ!」
 シーナが真剣に身の危険を感じて、スイに向けて怒鳴る。
 ルックまで乗り出してくるとは、一体どういうことだっ!?
 見ると、リオやナナミも期待に満ちた目を向けていた。
「別に変な者は放り込んでないよー。二人には一週間バトルしてもらおうかなぁ、って思っただけだよ。」
「バトルっ!? 奴隷剣闘士かっ!? それとも勝ち抜きバトルかっ!」
 レパントとなら何とかなるかもしれないと、シーナが頭をフル回転させているのに、
「そんなんじゃないよー。オークって知ってる? この間、人里を襲おうとしたオークを閉じ込めてあるんだよ。そいつらの処分を、シーナとレパントにやってもらおうと思ったんだよ。それが罰ゲーム。ね、簡単でしょ?」
 微笑むスイに、しかしシーナは裏がある気がしてならなかった。
 しかし、こういうことに関してスイが「上手い言葉の使い方」はすれども、「嘘」を言う事は滅多にない。
 ということは、実際オークがいるのは本当であろう。そして、先に父が行っているというのなら、もうすでに全ては終わった後かもしれない。
 オークの返り血の匂いにまみれた金庫の中で一週間暮らすのはつらいだろうが、それくらいなら、なんとか……思ったのよりは楽そうだ。
 シーナが密かに安堵したのを見越したように、スイはビクトールに頼んでシーナを運んでいった。
 それを見送って、
「スイさん、こっちに戻ってきてくれるかなぁ?」
 スイが持っていってしまった本を名残惜しそうに見ながら、リオが呟いた。
「さぁ?」
 答えたナナミの隣で、今まで黙って成り行きを眺めていたアイリが、心なし青ざめた顔をして、
「実はさ、さっきルックが来て、あたしと姉貴の服を借りていったんだけど……それって、関係あるのかな?」
 と呟いたが、そんなこと、二人に分かるはずもなかった。
 ただ分かるのは!
「…………そういやさ、オークが人里降りて来るのって、オークの発情期の時だとか、誰かに聞いたような覚えが…………────。」
 不用意に呟いたリオの言葉だけであった。
 しばし酒場には沈黙が訪れる。
 レオナが無言でパイプの灰を落し、
「オークは、人間の女を犯すブタの化け物だよね。……シーナなら大丈夫じゃないのかい?」
 そう言ってみたが、一同は口に出すことなく知っていた。
 スイのことだ、絶対何かしかけしてあるに違いないと。
 ちょっと快くシーナを送り出した事に後悔したリオが、
「まっ!! 無事なことを祈ってようっっ!!」
 明るくなかった事にしてしまったのは、決して悪い事ではないだろう………………たぶん。
 こうして、スイによって、レパント親子お仕置き作戦が、無事完遂されたのであった。
 
 
 
 
 

 一週間後、戻ってきたシーナが、真っ青になって、フラフラの身体で、ホウアンの元でカウンセリングを受けていたというのは、また別の話である。
 それを目撃したサスケが、英雄は怒らせてはいけない、という噂を流したとかどうとか……──。
 



「ところでスイ、君あの薬どこで手に入れたのさ?」
「薬? ああ、レパントとシーナ盛った幻覚剤ね。あれは野草の根っこを調合したら出来るよ。」
「成る程、道理で見たことない品種だと思ったよ。君のオリジナルか。」
「うん、オークにも盛ろうと思ったけど、あいつらそうしなくても、普段から好き者だからね。そんなことしなくても、大丈夫だったね!」
「まぁね。……発情で飢えすぎてて、お互いを──したのには、吐き気したけどね。」
「シーナもこれに懲りて、しばらくは女の子を相手することもなくなるしっ! 僕を誘う事もなくなるしっ! レパントも懲りるしっ!! 僕としては言う事ないねぇ。」
「それもいつまで続く事やら。」
「あのバイタリティまでは、流石の僕も消せないよ。」

 くすくすくす、と二人の共犯者は、ティーカム城の池の前で、ささやかに笑っていたが、それはまた別の話。






戻りましょう♪




えまり様♪
 裏100ヒットありがとうございます。
 ブラックかどうかはわかりませんが、私なりにぼっちゃんはブラックになったかと思います。
 どうぞお納め下さい ^_^