一目見たその日から      

        恋に落ちることもある

 
 

「スイさんって、奇麗ですよねー。」
 日差しがやわらかに差し込む窓辺に腰掛けて、分厚い本をめくっている彼に、呟く。
 影の落ちた長い睫も、 透けるような白い肌も、その切れ長の瞳、細い首、何もかもが、奇麗。
 うっとりと見蕩れるように見上げるリオに、スイは何も答えない。ただ、本から目線を放さないまま、首を傾げるようにした。
 その少しの仕種だけで、さらりと額にかかる前髪が、柔らかな雰囲気を醸し出している。
 近くの椅子に、背もたれ側を向いて腰掛けていたリオは、 静かに読書を続けるスイを、先ほどからずっと見つめ続けるばかりであった。
 一体何が楽しいのか分からないけれども、そうやって見つめ続けられるのは、視線を感じ続けるのは、とても辛い物であった。
 けど、スイはそれに慣れているのか、無言で視線を落とし続けている。
 本をめくる手のスピードも変わらず、目もしっかりと本を追っているようであった。
 リオはそれを飽きることなく見つめ、答えが返る事を期待することもなく、呟く。
「貴族の人って、肌が奇麗だったり、髪が奇麗だったりするらしいけど、スイさんは、その中でも群を抜いてますよ、きっと。」
 ジョウストン都市同盟の軍主という立場になるまでは、貴族なんて言うものを間近に見たのはジョウイだけであったため、リオの基準はどうしてもジョウイになってしまう。
 貴族の全てがそうであるとは限らないのだけど、リオはそういう物だと思っているらしい。もっとも、貴族、というわけはないが、同盟軍にいるテレーズにしても、クラウスにしても、そう思わせるだけの器量を持ってしまっているのも原因と言えるだろうが。
「ナナミが、旅してたのに、どうしてこんなに奇麗なのかって、知りたがってましたよ。」
 年頃の姉の名を口にしたリオに、スイは本に落としていた意識を、ふ、とあげた。
 そして、思いもよらず目の前にあったリオの顔に、顔を遠のける。
 机の向こうにあったリオは、いつのまにか身を乗り出して、机に手をついてまでスイの顔を覗き込んでいた。
 息がかかるかと思うくらいの間近にあった顔は、いつものように愛敬たっぷりの笑みを浮かべている
「………………そ、そーかな………………。」
 たら、と汗を垂らしながら、スイが苦笑いを浮かべて見せる。
 そんな少しの表情すら、リオにはとても嬉しいことなのか、頬を綻ばせている。
 にこにこ、と笑うリオの微笑みにつられるように、スイも、にこ、と笑って見せた。瞬間、リオはパァッと顔を明るくさせて、
「やっぱり、スイさんが一番ですよねっ!」
 そう言い切った。
 そんな彼の反応に、ちょっと疲れた笑顔を滲ませながら、スイは、小さく答える。
「ありがとう……。」
 もうそれ以外、答える台詞が無かったため、とも言う。
 スイの疲れたような声に気付いているだろうに、リオは一向に気にしない。そういう声もまた、憂いに満ちていて奇麗だと、感心しているばかりであった。
「リオも、元気は一番だと思うよ。」
 リオの、ナナミによく似た笑顔を見ながら、社交辞令のように口にして――ふ、とスイは軽く目を眇めた。
「え? ほんとですかぁ?」
 嬉しそうに目を緩ませるリオの笑顔は、確かにナナミにそっくりであった。
 姉弟とは言えども、血はつながっていないと聞いている。けれど、二人の笑顔は、造作というよりも、雰囲気が良く似ていた。
 だから余計に気付いたのかもしれない。
 ナナミの笑顔と、少し違う点――誉められたぁ、と喜ぶリオのそれが、どこか、わざとらしい気がする。
「………………リオ?」
 少しためらうように彼を呼ぶのは、それを気付いた事を正面に出していいのかどうか、悩むから。
 何かあったのかと、そう尋ねるには、自分の存在は、立場はとても微妙で――友人としてリオに接するのを、少し考える必要があるから。
 だから、悩む。だから、考えなければいけない。
 彼に今、「慰めの言葉」をかけるのが、正しいのかどうか。
「はい?」
 けど、振り返った笑顔は奇麗で、満面のそれで。
 スイは、それ以上言う事をはばかられる。
 彼は、自分の「慰め」なんていうものを望んでいないのだ。
 「スイの」ではなく、おそらくは、「誰からの慰め」も――、いや、スイが考えていることが当たっているならば、リオが求めている慰めの相手は、たった一人なのだ。
 そしてそれは、自分ではない。
「――ここは図書館だから、もう少し、静かにね。」
 だから、淡い微笑みで、いたずらな弟を注意するような口調で、そう言って笑った。
 リオは、慌てたように自分の口を押さえた後、きょろり、と辺りを見回した。
 そうして、回りに座っていた人達が、こちらをチラリとも見ていないのにホッと胸をなで下ろし、おとなしく着席する。
 今度は椅子にちゃんと腰掛けて、スイと向かい合わせに座る。
 再び手に顎を乗せて、スイを見つめるリオに、彼は苦笑を滲ませると、
「リオ――ちょっと気分転換に、湖にでも……行かない?」
 暇であろうリオに、本を閉じながら、提案してみせた。
 もちろん、歓喜したリオが反対するはずはないのである。
「もちろんっ!!!」
 声高々と答えた瞬間、
「リオさん……。」
 さすがに疲れた様子でエミリアが、注意のように唇の前で人差し指を立てた。
 
 
 
 
 
 
 

「すみません、スイさん……。」
 心地良い緑の中、ゆっくりと歩くスイの歩幅に合わせながら、リオは少し後ろを付いて行く。
 時々声をかけてくれる子供達や城の住人に、軽く手で挨拶をしながら、ちらり、と少しだけ前を歩く背中を見た。
 斜め後ろから見えるスイの背中は、薄くてしなやかで――そして、たおやかで華奢に見えた。
 けど、この身体が持つ力を、リオは何度も目の当たりにしてきた。
 もう駄目だと、覚悟を決めてきたのは、今までにも何度かあった。その度に、誰かが深く傷を負いながら、誰かが瀕死になりながら、敵を葬ってきた。
 それはビクトールであったり、フリックであったり、ナナミであったり、また――自分であったりもした。
 戦闘が終了する度に、リオは命を削る思いで紋章を解放してきた。続ければ続けるほど、身体の奥が痛むような気がしたけど、そうして、その理由は、「ジョウイの夢」で解明したけれど、誰にも言わず、それを続けるのが、当たり前だと思っていた。
 例えこの命が果てようとも、僕は、助けたいと、そう思ってきたのだから。
 それが、真の紋章の片方を手にしたリオが、決めた道なのだから、仕方がないのだと、そう思っていた。
 それは、誰にも悟られるはずのない事。
 同じ真の紋章を抱くシエラも、星辰剣も、知らないようだから、誰も知るはずのないこと、だったけど。
 この人は、違った。
 彼が戦闘に加わるようになってからリオは、一度足りとも「命を削る紋章」を使った事はなかった。
「何が?」
 奇麗な白い項をさすりながら、スイが何気なく尋ねる。
 リオは、申し分けなさそうに少しうつむいて、
「図書館……追い出されちゃって…………。」
 ぽつり、と呟いた。
 憧れの人に、とんでもないところを見せたという自覚はあるらしいリオが、しおらしく顔を伏せる。
 ほんの少しのそんな仕種に、スイは少し歩調を緩めると、とぼとぼと歩くリオの隣にたった。そうして、下から覗き込むようにリオをうかがい見ると、
「散歩に行くために、一緒に出てきたんだろ?」
 柔らかに微笑む。
「………………はいっ。」
 たったそれだけのことをされただけなのに、どうしてか心が浮きたった。
 彼に微笑みかけられ、彼に許されている。
 ただそれだけのことが、とても幸せに思う。
 この思いが叶うことを願っているわけではない。
 ただ、こうして、側に居てくれることば、幸せだと思う。
――それくらいは、許されてもいいことだと、思うから。
「それじゃ、おわびに、とっておきの場所を教えますねっ!
 こっちですっ!!」
 明るい笑みを浮かべて、リオはスイの手を取った。
 強引に手を引かれて、スイは小さく目を見張った。
 それでも、零れた微笑みはそのままで――頷いた。
「それじゃ、まかせるよ。」
 無邪気に笑うリオが、とても輝いている反面……どこか昏い物を抱いていることに、気付きながら。
 そして同時に、それを癒すのは自分ではないのだと、しっかりと感じながら。
 
 
 
 
 
 
 

 湖面が光を反射している。時々パシャンと水音が立つのは、魚でも跳ねているのだろうか?
 透明度の高い湖は、覗き込むとうっすらとではあったが、魚影を映し出していた。
 淡い緑色が広がる湖岸に腰掛けると、空の蒼さが目に染みた。
 いつも自然を気にかけていると思っていたけれど、こうして青臭い、どこかしっとりとした感じのする草の上にしゃがみこんでいると、空の蒼さや、緑の鮮やかさに、懐かしさすら感じた。
 そうだ、昔はもっと、これらは身近にあったのだと、そう思うのだ。
 それは、遠い昔――そう思いたくないけれど、昔だと思わざるを得ないくらいの過去の話。
 草の露でしっとりとする草原に寝転がっていると、隣りに座りこんだナナミが、手にした猫じゃらしでいたずらをしてきて、上から覗き込んできたジョウイが、笑いながら……。
「………………まぶしいなぁ…………。」
 太陽を反射する、彼の明るい髪の色を思い出して、ぽつり、と呟いた瞬間、
「大丈夫?」
 いたわるような声と共に、ぱさり、と、頭の上に布がかけられた。
 はっ、として視線を走らせると、隣に座っていたスイが、髪を撫で付けながらリオを覗き込んでいた。
 その頭には、彼のトレードマークとも言えるべきバンダナがなかった。
 太陽の光を遮断するようにかけられた布を手にして、草木に負けない緑も鮮やかな色を認める。
「う、うわっ! すすす、スイさんっ、これっ!?」
 驚いたように視線を走らせたリオに、バンダナのせいでへたった髪を戻そうとしながら、うん? と首を傾げる。
「眩しいんだろ? しばらくそれを被ってたらいいよ? ――僕がつけてたから、あんまり嬉しくないかもしれないけど。」
 それは、繊細なジョウイの微笑みとは違う笑み。
 芯が通った、リオがあこがれてやまない、そして惹かれてならない微笑み。
 儚いばかりではない、優しい、温かい……。
「そっ、そんなこと、ないですっ!
 でも――借りちゃって、いいんですか?」
 きゅ、と手で握り締めると、バンダナから良い香がした。
 香水を付けているわけではないから、この甘い香は……。
「うん、いいよ。ちゃんと毎日洗濯してるし――グレミオが。」
 続けた言葉に、ふわり、と笑むスイの笑顔は、さきほどまでリオに見せていたそれとはまったく違っていた。
 もっと柔らかで、暖かい。
 思わずリオは、スイの手首を強く握っていた。
「スイさんっ!」
「……な、何?」
 思わずジリリ、と後ずさりするスイの手を、しっかりと握り締めて、更に顔を近づける。
「心配してくれて――ありがとうございます。」
 しんみりとした口調ではあったけど、目がちばしっているような気がしてならなかった。
 これを、人は恐怖と呼ぶのかもしれないと――解放戦争時代、敵の皇帝が目の前で三頭の竜に変化したときも、恐怖を覚えた事のなかったスイは、ゾクリと背筋を凍らせた。
 なんだろう? この恐怖は……目の前の少年は、どう見ても感動しているようにしか見えなかったのだけど?
「えーっと…………。」
 汗を滴らせたスイが、にこ、と笑ってリオを見た。
 リオも、にこ、と笑いかえす。
 その顔は、いつもの明るい無邪気な少年のそれであった。
 にも関わらず、背筋の恐怖は抜けきらなかった。
 何故だろう……。
 リオは、スイの手をスルリと外すと、頭に乗せられたスイのバンダナの端を握って、はんなりと笑う。
「このままだと、スイさんが日射病にかかっちゃいますから――。」
 自分の胸元に手をやり、黄色のバンダナを手にする。
「大丈夫だよ、僕は。」
 言いながら、スイが木陰へと歩き出そうとするのを、やんわりと腕を掴んで止める。
「ちょっとごめんなさい。」
 言いながら、バンダナを掲げて、スイの頭にかける。
 スイ自身が羽織っていたバンダナとは異なり、汗の匂いがしたけれど、鼻につくほどではなかった。
 けど、スイが嫌かな、と思いつつおずおずと見上げると、スイは何故かホッとしたような顔をしていた。
 リオが見ていることに気付くと、少し焦ったように微笑み、
「ありがとう、リオ。」
 そう、答えてくれた。
 自分だけに向けられた微笑みに、リオは照れたような笑みを浮べて見せた。
 そのまま、キラキラ光る湖岸を見ながら、二人で日差しの下、座り込む。
 時々覗き込む湖の中は、透明な色をたたえていて、言葉もなく静かな時間をくれた。
 頭にお互いのバンダナを被っている姿は、傍目から見ればなかなかにこっけいなのだろうが、二人はまるで気にしていないようであった。
 たわいのない話を時折交わし、リオが指差す湖の向こうを見つめ、旅の事を話し……優しい、暖かい時間だと、微笑みが零れる。
 いつまでも続けばいいのにと、そう思う時に限って、時間というのは、嫌になるくらい早く過ぎて行くのだ。
 気付いたら、バンダナを被った頭の熱もすっかり冷め切り、湖から涼しいというよりも、肌寒いと感じる風が吹き始めていた。
 昼間の太陽の下では、キラキラと光っていた湖も、すっかり茜色の染まっている。
 ようやく辺りが暗くなりはじめたのだと気付いたリオが、大きいため息を零した。
 その吐息に、湖に映える夕焼けを見ていたスイが、ゆっくりと振り返る。
 尋ねるような視線を感じて、リオは苦い笑みを口元に浮べる。
「せっかくのお休みも、終わりだなぁって――思って。」
 その大切なお休みを、スイとこうして過ごせたのはとても嬉しいことなのだけど。
 でも。
 大切な休みだからこそ、もっとスイといろいろしたいとも思ったし、一日がこれで終わってしまい、スイがトランへ返ってしまうのだと思うと、湖を見て過ごしただけというのが、とてももったいなく感じた。
 スイと二人だけで一日過ごしたという事実が、何よりももったいないはずなのに、我が侭だよなぁ、と苦い気持ちを抱く。
 そんなリオに、スイは軽く首を傾げると、
「今日――一日一緒に居て欲しいって……朝、言われたよね、僕?」
 夕日を悔しそうに見詰めているリオを見やる。
 確認するような言葉に、リオは小さく頷く。
「久しぶりにお休み取れたから、一緒にのんびりしたいんですって、誘ったと思います。」
 早馬のように時間が過ぎてしまったから、スイを誘ったのがつい先ほどのような気がしながら、リオはそう口にした。
 今日の休みには、絶対にスイと一緒に居るのだと、朝も早くから決意をして、城の門が開くよりも早くここを出て、トランへ向かったのだ。ちょうど朝の鍛練をしていたスイを捕まえて、ぜひ、とせがんだのは、今日だけじゃなかったけど、記憶には新しすぎた。
「もう日が暮れちゃうんですよね。――あーあ、いっそ、僕もトランへ行って、スイさんとこで泊っちゃおうかなぁ。」
 遠征に行っているときならともかく、今は絶対無理だと分かっていながら、リオはそんなことをぼやいた。
 スイは、更に首を傾げると、
「何? 僕は、もう帰ってもいいわけ?」
 いぶかしげに尋ねた。
「………………え?」
 驚いたように自分を見るリオに、 スイは軽く肩を竦めて見せる。
「自分で言ったんじゃないか。
 一日一緒に居て欲しいって。」
「………………………………ま、まままま、まさか…………スイさん、それって…………っ。」
 声が詰まるのは、驚いたあまりで。
 そんなリオを、呆れたように見ながら、スイは自分の頭の上に乗ったままだったリオのバンダナを手にする。
 ぱくぱくと、金魚のように口を動かせているリオの首に、黄色い布を結んでやりながら、間近に見える彼の瞳を射すくめる。
 ちょっと怒った風を装って、軽く睨み付けると、びくん、とリオの肩がすくめられた。
「別に、帰ってもいいんだったら、帰るけど?」
「冗談っ!!!」
 がばっ、と勢い良く起き上がったら、その拍子にリオの頭の上に乗っていたスイのバンダナが、落ちる。
 ひらり、と風に舞ったそれを、慌ててリオが視線で追いかける。
 差出した手の平を、するりとバンダナが逃げて、風に泳ぐ。
 もう一歩踏み出して、更に手を伸ばすけれど、バンダナはリオをからかうように手先から逃げて行く。
 持ち主に似たバンダナに、苦笑を零して、リオはスイを振り返る。
「待っててください、捕まえてきますっ!」
「――時間は、まだたっぷりとあるから、気長にね。」
 ひらひらと手を振りながら、スイは再びその場に横たわった。
 夕焼けに染まる辺りの空気は、少し肌寒いくらいだったけど、大地は温もりを保っている。
 横になって、空を見上げていると、
「あーっ!!!!」
 悲鳴のようなリオの声が聞こえた。
 今度は何をしたのだろうと、スイが苦笑を滲ませながら置き上がろうとしたその瞬間、
 ばっしゃーんっ!
 派手な水飛沫が聞こえた。
「……リオっ!?」
 まさか、湖に落ちたのではと、慌てて上半身を起こしたスイに、リオが、満面の笑みで振り返った。
「スイさんっ! ほら、バンダナっ!」
 湖に腰まで浸かり、上半身まで水しぶきを浴びた姿で、彼は片手をあげた。
 その手には、遠目に見ても、ぐっしょりと濡れたとわかるバンダナが握られていた。
 どうやら、風に舞ったバンダナが湖に落ちて、リオはそれが沈まないうちにと、慌てて湖に飛び込んだようであった。
「……………………。」
 呆れて声も出ないスイは、口を開いたまま、リオを見つめる。
 茜色に染まった水面に波紋を描きながら、彼は岸辺へとあがってくる。
 ぱしゃん、と水音がたって、ぐしょぐしょに濡れたブーツが、岸辺の草を踏む。
 ぽたぽたと、ひっきりなしに落ちる水雫が、小さな水溜まりを作った。
 ぶるん、と大きく髪を振って、リオは手にしていたバンダナを絞って、
「ちょっと……だいぶ濡れちゃいましたけど――。」
 自分の水が滴る服を絞るよりも先に、スイに向かってバンダナを差出した。
 スイは、無言でそんなリオを見上げると――ため息を零して、立ち上がった。
「スイさん?」
「まったく……風邪引くよ。」
 懐からハンカチを取り出すと、それでリオの顔にかかった水を拭い取り、無駄だと思いつつもびしょびしょに濡れたリオの服にハンカチを当てた。
 ハンカチは、あっという間に水を吸い取り、陰影を濃く、重くなる。
「わわわっ! いいですよ、スイさんっ!」
「そういうわけにもいかないよ――でも、ありがと。」
 慌ててスイの動きを制しようとするリオに微笑みかけながら、スイはハンカチを絞り、ついでにリオの服の裾を絞ってみた。
 じゃぼっ、と落ちた水に、眉を顰める。
「リオ、脱いだ方が――。」
 言いながらリオを見上げて、間近にある彼の顔が、真っ赤になっているのに気付いた。
 唇は真一文字に結ばれ、目はこわばっている。
 スイは大きく目を見張り、硬直したかのような彼の目の前で手を振った。
「リオ? 大丈夫? 寒い? もう熱が出てきたっとことはないと思うんだけど――……。」
 そのまま手の平を額に当てようとするが、それよりも先に、リオがずさっ、と後去る。
「だだだだ、大丈夫ですっ!」
「でも、顔……、あかいよ?」
「こ、これはぁっ、別の熱っていうか――いえっ、なんでもないですっ!!
 お風呂入ったら、ぜんぜん大丈夫ですよっ!!」
 濡れてるし、と困ったように顔を顰めるスイに、大丈夫だと言い張る。
 そして、このまま二人きりでいてはまずいと、あからさまにわざとらしく、行きましょうと、歩き出す。
 スイは納得行かないような顔で首を傾げるが、濡れたままのリオをこのままにしておくわけにもいかないしと、続けて歩き出す。
「それじゃ、戻ったら、露天風呂にでも入ろうか、リオ。」
「えっ!?」
 何やら焦ったように歩き出すリオに、のんびりと肩を並べて彼を見やると、リオはリオで、驚愕に顔を歪めてくれた。
「え? 露天風呂は嫌だった?」
「いえ……あの……一緒に、入ってくれるんですか?」
 うかがうように見上げてくるリオの頬が、少し赤い。
 それを見ながら、やっぱり熱が出てきたのかもしれないと、リオに分からないように眉を顰める。
「そりゃ――泊ってくんだし。
 あ、部屋はリオと一緒がいいんだけど……。」
 この分だと、リオは夜に熱が出るかもしれない。けど、リオのことだからきっと、誰にも何も言わずに、そのまま過ごしてしまうのだろう。
 そうならないように、寝る前に水差しを用意して、タオルと、熱さましの薬を貰っておこうと、スイは心の中で決めた。
 けれど、そんなことにはまるで気付かず、リオはますます顔を赤くして、
「それは……スイさんさえ……よければ…………。」
 早口で、そう告げた。
「それじゃ、そうしよう。」
 簡単に答えてくれるスイに、チラリ、と視線をやって、リオは熱をもったような自分の頬に手を当てた。
 それから、密かに拳を握ると、心の中で自分にエールを送るのであった。
 
 

――その夜、何がどうなったかは……二人しか知らない事である。








猫ノ森 桃山様

何がどうなったのでしょう……(笑)
ということで、四苦八苦したような気のする主坊小説、やっとお送りすることが出来て、ややホッとしております(笑)。


多分、ラブラブ──で、報われてますよね? ね?(^_^;)