晴れときどきムササビ
1主人公:スイ=マクドール
2主人公:リオ
心の痛い、辛い、そして悲しい戦争が終わり、平和で穏やかな日々が続いていた。
彼ら三人も、あの日々を埋めるように、仲良く旅をしていた。
そんなある日、立ち寄った共和国首都で、ゆっくりと滞在することになったのは、とある貴族のお屋敷の主に、姉弟がメロメロになっているためであった。
はじめは、小さい頃からよく知る幼馴染二人が、何かあっては子犬のように彼の後をついていくのが面白くなかったのだけど――ある日を境に、少し考え方が変わった。
それから彼は、他の二人同様、この屋敷で厄介になる間、ゆったりとした時間をすごすようになった。
たとえば、お昼過ぎのうららかな時間――街へ買い物へ繰り出している姉弟と、この館の主婦であるところの青年とが居ない間は、草木の豊かな庭で、読書タイムを過ごす。
これが結構彼の性に合うらしく、庭に用意された白いテーブルと椅子は、この数日の間に、すっかり彼の定位置となっていた。
幼馴染の元気な少年少女は、買い物から帰ってくるなり、ここへ飛び込んでくるほどである。
今日も今日とて、彼は庭で読書にいそしんでいた。
広げているのは、今日知り合いから借りたばかりの分厚い本である。
うららかな昼下がりに読むには、少しばかり難しい内容であったが、少年は興味深げに読み進めていく。
テーブルの上には、館を管理している一人である、クレオが淹れてくれたお茶が乗っている。
綺麗な赤色の出た紅茶は、芳しい香を醸し出し、彼の心を柔らかに覆ってくれる。
もたれる華奢な椅子の背には、風が出てきたときのための、薄い上着がかけられ、膝上には少しばかり重い重石が載っている。それは、茶色の毛に覆われた、毛むくじゃらの生き物――彼ら幼馴染三人と、一応幼馴染であるところの、ムササビである。
トレードマークの赤いマントを上にして、うつぶせに彼の膝の上で伸びている姿は、どこか間抜なところが、より可愛らしい。
時々思い出したように、ムクムクの頭を撫でてやっていた少年であったが、ふと遠くから自分を呼ぶ声が聞こえた気がして、顔をあげた。
本を読む手を止めて、見やった先に、案の定幼馴染の少年がかけてくるのが見えた。
「ジョウイーっ! ジョーウーイーっ!!!」
門のところから飛び込んできた彼は、息が切れるのも構わず、大声でジョウイの名を呼びながら走りこんでくる。
いつにない剣幕に、ジョウイは軽く目を眇めて、片手を挙げて合図をしてから、自分の唇に指を当てる。
「しぃ……リオ。ムクムクが寝てるんだ。」
そして、リオに聞こえるくらいの大きさで、そっと現状を伝える。
足音も軽やかに近づいてきたリオは、確かにジョウイの足元で眠りについているムクムクを見ると、慌てて口元を抑える。
けれどすぐに用件を思い出したのか、顔を見る見るうちに崩れさせて、ジョウイ、と今度は息を潜めて叫んだ。
「一体どうしたんだい、リオ? ナナミが噴水にでも落ちた?」
ちょっと茶目っ気をいれて尋ねるジョウイに、ブンブンと大きくかぶりを振る。
リオは、両手を伸ばして、ジョウイの肩をガシリッと掴むと、真摯な顔で彼を覗き込んだ。
滅多に見かけない真面目な親友の目に、ジョウイは小さく目を見開く。
彼がこれほど真面目な目をしたのは、あの時――あの峠で、最期の決別だと思いながら会ったとき以来だった。
いつも笑顔を絶やさない、明るい少年がこんな顔をするなんて、いったい何があったのだろうと、眉を曇らせるジョウイに、リオは弾む息を飲み込んで、何度か喉を上下させた。
それから、もう一度手に力を込めて、ジョウイを間近で覗き込むと。
「ジョウイ……あのさ、僕、考えたんだ。」
本を読むのを諦めて、栞を挟んで本を閉じる。
それから、膝の上のムクムクを起こさないように、ジョウイはリオの方を向いた。
何があったのかわからないけど、買い物に行った先で何か起こったのは確かである。
だからこそ、リオはナナミもグレミオも放って帰ってきたのだろう。
ならば、ジョウイに出来ることは、親友のリオの言葉を聞いてやり、それに適切な自分の考えを述べるだけだ。もしくは、この身をもって応えるだけだ。
「うん?」
先を促すように尋ねるジョウイに、一瞬言いにくそうにリオは目を伏せたが、すぐに決意の眼差しでジョウイを射抜いた。
「僕達、1つの紋章を二つに分けて、早数年――いろいろあったと思うんだ。」
「うん。」
そっちの話か、とジョウイは胸に軽い痛みを覚えるのを感じながら、そっと自分の肩に置かれているリオの右手を見る。
皮手袋に隠れて見えないそこには、ジョウイの右手にあるのと対になる紋章が宿されている。
ジョウイの心のうちの激情を示すような、攻撃の紋章――黒き刃の紋章と。
リオの誰もを受け止め、守り抜こうとする守りの紋章――輝く盾の紋章と。
二つの紋章は、本来は一つの真の紋章……始まりの紋章という形を取っている。
けれど、それは二つに分けられた紋章が、戦いの末に一つになることにより、誕生するのだ。
それまでは、それぞれの紋章が不完全であるがために、宿り主の生命力を吸って力を発揮する。
かつて、ジョウストン都市同盟とハイランドとの間に起こった戦争の中で、ジョウイは獣の紋章を抑えるために。リオは民を守るために、それぞれ自らの紋章の力を使い続けた。
それがお互いの命を削ると分かったときには、何もかもが遅かった。
だからこそ、ジョウイは敗戦が決まったとき、自分の紋章をリオに分け与えようと思ったのだ。
――リオが、ジョウイを「赦す」までは。
一緒に生きようと、そう頑固に言い放った親友の心と、自らが死しても相手に生きてほしいと思ったジョウイの心と。
できるなら、お互いの側で、ずっと生きていきたいのだと――戦いの末、向き合ってもなお、変わらなかった気持ちと。
強い、心の下。二つの紋章は、二つに分かれたままで、不完全なままで、「完成」した。
生命力を吸ってまで、生きることはなくなったのだ。
あの時唐突に現れたレックナートは、想いの力が奇跡を導いたのだと告げた。
たとえ辛い道であろうとも、世界はまだ広いのだと――そう教えられた。
結果として、お互いの右手に不完全な紋章を宿しながら、力を使っても生命力がなくならないのがどうしてなのか分からないまま、ここまで来ているのだけど。
「僕達、いろんなことを乗り切って、二人で生きてきたよねっ!?」
思いきりよく肩をつかまれて、ジョウイがビクンッ、と肩を揺らした瞬間、ぐっすりお昼寝中だったムクムクが、慌てたように起き上がった。
キョロキョロと辺りを見回し、大きな目でリオを認める。
どうやら今の声はリオのものだったらしいと理解して、ムクムクはもぞもぞとジョウイの膝の上に起き上がった。
ちょこん、と座って、キラキラ輝く目でリオを見上げる。
遊んで、構って、という視線を飛ばすが、リオはそれどころじゃない。
「二人で――っていうか、ナナミもいれて、三人だけど――……。」
正しくは、再び三人で旅をし始めて、数ヶ月しか経っていないけど。
苦笑いを見せたジョウイに、膝の上から抗議がとんだ。
「むむぅっ!!」
ぴょんぴょんっ、と飛び跳ねて、自分の存在を訴えるムクムクに、ただでさえでも肉付きの薄い太ももが悲鳴をあげて、ジョウイは眉を顰める。
「ごめん、ムクムクもいれて、三人と一匹だよね。」
手を滑らせて、ムクムクの毛並みを撫でてやると、納得したようにムクムクは頷いてみせた。
「そう!! それでね、ジョウイっ!!」
ムクムクとジョウイのやり取りはどうでもいいらしいリオが、ぐいっ、とジョウイの両頬を掴んで自分の方を向かせると、鼻がくっつきそうなくらい、顔を近づけた。
「僕達の紋章は、戦いの末に一つになる紋章だろっ!? けど、僕達は紋章に認められて、お互いの生命力を削らなくても、宿していけるようになった。」
「相変わらず、リオの夢を見たりするけどね。」
少し薄い微笑を浮かべて、ジョウイは軽く首を傾げた。
リオはそれに構わず――かく言うリオだとて、時々ジョウイの夢を見ていたりするのだから、お互い様なのである――、さらに力説した。
「ってことは、だよ?
本来なら相手が死なない限り、一つの紋章にならないわけだけど――僕達って、いわゆる例外ってヤツじゃない?
戦いの末に、どっちも生命力が弱っている状態であったにも関わらず、紋章はどっちのものにもならず、そのままそれぞれの手に宿っている。しかも、生命力も削られてない。」
「そう――僕もリオも、未だに紋章を宿し続けている。」
知らず自分の右手を撫でて、ジョウイはリオを見上げた。
リオは、真摯な目でジョウイを覗き込んでいる。
「今なら、どちらかが死ななくても、紋章の受け渡しが出来ると思うんだ……僕達自身の意思で。」
告げられた言葉は、衝撃の言葉であったけど――ジョウイは予想がついていたからこそ、何も言わなかった。
ただ、ゆっくりとあげた手で、リオの手を外す。
ムクムクが不思議そうに二人を見返している。
そんな獣に微笑みかけてから、ジョウイは薄く微笑んだ。
「リオは……――僕達と一緒に居るのは、苦痛かい?」
弱弱しい微笑みだと、リオは思った。
それと同時、そんなことはナイと、大きく頭を振る。
少し伸びた髪が、頬を軽く掠めた。
「ジョウイやナナミと、別れたくて――違う時を歩みたいとか、そういうんじゃないんだ。
ただ、このままだと、僕もジョウイも、死ぬまでこの紋章を宿したままで、僕達が死んだ後も、またあんなふうに封印された形で、誰かを待つんだろう? この紋章は。
レックナート様が言っていた。僕やジョウイみたいな例は、珍しいと。
ゲンカクじいちゃんや、ハーンさんですら、耐え切れずに封印しなおしたんだよ?
もし、僕達のどちらにも負担がかからないように、紋章を一つにすることが、今、できるなら…………したほうが、この先のためだと思うんだ。」
「リオ………………。」
「僕、いろんな真の紋章の継承者と会って、みんな、むやみに誰かに継承しようとしなくて――その理由は、自分の先の誰かが、時の流れの違いや、強大な力や、放浪の旅なんかに辛い思いをしないですむようにって事だって分かって。
考えたんだ。
僕やジョウイのように、大切な人と戦わなくちゃいけないような、そんな悲しいことを、止めることが出来るなら、って。」
一生懸命、拙いながらも伝えようとするリオの意思は、すぐに通じた。
なぜなら、ジョウイ自身も、それを考えていたのだから。
今はいい。
今はジョウイとリオの右手で、紋章はおとなしく従ってくれている。
けれど。
自分達が死んだ後は?
もし、ジョウイが先に死んだら、紋章はリオの右手に行くのだろうか? リオが先に死んだら、ジョウイの元へ行くのだろうか?
それは、遠い未来の話で、もしかしたら、お互いのドチラかが老衰した頃かもしれない。
そんな老人の年で、強大な力に体が耐えられるのか? 孤独な不老不死の旅に、体が持つのか? もし、不慮の死で――年老いた時の方が、それは可能性が高くなる――、真の紋章を持ったまま死んでしまったら? 二人同時に死んでしまったら?
また、この二つの紋章は、新しい宿主を求めて――仲のいい、対となる二人を見つけて、再び戦いを起こしてしまったら?
まだ見ぬ誰かが、自分達と同じ苦しみを負い、もしかしたら、自分達のように奇跡を受けれず、親友をこの手で殺してしまったとしたら?
――そんなの、考えるだけで、辛かった。
それなら、希望のある今のうちに、真の紋章を完成させてしまえば。
リオがそう考えるのも、分かるのだ。
ジョウイ自身も、それが一番いいのだと、考えたことなのだから。
でも。
「ダメだよ……リオ。
それだけは、ダメだ。」
ジョウイは、リオの肩を掴んでかぶりを振った。
リオは、どうして、と小さく口の中で呟く。
「僕は――ジョウイに辛い思いをしてほしくないんだ。
ジョウイ、今でも夢にうなされてる。罪を背負って生きていくと思っている。
そんな生を、長く――永遠に生きていくなんて、僕は、そんなこと、させたくない。」
辛そうに顔をゆがめる親友の、自分のための心が、酷く胸にしみたが、ジョウイは知っている。
リオが言い出す原因が、それだけではないことを。
――というか、「それだけではない」原因こそが、真の紋章を引き継ぐ本当の理由だということを。
「リオ。」
ジョウイは、優しく彼の名を呼んだ。
そ、と彼の肩をゆすぶって、自分を見上げさせる。
少し目が赤い彼の視線を捉えて、唇を開く。
「――……君も、レックナート様に会ったんだね?」
「…………ジョウイ、も…………?」
とまどうように揺れる目が、ジョウイが読んでいた本を捕らえた。
そこには、リオが先ほど、ちょっと用事でグレッグミンスターに来ていたレックナート様から貰ったのと、同じ本があった。
分厚い、読むのもつらい本であるが、親切にレックナート様が付箋をつけてくれていたので、目的のページはすぐに見つかった。
真の紋章〜始まりの紋章についての希望的推測(レックナート様の手記、ジョウストン都市同盟VSハイランドの戦いより)のページだ。
ジョウイの本にも、ご丁寧にその部分辺りのところに付箋がついていた。
「君達が、買い物へ行ってすぐにね――。
ちょうどグレッグミンスターに用事があって、ちょっとスイさんに会いに寄ってくれたらしいよ。」
弱弱しく笑うジョウイは、だから、と続けた。
「リオ。僕も、これ以上君に心配なんてさせたくないんだ。」
「ジョウイ……――。」
「リオ。」
目が絡み合い、二人の友情が炸裂した。
思わずムクムクが感動を覚えた瞬間。
「なら――仕方ないね。」
そ、と目を落としたリオが、次の刹那、キッと視線を強める。
「戦ってでも、奪うだけだよ――っ!!」
ひゅんっ、としなる音は、彼が腰に装備していたトンファーを抜き去る音。
そして。
がつっ!!
鈍い音がしたのは――……。
「……っ。」
小さく舌打ちしたリオの下で、地面についた足に力を入れながら、棍で攻撃を受け止めたジョウイが、唇を歪める。
「それくらい、お見通しだよ、リオ?
何年の付き合いになると思ってるのさ?」
ぎりぎり――と、押しつ押されつの攻防を繰り返すリオとジョウイの間で、ムクムクが焦って視線をキョトキョトさせる。
リオは額から汗を流し、渾身の力で押し、ジョウイも椅子に座った体制のまま、棍を支える腕に筋を立たせる。
「悪いけど――僕、どーっしても、不老不死が欲しいんだよね……っ。」
「それは、こっちも同じ台詞――悪いけど、権力やそういうのにはもうコリゴリだけど、コレだけは譲れないっ。」
ぎりぎりと間近でにらみ合う二人の幼馴染の様子に、ムクムクはひたすら困惑するだけである。
何せ、さきほどまでお互いを心の奥底から思いやるように見えたというのに、今はこれ、だ。
「いやでも、譲ってもらうよ――っ!
僕と、スイさんの、楽しい未来のためにねっ!!」
叫んで、リオは大きく体を揺らす。
その拍子に棍に強く圧力がかかって、ジョウイは小さく舌打ちし――心の中で、ムクムク、ごめんっ! と謝った後、ズッと尻をずらした。
それと同時、ジョウイの体が椅子から滑り落ち、拮抗がたやすく崩れる。
思わぬジョウイの動きに、思い切り力を込めていたリオの体が大きく前に傾く。
ジョウイは目の前に迫ってくるトンファーを見据えながら、自分と地面との距離を正確に頭に描きつつ――踏ん張っていた足が自由になった瞬間、横に払いのける。
見事にリオの両足を掬うことに成功したと同時、リオの体が宙に浮いた。
ついでにムクムクの体も宙に浮いたが、気にはしていられない。
ジョウイはそのまま両手でしっかりと棍を握り締め、思い切りよく突き出す。
ちょうど、リオの体が前に傾くのを、押しやる形で。
「……っ!!」
リオが驚愕に目を見開くのが分かった。
ジョウイは、してやったり、とほくそ笑む。
まず、思い切りよく尻から落ちたジョウイの体が、一度地面でバウンドした。
続いて、飛ばされたムクムクの体が、テーブルの下をゴロゴロと転がった。
そして、椅子を飛び越えて飛ばされたリオの体が、向こう側の芝生に背中から落ちた。
ばんっ、と音がして、リオのトンファーが飛んだのが見える。
ジョウイは、腰に痛みを感じながら、顎をそらす。
椅子の脚の向こう側に、リオの黒い髪が見えた。
ちょうど椅子を挟んで、こっちと向こうで、頭を向け合って寝転がっている形になっていた。
「……くぅぅーっ! 思いっきり、ぶつけたーっ!!!」
悔しそうに叫ぶリオの声に、ジョウイは小さく笑った。
「それくらい、我慢して受けてくれないと、こっちも報われないからね。」
楽しそうに帰ってきた台詞に、がばっ、とリオは元気良く起き上がる。
それに対抗して、ジョウイも両足を大きく上下させて、後ろ手で地面を押すと、ひょい、と立ち上がった。
腰についた草を払いながら、棍を振ると、リオは不機嫌そうな顔でこちらを睨んできている。
「言っとくけど、僕は、ぜーったいに、スイさんと一緒に不老不死を諦めるつもりはないからね。
っていうより、恋人としては、とーぜんの欲求だし。」
「…………誰が、誰の、恋人?」
ニッコリと笑って聞き返すと、当たり前のようにリオは自分を指差した。
「僕と、スイさん。」
さらに、続けて、庭から見えるスイの部屋の前も指差す。
沈黙が二人の間に舞い降りた。
にこにこにこにこにこ、と笑うリオに対して、にっこりと、ジョウイが花もほころぶ微笑を浮かべてみせる。
「冗談も、休み休み言ってくれる?
昨日、スイさんと一緒にいたのは、僕、なんだからね?」
「ジョウイは、スイさんと一緒に書庫にいただけじゃないか! キス一つ赦されなかったくせに、よーく言うね。」
「――……さては、見てただろっ!?」
「ジョウイが勝手に夢に出てきたんだもーんっ。」
「そ、そー言うリオだって、この間、スイさんにお風呂で不埒なことしようとして、裁き食らってたじゃないかっ!!」
「あうっ! あ、あれは、スイさんのただの照れ隠しだってばっ!!」
「照れ隠しっ!? そうやってスイさんの嫌がってる態度をいい風にとって、毎晩毎晩、スイさんに夜這いかけるのも、いい加減にしなよっ!?」
「そういうジョウイこそ、僕がいないと思って、昼間にスイさん口説くの、やめてくれないっ!? スイさんは、僕の、なんだからねっ!!」
「僕のー!? それこそおかしいじゃないかっ! スイさんは、まだ、誰の物でもないはずだよっ!? こっちだって、毎朝のキスは欠かしたことないんだから、権利はあるはずだよっ!」
「それを言うなら、僕は毎晩毎晩……っ。」
間に椅子を挟んで、猛烈な戦いを繰り広げる二人の親友が、ぎゃんぎゃんとわめきあうこと数分。
唐突に、がら、と遠くで窓が開く音がしたかと思うや否や。
「焦土。」
情け容赦なく、庭一面に炎が吹き荒れた。
「うわわわわわわっ!!!!」
慌ててリオが、左手をかざして自らの身を守る。
同時にジョウイも、ちょうど左手に宿していた土の紋章に感謝をしているところだった。
そんな二人を二階の窓から見下ろし、唐突に最高呪文を唱えた人物は、ニッコリ可憐に微笑んで言い切った。
「近所迷惑なこと叫んでると、今度は飲むよ?」
すちゃ、とかざされる右手の紋章の黒い輝きに、その威力を知るジョウイもリオも引きつる。
それを確かめた後、
「もうしないね?」
可愛らしく首を傾げて確認してくれる。
声もなく、ブンブンと頭を振る二人に、満足したように、スイはぴしゃんと窓ガラスを閉めた。
それを見上げながら、二人は同時に思った。
「……でも、スイさんになら、ちょっと飲まれても、いいかも――……。」
すでに、ダメダメな領域まで行っている二人であった。
夕食の後、リビングでちょっとしたティータイムを取るのは、マクドール家の日課であった。
今日も今日とて、激しい席争いが繰り広げられる中、ちゃっかりスイの膝の上を勝ち取ったムクムクが、上機嫌でジュースを飲んでいる。
両隣に座るのは、そんなムクムクを恨みがましい目で見ている少年二人である。
ずずずず……とジュースを啜りながら、リオは皿に詰まれたクッキーに手を伸ばす。
「スイさん、今日、出先でレックナート様に会ったんですよー。ちょっと用事があって来たとか言ってましたけど……。」
そこで、始まりの紋章について詳しい記述のしてある本を貰ったことは口にせず、笑う。
「僕も、庭で本を呼んでいたら、突然会いました。」
スイを挟んだリオの逆隣から、ジョウイも頷く。
もう二度と会うことがないと思っていただけに、少し不安を覚えているようであった。
まさか、また何か起ころうとしているのだろうか?
そんな不安に眉を曇らせる二人に、ああ、とスイは当たり前のように頷く。
「この間の大掃除の時に、レックナート様が星見をしていたときの資料が出てきたらしくってさ、それをレパントに届けに来たらしいよ。」
優雅にティーカップを傾けて、彼は優しい微笑を交互に左右に見せる。
むむぅ、と膝に座るムクムクが、スイの方へ体を向けて、両手で縋るように服を掴んだ。
キラキラ輝く大きな目に、スイは小さく微笑みを零して、クッキーをつまんで与えてやる。
口に当たったクッキーを、はむ、と咥えたムクムクは、そのまま両手でクッキーを掴むと、大事そうに食べ始める。
スイは、無言でそんな彼の頭を撫でてやる。
少し片目を眇めるようにして、ムクムクが小さく鼻を鳴らした。
思わずリオは、かじっていたクッキーをガジジと噛み砕き、恨めしそうにムクムクを睨みつけてしまう。
「星見……ですか?」
興味深そうにジョウイがスイを伺う。
そのついでに、ムクムクの背中を撫でる振りをして、す、とスイに近づく。
リオがすかさずそれに気づいて、無言で手を伸ばして、ムクムクの背中を撫でるジョウイの手の甲をつねった。
「……っ。」
思い切り良く息を飲んだジョウイが、スイに見えないようにギッと睨んでくるのに、リオが同じようにスイに気づかれないように舌を突き出して応戦する。
「そう。今の星見はヘリオンなんだけど、赤月帝国当時の星見は、レックナート様で――リオには前に話したことあったよね? 僕がレックナートさまの元へ、星見の結果を受け取りに行ったこと。」
「あ、はい! ルックとフッチと会ったって聞いてますー。」
すかさずジョウイに見せていた顔とは違った、素晴らしい笑顔でスイを見る。
ニコニコ笑う顔は、無邪気なワンコのように愛らしかった。
このやろう――と、ジョウイが顔を引きつらせているのを感じながら、リオは伺うようにスイを覗き込む。
「星見って、どういうことするんですか? ハイランドにも、ジョウストンにもそう言うのってなかったから、いまいち分かんなくって――。」
「それ、僕が言おうとしてた台詞……っ。」
軽く首を傾げるリオの台詞に、悔しそうにジョウイが呟くが、スイはそんな彼に気づかず、リオに優しく頷いてみせる。
「そうだね――占い師みたいなものかな? 星を見て、現在や過去、そして近い未来を予見することが出来る能力を持つ者で……レックナート様は読む星を違えたことがないと、ルックがそう言っていた。
だからこそ、レックナート様は、歴史が動乱するとき、もっとも重要な位置をしめるであろう人の前に現れるのかもしれないね――……。」
やんわりと微笑むスイの表情が、少しだけ翳ったのに気づき、ムクムクは心配そうな眼差しでスイを見上げる。
少し落とした視線の先で、目を歪めるムクムクに気づいたスイは、大丈夫だと言いたげに、彼の耳の付け根を掻いてやる。
その仕草がダイスキなムクムクは、すぐに気持ちよさげに顔を彼の手に預けた。
「へぇ――僕も星を見て、未来を見ることって、できるかなぁ?」
「うーん――どちらかというと、それはリオよりもジョウイ君の方が得意じゃないかな? ジョウイ君の方が魔力値も高いし、感受性も高いようだから。」
「え? 僕ですか?」
少し楽しそうに笑ったリオに、スイはムクムクを落とさないように気をつけながら、ひょっこりと肩をすくめて見せた。
むくれたリオに、クスクスと笑いを零すと、ジョウイが嬉しそうに自分を指差しながら顔を覗き込ませてくる。
「そう。確かジョウイ君、魔力値が僕と同じだっただろう? 僕も昔、ルックに教えてもらって、星読みの仕方を習ったことがあってね。
魔法力の強い者は、多少は読めるすべを持つモノらしいから。」
「それじゃ、僕も読めることが出来るのかな? せめて、災厄とかが分かるようになれば、いいと思うんですけど。」
「ルックの言葉を借りれば――たぶん、これはレックナート様の受け売りだと思うんだけど……。
未来を読むことに意義があるのではなく、そこに可能性を見出すことに意義があるのだと。
災厄が分かったからと言って、それを避ける方法を考えたり、あえて正面から受ける方法を考えたり――方法はさまざまになる。
それを、たがえることなく選んでいくことが、大切なんだと思うよ。
――とても、難しいことで…………僕には無理だと、そう思ったんだけどね。」
最後の一言は、苦笑とともに笑ってそう告げたスイに、ジョウイは小さくかぶりを振った。
そして、そ、と右手を伸ばし、ムクムクを撫でるスイの手に重ねた。
驚いたように視線を転じるスイへ、真摯に囁く。
「そんなことありません。
そうやって、ちゃんと分かっていることが、スイさんの凄さだと、僕は思いますから。」
「――……買いかぶりだと言いたいとこだけど、その言葉はとても嬉しいよ。
ありがとう。」
ふわり、と間近で微笑まれ、ジョウイの動悸が早くなる。
うわ……、と胸の内で叫んだ言葉に、喉がバクバクとせわしなくなっているのを感じた。
時々、心の奥底から思う。
この人は、なんて無防備に人をタラすのだろうかと。
まさに今がその時であった。
ジョウイは胸の動悸が聞こえないように、左手で、ぎゅ、と左胸を押さえ込む。
スイはニコニコ笑っていてその動作の意味に気づいていないようだったが、リオには丸分かりのようであった。
向こう側から視線を飛ばしてくる。
「どーせ僕の魔力値は低いですよーっだ。」
むくれるように下唇を突き出すついでに、左手をしのばせ、ジョウイの手の甲を思いっきりつねった。
「……――っ!!」
瞬間、バッ、とスイの手の上から退いたジョウイの手に、スイが不思議そうに首を傾げる。
ジョウイは、なんでもないと言いたげに、両手に手を振った。
ニコリと笑う合間に、リオへ視線を走らせると、思い切り憎憎しげな態度で舌を突き出すリオの顔があった。
その顔も、スイがそういえば、とリオへと顔を向ける瞬間には笑顔に変わっている。
――このやろう……っ!
と、ジョウイがリオに向けて拳を向けるサインを送っても、仕方ないといえば仕方ないであろう。
「リオは確かに、魔力値が並外れているわけではないけど、これ以上伸びないというわけでもないから――。
ただ、光や浄化関係の紋章と相性がいいから、もしかしたら、星とも相性がいいかもしれないね。」
魔力が高いだけが、星を見るために必要なわけじゃないよ、と、先ほども口にしたようなことを、今度は違う意味をこめて教えてやる。
するとリオは、嬉しそうに顔を輝かせて、顔を近づける。
「相性が良かったら、星を見て、運命を占ったりもできます?」
くるん、と目を動かせて覗きこむリオの、期待を込めた言葉に、スイは一度瞬きをした。
「うん? うーん……? 占いができるかどうかは、分からないけど。」
星見の仕事として知っているのは、公式な仕事内容ばかりだ。
レックナートやルックが、他にどういった仕事をしているのか――赤月帝国が滅び、星見を解任されてから、一体何をして暮らしているのか…………そういえば、聞いてなかったな、と言うことを思い出す。
「良くナナミが言ってるんです、星占いで占ってあげるとか。ああいうのも、星見のお仕事なんでしょう?」
「どうだろう? メグやテンガアールたちが、星占いとか、血液型占いとかしてるのは見たことあるけど……そういうのに詳しいのは、どちらかというと、ルックよりもオニールとかミルイヒだったしなぁ。」
軽く首を傾げて、解放軍当時を思い出そうとしてみるものの、ルックはそういうのは鼻から相手にしなかったし、頭を突っ込んで楽しんでいたのは、シーナだし。
「オニール?」
首を傾げてジョウイに尋ねられて、ああ、と短く答える。
「解放軍当時の仲間だよ。――………………情報収集の得意な。」
なんて言って言いたか迷う沈黙の後、白々しい笑顔で言い切った。
それに、なんとなく不審そうな表情を浮かべるものの、ジョウイは特に何も言うつもりがないのか、軽く頷いた。
「なーんだー。
星占いとか出来るようになるなら、頑張って教えてもらおうと思ったんだけどなー。」
がっくり、とリオは口に出してそう言うと、ソファの背もたれにドッともたれかかった。
「リオ、星占いに興味あるんだ?」
驚いたようにジョウイが身を乗り出して聞いてくる。
その拍子に、スイの膝の上に乗ったムクムクの上を邪魔する形になってしまい、ムクムクが不機嫌そうな目を向けた。
「いっつも、ナナミが言ってるのを、聞き流してなかったっけ?」
指差してまで、驚いた、という言い方をする親友に、だって、とリオは背もたれから身を起こした。
「星占いって人気あるじゃない? もし、出来るようになったら、旅してる最中に、それで見料取ることできるかなぁ、って。」
「――……なるほど。」
ぽん、と納得したようにスイが手を打ち鳴らすのに、ね? とリオは首を傾げて同意を求めた。
ジョウイもジョウイで、感心したように頷いている。
「それだったら、僕がレックナート様に習ってみようかな? リオやナナミは、他のいろんな事でバイトして旅費を稼げるけど、僕だけはそんないろんなこと出来ないし。」
それなら、女が多い場所で、結構なバイト代が稼げるかもしれない、と呟くジョウイに、
「大丈夫だって、ジョウイ! 別にジョウイの旅は、長くなるわけじゃないんだから。」
「――――――………………はいぃ?」
「だって、ジョウイ、もうすぐ僕に紋章渡して、のんびりゆっくり、ジルさんと一緒に暮らすつもりなんでしょ?」
ニッコリ笑って、よりにもよってスイの目の前で、勝手にジョウイの将来を決め付けた。
しかも、今のジョウイとしては、禁句に近い名前を出してまでである。
これは、絶対わざとに違いあるまい。
さらに、ジョウイが反論しようと口を開いた瞬間、いち早く。
「僕が考えてるのは、その先、スイさんと二人で旅をするようになってからの話だよ。
やっぱり、夫としては、奥さんを少しでも楽にさせてあげるために、いろんな稼ぎ方法を持っていた方が、良いと思うんですよ、ねっ!?」
スイの手を、きゅ、と握り締めて、そう言った。
さり気に何か言ってる台詞を、右から左へ聞き流していたスイも、手を握られて話を振られたら、リオの方を向かずにはいられなかった。
「――――………………え?」
どうしてこっちに話を振られるのだろうと、疑問に思いつつ――思考がついていけないままで、スイは笑顔を凍りつかせる。
スイが内心、「しまった、またリオとジョウイの痴話げんかか、と思っていて、まともに聞いていなかった」と思っていることは間違い無しであるが、リオは頓着せずにサクサクと話を進めていく。
「スイさんに苦労させるわけには、いきませんもんね♪
それに、二人の夜のことを思えば、あんまり体力使う仕事も控えめにしないとだめだと思うんですよー。」
「……は、はぁ。」
――っていうか、夜って、何? なんで、体力使ったら、ダメなの?
疑問を口にしてしまったら、とんでもない結末を導き出されそうで、スイは生返事を返すしかない。
リオの飛びすぎる展開に、ちょっと尻込みするスイに構わず、リオの未来予想図は更にヒートアップしようとした。
けれども、それをジョウイが黙ってみているはずもなかった。
「ちょーっとまったーっ!! 何勝手なこと言ってるんだよ、リオっ!? リオが不老不死になって、スイさんと一緒に旅するなんて、冗談じゃない!!
僕は、リオから紋章を受け継いで、永遠に罪を償っていくつもりでいるんだ!!
リオは、ナナミと一緒に、平穏に過ごして欲しいと、そう思って……っ。」
今にもスイの顔にくっつきそうになっていたリオの顔を、思いっきり平手で押しのけて、ジョウイは叫んだ。
最後の言葉を、感情をバリバリにこめて震わせるのがコツである。
「永遠に罪を償って――なんて言ってるジョウイに、紋章を渡せるわけないじゃないか……!
ジョウイ、僕は、君にそんな辛い思いをさせたくないんだよっ!」
無理矢理ジョウイの手をはがし、リオは彼の手を掴んだまま、叫び返す。
身を乗り出すようにして叫ぶリオの右手が、なぜかスイの肩に回されるが、これはきっと姿勢を保つためだろうと――スイは信じたかった。
「え、あの、ちょっと二人とも? そういう重い話は、僕を挟んでやってほしくないんだけど?」
右と左から、重いテーマの、親友思いやりの話が始まりそうな予感がして、スイは二人に、「ちょっと待って」コールをかけるが、聞いてはくれない。
それどころか、片方の肩にジョウイの手が乗り、ぎゅ、と力を入れられる。
逃げ出そうにも逃げ出せず、二人の間にきっちり挟まる形になってしまっている。更に膝の上に乗ったムクムクが動きを鈍くさせてくれている。
お互いに顔を近づきあう二人の顔が、スイから見たら、右と左のすぐ間近に迫っている。
今は二人とも、顔をお互いに向けているからいいが、これでこっちを向かれたら、絶対鼻の頭がぶつかるに違いないと思いながら、スイは首を後ろにそらして遠ざかろうとする。
けれども、まるでそれを見越しているかのように、リオの右手と、ジョウイの左手が、しっかりとスイの首の付け根を支えていた。
「そんなことを、リオが気にすることはないんだ。僕は、僕なりに考えて出したことなんだから。
――それに、もしも僕が再び詰まった考えをしたら、って思っているのかもしれないけど、それは無用の心配だよ、リオ?
僕は、スイさんが側に居る限り、そんなことはしないから。」
「そんな、罪がどうのこうので、一生を生きてこうなんて考えてる人間に、スイさんはあげれませーんっ!」
「君のものじゃないだろ、もともと!」
「それを言うなら、この紋章を一つにする権利は、僕にあったと思うんだけど!? ってことは、スイさんの隣に居る権利は僕の方が優勢じゃないかー!」
間近で叫びあう二人は、益々ヒートアップしていき、建前がなくなっていく。
それを耳元で聞く羽目になっていたスイは、耳を抑えようにも抑えられない体制で、小さく肩をすくめ――ん? と首を捻る。
「ちょっと? なんでそこで僕が主観になってるわけ??
君達二人の、一体どっちが真の紋章を引き継ぐか、の話し合いじゃないの?」
わざわざ視線を動かすことをしなくても、視界に入ってしまうくらい間近にある二つの顔を見て、スイが問い掛ける。
その言葉に、リオとジョウイがこちらを向いた。
迫ってきた顔に、スイは慌てて顎をのけぞらせるようにして視界を遠ざける。
「決まってるじゃないですか!!」
「真の紋章を引き継いだほうが、スイさんを手に入れることが出来るんですからっ!!!」
思いっきり力を込めて叫ばれて――……。
「――――誰がそんなこと、決めたんだよ?」
呆れを通り越した、疲れたような声で問い掛けると、二人は声を揃えて、きっぱりと言い切ってくれた。
「決めるまでもありません。
当たり前のことですから!」
「――――……………………。」
がっくりと、肩を落としてスイはため息を零した。
それを見て、スイも納得してくれたと思ったらしい二人は、再び叫びあいを始める。
昨日、スイの背中を流したのは僕だとか、スイの飲みのこしを貰っただとか、くだらないことから素晴らしくあほらしいことまで、次々に言い合っていく。
そんな二人に挟まれたスイの視線は、自然と下に落ちた。
他に見れるものがなかったのである。
――っていうか、グレミオかクレオかナナミ……誰かここに来てくれないかなー………………。
昨日までは、ここまで酷くなかったような気がする。
せいぜいが、どちらがよりスイに貢献できるか、スイとイチャイチャできるか、という合戦だったくらいのはずなのだけど?
今日何があったのだろうと思ったスイは、すぐに原因にたどり着く。
二人が、「真の紋章」にこだわり、先ほど「今日会ったんです」と言った以上。
「レックナート様…………恨みますよ…………?」
一体何を吹き込んだのだか、と頭痛すら覚えて軽く頭を振る。
そのスイの両頬に、そ、と労わるように暖かな肉球が当てられた。
ん? と目をあけると、大きな目のムクムクが、不思議そうに首を傾げている。
スイは、すぐ間近で交わされている二人の少年の口論をあえて耳からシャットダウンして、疲れたように笑った。
「なんでもないよ、ムクムク。」
手に持ったままだったクッキーの欠片を、ムクムクの口元に近づけると、ムクムクは反射的に口を開いて、それを受け取った。
それからムクムクは、スイの両頬を抑えている手に力を込めて、体重を支えたかと思うと、ぐぅ、と背伸びをして――……。
「むむー。」
「…………………………。」
「……………………あ、あああああーっ!!!!!」
「ムクムク!! なっ、なんてことをーっ!!」
思わず、微笑ましいというか、真っ白になってしまったというか――……言葉もなく固まったスイの両隣から、リオとジョウイが絶叫した。
ムクムクは、ふかふかの毛に埋もれた口を大きく開けると、
「むっ! むむむむむ、むむむぅーっ!!」
元気良く、宣言した。
甘いクッキーの香がする唇に、そっと手を押し当て、スイは苦笑いを零す。
「真の紋章は、僕が貰いますって――ムクムクまで………………。」
かり――と、口の中でクッキーがほどけて、もうなんともいえない気分になった。
「ななっ! 何考えてんのさ、ムクムク!? そもそもムササビは、紋章宿してもまともに使えもしないくせに!!」
「そうだよ。ムクムク! 獣の分際で、スイさんを満足させようとは不逞やろう――っていうか、クッキー口移しなんて、僕ですらやったことないのにっ!!」
スイの膝の上で勝者宣言をしてみせたムクムクに、リオとジョウイが掴みかかろうとする。
けれど、ムクムクはひょいっ、と飛び上がると、そのままテーブルの向こうに降り立った。
リオとジョウイの二人は、スイの膝の上に倒れこみ、その感触を楽しむ間もないまま、がばっ、と顔を突き合せるようにして起き上がると、テーブルの向こうから慌てて床へ飛び降りたムクムクを追った。
「待てっ、ムクムクっ!」
テーブルを回ってムクムクを追いかけるジョウイとリオに、ムクムクは部屋から飛び出していく。
先に扉についたジョウイが、左右を見て、玄関の方角へ走るムクムクを見て、そのまま駆け出していく。
リオも後から続こうとして――ふと思い出したように室内に戻ってくる。
残されたスイが、疲れたようにソファに背中を預ける背後に立つと、
「スイさん、忘れ物。」
「え?」
呼ばれて顎をそらしたスイむけて、顔を傾けた。
「――……っ。」
霞むくらい近くにあるリオの顔を認識する間もなく、唇がふさがれて、スイは軽く目を見開いた。
ものの数秒としないうちに、離れた唇に、
「消毒です。」
にっこりと、リオが笑った。
「――……っ、リオっ!!」
鋭く叫んで、スイが拳を繰り出そうとするが、立っているリオの方が動きが速い。
ひょい、と体を半歩ずらして、ソファに身を乗り上げたスイの一撃を避けると、
「それじゃ、また後で♪」
そう台詞を残して、走り去っていく。
「……あんの、色ボケ……っ。」
殴り損ねた拳を握り締め、スイは忌々しげに呟いた。
ふと転じた視線が窓に行き――窓越しに、門向けて追いかけっこしていくムクムクとジョウイ、リオの姿が見えた。
スイは深々とソファに身を落としてそれを一瞥したあと、重いため息を零して、ソファから立ち上がった。
このままココに居ては、好きにしてくれと言っているようなものだと気づいたからである。
「――っていうか、ちょーっと油断しすぎたかな?」
コリ、と米神を掻いて、スイは今日もきっちりと部屋の鍵をかけようと誓うのであった。
……早いところ、あの二人と一匹を屋敷から追い出さなくてはならない、と、思いながら。
こうして坊の壮絶な嫌がらせの日々が始まるのであった(嘘)
猫ノ森 桃山様♪
リクエストありがとうございました〜♪
なんかムクムクが異様にでばってますが、たぶん、ジョウイVS2主の坊争奪戦、坊ついていけないバージョンにしあがったのではないかと思います。
基本的に、うちの坊は2主とジョウイ、ナナミには優しいので(笑)、あんまりあからさまに拒んだりはしないので、振りまわされているような話になりましたが、天然たらしチックは、少し出せたかなぁ、と思います(笑)。