沈黙が耳を打つ時を、あなたは知っていますか?
耳を澄ませても、何も聞こえない、ただ空気が降りてくる音だけしかしない、自分の呼吸の音が異様に大きく聞こえて、この世界に一人取り残されたような感覚を覚える孤独。
あなたはそれを、知っていますか?
──────いいえ、あなたは知る必要などないのです。
あなたの側には、いつも私がいるのですから。
「シュウさんたちにも、僕くらいの頃があったかと思うと、不思議な気がしますよねー。」
三人くらいが寝れるような、大きな天蓋付きのベッドに横になって、この城の城主である少年はぼんやりと呟いた。
近くの椅子に腰掛けていた少年は、外見は同じ年くらいに見える弟分を見やって、軽く首を傾げる。
「子供時代がない大人なんていないよ。」
ごくごく当然のことを口にして、開いていて本を閉じる。
ふかふかのシーツの上に横になっている少年は、無言で開いていたノートのようなものを見下ろす。その横顔はどこか懐かしんでいるように映った。いや、実際懐かしんでいるのだろう。自分が幼かった頃をか、もしくは近くに大切な幼馴染が居た頃のことを。
「スイさんはないですか? 大人は、最初から大人だって思ってた事。」
手にしていたペンを振りながら、リオは椅子に座った憧れの英雄を見あげる。
その目がキラキラ輝いていることに苦笑を覚えつつ、スイは天井を見やった。綺麗に磨かれている天井には、綺麗な模様の壁紙が張られている。この新同盟軍リーダーの部屋だからと、皆が気を使っているのはまず間違いないだろう。
「……父親を、最初から父親だったと思ったような記憶はあったけど。」
いいながら、スイも思い出す。自分の一番近くにいた同年代の友人のことを。同年代だと想っていたのは自分達だけであったことが後から判明したのだが、実際彼は時々老成したことを言う以外は、普通のくそ餓鬼の一人であったような気がする。
スイと一緒にグレミオに甘えもしたし、いたずらもしたし、よくスイにお願いごとなどもした。彼の一生のお願いは、本当に三百年ぶんはあったのだ。
同年代(?)の友人は、彼だけだったから。他の人間はほとんどが大人ばかりであった。一番年齢が近い人も、アレンやグレンシールと言った、お兄さんみたいな人ばかりであったから。
逆に大人の中で育ったからか、生まれたときから彼らが大人だったと思い込む事はなかったような気がする。
「僕はいつも思うんですよ。シュウって、実は生まれたときからあんなんじゃなかったのかって。」
「……──それはそれで、怖いんじゃないかな?」
苦笑を滲ませながら答えると、リオはノートを捲っていた手を止めて、大きく頷いた。
「怖いんですよ。生まれたときからあの態度のでかさ、毒舌、口うるささ、親はたまりませんね。……あ、だから預けられたのかも。」
成る程、と一人納得するリオに、スイは不思議そうな表情を向けた。
「預けられたって……シュウ殿は、マッシュに預けられたの?」
それは初耳だと、スイが身を起こす。マッシュが小さな村で教師をしていた理由や、そこにいる子供達のことは知っていたが、シュウが預けられていたというのは初耳である。破門にしたということから考えるに、シュウは「預けられていた」のではなく、「修行しにきていた」のだと思っていたのだ。
正直な話、シュウが軍師としても鬼才だとリオやアップルから聞いたときは、「マッシュ……あれほど、戦争は嫌だとか言っておきながら、何を軍師としての教えを教えてるんだよ」と思ったものだった。
「さぁ? でもシュウのことだから、親がもうこんな子を育てるのには疲れたわっ! とか預けてもおかしくないと思いません? どこかの寺に預けられるんだったんだけど、そこをマッシュ先生に拾ってもらって、でも成長するにつれて、どんどん生意気度が増すので、嫌になって破門にしたんじゃないのかって──みんな話しているんです。」
しれっとして告げたリオの微笑みに、スイはちょっと視線をずらした。
シュウがどういう性格なのかは知らないため、ここで発言するのをはばかられたからである。
「アップルは、凄く信頼しているようだけど……?」
「アップルだからです。」
根拠はないのだろうが、その断言はとてもわかりやすくて、スイは苦笑いを零した。
「そういう君も、シュウ殿のことを随分信頼しているようだね?」
本から顔を上げて、ベッドに横になったままのリオを見やると、彼は軽く目を見張って──それから、満面に微笑んで見せた。
「僕の軍師ですから。」
きっぱりと、微笑んで答えるその表情は、純粋に見えて、スイは苦笑いを浮かべる。
そう言い切れるのは、とてもいいことだ。
彼もよく分かっているのだろう。笑顔は自身に溢れていた。
シュウは、決して自分を裏切ったりしないし、自分に不利なことはしない。
リオはなんだかんだ言いつつ、シュウをとても信頼していた。
「いいね、そういう関係は。」
くす、と笑うと、リオは驚いたように目を瞬かせた。
「そうですか? 僕はどっちかというと、スイさんとグレミオさんの関係なんかウラヤマシイですよ。」
リオは白いシーツに頬を埋めながら、スイを見あげる。
隣に放ったままにされたノートにペンを置いている、どうやら報告書を書くのに飽きたようである。
「僕とグレミオ?」
リオには、ナナミという仲のいい姉がいる。
だから、そんな風に言われるとは思っても見なくて、スイは軽く目をしばたく。
リオはそれに頷いて、上半身を起こした。
「そうですよ。なんか、こう、自然体って感じじゃないですかぁ? 信頼とか、そういうの乗り越えてるっていうか。そうそう、例えるなら熟年夫婦です。お互いが空気のようっていうか。──フリックさんやビクトールさんみたいな腐れ縁もいいですけど、そういうんじゃなくって……。」
グレミオの過保護さは、皆が知る所である。
始めてリオの所に行く事になったとき、グレミオが朗らかに笑って「ぼっちゃん、夕飯までには帰ってきて下さいね」と、本気で言ったときは、いっしょに来ていた元解放軍メンバーは、脱力していたものだった。
三年たとうと、何してようと、グレミオの過保護は健在だったか、と。
そんなグレミオと自分が、自然体だと言われたのは初めてで、スイは軽く首を傾げる。
グレミオが信頼できるのは本当だ。ただし、スイが危険な目にあいそうになるのが前提にあると、彼の言葉から真実味や信頼性は薄れる。スイのためなら、嘘の一つや二つは平気でつくからである。
実は皆、スイとグレミオのことで、自然体だとか想っていたのかもしれないが、そんなこと口にされたことはない。
しかもそれを羨ましがられるなど、全く持ってなかった。
グレミオの過保護さに、苦笑して、「大変だね」ということは数多くあったが。
「まぁ、グレミオは僕が小さい頃から育ててくれた──母親代わりみたいなものだからね。」
実際スイは、乳母などいなかったマクドール家で、グレミオの手からミルクを貰い、グレミオの手作りの離乳食を食べ、グレミオから言葉を学び、他色々な母親に教えられる類のことを学んだのだ。
「だからなんですね。スイさんにとって、グレミオさんが特別なのって。」
「うん? まぁ、そうだね。」
同じ家に住んでいたクレオやパーンよりもずっと特別なのは、グレミオがグレミオであったから。
誰よりも自分のことを考えてくれて、誰よりも自分を愛してくれた。
だからこそ、スイはグレミオには安心して全身を預けられたし、グレミオだけは特別だった。
彼は、自分が何をしても、叱る事はあっても、嫌う事はなかったから。そう言い切れたから。
グレミオの無償で深い愛が、ずっと自分を支え続けてくれた。そして幼い時に苦労した彼は、スイに優しくなること、人を気遣う事を、教えてくれた人だった。
だから余計に、彼には支えられてきたのだ。内面と言う形で。
「僕も……そういう人、欲しいなぁ。」
しみじみと呟かれたリオの言葉に、ふとスイは気付く。
彼と自分を比べてはならないと、そう思っていたから、スイは考えたことがなかった。
しかし、ちょっと考えれば分かる事だった。
リオには、彼が完全に甘え、全身を預けられる存在がいないのだ。
──たぶん、彼を育ててくれた養父が亡くなってから、ずっと。
たがいに支え合う存在というのも確かに必要なものだし、リオはそれに支えられてリーダーを務めてきている。
でも、ちょっと疲れたとき、ふと頼りたくなったとき、何も見返りを求めずに全身を預けられるところが、リオにはないのだ。
スイがグレミオを失ってからそうであったように。
その精神的な辛さは、スイにも良く分かった。
それでもスイは、時折クレオやパーンに──幼い自分を知る、自分の本質を知る年上の人がいた。
けれど、リオにはそれがいないのだ。
彼には、何もかもを抱え込んでくれ、抱き込んでくれる人がいないのだ。
フリックやビクトール、シュウでは役不足だというわけではない。
ただ、彼らは何だかんだと言っても、リオの全てを受け入れられるわけではない。
リオが欲しいのは、そういうぬくもりではないのだ。
けれど、それを与えてくれそうなナナミやジョウイは、リオを支えるのにはまだ精神的に若くて、頼り切れるものではないし、それをするのはリオのプライドが許さないだろう。
父親は母親と言った、そういう存在の代わりになる人というのは、とても難しいことである。特に、一度それを手にしてしまった人間が、その代わりを求めるのは──特に。
シュウもビクトールもフリックも……リオをリーダーとして見てしまう面があるから、彼らでは駄目だ。
スイは無言で微笑みを零して、そうだね、と呟く。
「リオにも、たまには息抜きが必要だよね。」
優しく呟いたスイの台詞を、軍師が聞いていたら、
「いつも息抜きばかりでしょうっ!」
と、叫ぶのであろうが。
昔は──そう、つい最近までは、耳打つくらいの静けさなんて、知らなかった。
寝ているときだって、いつもそこに穏やかな呼吸があった。
けれど今はまるで違う。
沈黙。ただのしかかるだけの沈黙。静けさ。静謐──。
疲れている夜は、それすら気にならず、ふかふかのシーツの上に崩れ落ちるけれど、最近は遠征することも少なくて、ベッドに横になるのが遅くなって──横になっても、すぐに寝れなくなって。
初めて気付いた。
沈黙は、時には睡眠の邪魔にすらなってしまうのだと。
何もかもがこの世界から無くなったかのような気配がする。
まるで世界は自分だけのような、そんな感じがする。
実はこの世界は、自分の空想が作り出したもので、本当はもう誰もいなくて、自分が寝ている夢の世界で、これはただの空虚にすぎなくて……だから沈黙がこうやって降りてきて。
考え始めると止まらない、怖い想像。
僕は一人だけ。僕は孤独で。
僕は誰にも見つけてもらえないまま、僕はたった一人で堕ちていく。
何を考えているのだろうと、苦笑にも似た気持ちを抱くと同時、底知れない不安に襲われる。
僕は本当に生きているのだろうか? ここにいるのだろうか?
もし、ここで死んでしまっても、異変が起きても、誰も気付かないのではないのか──?
薄い上掛けを手繰り寄せて、肌さわりのいいそれに頬を埋める。そして、良い香のするシーツに鼻を摺り寄せて、リオは自分に言い聞かせた。
ひとりじゃないから……──沈黙の向こうには、みんながいるから。
だから、眠らなきゃ……──寝なきゃ。
必死に閉じた目を、そのまま眠りの中に落そうとする。
不安がせり上がってきて、寝れそうになかったけれど、寝ない事には身体がもたないから、寝ようとした。
このまま寝れないようなら、ナナミの部屋にでも行こうかと、いつものように考えて見る。でも、一度もそれを実行したことはなかったけれど。
ナナミは一人で大丈夫なのかな? たったひとりで寝ていて、大丈夫なのかな?
ああ、でもそうだ。ナナミは一人だったんだ。僕とジョウイがユニコーン少年隊に行っている間、一人で寝ていたんだ。
だから、慣れてるのかな? こんな不安も知っているのかな?
ひとりぼっちにされた気分がより強くなって、リオは眉をしかめる。
と、その時である。
ぎし、とベッドの端がたわんだ。
びくり、とリオは肩を強ばらせる。
覚えが無かった。
誰かが部屋の中に入ってきた覚えなど、なかった。
だから、リオは強ばる肩を必死でなだめすかして、枕の下に手を伸ばす。
進入者だとしたら、それは刺客に他ならない。
こういう時のために、枕の下にナイフを入れておいた。とにかく、奇襲を掛けて……と、慎重に、息を乱さないように気をつけながら、リオはベッドの端に体重をかけたらしい人物を探る。
息遣いは緊張しているふうでもない。普通に……消え入りそうな感じがする。でも気配はしない。刺客だとしたら、相当腕が立つ──。
全身をとがらせて、相手の気配を探っていると、ふいに相手が手を伸ばしてきたのを感じ取った。リオはとっさに身体をひねり、ナイフを抜きだし、それを突き出す。
しかし相手はナイフをひょい、とよけて、ナイフを持っている手を、片手で抑え込んだ。ぐる、と相手の上半身が無防備な左半身に回り込む。
リオは一瞬息を呑んで、そしてきり、と唇をかんだその刹那。
「危ないから、しまってね、それ。」
囁くような……聞きなれた声がした。
びくん、と肩が跳ねて、リオは目を見張った。
暗闇になれた目に、間近に近づく秀麗な容貌。
きらり、と細い光を反射して光ったナイフを手で抑えて、彼はにっこりと笑った。夜中にこんなところにいることを、なんとも思っていないように。
「す……スイ、さん?」
日が暮れる前に別れたはずの英雄が、何故かリオと同じベッドの上にいる。
不思議な心地に駆られて、リオは目を白黒させる。
実はこの人はスイなんかじゃなくって、誰かが自分を油断させようと化けているのかもしれない。
そう思っては見たが、シーツの上に座って微笑んでいる彼の持つ、独特の雰囲気を誰かが真似できるはずもない。
「こんばんわ、リオ。」
「こ……こんばんわ。」
今の状況に不似合いな、穏やかな挨拶をされて、ついリオも答えた。
スイはそれに満足そうに頷いた後、ナイフを取り上げて、リオの手を取った。
呆然とするリオの手を持ったまま、ベッドから身軽に降りると、月明かりを背に、彼は微笑んで言った。
「それじゃ、行こうか?」
「──え?」
「たまには、息抜きも必要だからね。」
囁かれた言葉が終わらない内に、目眩がした。
闇に溶け込んでいた景色が、一瞬で暗転して、そのまま揺れる。
あ、と目を閉じて、身体を強ばらせる。
ただ握った手のぬくもりだけが、現実の意識だった。
ふっ、と、頬を涼しい風が通り抜けた感じがして、リオは目を開く。
すると、光が目に飛び込んできて、目が眩んだ。
おずおずと瞳を開き、光に慣れた目で辺りを見回す。
どこかで見たような厨房であった。城にあるレストランよりも少し広い──そして、同じくらいかそれ以上の機具がそろっている、大層立派で手入れのいい台所である。
室内には、腹をくすぐるいい香で満ちていた。
「ここは……。」
呆然と呟いて、リオは辺りを見回す。
そこに、男が一人立っていた。
彼はリオに気付くと、驚いたように軽く目を見張ってから、すぐにその秀麗な容貌に、優しい微笑みを浮かべた。
「いらっしゃい、リオ君。眠れないのですか?」
どうしてここにいるのだとか、何をしているのだとか、普通ならそう尋ねるであろうに、彼はまるで現実離れしたかのようなことを尋ねてくる。
ついついリオは、そののほほーんとした雰囲気につられて、頷く。
「あ、は、はい。──静かすぎて、落着かなくって……。」
すると彼は、ああ、そうですか、と笑いながら、椅子に座るように進めた。それから、鍋に向かって、何やら呟くと、次の瞬間には、碗に湯気の立った白湯を入れて、リオの差し出した。
「そういうときは、とりあえず温かいものを飲むといいですよ。」
はい、と差し出されたそれを、条件反射的に受け取って、リオはまじまじと白湯を見つめた。
特に何の変哲もない、白湯である。
ただ、お碗があったかいくらいで、湯気がゆらゆらと立ち上っているだけで、何か変化があるわけでもない。
不思議に思いながら、リオはそれを口元に運ぶ。
ちらりと見やると、男はまた鍋に向かっていた。
広い背中でゆらゆらと金の髪が揺れている。
色合いは違えども、同じくらいに長かった親友の髪を思い出して、リオは視線を落した。
ゆらゆら揺れる湯気が、温かな風を作り出して、額に当たった。
リオはそれを無意識に唇につけて、そっと口に運ぶ。
ぬくもりが口いっぱいに広がって、喉をゆっくりと通っていく感じがする。
それは胃で広がり、ほう、と吐息が零れる。
そのリオの溜め息を聞いたのか、男は再び振り返って、
「ね? 温かさが染み込むでしょう?」
と、笑った。
左頬の傷が怖そうに見えるけれども、彼の持つ雰囲気がそれを裏切っている。
彼は、とても温かで、優しい人だ。
微笑んだそれが、呑んだ白湯と同じ様に、喉から胃に落ちていく気がして、リオは再びほう、と息を付いた。
いつのまにか肩から力が抜けていて、椅子の背もたれに背を預けていた。
「……ありがとう、ございます。」
「どういたしまして。あ、リオ君、お腹空いてませんか? 今ちょうど、試作品があるのですが、どうです?」
にこにこと、朗らかに微笑みながら、グレミオがテーブルの上に置いたままの皿を手にした。
その上には、いくつかの形いい焼き菓子が乗っていた。
「試作品って、こんな夜にですか?」
驚いたような表情で尋ねるリオに、そうですよ、とグレミオは笑った。
「こんな時間じゃないと、ぼっちゃんが邪魔しますからねぇ。」
笑いながら、グレミオはカップに温かな飲み物を注いで、リオに勧める。
リオは軽く頭を下げてそれを受け取り、ほんわりと良い香のするそれを口にした。
豊潤な香と共に、口の中いっぱいに心地好い味が広がった。
「あ……おいしい。」
「ありがとうございます。これ、グラスランドから輸入してもらったんですよぉ。良かったら小分けしましょうか?」
にこにこと笑うグレミオに、気付いたらリオも釣られて微笑んでいた。
スイがいつだったか言っていたが、グレミオは柔らかい、独特の雰囲気を持っているのだ。
だから、こっちもつられるのだ。その柔らかい雰囲気に、つられて微笑んでしまうのだ。
「お願いできますか?」
すっかり肩から力が抜けていた。
「ええ、お土産に包んでおきますね。あ、そうそう、ミルイヒ様から果物も頂いていたんですよ、これもおすそ分けしますね〜。」
笑顔で告げるグレミオが、カタンと椅子に腰を掛ける。
リオは嬉しそうに頷く。
グレミオはにこにこ微笑みながら、グレミオが作った焼き菓子を手にしたリオを見つめた。
そして、
「そういえばリオ君、ぼっちゃんはどこに行かれたんでしょうか?」
尋ねたグレミオに、はっ、とリオは自分の片手を見やった。そして、軽く首を捻る。
そういえば、ここに突然来る前に、手を握られたんだけど──どうなったんだろう?
ここに付いて、グレミオから声をかけられた時にはもう、手は自由だったような気がする。
「僕がここに来たとき、隣かどこかにいませんでした?」
「あれ? リオ君を連れてきたのは、ぼっちゃんだったのですか?」
不思議そうに首を傾げたグレミオが、むーん、と悩む。
素でぼけるグレミオに、結局今回のこれは、スイの独断の心遣いだったと悟った。
きっと協力しているのは、テレポートの達人ビッキーか、スイの出来事には協力するルックか、どちらかであろう。
「テレポートするときに、スイさん付いてこなかったのかな?」
それで今ごろ、僕のベッドの中で、僕の代わりをしているのだろうか? シュウや見張りの兵達に見つからないように?
想像すると面白くて、思わずクスと笑いを零した。
グレミオはリオが唐突に笑い出したので、キョトン、と目を見張ると、
「何か嬉しい事でもあったんですか?」
と尋ねた。
つい先程まで寂しい気持ちに包まれていて、嬉しいだとか、面白いだとかの出来事とはまるで縁がなかったのに。
グレミオらしい尋ね方だと、思いながらリオは頷いた。
「ええ、とても、嬉しい事なんです。」
「そうですか、それは良かったですね。」
自分のことのように、嬉しそうに微笑んでくれるグレミオに、心の中が、ホッとするような感じを覚えた。
もう寂しい気持ちはなかった。
「嬉しい気持ちを忘れないでくださいね。そうすれば、辛くなったときも、心は温かくなれますよ。」
笑顔で囁いたグレミオを、驚いたようにリオが見やった。
グレミオは何事もなかったかのように両手で温かなカップを包み込むと、それを口元に近付ける。
「寂しくなったり、辛くなったりすると、心が空ろになるでしょう? そういうときは、温かな気持ちで、温かなものを飲みながら──。」
口付けた途端、グレミオの身体がドクンと揺れた。
そして、吹き出したグレミオが、テーブルにうつ伏せになってせき込むと、グレミオの背中にもたれかかるようにして立っている少年が見えた。
「グレミオ、この試作品、もう少しバニラきかせてよ。」
彼は、激しくせき込むグレミオの上から手を伸ばすと、テーブルの上に置かれた焼き菓子を手にした。
そしてそのままポイ、と口の中に運んだ。
「スイさんっ! 今までどこに……っ!?」
「テーブルの下。」
しれっとして答えると、未だせき込んでいるグレミオの背中を撫でながら、ごく当然のようにリオの隣の椅子に座った。
グレミオは涙目になった視線を愛すべき主人にやると、眉を顰める。
「ぼっちゃん……っ。テーブルの下って──マクドール家の当主ともあろうものがっ!」
「そういう問題じゃないと思うんですけど?」
困ったように首を傾げたリオは、静かにグレミオを見やった。
しかしグレミオはそんなことを気にもしはしなかった。
「まったく、どうせ隠れるんでしたら、浴室とか食糧庫とかにしてください。テーブルの下じゃ、すぐ見つかってオオカミに食べられてしまいますよ。」
「あ、グレミオさん、それだと、スイさんは大時計の下に隠れないと駄目なんですよぉ。」
「あれ? リオ君、詳しいですねぇ。」
「いやぁ、それほどでも。」
てれてれ、と頬を紅く染めるリオに、溜め息を覚えたスイは、グレミオのカップを奪うと、それを一気に呑んだ。
それから、気にするように窓から外を眺めて、
「そろそろ戻らないと──サスケが我慢できないかもね。」
「サスケ??」
なんでそこでその名前が出てくるのだろうと、リオがスイを見つめた。
スイはスイで、微笑みを零すと、
「ちょうどそこを通りかかってたから、ルックがリオのベッドに彼を突っ込んでたよ。さすがに朝になるとばれるだろうから、戻らないとね。」
当たり前のように囁いた。
それを聞いたリオは、なるほど、と呟いた。
「それじゃ、戻らないと駄目ですねっ!」
広い部屋でベッドに潜っていた時とはまるで違って、いつものお日様の下で笑う元気さを取り戻したリオに、スイは微笑みを零した。
グレミオは二人の会話を聞いた直後、慌てたように立ち上る。
「それではいそいでお土産の準備をしなくてはっ!! ちょ、ちょっと待ってて下さいね、リオ君っ!」
先程までの、のほほーんとした雰囲気を吹き飛ばして、きりり、と表情を改めると、彼はあせったように飛び出していった。
無言でそれを見送ったリオは、こまったようにスイを見やった。
「あの……グレミオさんは?」
「ああ、気にしなくていいよ。どうせすぐ戻ってくるから。」
ぱたぱたと手を振ると、スイは再びグレミオの試作品を口にした。
「んー、やっぱりバニラ足りないよね。」
「そうですか? おいしいと思いますけど。」
「おいしいけど、僕としてはもう少しバニラが欲しいんだよ。」
「スイさんって、舌が肥えてるんですねぇ。」
「そうかな? 結構なんでも食べるけど……。」
和気あいあいと話す二人に、グレミオが両手にいろいろな物を抱えて戻ってきた。
「ぼっちゃんは、食べますけどうるさいんですよね……。」
いいながら、どさどさ、とリオに対する土産らしきものをテーブルに置いた。
グレミオが両手に抱えてやっとの荷物が、どっさりとテーブルの上に広げられる。
彼はそれを嬉々として、厨房に置かれた袋に詰め込んでいく。
「うるさいって、どういう意味だよ?」
「レストランに行くと、いつも口うるさいじゃないですか。このあいだ、カレーハンバーグを頼んで、ライスはおいしいけどカレーがまずいだとか、ハンバーグがカレーにあってないだとか、肉臭いだとか、言いたい放題だったでしょう?」
そのスイの舌を作った張本人は、その事実をすっかり忘れているらしく、この間の外食について語る。
「その前だって、野菜が苦いだとか、ドレッシングがまるであっていないだとか、スープの出汁が薄いだとか、魚の切り方がなっていないだとか──。」
「なんだよ、グレミオだって言ってたじゃないか。御飯が堅いだとか、パンが粉臭いだとか。」
二人の会話を聞きながら、食事にはうるさくないと行っている彼らが、相当な食通ではないのかと、リオは思った。
と同時、帰ったらハイ・ヨーに口うるさく言わねばならないと誓う。
「それに、僕はグレミオやクレオみたいに、接客までうるさく言わないよ? コップの置き方がなってないだとか、クレーム処理が駄目だとか、お客さんの要望に答えるマニュアルができてないだとか、言葉が足りないだとか、そういうことをさ。」
「この間いった店はそのあたりが駄目でしたね。勿論お料理もまだまだでしたが、それを補うサービスが足りません。あそこは椅子の進め方は良かったんですけど、どうも他がねぇ、やはり食器を出すときや引くときは、角度と置き方が……──。」
「だから、相手はトレー持ってなかったんだから仕方ないだろ。」
「トレーは持っていなくてもですね、置き方というのは…………。」
「………………………………。」
切々とときながら、グレミオはリオへの土産を包んでいく。
それを見ながら、リオは再び心に書き留める事にした。
接客も特Aを要する、と。
こういうのが貴族というものなのだな、とリオは感心した。
かく言う同盟軍にも貴族というのは存在しているのだが、スイのようなことは言いはしない。スイが口うるさいと見るのか、心が狭いと見るのか、はたまたわがままと見るのか──それは聞いたリオの心境を知れば、答えは自ずとわかることである。
土産を見事風呂敷きに包みおわったグレミオは、ふぅ、と掻いてもいない汗を拭って、リオを笑顔で振り返った。
「リオ君、それで、ここからどうやって戻るのですか?」
「とりあえず峠を歩いて、あとは手鏡を使います。」
答えたリオに、グレミオはなるほど、と呟いて、窓から外を眺めた。
外は未だ暗闇で包まれている。明け方はまだまだ遠いようであった。
「危険ですよ、まだ夜中ですからね。……ぼっちゃん。」
「わかってるよ。今書斎でルックが待機してるからさ。」
「え? ルックいるんですかっ?」
驚いたようなリオに、スイは軽く頷いた。
「ちょっと脅しといたから、すぐ来るよ。」
にこ、と笑顔で言ったスイに、リオはちょっと疑問を覚えたが、それを軽く流す事にした。
つまりは、「スイさんはすごい」ということなのだから。
グレミオはまとめた荷物をスイに手渡すと、ふとリオを正面から捕らえた。
リオはグレミオの真摯な眼差しを受けて、軽く瞬きする。
グレミオは優しい笑みでリオを見つめると、優しく囁く。
「明けない夜はありませんからね。──もっとも、人によってはそれぞれですけどね、どちらがいいかなんて。」
「明けない夜もなければ、暮れない昼もないからね。」
スイもグレミオに答えて囁くと、空になったカップをグレミオに突き返した。
グレミオはそれを受け取り、リオを見て笑顔で微笑んだ。
「頑張って下さいね。また遊びに来て下さいね。」
その温かな笑顔に、リオは心の奥底からの笑顔で答えた。
「……はいっ!」
沈黙が耳を打つ時を、僕は知っている。
耳を澄ませても、何も聞こえない、。だ空気が降りてくる音だけしかしない、自分の呼吸の音が異様に大きく聞こえて、この世界に一人取り残されたような感覚を覚える孤独。
耳打つ静けさの中で、耳の奥で耳鳴りがしている──ただ空虚なばかりの沈黙。
僕はそれを知っている。
──────けれど、僕はそれを感じることはない。それに押しつぶされる事はない。
だって、僕の側には、たくさんの人がいてくれるのだから。
例え離れていても、例えそこにいてくれなくても、音が届くところにいなくても。
彼らはいつも僕を愛してくれていると、分かるから。
だから僕は沈黙に寂しくて潰される事はない。
寂しくてしょうがない日には、付き合ってくれる優しい人が────大勢、いるから、ね。
しい様へささげるぼっちゃんとグレミオと2主。
そろって出場させてみましたが、ギャグになるとおさまらないので(みんな突っ走るので)、今回はシリアス風味です。
いかがでしょうか?
なんというか、消化不良ぎみですね………………。
すいません。いっそうの努力を要します。う……。